2023/08/31

■ きく - モーツァルト ピアノソナタ イ短調 K310 - 1楽章 / 内田 & ピリス

 Portrait left unfinished - Josef Lange

取り上げるには大きすぎるのですが、やはり全体のうちのごく一部のみをひと言。短くまとめようと思うのですが、短いほど時間は莫大にかかりそうです...。

「悲痛」「怒り」「疾風怒濤」などと言われます。母を失ったので、怒り狂うように泣き叫ぶのですか、そう、したり顔に語る論者は? 

 「親を/妻を/家族を失ったから」この頃の作品にそれが表れているのだ、といった、事情通の裏話や歴史的逸話はいったん置いて、それとは切り離して曲を聴きましょう。私にはそうは聴こえてこないです、内田(1985 Philips 412-741-2)とピリス(1989 De Grammophon 00289 477 5903;DG盤)を聞いた限りでは。というのも、たしかに嵐のような十六分音符の連続と展開部の振幅の激しいデュナーミクですが、叩きつけるような他の演奏と異なり、2人とも、1楽章全編を貫く長いレガートや長いスラ―記号を最大限活かして、流れるように美しく弾くからです。

ピリスのモーツァルトは、70年代に日本のイイノホールでの録音が、デンオン(Denon)レーベルから全集で出ていたのですが、私はそれをカセットテープでエアチェックして聴いた程度。曲はK310ではなく、K331(トルコ行進曲付き)の1曲でした。「モーツァルトは簡単で親しみやすい。でも子どもの発表会みたいにガチャガチャな音ではないんだね」が「モーツァルトのピアノ曲」という第一印象。でもそれっきりでした。その後も入手性は良いのですが、結局は90年代に入って再録音全集(DG盤)を買いました。今これを書きながら、まだ手に入るDenonの全集盤が聴きたくてたまらなくなりました。

■ DG盤を聴くと、K310は、やはり、悲痛でも怒りでもありません。ピリスの1楽章は、瘧(おこり) が 落ちたような明るい理念を貫いてタッチに強弱をつけて弾き進みます。展開部に「雷鳴」や「迫力」などのピアノ協奏曲のようなデュナーミクを期待すると無駄にリキむので、力をぬいて...。

■  それに先立つ1980年代に、内田の演奏(CD)に出会って、「簡単そう・聴きやすい」というモーツァルト観が変わりました。安易で軽薄な奴だったんです、私は(告解してもしょうがないのですが)。なるほど、ト短調の弦楽五重奏曲K.516も、そういいたかったのですか、小林は「モオツアルト」で (ただ、"tristesse allante"が「疾走する悲しさ」とは、誤訳に近い意訳・恣意的な意訳だという指摘で、小林の唐突な口調の感傷的な評論文はここ30年来見直されているのも、大いに納得しています)。

■  内田のK310を、100回、200回と聴くと、その、1音1音、1本の指の1回の打鍵のタッチが、これは、もしかして、あ、ありえないほどの「微妙さ」...を感じます。打鍵時の緊張感を少し想像しただけで、ますます髪の毛も逆立つような...。あなたが非常に大切に使いこなしてきた道具が何かあるとしましょう。他人には貸したくない、触らせたくもないような。それをしぶしぶ他人に貸したら、ぞっとするような乱暴な使い方に目を覆いたくなる経験があるでしょう。内田の打鍵の微妙さは、その尊さに似ています。例えばユーチューブなどでK310の演奏を公開している素人さん等で聴くと、耐えられなくなって途中で...。ふりかえって内田の演奏法を誰かほかのひとがマネしたとしても、誰一人として神経がもたないだろうと思えるほどの繊細さを感じます。

■  十六分音符を多用していますが、スタッカートもあればレガートもあり、全体に数小節に渡り1本のスラ―がかかっている箇所も数多くあります。響きはたしかにホモフォニックなオーケストラの伴奏のようでもあり、ポリフォニックな左右両手対等のフーガのようでもあります。それらの役割を持つ十六分音符の速い進行をどの一音もいつくしんでタッチを変えて弾き分けて進む気がします。

楽譜1
■  また別な観点として、その演奏のテンポの取り方です。冒頭の右手、装飾音と二点ホの四分音符ですが、内田は、冒頭は音符に忠実です。が、50小節ほどから成る提示部終了時のダカーポ後は、冒頭に戻ると、その装飾音がほんの少し長くて、四分音符がほんの少し遅れて入ります(楽譜1の枠)。展開部の入りを始め、いくつかの箇所に、このような、次の音を聴き手が期待する圧力の溜めのようなゆとりのような、そのような意図したテンポの揺れがあります。これが、タッチの繊細さに加えて、このイ短調1楽章の曲想全体を支配する不安な雰囲気とドラマトゥルギーを醸し出している、と言えるかもしれません。その背後に、内田の役者の大きさ・技量のゆとりが、他の奏者とは歴然としている印象を強く受けます。

