2023/07/31

■ まなぶ - タイプライターの話 2 - Olivetti Lettera DL



※ Olivetti Lettera DL

タイプライターについて、おととい書きながら40年ぶりにいろいろと思い出した話が。うち1つを。

1981年春、大学1年の頃、もちろんPCもワープロもインターネットもない時代の話です。あのシルバー編機製英文タイプライターを実家に送り返して、で、ドイツ語専用タイプライターを購入することに…、と書きました。

東京に上京してほんの1か月くらい。右も左もわからないまま、週6日毎朝死にそうな思いでドイツ語のキツい大学の授業が始まりました(ただの甘えです)。1週間でくじけそうです。英文タイプライターではドイツ語に使いづらい、ドイツ語タイプライターは、やはりあれば便利、いや必要、と思い詰めて、大学の購買部や新宿の紀伊国屋書店やヨドバシなどカメラ店(当時ヨドバシはありましたが、BICカメラはできたばかり、という記憶があります。どうでもいいか)を見ましたが、ドイツ語配列なんて無いよと、細かいオタク客は相手にされず。

調べると、タイプライター専門店が東京にはたくさんあり、各国語配列を受注生産で用意してくれるそうです。国産製品ではなく、主にイタリアのオリベッティ(Olivetti)社製です。いちばん安い機種でよいので、調べ、その金額を握りしめて、御茶ノ水の専門店に行ってみました。中央線の駅から明治大学側に降りて少し歩くだけで坂は下りなかったと記憶していますが、今お店は無いようです。

いかにも昭和の事務所みたいな老舗風の店舗でしたが、機械室に入ったかのようなメカメカした高級機が狭い店舗の上下にズラリ。お店のおじさんたち(なぜかみんなおじさんたちで一家言ありそうな雰囲気だった)が、じろりとこちらを見ます。

私「あの、ド、ドイツ語のタイプライターが欲しいんですが(専門家を前に、恐怖感と、いなか者というコンプレックスが満載です)...。」

店の年輩のおじさん「学生さん? タイプは初めて? あそう、英文の機械式は使ってるの。何に使うの? 大学の授業? どこの大学? …じゃ、ちょっとコレ、打ってみて。」

 口頭試問と実技試験があるとは思いませんでした…。

シルバー編機の低グレード品しか見たことがない私に、巨大な業務用(?)みたいな黒光りした手動式マシンが指で示され、ビビりましたが、紙ははさんであるし、椅子にかけて、手近な英単語(その製品名か何か)を打ち始めた瞬間、「あ、いいよ、わかった。あなたね、電動にしなさい。」と店のおじさん。

私「あ、いや、ド、ドイツ語の…」

おじさん「ドイツ語はわかったから。電動は初めてなの? これかなぁ。」と、推奨機種を示します。

 値段は当初予定の4倍程度!論外でした。その旨を言い訳しますと、反論する彼のいうところでは、今の君の打ち方ではもう何か月もしないうちに機械式(手動式)は役不足になる。しかもそこの大学で4年間使うのはムリで、1,2年で壊れるか活字がつぶれる。修理はするけれどその間使えないし、速度も耐久性も電動が圧倒的に優れている…、と電動を買って当然のように勧めて、「初めての電動のお試しに、ちょっと古いけどビジネス向け高性能機」という、見るからに最上級機種の電動マシンに、生まれて初めて、触らせてくれました。今思い出すと、そのマシンはタイプボールをセレクトリックに搭載したIBMマシンだったようです。たとえて言えば、金属製のゴルフボールの表面に反転活字が埋められ、キーを押した瞬間、ボールが瞬時に回転して打鍵の活字を向け、紙めがけて打ち付けるもので、恐るべき近代兵器(?)でした。その未経験の速さと打鍵の軽さ・活字が紙にパンチする際の強い振動、これに耐える巨大重厚ボディ...欲しいどころか恐怖感を覚えました。またたとえて言えば、軽自動車を買いに来たのに、高級高額大型輸入リムジンを試運転したというか...。

私 「ム、ム、ムリです。使えないです。予算も…」

おじさん 「いや、君は3日で慣れます。おうちの人に相談してまたいらっしゃい。ドイツ語に組み替えて納期は2週間くらいですよ。大学の定期試験には間に合わせますよ。」

私 「い、いや、しかし…」

 その瞬間、別なお客が入店してきました。身なりの立派なおじさんです。「電動タイプライターがほしいんですけど。」

お店の人(私に対応しているおじさん)「お仕事でお使いですか? 今何をお使いですか?」

お客「いや、このたび私の息子がA大学附属中学校に合格してこないだから通い出しましてね(うれしそう、得意そう)、英語を学び始めたことだし、タイプぐらいは買ってあげようかと思いましてね…」

お店の人「ご入学おめでとうございます。じゃ、お子さんは、13歳くらいで、初めてタイプを使うんですよね…。機械式にしてください(キッパリ)。」

お客「あ、いや、電動の方が性能いいでしょ? できれば今からいい物をと思っているんですが」

お店の人「初めてのお子さんに、いきなり電動はムリです(重ねてキッパリ)。今日電動をお持ち帰りになって、すぐご家族で後悔します(恐ろしい予言)。...しかし...(私とそのお客を交互に見て)、う~ん、こちらの学生さんは電動が向いているのに手動にこだわるし、あなたとお子さんは手動がいいのに電動だとおっしゃるし…うまくいかないものですねぇ!」

 このお店は、ほんとうに良心的なんだな、と強く実感しました。汗ばむほどの春の陽気の店内でそう感じたのを思い出します。

 結果、私は、最低ランクよりチョイ上げて、実はデザインが良くて欲しかったけど値段がワンランク上になるのであきらめることにしていたOlivetti Lettera DL という機械式の機種をドイツ語に組み替えてもらうことにしました。私は、お店に好感も持てて、気持ちも大きくなり、気分のよい買い物となりましたが、お店のおじさんはチョっと不満そうでした。「耐久性は、国産よりよいけれど、君の使い方では、活字が持たないでしょう。活字だけの交換なら数日でできるから、いつでも持っていらっしゃい。」と。で、もう一人のお客は、説得されて不満そうでしたが、息子さんのために機械式を決意しかけたようでした。が、私はその前に店を出ました。

 Lettera DLの使い心地の良いことと言ったら!酷使したシルバー製が、ガシャガシャと悲鳴を上げながら稼働していたのですが、Lettera DLは、打鍵音はシルバーに比べるとほとんど無く、タイプバー(活字)が紙にあたるパチンパチンという音が、ゴムで弾いたかのような軽やかな感触でした。レバーもローラーも静かで滑らかで速いです。怖い電動でなくて、これで一生いいじゃないか、と確信しました。

 大学の同級生が、ほぼ同じ時期に、当初私が買う予定だったOlivettiの最低グレード機種を購入していたので、触らせてもらいました。...買わなくてよかった...(ごめん、同級生!)。彼には悟られないよう、「ふう~ん、なるほどコレもいいねぇ」と言うにとどめました。Lettera DLのつくりの良さは価格差以上で、ひとりますます良い気分でした。

 その翌年2月末のこと。試験期間の終了を待って、案の定、修理に持参しました。このときも暖房で店内がすごく暑かったのを覚えています(どうでもいいか)。使用頻度が高すぎて、活字がつぶれました。e, g, ä(アーウムラォト), ö(オーウムラォト), ß(エスツェット)が、どれももう判別に耐えなくなりました。別の店員さんが対応してくれましたが、去年の販売してくれたおじさんも首をつっこんで、「えぇ?、もう? でも、やっぱりなぁ」という感じでした。すぐ組み直せるけど、まぁ、来年もまたいらっしゃい、という感じで対応してくれました。

 その後何度か、活字の交換、グリスアップ、オーバーホールを重ねましたが、1991年頃に、ずっと不調だったローラーの左右動の送りの修理がもう厳しいということになり、いよいよ電動か…とも思いましたが、その頃、「日本語ワープロ」が家庭レベルで、またPC(Apple Mac)が、研究者レベルで、少しずつ普及し始めていました。PCはまだまだ高額(おクルマ並みで、当時病人でバイト生活の私には無理)。いずれにしても、手動式タイプライターはもう実用に供する意味がなくなりました。初めてお店に足を踏み入れた1981年頃から10年。あの時は、まだこの後100年くらいは世の中でタイプライターが当然必要とされるだろうと、あのお店に居合わせた誰もが信じ切っていたと思います...。

 修理はやめることにしてお店に引き取ってもらい、「電動にするか考えてみる」と言って、手ぶらでお店を後にして以来、もう足を運ばなくなってしまいました。そんな薄情なお別れのしかたをした自分に、その後今日までずっと、後悔と嫌悪感を覚えます。おじさん、どうもありがとう。本当に感謝しています。あなたは私の人生を支えてくれた恩人です。

2023/07/30

■ あるく - 香る山道


今日も、県道2号屏風山内真部線を歩きました。内真部森林公園での気温は33℃、湿度は低く、52%。暑いですが、爽やかな谷風が吹き渡ります。

山道に入ってすぐ気づくのは、ここ数日で、クサギの良い香りが強烈になってきたことでしょうか。

■ 見とれてしまうような優雅な姿のねむの木の花が終わると、香りのすばらしいクサギの開花時期となります。

そのすばらしい香りは、5月6月のニセアカシア(ハリエンジュ)の香りに勝るとも劣らないです。クサギの花や株は、ニセアカシアに比べると、小規模ですので、咲いているかどうかは、見てすぐにはわからないのですが、香るので、つい見回して目で探します(4月の沈丁花もそうです)。ただ、ニセアカシアや沈丁花の香りは街中にいてもけっこう漂うのですが、クサギの香りは、里山でのみ香ります。ジャスミンやニセアカシアのようにクリーミーでユリのようにキリリとした野趣もありますが、さらに個性の強い香水のような独特の香りを放ちます。

今日は、山道に分け入るにつれてどんどん香りが強くなり、大群落も散見されました。開花が時期的にピークなのでしょう。山道の舗装道路を歩いても、すぐ手の届くところにあり、歩いている間じゅう、香りが楽しめます。毎日あるきたいです。

2023/07/29

■ なおす? - 1970年代の機械式タイプライター



春に、実家整理をした際に、画像の、高校時代に使った機械式(手動式)タイプライターを発見しました。

シルバー編機?製造の、シルバーリード(Silver Reed)720というモデルだと、いまだに記憶しています。

入手したのは中学のときでしたっけ。無理して大学附属中学校に入り、大都会に出てきて(?)、見るモノ聞くモノすべて別世界でしたが、中学校で衝撃を受けた光景は、英語準備室で先生方が使っていたタイプライターという物体でした。あ、英語準備室というのは、教育実習校だから教科ごとの教育実習生の出入りが多く、「職員室」は存在せず、科目ごとに職員室的な教員用の広い執務室があり、実習生らも控えるスペースを備えているということです。で、定期テストは、英語教諭らがタイプライターで作成していました。ちなみに、高校は普通の県立高校だったのですが、そこでは、定期テストは、英語教諭らが教材をハサミとのりで切り貼りつぎはぎして作成していました(笑っちゃいけないけど笑...。同じ教員でも能力の差を実感した瞬間です(おおげさです)。もちろんPCもワープロもない時代の話です。

中学のときから、授業中に、英語や古文の本文の、行間にメモを書き込みたくなりました。が、教科書だと本文は書き込めるほどの空間はなく、今でもそうでしょうが、無理やり書き込む人が多数派です、私を含め。それでお勉強自体が息苦しくなるワケで。コンビニもコピー機もないこの時代、ひろーい行間のあいた本文が欲しければ、自分でノートに手書きするしかないです。やっている勤勉な同級生も多かったです。そんな時に、英語ならルーズリーフ用紙にタイプライターで打ち込めば、可能です。

と机上の空論を膨らませ…いやそんなことをつべこべ考えているヒマにさっさと手で書き写した方がよほど勉強になるというのに…。で、そのタイプライターが欲しくて、調べて、父親にねだっていたのですが、自分の周りに持っている人など見たことがありません。父親は、英文タイプライターとはどんな物体か把握できなかったようです。購入したのは、おそらく高校入学前後の1970年代後半。高1の夏休みには、タイプ教本のトレーニングに明け暮れ、学校宿題プリントの英文を片っ端からルーズリーフに手入力していた記憶があります。大学受験終了まで、めいっぱい使いました。その後、大学入学のために上京した春休みに、第1外国語となったドイツ語の、配付された大学教材を、試しにこの英文タイプライターで入力してみましたが、特殊文字を手書きするのがやはり猛烈にめんどうになり、大学が始まると同時に、ドイツ語専用タイプライターを新たに購入することにし、これは実家に送り返しました。

その夏に帰省した折、中高生だった妹たちが使ってみたいというので、傷だらけの外装鉄板ボディを、スプレーペイントで、ご覧のピンク色に…。鉄板ボディは、ボルトやカシメ箇所をすべてていねいに外して、塗装を薬剤剥離し、下地の汚れ錆を落としてスムーサをかけて、かなり念入りに塗装作業をしました。

で、今年3月に発見したのは、父母も妹たちも、捨てずに保管していたからなのはもちろんのことです。40年ぶりの再会にチョット感動を覚えました。

 先日、恐る恐るケースを開けてみると、その瞬間、タイプリボンインクやタイプバー(活字レバー)の潤滑油の「いつものにおい」がしました!中はきれいなまま。70年代ペリカン製の修正用紙まで残っています。

どんな状態か、動作確認してみたいです。左手で手近な紙を挿すと同時に右薬指でリリースレバーを解除しそのまま右手親指と人差指でローラーに巻き込み、両手でプラテン内の用紙の左右の傾きを修正して左手でローラーレバーで送って…

…って、においといい、動きといい、まるで昨日までごくふつうに使っていたかのように、自分の脳ではなくて、手が勝手にセッティングの手順をなめらかにこなしていきます…!スムーズな動作といつものにおいに、自分の脳が、理性が、この40年間の時空のギャップがあるはずだったのを感知して、ビックリしています!

