■ 「大晦日の落語」。何が思い浮かびますか。
■ 幾多あれど、大晦日の噺の両横綱は、上方・江戸問わず『掛け取り』。江戸落語では『芝濱』が、圧倒的存在感ですよネ。
■ 個人的には、上方落語にはただでさえ登場が珍しい「雪」が、まさに主役級と言える、大晦日のお寺での噺、桂米朝・永滝五郎の『除夜の雪』が、まったく特別な存在です。実によく考えられたマクラでリラックスした聴衆。その笑みが、あまりの恐ろしさと悲しさに、瞬間冷凍されるように凍りつき、寄席の場は、水を打ったような静けさのうちに、すっ...と短く終わります。"国宝"とうならされる名人芸...。
■ まぁそ~お堅いこと言うなよ、と思われているでしょうから、んじゃぁやっぱ、くつろげるお話を選ぶとして、大晦日の上方の庶民と大店(おおだな)の幸せ感溢れる『厄拂い』。
■ いつもの与太郎(チョイと頭のクギが一本抜けたニート君)に、ご隠居さんが、お小遣い稼ぎのアイディアを与えます。大晦日の「厄払い」です。
■ 昭和初期頃までは盛んだった習慣らしいです。現代日本には無くなった習慣でしょう。江戸時代最大の商業圏の大阪ならではかもしれないです。
■ 大晦日に、「厄、払いまひょか。」と、とりわけ験を担ぐ習わしの大店の店先に現れ、縁起の良い年越し文句を、軽妙な調子をつけて祈祷する、一種の売り子。店側では、番頭以下丁稚までが並んで調子〆め、ご祝儀にお金と節分豆の報酬を払い渡してやります。
■ その文句が:
"あーら、めでたやな、めでたやな。
めでたいことで払おなら、
鶴は千年、亀は万年、
浦島太郎は八千歳。
東方朔(とうぼうさく)は九千歳。
三浦の大助、百六つ。
かかるめでたき折からに、
いかなる悪魔が来ようとも、
この厄払いがひっとらえ、
西の海へサラリ、
厄払いまひょ。"
■ ご隠居さんが、与太郎に教えて暗記させようとするのですが、まぁどうしようもないです。与太郎は、すべてカナ書きしてもらったカンニングペーパー持参の状態で、商売に繰り出します。
■ その後の話のおもしろさは、いずれの噺家も、腕の見せ所でしょうか。
■ 桂米朝の昭和50年の録音では、まるっきり覚えていない与太郎が、あちこちの店で、しゃべることごとに、縁起の悪い単語を連発し、店の者に顰蹙をくらい、聞く私たちを笑わせます。
■ 最後に寄った大店。待ちかねた番頭が、与太郎を急かします:
与太「"う、うら、浦島太郎は"、...ここちょっと読みづらいなぁ、これカスレたぁる。ちょっとおたずねしますが..."浦島太郎は"、...なんでしたかいな」
番頭「何を言うてる。"浦島太郎は八千歳"じゃ!」
与太「あぁーそやそや。それから?」
番頭「東方朔は九千歳っ!」
与太「なるほど、で?」
番頭「三浦の大助百六つ!」
与太「そうそう。」
番頭「いかなる悪魔が来ようとも...」
与太「そやそや、違いない違いない。」
番頭「西の海へサラリ、厄払いましょうっ!」
与太「アハハ、アンタが払うとくれなはった、ほなさいなら。」
番頭「お、おいこらぁ。...人に払わして、行ってしまいよった、あの厄払い。」
旦那が登場「ハッハッハ、いやいやけっこうけっこう。番頭どん。うちの者が厄払うたのも、おもろいやないか。こっちゃぁ腹かかえて笑うとったがな。これでもう、毎年のご祝儀が済みました。さぁさぁ、これで目出とう休むことにひまひょ。」
番頭「旦さん、えらい急に雨が降ってきました。」
旦那「おう、急に雨が降ってきたなぁ。年越しの晩に雨が降るとは。」
番頭「旦さん、これはおめでとうございます。めでたいこってんねん。」
旦那「そうかえ?」
番頭「そうでんがな。急に雨が降ってきましたんや。
"降るは千年、雨は万年"でっせ。」
旦那「なるほど、こらぁ験のえぇことを言うてくれたな。
おや、おい、何をばたばたしとんねん。」
二番番頭「いや、降ってきましたんでな、裏の方の戸を閉めてきましたんで。
"裏閉めたるは八千歳"とは、どうでございます。」
旦那「はぁ、ようでけたな!」
三番番頭「わたしゃ、ほうぼうの戸を刺して(施錠して)きましたんで、
"ぼうぼうさすは九千歳"と。」
旦那「やぁ、これもうまいなぁ。おや権助、そんなところでブルブル震えてどないしたんや。」
権助「いやいや、
"みぶるいの権助、百六つ"でおます。」
旦那「アッハッハ、...」
■ という調子で、大店の店の者一同で、駄洒落た厄払いを次々に調子よくこなし、噺の落ちとしています。
■ 大晦日の夜は、落語をピリリと聞いて、充足感をもって眠りにつきたいです。