■ 私がこの内田のイ短調で初めて実感した「モーツァルトの"tristesse allante"」は、展開部の楽譜2でした。フォルテッシモとピアニッシモを交互に打ち込む、息も絶え絶えな右手の16分連符と、同時に進む2拍ごとの最低音の鼓動(枠)が、心臓に杭を打ち込まれるようです。右手高音声部の緊張が楽譜3(枠)でリズムが極大に達して息詰まるようですが、同時に和音の連打だった低音部が今や激流となって、しかし解決に向かう、かのようです。

楽譜2

 たしかにこのような場面では、モーツァルトのdämonischな面が露出していると言えると思います。同時に、それは悲痛や怒りではなくて、ランゲの「モーツァルト肖像画」の、あのまなざしではないかな...

2023/08/30

■ まなぶ - 心の奥底を書き出す


心の奥底にある考えを、文字に書き表すのは、ためらいます。誰でもそうだと思います。

■ 美しいことから醜いことまで、うっかり書き出したら、自分で見て、または万が一自分以外の人に見られて、あらゆる羞恥や嫌悪が発生しそうです。

「モーニングノート」という、アメリカの作家による提唱が2001年頃にされて流行しているそうです。朝起きてすぐに、ノートに、上で述べたような自分の気持ちをありのままに書き出すのだそうです。それにより、自分の気持ちが整理でき、本来の自分を見出すことができるという効果があるそうです。

■ 私はやったことがありませんが、多少の文化の違いはあれ、効果がありそうで、惹かれますが、やはりためらっています。やってみようか、どうやればいいだろうか...などを、グーグル先生に聞いてみたら、賛否両論が激しくあって、答えは探しかねました。

■ とはいえ、私が80年代に8年間ほど、病室で天井蛍光灯を24時間眺めて暮らした際に、類似のことをしたような気がします(朝ではないが)。短期間でノートを見返すと、補足や削除もあって手直ししたりしましたが、長期を経てから見直すと...、内容や表現が目も当てられなかったり、自分はもう別なステージにいると気づいて、捨てようという気になりました。もしかして、何十年もあとで読み返すと、また別の価値があったかもしれません。いずれにせよ、書いてよかったかというと、書いているその瞬間は、心の慰めになったのは確かでした。短期間で読み返すと、「じゃあどうなればいい?」など自分に反論して考え始めます。その限りで、考えはある程度まとまる方向に向かうし、心の中に鬱積していく一方の苦悩は、破裂や崩壊を逃れた気もします。

■ 1994年の大学入試センター試験の英語(1994追試第5問)に、表題のような実験をした簡単な論説文が出題されたようです。以下に大意を訳してみます。

■ 『離婚とか家族の死といった大きな衝撃を受けた人々の多くが、大小さまざまな病気に対して弱くなるように見えるのはなぜでしょうか。

心理学者の共通した考えですが、人々はそのつらい経験を理解し受け入れることができれば、より効果的に、それに対処できるだろう、ということです。

実際、専門家の多くは、心の安定を乱すようなでき事に関して、考えや気持ちを表現することの価値を強調しているのです。

最近、ある医学研究者チームが、「心理的につらいでき事をあえて表現すること」と「長期にわたる健康」との関連について調査しました。

ある実験で、健康な大学生たちに、4日間、個人的に非常につらかったでき事か、または、ごくありふれた話題の、いずれかについて書くように求めました。

続く数カ月間、心の中で思ったことや感じたことを書いて吐露することを選んだ学生の方が、毎日のありふれた話題を書いた学生よりも、病気で健康センターを訪れる回数ははるかに少なかったのです。

その後の別な実験で、別のグループの健康な学生たちが、4日間文章を書く課題を与えられました。

中には、非常に個人的で気が動転するような経験(孤独、家族や友人に関する問題、死なども含む)を書くことを選んだ学生もいました。

その人たちは、その実験直後に質問された際には「気分は以前と比べて特に良くなってはいない」と言いました。しかし、実験の前後に採られた血液のサンプルを調べてみると、病気に対する抵抗力は強くなっていたことがわかったのです。つまり、バクテリアやウイルスを撃退する白血球が、これらの「侵入者」に対する反応性や感度を高めていたのでした。

この傾向は、その後6週間にわたって続きました。最も良い結果を示したのは、以前なら人に話すのを意識的に控えていたような事柄について書いた人たちだったのです。

研究者たちは、つらい経験に立ち向かっていかないことが、それ自身一種のストレスになり、病気になる可能性を増すのだと言っています。したがって、大きな衝撃に積極的に対処すれば、その衝撃を理解し受け入れることができるということになるのです。

解決策は、沈黙のうちにつらい思いを忍ぶことではありません。

個人的な問題について話すことは、いつもできるわけではないかもしれませんが、それを積極的に書き表すことが、長い目で見れば、からだが病気と闘う助けになることでしょう。』