が、打鍵してもキーが渋くて下りず、タイプバー(活字)が上がってきません。潤滑油の粘度が極端に上がって固着しているようです。他の動作としては、リボンは、送りや上下シフト可能です。プラテンの巻き込み、ローラーの左右動ともスムーズです。この程度であれば、オーバーホールすればあっさり復活しそうです。いまどき受け付けてくれるか、ネットで調べたところ、取り扱い業者が豊富に存在するようで、料金も私の機種クラスの場合分解清掃潤滑で¥30,000前後のようです。

で、依頼しますか? 使うんですか? …実用上は、PCが存在する限り、無用の長物です。

じゃ、捨てますか。祖母のミシンのように(4/25ご参照)、まったく使わないことは明らかなので、捨てるしかないでしょう。が、明治時代設計の足踏み式ミシンとは異なり、莫大に空間を占拠するわけではないので、今すぐ捨てずに...、とはいえど、…う~ん、どうしようかなぁ。

2023/07/28

■ なおす - 除雪機のバッテリーを充電


冬に活躍してくれた感謝でいっぱいの除雪機は、夏になると無用の長物です。冬は、命拾いしたくらいのありがたさを感じるのに、夏の間は邪険に感じるというわけです。農家の農機具などもっと極端ではないでしょうか。トラクタや田植え機やコンバインその他、合計して住宅1軒くらいの価格になるエンジン付き農機具類は、1年のうちで使う時期はほんの数日なのに、それ以外の休眠時期は、大いに場所を取るし、毎年のメンテナンスや整備費用はかなりのものでしょう。

私はホンダの除雪機を2台持っていて、いずれも最下位に近いグレードです。まぁ農家ではない末端の町人風情ですので。身分不相応に購入したのは、2002年と2003年で、それ以来、毎年必ず整備に出してきました。結果、20年ほどたった今では、整備費用の方が購入時本体価格より高くなっています。

油脂類の潤滑・交換やバッテリー整備など、自分でやればできるし安く上がるのですが、使い続けられて買い替える必要性を感じないのは、やはり、専門家に、毎年必ず分解清掃やグリスアップや塗装リペアまで込みで整備してもらっているからだと思います。この点で、本体価格以上になっていても、整備し続けてくれる販売店には感謝しています。

冬期の使用の最終日に、いつも通りエンジンを切って、そのまま春夏と過ごせば、そのバッテリーが放電しきって(バッテリー上がりを起こして)ダメになる...その時期は、夏の盛りではないでしょうか。

 除雪シーズンの終わった3月末ごろに、除雪機のバッテリーの-(マイナス)端子をハズしておくと、対策にはなるようですが、それでも、夏の盛りというか、学校が夏休みになるあたりに、バッテリーを取り外して充電するようにしています。その後、整備に出すのは9月10月頃です。

除雪機用(=オートバイ用)バッテリーは、自動車用にくらべて、寿命は短く、容量は低く、かつ高額です。需給バランスに基づく均衡価格がそうさせるのでしょう。なんとか来シーズンも無事で過ごせますように、と、充電作業をするたびにいつも、祈る思いです。

2023/07/27

■ まなぶ - 自転車部品のデザイン


※ Cathédrale Notre-Dame de Reims    /    Campagnolo Record Carbon 11 Ultra Torque Crankset

これまた数十年来このかた思い続けてきたことです:

自転車の部品で、ロードレース競技用の2大メーカーは、長年、日本のシマノとイタリアのカンパニョッロです。近年はアメリカのサードパーティが擡頭しつつあります。

戦前にカンパが発明した競技用部品の変則機のメカニズムを、戦後にシマノが模倣してチャチな製品を作り、長年かけて品質を磨き、現在では、性能的には互角か、シマノがリードか。

設計・意匠段階における力学的解析技術や製造段階における金属加工精度がモノを言う製品です。この点で、高度経済成長期のエンジニア国家日本の雰囲気のもと、数百年来の刀鍛冶に起源をもつ大阪堺の金属精錬鍛造業者シマノのお家芸だったことでしょう。地道な努力の膨大な積み重ねと昇りつめた高みには感動をおぼえます。

ピンとこない話でしょうが、まぁぜひ一度、シマノのロードバイク用コンポのフラッグシップであるデュラ・エースをフル装備したチャリを体験してみてください(いまでは100万円クラスか…チャリなのに)。私が初めてデュラ・エースに乗ったのは1993年のことですが、金属パーツが組み合わされてカチャカチャ動くはずの自転車という物体が、乗ったその瞬間、水棲生物にでもまたがって深海を行くような、ヌメリとした異様な次元のスムーズさを感じて、飛び上がるような衝撃でした。

ただ、人類の歴史と共にある金属加工は、日本だけが特に優れているはずがなく、中国やアメリカや欧州など、もちろん軍事産業に秀でたエリアでは当然もっている技術です。平和な世界になって軍縮が進んだここ数十年に、軍事産業技術は、高付加価値のつく宇宙開発の分野とスポーツ器具の分野に進出して来た経緯もあり、競技用自転車部品のジャンルでは、カンパとシマノの二大巨頭の図式も揺るぎつつあるところです。

コンピュータで解析・設計をしている現在では、黎明期とは比べ物にならない量のデータを駆使して、素材や意匠の可能性を追求していますので、そのプロダクトデザインは、発表になるたびに、あっと言わせるような進化を遂げつつあります。他方で、2世代も前(十数年前)のデザインは、完全に過去の遺物でしょう、競技選手にとっては。

ですが、私たちアマチュアのエンドユーザという観衆にとっては、限界性能やその蘊蓄もおもしろいのですし、手に取って使う選択肢が新旧に広がって、それがまた楽しみでもあります。

自転車のクランクギヤセット部分の話ですが、現在のデザインは今は置くとして、1世紀近く、その基本形だったが、もはや過去の遺物となった「5アーム」デザイン。5本のアームに、競技者が自分に合った歯数のギア板を取り付けて使うのですが、数十年来、世界中が、カンパの5アームデザインを模倣してきました。私も中学3年生の時以来、そのギア板をつけては外しの作業をしてきました。そのつど、その意匠が、うつくしい曲線で構成されているのを意識し、記憶にも、また手の感触としても、ずっと残っています。

で、思うのですが、カンパのこの5アームデザインは、教会建築のモチーフが現れているのではないでしょうか。

画像右のカンパ・カーボンレコードのクランクセットですが、画像左の、おととい以来挙げている、ロマネスク風の尖頭円に付随するプレートトレーサリー円を彷彿とさせます。新旧カンパニョッロ製品の至る所に、優雅なデザイン的あそびを感じます。イタリア製の金属製品にはかなりの確率で見られる現象ではないかなと思うのですが、どうでしょうか。

ヨーロッパ人なら生まれたときから空気のようにそこに存在している教会とそのデザインは、ヨーロッパ人の工業デザイナーの意識の深層に沈潜しているんじゃないだろうかと思います。

シマノ製品にはそのようなセンスは絶無です。装飾など不要、機能がデザインを自ずと形成するのだ、というわけでしょうか、それともガンダム世代の方々が設計しているからでしょうか。

2023/07/26

■ まなぶ - カトリック系大学のトレーサリーデザイン


左 2009-11月  /  右 2022年10月

昨日ちらりと見た画像。窓枠上部の幾何学的な円形デザインをいま仮に、プレートトレーサリー意匠と呼びましょう。

都心にあるイエズス会経営の大学の、校舎の壁に、画像左のように、コンクリート製のトレーサリー意匠が見られました。

画像は同じ箇所を、グーグル・ストリートで見たものですが、撮影時期が、左側は2009年11月、右側は2022年10月です。つまり、この間に、意匠は撤去されたということですね。

この画像左側のかつての意匠。カトリック系大学の校舎を教会のモチーフでおおうという日本の建築から離れた発想は、実にステキでした。その外観がいかにもカテドラルの雰囲気を漂わせ、道路(といっても、片側1車線で大型車は通りづらい)にも、街並み(と言っても大学校舎と向かいは土手ですが)にも、特別な通りを歩いているようなエキゾチックな気配が感じられました。

校舎の中で勉強する人にとっても、目に映る景色といい入り込む陽の光といい吹き寄せる風といい、ただのコンクリート製の建物とは違う空気感に包まれていたのではないでしょうか。

ヨーロッパの教会のトレーサリーは石板をくりぬいた芸術品で、風雨にさらされて1000年佇んでいますが、他方、この大学の意匠は、私が知る限り50年ほど存在し続けたようですが、コンクリートで成形したもので、経年劣化があり、通りに少しずつ崩落の気配があったのでしょうか。大学側にも事情があるのでしょう。部外者が安易になにか言っても無意味でしょうが、撤去されてしまった写真は、東京によくある雑然とした路地になってしまい、以前を思うとさびしさが残されました。

2023/07/25

■ まなぶ - カトリック教会の窓の細部のデザイン

 


Soissons Cathedral, France / Lincoln Cathedral, Lincolnshire, England
(both pics; wikipedia (En))

外国に行ったことが一度もないのですが、本を眺めているだけの知識で。

ヨーロッパのカトリック教会建築は、スケールの大きさからディテールの細やかさまで、息をのむような壮絶さがあります…など、私ごときが説明するようなことでもないのですが。でも素直に感動しています。行って見るとまた今の想像力を絶するものなのでしょう。

解説する意志も能力もないので、些細なディテールだけチラっと。

教会の窓ですが、ガラス窓が安定的に実用化された12世紀ころからこの縦長の枠(トレーサリー)が技巧化し芸術化していくようです。この頃はロマネスク様式からゴシック様式への過渡期ですが、画像左はゴシック期の最も基本的な形、画像右はロマネスク期の現存する教会窓です。

アーチの上部(画像の黄色枠部分)には、幾何学的な円形のプレートトレーサリーが規則的に連続してくり抜かれています。このモチーフが、窓のみならず、外壁全体に装飾的に繰り返されていて、通常の家屋建築とは全く異なる雰囲気を醸成する要素のうちの一つだと思います。

いや、きれいだなぁって…ただそれだけ言いたかったんですけどね…。どうか内容の薄さを許してください。明日もちょっと想像力を広げてみようかな。

私にとっては非現実な遠い世界ですが、ヨーロッパ人は、この、石でできた1000年近く前の巨大な建築物が、まるで日本人にとってのお寺や神社のように、日常的に目にする存在だ、と考えると、うなってしまいます。

2023/07/24

■ あるく - 県道2号屏風山内真部線


夏は、散歩道の事情が少しむずかしいんですよ。

春先にあるいていたりんご畑は、そろそろあるくのを遠慮した方がいいかなと。実選り(みすぐり= 摘果)から収穫までは、りんご畑をつらぬくせまい農道を知らない人間が往来するというのは、農家の方を無駄に警戒させたり刺激したりする場合もありえますし、また途中スピードスプレイヤーの噴霧に出くわすとエラい目にあいますので。

他方、田んぼの農道は、炎天下の夏は、日陰も何もない灼熱なので、これもしばらくはやめておきます。

 自宅付近をあるけばよいようなものですが、私の自宅は、比較的街中の住宅街なので、排気ガスのアスファルト道路をあるいても、あまりわくわくした気分転換になりません。

そういうわけで、夏は木陰をえらんであるきます。

今日も、県道2号内真部線から眺望山へ。画像は、眺望山に至るアプローチ、県道2号屏風山内真部線に、金木町の喜良市(きらいち)集落から入ってダムや鹿の子滝を越えたあたりです。ブナやナラの木陰のトンネルになっています。木陰のトンネルというのは、幸せ感に満ちあふれた道だと感じます。

