2024/03/31

■ きく - バッハ「ヨハネ受難曲」(BWV245)


たとえば、あなたとまわりのみんなが大切にしていたものが、こわされていた...。誰のしわざだ? 

 自分がやったのでないのは明らかなのですが、直接手を下さないにしても、間接的な原因が自分だと感じたとき、実行犯が誰かはともかく、あなたは、「私がその原因をつくりました」と告白したいとこころから感じている...とします。みんなの前で、どう言い出しましょうか。

 「ハイッ!ですッ!」と、この際、潔く元気よくいきますか? それとも、静まり返った皆のなかで、静かに「...わたし...です...」と言い出しますか?

---...---...---

  復活の主日となりました。昨日の聖土曜までの重い四旬節、この期間の反省を今日から活かして、気分もあらたに、つぎの1年をすごしたいです。今年は煌々と明るく美しい満月が直前の聖週間にかかり、ご復活がぴったり3/31の年度末となり、区切り良く気持ちの切り替えがついた思いです。

 おとといの続きなのですが、「ヨハネ受難曲」の、ある1箇所の、演奏者による解釈の違いを...。たった1音のみの小さな箇所ですが、私には大きな違いです...。

 おとといの、福音書記者ヨハネが記述する史実の場面をふりかえります[ヨハネによる福音18章15節-27節] (再掲);


(イエスは、弟子ユダの裏切りで、捕縛され、審問を受けるために勾引される。四散し逃走した弟子たちのうち、不安に駆られたペトロが戻り、イエスの後をひそかに追う。これをユダヤ教大祭司邸宅の下女に見咎められる)

下女(soprano) (BWV245-12)

    汝もかのイエスの弟子のひとりならずや?

ペトロ(bass)

    私は違う。

福音史家(tenor)

    下僕らと下役の者ども炭火をおこし(時寒ければなり)

    その傍らに立ち暖まりおりしところ、

    ペトロもまぎれて入りて暖まりいたり。

    ここに大祭司、イエスにその弟子たちとその教えにつきて

    問い訊したれば、イエス答えたもう

イエス(bass)

    我は公に世に語れり。全てのユダヤ人の相集う会堂と宮とにて

    常に教え、密かには何をも語りしことなし。

    何ゆえ我に問うか。我が語れることは聞きたる人々に問え!

    見よ、彼らは我が言いしことを知るなり。

福音史家(tenor)

    かく言いたもうとき、傍らに立つ下役どもの一人、

    イエスに平手打ちをくらわせて言う

下役(tenor)

    大祭司に向かいて、かかる答えざまのあるべきや?

福音史家(tenor)

    イエス答えたもう

イエス(bass)

    もし我当を得ざる語り方をなせしなら、その悪しきを訴えて証言せよ。

    当を得たりとせば、なにとて我を打つか。


ここまでの歴史的場面を振り返って、イマここに集う会衆であるあなたやわたしたちが、自分を振り返り、省み、屠られた彼を、わたしの代わりとなって打たれたのだと告白します;

コラール (P・ゲールハルト作;受難節コラール;合唱4声部) (BWV245-15)

Vers1;(日本語の唱歌でよく使われる「歌詞の1番」)

    たれぞ汝をばかく打ちたるか

    はた汝にもろもろの責め苦を

    かくもいたく負わせたるか、我が救い主よ?

    まことに汝は罪びとにはあらず、

    我らと我らが子らのとごくならず、

    悪事を知らざるおおけなき身にていますに

Vers2;(唱歌でいう「2番」)

    われなりこのわれ、またわが罪の

    浜の砂子のごとく

    おびただしく積もりいて、

    尊きおん身をばかかる窮地においやり、

    見るだに悲しき責め苦のかずかずを負わせ

    しかして汝をかくは打つたるなり

            和訳;杉山好 (CD: Archiv F66A 20012/3)


上の文語体の和訳だと厳めしいですね。他方で、所有のどのCD/LPの英訳も、聖書文語体ですので、同様な口調です。わかりやすさの点で、YouTubeのBBC Proms 2008の英語字幕が、押韻は無いですが平易な現代口語なので、ひろってみましょう;

V1;

    Who would strike You like that,

    my Saviour, and so ill-treat You?

    You are not a sinner 

    like us and our children.

    You know nothing of wrongdoing.

V2;

    It is I, with my sins 

    as countless as the grains

    of sand by the seashore.

    I have brought down on You 

    this host of sorrows and torments.


 「それはわたし...わたしの罪が、浜の砂粒のように、おびただしく積もったことで、あなたをこのような目に...」と告白するとして、どういい出しましょうか?

 おとといの演奏盤のうち、クイケン盤もヘレヴェヒェ盤も、第2連(Vers 2)の

"Ich, ich und meine Sünden / It is I, with my sins " の「わたし」を、

きっぱりと ff (フォルテッシモ)の大きな斉唱で、堂々と名乗り出ます。

  OVPP(1人1パート)だと、斉唱時に声質は明らかに不ぞろいなので、全員で大きな声で名乗り出る点に、聴く側は腰が引けてしまいます...。

 ガーディナー盤(1986)は...

 驚いたことに、Ich を、pp (ピアニッシモ)で、そっとしずかにうちあけます。

 しかも、2008年のPromsの演奏では、同時に、ソプラノに寄り添う2本のフラウトトラヴェルソ以外のすべての器楽伴奏を休止し、ささやくような小さな合唱のみが、切々と告白します...。

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どちらでしょう、あなたなら...?

2024/03/30

■ あるく - 岩木山麓の道

2024-3-30

 ぽかぽかと暖かくて良いお天気の週末。巌鬼山神社から山側に入る未舗装の林道を、ゆっくりあるいてのぼってみましょう。

この道は、1/17の記事の最後の画像↓でチョっと触れました(同じ地点から撮影。左の杉の木が特徴的です)。のぼった終点は、岩木山の山麓の舗装道路ではいちばん標高が高い「県道30号岩木山環状線」です(それより上にはもう一般道がありません)。片道をあるいて30分程度で行きつくと思います。折り返します。往復1時間の上り下りになりそうです。

2024-1/17

神社を起点にのぼりはじめますが、急坂です。この冬の運動不足がたたって息が切れます。

■ 急坂や切通しをのぼり終えると高原状の開けた道です。


除雪はしてあるのですが、ほぼずっと未舗装の濡れ路面です。トレッキングシューズにゲイターで。森の熊さんはまだお休み中でしょうが、いつもの癖で、鈴も装着します。

 天気も良く、まったく人の気配もなく、のどかです。カラ松の林を、熊鈴の音といっしょに、心地よくあるきます。鈴の音に合わせて何種類かの鳥も何か規則正しく話しかけてきます(たぶん警告しているんでしょう)。トンビは、衣替えの時期。背中や翼の上側が茶色く、腹や翼の下は白い、期間限定のオシャレな装いの時期です。もう少し路面が乾燥してくれたら、いっそうすばらしい散歩道になるでしょう。




2024/03/29

■ きく - バッハ「ヨハネ受難曲」(BVW245)

LP; リヒター盤(1964年アルヒーフ録音盤の1979年抜粋版)、CD; ヘレヴェヒェ盤(2020)、ガーディナー盤(1986)、クイケン盤(SACD)(2012)

■  聖金曜日となりました。バッハの「ヨハネ受難曲」について、ここ数年感じていることを。

■  バッハの2曲の受難曲は、私の数十年前の高校時代以降厚く垂れこめる存在でした。

■  あの時はもちろんカール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団・合唱団でした。有無を言わさぬ大きな権威でした。

■  その演奏は、今から思うと、巨大編成・つややかでキツい音の現代楽器・巨大合唱群・おどろおどろしい威圧的な響き...。ついでに、非常に高額なLP組み物。聞き通す2時間30分に何回も何回も盤を交換して集中力を維持する修行。

■  今となっては、遠い過去の1つの演奏に相対化されています。


■ 「マタイ受難曲」は、リヒターの演奏をアルヒーフがLP1枚に抜粋した盤を手に入れました(LPへのメモでは1980年1月購入です)。序曲のシンコペーションリズムが、十字架の道行き、自ら処刑されるための十字架を背負って歩む足取りを暗示し、ずっしり重いのですが、長調に転調する際の言いようもない明るさや希望を感じます。その後全曲盤を手にして、レシタティーヴォが多くて朗読調、アリアがイタリアオペラに比肩する難曲ぞろい、何より進行する歴史的事件の描写の重圧感...と、集中力を維持するのは容易なことではないです。

■ 完成度は、いわば「ヨハネ受難曲-第5版」とでもいうほど「ヨハネ」に改訂を重ねた結果として生まれた「マタイ」の方が高いでしょう。

■ 個人的には、でも、バッハが「受難曲」として最初に手掛けた「ヨハネ」に、凝縮感とアピールの直截性を覚えます。

■ もちろん「ヨハネ」も初めて聴いたのは、リヒター盤(1964盤)です;暗く重く、序曲では、弦の高音部は不安にさざめく規則正しい16分4連、中音部(ヴィオラとチェロ)は8分4連、通奏低音群(ヴィオローネとオルガン)はずっしり強いフォルテの4分で、1刻みごとに心臓に太い杭を深々と打ち込まれるところ、合唱の出は、いきなり巨大な絶叫で...。


 これは耐え難い、と思ったものでした。が、美しいアリアやコラールや合唱が間断なく次々と続き、芸術的興味の高さは絶え間なく保たれます。

■ 一転して、現在;

■ 演奏の主流は、ピリオド楽器(古楽器) です。加えて近年の録音の流行(?)は、1人1パート。「One Voice Per Part & 合唱団なし」の編成を、OVPPというそうです。

