■ 一日中冷たい雨の予報ですが、気温は平年よりだいぶ暖かいようです。
2025/11/23
■ あるく ■ 近所の八幡さま
■ 一日中冷たい雨の予報ですが、気温は平年よりだいぶ暖かいようです。
2025/11/22
■ まなぶ ■ 偉人のことば...は、耳が痛いものです
■「なぁ〜にが "W.ゲーテも200年ほど前におっしゃっているとおり"だよ...(→🔗11/19)。また妙な弁を弄して...!」とのことで、見透かされてしまいました。偉人の権威を借りることで人を煙に巻いたまま逃走するというスタンスなわけで(🔗2023/3/22)...。
■ 似たようなことはおっしゃっているようです。
"Wer klug ist, lehnet daher alle zerstreuende Anforderungen ab und beschränkt sich auf ein Fach und wird tüchtig in einem."
かしこい人は、気を散らすようなさそいはいっさいしりぞけて、
自分を'ひとつの'専門に限定し、
'ひとつの'分野に明るくなっていくものだ。
J. P. Eckermann: “Gespräch mit Göthe” エッカーマン 『ゲーテとの対話』
Dienstag, den 24. Februar 1824
拙訳で痛み入ります
■ 思い出すにつけ、読み直すにつけ、自分をかえりみては、身も細るような、耳が痛くなるような、人生を送ってきたのですがね...。
■ きれいならざる本で失礼します。うん十年前の学生時代に購入。単語上の色鉛筆桃色は知らなかった単語のつもりのようです。"現在存在する最善の書"だとF.ニーチェ先生による太鼓判も...↓。ニーチェ先生なら満足して幾度も読み直したことでしょう、が、私がまた読み直すとしたら、送ってきた人生を責められる一方になりそうです...
2025/11/21
■ まなぶ ■ ベートーヴェンは善い音楽でジャズは悪い音楽の例? - 漱石と寅彦
■ あいかわらず、夏目漱石・寺田寅彦を味読中です。
■ "美しい音楽"の代表例がベートーヴェンですか。他方、"俗悪な音楽"の代表例がジャズ、という概念ペアを感じます。(カッコは私が付しました。)
夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』 (明治39年;完結)
吾輩は主人と違って、元来が早起の方だから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちのものさえ
膳 に向わぬさきから、猫の身分をもって朝めしに有りつける訳のものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁の香 が鮑貝 の中から、うまそうに立ち上っておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。...(中略)...御三(おさん;女中) はすでに炊 き立 の飯を、御櫃(おひつ) に移して、今や七輪 にかけた鍋 の中をかきまぜつつある。...(中略)...吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨 ずるがごとく泣いて見た。御三はいっこう顧みる景色 がない。...(中略)...ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音 と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。
■ ベートーヴェンのどの交響曲のどの箇所のことなんでしょうね、"美妙の
寺田寅彦『線香花火』(昭和2年)
夏の夜に小庭の縁台で子供らのもてあそぶ線香花火にはおとなの自分にも強い誘惑を感じる。これによって自分の子供の時代の夢がよみがえって来る。今はこの世にない親しかった人々の記憶がよび返される。
はじめ先端に点火されてただかすかにくすぶっている間の沈黙が、これを見守る人々の心をまさにきたるべき現象の期待によって緊張させるにちょうど適当な時間だけ継続する。次には火薬の燃焼がはじまって小さな炎が牡丹ぼたんの花弁のように放出され...(中略)...十分な変化をもって火花の音楽が進行する。この音楽のテンポはだんだんに早くなり、密度は増加し、同時に一つ一つの火花は短くなり、火の矢の先端は力弱くたれ曲がる。もはや爆裂するだけの勢力のない火弾が、空気の抵抗のためにその速度を失って、重力のために放物線を描いてたれ落ちるのである。荘重なラルゴで始まったのが、アンダンテ、アレグロを経て、プレスティシモになったと思うと、急激なデクレスセンドで、哀れにさびしいフィナーレに移って行く。...(中略)...あらゆる火花のエネルギーを吐き尽くした火球は、もろく力なくポトリと落ちる、そしてこの火花のソナタの一曲が終わるのである。あとに残されるものは淡くはかない夏の宵闇(よいやみ)である。私はなんとなくチャイコフスキーのパセティクシンフォニーを思い出す。