内真部の森林公園からアスファルト車道を山側に向かってあるき始め、30分ほど登ったら折り返します。道路工事作業の軽トラ2台と出会っただけで、あとは森閑としています。熊鈴をつけて歩いています。津軽半島は伝統的に熊が生息していないところ、最近はそうでもないようです。この鈴の音にいつもおもしろいように反応してくれるのが、うぐいすです。近づくにつれてこちらに警告をよこします。遠ざかるとまた静かな森に…。気温31℃、湿度60%。歩いていて暑いのですが、カラリとした風があって、汗は出るそばから乾く感じで、快適です。


2023/07/23

■ まなぶ - 昔使った『関口ドイツ語教本』の序言

 

関口存男 『初等ドイツ語講座-上巻』序言 p.x(10ぺージ)

大学1年生だった1981年初夏の頃、週6回毎朝あったドイツ語の授業についていけず、落第する前に、夏休みを機会に一から勉強し直そうと思って、文法参考書;関口存男『初等ドイツ語講座 – Deutsche für Anfänger』全3巻(三修社)を買いました。3冊をいきなり購入してかなり手痛い出費でしたが、後戻りできないように自分を追い込みました。
1巻あたり200ページ程度。3巻セットで、ドイツ語の文法を一回り解説しています。初版は1956年です。この時点でもう古い感じでした。
この関口という人がどんな人か、私はまったく知りませんでしたが、信じて夏休み全部を捧げてついていってみようと思いました。
 数ある参考書からコレにしたのは、第1巻の序言を立ち読みして声を出して笑ったからです。
序言の大風呂敷に半信半疑でしたが、読み進むうちに、関口の語り口のスゴさ・学ばせる際の周到さに、大いに魅了されました。
 3冊を1年以上かけて学習する予定らしきことが、序言の示唆からうかがえますが、私は、大学1年の夏休みの2か月間、東京の古い下宿の6畳の部屋で、来る日も来る日も、朝から晩まで、いや正確には、晩から朝まで(昼は暑くて...)、汗だくになって、手拭いを肘に敷いて、これを読んでは書き...と続けました。9月中旬に3巻を終えました。大学の文法より先を進んで終了してしまいました。いいのか、そんなことして...。
 その数か月前の4月(大学入学時)に、三修社の独和辞書を初めて購入したのですが、半年後の9月に、関口ドイツ語を学習し終える頃に、辞書製本の背の接着剤が崩壊して綴じ糸が次々と切れ始め、勝手に3分冊4分冊になり、携帯に便利になりました…え?
そういえば高校2年の時に、入学時に買った英和辞書が同様に崩壊したので高3になる春休みに買い直した経験がありますが、今回の独和辞書は6カ月でお別れだったので、悲しい…わけではなくて、関口ドイツ語のスゴさを物語るような気がして、妙に充足感がありました。
この関口ドイツ語の本は、数十年後、やはり製本の背が糊割れして紙も傷み、感傷的に保存する意義を感じなくなったので、迷った挙句に捨てましたが、その際、スキャンしてPDF化してあります。画像で、その序言の一部をご覧になってください。他の語学参考書のすべてをズタズタにこき下ろし、ホントにやる気があるなら歯を食いしばってついてこいという口調です。挑発されてついていったってわけです。
その結果、秋学期からの大学ドイツ語教材が、妙に手加減してランクを落としてくれたかのような錯覚が沸き起こって、えッ!?まさか、と疑って、ページを次々とめくって確かめた記憶があります。年度末のドイツ語の試験は満点で、評価はA判定でした。
 A判定を得たあの大学生はもう存在せず、別人のダルな人間にすり替わりました...。「鉛筆で書いてみようかな」の次のテーマは、この本の、格変化表と例文にしようかな。

2023/07/22

■ あるく - 眺望山



夏休み最初の土日。全国どこも良いお天気で暑いようです。当地は、晴れ・気温28℃・湿度70%・微風です。

今日も、ひば山である眺望山を、あるきます。夏~秋はできるだけここの森林浴に向かいたいと思います。

 画像の、散策路を登った稜線付近は、ヒバとカラマツの混生林で、陽の光と風が通り、路面はつねに落ち葉で乾燥してふかふかしています。このすがすがしさとあるき心地のよさは、毎日あるきたいと思わせる非日常的なすばらしさがあります。

2023/07/21

■ まなぶ - 鉛筆を使って - 英単語集の例文を書く-21


7/1から始めた「英単語を書く」の最終日。2001-2100の例文を書き終えました。

今日の例文2054: Both war and pandemic were over, and people’s lives gradually regained a semblance of a normal life.

戦争もパンデミックも終わり、人々の生活はしだいに平常の生活らしさを取り戻した。

...になりますように。

---...---...---

7/1から始めた、数十年ぶりに使う鉛筆「Hi-Uni (2B)」の6本。今日7/21で、2100の単語に添えられたこの本の全ての例文、33,241語程度の英単語を書きました。

減りは、3週間で1本あたり4割くらい使ったくらいでしょうか。予想外に長持ちします。

使い始めた3週間前に比べて、筆圧低く、薄く、小さく、速く書いています。

当初は、その軸の細さと、芯の減り(細→太)の変化が速くて、とても使いづらく、やはり鉛筆は劣った筆記具かもしれないと思いかけました。でも、結論を出すのは、ひとまずコレを最後まで使ってからだなというつもりで続けています。

6/26に書いた通り、1) 寝かせた持ち方で(ボールペンにはムリ)、かつ、2) 紙質を選ばない(万年筆にはムリ)、すぐれた筆記具ではないかと予想したのですが、この時点での感想は、その2点を同時に満たす予想外に使いやすい新しい筆記具を発見した気持ちです。

道具は何でもそうですが、毎日使っていると、なじむものですね。道具というものがそういうものだというわけではなくて、人間というものが適応していくものだから、という気もします。

この調子でひき続き使ってみたいと思います。使えないくらい小さくなったら、また書きとどめてみようかと思います。

なお、使った紙は、PPC用紙(坪量69±2g/m^2)、A5サイズ横に10mm罫線を引いたものの裏表を使って、計64枚(127ページ)に書きました。廉価な用紙で表面はやや粗く、万年筆インクだと滲みと裏抜けがある紙ですが、鉛筆だと快適です。

本1冊の例文単語3万語が、鉛筆6本の半分程度、用紙は60枚くらいで、全部書けちゃうんですね。語学学習系の書き方の場合そうだということで、引き続き同様のコトをする際の自分の参考にします。

2023/07/20

■ あるく - 眺望山


今日の「英単語を書く」は、1901-2000の例文でした。

今日の例文1961: In America, it is common to see caricatures, even of the President.

    アメリカでは、風刺画はよく見られる。大統領が対象のものすらある。

アメリカ憲法を範にした日本国憲法21条1項は、表現の自由を認めていて、その運用が、どのくらい自由を認めているのかが、民主主義国家かどうかのメルクマールです。アメリカは、まさに自由の国。

某大国が、クマのプーさんを検閲によって徹底的に取り締まっているという事実は、むしろ世界の人たちの笑いを誘っています。江戸時代の徳川幕府は、将軍の無謬性から、表現の自由を徹底的に取り締まりました。いつの時代も権力者のヤルことは同じです。が、江戸時代に存在した「川柳」「狂歌」は、自然の美しさを謳ったものという表皮一枚をめくっただけで、江戸庶民の誰にでもすぐ幕府批判が理解できる高度な芸術です。庶民は独裁者ほどバカでなく、人類ある限り、権力と抑圧があり、カリカチュアはあります。現在もう一人のプーさんが世界の人々を苦しめているなか、多くの国民が、NAFO (North Atlantic Fellas Organization / Organisation des Fellas de l'Atlantique Nord) に加盟できたら、チョっとすてきではないでしょうか。

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ずっと雨がちだったところ、今日は昼前から晴れました。ひば山である眺望山のトレッキングコースを歩くことにします。

たかだか150mほどの山で、トレッキングコースも延べ数km程度なのですが、原生林ゆえに樹冠が多層に重なり、目にする景色は、なかなかの深山幽谷です。

また、ヒバの樹形が、画像のとおり、街の木には無い樹形なのでドキっとする形ですが、気持ちよいほどまっすぐな幹から、細い枝が次々とスっと真横に水平に伸び、その先に葉がつきますので、日光が地面まで差し込みづらいです。木の外観は、針葉樹は多かれ少なかれそうですが、こんもり濃緑が密集した三角錐をしています。

7/5の記事以来、何度か行って、交通量がゼロのヒバの森の道を楽しんでいます。山の稜線を越えた向うの森林公園で車両を降りて、舗装道路を、ランニングシューズを履き、水ボトルを腰に巻いて、1時間ほど歩きます。

ランシューズで舗装路を歩くのは、準備や荷物がごく少なくて済むし、安全で気軽だからです。

 今日は趣向を変えて、山道を歩くことにしました。トレッキングシューズと登山用の上下長袖など装備をして、水を持って、これも何年ぶりに歩いてみました。

うっそうとしたヒバの森の下生えの道の日当たりの良い入口で、雉(キジ)の親子5,6羽みんなで日向ぼっこをしていました。私がゆっくり近づいても気持ち良い陽だまりの場所を譲ってくれないのですが、そのわきを歩き始めます。

■ ヒバやブナやカエデの樹冠が厚いので、散策路は湿ってぬかるんでいて、シダ類やコケ類が群生し、蚊やアブも多いです。自然の倒木や登山道の崩壊も幾多見られます。登山道整備をしたのは50年近く前のようです。刈り払い程度の維持管理の手が入っているのは知っていますが、25年ほど前に、また15年ほど前にこのコースを歩いたことがありますが、改修などの形跡はなく、それ以前より大規模なメンテは何十年もしていないようです。とはいえ、歴史的に江戸時代から計画的に伐採と植樹をしてきたようです。散策路があるヒバ林は原生林相で、他にヒノキやブナの古い二次林も見られます。人の手が入っている安心感はあります。

 標高が上がるにつれて、ヒバとカラマツが混生し始め、陽も差し込み、道も乾いた枯葉のじゅうたん状態になり、ふかふかと快適です。30分歩いたら折り返そうと思っていたのですが、25分で山頂に着きました。

■ 山頂から陸奥湾の海や青森市を望むことができたのは明治時代の話。そのときに「眺望山」と名付けられたのですが、現在の山頂は、眺望ゼロです。山歩きコースとして見れば、ここは展望が開ける場所は皆無で、登山客にアピールできそうにないです。ヘタにフェイクな名前になっちゃったせいで、登山口コミサイトなどで、眺望ゼロがかえってクローズアップされて流布しやすいと思います。でも、不人気ゆえいっそう、深閑とした森林浴の散策路として、私は大きな魅力を感じます。

2023/07/19

■ なおす - 包丁を砥ぐ - 番外編;パン切りナイフ


まったく同じ製品ですが、刃先の違いご注目

今日の「英単語を書く」は、1801-1900の例文でした。

今日の例文: The rabbit population increased exponentially until it seemed that there were rabbits everywhere.

    ウサギの個体数が爆発的に増加し、ついには至る所ドコにでもウサギがいる気がするまでになった。

ど~ゆ~ことですか、コレ...と、つい日本人の私は、目が点になる例文ですが、オーストラリアにおける侵略的外来種としてのイギリス由来のウサギのことを言っているんですね、たぶん。

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包丁を砥ぐことを、7/15に書きましたが、砥ぐ包丁の中に「パン切りナイフ」だって? 

パンナイフは波刃ですので、素人も刃物屋さんも、砥ぐことは不可能です。使い切り商品です。

で、そのパンナイフは、高級品は知らないのですが、1,000円前後のものは、すぐに切れ味が悪くなります。例えば、毎日1斤を4枚切りにしたとして、半年たたずに、もういやになるのではないでしょうか。その際に新品に交換して使ってみると、誰でもその切れ味の大きな違いを感じることができます。

刃の持ちの期間は価格に比例するのかはともかく、いずれにしても刃物の宿命です。ということで、毎年1,2本の新品を使い捨ててください、って、...なんだかなぁ。

試しに、 通常のステンレス洋包丁で切るのはどうでしょう。1回目は何とか切れ...ないよ、やっぱり...。刃の天地幅がありすぎて、クラム(パンの側の「耳」ではなく、中味)がくっついて、パンが上からつぶれていきます。

波刃で、かつ、刃の天地幅が短いものが、クラムにくっつかないので、適しています。

が、その波刃の寿命の短さにいらだちが募り、何本か見限ったうちの1本を、あるとき、力まかせに荒砥で砥ぎまくり、波刃を削り落とし、平刃(なめらかな直線状の刃)に強引に加工したのが、20年ほど前。画像のとおりです。

なかなか調子が良いです(笑。暴力的に研いだ痕跡が散見されますが、刃自体は、多少「素人の鎌刃砥ぎ」ではあれ、通常の包丁と同レベルにきわめて鋭利に入れてあるので、りんごも剥けるしトマトの皮もお刺身も切れそうです(どれもやったことはないです)。

というわけで、捨てるハズの使用済みナイフから半ばやけくそで作ったパンナイフですが、ここ20年ほど、少しずつ砥いで、重宝しています。

2023/07/18

■ まなぶ - 鷗外「カズイスチカ」 - 目の前にあることにすべてのちからをそそぐこと


今日の「英単語を書く」は、1701-1800の例文でした。

テヘランで、頭髪を適切に覆っていなかったとしてイラン政府道徳警察に逮捕拘束された22歳の女性が数日後に死亡した(2022-9月)。パリで、クルマを運転していた17歳の少年が検問中の警官に射殺された(2023-6)。

今日の例文1767: A crowd of people held a vigil to protest the death of a young at the hands of the police.