■ 思わず、本当か!? と言いたい内容で、心に残りました。これを書いたキッカケは、昨日弔問した亡き人のことを考えると、さぞつらい気持ちだったろうと胸が痛んだからです。また実は、このブログを始めたのも、春の実家整理作業とその直前の真冬の明け方毎朝4時間の除雪作業で、自分の心の状態が経験のない鬱に向かっていたのを意識したからです。後に、書いたことの9割を削除してアップしはじめましたが、今の立場を客観視でき、気持ちの安定につながりました。

■ センター試験の英文は、「アメリカ人やヨーロッパ人の、教育や文化のバックグラウンドを前提とすれば、積極的に勧められることだが、日本人の私たちにもあてはまるだろうか」という疑問も少し頭をよぎりますが、国民性にこだわらずとも、戦後に価値観の共有があった多くの人に言えるのではないかなと思いますが、どうでしょう。いちばんいいのは、少しずつでも自ら実践してみることなのかなと思います。

2023/08/29

■ あるく - 弔問


青森市の親戚Tさんを訪問して、家屋取り壊し費用について教えてもらったことを4/17の記事に書きました。ここには私の従弟(いとこ)もいるのですが、彼の妻が数日前に50代前半にして亡くなり、先ほど弔問にうかがいました。

4月にうかがったときには、入院待ちで自宅にて療養中で、本人にこれまで通りお会いしていろいろと話をうかがうこともできたので、あまりに早い逝去に声も出ない思いでした。

2023/08/28

■ なおす - 色鉛筆を削る


 芯が丸くなってちびた色鉛筆を、小さい鉛筆削りで削ります。

胃透視検査の日とその翌日は、いつもやはり体調がいまいちです。なるべく動いて気を紛らして、生体恒常性を保ちたいと思います...が、なかなか。掃除や片付けなどのゆるい作業をしています。

色鉛筆もまた、何十年来ちびりちびりと使ってきました。上の画像は、いかにも寄せ集めですが、気に入って使っています。他に長い色鉛筆が何ダースか年来死蔵しているのですが、手もとのコレだけで事足りています。

鉛筆とは全く異なる筆記用具ですし、使用時には、鉛筆のように持っては、何だか本来の性能を発揮してくれないような気がして、下の画像のように持って使います。

色鉛筆の持ち方;トンボ色辞典 https//www.tombow.comspirojitenartstudiobasic

■ 
ただ、鉛筆と違って「正しい持ち方」のような主張はあまり意味がないのではないでしょうか。線描するのか・塗るのか、塗るにしても、タッチを残すのか・うっすら霧状に塗るのか、要するに使い方が自由です。表現力も、他の多色筆記具より豊かな表情が出ますし、何より手軽です。

絵を描く趣味があるわけでもないですし、誰かに見せるわけでもないです。紙も、いつものウラ紙など、描いてすぐ捨てるような紙です。でも、使う理由は、自分の理解の助けとなるからです。加えて、机に向かうひとときの気持ちがなごみます。と、それだけの補助的な使い方だから、あってもなくても...というわけにはいかなくて、この「机に向かって頭を使う作業をしているんだけど、色鉛筆を使うと醸し出されるゆる~いくつろぎ感」が、自分には必要だと、じわりとあとから思い出したりします。

考えてみると、色鉛筆との、こういう、細い淡い付き合い方を、もしかして、小学校以来半世紀、今に至るまで、途切れたことがない気がしてきました。高校・大学・社会人になっても、ずっと使ってきて、そういえば何度も「コレ色鉛筆?」「なんで色鉛筆?」と、場違いな場で聞かれたことがあるのを思い出しました。若者の頃は、聞かれて恥ずかしい気がしましたが、今となっては、誰にでも、いいじゃないか、便利だよ、と開き直って啓蒙して歩きたいくらいです。

2023/08/27

■ なおす - 健康診断


市の健診へ。

 am7:00受付開始です。ふだん早朝1:00から2:00頃に起床しているので、今日はもう空腹でたまりません。朝の気温は25℃と涼しいので、外に並んでもいいから、早めに行って、文庫本でも「立ち読み」していれば気もまぎれるだろうと思い、徒歩より出でて6:25着。忙しく往来する関係者の方々も多いところ、来場整理係風な人に「どこに並べばいいですか」と聞くと「えぇ~、もう来たの」と言われました。意外にも一番早かったのか...。指示された地点に立ち、その人と雑談。ここ数年はコロナのせいで、早く来て立って並んで待つという傾向がなくなっていたとのこと。

 血圧・体位測定・尿・心電図・問診・採血・胸部X線・胃透視検診を全て終えて緩下剤を飲んで時計を見ると7:25。なんとまぁ早く終わったことでしょう。経験のない事態にびっくり。


