2023/03/31

■こわすつくる - 実家整理 - ガーデニング趣味の処分


■親が鉢やプランターで植物を育てていました。これを処分しなくてはならなくなりました。

■問題1) 鉢やプランター、上に生えている植物、土、の3つに分別して、別々に捨てる必要があります。鉢やプランターは、洗浄して乾燥させれば、鉢は「燃やせないごみ」、プランターは「プラ・リサイクルごみ」として自治体による収集処分が可能です。植物は抜いて切りそろえて乾燥させれば、「燃やせるごみ」です。

■問題2) 「園芸土」「家庭菜園の土」は、ゴミとしては自治体では収集処分しません。

■まず、問題1)の分別作業ですが、量にもよりますが、気が遠くなる作業です。

また、植物を生き物だと考えてしまうと、命を絶って解体するというぞっとするような行為だという意識も強いです。

これを、「草木」「土」「鉢/プランター」の、3種に解体し、分別して、それぞれを、草木は、洗浄して土を取り、切断して、しばる・鉢は、破壊して袋詰め、プランターは、洗浄しのこぎりで切断してプラスチックごみへ袋詰め、土は、袋詰めにする、という処分前のすべての準備作業は、家族があらかじめしておかなければならないです。永遠に終わらない汚れ作業では…と感じてしまいました。

■さらに大きな問題は、問題2)「土」の処分方法。

全国的に土は自治体収集ごみではない(首都圏のごく一部の自治体や首都圏のホームセンターは収集するようですが、量的にもほんの少量で、他のごみと混ぜる・同等品を購入するなどの制約や条件があります)。

また、他から持ち込まれた園芸土には、いかなる肥料・農薬・化学薬品、さらにはいかなる外来種が含まれているか、想像もできないことを考えると、もはや自然のものではなくて、危険度の高い廃棄物です。「野山に/自然に、戻してあげる」というのは美しいお話ですが、危険度の高い廃棄物を、自己所有地以外の、例えば山や川原や公園に投棄することはハッキリ違法です。

■調べていて感じたのですが、「廃棄物業者に有料で処分してもらう」の一択しかないのが現実です。

■「ガーデニング趣味」の最期は、常にこの問題の袋小路です...。

■で、意を決して廃棄物業者さんに画像添付のメールで問い合わせました。

■業者さんは、だいたいの金額を出してくれました。また、鉢やプランターから、植物や土を分離せずにそのままで引き取ること、ただし、客自身が処理工場に持ち込むこと、が条件で引き受けてくれるようです。ありがたい、と感じました。この際、費用は喜んで出すつもりです。

■今回は、量的には、600kg程度でした。軽トラに一層を平積みした状態(チョット重ねたけど)で2往復しました。なお、軽トラの最大積載量は350kgです。運転していて、さすがに重くて、発進しづらく、曲がりづらく、ブレーキが効きづらく、荷崩れに怯えて、ほんとうに怖い思いをしました。

■業者さんの処分場では、作業していた若者5人が作業を中断してこちらの軽トラの鉢植えを次々と降ろしてくれ、半日かけて積載した鉢植えを、ものの2,3分で降ろし終えました。皆さん実に礼儀正しく和やかで、当方で困っている「実家処分作業」に配慮してくれて、感激。

■費用は思ったよりずっと安くつきました。理由としては、軽トラで持ち込むことができた、いなかの相場だ、といったところでしょうか。さらに、廃棄物業者さんに連絡したあとに気づいたのですが、知人がお勤めだったので、話が円滑で、同じ金額を支払うのであっても、恐怖感が遠のき、心理的障壁が大いに軽くなりました。やれやれ。

2023/03/30

■あるく - 巌鬼山神社



また「巌鬼山神社」に。季節ごとに重ねて足が向くポイントってあります。

拝殿本殿を取り囲むように、樹齢推定1,000年(案内板による)の杉がそびえています。2本が威圧感に満ちた神々しい色と枝ぶりですが、他の杉木立と併せ、周辺は圧倒的な存在感の杉の森となっています。

砂利道や雪道もありますので、靴は汚れますが、予想してあらかじめ登山用の靴で。

冬の間は、弱弱しい日の光だったのが、いつの間にか日差しに勢いがあります。まだまだ、はく息は白く、森は静か。


2023/03/29

■こわすつくる - 実家整理 - 家がゴミの山に

 