    大勢の人たちが、警察の手による若者の死に抗議して、夜を徹した集会をもった。

単語集の例文は、一般に、手にする読者の多くが理解できることだという前提で、著作者が作成すると思います。ということは、この例文の内容が、いかにありがちな話題であるかを如実に示しているようで、ごくふつうにあてはまるのが納得できたり、また同様のことが起きたり、と繰り返されることに、悲しさがつのります。

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今日は、鷗外の「カズイスチカ」という短編(文庫本で十数ページ)を見てみましょう。明治の若い医学士花房の心理描写です。彼には開業医の父(翁)がいます。父の医学は蘭学を通じた時代遅れのもの、若い花房の医学は明治の最新のドイツ医学です。

 話の前半は、若い花房の目を通じた父の観察。後半は、私たち一般の人が読んでも興味深いいくつかの症例。最後は心温まるお話があります。

 今日は、前半のごく一部のみを;

   翁は病人を見ている間は、全幅の精神を以て病人を見ている。そしてその病人が軽かろうが重かろうが、鼻風邪だろうが必死の病だろうが、同じ態度でこれに対している。盆栽を翫んでいる時もその通りである。茶を啜っている時もその通りである。

    花房学士は何かしたい事若くはする筈の事があって、それをせずに姑(しばら)く病人を見ているという心持である。それだから、同じ病人を見ても、平凡な病だとつまらなく思う。Intéressantの病症でなくては厭き足らなく思う。...始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。しかしそのしたい事、する筈の事はなんだか分からない。或時は何物かが幻影の如くに浮んでも、捕捉することの出来ないうちに消えてしまう。女の形をしている時もある。種々の栄華の夢になっている時もある。それかと思うと、その頃碧巌を見たり無門関を見たりしていたので、禅定めいた contemplatifな観念になっている時もある。とにかく取留めのないものであった。それが病人を見る時ばかりではない。何をしていても同じ事で、これをしてしまって、片付けて置いて、それからというような考をしている。それからどうするのだか分からない。

    そして花房はその分からない或物が何物だということを、強いて分からせようともしなかった。唯或時はその或物を幸福というものだと考えて見たり、或時はそれを希望ということに結び付けて見たりする。その癖又それを得れば成功で、失えば失敗だというような処までは追求しなかったのである。

    しかしこの或物が父に無いということだけは、花房も疾(とっ)くに気が付いて、初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人のつまらないのは当然だと思った。

    そのうち、熊沢蕃山の書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳(くしけず)ったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。花房はそれを見て、父の平生(へいぜい)を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好いい加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場の医者たるに安んじている父の résignationの態度が、有道者の面目に近いということが、朧気ながら見えて来た。そしてその時から遽(にわか)に父を尊敬する念を生じた。...

「自分には夢があって、そのために自分は生きている。対して、今、目の前にあるこの些細なコトは、自分の夢とはあまり関係がない。こんなことで煩わされるなんて」という気持ち。全ての人には、大きな前途と志があるので、多くの人が、特に若い頃に、ついそういう気持ちになるのではないでしょうか。私などは、もちろんそれが尊大に膨れたクチかもしれないと思います。今からでも、翁侯の心がけに近づく努力をしようと思います。

2023/07/17

■ きく - Mozart Sinfornie in D, K504 Nr.38 "Prager" ; C.Hogwood/Academy of Ancient Music (1984頃)


今日の「英単語を書く」は、1601-1700の例文まで書き終えました。

今日の例文1682: I seldom find British cuisine very palatable.

    イギリスの料理がそうおいしいとは、めったに思わない。

…ま、またこんなことを書いちゃって、いいんですか?

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カール・ベームが1975年頃に来日してNHKの長時間にわたるインタビューに答え、そのとき中学生だった私は、下宿の食堂にある超小さな壊れかけているテレビをジ~ッと見て聞いていました。その中で、「人生で1曲だけ持つことを許されるとしたら、モーツァルトの41番だ」と言ったのは、いまでも彼の表情ごと思い出せます。

それ以来41番の存在感が巨大化してしまって...。いや、ヴィーン・フィルの演奏するモーツァルト交響曲すべてもです。今でもです。で、私には、堂々としたスケールの大きさと弦の美しさでは、ワルターと並んで、「完璧な規範」「畏れ多い存在」になりました。

同じ頃、70年代後半は、古楽器での演奏はもはやゲテモノではなくなり、気運は盛り上がり、その後、1980年前後に、ホグウッドがモーツァルトの交響曲全曲録音に乗り出しました。私はその数年後から少しずつ全曲を聴く機会を得ました。

 巨体の恐竜の跋扈が終焉して、哺乳類がちょこまかと広がり始めた...というのはヘンなたとえですが、100人規模のフルオーケストラという巨体が、固定観念化した過去の遺物のようで、20人規模の軽やかな古楽器合奏団に次々とくつがえされていく爽快な印象がありました。

で、いま、モーツァルトの41番を、どのLP/CDで聴きましょうか? フルオーケストラのヴィーン・フィルの演奏でも、現代楽器の合奏によるイ・ムジチやアカデミー室内管弦楽団でも、古楽器のエンシェント室内管弦楽団でも...。今では、優劣を論じる意味はなくなったのではないでしょうか。どの演奏を聴いても、必ずあるのは、喜び・驚き・頷き。至福の時間が楽しめると思います。

そのうえで、モーツァルト後期交響曲群にあって、3楽章形式でよりいっそう軽やかな気がする38番。「クラシック」「名曲」「難しい」「偉い」「権威」「固定観念」「しかめツラ」などの音楽教育にまとわりつくくびきを振り切って、この38番は、私の中では異色の存在です。今日はホグウッドの演奏を。50曲あまりの交響曲全てにわたり、彼自身で弾くチェンバロの通奏低音が加わっています。

上の図は2楽章の冒頭です。弱音(p)指定の1stVnがみつばちの弱い羽音のように半音階的上行で気ままに舞うなか、低音部、図の最下段ヘ音譜のG音のロングトーンに、ホグウッドのこの演奏では、チェンバロのアルペジオが、花びらのように、はらり、はらり、と散ります...。

花の香りにむせかえる春の庭園のようです。

...こころにつきささりました...。ぐうの音も出ません...。人生で1曲だけ持つことを許されるなら、ホグウッドのこの38番2楽章だけで、もう何もいらない気持ちになりました。


19小節ほど進むと、木管楽器群の経過音を経て、強音(f)で短調に転調します。2ndVnとVaはフォルテのトレモロで、花園にチョっとひんやりした突風が吹いて花びらをぱっと散らすかのようです。

いずれも、ホグウッドの、極度に繊細なオーケストレーションの妙味のなせるわざです。

音楽解釈においてもまた、イギリスが、イギリス人が、世界の固定観念を転覆させ潮流を革命的に変えた歴史的事実は、じつに多いです。

2023/07/16

■ まなぶ - 太宰治「浦島さん」


国定教科書『尋常小学国語読本』(1928)

今日の「英単語を書く」は、1501-1600の例文まで書き終えました。

今日の例文1596: With his rural background, he found it hard to adjust to the frenetic pace of the city.

   彼はいなか出身なので、都会の熱狂したようなペースにあわせていくのはムリだと思った。

… この単語集の、いつもチョイとヘンな例文をピックアップしているのですが、これは、ヘンではなくて、なんだか自分のことのような気がします...。(なお和訳はいつも、単語集の和訳ではなくて拙訳です。どうぞ大目に見てください。)

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「古典作品の話の筋なんて、もうわかりきっているのに、どうして何度も読んだり聴いたり観たりするのでしょうか」と7/11に書きました。

太宰治の「お伽草紙」は、「瘤取り」「カチカチ山」など、題名の親しみやすさから、十代始めの頃から目を通していたものの、話が何だか違うし、高校のときまではさっぱり意味不明でした。が、大学・二十代・三十代・四十代・五十代と何度も読み返すにつれて、こころに深く突き刺さってきて、ますます舌を巻きます。

日本人なら誰でもわかりきっているお話を、異別な切り口でほんとうにいきいきと描いていて、何度読んでも「う~ん、すごいな」と思います。

太宰治 「浦島さん」より:

...子どもたちにいじめられていた亀を助けてあげた数日後、亀が、お礼に竜宮まで連れて行くと言って、浦島に声をかけてくる…

「何、竜宮?」と言つて噴き出し、「おふざけでない。お前はお酒でも飲んで酔つてゐるのだらう。とんでもない事を言ひ出す。竜宮といふのは昔から、歌に詠まれ、また神仙譚として伝へられてゐますが、あれはこの世には無いもの、ね、わかりますか? あれは、古来、私たち風流人の美しい夢、あこがれ、と言つてもいいでせう。」上品すぎて、少しきざな口調になつた。
 こんどは亀のはうで噴き出して、
「たまらねえ。風流の講釈は、あとでゆつくり伺ひますから、まあ、私の言ふ事を信じてとにかく私の甲羅に乗つて下さい。あなたはどうも冒険の味を知らないからいけない。」
「おや、お前も失礼な事を言ふね。いかにも私は、冒険といふものはあまり好きでない。たとへば、あれは、曲芸のやうなものだ。派手なやうでも、やはり下品(げぼん)だ。邪道、と言つていいかも知れない。宿命に対する諦観が無い。伝統に就いての教養が無い。めくら蛇におぢず、とでもいふやうな形だ。私ども正統の風流の士のいたく顰蹙するところのものだ。軽蔑してゐる、と言つていいかも知れない。私は先人のおだやかな道を、まつすぐに歩いて行きたい。」
 「ぷ!」と亀はまた噴き出し、「その先人の道こそ、冒険の道ぢやありませんか。いや、冒険なんて下手な言葉を使ふから何か血なまぐさくて不衛生な無頼漢みたいな感じがして来るけれども、信じる力とでも言ひ直したらどうでせう。あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いてゐると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがつて向う側に渡つて行きます。それを人は曲芸かと思つて、或いは喝采し、或いは何の人気取りめがと顰蹙します。しかし、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違つてゐるのです。藤蔓にすがつて谷を渡つてゐる人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分がいま冒険をしてゐるなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものは持つてやしないんです。なんの冒険が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じてゐるのです。花のある事を信じ切つてゐるのです。そんな姿を、まあ、仮に冒険と呼んでゐるだけです。あなたに冒険心が無いといふのは、あなたには信じる能力が無いといふ事です。...

古典作品の解釈。「自分はこう考えたんです」という独自の解釈が、明日の新しい古典になっていくのではないでしょうか。
近い例を1つ2つ思い連ねてみましょう;
井原西鶴「日本永大蔵」「世間胸算用」→太宰「新釈諸国話」
日本昔話(上代(奈良)以降)→太宰「お伽草子」
常山紀談(江戸)→菊池寛「形」
「今昔物語」「宇治拾遺物語」→近世(江戸)「醒酔笑」(落語の起源) →芥川「羅生門」「蜘蛛の糸」「地獄変」
解釈してくれるこの人たちは、たとえばストーリーに疑いようのない昔話の「浦島太郎」のことを、少年の頃から考え始めて、大人になってもさらに繰り返し何度も何年も考えてきたのかもしれません。彼らは、他の人間なら「古臭い」「かび臭い」ブツの背後に「美しいなまなましさ(芥川)」が「野蛮にかがやいて(芥川)」いたところを発見できるほんの一つまみの人たちでしょう。
こういう人たちは、2回目20回目200回目と、同じテーマを考えるごとに、言語感覚や多面的な見方が磨かれていくのでしょう。で、いざペンを取ったときに、特有の感性と研鑽した語彙の妙味を織り込んで、異質に変容した解釈が、見上げるような高みに光っている...。私たちは、そういう人たちの、ぞっとするような革命的な切り口やじつに練られた語り口や、その背後にある知性に、刮目させられるというわけなのですね。

あ、グールドの「ゴルトベルク」も、桂米朝の「はてなの茶碗」も、...って、やはりすべての古典作品は分野を問わず、同じことが言えると思います。このような、『新奇だが、自分はそう信じている冒険者』である「解釈者」を、「芸術家」と呼んでいるのではないでしょうか。

2023/07/15

■ なおす - 包丁を砥ぐ


今日の「英単語を書く」は、1401-1500の例文まで書き終えました。

今日の例文1439: One must currently doubt the efficacy of the United Nations in world governance.