2023/08/26

■ まなぶ - 電子辞書 - 私の場合



 今月、20年ほど使った電子辞書Casio ExWordが壊れて廃棄した旨8/17に書きました。機能的に英和と和英だけの超シンプルな最低機種ですが、ゆえに使いやすかったです。単4電池2本で駆動し、よく使った年は、年に1,2回、電池交換をしました。今は、2019年に購入した画像の充電式の多機能なSharp Brainを使っています...と言えるほど使わなくなりましたが。

 電子辞書は、「道具」の一つで、道具というのは、使い手によって有用性は多様です。また同じ使い手でも、その人の技能や必要性のステージは刻々と変わります。電子辞書もそうだと思います。

■ 電子辞書を、イマこの時代に必要としている人とは? あなたが「学校で英語という教科を勉強中」の中高生ではないという前提で、いっしょに考えましょう。

 目の前にあるまとまった英文の意味を今すぐ正確に知る必要があるが、自分の英語理解力に余るならば、「スマホ辞書」「スマホカメラでOCR→google lends」や「PCやスマホでgoogle 翻訳」があるのでは? 仕事中などそういう状況ではないでしょうか。

 電子辞書ユーザとして思い浮かぶのは、上のネット環境が制約されている人です。図書館や自室の環境ではスマホやPCが使えないとか、商用で海外ホテルの狭い部屋で書類と向き合うとか。

電子辞書は、英語の勉強(特に英文法)を一通り終えた「英語を使って、現地や現場で業務をする職業人や特定分野の専門職」向けの機器だと思います(ただし、翻訳業の方の業務は、PCで契約分野辞書サイトを展開し、その傍らに小学館ランダムハウス英和大辞典第2版を置いて仕事をしているでしょう)。

 おおざっぱに言えば、たとえば実用英語検定試験は、「2級は高3程度」、「3級は中3程度」に照準を合わせています。そのレベルでは、その大多数が中高生の履修レベルで、英語はまだ英文法学習中ではないでしょうか。

そう考えると、文法的説明が一覧しづらい電子辞書は、英検レベルでは準1級以上の人のツールでは? 

ひと通り英文法と語彙の知識を完備した大学生や大人が電子辞書を使うとしたら、1) 業務や仕事を離れて、くつろいで読んでいるときに今すぐこの1語だけ知りたければ、手軽で有用かもしれません。あるいはまた、2) 業務や仕事を離れて、趣味の時間をとって、英文解説書などを、理解しつつ語彙も増やしたい意図で読みたいのであれば、そのひとときを演出するガジェットでしょう。以上の2者にとって、「スマホカメラでOCR→google lends」「google翻訳」は、かえってよけいなわずらわしさがあったり気分が壊れたりするかもしれません。

他方、英文法の知識など完備していない大人だったらどうでしょう? 電子辞書は役立ちますか。文法の知識が貧弱ならば、電子辞書で単語をいくつか引いただけでは、あいかわらず意味不明では?  例えば、イスパニア語を履修したことのない私やあなたが、目の前のイスパニア語の文書を、電子辞書があれば読めると思いますか? その時は「スマホカメラでOCR→google lends」「google翻訳」でよいのでは? いやそれ以前に、そのような大人であれば、そのような事態になるのを避けるでしょう。ロシア語がわからない私やあなたが、ロシア語の文書を手に取る事態になるとは思えません。

お前はどう使っているのかと言われると、ここ数年は、スマホとPCの電源を切った状態で読み物をしているとき...。なのですが、そのときも私は最近ますます、紙辞書です。電子辞書は、i) 単語の意味だけ今すぐ分かればよく、かつ、ii) できれば発音も知りたい(画像の物は発音してくれます)、の2条件が揃ったときのみになりました。上の赤い電子辞書は、購入直後はよく使いましたが、あるとき使用中に充電池が切れ、乾電池と違って、充電に時間がかかりその間使えないことに気づいて以来、不安や不信感が...。加えて、昨年末にジーニアスが第6版になって大幅に読みやすくなり、もっぱらそちらを快適に使っています。紙辞書の方が速くて理解しやすいです(一番下の段落ご参照)。

ただ、この議論は、どうだ私が正しいだろう、というわけにはいかないでしょう。人により、道具の使用状況はさまざまで良いと思います。

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さて、今度は話題を少しズラして、あなたは、小中高生のように英語を学習中の希望に満ちた若者に、電子辞書を勧めますか?

今どきの電子辞書は「英和」「和英」「国語」「古語」「漢和」「家庭の医学」など全部が入っているので、電子辞書1ツあれば、重くてかさばる「紙の辞書」など不要では?

 思うのですが、「電子辞書が1ツあれば、中学高校6年間バッチリOK」というアドバイスをする人は究極の激しい冗談でこの場をワっと盛り上げようとしている方だと思います...Σ(゚ω゚ノ)ノ...なんてことを言い出すんだ!