■ 非常に静謐で軽やかです。声の美しさ、古楽器の響きの美しさを、こころから実感します。

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■ 本来、バッハが想定した受難曲の演奏は、大規模な合唱隊(聖歌隊)が背後に存在することです。この人数的構成は、大都市ライプツィヒでの職場環境や当時出版社に発注されたパート譜の出納記録から、各パート1名ではないものと推定されています。

本来この合唱隊(聖歌隊)の役割は、

1). 福音書中の"あの歴史的事件における大衆"の声(扇動され興奮し、イエスを処刑に追い込む熱狂的な民衆)(トゥルバ合唱)、

2). 聖書の物語を、聖週間にあたって、静かに省察するルター派の教会会衆(コラール合唱団)、すなわち"いまここにいるわたしたち"、

の2つです。

■ 彼らの前景にて、歌手らが、福音史家役・イエス役・ピラト役・他の聖書登場人物として、受難直前の物語を、それぞれの福音書記者の描いた通りに演じます。

■ OVPP(1人1パート)は、このようなバッハの想定を否定して、「合唱聖歌隊」ナシで、独奏歌手らが、合唱(民衆とコラール)を兼ねます。

■ これにより、静けさ、音色の純粋さ、が得られ、大げさな演奏会や教会のような権威の場とはちがって、聞く人の心に、親密にストレートに訴えるものがあります。

■ OVPPの演奏も実績を重ねてきました。代表的な名盤と個人的に思うものを挙げると、オランダ人のSigiswald Kuijken(ジギスヴァルト・クイケン)率いるLa Petite Bandeか、ベルギーのPhiilippe Herreweghe(フィリペ・ヘルヴェヒェ)率いるCollegium Vocale Gentではないかな。

■ 1940年代生まれの両者は、私が中学の時の70年代にはすでに彼らは活躍中でした。1970年代からもう40年も彼らの演奏を聞いているかも。古楽器のやわらかい演奏で、しかしその解釈はずっと時代の最先端にいると思います。

■ クイケン盤のヨハネ受難曲(2012年盤SACD)とヘルヴェヒェ盤のもの(2020年盤)のうち、今日は、ちょっと尖った演奏の前者を、リヒター亡き後のアルヒーフを支えるガーディナー盤とで、そのほんの1か所だけを比べてみましょう。

■ イマ比べたいヨハネ受難曲のコンテキストを、一部ちょっとさらってみましょう。福音書の和訳は、杉山好の文語訳を、私が一部現代語にして少し読みやすく(?)してあります;


[第一部;裏切りと捕縛;否認 -- ヨハネによる福音18章15節-27節]

(イエスは、弟子ユダの裏切りで、捕縛され、審問を受けるために勾引される。四散し逃走した弟子たちのうち、不安に駆られたペトロが戻り、イエスの後をひそかに追う。これをユダヤ教大祭司邸宅の下女に見咎められる)


下女(soprano) (BWV245-12)

汝もかのイエスの弟子のひとりならずや?


ペトロ(bass)

私は違う。


福音史家(tenor)

下僕らと下役の者ども炭火をおこし(時寒ければなり)

その傍らに立ち暖まりおりしところ、

ペトロもまぎれて入りて暖まりいたり。

ここに大祭司、イエスにその弟子たちとその教えにつきて

問い訊したれば、イエス答えたもう


イエス(bass)

我は公に世に語れり。全てのユダヤ人の相集う会堂と宮とにて

常に教え、密かには何をも語りしことなし。

何ゆえ我に問うか。我が語れることは聞きたる人々に問え!

見よ、彼らは我が言いしことを知るなり。


福音史家(tenor)

かく言いたもうとき、傍らに立つ下役どもの一人、

イエスに平手打ちをくらわせて言う


下役(tenor)

大祭司に向かいて、かかる答えざまのあるべきや?


福音史家(tenor)

イエス答えたもう


イエス(bass)

もし我当を得ざる語り方をなせしなら、その悪しきを訴えて証言せよ。

当を得たりとせば、なにとて我を打つか。


コラール (P・ゲールハルト作;受難節コラール;合唱4声部) (BWV245-15_Vers1;)

たれぞ汝をばかく打ちたるか

はた汝にもろもろの責め苦を

かくもいたく負わせたるか、我が救い主よ?

まことに汝は罪びとにはあらず、

我らと我らが子らのとごくならず、

悪事を知らざるおおけなき身にていますに


■ 聖書の史的記述の進行中に差しはさまれたルター派のコラール、

これを、リヒター盤もガーディナー盤(現在の代表的名盤)も、きっとバッハ自身も、合唱隊(聖歌隊)に歌わせています。

コラールを歌う合唱団の存在は、天の声でもあり、今リアルタイムで教会に集う私たち会衆の内省の声でもあります。


■ が、KuijkenのOVPPの演奏だと、合唱隊が存在せず、ソリスト8名が、合唱隊を兼ねます。ゆえに、このコラールを唱和するその声は、まさに、

福音史家・イエス・大祭司・下女・下役たちの声だ w(・o・)w!

...イエスと、今まさにイエスを平手打ちした下役と、ピラトと、福音史家と...。

その本人たちが、一緒になってルター派のコラールを歌っているという、

この不自然さ...。

■ 責めたり殴ったりした人が、天の声・会衆の声としてコラールを唱和する...

「あなたをぶったのはだれだ? あなたは罪びとではない」と唱和する違和感...。

■ 現代のSACDの音というか、定位感、空気感が、あまりにも良く伝わるために、気づいてしまった違和感...。


■ この違和感は、この演奏の突出した美しさとともに、OVPPが古楽演奏の世界で有力説となって以来ずっと、私の中では、途方もないものに膨れ上がっています。

■ 今は亡きレコード芸術の論評欄でもHMVのコメントも、これに触れたものはなく、もろ手を挙げて絶賛...

なんだけど、みんな、ヘンだと思わないのかなぁ?


■ ソリストはコラールを歌うべきなのか?


■ そう感じてしまうのも、個人的には、現代のマタイ受難曲とヨハネ受難曲の演奏として、安心して身を任せてきたのは、声の質と均一性が吟味されたガーディナー盤(ジョン・エリオット・ガーディナー&イギリスバロックソロイスツ&モンテヴェルディ合唱団; 1986年盤)だからです。

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■ また別の問題ですが、このコラール15番の、ゲールハルトのコラールに関しては、ガーディーナー盤とOVPP諸盤との、個人的に決定的な解釈の違いがあるのですが、それは次の機会に。

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■ ガーディナーの演奏が、驚いたことに you-tubeで2時間半フルで、広告なしの無料で...BBCのプロムス2008(音楽祭)における全曲演奏をBBCがアップしたもので、安心です。感動的な現代の名演だと思います(Youtube動画をウェブログに貼り付けるのは抵抗があるので、興味のある方はお探しを)。

2024/03/28

■ まなぶ - 剪定枝の束ね方に農家の個性?


農道をあるかせてもらっていて、りんご畑を見るともなく目をやると、剪定作業もほぼ終盤のようです。

 剪定作業中は、樹木の下に散乱する剪定枝は、切って、まとめて、再度切りそろえて、その後は、焼却するか運搬するかです。「果樹園」で思い浮かぶような、収穫時の明るくカラフルで喜ばしいようすからは、遠くかけ離れた、地味で単調な作業、「フォトジェニックな光景」からは除外される暗めのモノトーンな光景です。

 しかし、どの枝をどう剪定するか、農家1軒1軒のスキルの長短で、その年の収穫を左右しかねない専門的な作業であるうえに、剪定後の枝、サイズも規格?もまちまちな枝、それらを拾い、切断し、束ねて、と、その除去作業は、たいへんな労働であることでしょう。加えて、当地は、季節的に、凍えるような寒い戸外で運動量はそう多くなく、しかも足場は、場合によっては雪上や雪解けの泥濘地面。加えて、雪の反射による猛烈なまぶしさもあって目にも過酷な環境のようです。

 ここ数日は、降雪も降雨もなく、風は冷たいですが、どのエリアもみるみる作業が進んでいるのがわかります。

 散乱した剪定枝のまとめ方は、おおよそお気まりの段取りでしょう。ですが、農家ごとに個性が見える気もします。

 通常は、散乱した枝は、トップ画像のように、木のそばにいったん丸く積み上げ、その後、その束を、さらに集約的に数か所にまとめ、最後は焼却や積み込みする場1箇所にまとめていくようです。

 木のそばにまとめ上げる作業も、大小かまわずさっさとまとめる or 細切れにしてサイズを細分化してからサイズごとにまとめる、また、積み上げ方も、放射集約状だったり井桁状だったりします。焼却するのか運搬するのかによって違うでしょうが、農家のお父さんのお人柄や農家経営上の作業の雰囲気も垣間見えるようです。

  ↓の画像は、剪定枝を通路状に整列させているようです(橙色の補助線)。その後の用途によるのでしょうか、農家の個性や信条によるのでしょうか...。見事に畝状に整列してあり、大いに惹かれました。

2024/03/27

■ あるく - 岩木山麓の道


岩木山麓の、高原野菜を栽培する開けたエリアに登る道です。

 緑の季節はさわやかなこの道...クルマやロードバイク(チャリ)ならば。除雪は終わってはいますが、さすがに岩木山の中腹の道だけに、今はまだ冬の寒々しさがあります。夏のさわやかな高原ということは、冬は吹き曝しの荒涼とした原野です。今日は強風は予想してわざわざ冬装備であるいています。

 あるいたことはなかったのですが、近頃はなるべく冬期通行止の道を、クルマが往来しないうちにおおいにあるいてみようというつもりです。

 見ると、凍結した池塘です。人の手は全く入っていないようすですが、蓮(ハス)の池ではないかな。夏の開花を楽しみにしましょう。

2024/03/26

■ あるく - 梅の道

↑梅の木。今日3/26(火)