世界統治における国連の実効性は、もはや疑問に付されなければならない。

… この単語集は、ロシアのウクライナ侵攻以前のものなのですが...。

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今日は包丁を砥ぎました。

砥石を出して水につけて...の間に、包丁2本・ペティナイフ・果物ナイフ・パン切りナイフを準備します。荒砥から仕上砥まで、毎回3~5種類を使っています。

万年筆の項でも書いたのですが(7/10)、やはり道具である以上、ふだんは数か月ごとに自分で手入れして(砥いで)、加えてかつては年に1回、紙の裁断機の大きな刃を砥いでもらうついでに、包丁も、砥ぎ屋さんにお願いしていました(弘前の刃物屋さん)。

20年ほど前のあるとき、包丁を砥いですぐ刃物屋さんに見てもらいました。

「コレ、昨日自分で砥いだんですけど、どうでしょうか?」

「え、う、うん、えへへ」...。それ以上おっしゃらなくてけっこうです...(ioi)

今は、少しは砥げるようになり、砥ぎ屋さんに持参しなくなりました。まだまだはっきりヘタですが、 砥いだばかりの包丁は、まな板上で、「トン」というより、まな板に「ス」と吸い込まれるようです。

砥ぎたての日は、使うと切れ味の違いに身の毛もよだつのですが、切れない包丁の方が危ないですよね、きっと。

部屋の掃除をした直後のように、道具の手入れの直後というのは、気持ちの良いものです。

2023/07/14

■ まなぶ - 鉛筆を使って - 英単語集の例文を書く14 - 鉛筆の減り具合 2/3


今日の「英単語を書く」は、1301-1400の例文まで書き終えました。画像は書き終えて削ったところです。

今日の例文1312: Government red tape has retarded progress on economic reform.

政府の官僚的形式主義のせいで、経済改革の進行は遅延してきた。

… “red tape”って、行政学上の用語では…? Google 翻訳に “red tape” を入れたら、「赤いテープ」「吏臭」...。後者は中国語ですよ、グーグル先生。ただ、その下に英文で正しい解説があったんですが、 “excessive bureaucracy or adherence to rules and formalities, especially in public business.”...って、だからそれを日本語にしてくださいよ。

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新品のHi-Uni (2B)の6本を使い始めて、今日で、2100の単語(&例文)から成るこの本の3分の2の例文、23,000語程度の英単語を書きました。減りは、1本あたり4分の1を過ぎたくらいかなぁと思います。ということは、この本1冊を書き切ると33,000語ですが、使いかけの6本は、半分程度は残るだろうということですね。意外に減らないものですね。

 意外に減らない理由は、使い始めた2週間前に比べると:

1) 当初の頃は、細さに戸惑い、つい強く握って高い筆圧でしたが、今はそう力を入れなくても書けるようになった。

2) 当初の頃は、ボールペンや万年筆より筆跡の色合いが薄く、思わず「立てて」「大き目の字で」「強く」書き、何だか疲労感がありましたが、今は、薄く書いてかまわない、遠慮なく寝かせてかまわない、と思うようになり、「より薄く」「よりいっそう寝かせて」軽く書くようになりましたが、結果的に、「より小さい字」で「より速く」書くようです。

■ 「より弱い筆圧」と「より小さな文字」の2点から、鉛筆を常用する専門家である「小学生」に比べると、格段に減りが遅いのではないかと思います。 4Bや6Bにしてもう少し濃い目の色になると、いっそう書きやすそうで、万年筆に匹敵するような『新しい筆記具』になりそうです。

でも、4Bや6Bに手を出すのは、いまのこの2Bを1ダース使い切ってからにします。筆記具を次々と買って試しただけで終わりというのは、よくないですね(自分への戒め)。

2023/07/13

■ まなぶ - 「社会にお返し」- ジョブスのスピーチ


今日の「英単語を書く」は、1201-1300まで。

今日の例文1285: The guest speaker made an inspiring speech in which he urged graduates to give something back to society.

招かれた話者は、卒業生たちに、社会に恩返しするよう促す、気持ちを奮い立たせるスピーチをした。

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この例文は、スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式でしたスピーチ(Commencement Address at Stanford Univ. 2005)を意識していますネ、きっと。

このときの内容は、感動的で、日本でも高校3年生の英語の検定教科書や副教材で全文や一部が採り上げられたりしました(ex; 三省堂Crown III (画像))。

「点をつなぐこと」「愛することと失うこと」「生きることと死ぬこと」(拙訳)の3つの要点でした。私のようにぼうっと生きた人間には、第1点の要旨「積み重ねた努力を無駄にしない」という戒めに心が痛みます。

Windows95以前のDos V時代に、カリグラフィに傾倒していたジョブスのこだわったApple Macの美しいGui画面は、大いに感動的でしたが、研究者にも高嶺の花(日本ではCanon関連会社が気の遠くなるステキな値で売っていたので)、たいていの日本人には縁のない遠い国のあこがれでした。

 30年後の今は、Appleのi-OSでもWindows 11でもなく、高額なOSライセンス料の息苦しさから完全に解放されたLinuxディストリビューションを、快適に使っています。時代は変わったものです。

■ すべての科学技術は移ろい色褪せるのですが、でも、ジョブスの言葉のような先人の知恵は、だれの人生のどの段階でも、常に新しい響きを失わないものですね、きっと。

2023/07/12

■ まなぶ - 「決意」


Le Lour de France ; étape de montagne

今日の「英単語を書く」は、1101-1200までの例文でした。

今日の例文 1144: The tennis player herself said that her success owed more to determination than to natural talent.

自分の成功は、持って生まれた才能よりも、決意によるものだ、と、そのテニス選手は自ら語った。

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この例文の言葉って、人生で運命の強い一撃に打たれ自ら大きく進路を変えた人間でなければ、まるっきりピンとこないひとことではないでしょうか。よくこのような例文を置こうと思ったものだな、と、この単語集で、最もこころ打たれた例文でした。

スポーツにかぎらず一般に言えることだと思います。が、スポーツの場面がやはり理解しやすいです。今の状況を認識して、これを敢えて打ち破るには、「決意」が必要だと思います。

私はスポーツ観戦の醍醐味を知らないつまんないヤツなのですが、自転車競技のうち、競輪などのトラック競技ではない、一般道を閉鎖して行うロードレースに、ここ40年間ほど、チョっと興味があります。日本ではなじみのない競技ですが、欧州には「三大グランツール」という、自転車ロードレースの頂点に立つ競技があります。とはいえ、私などは、TVも映像も見ず、少年時代から自転車専門雑誌で、興奮の瞬間から1カ月も遅れて活字となる競技結果と雑誌記事だけを垣間見ている程度。

このグランツールのうちの例えば毎年今月7月開催のツール・ド・フランス。これを5連覇する偉業を成し遂げたのは、110年の歴史で2名。うちの1人のアシスト役だった若い選手に雑誌がインタビューして、「彼(キャプテン)の強さは何に由来すると思う?」と聞いたところ、いつも身近についているそのアシストは、「『決意』だよ。いや僕が言える立場にはないけど、感じるんだ。彼の『決意』だよ。」

 また別の話ですが、1936年のベルリンオリンピック。ナチス政権の権威を世界に見せつけるためのナチス祭典と化した分厚い応援軍団の中で、水泳平泳ぎ女子200mで、前畑がデッドヒートの末ドイツのゲネンゲルを下して優勝しました。「前畑がんばれ」と絶叫のみ放送し実況中継の責務を放棄して立ち上がって応援したNHKの放送も有名です。後に、彼女は、「優勝できなかったらと考えた瞬間がありましたか」という問いに「死ぬつもりでした」と迷いなく即座に平然と答えたと...。命と引き換える『決意』だったのですか...。

このような話は、スポーツ界には、枚挙にいとまがないでしょう。スポーツが私たち一般の人間に、希望と強さを与えてくれる良い存在であってもらいたいです。

とある都心の旧帝国大学の合格発表の日。いまどきはオンラインで合格発表を見る人が多数派ですが、それ以前は、大学に来なければ結果はわかりません。生徒やその家族のみならずマスコミや学生の「胴上げ実行委員会」まで出現してごった返す中、とある学生ボランティアの集団が出て、その熱狂的な群衆をかきわけて思いつめた蒼い顔をして去ろうとする若者を見つけ、その手にチラシをサっと滑り込ませます。そのチラシには「死なないで!」と書いています。内容にはさらに、この大学を落ちたけど有名人著名人になった幾多の名前が書かれていたりします...。臺灣大學やソウル大学校でも同様の話があると、両大学の複数の留学生から聞いたことがあります...。受験生の中に、本当に命をかけた決意をした人たちがいるんですね。その決意のしかたの良し悪しを評価するのは置いて、決意して実行したその瞬間とそれに続く期間って、その人の生涯に、シュガリーな人生を歩む他の同年代の人には経験のない決定的な軸を刻みこむ人生の一瞬ではないかと思います。 

2023/07/11

■ まなぶ - 『半七捕物帳』- 再読したい気持ちにさせる背景描写


今日の「英単語集を書く」は、1001-1100まで例文を書きました。

今日の例文1071: Some say that bribery and extortion are rampant in post-communist Russia.

   共産主義崩壊後のロシアでは、賄賂と恐喝が蔓延しているという人もいる。

… “単語集”がここまで言っていいんですか!?...post-communist直後の10年間はエリ(E)の、さらにその後23年間はプチ(P)の独裁政権ですね。国営企業をタダ同然で手に入れたオリガルヒたちを、Eは癒着によって、Pは恐喝によって、手中に収めてきました。これをすべて許すロシア人。200年前に生まれたドストエフスキーが「ロシア人は長いものに巻かれろという民族性なのだ」と喝破した通りですか、やはり。

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私のような底辺の庶民は、普遍的価値のある文学に、小さな心の安らぎを求めるとしましょう。

そのうち、年に1,2回、思い出して全編を読みたくなるのが、幕末~維新を舞台とする岡本綺堂『半七捕物帳』なんです。

19世紀末の『シャーロック・ホームズ』が最初にして最高の探偵小説ですが、これを範としたのが『半七捕物帳』。日本文学における最初にして最高の探偵小説(?)です。前者には種々の学究的考証を進めるシャーロキアン協会が存在しています(入会希望者は筆記試験採用です)が、後者にも「ハンシチアン」が存在するんだそうです。さもありなん。

ストーリー(落ち・プロット)はもうわかりきっているのに、どうして再読味読するのでしょうか、特に探偵小説なんか。同様に、考えてみると、寄席に通う人というのは、古典落語のストーリーが知りたくて行くはずがないのですが、なぜお金を払って聞きに行くのでしょう。いや、それはすべての文学作品に、敷衍すれば、音楽・美術など全ての古典作品に共通する疑問です。ま、答えは置いておくとして...。

 「また読もうかな」と思って『半七捕物帳』に手を出すのは、最近、私は、「江戸情緒を感じてみたい」という、妙な気持ちがそうさせるようです。過日(7/6)に書いた「手塚マンガの背景」に、やはり似ています。

『半七』と、二匹目のどじょうを狙った『銭...』との大きなへだたりが、江戸情緒の描写の有無・巧みさです。

『半七』のほかに、再読味読する作品のなかには、そういえば、同じ動機で手を伸ばしているものがあるんじゃないかな、と、ちょっと振り返って考えました。

簡単に引用してみましょう。漱石『猫』、鷗外『高瀬舟』もどれも著作権の心配はもうなさそうです;

そうですね、さしあたり「春の宵」の情景を思い出して選んでみましょう。


綺堂 『半七1 - お文の魂』

...閉め込んだ部屋のなかには春の夜の生あたゝかい空氣が重く沈んで、陰つたやうな行燈(あんどん)の灯は瞬きもせずに母子の枕もとを見つめてゐた。外からは風さへ流れ込んだ氣配が見えなかつた。お道は我子を犇(ひし)と抱きしめて、枕に顔を押付けてゐた。


漱石 『猫』

...花曇りに暮れを急いだ日は疾く落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町の下宿で明笛を吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底に折々鈍い刺激を与える。そとは大方朧(おぼろ)であろう。...

...春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪が台所の腰障子の破れから飛び込んで、手桶の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。


鷗外『高瀬舟』

...さう云ふ罪人を載せて、入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。...

