2025/07/25
■ あるく ■ 牧場の朝
■ あのブナの森を抜け... 🔗5/29
■ 日の出直後の牧場を通り抜けます。
■ いくつかの牧野をつないで走ります。
■ 朝4時台。湿度は高いです。牧場という場は、大型の生物のもとで食物連鎖が豊饒です。つまり虫もたくさんいて、一気に取り囲まれて人気者に...いや、居ても立っても居られないのが夏の牧場。
■ 蒸し暑さも虫も振り切ってクルマやチャリでゆっくり駆け抜けるのが、朝の爽やかさだけを味わえる、都合の良いさんぽなのでした。
2025/07/24
■ あるく ■ クマ
■ 年に1,2回は必ず出会うクマさん...。今回はクルマだったのですが、幌を開けていますので、チョッと怖かったです。こっちにやって来て、ヒョイと助手席に乗られて、肩を組まれて、「ガンガンいこうぢやないか」とドライブを促されたらどうしよう...。
■ あるいていて、またはチャリに乗っていて、遠くに見かけた経験も。向こうがすぐ茂みに隠れますが、目が合ったときにはほんとうにゾ~っとしました。あ、あわてず、ごくゆっくり後ずさりして離れます。いずれにしても、通報すればいいのかな。今回の場所は、十和田湖南側のカルデラを上り切った秋田側、十和利山の南ルート登山口付近なので、秋田県クマダスに登録か!? もともとこの十和利山や戸来岳(へらいだけ)はクマで有名な場所なのですが。もっとも、それを言うなら、地元の岩木山や白神山地だって...。
■ 山あいの道を好んであるく点で、お互い似ている?...。いやこちらから向こうの居住地にわざわざ出向いてあるいているので、出会う確率はやはり高いでしょう。毎回あるくたびに、数メートル以内で複数の個体とすれちがっているかもしれません。足跡や落とし物はしばしば見かけます。
■ 2010年代に、好奇心から読んだだけの中学1年国語の教科書に、『クマにあったらどうするか』(姉崎等)という、アイヌ民族の知恵を書いたお話が掲載されていました(私は学校関係者でも中1の保護者でもありません)。それによると、アイヌの対処法は、「1) そのまま立ち止まって話しかける、2) のち、後ずさりして遠ざかる」といったものでした。『話しかける』というのは、命をかけた豪胆さです。幾度か場数を踏んだアイヌならではの知恵なのでしょう。
■ ...が、私にできるようなワザではない確信があります...。こんな離れ業を学校にて検定教科書を通して学んだ中1の皆さんは、これを教訓に、クマにあったら話しかけるのでしょう... ...か? としたら、文部科学省推奨の正しい国民をぜひ表彰してあげてください。
■ あるく場合にクマ鈴は毎回つけていますが、年々ますます怖い話を聞くようになりましたので、どのくらい効いてくれるかは疑ってかかった方がよさそうです。
■ 暑いことだし、私のような臆病者は、しばらくは家でステッパーでも踏むのが穏当でしょうか。
2025/07/23
■ あるく ■ 湖畔の木陰の道 - 十和田湖
■ 十和田湖。北西岸の滝ノ沢峠にて日の出。壮絶な急峻路をカルデラの内部に降ります。
■ 晴天で、すでに暑いです。が、湖岸の道に降りると、風が渡り、さざめく波の音がします。
■ 十和田湖畔の道は、田沢湖のように周回道路がたっぷりの幅員でなめらかに整備されているのとは対照的に、観光地として整備された南側の4分の1周をのぞけば、狭く険しく高低差がはげしく見通しが悪く舗装も荒れ、どんな乗物で周回したとしても、神経がすり減ります。時間と体力とこころの十分なゆとり、地形や道路線形の事前の把握と運転スキルが必要で、思い出すだけで気が重いです。
■ その裏返しとして、湖畔のブナやミズナラが実に美しく、おだやかに打ち寄せる波の音を聞きながらの、複雑な光と影に満ちた、森閑とした親密な森の細道の光景を堪能できます。
■ たぶん二十数年ぶりです。早朝の交通量のない時間帯を選んで、西岸から南岸の道を、ゆっくり味わってみることにします。半周で20km程度です。
