■ この地方の特徴として、冬中毎日ずっと雪と曇天。まる一日暗い日々となりますので、ドライブレコーダーを、画像が明るいミラー型モニターにします。
■ 電源の取り出し(今回はヒューズボックス)や、ミラーやカメラの取り付けはいいんですが、毎回苦労するのが配線の取り回しです。作業時間の99%はそれじゃないかと思うくらい。
■ 農家だった祖母を最後に病院に見舞ったのは、若者の頃。
■ 「春の土手をあるくのは、ほんとうに楽しかったなぁ」と、私の存在を意識していないかのように、ひとりごとかうわごとのようにつぶやいていました。
■ 「退院してまた来年の春にあるこうよ」と言う私のうわべだけの返答もむなしく...。
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■ 初めて、あのカリスマ検査員整備士Sさんの小さな整備作業場F. Garage(🔗4/14)を、二級整備士や電気工事士の資格を持つ消防士のTさんに紹介してもらったときのこと。「この小さい街に何十年も住んで何十年も国産や欧州産の幌型自動車に乗って(無駄に)苦労してきたけど、そんなすぐ近くにそんなスゴい場があるだなんて聞いたこともないです。いったいどんな敷居の高い所なんですか!?」と疑惑の質問をすると、Tさんは笑って、「まぁ、行ってみれば。たまに目が飛び出るようなオートバイやスーパーなカーがいるからな。でもたいていはヒマな社長連中のおっさんのたまり場だけどな。」と...。怖気づきました。
■ その後、そのヒマな社長連中とその高級オートバイに囲まれて、数人の方々に、前々から聞きたかった「こんなスゴいオートバイに惹かれたキッカケ」を聞いたら、皆、口を揃えて「少年時代に乗ったあの50ccのワクワク感が、最初で最高のオートバイ経験」と。大昔のショボいガキんちょだった自分たちとショボいバイクたちの話で大いに盛り上がったことがありました。それが嵩じていまでは、周りが口を開いて振り返るようなすごいバイクになっちゃって...。
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■ 数ヶ月前、ネットの古書店で、送料を無料にするためのフィルアップとして適当に選んだ、数百円の、たしか和田秀樹の古本かな。■ 同世代の彼の話は、退職して衰えていく高齢者をあえて妙な切り口から励ましていくスタイルで、なんだか友人とダベっているみたいです。古本で一度読んだら、ああ楽しかった、と満足してすぐ売却処分します(読み捨ての新聞雑誌みたいですみません...)。
■ それらの本の主張はたいていこうです;
人生は楽しみを先送りするほど損をする。
老後に楽しみを取っておいて今ガンバって働いて稼いでいるつもりでも、いざ歳をとったら体力や気力が落ちてしまい、その"楽しみ"をもはや実行することができなくなっている。
60, 70と過ぎてから「あれをまたやりたい」「でももうできない」と後悔しても遅い。
日本人は不安を感じやすい民族ゆえ、ノーリスクを求めがちだが、
"リスクのない老後"とは"金銭的に豊かな老後"だと勘違いしているおバカを何千人と診てきた。
リスクなしで老後にリターンを得ることなんてムリだろう。
家族と自分の幸せのために、60過ぎて再雇用してもらって給料半分にされて卑屈に働く。気づいてみれば老けてうつろな自分。
お金の浪費は取り返せても、時間の浪費は取り返せないと気づけよ。
節約したり稼いだりすべきものは、お金じゃなくて、時間。
"死ぬ前にもう一度あれをやれればなぁ"の時点で手遅れ。
死ぬときに、"あれをすればよかった","これをやればよかった"と言っても手遅れ。
50を超えたら、カネも家族も後回しにして、自分のために、しろよ。
■ この切り口が、まともじゃなくて、それゆえ新鮮です。
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■ 東京での大学の同級生の一人が、とある大手商社に就職した際に、研修で『ゴルゴ13』が教材になったと言っていました。1980年代後半のことです。大学生の頃から読んでいる『ゴルゴ13』。学齢期のお子様には教育上よろしくないのですが、コミックは218巻の全巻を今日まで愛読しています。
■ 第41巻の『蒼狼漂う果て』のストーリー;