■「捨てる」「捨てない」の選択ができたら、「捨てる」ものは「分別」して、自力で捨てられそうなサイズのごみは袋詰めします。

■が、1. 「捨てる」と判断した物でも、長年見慣れた道具や何年かぶりに再開した道具を、「わし掴みにして破壊してごみにする」ことはなかなかしづらいのが人情。

■また、2. 分別して袋詰めにしたあとはそれを置く広大な場所が必要だと気づきますが、無理がある話です。

■住み慣れた見慣れた自宅が、悲惨で壮絶な状況になり、大きく傷つく…。思春期までの子や老いた家族には見てもらいたくない光景が次々と広がっていくと思います。「before-after」だけの画像なら、大いに喜んでもらえそうですが、途中の光景は見せるべきではないでしょう。この点は、これを読む方で同じ状況に入ろうとする方は、事前にじゅうぶん配慮することをすすめたいです。

2023/03/28

■あるく - りんご畑 - 十腰内



早春のりんご畑に、あいかわらず、足が向きます。

画像で、木の幹の根もとの雪融けが早いことを「根開き」と言うんだそうです(この辺ではあまり聞かない言い方ですが)。この時期にはもう農家はりんごの木の剪定を始めています。画像には、剪定後の枝がきれいにまとめられています。見知らぬ方の畑のようすですが、どの畑も同じです。農家の勤勉さには、ほんとうに頭の下がる思いです。

剪定枝は、まず切った木の周辺にまとめ、次に畑の一定エリアのものをまとめ、一定の太さになるように切断するようです(私は農家でないし、誰かかからそう聞いたわけでもなく、あるいていて拝見して推理しているだけです)。

さて、問題は、剪定後のその切断済みの枝をどう処理するかです。

ベストなのは、たい肥化するために、加工業者にそのまま引き渡すことです。これは、環境的にも国民経済理論的にもベストです。他方で、農家には、大きな費用負担と作業負担を要求します。実行している農家は稀だと思います。

次に、切ったそばから焼却処理することです。これは「野焼き」の一種です。

「野焼き」は、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」で原則として禁止されています。産業廃棄物や一般の人の不要物の野焼きの場合は、違法です。が、「例外的に」農家のする稲わらや剪定枝などの野焼きは、「必要最小限度であるかぎり」違法性を阻却されます。いやもしかして違法性阻却事由ではなくて、「稲わらや剪定枝を燃やしている」という客観的事実があれば、そもそも構成要件に該当しないのかもしれません。そんなことはしかし、読む人には興味のない話でごめんなさい。

いずれにしても「剪定枝の野焼き」は、農家vs街に住む非農家との認識の乖離や利害関係がからんで、間に入る行政機関の頭痛の種のようです。

私個人は、農家ではないのですが、祖父やおじや知人たちがりんご農家です。

みな、「剪定枝は、燃やして灰をすき込むもの」。化学的機序に裏付けされた長年の経験が、りんご農家の常識となっています。周辺のどのりんご農家もそうです(燃やしっぱなしの農家も多いですが)。

亡くなった祖父は、さらに、「面倒だが切りそろえて(これが見返りのない重労働)、薪ストーブで焚く。灰がたまれば、畑の小屋に運んで置いて、時期を見て散布」。

おじや知人たちに、薪ストーブを使用している人が多いです(8月下旬から翌6月まで必要な家庭の暖房です)。今流行りのオシャレな鋳鉄製でなくて、昭和の古くてさびて煤けたトタン板製です。

さらに祖父の自説;「自分は貧しい百姓だし難しい理屈はわからないが、畑で剪定枝を焼いて、家で石油を焚くのは矛盾していないか?」

この点も地元で議論があり価値観が分かれるところです。祖父のいた実家に同居する叔父の妻(私にとっては叔母)によると、「薪(ストーブ)を使うと一年中薪の心配をして薪を切ってばかり。この作業は本当に重労働で危険で大変だ。剪定枝が(他の時期の間伐材等に比べて)いちばん細かくて面倒だ。しかも、今どきFFヒーターを使っていない家は、古い家で貧しそうで外聞が悪いんだけど…」