実際この線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある。
ところが近代になってはやり出した電気花火とかなんとか花火とか称するものはどうであろう。なるほどアルミニウムだかマグネシウムだかの閃光は光度において大きく、ストロンチウムだかリチウムだかの炎の色は美しいかもしれないが、始めからおしまいまでただぼうぼうと無作法に燃えるばかりで、タクトもなければリズムもない。それでまたあの燃え終わりのきたなさ、曲のなさはどうであろう。線香花火がベートーヴェンのソナタであれば、これはじゃかじゃかのジャズ音楽である。これも日本固有文化の精粋がアメリカの香のする近代文化に押しのけられて行く世相の一つであるとも言いたくなるくらいのものである。
■ 寺田には、生涯を通じて"線香花火"に対する強い思い入れがあります。いくつかの随筆を通じて、また、師事した中谷宇吉郎の記録を拝読しても、そう感じます。ここでは、線香花火が、チャイコフスキーの"悲愴"交響曲を思い出すと言いつつ、すぐ、"線香花火がベートーヴェンのソナタであれば"と例えています。線香花火の美しさに音楽を連想しているようすです。
■ が、他方で、ただ刺激だけで成り立つようなそれ以外の流行りの花火を批判して、"じゃかじゃかのジャズ音楽"とは...。
■ 寺田の時代1920年代は、ジャズといえば、20年代黄金時代のアメリカを象徴するような、楽天的で夢いっぱいの人生観を体現するディキシーランドに次いで巨大編成のビッグバンドが流行し、再生装置としては、明治中盤から戦前までの長きに渡り、「蓄音機」が普及していた頃でしょうか。
■ あらゆる人にウケるわけではなく、蓄音機の音質で響く華やかなビッグバンドのスウィングに眉をひそめる人たちも世界にはいたということですね。
■ バップ時代を経たマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスのモード・ジャズという思索に耽るような第2の黄金時代、同時進行的にハイ・フィデリティなステレオLPが普及する60年代までは遠いです。
■ 現在、学校授業での一つ覚えみたいにベートーヴェンの5番(Sym)の1楽章だけ聴いたり、俗物渦巻くオシャレな"演奏会"で、現代の巨大編成のオーケストラによる3番ばっかり演奏されたりするのを聴くのもそれなりに華やかでよいものなのかもしれないですが、類似の定番ながら、自宅でひとりでビル・エヴァンスの"Walz for ...", "Danny ..."に耳を傾けるのも、"じゃかじゃかのクラシック音楽に対して淡くはかないジャズ音楽"の対比となるようで、なかなか善いですよ、と、つぶやいてしまいます。
2025/11/20
■ なおす ■ 包丁砥ぎ - "1)良い和包丁を、2)砥いで使う"ことの良さを実感
■ とある経緯で手元にやってきた三徳包丁(画像ナシ)で、ネギを切ります...。
■ ダメだろうなと思いつつ...。やはりダメでした。
■ ネギの粘りが、鈍っている刃にまとわりつき、断ち切ろうとしてもただつぶししているだけの状態に...。こりゃ砥がずにはいられない...のですが、この包丁自体、その刀身は砥ぐ値打ちはない品質のようですので、そのことを確認し、洗い、廃棄することに。
■ でも砥ぐ準備をして砥石は水に浸漬してありましたので、せっかくなら、自分のふだんの本鋼の菜切和包丁と、今日は珍しく久々に藤寅作のV金10号ステンレスのペティナイフを砥ごうと思います。(トップ画像の2本)
■ 実家整理の際に見つけた、おそらく#1000程度の日常使いふうなレンガ砥石で。(🔗8/31)
■ 和包丁はすぐに返りがついて、砥ぎ終えるのも早くカミソリシャープな切れ味が蘇るのですが、ステンレスV金10号は、この砥石では、いや、砥ぐこと自体が、やっぱり厳しいです。V金10号の性質として、シャープな切れ味は長く続くのですが、砥ぎがたいへんです。一日中酷使するプロユースである所以です。でも今日は浸漬している砥石はコレだけなので、しょうがなく必死に砥ぎます。ひとまず納得して終了。
■ で、ネギを切っていた続きを本鋼の和包丁で...。
■ 大きな重い刀身で、まるっきり力も加えずに、あっさりスパスパと切れます。同じ"包丁"を名乗れる道具同士とは思えない差。
■ 気分が良くなってサクサク切ります。ラッセル車の除雪のように白いネギが宙に舞います。ああ愉快。
■ ...ところでこのネギって、何に使うんだっけか?