先日あるいた梅の並木の道(3/13ご参照)。先日は、画像↓のように、枝につぼみの面影すらない寒風の冬景色でした。

↑3/13 (13日前)

■ 今日、この敷地内の梅をみると↓、枝がなんだかほのかに、いやあきらかに、春めいてきました。短い間に時間は進みますね。

2024/03/25

■ あるく - 切通し

↑2024-3-25(今日);坂の上から見おろす

■ 
薄曇りですがすっかり春めいた気温のいつもの切通しの道。まだ「冬期閉鎖」ということになっていますが、除雪は完了して、あとは開通日の4/1(火)に閉鎖区間両端のコンクリートブロックのバリケードを撤去するだけです。が、そのバリケードのすき間を縫って、たまにクルマがおそるおそる進入してきます...けしからん...って、誰かさんだって、ナンチャッテ農家みたいに軽トラで何食わぬ顔でこの道を横断しているのですが。

 上↑の、今日3/25の画像でお分かりの通り、坂の上から見ると、直線の急坂が長い区間続きますので、クルマはけっこうな速度を出して往来します。この道の真ん中を悠長に歩けるのも、あと1週間です。

 ほんの1か月ほど前は、真冬の冬期閉鎖期間で、まるっきりの銀世界だったなんて、何だか信じられない気持ちです(2/19ご参照)。

↓ 2024-3-14(11日前)


↓2024-02-19(35日前)


↓2024-2-19(35日前); 同じ地点から見上げる

2024/03/24

■ まなぶ - 鳥の渡りを扱った入試問題 - 東北大学入試二次試験2011年 - 英語第1問 (2)


※ 雁行 flight formation of geese;集団の先頭にいる個体には、最も大きな空気抵抗がかかり、短時間で体力を消耗するので、若い屈強な個体群が担当し、かつ、短時間スパンで先頭交替を繰り返します。集団後方は風の抵抗がなく、幼い個体や老いた個体。雁行によって集団全体が長距離を高速で安全に航行できます。なお、上のフリー画像は進行方向上下空間にV字に広がっているけど、リクツを無視していてヘンですネ。

※ 自転車ロードレースのチームタイムトライアルでの雁行フォーメーション。主将(キャプテン)のタイムがチーム全体のタイムに反映されるので、スタートからラスト直前まで、チーム歩兵格が先頭交替して進み、主将格は常に後方で体力を温存し、最後に集団から射出されるようにラストスパートをします。(パリ・ニース2023;このクラシックレースもヨーロッパに春を告げる風物詩のイメージがあります)

昨日の続き。「鳥の渡りの不思議」のうちの、ナビゲーションの不思議。鳥は何を手がかりに、毎年数千kmも迷わずに移動するのでしょうか。昨日の話では、陸地の上空を飛行中であれば、視覚・嗅覚であるとのことでした。では、茫漠たる海上を飛行中なら? 視覚も嗅覚も役に立たないでしょう。他に何か手がかりはあるのでしょうか?

 続けて和訳してみます;

---...---...---

(海洋上を飛ぶ鳥たちにとって、道しるべとなる手がかりは)「きわめて多い」...それが答えだ。 視覚的には、日中は太陽があり、夜は月と星がある。 鳥たちが、ある程度の時間感覚を持っていて、特定の時間に太陽や月がどこにあるはずか知っているのでない限り、これらを有効に活用するのは困難だ。が、鳥たちにはたしかに時間の感覚がある。

ヒトも天体を手がかりに航行するが、私たちはそれに関して素晴らしい科学を活用している。 19 世紀までは、航海士のスキルは、世界中の海軍で最も複雑な技術の 1 つであり、高く評価されていた。その後、危険にさらされた船員らは無線で自分の位置を知ることができるようになった。伝統的な長距離航海者は、自分の位置を把握するために、望遠鏡と海図、そして何ページにもわたる航海図を必要とし、それらの助けを借りることで、自分たちの位置を算出していた。 鳥たちは、飛行中に、これらすべてを頭の中で、脳の中で、行わなければならない。 この問題は、たとえば、魚を食べる海鳥の潜水行為について、鳥たちはいかにして常に適切なタイミングで羽を折りたたむのかにつき、議論する際に遭遇する問題と、考える上では同じである。 それぞれの場合において、計算は、いったん詳しく説明するとなると、非常に複雑だ。 しかし、おそらくは、鳥は翼を羽ばたかせているだけであり、数学に馴染んでいるわけではないので、詳しい解明などしていない。 彼らは、太陽、星、月から与えられる手がかりを、目的に合う行動のための指示に即座に変換する実践的なルールをいくつか持っているに違いない。

この場合も同様に、何かヒントを与えてくれるように思われる手がかりがある。 たとえば、多くの種類の鳥たちは、星の位置関係を活用していることが知られている。 ヒナ鳥たちは、生後数週間、巣にの中にいて夜空をよく見ている。が、その生後数週間が曇りがちだと、やや混乱しがちだ。 とはいえ、ヒナたちは、ヒトのアマチュア天文学者のように、個々の星座の学習、つまりオリオン座の見分け方や、頭に思い描いたおうし座の輪郭の辿り方などに時間を費やすわけではない。 夜が進むにつれて動かない部分に引かれているのだ。それが、北半球では北極星を意味する。 十分な時間をかけて眺めていると、夜が更けるにつれて、巨大なオリオン座や頭に思い描いたおうし座も含め、空の星はすべて、あたかも巨大な車輪の中心部分のように中央に位置する北極星の周りを回っているように見えることがわかる。いったんその巨大な中心部分を認識するようになれば、最も根本的な問題は解決する。 これができる生き物は北がどこにあるかを知っており、それ以外のことはすべて把握できる。 南半球にこれに相当するものがあるのかは不明だが、存在するのは間違いない。 空を飛ぶのに、天文学の詳細な知識は必要ないようだ。

---...---...---

入試問題としての本文はココで終わりです。オリジナルの文には、さらに長い続きがありそうですね。設問は5問あり、うち2問は下線部和訳、2問は日本語で要約、1問は前置詞か接続詞の空所補充3箇所です。和訳と要約は、時間がかかりそうなやや難問な気がします。

 生まれたての小さなひな鳥が、広大な夜空を見つめて過ごす、その知識が生涯にわたる毎年数千kmの大洋や大陸間の渡りの海図となり天体星座盤となる...、だなんて、またここでも大きなスケールの話をまなんだ思いです。

2024/03/23

■ まなぶ - 鳥の渡りを扱った大学入試の英語 - 東北大学入試二次試験2011年 - 英語第1問


今日は、予報通り(3/13)、気温が10℃まで上がり、風も凪いで、昨日までとはがらりと雰囲気が異なるおだやかな昼となりました。明日はもっと春めいた良い天気になりそうです。昨日までは湖面にいた鳥たちが、今日は上空でさかんに声を掛け合って雁行フォーメーションのトレーニング中。

 「渡り鳥」には、その不思議さゆえに、大いに惹かれます。

 第1に、熱の産生です。子どもごころに、冬の湖面に浮かぶ小さなからだをみて、寒くないのかなと、見るたびに心配でした。(実は、近づくと巨大。オオハクチョウは全長1.6m、両翼開長は2.5mでヒトのサイズくらいある。雁もマガンは全長0.7mあまりで立ち上がればヒトの腰くらい。翼開長は1.6mくらいあります) 中学理科で恒温動物を学び、高校生物で生物の熱産生を学び、特に気になって意識した鳥類ですが、産出量と消費量はリアルタイムで均衡し、ゆとりがないことを知りました。同時に、生命維持に決定的な熱の保有を犠牲にしてまでも、捕食者たる四ツ足獣の侵入できないエリアを選ぶ過酷さを感じました。

 第2に、渡りの不思議さです。これも物心ついた頃から、

1) 冬の入りに、今日にも雪が降りそうな鉛色の空に、冬到来の声が聞こえます。え、もう来たの? と、寒々しい冬の到来を告げてくれるので気が重い思いをしました。

2) 他方で、今ちょうどこの時期3月中旬以降、田んぼに残雪と見間違う白鳥の大群、眼を向けるととその周辺に様々な種類の雁のさらに大群が見られ、しかもあちこちで多くの集団が飛行訓練をしてさまざまなフォーメーションで乱れ飛んでいます。湖面でみんなで大騒ぎしているのが真冬のさ中であるのに対して、上空からあのよく響く声が聞こえると、春の訪れ、にぎやかな皆さんが一斉に別れを告げる日の近づいたことを知ります。日差しが春めいたまだまだ冷たい風の朝、上空からあの声が聞こえ、見上げると、驚くような大群が、V字形やW字形を組んで、北帰行に旅立つのを目撃します。明るい暖かい陽射しと入り乱れて、切ない思い。思わず数千kmの旅路の無事を祈ってしまいます。

 第2の渡りの不思議さを細分すると;

第2の1、渡りの航続距離の長さ。

第2の2、航続中の雁行編隊飛行(フォーメーション)の秩序正しさ。

第2の3、渡り行動中の個体のエネルギーの産出量。

第2の4、渡りのナビゲーション。

いずれも中学時代頃から知り、高校になると刮目するようなスケールを学んで実感し、大学は文系でしたが、教養課程で「生態学-鳥の渡り」という講義を、たった2単位でしたが食いつくように聴きました(その際、上野動物園で観察実習があり、私は隣接する不忍池に雁を観察に行きました。人なれしていたので驚きました)。あの小さなからだをした雁に、一種の畏怖の念、いつくしむ気持ちすら生まれます。

