■ ■ 穏やかな秋晴れが続くうちに、下流域の土手をあるきます。
■ ■ お住まいの温和な街で、あなたが深まる秋を楽しんでいる頃には、このあたりは凶暴な風が吹き荒れています。秋、冬、春と今後半年間毎日です。土手を二足歩行するなど正気の沙汰ではありません。
■ ■ とはいえ、今日は穏やか、なうえに、なにやら祭りの太鼓、囃子、小さい子どもたちが大きな声をあわせて和唱しているのが、土手の上をあるいていても聞こえます。
■ ■ ...と、前回の河川距離標R_12kポストのある桜づつみ公園に、今日は町の子ども園の送迎車輌が停まっています。
■ ■ これは集落のどこかでお祭りかと、土手の上から集落を見渡すと、音源らしいお社(やしろ)が目に止まりました。
■ ■ 子ども野次馬みたいな私のこととて、さっそく土手を降りて集落の中の神社まで。"岩木川河岸をあるいて..."の趣旨から逸れますが、しょせん"さんぽ"なんだから、いいではないですか。
■ ■ 遠目には屋根の形がお寺なんですが...? いや待て、でも鳥居があって、子どもたちが何か奉納しています。これは明治以前の、江戸時代から続く神仏混淆のお社ですね。かなり古い集落ですし。
■ ■ 帰ってから調べてみると、天台宗のお寺に、神社が合祀されていて、"十五夜大祭"だったようです。
■ ■ 農民階級の救済を旨として爆発的に広まった浄土宗のような鎌倉仏教ではなく、それ以前の平安仏教の天台宗とは...しかも近代的中央集権国家たる明治政府の強権的要求を頑として拒否した神仏習合ですか...。
■ ■ 単なる個人の推理ですが、大和朝廷の北進政策、坂上田村麻呂信仰、奥州藤原氏に代表される延暦寺様式の浸透など、津軽という最果ての地ではあれ、どの集落にも、予想を遥かに越える古く大きな日本の歴史の流れが現実に浸透しているんですねぇ。
■ ■ 私が無知なだけですが、無知であるがゆえに、これも今後、体系的に調べてあるきたいという楽しみが湧いてきた気がします。
■ ■ さて、本線にもどり、高い秋空、目に穏やかな色づいた田んぼを楽しみます。とはいえ、桜づつみ公園から、河川管理通路は、青森県道197号と合流し、車両の往来があります。でも対岸の県道43号よりははるかに少ないです。
■ ■ 大きな橋(神田橋)のたもとに、吉田松陰ゆかりの史跡"松陰渡し"記念碑があります。
■ ■ 今も松蔭の昔も、日本列島の喉元である津軽海峡を、大国の軍用艦船が我が物顔で堂々と通過するのは変わらないですネ(syn.→🔗9/22 )。彼も草葉の陰でいまだにカッカしていることでしょう。松陰周辺の幕末期の歴史の流れは、思い出すとつい、18歳日本史選択大学受験生だった血が一気に沸点に向かってしまいますが、今は穏やかな気分を保って河岸と秋空を楽しみます。
■ ■ 県道は橋のたもとで終了。また静かなこじんまりとした管理用通路に戻り、"R_14k"ポストを愉快に過ぎると...。
■ ■ "R_14.2k"ポストで舗装は終わり、草茫々の砂利道に...。"一級河川管理用通路"ではないことを意味します。正面奥の左から、別な川が合流してくる地点です。橋はないです。困った...。
■ ■ ずいぶん感情の起伏があった"お昼休みのさんぽ"でした...。でも、知っているつもりでいた、ふだん足を踏み入れることのない自分の郷土の地って、あるいてみるものですねぇ。






