2025/11/19
■ まなぶ ■ 飽和曲線
■ 世に"飽和曲線"は多様に存在しますが、学校で初めて出会うのは、中1数学反比例関数の"双曲線"、中1理科の"砂糖が水溶する飽和水溶液曲線"、中2では空気1㎥中に含むことのできる"飽和水蒸気曲線"...。
■ 出入りの大工の棟梁Tさん(1/3)。義務教育が終わるか終わらないかのうちに大工に弟子入りし、この道一筋60年。
■ 私がお願いした仕事も済み、支払いにご自宅にうかがったときの、もう何年も前の話。
■ ヒバの内装の立派な邸宅です。居間に通されて、茶と茶菓子のご相伴に与ります。
■ 人間一つのことに人生をかけて取り組めば、立派な邸宅を建て何人もの徒弟を率いる身分になるのだ、とW.ゲーテも200年ほど前におっしゃっているとおりです(ほんとか...?)。誰かさんのように、あちこちに興味の首を突っ込んでけっきょく何一つ身についていない人は、倉庫然とした陋屋に細々と暮らすのもまぁしょうがないかもしれないです...。
■ 冬の入りの寒々しい日でしたが、邸宅の居間には、立派な薪ストーブと見事な煙突が。燃やす薪など、大工作業で出る端材が一年中どっさり。しかも端材と言えども、ヒバやヒノキやスギのような高級建築材。どっしり落ち着いた和風の居間は、暖かく、良い香りが漂います。
■ 聞くと、煙突を修理したのを機に(この界隈には、りんご農家などの薪ストーブ愛用者も多いので"煙突専門業者"もごく普通に存在します)、この際ストーブを新調したようで、ため息の出るような暖かく立派な暮らしぶりです。
■ Tさんの朝食・昼食・夕食は、現場や作業場にいても、軽トラで自宅に戻ってきて自宅にて。その後この居間で茶を一服。
■ ストーブを新調したのを機に、朝昼晩の食後の一服時に、眼に入る手元の温湿度計を見て、なんとなく居間の室温と湿度をメモするようになった、と言って、私に、鉛筆で数字がびっしり書かれた紙を見せてくれました。
■ 曰く「冬、朝のうちは湿度の数字は高いのに、昼飯のときや晩飯のときになると、湿度の数字って、低くなるものだなぁ。ストーブをつけないとそんなに湿度は低くならないんだけどなぁ。ストーブが何か関係があるんですかい? どういうカラクリなんですかね?」
■ まるで「お前ならわかるだろう、説明してくれ」と迫られています...。
■ う...。あなたならどう説明します?