■ 南岸に観光地「休屋(やすみや)」地区があり、そこからさらに東に進む道には、大型バスが高速ですれ違えるような、広く平坦な幅員、巨大なトンネルや橋梁をそなえた一直線のバイパスが開通したのが、20年ほど前でしょうか。私はその道をとおったことはありません。
■ 今朝は、やはり湖岸沿いの狭い旧道を行ってみましょう。
■ 重量感あるブナやナラの巨木群が樹木のトンネルを成している道。アスファルト路面には、枝や葉や流出した泥や土。また路面の一部は苔むしています。今となっては狭く暗く陰鬱な道。かつてここを大型観光バスや物流トラックや観光の自家用車が、大変な交通量と排気ガス量ですれ違っていたとは信じられない思いです。忘れ去られたような道...。
■ 地図左の「瞰湖台」に。少年時代も大人になってからも、この道を何十回となく自転車で往来し、ココで休んだ記憶と光景が一気に襲ってきました。まるで前回来たのが"先週、自転車で、友達と"という気分です。
■ いまは、静かな森の道になりました。たびたび来たいものですが、う~ん、はるかに遠い憧憬な気がします。
2025/07/22
■ あるく ■ クリニックの待合室
■ また友人Sクンのクリニックへ、遠路をロードスターで訪れます。🔗2024/10/20
■ こころのケアを望む人に開かれているこの空間...
■ 静かで、明るく、ほんとうにすがすがしい空間。こころなごむ非日常です。
■ ですが、診察に訪れたわけではなくて、今日も休診のところ、平伏してお願いして、ここでたあいのないおしゃべりに応じていただきました...。暑いからあらかじめ氷と水を用意してくれだのなんのと、院長先生に対して、とんでもないわがままを言って、困った友人もいたものです...。
■ 光と空間の配置が調和に満ちているのに、実に不思議なディテールがあちこちにちりばめられています。建築家さんにその謎解きをチョっとソっと訊いてみたいものですが、いや、あれこれと想像して知らないままでなごんでいたほうが、幸せな子羊でいられそうです。
2025/07/21
2025/06/28
■ あるく ■ 湖畔の木陰の道 - 森田六沢溜池
■ スッキリ晴れました。暑くなりそう...と、身構えていたら、お昼の気温24℃、湿度は40%で、風は強いのですが(風力5m/s)、初夏のさわやかさ。すばらしい。
■ さらに細い道②に入ります。やはり左のガードレールが湖岸となっている道です。樹林が密で手入れもほぼなされていないのですが、湖畔というのは風がよく通る地形ですので、虫も煩わしくなく、涼しい木陰の小径となっています。
2025/06/21
■ まなぶ ■ 縄文土器 - 三内丸山遺跡の展示
■ 緑とそよ風にあふれるいにしえのさんぽ道を存分にあるきました(🔗6/19)。日も傾きかけ、閉館まで1時間に迫りました。
■ 改めて展示館に入り、今度はこころの照準を、"土器"に合わせて見て回りましょう。
※ 館内は、写真撮影可。"SNSで紹介してね"との表示があります。
■ ジオラマは、地理的鳥瞰とともに、自分の理解の俯瞰が一気に進む展示物なので、詳細に見ることにしています。作った人たちの苦労やテクニックや工夫も看取されて、楽しい小世界です。cf. 奥入瀬渓流🔗2024/4/26
■ 館内は、「見学者」という現代人の人影は完全に絶え、ひとり貸し切って、縄文人の方々に見られながら拝見、という状況です。縄文人の皆さんそれぞれさまざまな作業中...のところ、おじゃまします。そ、それにしても、土器の圧倒的な(発掘&復元)量と、それらの巨大なこと...。
■ 前回書いた"黒曜石交易文化圏"(🔗6/18)の感動もそうですが、中学高校の歴史の授業は、それを老人の皆さんが批判するような「支配者の入れ替わりを羅列するだけの歴史授業なんて、どうかと思います/けしからん」ではなく、きちんとヒトの営みの賢明さとその感動を伝えています。"博物館"の存在で、そのことは、批判する老人の皆さん(往々にして大学受験等の中等教育の歴史を履修していなかったりする)が生命体として発生する以前から、明らかですよ。大河ドラマばかりご覧にならず、脚を使って外に出て、博物館を巡るのも楽しいですよ。