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 鳥の渡りの不思議さを扱った、学校の英語教材は、数多いです。思いつくもののうち、2011年の東北大学二次試験(英語科目の出題は全学部共通問題)を、拙訳で申しわけないのですが、見てみましょう。上の、渡りの不思議さの第2-4、渡りのナビゲーションの不思議を扱った話題で、800語程度の英文です。今日はその3分の1程度を。

 大学二次試験にしては、内容&英文表現とも平易に作問され簡潔にまとめられています。とはいえ、問題を解くのがカンタンですぐ高得点という意味ではないです。13年前の出題ですので、解答解説目当てでこれを読む人はいないでしょう。単純に読み物として楽しみます。一般に、入試問題や各種検定問題の英語は、日常生活においては触れないような、さまざまな話題や専門的な話題を、わかりやすくかみ砕いて簡潔にまとめ上げてくれている点が、読み物としてちょうどよいと思っているワケで、ここで何度も取り上げているのは、「入試の解説や講評」などという意図は全く無く、「楽しみとしての読書」という発想です。

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渡り鳥はどうやって目的地を見つけるのだろうか? まず考えなければならないことは、どんな手がかりがあるのかということだ。 鳥たちが陸の上を飛行しているならば、眼下に、川、道路、森林、海岸線などの、はっきりとした、年を経ても変わらぬ特徴が存在する。もちろん、鳥は目を使っていることだろう。 鳥がまさにそうしている証拠は数多い。たとえば、多くが、海岸線をたどり、海峡や山道を縫って進む。

到達しようとする場所に近づくとき、鳥たちの多くは、嗅覚を使う。 伝書鳩がそのヒントを与えてる。(ただ、「帰巣」は渡りと同じではない。ハトが電車やトラックで遠く離れた場所に連れて行かれ、その後放されると、家に帰る道を見つけられるという意味だ。しかし、帰巣には渡りと同じメカニズムがいくつかあることは確かだ。) ハトは自分の巣に接近すると、鳥の住まいを示す一般的な匂い、おそらく一般的にアンモニアのようなひきつけるような匂いを最初に感知するようだ。 近づくにつれて、匂いはよりその鳩に固有のものになる。 最後に、鳩たちが巣のごく近くまでくると、自身の空間における自分たちの群のもつ特定の匂いを認識する。 人間であっても、たとえ意識的に認識していなかったとしても、匂いについて素晴らしい知覚を持っている点、しだいに多くの証拠で明らかになりつつある。汗などの原始的な物質に応じて、特定の男性または女性に対し、魅力または嫌悪感を感じている。人類はそのようなものを乗り越えた存在だと考えたがる人にとっては、冷ややかな考えではあるが。 通常、私たちは、鳥類が匂いを重視する生き物だと思っていないのだが、多くの鳥はさまざまな状況で匂いを重視する。

だが、鳥たちが、明らかに見渡す限りの海の上にいるとき、視覚的な手がかりは何の役に立つだろうか? めざす場所から千マイルも離れた場所にあるとき、匂いにはどのような価値があるだろうか? 他には何か手がかりはあるのだろうか?

2024/03/22

■ あるく - 廻堰大溜池

※ ガンのみんなは、私の気配を察知して、ゆっくり背中を向けて移動し始めます...

 あいかわらず真冬の寒さと強風です。明日の気圧配置は明らかに違いますので、明日になればきっと暖かくなるでしょう...。溜池にいるハクチョウやガンの渡りの時期が近いのですが、今日はみんなおとなしくしているかなと思い、行ってみました。

 おや、今日はめずらしく、池のこのくぼみ地形にガンの皆さんが集まっています。例年だと、ココのエリアは最後まで湖面が凍結していて、その頃には剪定のトラックがとっくに往来していますので、ガンは最後まで近づかないエリアです。今年は、雪も氷も湖面になく人影もないので、風をよけているところですね。

 一般に、渡り鳥は、湖面にいても田んぼにいても、すぐ近くをクルマがそれなりの速度で通りかかっても、意に介さないようすです。が、ヒトがゆっくり近づくと、とたんに集団はパニックとなり、あたふたと逃げ惑います。高速で移動するクルマという生き物は捕食者ではないが、ゆっくり近づくヒトは悪者に決まっていると先祖伝来学習しているワケですね。

 クルマを降りて、そっと近づきますが、1羽2羽に気づかれたら、あっという間に群れ全体に察知されて、数百羽の皆さんを驚かしてしまいました...ごめんなさい!みんな一気に遠ざかっていきます...逃げなくていいんだよ〜。



2024/03/21

■ あるく - 十腰内のりんご畑

2024-3-21 (今日)

 アスファルトが凍てついて乾燥しています。遠景の岩木山も真冬の様相です。気温5℃ですが、冬の北北西の季節風が強く、体感温度はずっと低いです。今年は、雪が多かった去年の雪解けとちがい、雪は少なく、2月に温暖となり、3月は低温です。

 昨年の画像↓ぴったり1年前の、りんご畑の道の同じ地点です。春の訪れを感じさせるなごやかな雰囲気だったのとは対照的です。

2023-3-21 (1年前)

 でも、1週間前の3/13の高層天気図の通り、きっとあと数日で、この週末からは、春らしいおだやかさになってくれるでしょう。


2024/03/20

■ なおす - 家計簿は「表計算ソフト→家計簿ソフト」でやってみようかな


お金の計算。「仕事」でお金を扱うならば、今どきは、『日々の記帳はクラウドの会計ソフトで→月次と年次の決算処理および税務申告は税理士さんにて』という手続をとるのが、安全で円滑です。対フールプルーフ冗長性の点で、また、役所を含む害意や悪意のある第三者からの耐攻撃性の点で、事務手続上も法的手続上もパーフェクトなアカウンタビリティを保てます。歯の治療や自動車エンジンのシリンダ研磨を自分でする行為がありえないのと同様(?)、事業者の会計手続も、零細な事業であろうと、最終段階で必ず専門家の客観的なチェックに費用を投じた方がよいと思います。

 家計簿はどうでしょう。上の『手続き』などいっさいするワケがありません。自分でやったほうがよいと思います。

 さらに踏み込むならば、企業会計と異なり、家計簿は、記録しようとすまいと、何か社会制度的なサンクションがあるわけじゃないので、裕福で鷹揚な方なら、最初っからまったくしない、という手もあります。

 貧困で臆病な私なら...?、自分でせざるをえません...。精密なほどいいに決まっていますが、能力の限界があります。なんとか折り合いをつけようとしているところです、この数十年間...。

 かつては、家計簿ソフトを利用したことも何度も。でも、デフォルトの費目や勘定科目の設定が、多くの人の最大公約数的な設定しかなく、個人的な事情は反映できない思いに満たされます。結局何度も挫折。

 たとえば、レシートの表記が、1品ごとに、税込か税抜かは店舗により異なります。どう入力すりゃいいの? また、「食費」「光熱費」じゃ大雑把すぎたり、「日用品」から「文具代」を分離したかったり、「両刃カミソリ替刃」は「日用品」「消耗品費」「雑費」のどれにするかは、人・場面・用途により異なります。

 少し時間の余裕ができたので、懲りずに改めて考えてみます...倉庫整理と同様、「気分も新たに、作り直す」永遠の繰り返しですが、今回もまたくじけず着手します。事業会計と異なり、資産の減価償却処理や繰越処理などの、複式簿記でなくては理解できない決算処理は、家計簿ではいっさい不要ですから、いつでも一から始めてよいはず。いちおう、数十年にわたる、自作のエクセル(MS Excel)のフォームが数十種類あります。ライフステージに応じて、合わなくなり調整する必要が出てきますが、どれか選んで叩き台にします。

 また、先日から、Windows + MS Word & Excelの27年間にわたる使用を終了し、Linux + Libre Writer & Calc でいくと決めたので、その練習に好適、という気持ちもあります。

 「家計費」のうち、もっとも繁雑で挫折の原因となるのが、<食費>です。どのくらい細かい階層まで分けますか?「食べる物への出費ならぜんぶ一括で<食費>」や「<外食>と<自宅>の2分割」といったおおざっぱなものから、自宅用なら「<主食> <野菜> <肉類> <茶菓>」など一般的なカテゴライズを経て、果ては「<野菜-にんじん> <野菜-玉ねぎ>...<牛肉-ロース> <牛肉-フィレ> <牛肉-バラ> <牛肉-スネ>...」などと大手スーパーのレシート並みのパラノイドなカテゴライズまで(?)。

 今回の作戦は『「自作表計算ソフト」や「出来合いの家計簿ソフト」のいずれか1つだけに頼らず、両方を使う』ことにします;そこで、2段階に分けて、

1) 表計算ソフト(Libre Calc)にて、好きなように費目を細かくカテゴライズと分割をして、入力し、その後、 一般的な費目として小計する。

2) フリーの家計簿ソフト(ZaimかMoneyforward) を利用して転記し、合計する。

 今回の私の場合を告白すると、

・まずはレシートを1年遡ってみる。

・一括する階層は<肉魚> <茶菓>。他方、さらに細分化するのは、<野菜>から、おやつがわりの<かぼちゃ> <さつまいも> を、香味野菜の<しょうが&にんにく>を分離し、...などなどと書いていても、備忘録の意味しかなく、他の人の目の前にさらす意味はないので、このくらいにして。

  15か月分の食品購入レシートをすべて徹底的に Libre Culc に入力しました (PCはディスプレイ2台を使いました)。ついでに、思いついた比較、分析、など、いくつか基本的な関数と何種類かのグラフをできるだけ多く使って、可視化しました。とはいっても、しょせん個人の家計簿の計算ですので、使う関数は、単純なSUMやAVERAGEから始まってせいぜいSTDEV.Pやシートを貫くINDIRECTや串刺し算程度、使うグラフは、バーグラフやパイチャートやラインプロット程度で、私の低レベルなExcelスキルの範囲で精一杯の知恵を振り絞って、この表計算ソフトを駆使してみました。それでも、表だけを眺めるよりも、理解は圧倒的に速いです。

  その結果、眼を剥くような発見が、次々と出現しました。なぜ今までしなかったのだ!