■ そりゃま、ストーブをたいて空気があたたまると、露点が上がり飽和水蒸気量は大きくなり、たとえこの空間の水蒸気量がまる一日一定だとしても、飽和量増加に対して今ある水蒸気のレベルは相対的に下がるから、湿度の%値は低いです...、などとしゃべっても、ちょっと無理がありそうです。
■ とっさに「温度が高くなれば、空気がより多くの水蒸気を含むことができるんです。」
「は? 空気がば〜んと膨らむのかい?」...まるで空気が膨らんで部屋が破裂するのを心配するかのように天井をぐるりと見回し、で、疑いに満ちた眼差しをこちらに向ける...。こ、これはまずい...。
■ 「た、たとえば、さ、砂糖って、冷たい水にあんまり溶けないですよね。たとえば10gくらいドサっと入れても、コップ1杯の水には、たった1gで、もう十分溶け切って、溶けきれない分が底に見えます。」(🔗2023/12/23)
「へ、砂糖? ま、そうだな。」
「溶ける量が1gでいっぱいいっぱいで、もう100%溶け切ってるってことで。
でも、コップ1杯の熱いお湯になら、もっと、3gも5gもたくさん溶けて見えなくなりますよね。」
「うん、で?」
「お湯に1gくらいなら、まだ余裕、ほんの10%くらいしか溶けてないから、またあと90%くらい溶かす余裕があって。だから"今溶けてる量は10%ですよ"ってことですよね。」
「う〜ん、そうだろうな。」
「温度の高いお湯の方が、たくさんの砂糖を含むことができるってことですね。
この部屋の空気も、
i) 温度が低いと、少し、たとえばほんの10gの水蒸気があるだけで、もうそれ以上含みきれなくなって、いっぱいいっぱい、湿度100%に近くなるんですが、
ii) 温度が高くなると、10gといわず100gくらいなら含むことができるようになるので、"今ある10gじゃまだほんの10%くらいですよ"ってことになりますよね。」
「...??? 数字ばっかりだな。でもお湯の方が砂糖が溶けやすい。それと同じで、暖かい空気のほうが水分がたくさん入りやすいってことなのかい?? 」
...私との間の1mほどの空間に水分がないかいっしょうけんめい探しているようす...。
■ 「う〜ん、ま、ニンゲン、学問がないとダメなもんだな。孫にもうるさく言っているんだが、ゲームばっかやりゃ〜がって。でもヤツはあれでもいいところもあって..」
...ここからはだいたいお察しの通りの孫自慢の展開...。
■ "中2のお孫さんに聞けば、ちょうど期末テストの範囲になってたりしたら、グラフを使って説明してくれて、互いに尊敬し合うすばらしい展開に"とも思いましたが、そう都合の良い話もなく...。
2025/11/18
■ まなぶ ■ 自然描写と科学者の筆
■ 文学的情緒のある文に、科学者の筆致を混入させたら...意図するとしないとにかかわらず、諧謔的な雰囲気が出ます。
この二三年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察しまた実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。それで木が高いほどうつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。しかし低い木だとうつ向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままにうつ向きに落ちつくのが通例である。この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることはもちろんである。それでもし虻が花の蕊の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末な物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。
寺田寅彦『思ひ出草 二 』昭和9年
■ この、空中における重心移動の物理学的機序を理解することによって、"その詩の美しさが高まるような気が..."...あなたは、しますか?
昭和7年12月13日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。宅のものの話によると、きょうの午後1時過ぎから4時過ぎごろまでの間に頻繁にはじけ、それが庭の藤も台所の前のも両方申し合わせたように盛んにはじけたということであった。台所のほうのは、1間(1.8m)ぐらいを隔てた障子のガラスに衝突する音がなかなかはげしくて、今にもガラスが割れるかと思ったそうである。自分の帰宅早々経験したものは、その日の爆発の最後のものであったらしい。この日に限って、こうまで目立ってたくさんにいっせいにはじけたというのは、数日来の晴天でいいかげん乾燥していたのが、この日さらに特別な好晴で湿度の低下したために、多数の実がほぼ一様な極限の乾燥度に達したためであろうと思われた。それにしても、これほど猛烈な勢いで豆を飛ばせるというのは驚くべきことである。書斎の軒の藤棚から居室の障子までは最短距離にしても5間(9m)はある。それで、地上3メートルの高さから水平に発射されたとして10メートルの距離において地上1メートルの点で障子に衝突したとすれば、空気の抵抗を除外しても、少なくも毎秒10メートル以上の初速をもって発射されたとしなければ勘定が合わない。あの一見枯死しているような豆のさやの中に、それほどの大きな原動力が潜んでいようとはちょっと予想しないことであった。...