...いつの頃であつたか。多分江戸で白河樂翁侯が政柄を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。


「春の宵」は、読むあなたにしてみれば、あたたかくゆるやかな気持ちになろうかという暗示をかけられます、ただ、夕闇が迫ることから、そっと緊張感もあなたの襟首から差し込む、そういう気分を、さらに「江戸情緒」という背景に重ねて、読むあなたを包みこもうとする巧妙な技巧のように思えてきます。

 いずれもそれが、情景を描写するのが主たる目的ではなく、お話のごく些細な背景のためにわずかな言葉を費やすに過ぎないのですが、特に漱石と鷗外は、さりげないながら、じつに周到に1ページ程度おいた後に、春の宵の江戸風情をリフレインします。

思い返してみれば、噺家の中にも、桂米朝(人間国宝)などは、筋を急ぐだけでなく、上方落語の鳴り物入りとはいえ、季節の情景描写の織り込み方もじつに見事なものがありました。

これに身を任せようかなと意識したうえで、文豪の手のひらの上でいいように転がされるのを楽しむというわけなんですよ。これが私にとって、再読味読の楽しみです。


2023/07/10

■ なおす - 万年筆を洗浄乾燥


昨日今日の「英単語集を書く」は、0801-0900 & 0901-1000まで。

昨日の例文880: It is not always easy for psychiatrists to decide whether a patient is sane or not.

   患者が正気なのかどうかを精神科医が判断するのは、必ずしも簡単ではない。

今日の例文945: In general, psychopathy is used to refer to a mental illness in which a person behaves in an antisocial way.

   一般に、精神病質とは、人が反社会的な行動をする精神病を指して用いられる。

…こ、困った話ですね…。

---...---...---

万年筆は、毎日使っています。10本程度あるうち、3,4本に常にインクを入れて使っています。使うものは、時期によって入れ替わります。もっぱらペン先の太さによります。ある時期に細めのもの何本かを何日か何か月か続けて使うと、そのうち太字でのびのびと書きたくなるので、手元のものが太字系に入れ替わっていたりします。すると、太字のおおらかさの反面、もっと精密さが欲しくなり、細字系に…。ひと様に提出提示する文書には使わないので、そんな脈絡のない使い方で、書き味を楽しんでいます。

使っていないものは、その間に洗浄して乾燥しておきます。使うインクが、頻度順に、古典・顔料・染料の3種類すべてなので、まめに洗浄しています。パイロット製品の場合、この1年間に3回ほど、メーカーに洗浄と調整に出しました。万年筆も他のすべての道具と同じで、ふだんは自分で手入れ(洗浄)をし、年に1回くらいは本職によるメンテ、というつもりです。この点、国産3大メーカーの保守受け入れ体制は、良心的です。

 「入学祝に万年筆」という風潮は、もう絶滅しましたね。私が中学の頃は、まだありました。教室でも使っている同級生がふつうに見られました。そういう最後の世代だったと思います。高校に入ったら、使っている人は、私以外には、同級生300人のうちたった1人だけでした。この間にシャーペンやマークシート式試験が爆発的に普及した時期だったり、学校の雰囲気の違いもあると思います。で、その1人のSくんの使いぶりが、ごく自然で知的な雰囲気が漂っていて、家庭環境や社会階級が違うのであろうと思いました(妙なコンプレックスの入った妄想かもしれません)。

 英文880では、なんだか精神科医はたいへんそうです。つい、Sくんが判断に苦しんでいる姿を思い、その苦労がしのばれます(って、この英文を見て半分心配半分揶揄していますか?)。

一般に、サイコパスとは、授業が意味不明で生徒に無理な課題を強いる進学校の高校教諭らを指して用いられる、という定義を、「そ、その先生はどうしてサイコパスというあだ名なんですか」に対する高校生の方々(複数)の解説として教えてもらいました (私は高校職員でもなく高校生の親でもなく、いずれとも利害関係はないのですが、とある機会に…。)。

2023/07/09

■ きく - シューマン『ハイネの詩によるリーダークライス Op.24』 Olaf Bär(Br) & G Persons(Pf)


Robert Shumann; Lierderkreis, Op24. Olaf Bär(Br) & Geoffrey Persons(Pf)

R.シューマンのLiederkreisのうち、H.ハイネの詩にもとづくOp.24の、最後の2曲(のごく一部)を。

第8曲

Anfangs wollt’ ich fast verzagen,

Und ich glaubt’, ich trüg' es nie:

Und ich hab’ es doch getragen -

Aber, fragt mich nur nicht, wie?

最初は絶望して、

絶対に耐えられないと思った:

それでも、僕は耐えた -

けれど、聞かないでくれ、どうやって、と。


死という冷たい水の表に指が触れている気がします...。

ピアノ伴奏も、まもなく鳴りやむ心臓の鼓動のように、極限の単調さで、厚く重く不安な和音を、単調に刻みます。

最後の1小節は、 苦しく最後の息を吐くように(decrescendo e ritarudando)、“nicht: wie? (never: how)” と自分にたしかめるようにくりかえして、深く沈潜します(下降音階)。

と、間髪を置かずに、この盤は、最終曲(第9曲)のピアノ前奏を、明るい天の光がさすような右手の三連符の上昇音階でつないで、またたくまに軽やかに上昇します。第8曲と第9曲が連続した1曲であるかのようにピアノが弾き続けます。

第9曲



Mit Myrten und Rosen, lieblich und hold

Mit duft’gen Zypressen und Flittergold, 

Möcht’ ich zieren dies Buch wie ‘nen Totenschrien

Und sagen meine Lierder hinein...

ミルテとバラの花。やさしくて愛らしい。

これに、香り良い糸杉や金箔で、

この本を、棺のように飾りつけよう。

そして、そのなかに、僕の歌を、おさめよう... 


 軽やかに音階をのぼって図の最高音Cの付点四分音符 "hold(愛らしい)"で、空に突き放たれたように、重い緊張の糸が切れて宙に舞います。これまでどっとひろげてきたつらい思いを、いま、そっと本のなかにとじて封をして、また新しい道を最初から歩み始める最終歌。

---...---...---

ドイツ・リートの名盤は枚挙にいとまがないので、ここで比較して聴いて論評する行為など愚なのですが、この曲の声域での模範的な演奏は、ヘルマン・プライ盤とペーター・シュライアー盤です。曇りなく晴れ渡り、ドイツリートがドラマティコに響き渡るようなテノールやバリトンです。さらに、スケールが、明らかに大きく違うフィッシャー=ディースカウ盤。十代の頃に聴いたのはF=ディースカウ盤(Deutche Grammophon盤)でしたが、それは、ドイツ・リートの、基準とすべきイデアでした。いずれもそれぞれ複数の録音があって、それら以外を聞かねばならない必然はもはや無いです。これらを乗り越える盤なんて...。

 でも、上の三者と明らかにバリトンのBär(ベーア)の声や歌い方がちがうな、と実感したのは、すこしくもりがかっている点です。ベーアの声質は、バリトン・リリコというよりバリトン・カヴァリエッレに変わった頃でしょうか。

 彼のシューマンやシューベルトは、芝居がかっておらず、雰囲気をつくろうともせず、重くないけれど低い声で、なのに、くっきりとした単語の発音で、親密に話したりささやいたりするようで、誠実さに疑義がありません。まるで、親しい友人とごく近くで静かに話している...、のですが、喜んだり嘆いたり泣いたりキッパリ言ったり声を潜めたり、の、どの表情も、暗くこもった低い声なのに、シャープにいきいきと聞えます。「さあ芸術作品を聴こう」などと前向きな気分のときには暗くて目立たないかもしれないのですが、自分(私)がなにもかもいやになっておちこんで暗い部屋で膝を抱えてうなだれているときに、チョンと肩をたたいてさらさらと話す友人のようかもしれません。

 80年代半ばから、90年代初頭にかけ、EMIに、シューベルトとシューマンの著名な歌曲集を、ベーアとパーソンズは、次々と録音してくれました。この頃20代の大半をほぼ病床で寝たきりですごした私にとっては、ほんとうに生きる希望となる出会いでした。

このステキな友人をそんなふうに育てた背後にいるのは、そのピアノのパーソンズではないでしょうか。若いベーアを、陰になり日向になり、老練の包容力で導いています。

シューマンの歌曲は、思うのですが、人の声というオブリガートがついたピアノソナタですよ。詩人のテキストを使って、抽象的なピアノのニュアンスを、具体化した一つの可能な解釈として示してくれる(それは恐ろしくピッタリな解釈なのですが)...、で、何度も聴いたのちに、あるときふとテキストを離れてピアノの響だけを思い出すと(聴いて知ってしまった以上はそう簡単には分離できないのですが)、あらためてシューマンの手によって引き出されたピアノ本来のニュアンスの美しさが、立体的で奥深い構造で脳に響き渡るんです。

こころ折れかけるときに何かこころ和むピアノを聴きたいナという際に、バッハもハイドンもモーツァルトもいいのですが、シューマンはといえば、『子供の情景』や『交響的練習曲』などのピアノ曲はさしおいて、2曲の『リーダークライス』や『詩人の恋』の方が、より候補になる気がします。

テキスト(詩)はどれも拙訳です。どうぞご勘弁を。

2023/07/08

■ なおす - シェービングソープをつくる 2


今日の「英単語を鉛筆で書く」は、701-800まで書きました。

今日の例文738: As the history shows, the ideologies of fascism and communism, although bitterly opposed, often have similar effects.

   ファシズムと共産主義は、激しく対峙するイデオロギーだが、しばしば同じような結果となることは、歴史の示す通りである。

   ...「そんなのもう昔の話だよ」とは言い切れない気が...。

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仕込んだシェービングソープの話は6/27ご参照。

一般に、手づくり石鹸は、型に入れて数日、型から取り出してさらに数か月ほど熟成すればよいようです。

背後右にある四角い石鹸は、シャワー用の常備品です。型(といっても牛乳パックですよ(;^^A)に入れて半年以上たったものを取り出して切りました。これはオリーブ油・パーム油・ココナツ油・水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)だけで作りました。まだこの倍以上あります。シェービング用ではありませんが、ブラシでの泡立ちがイマイチ・香りがオリーブ油臭、という点以外、ふつうにシェービングに使ってもよいんですがネ。

手前のウッドのトレーに入ったものが今回つくったシェービングソープです(さらに3個ほど、加えて、トレーがないので、牛乳パックに入れて熟成中もアリ)。このやわらかい状態ですとPH値が11前後と高くアルカリに偏っているようですが、最初のこの1個は、まぁかまわずにすぐ使います。 

今のこの良い香りは、各種ナッツオイルやオレンジピールやラム酒など、高価な食品材料をたくさん使った結果なのですが、上のシャワー用より、香りと泡立ちの点に考慮した追加分です。素地はほとんど同じ組成なので肌ざわりの良さは上のシンプルなものと変わらないでしょう。

 ただ、天然の香りは、はかなく、すぐ抜けちゃいますから、その前にどんどん使います。

トレーの下に置いたグリーンのシェービングソープ(Barrister &Mann)と左側の白い紙箱(Ogallala)は、いずれもアメリカ製の「ベイ・ラム」フレーバーの既製品ですが、さすがに、それぞれ独特の香り高さがあり、かつシェービング用としての泡立ちが抜群です。また買えるのは数年後のお楽しみにして、今は自作のナチュラルな素材を楽しみたいと思います。

2023/07/07

■ まなぶ - 鉛筆を使って - 英単語集の例文を書く 7


今日の「英単語を鉛筆で書く」は、601-700まで終了。

今日の例文626: His wife’s enthusiasm for the idea evaporated when she heard how much the new car would cost.

   彼の妻の、そのアイディアに対する情熱は、新しいクルマがいくらかかるか聞いたとき、消え失せた...。

    ...なんだか笑ってしまいました。

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鉛筆を使って英単語を書いているところですが、本の全例文が2100文。今日でその全体の3文の1の700まで終わりました。

鉛筆は、新品1ダースのうち6本を削って、毎日4,5本ずつローテーションしつつ使っては削りました。減り具合はというと、1本あたり、全体の5分の1程度使った感じです。6本同時進行であることもあって、思ったほど減りははやくないようです。

小学生の使い方と大きく違う点は、1) 書く時間が1時間余りのみ。 2) 筆圧が非常に低い。 3) 文字は8ポイント~9ポイント程度と小さい。...の3点でしょうか。気合いを入れて何時間も学校で勉強する小学生なら、減りはこの何倍も、ということになるでしょう(1日5~6時間程度授業を受けたら、私の4,5倍の量を強い筆圧で書くでしょうから、1週間目の今日で6本とも持てないくらい短くなる感じでしょうか。小学生のおうちの方に聞いてみたいものです)。

単語集の例文の英単語数は、11,254語を書いたようです。この6本だけで、単語集の残り3分の2にあたる23,000語程度は、書き切れると予想できます...書く本人が挫折さえしなければ...。

ついでに、使った紙ですが、A5判、10mm罫を、表裏の両面を使って、合計21枚(42ページ程度)でした。

ここまでの感想。やはり細すぎて持ちづらいです。また、芯が尖った状態では、先折れが不安ですが、筆圧は微小なので、恐る恐るゆっくり書けば、クッキリした字が快適です。が、すぐ太くなります。と同時に書く速度が一気に上がり、他の筆記具より気づかいは無いことから、独特な快適さがあります。ただし、太くなるにつれて、文字はぼやけるので、つい力が入りがちです。全体に、細い→太い、持ち替えてまた細い→太いの、リズムの揺れが、ちょっとストレス。

以上の点から、1) 一定の(弱い)筆圧、2) 一定の芯の太さ、の2点を保って流れるように流れるように速く書けるのは、もしかしたら、「シャーペン, 0.5mm, 芯は4B」が、より好適な選択かな、と現時点で考えています。いずれにしても、感想や結論は、今回のHi-Uni(2B)を1ダース使い切ってからにしましょう。

2023/07/06

■ まなぶ - 手塚治虫『火の鳥 4 - 鳳凰編』の背景画


今日の「英単語集を書く」は、0501-0600まで。

この単語集は、ロシアによるウクライナ侵攻前の出版です。国連安全保障理事会常任理事国ロシアが、連日のように独立した主権国家ウクライナにミサイル攻撃をし、民間人(兵士でない者)に死者が出ているだなんて...。

今日の例文525: The bombing campaigns have been inflicting terrible suffering on innocent civilian population.