二・二六事件で"尊皇討奸"を唱え天皇親政を理想とする青年将校軍は、その後、賊軍扱いされ、投降後、彼らと彼らの家族の多くが捕縛と投降を恥として自決。経緯上死を免れて満州に落ち延びた"反乱将校"五島少尉は、満州馬賊に身を落として生き延びたが、日本軍で鍛え抜かれた乗馬と射撃で頭角を表し百人の手下を従える頭目となり、中国ソ連国境地帯の高原で縦横無尽に馬を操って略奪と戦いに明け暮れた。まもなく日中戦争で大陸に侵入した日本軍は匪賊そのものと化し、大陸本土は共産紅軍の手に落ち、絶望してモンゴル高原から中央アジアの遊牧民として暮らす。第二次大戦で、ナチスやソ連の手を逃れたユダヤ人の集う活気あふれるイスタンブールにてイスラエル建国に立ち上がり、その目的を果たした。が、彼の心が戻っていったのは...↓
■ "おがさま(おばあちゃん)"のようにうわ言をいわずとも悔いを残さないくらい、去年今年と、ぽかぽかあたたかい土手をあるけたかな。
■ 今日は珍しく午前中に青空。その後は曇天と雨雪のまま12月にはなだれ込みそうです。路面凍結の前に、ひと目でも...。
■ 冬の日差しをかみしめます。
■ すっかり枯れ果て、雪を待つばかりの光景です。
■ 荒れていますが、あるきはじめます。
■ 似たようなことはおっしゃっているようです。
"Wer klug ist, lehnet daher alle zerstreuende Anforderungen ab und beschränkt sich auf ein Fach und wird tüchtig in einem."
かしこい人は、気を散らすようなさそいはいっさいしりぞけて、
自分を'ひとつの'専門に限定し、
'ひとつの'分野に明るくなっていくものだ。
J. P. Eckermann: “Gespräch mit Göthe” エッカーマン 『ゲーテとの対話』
Dienstag, den 24. Februar 1824
拙訳で痛み入ります
■ 思い出すにつけ、読み直すにつけ、自分をかえりみては、身も細るような、耳が痛くなるような、人生を送ってきたのですがね...。
■ きれいならざる本で失礼します。うん十年前の学生時代に購入。単語上の色鉛筆桃色は知らなかった単語のつもりのようです。"現在存在する最善の書"だとF.ニーチェ先生による太鼓判も...↓。ニーチェ先生なら満足して幾度も読み直したことでしょう、が、私がまた読み直すとしたら、送ってきた人生を責められる一方になりそうです...
■ "美しい音楽"の代表例がベートーヴェンですか。他方、"俗悪な音楽"の代表例がジャズ、という概念ペアを感じます。(カッコは私が付しました。)
夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』 (明治39年;完結)
吾輩は主人と違って、元来が早起の方だから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちのものさえ
膳 に向わぬさきから、猫の身分をもって朝めしに有りつける訳のものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁の香 が鮑貝 の中から、うまそうに立ち上っておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。...(中略)...御三(おさん;女中) はすでに炊 き立 の飯を、御櫃(おひつ) に移して、今や七輪 にかけた鍋 の中をかきまぜつつある。...(中略)...吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨 ずるがごとく泣いて見た。御三はいっこう顧みる景色 がない。...(中略)...ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音 と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。
■ ベートーヴェンのどの交響曲のどの箇所のことなんでしょうね、"美妙の
寺田寅彦『線香花火』(昭和2年)
夏の夜に小庭の縁台で子供らのもてあそぶ線香花火にはおとなの自分にも強い誘惑を感じる。これによって自分の子供の時代の夢がよみがえって来る。今はこの世にない親しかった人々の記憶がよび返される。