鳶(とんび)に油揚げをさらわれるということが実際にあるかどうか確証を知らないが、しかしこの鳥が高空から地上の鼠(ねずみ)の死骸などを発見してまっしぐらに飛びおりるというのは事実らしい。鳶の滑翔する高さは通例どのくらいであるか知らないが、目測した視角と、鳥のおおよその身長から判断して100メートル200メートルの程度ではないかと思われる。そんな高さからでもこの鳥の目は地上の鼠を鼠として判別するのだという在来の説はどうもはなはだ疑わしく思われる。かりに鼠の身長を15センチメートルとし、それを150メートルの距離から見る鳶の目の焦点距離を、少し大きく見積もって5ミリメートルとすると、網膜に映じたねずみの映像の長さは5ミクロンとなる。それが死んだ鼠であるか石塊であるかを弁別する事には少なくもその長さの10分1すなわち0.5ミクロン程度の尺度で測られるような形態の異同を判断することが必要であると思われる。しかるに0.5ミクロンはもはや黄色光波の波長と同程度で、網膜の細胞構造の微細度いかんを問わずともはなはだ困難であることが推定される。視覚によらないとすると嗅覚が問題になるのであるが、従来の研究では鳥の嗅覚ははなはだ鈍いものとされている。...
2025/11/17
■ あるく ■ 湖畔の道
■ 昨日の日曜日、また珍しく晴れてくれました。気温13℃、風はほぼ無風で、ぽかぽかと良い休日です。
■ 11月に入ってめっきり寒くはなれど、毎週日曜日だけ晴れてくれるようです。
■ が、今日の午後から雪マーク、 明日はまる一日雪で日中の最高気温3℃なんですか...
■ ほっこりした暖かさを惜しむように公園を散策します。冬枯れに向かう色あせた背景に、モミジの紅さが鮮やかです。
■ 公園地区から、ひとの気配の途絶えるトレールエリアに向かいます。
■ いっそう樹間があいたような冬枯れの雰囲気が強まります。次にここを通るのは、雪景色の中か雪解け後の"初めての緑"が芽生える頃か...。
■ 湖岸の水辺には背の高い黒松、小径の右手は杉の森で、並木道ふうです。落ち葉で小道が埋めつくされ、ふかふかざわざわとあるきます。
■ 葉が落ちきって日が当たるようになった斜面。乾いた落ち葉が敷き詰められた子ども地蔵のみなさん(🔗7/27)も、明るい晩秋の好天のもと、おどろおどろしい雰囲気はなく、フレンドリーな雰囲気に感じられます。
■ 葉の色も褪せ、モノトーンに近づいてきました。この後2週間予報はすべて雨・雪・曇天。その後は12月に入るのか...。年内のぽかぽか陽気の晴天は、もはや今日限りかなと思いながら、深まった秋のじっくりこころ落ち着く雰囲気をいつくしんでゆっくりあるきます。
2025/11/16
■ なおす ■ モンベル寝袋の新型ジッパー
■ 以前さんざん論(あげつら)ったモンベルmontbellのジッパートラブル(🔗2/8~)。
■ うち、シュラフ(寝袋)は、メーカー側が、近時、画期的な新型ジッパーを採用しました。
■ 遅ればせながら、私も入手し、実用に投入しようと思います。
■ シュラフは、冬季のフィールドでトラブルになったら、まさに文字通りの「致命傷」です。こんどは期待。
■ 旧型は、インナーフラップをスライダが噛み込むトラブルが、ここ50年、頻出し続けています。他に、スライダの上下高の変形(拡大)によるエレメントの離合(ジッパーで閉めた部分がすぐ開く)、スライダそのものの脱落など...。
■ 「ユーザーの使い方に起因する(使い方が悪い)」と、直営店でいく度か責められました。メーカー側(モンベルやYKK)から、"客にはそう対応しろ"というマニュアルかもしれません。が、ご家庭内で穏やかに使用するのとはワケが違いますので、モンベルのリアルユーザーの苦境は深刻で、ゆえに要求は厳しいはずです。
■ 新型は、酷使を前提とした形状で、見るからに気合が入っています。ひと冬使ってみましょう!