私はといえば、幼少の頃から、祖父の家の、からだの芯からぞんぶんに暖かくてふんだんに湯が沸く『りんごの木の薪ストーブ』が羨ましくて…(^^。高校のとき、特に寒さに震えながら大学受験の勉強をしていた夜など羨ましさがピーク!自分の部屋の寒々しい反射式石油ストーブを横目に、父親に「祖父の実家に下宿したい…」と言ったら、一喝却下されました(;^^A

薪ストーブの運用のたいへんさ、いや、農家のたいへんさや過酷さも知らず、下宿などという他人様への迷惑にも考え至らず、お気楽な幸せな18歳だったんです。

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あるきながら、いろんな人たちへの切ない思いや後悔がこみあげてくることが多いです。祈りながらあるいている...それも、こころが洗われる気がして、むしろ落ち着いた気持ちになる貴重なひとときです。

2023/03/27

■こわすつくる - 実家整理 - 残置物処分に着手


■作業は、まずは「捨てるか残すか=把握と分別」です。

■「残す」ものをひとまず決めて取り除けたとして、「捨てる」段階の話;

■1-i) 自分で解体処分できる物→軽トラで処分場へor自治体のごみ収集へ

■1-ii) 解体も持ち上げるのもムリな物→業者へ

■2-1) 上の1-i)を、ごみ収集の自治体独自の分別ルールに基づいて分別←今ココ

■整理の段取りの発想は単純ですが、量が...。明治以来の物が大量に...。

■画像は、実家2階に、分別しようとしてひとまず出してみたところ。

■ここいらで初めて、量の膨大さ、「自分でやろう」との発想の無知無謀さに気づきます。1ツ整理すれば関連する作業が2ツ発生します。作業をすればするほど新たな作業が増えます。

■「たいへんな作業だ・永遠に終わらないのではないか」と実感し、「投げ出したい」「業者に何万円払ってもいい、もう」と頭を抱えます。経験者なら「あたりまえでしょう」と笑うでしょうが、経験しなければわからないことでした...。

2023/03/26

■あるく-「冬季閉鎖農道」の開通前




画像の中央上部は、切通しの道路です。まるで「ミニ氷河地形」みたいです。農道で冬期閉鎖道路なので、まったく除雪していないというわけです。画像の右側車線は、雪解け水で小川のような様相。

水量豊富な早春の明るい流れを見たり水音を聞いたりするのが、実に心地良いです。

農家の剪定作業が春先から始まるので、市町村自治体による除雪は、往来がある畑直通の農道(たとえば画面右端)を先に除雪し、徐々に除雪する農道を広げていくようです。


画像の中央車線のある広い道は、丘陵地帯の直線路で、ジェットコースターのような道です。農家以外の業種の用途でも個人的なドライブでも、景色良く速く楽しい道で、冬期閉鎖解除が待ち遠しい人も地元に多いことでしょう。私もその一人です。

2023/03/25

■こわすつくる - 実家整理 - 実家を解体処分することに



■親の実家を整理しています。その過程をリアルタイムで。

■2023/3/1に、母が介護系施設に入り、実家は空き家に。

■昭和43年築のこの実家のあちこちに不具合。除雪作業の気が遠くなるようなたいへんさ。多額の費用をかけて修理して、引き続き夜明け前に命を危険にさらして除雪作業をして、80半ばの母がさらに一人暮らしで住み続けるかというと…。

■私たち兄弟で話し合い、母の了解も得て、解体処分することになりました。

■急な展開となった話なので、みな右往左往。そのようすを書き留めていこうかなと思います。

2023/03/24

■きく - バッハ:無伴奏チェロ組曲 4番 変ホ長調BWV1010; 5曲目(ブレII(Bourée II))

 



< ヨー・ヨー・マ(Ma;1998) & ピーター・ウィスペルウェイ(Wispelwey;2012) >

■ 10年ごとの巨大な衝撃の出会いが、あったかも。 Peter Wispelweyのバッハ無伴奏チェロ組曲。 ウワァっと仰天するようなこんな新しい解釈がまだあったとは...。 グールドの2度のゴルトベルクや内田のモーツァルトと同じ、圧倒的な衝撃でした。

■ 「無伴奏チェロ組曲」を、人生初めて知ったのは、 カザルス38年盤。昔1970年代にFMエアチェックした(死語か?…)機会でした。 哲学的思索のような難解さがあって、腕組みをして顔をしかめて、 一人うなってきく音楽でした。 録音品質の低さもあるのでしょう、 弦にフラジョレット倍音が乗った音が頻繁にきこえる気がして 息詰るような印象が、今でもあります。