 高1のAくんの告白;高校に合格した翌日、じいちゃんばあちゃんからお祝いに高級な電子辞書を贈ってもらった。もうこれで安心。で、学校も始まり、英語の宿題だ。訳さなきゃ。知らない単語だらけだ。さっそく単語を引いてみよう。

まず、立派な化粧箱から出す。で、プラスチックケース(ビニール袋)から出す。開く。電源を入れる。あ、充電しなきゃ。新品は8時間かかるって。この時点で今日は終わった...。で、翌日気を取り直す。立派な化粧箱から出す。で、プラスチックケース(ビニール袋)から出す。開く。電源を入れる。数ある辞書から「英和」を選ぶ。数ある「英和」のうちから「ジュニア・アンカー」を選んでみる。「QWERTY配置の慣れない小っさーい繁雑なキーボード」で、宿題プリントの単語を見比べながら人差し指でポチリポチリと入力する。候補が途中いっぱい出て煩わしいけど必死でよく見てその中から選ぶ。品詞の候補? なにそれ? 動詞とかのことかな。適当にスクロールする。おそい。液晶画面がスクロールして目がおかしくなる。この辺の意味かなぁ...。読んでもよく理解できない。さらにジっと読むとまた目がおかしくなる。(さらに根性があれば)、どういう使い方をするか(語法)もスクロールしたいけど、あらためて「語法ボタン」を押さなくちゃ。 “他動詞”, “SVOC(Cは形容詞相当語句)構文を構成する”って、何のこと...? (ここでさらにめげない強靭な意志ある人は)、「例文ボタン」をタッチ。展開するまでにワンテンポ...。で、その例文をじっくり読み...って、あ、そう使うのかこの単語...つ、つかれた...。もうめんどくせえから二度と使いたくない、宿題やりたくない...。50年前ならここで「ドラえも~ん(ioi)」、今なら「グーグル先生ぇ~(ioi)」ではないでしょうか。

 夢の玉手箱電子辞書と、なんでもリクツ抜きですぐ教えてくれるドラえもんやグーグル先生は、このA君をよってたかってダメにすると思います。あなたのご家族やご親族の現役高校生の電子辞書を見せてもらってください。きっとまだじいちゃんばあちゃんにもらった当時のままの「豪華化粧箱」に格納されて本棚の隅に鎮座ましますか行方不明になっているかのどちらかでは?

学齢期=言語習得期に必須の行為は「辞書で見出語の語法と用例を精読すること」ではないでしょうか。で、電子辞書の構造上、最悪な点は、いちいち『語法ボタン』『用例ボタン』を押して閲覧し、『スクロールして探す』という、ストレスいっぱいな点です。

 通常は、めんどくさいから用例ボタンを押してまで用例は読まない → もっと知りたい気持ちや伸びようとする一瞬のチャンスを、毎回潰す → 若者の才能と知識と将来を破壊します。

 紙辞書ならば、例えば高3大学受験生で、自分の手もとで「ジーニアス第5版」を1, 2年ほど使っているのであれば、目指す単語"owe"の見出しまで 1秒から10秒ほどでたどり着き、語法はowe A to Bと、Aは物事・結果、toは不定詞でなく前置詞、Bは人・原因、で、その具体的な例文"I owe my success to you."...と、眼球の移動だけで、完全に一覧できる視界範囲内です。ここまで見れば、理解できて身に着くでしょう。

新学期のシーズンは、文科省で『全国春の電子辞書撲滅運動』を呼びかけた方が良いと思います(;^^A

2023/08/25

■ きく - ハイドン 弦楽四重奏曲 in D Op.64-5 (Hob.III-63) “ひばり” 1楽章

 


<<ザロモン弦楽四重奏団 (Salomon SQ) / エマーソン弦楽四重奏団 (Emerson SQ)>>

第1楽章の冒頭を比べます。

 低音楽器3声部がスタッカートと8分休符でテンポをつくりながら(譜面1)、まもなく滑らかに空高く舞い上がるような第1バイオリン(1st Vn)での第1主題(譜面2)。

譜面1

譜面2

 ザロモンSQは、古楽器です。これまで現代楽器でなじんできたこの曲でしたが、このLPでは、スタッカートが水の上を飛び石がつぎつぎと跳ねるような快速テンポと、目も覚めるような爽やかな1stVnでの主題! 深く息を吸って爽やかな青空を見上げる思いです。残響も豊かで、LPとは思えないみずみずしさがあります。

 これを聴いたのは、CDが普及しだした1987年頃でした。その前年の1986年に、ザロモンSQの演奏で、弦の4人にフラウトトラベルソ(フルートの前身となる木管横笛)と通奏低音としてフォルテピアノを加えた6人の構成で、ハイドンの104番(ロンドン)のCDを聴いて、ヘヴィ級のロンドン交響曲が、早春のような爽やかさの響きに代わっていて、大いに感銘を受けていました。で、秋葉原の石丸で、同じザロモンSQの演奏のこの「ひばり」のLPを買いました。その当時は「CDは輸入盤でもまだ高額だが、LPは輸入盤ならかなり値ごなれしている」時代。CDがあるかどうかは調べずに財布の事情でLPを買ったのですが、ほんとうにすがすがしい演奏を聴きました。