2025/11/15
■ あるく ■ 関の甕杉
■ 先日の"深浦の銀杏(北金ヶ沢の大イチョウ)"🔗11/12 にほど近い、やはり北金ヶ沢にある三大巨木の一つ、"関の甕杉(せきのかめすぎ)"。
■ 樹齢は1,000年を超えていますので、私がよくあるく巖鬼山神社の杉↓(cf. 🔗2024/1/17)とほぼ同世代のようです。
■ 山道ふうなアプローチをあるきます。この位置は、地理的には、マタギの文化が色濃い白神山地の西端が日本海に落ち込む位置なので、古来からのクマ生息エリアです。手ぶら無防備であるくのは少し心拍数が上がります。とはいえ、実はすぐ眼下に幹線国道101号線と北金ヶ沢の漁港集落およびすぐ白波立つ日本海が見渡せる、短い参道だったりします。
■ この地域に散在していた鎌倉末期から南北朝にかけての古い石碑群も、昭和の御代にここに集められて祀られています。
■ 海を見下ろすとは言え、巨大で奇怪な形の杉と古碑群により、なかなか深山の雰囲気をたたえた異様な雰囲気です。
■ '巨木の下にたたずんでみる' というのは、異世界につれてこられたようで、たまに現実を離れて身を置きたくなる空間体験です。
2025/11/14
■ なおす ■ 軽トラ冬タイヤをお譲りしました
■ 冬季間はまるっきりと言っていいほど使っていなかった軽トラック。もともとおととし春先の実家整理のために買い替えた車両でした(ex. 🔗2023/4/19)。長期戦を予想していた実家整理は半年ほどで完了し、軽トラックは、農家でも建設業でもない私のヘボい日常用途に役立ってくれているのみでした。
2025/11/13
■ まなぶ ■ 洗面所は湯気だらけ
■ シャワールームと洗面所は、我が陋屋の場合、ドアのない1つの空間です。
■ 寒い時期、空気中の飽和水蒸気量が低い時期は、シャワーを使うと、あっという間に湯気だらけで視界0な状態に。
■ 夏も冬も、シャワーで温冷浴(2024/12/17, 2023/8/20)を毎日2,3回しますので、夏は気にならないのですが冬は空間の湯気を早く消したいです。真冬も窓を開けて換気扇をつけ、どんどん氷点下の空間になっていく...割には、換気扇により流入する外気で置換される空間は、いっそう飽和水蒸気量のキャパシティが低い空気なわけで...。
■ 知り合いの建築士さんに「シャワールームの換気扇が非力で、長時間湯気が引かずに湿っぽくて、その分電気代がかかりそう。もっとハイパワーの換気扇に交換して早く換気できないものかな。」と尋ねました。
■ ら、彼は、私の提示した型番を見て少し調べて
「この口径の家庭用の換気扇には、そう"松竹梅"みたいな豊富なグレード展開は無いよ。あのさ、そもそもハイパワーにしたら、けっきょく電気代がかかるんじゃないの?
ex 1) 非力な今の換気扇が、例えば1000秒で湯気がおさまる;
10W ☓ 1000秒 (sec) = 10000 W・sec
ex 2) 5倍強力なものにしたとして、5倍早い200秒で湯気がおさまる;
50W ☓ 200秒 (sec) = 10000 W・sec
...電力を用いて同じ効果を得るなら、かかる電気代は同じだよ。
「それよりさ、湯気を乾燥させたいなら、今の換気扇で10分で無理なんだったら30分でも60分でも作動させていれば、かならず空気は入れ替わっているんだから、いつかは乾燥するのではないの? "電力"というパラメータを操作しないで、"時間"というパラメータを操作すれば、結果は必ず得られるのでは?」
■ あ、...そうか。水蒸気の飽和量が低いだのつべこべ考えずに、機械やお金のパワーで解決しないで、時間というパワーをぎっしり使えばいいのか...