一連の空爆は、罪のない一般市民に悲惨な苦しみを与えている。

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漫画のストーリーの紹介や感想ではありません。もっと些細な話、あまり他の人の賛同は得られない話なのですが、高校生の頃から40年以上もずっと気になっていた手塚の漫画の背景画。図中の、格子模様です。正方形の連続です。

 ついでに、画像の右端は、1970年代後半~1980年代初頭に出ていた、京都の「ご当地タバコ – 雅(みやび)」のパッケージの一部です。灰色地に黒格子の正方形の連続です...。

『火の鳥 4』の舞台は、奈良時代の都。仏師「茜丸」は若い頃旅の途中で、山賊「我王」に襲われ右腕を斬られ不随に。仏師の道を絶望しましたが、長年の苦難の末、左腕のみで、いっそう優れた仏師になり、今や都の寵児。他方、我王は、暴力・屈辱・差別にまみれた育ちから、他者を殺し奪い生きていくのですが、飢饉と為政者に抑圧された農民たちの惨状に自分の怨恨感情が重なり、人間社会の理不尽を怒り、デタラメな化け物の彫像を、苦しむ農民たちに、拝む対象として彫ってやったところ、激しく感謝されたことから、怒りを彫塑にぶつけ、その激しい彫像が都にも聞えるほどになりました。東大寺造営に際して、スターである建築監督の茜丸に、時の権力者橘諸兄が、挑発的に「日本一の芸術家=我王」の噂を持ち出し、茜丸が「造営中の東大寺の鬼瓦の制作を両者で競う」提案をします。

「鬼瓦」は、津軽の人には全くなじみのない存在ですが、特に寺院建築における瓦屋根の、最後の要(かなめ)となります。外から近づく邪気を寄せ付けないよう、四方を睨むその形相は、見る者に「恐怖」を抱かせなくてはならない芸術的使命を帯びます。

茜丸は唐招提寺法華堂に、我王は東大寺二月堂に蟄居して制作を命ぜられます。

図は、蟄居して独り悩む両者。茜丸は、今や名声や地位に溺れる自分に気づき、その制作作品のレベルに自信が持てないどん底の焦燥感。他方、我王は、ひとり座して、屈辱と血にまみれた怒りの人生を一つひとつ思い起こし、巨大な怒りを、作ろうとしている鬼瓦に込めていきます。

手塚のこの話は、史実に基づくものではなく、彼の自由な創作ですが、私は高校時代に人から借りて一度読んだだけで、強烈な印象を持ち、ノンフィクションだと思い込み、おかげで高校日本史が俄然いきいきとしたものになると同時に、勉強にも混乱をきたしました(ホントですか!?)。橘諸兄と吉備真備が同一天皇のもとで権力闘争、と誤解してしまった...などはどうでもよいのですが、いま、東北人にはない手塚の漫画に登場する背景画の感覚を、チョっと言ってみたいなという気がしました。

冒頭の、「黒い正方形の格子」は、奈良-京都の寺院のモチーフを代表する物だと感じています。70年代に日本専売公社で売り出した京都のご当地タバコのパッケージは、全面が黒い格子で、「雅(みやび)」という商品名の毛筆風書体が、京都の紅葉を想起させるような黄~朱色のグラデーションです。古典的な日本文化の静けさ漂う美しさを代表するモチーフではないでしょうか。

図の手塚マンガの格子模様は、いまこれを別な模様(例えば白い壁や木目板)に変えたとしても、読者にとって、ストーリーや漫画の価値に何の影響も及ぼさない気も、大いにします。

ですが、「真夏 - 寺院 - 孤独 - 思索 – 心理的重圧...a」と、日本の古都の巨大建築のさりげないインテリア・モチーフである黒い格子の、「そのようすを冷ややかにとりまく静かな日本的な美しさ...b」という概念とが、同時に存在しています。

端的に言うと「次々とうつろいゆく権力や悩みの象徴である人間の存在...a」と「静謐で普遍...b」が、対照的に表現されている気が、ここ数十年、しているというわけなんです。ここにも、死んでいくものをつきはなして諦観する火の鳥のモチーフが、手塚の意識下にあって、それがたまたま現れたような気がして...。ここまでコジつけると、精神が病みかけていますか?

「どうやったらこんな背景を描こうだなんて発想できるのだろうか」と、手塚マンガには、ストーリーをひと通り追って把握しきった何年も後になって、再読味読した際に、つねに新たに発見させられ、うならされてきました。今日はそのごく1つでした。他にもたくさんあるのですが、読み手の立場にしてみると、さぞ苦痛であろうと思いますので、あとはもう胸にしまっておきます。

手塚は、関西で育って、周りのものを観察するその慧眼と繊細さゆえに、寺院のごく細やかなデザイン・モチーフが、意識の底流に刷り込まれているのだと思います。

2023/07/05

■ あるく - 内真部眺望山


今日の「英単語集を書く」は、0401-0500まで。

鉛筆は、1ダースのうち6本を削って使っています。新品と長さが比べやすいかなと思って...。

そうそう、三菱鉛筆Hi-Uniは、削っている際も使っている際も、スギの良い香りがします。北米産のIncense Cedarのようです。さすが高級鉛筆。

この単語集は、5訂版で、2021年6月に発行、と昨日も書きました。爆発的に広がりつつあったコロナ禍の頃ではありますが、ロシアによるウクライナ侵攻は、その後の昨年2022年2月です。不足しがちな弾薬供給が喫緊の課題であり続け、常に西側に供給を仰がねばならないウクライナ大統領。10日ほど前の2023/6/24(JST)には、ロシアの傭兵会社創設者の乱がありましたが、その直接的なキッカケは、露国防軍の懈怠による弾薬支給の停滞が許しがたいという主張でした;

今日の例文431: One of the biggest issue facing the wartime administration is maintaining a steady supply of ammunition.

戦時の政権が直面する最大の課題の1つとして、弾薬の安定供給を維持するということがある。

...こ、この本は、単語集のふりをして、じつは旧約聖書のような預言の暗示書 “A bleak prophecy of war and ruin” なのでは...。

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津軽半島中央部は、南北に背骨状に標高の低い500m前後の山地が伸びていて、そのやや南麓は、日本三大美林の青森ヒバの産地です(「日本三大美林(天然林)」は、1) 木曽ヒノキ、2) 秋田スギ、3) 青森ヒバ」といったん措定しましょう)。

この山脈エリアを横切るようにして青森県道2号(屏風山-内真部(うちまんぺ;アイヌ語?))線が東西に通り、西側に位置する津軽平野と東側に位置する青森市などのむつ湾岸を結ぶのですが、山岳路は狭く急峻でカーブは見通しが悪く、営業用車両が抜け道として飛ばし気味に利用していて、地元の人も観光用としても、好んであえて出向きたい気持ちにならない道のようです。

昨年8月の大雨で山頂尾根付近の道路法面が崩れて以来ずっと、工事による長い片側通行区間が設置されているのに加え、この初夏の大雨で、2週間前の6月中旬からさらに別の箇所が2kmに渡り災害による全面通行止です。流通路としての経済的機能はもう休止しています。まったく同じ事情が、すぐ南側に並行する県道26号(天田内-飯詰)線でも続いていて、ほぼ全線の16kmに渡って昨年8月から無期限で全面通行止で冬期ゲート閉鎖状態です。

他面、これら2本のルートは、ヒバの森林帯のど真ん中を貫く道ですので、道端から景観をよく見ると、その樹相は、じつに見事です。このうち、県道26号線は今は全線に進入禁止ですが、県道2号線は、途中に工事による車線規制区間はあれ、こちら側(西側)からアプローチして分水嶺を越えてむこう斜面を降りかけたところに「眺望山自然休養林公園」があって、そこから先(東側)が全面通行止のようですので、むしろ、公園まで行って折り返すつもりならば(すなわち「山を登って向うに降りてまた帰ってくるようなヒマで酔狂な人」ならば)、交通量ががっくり減っているはずですので、この貴重なヒバ山を、晴れた平日にゆっくり堪能できそうです。

...などと猪口才なことを考えて、出向きます(ホントに行くんですかい(;^^)。

案の定、金木地区の集落を過ぎて県道2号の山あいの一本道に入ると、交通量はゼロに近いです。木漏れ日のさす森の快適な舗装道路が、完全に貸し切りです。とはいえ、カーブが多くミズナラやブナがおい茂り道路の見通しは良くないので、爽快に走ろう、などとは思わないことにして。

分水嶺を越えると、それまでのブナ・ヒバ混在の森林相が、いっせいに、原生林・二次林の相入り乱れたヒバ林のみに変わります。山頂付近のつづら折りが、向うにくだるにつれてゆるやかで伸びやかな道になります。

「公園」に近づいた頃、遠くに伐採樹木が置かれてあるのが見えました。近づくにつれて強烈なヒバの良い香りが漂います。一昨日までずっと冷たい雨が続いたところ、今日は晴れていっきに気温が上がって蒸し暑くなり、むせ返るようなこの香りが立ちのぼったのでしょう。思わず立ち寄り、深呼吸をして、リラックスしてからだをのばします。

それにしてもなんと良い香り!

5月初旬にクルマでフラリと行った南部地方と県境を接する岩手や秋田の山岳エリアは、いたる所でスギの良い香りを楽しみました。

が、今日のこのヒバの香りは、また格別です。遠い懐かしい香りのようでいて、同時に、乾いた明るく格調高い香りであるような気もします。

■ 忘却の淵に沈んでいた、懐かしい幼少期のお風呂の桶や湯もみ棒の香りでもあります。また、春に苦しんだ実家整理の際、何度も1F天井裏や2F屋根裏に上がりましたが、真っ暗闇の中に埃っぽいにおい。その背後にヒバのかすかな香りを感じたものです。何回目かに侵入して気づいたのですが、屋根裏の柱に「ヒバ材 〇〇号/ 青森県産 昭和41年」などの墨書が、暗闇の中ヘッドライトの明かりの前に浮かび上がりました。

もう忘れかけていた香りや記憶。なぜ懐かしいか、過去の具体的場面などは存在しないのですが、この懐かしさは、抽象的な記憶なのでしょう...。

 「...しばしとてこそたち止まりつれ  (西行;新古今(三)夏262)」

 少しだけ立ち寄るつもりだったのですが、あまりの爽やかさと懐かしさに、この森林の林道わきの開けた木材置き場に、だいぶ長居してしまいました。

「あるく」目的で一歩でも外に出ると、気持ちがくつろぎます。ちょっと日常から離れて外に踏み出しただけなのに、西行の、あの超絶的な高みを悠然とただようようなくつろぎ感に想いが飛びます。

また山のくねくね道を逆にたどって戻ることにします。


2023/07/04

■ なおす - PCのキーボードを分解洗浄


今日の「英単語集を書く」は、0301-0400まで終了。

そういえば、この単語集には妙な例文があると申し上げました(6/28)。毎日チョっと紹介しましょう。

この単語集は、5訂版で、2021年6月に発行。コロナ第4波の頃。4月に東京大阪などに緊急事態宣言。「生活に最低限必要限の外出だけを!」の呼びかけの中、前年後半から、政府が「ガンガン旅行しよう!」と煽る「GoToTravel」とかいう不明な英語風言語でキャンペーン中。

 例文341: A lack of coordination between the responsible government agencies made tackling the disease more difficult. 