はじめ先端に点火されてただかすかにくすぶっている間の沈黙が、これを見守る人々の心をまさにきたるべき現象の期待によって緊張させるにちょうど適当な時間だけ継続する。次には火薬の燃焼がはじまって小さな炎が牡丹ぼたんの花弁のように放出され...(中略)...十分な変化をもって火花の音楽が進行する。この音楽のテンポはだんだんに早くなり、密度は増加し、同時に一つ一つの火花は短くなり、火の矢の先端は力弱くたれ曲がる。もはや爆裂するだけの勢力のない火弾が、空気の抵抗のためにその速度を失って、重力のために放物線を描いてたれ落ちるのである。荘重なラルゴで始まったのが、アンダンテ、アレグロを経て、プレスティシモになったと思うと、急激なデクレスセンドで、哀れにさびしいフィナーレに移って行く。...(中略)...あらゆる火花のエネルギーを吐き尽くした火球は、もろく力なくポトリと落ちる、そしてこの火花のソナタの一曲が終わるのである。あとに残されるものは淡くはかない夏の宵闇(よいやみ)である。私はなんとなくチャイコフスキーのパセティクシンフォニーを思い出す。
実際この線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある。
ところが近代になってはやり出した電気花火とかなんとか花火とか称するものはどうであろう。なるほどアルミニウムだかマグネシウムだかの閃光は光度において大きく、ストロンチウムだかリチウムだかの炎の色は美しいかもしれないが、始めからおしまいまでただぼうぼうと無作法に燃えるばかりで、タクトもなければリズムもない。それでまたあの燃え終わりのきたなさ、曲のなさはどうであろう。線香花火がベートーヴェンのソナタであれば、これはじゃかじゃかのジャズ音楽である。これも日本固有文化の精粋がアメリカの香のする近代文化に押しのけられて行く世相の一つであるとも言いたくなるくらいのものである。
■ 寺田には、生涯を通じて"線香花火"に対する強い思い入れがあります。いくつかの随筆を通じて、また、師事した中谷宇吉郎の記録を拝読しても、そう感じます。ここでは、線香花火が、チャイコフスキーの"悲愴"交響曲を思い出すと言いつつ、すぐ、"線香花火がベートーヴェンのソナタであれば"と例えています。線香花火の美しさに音楽を連想しているようすです。
■ が、他方で、ただ刺激だけで成り立つようなそれ以外の流行りの花火を批判して、"じゃかじゃかのジャズ音楽"とは...。
■ 寺田の時代1920年代は、ジャズといえば、20年代黄金時代のアメリカを象徴するような、楽天的で夢いっぱいの人生観を体現するディキシーランドに次いで巨大編成のビッグバンドが流行し、再生装置としては、明治中盤から戦前までの長きに渡り、「蓄音機」が普及していた頃でしょうか。
■ あらゆる人にウケるわけではなく、蓄音機の音質で響く華やかなビッグバンドのスウィングに眉をひそめる人たちも世界にはいたということですね。
■ バップ時代を経たマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスのモード・ジャズという思索に耽るような第2の黄金時代、同時進行的にハイ・フィデリティなステレオLPが普及する60年代までは遠いです。
■ 現在、学校授業での一つ覚えみたいにベートーヴェンの5番(Sym)の1楽章だけ聴いたり、俗物渦巻くオシャレな"演奏会"で、現代の巨大編成のオーケストラによる3番ばっかり演奏されたりするのを聴くのもそれなりに華やかでよいものなのかもしれないですが、類似の定番ながら、自宅でひとりでビル・エヴァンスの"Walz for ...", "Danny ..."に耳を傾けるのも、"じゃかじゃかのクラシック音楽に対して淡くはかないジャズ音楽"の対比となるようで、なかなか善いですよ、と、つぶやいてしまいます。
■ ダメだろうなと思いつつ...。やはりダメでした。
■ でも砥ぐ準備をして砥石は水に浸漬してありましたので、せっかくなら、自分のふだんの本鋼の菜切和包丁と、今日は珍しく久々に藤寅作のV金10号ステンレスのペティナイフを砥ごうと思います。(トップ画像の2本)
■ 実家整理の際に見つけた、おそらく#1000程度の日常使いふうなレンガ砥石で。(🔗8/31)
■ 和包丁はすぐに返りがついて、砥ぎ終えるのも早くカミソリシャープな切れ味が蘇るのですが、ステンレスV金10号は、この砥石では、いや、砥ぐこと自体が、やっぱり厳しいです。V金10号の性質として、シャープな切れ味は長く続くのですが、砥ぎがたいへんです。一日中酷使するプロユースである所以です。でも今日は浸漬している砥石はコレだけなので、しょうがなく必死に砥ぎます。ひとまず納得して終了。
■ で、ネギを切っていた続きを本鋼の和包丁で...。
■ 気分が良くなってサクサク切ります。ラッセル車の除雪のように白いネギが宙に舞います。ああ愉快。
■ 出入りの大工の棟梁Tさん(1/3)。義務教育が終わるか終わらないかのうちに大工に弟子入りし、この道一筋60年。