 それ以来、ハイドンの「ひばり」の演奏は、数多く聴きましたが、このザロモンSQの右に出るモノとてなく...! で、このL’oiseau-LyreレーベルのCDを数年ごとに探しているのですが、全くリリースされていないようすです。ハイドン後期の弦楽四重奏曲「トスト」「アポーニー」などは、ザロモンSQの演奏がHyperionレーベルからCD化されており、全て愛聴しているのですが...。

 さてと、ザロモンSQを離れて...。今日取り上げるもう一方の、エマソンSQは、バルトークの弦楽四重奏曲全集に接して、彫りが深く刃物のように研ぎ澄まされた静謐さで印象的でした。彼らは、いかにも現代的な新鋭のアメリカ人弦楽四重奏団という印象です。

 で、思わずハイドンのコレを手に取ったのが、新譜リリースされた2002年頃。古楽器のザロモンSQとはアプローチのしかたは当然違うだろうし、従来の現代楽器によるヨーロッパ人の弦楽四重奏とも違うだろう、どう違うかな、と少し緊張して聴きました。

 聴いた瞬間は、実は、打ち明けると、ガッカリ...。

 エマソンSQは、冒頭のスタッカートで、ザロモンSQの爽快さに比べると、どちらかというと、ゆっくり静かに、だのに、つんのめるように歩み始めます。

 1st Vnの主題も、ゆっくりと舞い上がります。

 どの声部も、楽譜はていねいに拾い、たっぷりとヴィヴラートが乗っています。ほんの少し粘りを残すようなタッチで進みます...。が、冷静で軽いタッチで、急がず、ゆっくりとかみしめるように進みます。聴き終えて、思い出すと、軽やかで薄味だったかな。で、次の機会にまた聴くと、聴いているその瞬間は、実にていねいで確実で透明なテクスチャが見透せます。

 ただ、ハイドンの「ひばり」の演奏に期待していた軽やかさ・コミカルさ・爽快さが、...ない...気が...しました。ジュリアードSQや東京クワルテットの流れをくむ新進気鋭のアメリカの弦楽四重奏団に期待するアグレッシブさも、ナシ...。

 ただ、この曲の前に置かれたト長調のOp54-#1 (Hob.III-58)は、すばらしく軽やかなタッチで、他の演奏では接したことのない斬新な爽快さを感じて少し驚きました...。だったらそんなふうに「ひばり」も演奏してくれよ、と、つい不満を持ちました。

 しかし、これまでは「買っちゃったからもとを取るためにしょうがなく」状態で、何度も聴いていたところですが、何度か聴いて、あるときふと感じました...;譜面3のようなスタッカートのユニゾン三連符の雷雨に入ると、多くの演奏が「混濁」を演出し、その後にまた1st Vnが滑らかに歌い出すところ、エマソンSQのこの箇所は、崩壊するような三連符が黒雲の雨ではなくて、どの楽器のどの音もスッキリと聴き取れるような明るいソノリティを感じます。これは彼らの技術レベルの高さが猛烈なレベルにあるからではないでしょうか。

譜面 3

 そう感じると、このジュリアード音楽院の怜悧な弦楽器スペシャリスツの彼らが、屋上屋を重ねるマネをするわけもなく、この演奏の背後には、これまでの既成概念、つまり、従来の演奏による解釈や聴衆の期待に対するシニカルな意図が、彼らの脳にあるのではないのかなと思い込み始めました。

 従来の「ひばり」への期待は、前曲のト長調Op54-1で満たされています。そして、これまでに経験のない、自分たち独自の「ひばり」を聴いてくれよ、と、彼らはにこやかに提案しているような気がしています。

2023/08/24

■ なおす - 「つけペン」のペン先整理


鉛筆や万年筆は愛用していますが、実は、「つけペン」も使っています。

■ 今どき「つけペン」を使う人って、1) イラストやマンガを描く人、2) 硬筆筆記(日本語のペン書道)を嗜む人、の2種類です。

■ このうち、1)は、新たに始める人もこれまでやっている人も、多くがパソコン描画に流れつつあります。また、2)は、隆盛をきわめる日本のゲルインクボールペンにとって替わられつつあります。

■ ということは、日本では明治以来の歴史をもつ「つけペン」の「ペン先」を製造する会社は、かつての鉛筆同様、「下町の小さい工場」のメーカーが次々と淘汰されていったと同じく、現在は、「タチカワ」「ゼブラ」の2社のみです。「つけペン」自体、 「タイプライター」や「日本語専用ワープロ」みたいに、消滅していくのも時間の問題でしょうか。