■ 大学生の頃になって、Maの83年盤に触れ、 なんて明るい・快速・スムーズ・楽天的・天衣無縫…という、 出会った時の印象が今でも一気に混然となって彷彿とします。

■ さて、今くらべてみたいのが、4番のブレです。 4番自体、全6曲のうちでも、華々しさに乏しく印象が薄い曲かもしれないのですが、あえて。

■ 4拍リズム(2分の2拍子)中に4連符で高低差のあるda Capo付の 50小節余りあるやや長めのブレIのあと、 すぐ4拍の穏やかな楽譜進行をもつ10小節余りの短いブレIIに入るのですが、 Ma;1998は、ブレIIを、「安らぎ」と解してゆったりと運びます。 ブレIで、やや激しい4連符で酔いそうになるくらい翻弄された後の、 ゆりかごのゆらぎ、とでも言いあらわしたいような、 肩のちからが、ふっとぬけた、明るく暖かくゆるやかな気持ちに替わります。

■ マイスキー盤は、新旧両録音とも、この解釈を主観的に(恣意的に?)敷衍したものではないかなと思います。


■ Ma;83の、組曲1番の冒頭の前奏曲は、その天国的な美しさで、 テレビCFで爆発的に有名となったそうです (私はTV番組というものを12歳の頃からここ50年ほどみたことがありません…すみません)。 バッハ無伴奏チェロ組曲を初めてきこうかなというのであれば、 Ma盤を薦めたいですよね。83でも98でも。 この点(だけ)は、これをご覧のあなたも賛成してくれると思います。

■ 他方、Wispelwey;2012は、6つの組曲全体にわたってたいへん速いペースで、 人によっては「荒い」「前のめりだ」という印象も受けそうです。 Maの演奏と比べると、Wispelwey盤について、 1番プレリュードを聞いていきなりそれ以上聞くのをやめる人もいるかもしれません…。

■ 4番ブレIも、Maよりもちろん速い。

■ が、ブレIIに入って仰天したのですが、ここのシンコペーションリズムを、 Maのような「ゆりかごの安らぎ」とは対極の、 「前に進む強い意志」を感じさせるように弾き進めているのです。

■ WispelweyのブレIもブレIIも速い。 「だったら、息をつくひまもないではないか」「せわしない一本調子か」ということにはならなくて、 両曲とも、たしかにシンコペーション様のリズムを生き生きと突き進むのですが、 その歩み方の「質」が、彼の場合、違います。 ブレIは、まるで呼吸と腕振りを大きくして歩くみたいだけど、 ブレIIは、気を取り直して、先を急ぐにしても、息を静かに整え、 強い意志で、確実に、踏みしめて前進するような思いです。

■ 初めてこのCDをきいていたときは、行儀悪く、机に向かってものを書きながらだったのですが、 4番ブレIIが耳に入った瞬間に、目を見開いて息を止め、紙の上で手が凍りつきました…。 な、なんだ、この歩み方は、という思いでした。

■ ジャケット写真から同世代と思われるこの方は、多感な十代を、70年代ヨーロッパで古楽器演奏の第一波に洗われ、これと葛藤しつつ音楽教育を受け、ピリオド奏法・ノンヴィヴラート・ボウイングの音圧が穹窿をなすようなメッサ・ディ・ヴォーチェを、生きるのに必要な空気として呼吸して成長したのかもしれない、と、想像をふくらませてしまいます(ぜんぶ想像です)。

■ バッハの6曲を貫く構造を把握し、技巧を磨き、このようなまったく独自の音の構築物を現実のものとしてさし示してくれるのに、いったい何年かかったのでしょう。30年? 50年? ...この方の人生に、畏敬の気持ちがふつふつと溢れてきます。

2023/03/23

■あるく - 巌鬼山神社




■ 
岩木山麓に「巌鬼山神社」があります。境内はほぼすべて斜面で、冬の間は降雪が多くて境内を歩くのが困難です(除雪が追いつかないようすです。たいへんごくろうさまです)。

■ でも、もうだいぶ雪も融けて、歩ける足場を見つけながら参拝できるようになりました。じゃけた水浸しの参道。周囲よりもキンとした寒さと緊張感と、また再び春が巡ってきてくれたうれしさとで、うき足だってしまいます。

■ 手水鉢もあり、湧水も、龍の口から豊富に吐き出され、お清めの本来の用途の他に、飲んでもおいしいです。

■ このような心洗われる場所を、周辺のりんご畑の道と合わせて、春も秋も、一人静かにあるくことができる幸せ!