■ 目からウロコ。専門家の発想を仰ぐ値打ちを痛感しました。
2025/11/12
■ あるく ■ 深浦の銀杏
■ 北金ヶ沢の大イチョウ(深浦の銀杏)。まだでした。今年は黄葉がうんと早いかなと思ったのですが。でも、新緑みたいな黄緑の銀杏の葉も、この時期に異彩を放っていて、惹かれます。
■ 樹齢1,000年以上、高さ約31m、幹周約22m、国天然記念物...と言ってもさっぱり実感がわかないでしょう。大樹こそ、その場に行ってみなければ感銘がわかない存在です。
■ 例年12月初旬が見頃な気がします。その頃はもう路面凍結が怖いけど、また来てみることにします。
2025/11/11
■ まなぶ ■ 紙が貼られた位牌
■ あまりわくわくするようなステキな話題ではないのですが、"位牌"。
■ 物心ついたときからついこないだまで、"位牌"というものは、仏壇の奥に鎮座した謎のアイテム(?)で、積極的に手にとったり寄り付きたい気持ちにはなりませんでした。実家整理に伴って仏壇の閉眼供養をしたとき(🔗2023/4/2)ですらそうでした。
■ 先日、ただ単に思い立って、実家整理により仏壇なきあとていねいに仕舞い込まれた5柱の位牌を、解体して清掃し、札板を調べ、表計算アプリケーションソフトウェアを使って、"そもそもどなたの位牌か", "年周忌表と法要年", "そこから推理される生年没年"を、何枚もの表計算シートにまとめ、1冊の表計算ブックにしてみました。いろいろなことがわかりました。
■ うち1柱に、終戦直後に19歳で逝去した人がいます。
■ 彼女の位牌は、現在一般的な、箱型をして札板を8枚収める"札位牌"(トップ画像右↑)とは違い、現在では49日法要までに用いられる「仮位牌」のような1枚の板だけでできており、そこに、札板の代わりに紙が貼られています。
■ 年周忌の法要のたびに、上から紙を貼っており、平成の時代に法要が営まれた50回忌までの紙が貼られています。
■ 戦後まもない時期の位牌で、当時の物資不足という社会情勢を反映してか、戒名や年周忌の法要年を記した札板を用いずに、紙を用いたものと推測します。
■ 没後、一周忌、三回忌の紙が、糊で貼り付きあい一体となって破れています。
■ あまりの痛々しさに、心臓がしめつけられる思いです。
■ その後、昭和の豊かな時代を迎えたからと言って、その間にゴージャスな位牌に作り替えなかった...のも、おそらく、故人とその背景を胸に刻み続ける意図だったのでしょうか。
■ 少し理解を深めたい気持ちになりました。調べてみたり、父の傍系親族に話を聞きに出向いたり。
■ その結果、逝去した直系・傍系親族のみならず今同じ時間を生きている他の年上の親族についても、時を超えて、一気に理解と共感が深まりました。
■ 5柱の位牌は、もはや、敬遠したい謎のアイテムではなく、親密な家族そのものと思えるようになりました。
2025/11/10
■ つくる ■ 甘くなくても
■ 黒豆の甘露煮(🔗11/7)は、初めてつくってあじわって、ぎゅっと甘く、とろりと口当たりが良く、じゅうぶん良い刺激になりました。
・コーヒーと甘い菓子がやめられないHbA1c=5.8のヒト「コーヒーの楽しみは、健康や効能よりも'ホッとする時間'に価値があるのだ。」・アルコール依存のヒト「賛成です。」・薬物依存のヒト「賛成です。」・ゲーム依存のヒト「賛成です。」
2025/11/09
2025/11/08
■ あるく ■ 湖畔の道
■ 暖かい秋晴れも、日本海側の津軽地方平野部にとっては、もう数えるほどの日数しかなさそう。明日以降は冬型の気圧配置になりそうですので、どんより曇った冷たい強風となりそうです。今日のうちに"金木 芦野公園"まで足を伸ばしてみます。



















