責任ある政府機関の連携不足のせいで、その病気への取り組みはいっそう困難になった。

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PCは、90年代から自作しています。うち、キーボードはずっと、東プレのRealforceシリーズで(PC自作人ならおなじみ)、もう歴代のモノ11台も所有しています...。当初、「オペレータ用」ということで、個人のエンドユーザには関係ないモノと思っていましたが、他のかなりの種類を次々と試してみて、タイプライター世代の私には、これがずば抜けて優れたタッチでした。

 触った瞬間に購入決定。その初めての購入時には、寿命などはいっさい考慮しませんでした。このタッチなら、そうとう高額だけど、壊れたら毎年買い換えてもいい、と思えるほど優れていたからです。が、20年以上使ってみて、寿命もまた突出していると実証されたと思います。

どれも壊れずに稼働している理由の一つに、分解して手入れができる点もあると思っています。PC本体もパフォーマンス維持のために定期的分解清掃は必要ですが、キーボードは特に、キートップ間のすき間のホコリや汚れは目につくし、考えてみると、内部に入りこんだゴミホコリや飲食物や髪や爪や皮膚の一部などといった有機物が、アレルゲンや病原体へと成長している、それが再度自分の口や鼻や目の粘膜に、などと考えると、チョッとこわいです。

なお分解清掃はメーカーマニュアルでは推奨されていないようです。が、いまでは、「東プレ  リアルフォース  ポリデント洗浄」でググれば、たくさんの方々が教えてくれます。(ポリデントとは、入れ歯洗浄剤です(^^)...キートップを全てはずしてひと晩つけ置きすると見違える美しさに!)

年に1回程度、台数が多いので全部というわけではないですが、キートップもフレームも外し、基盤を露出させた状態で、エアと刷毛を使って、分解清掃します。もっとも、ポリデントは使わないのですが(;^^A...台所洗剤でじゅうぶんです。

何度やっても覚えないのが、つけ置き洗浄後に乾燥させた上の画像の状態から、90個前後あるキートップを戻すして組み込む際に、配列がピッタリわからない点です。他のキーボードやメーカーのウェブサイトの画像を参照します。けっこう難しいんですよ。例えばこのカーソルキー[→]って、右なの左なの上なの下なの? キーの形はどれも微妙に形状や傾斜が違って、同じものはむしろ稀です。この実に微妙な違いも、すばらしいタッチに貢献しているんだと思うと、まぁイライラせずに、きれいになった後のタイピングの気分の良さを思い出しながら、この3Dパズルをゆっくり組みましょう。 

2023/07/03

■ まなぶ - 没食子インク


今日も、鉛筆Hi-Uni 2Bを使って、英単語集のうちの0201-0300を書きました。書き始めが極細の芯なのに、一瞬にして極太になる2B芯が、まだまだ慣れません。

さて、昨日の「1行飛ばして書くクセ」ですが、実は、キッカケは、その当時の手元のインクのせいなんです。

ウン十年前の中学高校の頃、万年筆インクやボールペンの色は、選択肢が今みたいに「色とりどり」「インク沼」などという贅をきわめた状況からはほど遠く、特に私のいなかの文具店では、購入する際に選べるインクは、色が、「黒」「青黒(ブルーブラック)」「青」くらいで、メーカーだって、パイロットかペリカン程度でした。パイロットの黄色いシマシマの紙パッケージの「カートリッジインキ」か、ペリカン製の短い欧州共通規格カートリッジか、#4001のインク瓶だけ、という状況です。

そのうちの、ペリカンの「#4001ブルーブラック」は、今も昔も、没食子(タンニン酸)インクで、紙に書いた翌日にあらためて文字を見返すと、青みが取れて黒変しています。当時は「ロイヤルブルー」色も手に入ったのですが、併用していました。ブルーブラックは翌日には黒灰色に変色し、ロイヤルブルーはずっと鮮やかな青が長持ちしますので、「ブルーブラックの方は品質が悪いのではないか」とずっと一人で勘違いしていました。

でも、その際に思いつきました!ブルーブラックの使い方として、『今日、奇数行目に書き、明日は偶数行目に書けば、まるで2色の別なインクで書いたかのように、気分が変わり、見晴らしもよく、勉強がはかどる...』という、本当に少しでもいいからマンネリ化するのを避けて気分を変えてみようという、受験生のセコい涙ぐましい考え方です。

やってみると、快感でした(^^d   もくろみ通り、紙をどんどん書き進んでいるかのような爽快さがあり、たいへんにはかどりました。

それ以来、シャーペンでも黒いボールペンでも、いまだに、奇数行目にまず書いてはページ上に戻って偶数行目を埋めるように書き進むようになりました。

おっと、インクですが、万年筆を使う方は常識でしょうが、ブルーブラックと他の色を同じペンで自由に変えて(カートリッジ交換して)使ってはダメなようですよ。正確には、「没食子インク(「ペリカン4001」と「プラチナクラシック」)」の「ブルーブラック」と、それ以外の水性染料インクや水性顔料インクを、同じ万年筆で、洗浄せずに、交代して使うと、詰まり、メーカーでの修理で直るか直らないかの損傷を被ります。今となっては当たり前ですが、あの頃は知りませんでした。中学高校の頃、万年筆が詰まって書けなくなったりペン先の根もとがサビたりして廃棄しましたし(18金ペンばっかりの時代だったのに...泣)、大学生になってやっと「ペリカンの4001Blau-Schwarzは万年筆にダメージを与えるらしい」と中途半端な知識を聞き知った、など、いずれも無知のなせるわざでした...。

画像は、同じ1枚の紙に、その「ペリカン#4001Blau-Schwarzインク」を使って、昨日書いた行とイマ書いた行を撮影してみたものです。全く同じインクなのに色合いが違う点をどうぞご参照。ペン先はPilot 742 S (signature;極太)です。

2023/07/02

■ まなぶ - 鉛筆をつかって - 単語集の例文をかく-2

英単語集0101〜0200の例文を100文書きました。

 鉛筆の軸の細さに、まだまだ慣れないです。

画像は最終ページなのですが、用紙の「行」の使い方がチョイとヘンでしょうか。

紙の使い方について、私は、単語や文を単調におぼえるために書く場合、何十年来、こんなふうにしています。(受験生の参考になる場合もあるかどうか...、ほとんどの人にとっては、「だから何?」な話です):

実は1行ずつ飛ばして書きます。1行目→3行目→5行目と奇数行目に書いていきます。で、そのページの最終行にきたら、ページ上の2行目→4行目...と、空いている偶数行目に書き、ページ最後まで書いたら、次のページでも同じことを...。

そんな珍妙なことをする理由は、「暗記系の勉強や何かの練習をするために書いている場合、息苦しくない。」というだけです。

行間が広く、どんどんスムーズに書き進んでいるかのような錯覚が得られます(;^^w お勉強のモチベーションを維持するには、この爽快感は、大事。 逆に、例えば、B罫のノートに上からビッシリ書くとして、書いても書いても紙が埋まらず、かつ上の行は窮屈に文字が密集して...という景観は、苦痛で呼吸困難になりそうです。続けるために、つつましくもセコい工夫を、少しでもします。



2023/07/01

■ まなぶ - 鉛筆をつかって - 単語集の例文をかく


英単語集0001~0100の例文を100文かきました。

数十年ぶりに使った鉛筆の感想を;

まず、「細い!」…きちんと握って書き始めることができませんでした。

ということは、ここ何年も、鉛筆よりずっと太い筆記具のみ使ってきたということですよね。いつからそうなったのでしたっけ?

大学までは鉛筆を毎日使っていました。その頃同時に併用していた他の筆記具は、油性ボールペンですが、それも鉛筆と同じ細さ。はっきり覚えているのですが、大学時代から十数年間毎日使っていたボールペンは、「パイロット - 証券用」というプラスチック透明軸の最も安い事務用ボールペンです。大学の授業や課題でひじょうにたくさん書くので、オシャレな筆記具どころではなくなり、東京上野の多慶屋で1ダース入りを何回もまとめ買いしていました。シャーペンも同様に最安値のプラ製品ばかり。ただ、多慶屋で、同時に、高級ボールペン”Montblanc Noblesse”, “Cross Century”等とその替え芯も買ったことがあります。以上のすべてが、軸の細さは鉛筆基準です。

一般的ではない少数派だと思うのですが、私の大学の学部学科では、定期テストでは、鉛筆やシャーペンが禁止され、「ペンか万年筆か毛筆のみ」の使用規定でした。で、その際には、まぁ見栄を張ってモンブランのボールペンなど使ってみたいわけです…。同時に、中学時代から万年筆を常用していますが、私の大学時代は、今と比べると、軸はやはり細目です。当時から高級価格帯は太い軸だったようですが(Montblanc Meisterstück #149など)、少なくとも私が使っていた普及価格帯のものは細軸で、70年代80年代などは、細いのが流行した風潮もあったようです(Pilot Grandee & Eliteや, Montblanc Noblesseなど)。こういった細軸万年筆も、大学の試験では使いました。ボールペンと違って、ボタや粘りがなく、書き味はスムーズでした。ただ、試験の際には、やはり鉛筆のように持って力を入れて高い筆圧で使っていたような気がします。同時にこの頃、「万年筆って、その出自といい、構造といい、もしかしたら日本語の漢字や縦書きに向かないのではないの?」と疑惑の念が鎌首をもたげてきました…。いくら書いても漢字が下手なのは、万年筆のせいだ…って、ホントですかい(;^^A…。万年筆も使わなくなっていきました…。

その鉛筆感覚が全く無くなったのは、いま考えてみると、ひとえに三菱鉛筆のジェットストリームの出現です。これもはっきり覚えているのですが、2006年の秋。取引のある文房具屋さんが来て、何かを納品してくれた際に、「粗品」と書かれたペン1本用の紙封筒を私にくれました。その際「このペン、ほんとうにすごいですよ!」と気色ばんでいます。中味を見ると、ごく普通っぽいデザインのボールペン。「ペンごときに何を大げさな」と思い、数日放置して後、チョいと書いてみると、驚天動地の書き心地でした。何かの間違いかと思って何度もいろんな紙にいろんな字や内容を書いてみました。すぐ彼にメールして、「このペンいくら? 他に太さや色は? とりあえず1箱注文できますか」と。これがホントに油性なら、いま自分が買いだめしてある「パイロット - 証券用」だの、インクがねっとり重い書き味の「モンブラン ノブレス」だのは、全部ゴミ箱行きではないの!?(別に捨てなくてもいいんですがね…実はいまだに持っています、1980年代のこれらボールペン。)

ボールペンが、油性水性ゲルインク問わず、鉛筆より太い軸にグリップ付きが業界のデフォルトとなっていると同時に、最近は万年筆もあの頃みたいな細軸ではなくなりました。高級なモンブラン製の万年筆は持っていないのですが、高級品から低価格帯まで、今どきは、小学生向けに開発されて大ヒットした1,000円のPilot カクノも、太い軸です。鉛筆と同じ細い軸の筆記具なんて見かけなくなりましたね。

  今日の鉛筆に話を戻します。細すぎて、力の入れ具合も文字も書く速さも安定せず、また、使い慣れない2Bは芯がすぐ太くなるし、チョっと軸を回して持ち替えればいきなり細くなってまたリズムが狂い、集中力が切れ、長いスペルをミスります。リキんでしまって筆圧も高くなり、と、すぐ芯が減って書き味も太くなって…。まるで「慣れない初めての筆記具」です。つ、つかれる…。軸グリップでも使おうか、そもそも鉛筆ヤメようか、などと一瞬思います。1日で挫折ですか!?...が、小学生の皆さんも6年間使いこなすのである、と考えると、せめて買った1ダースは使い切ってしまおうと思います。

書いているうちに、よりいっそう軸を寝かせて、力を徹底的に抜いても、2Bなら筆跡は割と濃く見えることに気づきました。小指は安定を保つために伸ばしてチョイと力が入ります。寝かせたせいで薬指も紙を引きずって右に動きます。で、残りの3本の指で軸をコントロールしながら書きます。まだまだ力が入っている感じですが、少し楽に進めるようになります。そう考えると、筆圧が限りなくゼロに近い感覚の「万年筆」での欧米文の書きやすさは、実に偉大です。

万年筆の滑らかさと比べると、鉛筆には、サリサリした書き心地があって、これがまた快いわけですが、もし、4B, 6B…と黒鉛含有量が多くなると、「筆圧をさらに弱く、さらに速く、さらに黒く」という点で、いっそう万年筆の書き味や性質に近づくのでは? と気になり始めました。

 A5用紙に100文書いて、約1時間20分くらいでした。万年筆なら、この長いスペルばっかりの例文でも「100文1時間」だったような気がするのですが。

というわけで、今日、数十年ぶりに鉛筆を使ったせいで、ずいぶんといろいろと思い出しました。書きながら脳が過去の記憶を散歩して巡って帰ってきたかのようです。明日も、この「慣れない初めての筆記具」を、いろいろと考えたり思い出したりしながら使うのが、チョっと楽しみです。