  なんだか、ダメな過去の自分を、多数の価値観をもつ複数のヒトたちが、次々と客観的な批判をするような恐るべき結果を得てしまいました。今まで、だいたいワカっていたつもりなのに。暗闇を、勘と記憶と手探りだけであるいていたのか...。

  過去の哀れな自分を涙をもって眺め、明日からより良くなれる希望と決意まで生まれる、そんな体験をした気がします。

  この、上1)の「表計算ソフトに食費を集計」しただけの時点で、ガツンと頭を殴られるような大きな衝撃。ひとまず、現時点の進捗度はココまで。引き続き、他の費目のレシートで試してみます。

2024/03/19

■ あるく - 廻堰大溜池


■ 
やっと晴れ間が。昨日来の吹雪ととても歩いていられないような強風(10m/s)がやんでくれました。風はまだ強く冷たいのですが、青空が広がっています。

 この低温も週末にはなくなり、早朝の最低気温が氷点下となるのも、今期はもうおそらく今週いっぱい。

 真冬はこの大溜池の湖面に身を寄せ合うようにびっしり集中している白鳥や雁などが、今はほぼ湖面から周辺いたるところの田んぼに分散して、補給と大がかりな飛行訓練中。近づく渡りのざわついた気配がします。

2024/03/18

■ まなぶ - センター試験で難しかったと思う問題を告白すると - 2


昨日の続きを。

 正解は、3 - 2。和訳を試みると;「教育者らは、音楽に関連するさまざまな活動の支えがあれば、子どもたちのリズムとバランス感覚は発達するのみならず、全般的な音楽鑑賞能力も向上するということを知っている。」といったところでしょうか。

 教育者の立場でも子どもの立場でもない受験生や私の場合、なかなか当事者の視点になれなくて抽象的な意味を貫きづらいのと、"in addition to"の "to" は不定詞じゃなくて前置詞なので、後ろに動名詞assistingを従属させればよかったということの2点のおかげで、組み立てづらい気がします。

 抽象論ではないし単語も単純なのですが、同じように前置詞句や不定詞句が細切れで、制限時間60秒内でサっと考えをまとめ...づらいものが (;--A

【 2 】C  以下の①~⑤の語句を並べかえて空所を補い、文を完成させよ。ただし、解答欄には、[38], [39]に入るもののみをマークせよ。(1994本試験)

問3  When hunting, a snake is very careful [    ] [ 38 ] [    ] [ 39 ] [    ] the attention of its victim.

        ① of movement

        ② so as not

        ③ to advance

        ④ to attract

        ⑤ with a minimum

   [ 38 ]  ①    ②    ③    ④    ⑤ 

   [ 39 ]  ①    ②    ③    ④    ⑤

2024/03/17

■ まなぶ - センター試験で難しかったと思う問題を告白すると


大学入試センター試験の「簡単な問題」などと、3/7に生意気なコトを言ってしまいましたが、告白すると、センター試験30年の歴史のうち、私個人がいちばん難しかったナと思うものは、長文読解や文法問題などよりむしろ、1行程度の英文のみで問われる整序問題(並べかえ)でした。

  3分とか5分とか時間があれば、納得できるのですが、受験生の身になって、手持ち時間60秒以内に解いてマーク作業まで完了せよと言われると...。90年代の整序問題は、具体的な意味を把握しづらくて作文しづらいという意味で、私にとっては「難問」が毎回1問程度出題されていました。私は抽象的思考力に欠けているというわけですね(私は海外に行った経験が一度もなく、英語は学校で習ったのみです)。へぇ、キミの実力はこの程度、と言われたら、まぁその通りです。

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【 2 】C  以下の①~⑤の語句を並べかえて空所を補い、文を完成させよ。ただし、解答欄には、[28], [29]に入るもののみをマークせよ。(1998本試験)

問3  Educators have found that activities related to music can improve children’s general appreciation [    ] [ 28 ] [    ] [ 29 ] [    ] of their sense of rhythm and balance.

    ① to

    ② assisting in

    ③ in addition

    ④ of music

    ⑤ the development

[ 28 ]  ①    ②    ③    ④    ⑤ 

[ 29 ]  ①    ②    ③    ④    ⑤

2024/03/16

■ きく - シューベルト / ウーラント 『春のおもい』D. 686 (Op.20-2) - O. ベーア & G. パーソンズ

Schubert Lieder / Olaf Bär & Geffrey Persons ; EMI Classics 1993

大学や高校の入試問題も、この場で、おもしろおかしく揶揄して楽しんでいますが、初めて見た際には、震えながら答えを探しているわけで、大学の偉い先生方がご自分で何度も読んで「あ、ココを空所補充問題にしてやれ」なんて思って作った設問など、18歳の優秀な若者ですら1回読んだだけじゃ正解できない人も多いことですし、優秀でない若者でない私が誤った答えを出すのは日常茶飯事です。その後、よく練られて印象に残った入試問題なら、2回、5回、10回と読み直してみると、次第にオリジナルの筆者の言いたいことが少しわかり、それだけ出題者の解釈のウマさや乖離や作問の隔たりに次第に可笑しさを感じ取ることができる気がします。

 まったく同じ話で、本も音楽も絵画も、1度読んだり聴いたり見たりしただけでは、2回目の感想は必ず異なる、しかも前回の自分に批判的になったりするので、「印象」は持つのですが「表現」するのをためらいます。10回目に触れたら、前回9回目に触れた自分の気持ちとはやはり違います。後の方が、より多くに気づき、より進歩し、より利口に賢明になっている、とは限りませんが...。書道華道や楽器などの芸や習い事を何年もなさる方は、いや、建築作品やプログラミングなどにしても、その模範・お手本・モデルに対して、そう感じることがあるのではないでしょうか。

 だから、「課題図書の読書感想文」などという宿題はニガテです(いまさら学校時代の言い訳か)。特に、音楽は、作曲家の表現を演奏家が表現するわけですので、私にとっては、10回や20回聴いただけでは...。同じ作品を、何度読んでも何度聴いても何度見ても、う~んなるほど、と新しく思うことはあります。

 次々と本を読み音楽を聴き、初めて読んだ本初めて聴いた演奏についてすぐそれを表現でき、「コレってこうだな」と述べたり「コレいいよ」と薦めたり、などというヒトは、優秀な人であると自他ともに認めるでしょう。が、私には永遠にできないマネのようです。「とりあえず10回読もう、ひとまず100回聴こう」が、本とCD/LPに対するポリシーでした(カセットテープの時代から; 手持ちの数少ないテープの録音を上書きする場合のポリシーだったんです)。ま、トロい自分を受け入れるしかないです。

 昨年来、ここで生意気にも感想を述べてきた音楽作品は、「とりあえずとっくに100回以上程度は聴いた」ものですが、その後聴いても、やはり思いを新たにします。

 そのうちでも、何百回目かに新たに聴いて、さすがにだいぶ気持ちが落ち着いてきたものも多いです;

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 春が近づくたびに、2月くらいからまたぞろ聴き始め、ゆく春を惜しむように6月くらいまで聴いている曲の一つが、コレだったりします。

 ディースカウ & ムーアの演奏がいいに決まっているよなぁと、カセットテープが擦り切れ、カセットデッキヘッドが磁性体粉まみれになった少年時代の摺り込みもあるのですが、すぐ手にとって聴きやすいCDで保有しているのは、これももう30年も毎年欠かさず聴いているベーア (バリトン) & パーソンズ (ピアノ) 盤です。

  70年代初頭の古いディースカウ盤が、クッキリさわやかな発声やひんやりとした空気感をもつ印象があります。ヘッドフォンで改めて聴き比べれば、音が良いのは90年代のベーア盤のCDに決まっているのですが。もちろん、録音技術の問題ではなくて、やはり少年時代の耳と希望、毎年永遠に満たされないけれど、毎年希望を膨らませるこの曲特有の思いが、そういう印象をつくってしまったのでしょう。

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  シューベルトとシューマンのリートについては、私がしゃべればしゃべるほど、あなたから遠のいていくと思いますので、訳してみるだけにします(下のドイツ語は新正書法ではないです。ドイツ語句末の句読法は、EMI CDC 7 54773 2 ライナーノートのままです)。

  和訳も、ことばによるよけいなおしつけですが、いま読んでくれている方が、曲とその和訳に、そしてよりすてきな演奏に、あらたに出会ってくれることを願っています;


やわらかなそよ風が目をさまし、

昼も夜も、さやぐ音をたててふきわたり、

この世のすみずみにまで、息吹をかよわせる。

あぁ、さわやかな香り、あたらしい響き!

さあ、あわれなこの胸も、こころをとざしていないで!

いまこそ、何もかも、移り変わるときだ。


この世は日ごとに美しくなり、

この上どうなっていくのか、はかりしれない。

花はとめどもなく咲きつづけていく。

あのいちばん遠い、いちばん深い谷も、花ざかりだ。

さあ、あわれなこの胸も悩みを忘れよう!

いまこそ、何もかも、移り変わるときだ。


Die linden Lüfte sind erwacht,
Sie säuseln und weben Tag und Nacht,
Sie schaffen an allen Enden.
O frischer Duft, o neuer Klang!
Nun, armes Herze, sei nicht bang!
Nun muß sich Alles, Alles wenden.

Die Welt wird schöner mit jedem Tag,
Man weiß nicht, was noch werden mag,
Das Blühen will nicht enden;
Es blüht das fernste, tiefste Tal:
Nun, armes Herz, vergiß der Qual!
Nun muß sich Alles, Alles wenden. 