■ "土器"というテーマひとつとっても、感動が伝わります。
■ こちら↓は、土器ですが、漆で仕上げた"漆器"です。内容物の貯蔵性や土器そのものの耐腐食性を改善した効果があったと思います。
■ それにしても、5,000年以上前の"漆器"とは...。
■ こちら↓は特別展。縄文草創期の"無紋土器"の次の世代に遷移しつつあった"細隆起線文土器"です(レプリカ。左端に発掘片)。三内丸山遺跡は縄文中期の大規模集落ですが、この特別展は、当遺跡の縄文中期からさらに1万年さかのぼる14,000年ほど前のものです。想像を絶する古さのはずですが、このデザインは、製作時に、作業性や使用時の効率を念頭に置いたほかに、装飾性・芸術性まで意識し始めた様式を感じます。
■ こちら↓は通常展示。↑から1万年!へだたっています...。規模が巨大化し、意匠にも堂に入った製作者の意志を感じます。
■ そう思うと、5,000年前の土器ですが、美しさという感覚をじわりと呼び起こされる思いです。
■ 特別展を出て館内を移動していると、地下への階段と「収蔵室」のガイドプレートが。ふつうは、見学者ならそのまま通過しそうですが、ちょっと下をのぞき込みます。見学者が降りてかまわないようです。
■ 壁は、発掘された土器片です。レプリカではないです。あの地元小学生だった彼の話を思い出します...。🔗6/19
■ おぉ、復元中、もしくは石膏かエポキシ樹脂かで補修復元済みのおびただしい数の土器群がきれいに陳列されています。(トップ画像も)
■ その壮観さに、しばらく見上げたまま...。はぁ~とため息が出ます。
■ さて、最大の不思議、土偶。当遺跡のそれは、平板土偶です...が、よほど大量生産されたのでしょうか...。どう見ても、いわば「縄文アーティスト展」ともいうべき、現代アートのアトリエ主催の美術展の一角にしか思えない、不思議で心おどるような芸術性に満ち溢れています。
■ 蛇足ですが、私のこの感覚を煽るかのように、ここの展示枠の色は、ポップなマゼンタピンクの塗装ですよ!(笑...展示担当学芸員の方の「世代を問わず、親子で/友人と/カップルで、"現代アート"を楽しんで!」という意図を感じてしまいます。ステキな演出です!
■ う~ん、キミたちはなぜ存在しているのだろうか。種々の説明がありますが、私の知能と理性では理解不能で納得がいきません。合目的的な存在価値を見出そうとするのは、しかしながら、「歴史の授業はこうあらねばならぬ」と何にでも"自分で理解できる(ハズの)科学的説明"を得たがるアタマのカタそうな科学者的態度になりそうですので、戒めることにします。
■ この分野の専門研究の今後のさらなる成果に期待するとして、今は、自分の無知を知り、そのまま受け入れ、これらの存在の不思議さと芸術性を心に刻みたいと思います。
2025/06/19
■ あるく ■ 三内丸山遺跡の構造物
■ 昨日に続いて、あらためて、三内丸山遺跡の屋外保存遺構や復元された建造物を見ます。
■ 展示館を含むこの40haもある遺跡敷地は、かつて6年ほど前までは、驚いたことに無料でした。朝早くさんぽできたらさぞ、と思うのですが、今は入場及び常設展示が500円で、広い敷地内には時間外の立ち入りはできません。以前に数回訪れたのですが、いずれの時にも、広すぎてあるき回りきれず、復元された構造物だけを見て回りました。
■ 今日は、「入場料を払ってあるきにきた」つもりで、閉館時間が迫るまで存分にあるくことにします。
■ 日の傾き始める時間帯になったのは、実は、おとといの記事に書いた「運転免許センター」の隣の敷地にあり、「免許証の書き換え→遺跡構内を散策」をセットにして出かけてきたからです。
■ 三内丸山遺跡は、青森県警の運転免許センターの敷地にピタリと隣接しています...
