2023/03/28

■あるく - りんご畑 - 十腰内



早春のりんご畑に、あいかわらず、足が向きます。

画像で、木の幹の根もとの雪融けが早いことを「根開き」と言うんだそうです(この辺ではあまり聞かない言い方ですが)。この時期にはもう農家はりんごの木の剪定を始めています。画像には、剪定後の枝がきれいにまとめられています。見知らぬ方の畑のようすですが、どの畑も同じです。農家の勤勉さには、ほんとうに頭の下がる思いです。

剪定枝は、まず切った木の周辺にまとめ、次に畑の一定エリアのものをまとめ、一定の太さになるように切断するようです(私は農家でないし、誰かかからそう聞いたわけでもなく、あるいていて拝見して推理しているだけです)。

さて、問題は、剪定後のその切断済みの枝をどう処理するかです。

ベストなのは、たい肥化するために、加工業者にそのまま引き渡すことです。これは、環境的にも国民経済理論的にもベストです。他方で、農家には、大きな費用負担と作業負担を要求します。実行している農家は稀だと思います。

次に、切ったそばから焼却処理することです。これは「野焼き」の一種です。

「野焼き」は、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」で原則として禁止されています。産業廃棄物や一般の人の不要物の野焼きの場合は、違法です。が、「例外的に」農家のする稲わらや剪定枝などの野焼きは、「必要最小限度であるかぎり」違法性を阻却されます。いやもしかして違法性阻却事由ではなくて、「稲わらや剪定枝を燃やしている」という客観的事実があれば、そもそも構成要件に該当しないのかもしれません。そんなことはしかし、読む人には興味のない話でごめんなさい。

いずれにしても「剪定枝の野焼き」は、農家vs街に住む非農家との認識の乖離や利害関係がからんで、間に入る行政機関の頭痛の種のようです。

私個人は、農家ではないのですが、祖父やおじや知人たちがりんご農家です。

みな、「剪定枝は、燃やして灰をすき込むもの」。化学的機序に裏付けされた長年の経験が、りんご農家の常識となっています。周辺のどのりんご農家もそうです(燃やしっぱなしの農家も多いですが)。

亡くなった祖父は、さらに、「面倒だが切りそろえて(これが見返りのない重労働)、薪ストーブで焚く。灰がたまれば、畑の小屋に運んで置いて、時期を見て散布」。

おじや知人たちに、薪ストーブを使用している人が多いです(8月下旬から翌6月まで必要な家庭の暖房です)。今流行りのオシャレな鋳鉄製でなくて、昭和の古くてさびて煤けたトタン板製です。

さらに祖父の自説;「自分は貧しい百姓だし難しい理屈はわからないが、畑で剪定枝を焼いて、家で石油を焚くのは矛盾していないか?」

この点も地元で議論があり価値観が分かれるところです。祖父のいた実家に同居する叔父の妻(私にとっては叔母)によると、「薪(ストーブ)を使うと一年中薪の心配をして薪を切ってばかり。この作業は本当に重労働で危険で大変だ。剪定枝が(他の時期の間伐材等に比べて)いちばん細かくて面倒だ。しかも、今どきFFヒーターを使っていない家は、古い家で貧しそうで外聞が悪いんだけど…」

私はといえば、幼少の頃から、祖父の家の、からだの芯からぞんぶんに暖かくてふんだんに湯が沸く『りんごの木の薪ストーブ』が羨ましくて…(^^。高校のとき、特に寒さに震えながら大学受験の勉強をしていた夜など羨ましさがピーク!自分の部屋の寒々しい反射式石油ストーブを横目に、父親に「祖父の実家に下宿したい…」と言ったら、一喝却下されました(;^^A

薪ストーブの運用のたいへんさ、いや、農家のたいへんさや過酷さも知らず、下宿などという他人様への迷惑にも考え至らず、お気楽な幸せな18歳だったんです。

---...---...---

あるきながら、いろんな人たちへの切ない思いや後悔がこみあげてくることが多いです。祈りながらあるいている...それも、こころが洗われる気がして、むしろ落ち着いた気持ちになる貴重なひとときです。