...L. Uhland  "Frühlingsglaube"

2024/03/15

■ まなぶ - 単語集で


今日は全般に曇り、ときどき晴れのち雷雨のち晴れ...。なんとまぁこの3月は天気が目まぐるしく変わることでしょう。

 昨日おとといは低温強風雨霙(みぞれ)の下をムリしてあるいたんですが、今日はおとなしく本でも読みます。

 いったいどう発想したらこんな選択肢セットを出題するかな、と訝(いぶか)る例の単語集で、また楽しんでみましょう。

 適語を選んで補充します;

Janice sat at the piano and (  ) some music for her guests.

1. implored   2. imprecated   3. impeached   4. improvised


  1. を選んで訳してみましょう。

ジャニスは、ピアノの前に座り、客のために何か音楽を嘆願した。

...このジャニスさんは、お客の代表か仲介の方ですね。でも何でピアノに向かって座っているんでしょう。キミがいたら演奏できないじゃないか。ちょっとどいて。交通整理をしているその人自身が交通の妨げになっているような。

 2. を選んでみましょう。

i) ジャニスは、客の側に立って、いくつかの曲を呪った...?

ii) imprecatesome と、もし一語にすれば;

ジャニスは、ピアノの前に座って、客のために、何やら不謹慎な音楽を奏でた。

...想像すればおかしくてひとり笑ってしまうけど、やっぱり無理があるな。

■ 3. を選んでみましょう。

ジャニスは、ピアノの前に座って、客の側に立って、いくつかの曲を弾劾告発した。

...これは、上2.ii) のジャニスさんに対立して、「けしからん」と熱く非難する別なジャニスさんですね。

 4. を選んでみましょう。

ジャニスは、ピアノの前に座って、客のために曲を何か即興で演奏した。

... 英語だと、動詞も名詞improvisationも、その場の思い付きで興じて作曲されたり演奏される感じです。

 音楽ファンの方なら、Impromptu アンプロンプテュ 即興曲のことか、と、すぐ納得するでしょうか。が、音楽形式としてのフランス語風なimpromptuは、あらかじめ念入りに作曲されたものではあるが、ソナタ形式やロンド形式のような楽曲形式からフリーだという感じのネーミングです。真っ先に思い浮かぶのがショパンの、いやシューベルトの、と、人によりさまざまですが、いずれも、あの大きなスケールで美しく流れる曲は、洗練そのもので、その場のテキトーな思い付きみたいな破綻は、思い起こしてみると、やはりあるはずもないですね。

2024/03/14

■ あるく - 初めて舗装された山道

※ 2/17 最後においた画像と同じ撮影ポイント。

いつもの山道。といっても、冬期は除雪ナシ自然消雪の林道です。あっ! 除雪してる!いや、それどころか舗装してるっ!

 ここを舗装するだなんて、人類有史以来初めて (;^^

 昨年秋にあるいたときまでは、いつもの未舗装の林道でした。冬直前に舗装したのか...。

 しかも、なんとまぁ、最近除雪してますよ。これまで何十年も自然消雪の道なのに。こんな軽トラ1台分の幅の道を。その除雪も、除雪痕から、ローダーではなくて、なんとロータリー除雪車を投入し、かつご丁寧にも往復しています!(道路脇の帯状の排雪痕)↓...「国道」並みの除雪です(;^^ すぐふもとの付近の往復2車線農道はまだ至る所ろくに除雪が入っていないというのに!

※ 路面中央に、舗装工事完了時の施工測量の真新しいマーキング(白チョークペイント痕)が、
路側に、ロータリー除雪車の帯状の排雪痕が、それぞれ残っています。

 今日あるき始める前は、雪と泥でじゃけている(どろどろべしゃべしゃな状態のこと)と想定して、軽トラから降りてすぐトレッキングシューズにゲイター(スパッツ)を装着してあるき始めたところでした。これじゃぁチノパンにスニーカーでもいいです。

 雪の壁は昨年の3分の1以下です。景色は、いつものとおり、里山の雑木林の雰囲気がたちこめて、しずかな雪景色です。

 明日から足元重装備でなくとも気負わず快適にあるけそうです。林道の管理整備のみなさん、どうもありがとうございます!

2024/03/13

■ あるく - 梅のさんぽみち


氷混じりのみぞれがたたきつける強風となりました。朝のうちは晴れていたのですが、気温は2℃でした。迷ったのですが、梅の木がたくさんあるエリアをあるきます。

 一歩そとに出たら、すごい風(7m/s)と寒さ...。ヤメようかと思いましたが、あるく気分になっていたので、あらためて着替えて、行き先を、昼の日が少しでもあたる南西斜面の山あいのエリアにあるこの梅のさんぽみちに変更し、下り坂をランニングできるようにしました。というわけで、今日はさすがに、森林の雪上をあるくと、枝などの落下物が多そうです。そこで、細々と除雪されたアスファルトのみ、上りは速足であるき、下りはゆっくり走ることにします。


 梅の枝を見ると、花などまだまだ遠い先のようです。トップ画像は、梅の木の剪定枝を、どの木の下にも1箇所にきれいにまとめているようすです。画像では青空が見えるのですが、強風の中、顔に氷のようなみぞれがたたきつけられます。走って、からだがあたたかくなっても、いつまでの手足の指先がこわばっています。

 今日3/13朝7:00の高層気圧面の気温配置図だと↓。大陸の高気圧と三陸の東の海上に強烈に発達した低気圧のせいで、真冬の西高東低のようで、北日本の日本海側や山岳部分の寒々しいことといったら...。

http://weather-gpv.info/ ... parameter;Upper pressure Surface 3/13am7:00JST実況

  10日後の3/23昼12:00だと!きっと別世界に違いありません!

http://weather-gpv.info/ ... parameter;Upper pressure Surface 3/23pm0:00JST予想

  この津軽の奥地の寒冷地も、氷がほどけ、梅の花が咲きほころびる光景を、楽しみにします。

2024/03/12

■ あるく - 巖鬼山神社


 巖鬼山神社へ。何年ぶりかで歯科医にて診察の帰途。

 冷たいみぞれの降る冬空。雪は消えつつあるものの、なかなか春にならない3月中旬です。

 手水舎にて、手と口を浄めさせてもらい、参拝したのち、改めて手水舎にて口を漱ぎ、湧き水を飲ませてもらいました。寒さに震えましたが、スッキリ醒めました。

2024/03/11

■ まなぶ – 睡眠相 - 2


昨日の続きです。東工大の入試問題英語2015年第1問目を要約しています。

 中世ヨーロッパでは、農民にとっても町人にとっても、日没後の夜は、今日こそ生命を失うかもしれない恐怖の時間帯でした。暗闇に乗じて、犯罪、火災、そして、感染症などの疾病や鬱や癲癇のような精神疾患も含めた悪霊や悪魔のような超自然も、彼らにとっては等しく実在で、いずれも夜に襲いかかります。

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夜についての手がかりを探すために古い羊皮紙をめくりながら研究をしていたとき、何かが彼を困惑させた。 彼は睡眠に関する奇妙な言及にずっと気づいていた。

たとえば、『カンタベリー物語』(14世紀のイ
ングランドの説話集)「スクワイアの話」の登場人物の 1 人が、「最初の睡眠」のあと早朝に目が覚め、その後ベッドに戻る。15 世紀の医学書では、「最初の睡眠」は右側で過ごし、その後は左側で横になるよう、読者に指示している。あるイギリス人学者は、「最初の睡眠」と「二番目の睡眠」の間の時間が真剣な勉強に最適な時間であると記している。

こういった2 つの異なるタイプの睡眠についての言及が何度も出てきた。 ついにイーカーチ(筆者)はもはや手がかりを無視できなかった。 睡眠とは、常に 1 つの長いブロックで構成されるわけではないのだと気づいた。毎晩、人々は日が沈むとすぐに眠りにつき、真夜中まで眠る。これが昔話に何度も出てくる「第1の睡眠」。 人は一度目が覚めると、数時間起き、その後、朝まで眠りに戻る。いわゆる「第2の睡眠」だ。

 2 つの睡眠期間の間に目が覚めるのが、通常の夜の構成だった。この時間は、必要に応じて、祈り、書を読み、夢について考える、バスルームを使うなどの活動に費やされただろう。

イーカーチには、今日の私たちの睡眠方法が祖先の睡眠方法とまるで異なるという証拠の山を得ていた。

一方、約300マイル離れたところでは、ある精神科医が、研究実験中に奇妙なことに気づいていた。

  _ メリーランド州の米国国立精神衛生研究所で働いていたトーマス・ヴェーアは、私たちが毎日目にする人工の光が私たちの睡眠習慣に影響を与えているのではないかと疑問に思い、簡単な実験を設定した。人々を人工光から遠ざけ、何が起こるかを観察するというものだ。 彼は、これによって、以前の世代の人類にとって正常だった明かりの状態が再現されることを期待していた。

  _ 電球も街灯もTVもないので、彼の実験の被験者らは、当初、夜は寝るだけだった。 彼らは実験の最初の数週間を、夜遅くまで外に出たり早朝に仕事に就いたりして失った睡眠を、すべて補った。この数週間で、人生における他の時期よりもずっと十分な休養を得られたかもしれない。

 _ このときだった、実験が奇妙な転換点を迎えたのは。まもなく、被験者らは、深夜すぎに覚醒するようになった。1時間程度目覚めた状態でベッドに横たわり、それからまた眠りに落ちた。それはイーカーチが歴史記録の中で発見していたのと同じ種類の2相睡眠だった。 人工光から遠ざけられている間、被験者は生涯にわたって形成してきた1ブロック単位の睡眠習慣を忘れていった。 ヴェーアが研究結果を発表してから間もなく、イーカーチは連絡を取り、彼自身の研究で明らかになった内容を伝えた。

ヴェーアはすぐに重ねて調査することにした。 再び彼は被験者を人工光から遮断した。 しかし今回は、夜中に彼らの血液の一部を採取した。 最初の睡眠と二番目の睡眠の間の時間には何か重要な意味があったのだろうか、それともただ、中世の農民が起きてトイレに行く機会だったのだろうか?