■ 私がお願いした仕事も済み、支払いにご自宅にうかがったときの、もう何年も前の話。
■ ヒバの内装の立派な邸宅です。居間に通されて、茶と茶菓子のご相伴に与ります。
■ 人間一つのことに人生をかけて取り組めば、立派な邸宅を建て何人もの徒弟を率いる身分になるのだ、とW.ゲーテも200年ほど前におっしゃっているとおりです(ほんとか...?)。誰かさんのように、あちこちに興味の首を突っ込んでけっきょく何一つ身についていない人は、倉庫然とした陋屋に細々と暮らすのもまぁしょうがないかもしれないです...。
■ 冬の入りの寒々しい日でしたが、邸宅の居間には、立派な薪ストーブと見事な煙突が。燃やす薪など、大工作業で出る端材が一年中どっさり。しかも端材と言えども、ヒバやヒノキやスギのような高級建築材。どっしり落ち着いた和風の居間は、暖かく、良い香りが漂います。
■ 聞くと、煙突を修理したのを機に(この界隈には、りんご農家などの薪ストーブ愛用者も多いので"煙突専門業者"もごく普通に存在します)、この際ストーブを新調したようで、ため息の出るような暖かく立派な暮らしぶりです。
■ Tさんの朝食・昼食・夕食は、現場や作業場にいても、軽トラで自宅に戻ってきて自宅にて。その後この居間で茶を一服。
■ ストーブを新調したのを機に、朝昼晩の食後の一服時に、眼に入る手元の温湿度計を見て、なんとなく居間の室温と湿度をメモするようになった、と言って、私に、鉛筆で数字がびっしり書かれた紙を見せてくれました。
■ 曰く「冬、朝のうちは湿度の数字は高いのに、昼飯のときや晩飯のときになると、湿度の数字って、低くなるものだなぁ。ストーブをつけないとそんなに湿度は低くならないんだけどなぁ。ストーブが何か関係があるんですかい? どういうカラクリなんですかね?」
■ まるで「お前ならわかるだろう、説明してくれ」と迫られています...。
■ う...。あなたならどう説明します?
■ そりゃま、ストーブをたいて空気があたたまると、露点が上がり飽和水蒸気量は大きくなり、たとえこの空間の水蒸気量がまる一日一定だとしても、飽和量増加に対して今ある水蒸気のレベルは相対的に下がるから、湿度の%値は低いです...、などとしゃべっても、ちょっと無理がありそうです。
■ とっさに「温度が高くなれば、空気がより多くの水蒸気を含むことができるんです。」
「は? 空気がば〜んと膨らむのかい?」...まるで空気が膨らんで部屋が破裂するのを心配するかのように天井をぐるりと見回し、で、疑いに満ちた眼差しをこちらに向ける...。こ、これはまずい...。
■ 「た、たとえば、さ、砂糖って、冷たい水にあんまり溶けないですよね。たとえば10gくらいドサっと入れても、コップ1杯の水には、たった1gで、もう十分溶け切って、溶けきれない分が底に見えます。」(🔗2023/12/23)
「溶ける量が1gでいっぱいいっぱいで、もう100%溶け切ってるってことで。
でも、コップ1杯の熱いお湯になら、もっと、3gも5gもたくさん溶けて見えなくなりますよね。」
「うん、で?」
「お湯に1gくらいなら、まだ余裕、ほんの10%くらいしか溶けてないから、またあと90%くらい溶かす余裕があって。だから"今溶けてる量は10%ですよ"ってことですよね。」
「う〜ん、そうだろうな。」
「温度の高いお湯の方が、たくさんの砂糖を含むことができるってことですね。
この部屋の空気も、
i) 温度が低いと、少し、たとえばほんの10gの水蒸気があるだけで、もうそれ以上含みきれなくなって、いっぱいいっぱい、湿度100%に近くなるんですが、
ii) 温度が高くなると、10gといわず100gくらいなら含むことができるようになるので、"今ある10gじゃまだほんの10%くらいですよ"ってことになりますよね。」
「...??? 数字ばっかりだな。でもお湯の方が砂糖が溶けやすい。それと同じで、暖かい空気のほうが水分がたくさん入りやすいってことなのかい?? 」
...私との間の1mほどの空間に水分がないかいっしょうけんめい探しているようす...。
■ 「う〜ん、ま、ニンゲン、学問がないとダメなもんだな。孫にもうるさく言っているんだが、ゲームばっかやりゃ〜がって。でもヤツはあれでもいいところもあって..」
...ここからはだいたいお察しの通りの孫自慢の展開...。
■ "中2のお孫さんに聞けば、ちょうど期末テストの範囲になってたりしたら、グラフを使って説明してくれて、互いに尊敬し合うすばらしい展開に"とも思いましたが、そう都合の良い話もなく...。