 私は、上1)ではなく2)の末端にしがみついているところですが、欧米文でも使っています。

 日本語には「たまペン (さじペン、スプーンペンとも言う)」「日本字ペン」というペン先を、欧米語には「Gペン」というペン先を使います。

 インクをつけて書きますので、インク瓶かインク壺が必要です。ただ、インク瓶は頻繁に開け閉めすると、水分が蒸発し乾燥し凝縮し、同時に空気中のホコリや菌類細菌類が混入して成分が変質します。最悪の事態がカビの発生です。私の場合は、インク瓶からシリンジに吸入して、画像に見えるように、コンタクトレンズ容器に3cc程度を滴下して、いわば小分けして使っています。コンタクトレンズケースも1~3週間程度で水洗いしてリフレッシュします。

 日本語なら数文字、欧米文なら一文節程度書くごとに、インクをつけ直します。

 また、数分ごとに、ペン先からインクをきれいに拭き取るか、水洗いして水をふき取り、ペン先をリフレッシュして新たにインクにつけ直します。その日使い終える際は、水洗いして水分をふき取ります。でないと、翌日サビています。

 使っているうちに、ペン先は、すぐに摩耗し始め、いずれ使いづらくなります。消耗品のペン先は、今どきは、1本あたり80円から300円程度でしょうか。

 まるで、以前に取り上げた、クラシックシェービングの両刃替刃と同じで、頻繁に交換が必要です。

 さて、その、摩耗していくペン先ですが、1) 新品おろしたての時はもっともシャープですがガリついて、使いづらいです。この点が刃物と違います。2) しばらく使うと、シャープさを維持しつつ滑らかな書き味になります。これが使いどころです。3) 使っているうちに、滑らかさは増してくるのですが、次第に太く鈍くなってきて、表現力が劣ってきます。こうなったら、交換のしどころです。そう判断するタイミングは、個人の主観でしょう。

■ 古く鈍くなったものは、両刃カミソリのようにすぐ捨ててもよいです。が、つけペンを使うほとんどの人は、取っておいているのではないでしょうか。その理由は、古く太いものも、試し書き・下書きなどに、それなりに使えるし、シャープさは要らないが少し太目の筆跡が欲しい場面もあるからです。

 ■ 私の場合は、1週間から1か月で新ペン先に交換します。古いペン先に、細字のマジックで、新ペン先に交換してペン軸から除去した日付を書いておきます。古いものは捨てられずにとっておくので、どんどんたまります。

 ■ 実は、そのペン先の整理も必要です。めんどくさがっていると、どのメーカーのどのペン種の、どれが新しくてどれが古くて、どれがどの程度の太さで、など、カオスになり、気持ちが荒れます。すると楽しいペンライフではなくなるというわけで...。

 ■ そこで、今日は、たまったペン先を整理しました。整理のしかたは人それぞれでしょう。私は平面上に古い順に1本1本を徹底的に並べる作戦です。ハズキルーペが必要な作業です。人に見せると偏執狂と思われるに違いありませんが、これまで誰にも言ったり見せたりしたことはなく、恥ずかしいのですが今日が実は初めてです。今日は、思い切って整理しきって過去の古いペン先の本数を数本に絞りました。あとは金属リサイクルごみとします。

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 ■ 「なんという手間!」「だったら万年筆の方がよい」「なんのためにそんなものを使うのか」というのが、自然な発想ですね。つけペンは、ペンが消耗品ですし、インクを頻繁に拭きとる分だけインクは無駄になるし、インク瓶は開封した時点から刻一刻と乾燥や変質をたどるし、ヘタをすると瓶をひっくり返して無駄になったり周辺を汚損します。

 ■ 「つけペン」でなくてはならない理由は、「異次元の表現力」です。

 ■ 例えば、プロのイラストレーターさんや硬筆書家の師範の方の、つけペンによる自筆原稿の原本をご覧になってみてください。万年筆も含めたいかなる筆記具も遠く及ばない、目を見開くような神業です。

 ■ そのレベルまでいかなくても、いっぱんに、手で書く行為を楽しむことができる人は、誰かに見せるかどうかはいったん置くとして、「書き味や筆跡が、思いのほか多様で美しく現れ出る、その過程を味わう」という楽しさを知っているからではないでしょうか。

 ■ 私の場合は単純に自己満足ですが、自分の文字がこんなに美しく現れ出るとは(人にはお見せできたものではありませんが)!という驚きが大きいです。ですので、万年筆のうち、つけペンと競合する細字や極細字の万年筆は、もう完全に不要です。

 ■ 手間暇のかかる「つけペン」なんて、そんなヘンなモノを維持する意義は...、私には、あります。もっと使いこなせるようになりたいと思います。願わくばペン先を製造する会社がずっとありつづけてくれますように。