その結果、人間がかつて夜中に起きて過ごした時間は、おそらく人生の中で最もリラックスできる時間帯だったことが分かった。

化学的に見ると、被験者のからだは、ちょうど温泉保養地で休息して一日過ごしたかのようだった。 2つの睡眠の間に、彼らの脳はストレスを軽減するホルモンであるプロラクチンを過剰に分泌していた。 ヴェーアの研究によると、両睡眠の間の時間帯は、瞑想しているときのように感じられるようだ。

他の多くの研究でも示すところでは、睡眠をほぼ等分割することは、私たちの体にその機会を与えれば、そう行う、と示している。 人工の光が一切存在しない世界の地域では、人々は今でもこのように眠っている。

_  1960年代半ば、ナイジェリア中央部のティヴ文化を研究していた人類学者は、部族のメンバーが2つの時間に分けて眠っているだけでなく、「第1睡眠」と「第2睡眠」というほぼ同じ名前を使っていることを発見した。

_  現代の睡眠習慣が、我々の本質に組み込まれたものとは異なると知ると、それは大問題だと思うことだろう。深夜に起きるだなんて、なにか良からぬことの顕れだと人々は見なすのだ。

_  なぜ人類は、何百万年も続いてきた方法とは逆の方法で眠っているのだろうか?  それは、たった1つの製品のせいだ。かつては革命的だったが、今では2ドルもせずに購入できるもの、つまり電球だ。

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 入試問題の要約は、このくらいにしておきましょう。以上で本文の約3分の2程度の分量です。この後、20世紀に入って人類社会の至るところが人工照明の海に呑まれ、人類のサーカディアンリズムや鳥の渡りなど生態系を崩壊させた話が展開されます。

 夕方すぐ眠ってしまい、0時前後に起き出し、明け方また少し眠るという、私個人の「反社会的なのでは?」「自然選択説上、淘汰される個体では?(←ダーウィン理論への誤解(;^^A)」との後ろめたい経験は、人工照明以前の古代人の習性「2相睡眠」だったのか...。でも、カトリックのベネディクト修道会(2023-10-9)初め、6世紀以来成立した多くの修道会が、今日でも、マタン(朝課;その日最初の祈り)を午前1時〜3時頃に開始する理由も、ニッポンの学校の運動部活みたいな「気合」「精神力」で起床するというよりむしろ自然なサーカディアンリズムだったのかと納得がいきます。

対して、現代人の「22:00-6:00まで8時間眠る」という「健康的な」「単相睡眠」は、疲れて眠りにつき、起た瞬間いきなりアドレナリン全開で世間さまのストレスの荒波に挑みかかる必要があり、まるでスペンサーの最適者生存理論が展開される恐怖感が...。

■ で、最初からこの種の闘争には敗者の私は、疲労して帰宅、すぐ眠る、気力充満してスッキリ覚醒するのが夜半頃、シャワーで温冷浴をしてからアタマを使う作業をたっぷり楽しむ、夜明け頃までまた眠る...。

 このサイクルだと、アタマを使う作業は、自分だけの楽しみに没頭できる、同時に、「疲れたらまた眠ればいい(嬉!」というこころのくつろぎが非常に大きく、じっくり浸れると気づきました。上述のプロラクチン分泌機序ですネ。

 このときの照明は、ろうそくのように、部屋全体の照明は5Wの電球色LED 2個だけで、デスクライトは光量をしぼったLEDライトです。そうすると第2の睡眠の入眠もスムーズで深く、短くてすみます。

  昨年からこんな生活に後ろめたさを感じなくなりました。健康や寿命にはどうなのかな。もう少し試してみたいと思います。

2024/03/10

■ まなぶ - 睡眠相1


 「夕方に就寝」して、0時か1時に起きます(2023-10-9)。日が長い春-夏-秋でも、19時くらいにはもう起きていられないです。深夜に起きて、温冷浴をしてから、読んだり書いたり聴いたりして、何ら収入的に一文の得にもならない時間をこころ楽しく過ごします。実は明け方が近づくと、また眠くなります。がんばって起きていることと、つい40分とか90分とか居眠りすることが、半々...。「二度寝するだなんておバカだなぁ。夜中起きたりしないで、ちゃんと朝までぐっすり眠ればいいのに」と自分でも年来うしろめたい思いがしていたのですが...。

 温冷浴は、1987年頃、寝たきり病人をしていたのですが、Dr.森山先生という方から個人的に勧められて、命を助けてもらい、全く新しい人生を歩み始めることができました。最初うかがったときは、病人に、真水とお湯を交互に次々と浴びてみては、だなんて、正気の沙汰とは思えないお話でした。命のご恩返しもできないまま...。でも生きながらえることができています。

 深夜に起きるのは、高校時代以来の悪いクセがずっと続いているようで、罪悪感。下校帰宅すると眠くて寝ちゃう...。起きてお勉強(してるのかしてないのか...)。明け方は眠くて、また寝ちゃったり、明け方フラフラになりながら大学や仕事に通ったことがしばしば。ですが、こんな無駄な人生を送ってしまった後、だいぶ最近の2016年頃に、驚くべき発見をしました;

 ただの「読書」の対象に、大学入試の英文を読んでいたら、2015年の東工大前期入試に、「中世ヨーロッパの村人にとって、夜のとばりが降りる兆しは、極めて恐るべきもので、今日の私達には想像もつかないほどだ」で始まる英文が...。別にショッキングでも何でもない始まりだったのですが、そのまま読み続けてみました。

 今日は、そのごくごく最初の部分を、拙訳意訳にて要約すると;

中世ヨーロッパの村人にとって、夜は、今では想像できないほど恐ろしいものだった。日没の気配をちらりとでも感じると、農民たちは夜に施錠される前に、競うように都市の城壁の中に入ろうした。 手際よくなかった者は、強盗、オオカミ、隅々に潜む幽霊や悪魔を避けながら、(門を閉じられた城外の)荒野の暗い時間を一人で生き延びなければならなかった。

都市だってそう安全ではない。 もしあなたが夜の路上にいようものなら、出会う者は皆あなたに対して、奪うか殺すかいずれかだと思う方がまともだ。

日没後は、バージニア工科大学の歴史家ロジャー・イーカーチによると、恐怖が最も大きく、気性が最も短く、視力が最も弱まると、あらゆる種類の衝突が容易に起こった。 夜の歴史に関する研究によると、使用人が脇の下を刺し合ったり、商人がロンドンの路上で隣人と剣で戦いを始めたりする話などが見い出された。こういった話すべては、日没後の生活ではごくありふれたことだ。

他方、中世ヨーロッパの夜の時間には、独自の文化があった。 日中は誇りを持って自活していた町の民は、暗闇の夜になると門限に従い、文字通り家に閉じこもった。 星から時間と方向を知った。家にある明かりはといえば、(獣脂製の)悪臭と煙にいぶされる暗い蝋燭だけだ。

イーカーチが、それでも、1980 年代から 1990 年代にかけて、夜に関する手がかりを探すために古い羊皮紙をめくりながら研究をしていた際、彼を困惑させる何かがある...。 彼は、睡眠に関して、奇妙な言及に、ずっと気づかされ続けた。

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 ひとまずココまでにします。入試問題本文は15,000語ほどに及びます。上はその10分の1くらいの1500語程度をまとめたものです。とはいえ「明日は残り全部和訳」なんてつもりはナイです。和訳は同じ程度にします。

  この入試問題を全部読んでからの話ではありますが、後からワカったのですが、この歴史家Ekirchの読みは、翻訳本が2015年に出版されていましたので、そのとおり表記します。この研究者の本を買いたくなり、英文では私には手強くてムリそうなので、翻訳を探すと、500ページにおよぶ厚い翻訳本でした。書店で立ち読みして、うんざり...。

  その話と、肝心の睡眠の話は、また明日(;^^w

2024/03/09

■ なおす - 下回り防錆塗装

※ 初代NA型(1989年)に比べるとこのND型は、アンダーカバー類が多くなり作業性は悪くなったのですが、他のメリットが大きいです。

下回りの防錆塗装をしてもらいました。

  F. Garageさんにお願いしました。除雪機オーバーホールをお願いした模様は、2023-11-7ご参照。

  下回りをじっくり見たいと思って、作業を見学させてもらいました...作業する人にとっては猛烈な邪魔なのですが...。マスキング終了後の噴霧作業開始から途中まで拝見したのですが、超微細な細部にわたって、想像を絶する丁寧さで、防錆剤Noxudol900を噴霧します。

   2時間ほど拝見しました。作業の半分程度を拝見した感じでしょうか...。たいへんな作業をお願いしてしまった気がします。クルマのあらゆる構造を細かく理解していないとできない作業です。F. Garageさんに、レアな車両のコアな熱いオーナーが県内外からぎっしり詰めかける根拠を、今日もまた、痛いほど実感しました。

   今日の画像は見ていて意味不明、という方、ごめんなさい。


※ 初代の1989年以来一貫しているパワープラントフレーム構造。でも初代に比べると、剛性の高さはもう雲泥の差です。

2024/03/08

■ なおす - 倉庫整理


今朝はー7℃でした。日中2℃。うぅ寒い。2月中旬の春の陽気に気が緩んだ直後だけに、コタえます。

 それでも、永遠に続く倉庫整理作業を少しずつ...。2/21の続きです。

 ひとまず、ツール・チェスト&キャビに工具類は整理完了。パーツや部材も収穫カゴに、ジャンル別に整理完了...って、いつも1年後にはカオス。来年もどうせ...、いや、でも、整理完了直後は満足です...。

