2023/07/09

■ きく - シューマン『ハイネの詩によるリーダークライス Op.24』 Olaf Bär(Br) & G Persons(Pf)


Robert Shumann; Lierderkreis, Op24. Olaf Bär(Br) & Geoffrey Persons(Pf)

R.シューマンのLiederkreisのうち、H.ハイネの詩にもとづくOp.24の、最後の2曲(のごく一部)を。

第8曲

Anfangs wollt’ ich fast verzagen,

Und ich glaubt’, ich trüg' es nie:

Und ich hab’ es doch getragen -

Aber, fragt mich nur nicht, wie?

最初は絶望して、

絶対に耐えられないと思った:

それでも、僕は耐えた -

けれど、聞かないでくれ、どうやって、と。


死という冷たい水の表に指が触れている気がします...。

ピアノ伴奏も、まもなく鳴りやむ心臓の鼓動のように、極限の単調さで、厚く重く不安な和音を、単調に刻みます。

最後の1小節は、 苦しく最後の息を吐くように(decrescendo e ritarudando)、“nicht: wie? (never: how)” と自分にたしかめるようにくりかえして、深く沈潜します(下降音階)。

と、間髪を置かずに、この盤は、最終曲(第9曲)のピアノ前奏を、明るい天の光がさすような右手の三連符の上昇音階でつないで、またたくまに軽やかに上昇します。第8曲と第9曲が連続した1曲であるかのようにピアノが弾き続けます。

第9曲



Mit Myrten und Rosen, lieblich und hold

Mit duft’gen Zypressen und Flittergold, 

Möcht’ ich zieren dies Buch wie ‘nen Totenschrien

Und sagen meine Lierder hinein...

ミルテとバラの花。やさしくて愛らしい。

これに、香り良い糸杉や金箔で、

この本を、棺のように飾りつけよう。

そして、そのなかに、僕の歌を、おさめよう... 


 軽やかに音階をのぼって図の最高音Cの付点四分音符 "hold(愛らしい)"で、空に突き放たれたように、重い緊張の糸が切れて宙に舞います。これまでどっとひろげてきたつらい思いを、いま、そっと本のなかにとじて封をして、また新しい道を最初から歩み始める最終歌。

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ドイツ・リートの名盤は枚挙にいとまがないので、ここで比較して聴いて論評する行為など愚なのですが、この曲の声域での模範的な演奏は、ヘルマン・プライ盤とペーター・シュライアー盤です。曇りなく晴れ渡り、ドイツリートがドラマティコに響き渡るようなテノールやバリトンです。さらに、スケールが、明らかに大きく違うフィッシャー=ディースカウ盤。十代の頃に聴いたのはF=ディースカウ盤(Deutche Grammophon盤)でしたが、それは、ドイツ・リートの、基準とすべきイデアでした。いずれもそれぞれ複数の録音があって、それら以外を聞かねばならない必然はもはや無いです。これらを乗り越える盤なんて...。

 でも、上の三者と明らかにバリトンのBär(ベーア)の声や歌い方がちがうな、と実感したのは、すこしくもりがかっている点です。ベーアの声質は、バリトン・リリコというよりバリトン・カヴァリエッレに変わった頃でしょうか。

 彼のシューマンやシューベルトは、芝居がかっておらず、雰囲気をつくろうともせず、重くないけれど低い声で、なのに、くっきりとした単語の発音で、親密に話したりささやいたりするようで、誠実さに疑義がありません。まるで、親しい友人とごく近くで静かに話している...、のですが、喜んだり嘆いたり泣いたりキッパリ言ったり声を潜めたり、の、どの表情も、暗くこもった低い声なのに、シャープにいきいきと聞えます。「さあ芸術作品を聴こう」などと前向きな気分のときには暗くて目立たないかもしれないのですが、自分(私)がなにもかもいやになっておちこんで暗い部屋で膝を抱えてうなだれているときに、チョンと肩をたたいてさらさらと話す友人のようかもしれません。

 80年代半ばから、90年代初頭にかけ、EMIに、シューベルトとシューマンの著名な歌曲集を、ベーアとパーソンズは、次々と録音してくれました。この頃20代の大半をほぼ病床で寝たきりですごした私にとっては、ほんとうに生きる希望となる出会いでした。

このステキな友人をそんなふうに育てた背後にいるのは、そのピアノのパーソンズではないでしょうか。若いベーアを、陰になり日向になり、老練の包容力で導いています。

シューマンの歌曲は、思うのですが、人の声というオブリガートがついたピアノソナタですよ。詩人のテキストを使って、抽象的なピアノのニュアンスを、具体化した一つの可能な解釈として示してくれる(それは恐ろしくピッタリな解釈なのですが)...、で、何度も聴いたのちに、あるときふとテキストを離れてピアノの響だけを思い出すと(聴いて知ってしまった以上はそう簡単には分離できないのですが)、あらためてシューマンの手によって引き出されたピアノ本来のニュアンスの美しさが、立体的で奥深い構造で脳に響き渡るんです。

こころ折れかけるときに何かこころ和むピアノを聴きたいナという際に、バッハもハイドンもモーツァルトもいいのですが、シューマンはといえば、『子供の情景』や『交響的練習曲』などのピアノ曲はさしおいて、2曲の『リーダークライス』や『詩人の恋』の方が、より候補になる気がします。

テキスト(詩)はどれも拙訳です。どうぞご勘弁を。