2023/03/22

■きく - 音楽;こんなふうに、きいて、かきます



■ 小学高学年の頃から、いわゆるクラシック音楽を一人できき始めて、ここ半世紀ほど、きいています(^^

と言っても、音楽は学校以外で習ったことはなく、家族にこの種の音楽をきく者は絶無、楽器のレッスン経験も絶無です。小学5年か6年の音楽の教科書を見て一人で半ば冗談できき始めました。そのまま今もそうです。

■ 音楽界に詳しいわけでもなく、演奏している人のことは、LPやCDに書いてある名前しかわかりません。

楽曲解説や演奏家の経歴は、ジャケット解説に書いてあるのですが、

小中高校生の頃は、クラシックLPの解説は難解な上に、字が細かく、よむ気力が起こらず、

東京で大学生活をして、LPやCDは値段の点で輸入盤だけしか買わなくなったせいで、解説は外国語だからよむ能力がなく…。

■ 輸入盤のCDやLPに表記してある演奏家の名前のアルファベトって、どうカタカナ表記するかわかりませんので、多少ヘンです。この点ご勘弁を…。

■ だから、「この演奏家は」、「何年生まれのベテランで/若手で」「何歳でナントカ・コンクールに入賞した優秀な人で…」「有名なカントカに師事して認められた優秀な人で…」「先日の演奏会で披露した端麗な容姿と壮麗な演奏は…」など、音楽界の華やかな世界は、私にとっては、この世ならぬ彼岸の話題なのでして、まったくの無知・無前提で、LPやCDの音だけをきいてきました。この点もどうぞご容赦を…。

■ また、たまにカッコつけて、欧米語を引用するのですが(“引用”だけであって、私が欧米語で語る…ことができる…はずがありません)、ウムラォトもアクサンもトレマもセディユも、変換する能力がないので、ウムラォトはeの追加で、エスツェットはssで、フランス語系の特殊文字は無視ってことで(なんて乱暴な)…。

■ 「じゃあ引用しなければよいではないか」という考えもあります。それは、まあ、『烏賊の墨を吐き、ベランメーの刺物を見せ、苦沙弥先生が羅甸語を弄する類と同じ』で、ちょっとつじつまがあわなくなったときに不意をついて読む人がひるんだすきに逃げ出そうという意図です…。この点もまた、生温かい目で見逃してやってください…。

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■ きいてきた中で、印象深かったものを、思いつく順に書いていこうかなと思います。

■ 1曲全体の感想をのべるなんて、能力に余る作業なので、1曲のうちのごく一部を、2つ3つの演奏をきき比べて、それでやっと違いがわかってくる…というききかたとかきかたで、進んでいこうと思います。

2023/03/21

■あるく - りんご畑 - 十腰内



りんご畑の農道。岩木山麓、十腰内(とごしない;弘前市)地区です。

この津軽のいろんな場所いろんな季節のりんご畑から見えるいろんな岩木山の表情。自分がどこにいても何十年も脳裏に浮かんできた、言ってみれば心の奥にある原風景です。

私は農家ではなくて、あるくためだけに、りんご畑の間を縫うこの道を通らせてもらっています。

「健康のためには毎日8000歩程度がよい」そうですが、心身とも軟弱な私の場合、ムリなくいこうかなと思います。

気持ちをいきいきと上向かせるためにあるくんですが、そんな風景も併せて日記にとどめようかなと思います。

画像の赤白のポールは大きな柱みたいに見えますが、人の背より低い高さで、農道(弘前市道)と畑の境界を表す除雪車用の目印。スマホのカメラを足首くらいの位置に構えて撮りました。

雪解けの水が、さらさらと、たまにざぁざぁと、道にあふれるように流れていて、目にも耳にも脳にも気持ちよいです。

早春の津軽地方のりんご畑。散歩がいちばん心楽しい時期です。