■ たとえば、あなたとまわりのみんなが大切にしていたものが、こわされていた...。誰のしわざだ?
■ 自分がやったのでないのは明らかなのですが、直接手を下さないにしても、間接的な原因が自分だと感じたとき、実行犯が誰かはともかく、あなたは、「私がその原因をつくりました」と告白したいとこころから感じている...とします。みんなの前で、どう言い出しましょうか。
■ 「ハイッ!私ですッ!」と、この際、潔く元気よくいきますか? それとも、静まり返った皆のなかで、静かに「...わたし...です...」と言い出しますか?
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■ 復活の主日となりました。昨日の聖土曜までの重い四旬節、この期間の反省を今日から活かして、気分もあらたに、つぎの1年をすごしたいです。今年は煌々と明るく美しい満月が直前の聖週間にかかり、ご復活がぴったり3/31の年度末となり、区切り良く気持ちの切り替えがついた思いです。
■ おとといの続きなのですが、「ヨハネ受難曲」の、ある1箇所の、演奏者による解釈の違いを...。たった1音のみの小さな箇所ですが、私には大きな違いです...。
■ おとといの、福音書記者ヨハネが記述する史実の場面をふりかえります[ヨハネによる福音18章15節-27節] (再掲);
(イエスは、弟子ユダの裏切りで、捕縛され、審問を受けるために勾引される。四散し逃走した弟子たちのうち、不安に駆られたペトロが戻り、イエスの後をひそかに追う。これをユダヤ教大祭司邸宅の下女に見咎められる)
下女(soprano) (BWV245-12)
汝もかのイエスの弟子のひとりならずや?
ペトロ(bass)
私は違う。
福音史家(tenor)
下僕らと下役の者ども炭火をおこし(時寒ければなり)
その傍らに立ち暖まりおりしところ、
ペトロもまぎれて入りて暖まりいたり。
ここに大祭司、イエスにその弟子たちとその教えにつきて
問い訊したれば、イエス答えたもう
イエス(bass)
我は公に世に語れり。全てのユダヤ人の相集う会堂と宮とにて
常に教え、密かには何をも語りしことなし。
何ゆえ我に問うか。我が語れることは聞きたる人々に問え!
見よ、彼らは我が言いしことを知るなり。
福音史家(tenor)
かく言いたもうとき、傍らに立つ下役どもの一人、
イエスに平手打ちをくらわせて言う
下役(tenor)
大祭司に向かいて、かかる答えざまのあるべきや?
福音史家(tenor)
イエス答えたもう
イエス(bass)
もし我当を得ざる語り方をなせしなら、その悪しきを訴えて証言せよ。
当を得たりとせば、なにとて我を打つか。
■ ここまでの歴史的場面を振り返って、イマここに集う会衆であるあなたやわたしたちが、自分を振り返り、省み、屠られた彼を、わたしの代わりとなって打たれたのだと告白します;
コラール (P・ゲールハルト作;受難節コラール;合唱4声部) (BWV245-15)
Vers1;(日本語の唱歌でよく使われる「歌詞の1番」)
たれぞ汝をばかく打ちたるか
はた汝にもろもろの責め苦を
かくもいたく負わせたるか、我が救い主よ?
まことに汝は罪びとにはあらず、
我らと我らが子らのとごくならず、
悪事を知らざるおおけなき身にていますに
Vers2;(唱歌でいう「2番」)
われなり、このわれ、またわが罪の
浜の砂子のごとく
おびただしく積もりいて、
尊きおん身をばかかる窮地においやり、
見るだに悲しき責め苦のかずかずを負わせ
しかして汝をかくは打つたるなり
和訳;杉山好 (CD: Archiv F66A 20012/3)
■ 上の文語体の和訳だと厳めしいですね。他方で、所有のどのCD/LPの英訳も、聖書文語体ですので、同様な口調です。わかりやすさの点で、YouTubeのBBC Proms 2008の英語字幕が、押韻は無いですが平易な現代口語なので、ひろってみましょう;
V1;
Who would strike You like that,
my Saviour, and so ill-treat You?
You are not a sinner
like us and our children.
You know nothing of wrongdoing.
V2;
It is I, with my sins
as countless as the grains
of sand by the seashore.
I have brought down on You
this host of sorrows and torments.
■ 「それはわたし...わたしの罪が、浜の砂粒のように、おびただしく積もったことで、あなたをこのような目に...」と告白するとして、どういい出しましょうか?
■ おとといの演奏盤のうち、クイケン盤もヘレヴェヒェ盤も、第2連(Vers 2)の
"Ich, ich und meine Sünden / It is I, with my sins " の「わたし」を、
きっぱりと ff (フォルテッシモ)の大きな斉唱で、堂々と名乗り出ます。
■ OVPP(1人1パート)だと、斉唱時に声質は明らかに不ぞろいなので、全員で大きな声で名乗り出る点に、聴く側は腰が引けてしまいます...。
■ ガーディナー盤(1986)は...
■ 驚いたことに、Ich を、pp (ピアニッシモ)で、そっとしずかにうちあけます。
■ しかも、2008年のPromsの演奏では、同時に、ソプラノに寄り添う2本のフラウトトラヴェルソ以外のすべての器楽伴奏を休止し、ささやくような小さな合唱のみが、切々と告白します...。
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■ どちらでしょう、あなたなら...?