 あとは、どれだけ勇気を奮って、パーツや部材など数年間使用していないものを処分できるか、です。今年こそ...って来年もどうせ...、などと言わず、やってみよう(独り言です)。

 ついでに床にモップ掛けも。親が50年以上前につくった倉庫の床は、通常のコンクリートじゃなくて、「カラークリート」を奢っています。一般になじみはないかもしれませんが、自動車整備場などの緑色の床を思い出してもらえれば...。「床に塗装」したのとは違います。コンクリート打設後、固まり始めるあたりに、表面のセメントノロ(ペースト)に顔料を練り込むという工法で、表層が着色可能です。剥離や摩耗がほとんど無く、中性化して腐食粉末化する運命のコンクリートに比べると、経年劣化が全く無いといっていいんじゃないでしょうか。ガレージラインテープもピタっと強く粘着するし、雪や泥や小石でベチャベチャのクルマを出し入れしても、50年経った今もツルピカの表面を保っています。

 と、ボロ倉庫の古い床に見とれているヤツもどうかしています...。氷点下の倉庫内で、脳の機能が停止しかけているかもしれません。歯の根が合わなくなり手足の感覚が無くなってきました。シャワーで温まることにします。

2024/03/07

■ まなぶ - 口ごたえ - 大学入試センター試験本試験 1994年 - 英語第2問B


知人Pさんが「息子pが口ごたえして困る。中3の受験のプレッシャーと反抗期は重なるものだよなぁ」と、ご夫婦で悩みをかかえていらっしゃるようでした。

「小さなことで母親に突っかかってくる。暗くなってから帰ってくるし、部屋は片付けないし、勉強しろと言ってももちろんしないし...。」

 「う~ん、ボクはどちらの味方にもなれないし、何もアドバイスなんかできないですぅ。そういえば、こういうお父さん(Qさん)がいましたよ。彼Qさんが娘qさんに勉強しろと言ったら、娘qさんは『そんなコト、親がただ口先で言うだけって、説得力がないんだよね』と返されて、ほとほとあきれたと、打ち明けてくれたんです。

  そこで、ボクは、『お父さん(Qさん)あなた自身も職場でいろんな資格試験が次々とあって、お休みの日はどうしても勉強なさるんだったら、自宅で別々の勉強部屋にこもって二人むっつり重苦しく勉強するのもいいんですが、いっそのこと、娘 qさんを、どっか別な市の大きな図書館に誘って二人で勉強してみてはいかが? 帰りの集合時間だけ決めて、お互い見えないところで勉強するのも、気分が変わって楽しそうですよ』と、無責任な放言をしてしまいました。

  …数週間して、Qさんからメールをもらい、『娘qが、また図書館に行こう、と言ってくれた。ドライブもおしゃべりもできてうれしい!感激!!』だそうで。」

   Pさんは、「ふぅん、それはうらやましい話だナ。」と。なんだかさびしそう。Pさんの息子pくんは、それなりに知的な関心があるヒトだったので、その次にPさんに会ったときに、「鉛筆;Hi-Uni 10B」を「コレ、息子pくんにどうぞ」と、(たった)1本、細い封筒に入れて、さしあげました。昨年10月の話です(2023/11/1ご参照)。

  その後、Pさん父子のやりとりは不明ですが、pくんは私に負けじと10Bを使い切ったそうです。先日、遠い県外の有名私立高校に合格し、進学し寄宿生活をすることにしたそうです。親は喜びと不安が半々...。そんな親心も知らず、本人はやはり、反抗するわけじゃないけど、県立高校受験で苦しむ同級生たちに秘密で、チョっと首都圏のアミューズメントパークへ...(;^^A 本人pクンによると、私立は合格後の春休みの宿題が恐ろしそうだし、入学後のお勉強もスゴそうなので、行くなら今後3年間でイマしかない、次は大学合格時しかチャンスはないんだと、父Pさんに主張なさったそうで...。

  なんと、私に、と、おみやげの「ジェットストリーム4+1」を (画像)。「Hi-Uni 10Bのお返しです。アレは画期的でした。おっしゃるとおり、アレで英語教科書本文を書く練習をしてみました。ジェットストリームは何本もお持ちでしょうが、何本あってもよいのではないかと...」と大人びた説得力を持っていました(;;^^A…お気づかいありがとうございます(なんだか上司にでもいただきものをした気分です。実は全く同じ物を、何年も前にもらったことがあるんですが、彼の言う通り、何本あってもうれしいです)。

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  大学入試センター試験ではあるものの、脱力感に満ちたのどかな話でも。なんだか中学生向けの英検3級みたいな話題とレベルですが、ま、簡単な問題だってセンター試験にはちゃんとあるんです!...え?

[  ]に、下の①~④から1ツ選びます。和訳は拙訳です;

問3

A: Why are you late?

B: [    ]

A: I told you to be home by 5:00.  What happened?

B: I forgot.

    1. I don’t think so.

    2. I lost my watch.

    3. It’s already 6 o’clock.

    4. It’s only 6 o’clock.


 1. を選んでみましょう。

    A: どうして遅れたの?

    B: 遅れただなんて思っていないけど。

    A: 5時までには帰宅するように言ったでしょう。何があったの?

    B: 忘れてたんだ。

    … 時刻解釈に関して、管理当局との見解の相違があるようですね。


 2. を選んでみましょう。

    A: どうして遅れたの?

    B: 時計をなくしたんだ。

    A: 5時までには帰宅するように言ったでしょう。何があったの?

    B: 忘れてたんだ。

    … 遅れたのはアクシデントにもとづく不可抗力だったのですね。その割には最後に忘却をうっかり自白していたりして。


 3. を選んでみましょう。

    A: どうして遅れたの?

    B: ほんと、もう6時だよね~。

    A: 5時までには帰宅するように言ったでしょう。何があったの?

    B: 忘れてたんですよ。

    … 自分も、責める側に回ったわけですね。なかなか狡猾で強気です。


■ 4. を選んでみましょう。

    A: どうして遅れたの?

    B: まだ6時でしょ。

    A: 5時までには帰宅するように言ったでしょう。何があったの?

    B: 忘れてたんだよ。

    … 見事な開き直りですね。これを正解にしましょう(;^^d


■ こういう話題を出題するとは、出題者も同じ悩みを持っていたにちがいありません...。

2024/03/06

■ なおす - ゆるくかるく書いています


「その後、手首や指の腱鞘炎は無事なの? (1/23)」

「うん、万年筆はおやすみしてぜんぶインクを抜いて、いまはこのペンを、ゆるい気持ちで、かきすすめられそうだよ。」

「それ、ガリガリしたりしないの? 使い続けられるものなのかい?」

「たぶん、それは力や角度が...。ちからをぬいたら、おもい描いたとおりの線が、すなおにあらわれるから、とてもいいよ。(2023/8/24)」

「ま、再発には気をつけて...」

「ありがとう。」

2024/03/05

■ あるく - 神山の闇龗神社


おとといの堺野沢溜池から3km程度、クルマなら4,5分、あるけば30分くらいの距離に、白鳥や雁が息う長橋溜池(3/3)があります。

 軽トラで外出する用事があったので、足をのばして、やはりヒトの踏み跡のなさそうな場所を少し歩きたくなりました。

 長橋の大ため池を見下ろすように、闇龗神社(くらおかみじんじゃ)があります。神社エンスーの方や地元のヒトでないとすぐには読めない名前です。

 となりの集落の「松の木の八幡さま(1/27)」(正式名称は「福岡八幡宮」)と同様、当然、私の子どもの頃からすでにあり、「神山(かみやま)の神社」と、やはり集落名で呼んでいたので、名前なんか気にしたことがなかったです。が、インターネットの時代になってから、神社エンスーの方々のウェブサイトで知るようになりました。


 津軽周辺の神社には「鬼コ」がいるので有名なのだそうです。門前に、左右2人います。トップ画像が右手に、上画像のガラスバリアに納まった人は左手に。さらにお一人が拝殿向拝に鎮座ましますのですが、今日は、人の踏み跡が全くないこの境内をあちこち歩き回るのはやめておきます。


 上の画像では、明神系鳥居が、一見、二列に見えます。右手が、笠木の下に島木を通した本殿ですが、左手には、金比羅神社の摂末社が境内社として存在しています。


 「松の木の八幡さま」同様、見事な黒松の御神木です。深く呼吸して胸がすくような思い!維持してきた集落の皆さんには、頭が下がります。感謝の気持ちも同時に沸き起こります。

 「鬼コ」は、青いですネ。数年ごとに塗り替えて、赤鬼だったり緑鬼だったり黄鬼になっていた記憶もあります。また、御祭神は水を司る龍神だそうで、トップ画像の界隈には、夏から降雪までは、巨大な龍のような「虫コ」が横たえられているのですが、この時期は拝見できないようです。

 以上は、私にとっては幼少時から当たり前の光景ですが、…書いてて思うのですが、もしかしたら、けっこうコレらは津軽特有の特異な習俗という気がしてきました。

 今日は、ひんやりした空気を味わうために足をのばしただけですので、神社の紹介などは、いずれ興味と意欲と機会があったらにします。

 ひとまず、新雪に足跡をあまりつけないよう、拝殿よりずっと前で二礼二拍手一礼して戻ります。県立高校受験生の皆さん、今日はおつかれさま。受験を終えてこれをご覧の方が、受かりますように...、と祈っておきましたので、大丈夫です(こんなページを見る15歳など誰一人いなかったりしそうです...)。