■ ここで、下層階級庶民の義務"見ざる言わざる聞かざる"をあえて犯すような話を。ま、場末の末端個人のブログですので、お上もいまさら目くじらを立てることはないだろうと思い...。
■ 遺跡の発掘に必ず付いて回る「 隣接した敷地の開発時には、見つからなかったの?」という疑惑...など持ってはいけません。
■ 三内丸山遺跡が発見されて歴史の教科書が書き換えられる事態になったのは1990年代初頭です。もともとこのあたり一帯は、八甲田山系のふもとの荒蕪地で、国有地だったり青森県所有の広大な公地がほとんど。自衛隊駐屯地や県立運動公園などがすでに整備されていました。
■ 運転免許センターは、その直前の1980年代に、従来あった青森市内の手狭なエリア(その移転直前頃に私もココで運転免許試験を受けました)から、ここに新たに広々と建設されました。その直後、隣接する地所に「青森県営野球場」の建築に着手したところ、古代の巨大構築物の遺跡やおびただしい遺物、日本史では知られていない大きな規模の集落跡が発見されたのでした。
■ 江戸時代初期から、この界隈は、遺跡の存在や遺物の出現は盛んにあったようです(Wiki『三内丸山遺跡』(🔗Wikipedia)。
■ 私の知人の中に、この付近の小学校出身の人がいますが、彼によると、小学校時代には、少し山あいの道やせせらぎなどでは、文様の入った土器片らしきものは、ごくふつうに見つかった、が、"なんの価値もない"ものとして、投げ合ったりチョーク代わりにコンクリにお絵描きしていた...、子どもたちがよく持ち込んだので校庭にもふつうに落ちていたと。そ、そうなのか。
■ 三内丸山遺跡発見直前に、隣地が大規模開発された"県警運転免許センター"や"県営運動公園"の建設の際には、何ひとつ発掘されなかったのでしょう、きっと...。
■ か、勘ぐってはいけません、庶民のあなたも私も...。"お上のなさる事に間違いはございますまいから(森鷗外『最後の一句』)"
■ さて、そんなもやもやした気持ちを置いて、建物を出、遺跡保存区にあるいて向かいます。傾いたお日さま、まばらになった午後の人影。すがすがしいです。
■ 見渡すと、5,000年前の集落の雰囲気...。数回訪れて敷地内をやや把握しているせいか、また、発掘調査のフェンスがいたるところにあるせいか、いまとなってはこじんまりとまとまった集落跡に見えます。
■ 至る所で発掘中。夕刻迫る終い支度中のようで、持ち場監督のお姉さんが...おそらく考古学エキスパートの方でしょうか、大きな声でハッキリとテキパキと指示を繰り出しています。
■ 巨大な構築物である祭祀場は、屋根の葺き替え工事中...。中はごく一部のみ公開されています。
■ 全面が心地よいウッドチップの道です。貯蔵エリアでしょうか、高床式の建物です。
■ 居住エリアのさまざまな構築物を遠景にして、いにしえの空気感を想像...。森の中に囲まれたこの集落が、この状態で存在したとは思えないのですが、せっかくですから雰囲気にひたります。
■ が、40haといえども、実は、高速道路、国道7号線バイパス、新幹線高架に取り囲まれていますので、クルマの音は四方八方から。音楽でも聴きながら散策、の方が、浸れそうです。
■ 構造物もなく人がこないエリアを散策します。古代の構造物と親和性のある意匠の、巨大丸太のパーゴラがいくつも組まれていて、そこに、5,000年前の植生を再現した植物が幾種類か植えられ、木陰をなしています。棚仕立ての葡萄棚の向こうに、大きな栗の木の構造物が見えます。5,000年前にここをあるいた人もいる、と、思うことにしましょう。