2023/08/23

■ まなぶ - 鉛筆を使って


その後(7/21)あいかわらず鉛筆を使っています。

同じように、7/1からやってみたのと同様、8/1頃から、鉛筆を使って同じ本の同じ英文を毎日1500語程度書き、今日また同じ本を1冊書き終えました。

単純に前回の2倍減ったリクツになります。が、減りは遅いです。

使い方に慣れてきたせいでしょう。ゆえに、より軽く、より薄く、より小さく、より速く書いています。

ここまで英単語66,500語程度を書いたのですが、鉛筆は、こうしてみると、ずいぶん長持ちするのですね。書き方にも大きく依存するでしょうが。その後に、新小1の息子さんをもつ若いお父さんに聞いた話では、4月に2ダース新品を用意したら、1か月後の黄金週間連休の時点では、もう2ダース24本とも半分以下から3分の1程度のサイズになって新たに買い置きしておいたとか。「子どもにHi-Uniだなんてとんでもない」とお父さんの悲鳴。力の加減など知らず元気いっぱいに勉強しているようすで、見習わなくては(;^^  

7月は、ただ鉛筆に慣れてこれを使うことが目的でしたので、ナニを書こうが構わなかったのですが、今回は、どうせ英単語を復習するなら、チョット調べて確認しながら書き進んでみたくなり、時間がかかりました。でも、1日当たりの筆記量は同じで、英文100文です。

鉛筆を使うメリットとして、6/26と7/21に予想した通り、1) 寝かせた持ちぐせで(ボールペンにはムリ)、かつ、2) 紙質を選ばない(万年筆にはムリ)、の2点を同時に満たし、メンテに気づかいなく、すばらしく快速に書けます。これ以上の筆記具はないです...(数十年ぶりに使い始めた当初、7/1, 7/2, 7/7に、さんざん「使いづらい、ムリかも」と泣き言を言っていた人って、誰かそんな人いましたっけ...?)。

 この間、「だったらシャーペンも良さげ」と思って試したのですが、1) 2B芯や4B芯を使うと、一瞬にして芯が減る。あまりに頻繁にノックが必要。2) 自動芯送り装置と自動芯回転装置がついた「三菱鉛筆クルトガ」という新兵器を導入したところ、書く速度にまったく追従してくれないようです。この機構は、漢字の画が変わる際に一瞬持ち上げるそのタイミングで回転装置が作動するようで、英文筆記体のみだと使いづらいです。ゆえに、シャーペンは没。

 ということで、今後は鉛筆が、同じ対象物ならば、つまり欧米文をどんどん筆記体で書きたいときならば、万年筆や他の筆記具を抑えて、まず手が伸びる筆記具になりそうです。HBでも2Bでも自分的にはこだわりなくいけるみたいですので、しばらくは自宅に散在しているものをかき集めて試し、徹底的に使い切ってみようかなと思います。

 紙は、使用済みウラ紙で、A6(A4を半分に切り(A5)、それをさらに半分に切ったサイズ)にしてみました。お気楽なサイズです。あらかじめ、数百枚程度ずつまとめて、PCで、12mmの罫線を引いて(印刷して)います。ゆったりひろびろとした天地罫幅を取りましたし、遠慮なく使って良い紙ですので、何のストレスも気づかいもなく、おもしろいように速く快適に書けます。鉛筆に再会できて、良かった。

2023/08/22

■ まなぶ - ドイル「ホームズ - 思い出 - 『まがった男(The Crooked Man)』」


人生を振り返ったとき、また見たいと思う光景とは、どんなものでしょうか。

 古今多くの文学作品にも無数に現れていると思います。

若者なのにたくさん死んでいく兵士。現代の先進国でも「戦死」していく若者が毎日いるとは...。死んでいく彼の無念さはいかばかりでしょうか。この話題で思い出すのは、T・Mannの『魔の山"Die Zauberberg"』です。主人公の彼が最後の瞬間に、幼い時からなじんだあのシューベルトの「菩提樹"Lindenbaum"」が思い出され、第一次大戦の戦火のなかに消え、この長編小説が終わります。これは大昔の話ではなくて、今日も今この瞬間も、同じような塹壕のなかで、それが繰り返されているのかと思うと、人類の国際社会の理想や叡智などといったものに対して思わず冷たい笑いが...。いや、ニュースを読むのをやめて気持ちを変えましょう。

図書館に足繁く出入りできるようになって、以前は、時間がないという理由で読むのをあきらめていた本に思わず次々と手を出してしまいます。

それらのうちの1つに、C・ドイルのホームズ譚があります。1990年台後半に、待望のシャーロキアンの方々の豊富な訳注付きの日本語版が次々と出版されて、1冊4,000円に指をくわえていたものでした。

小学校高学年のときに、初めて「まだらの紐」を放課後の学校の図書室で読んで、恐怖のどん底に...。怖くて一人で家に帰れなくなりました。寝るときは天井をよく点検し窓の鍵をしっかり確認して寝ました。それを言うなら、ポーの「モルグ街」もそうだった気がします。それ以来、推理小説という分野は怖くて大嫌いになりました...。

大学生の頃は、文庫本/古本で、ドイルとポーをじつにたくさん読みました。この頃はきっと、読んでももう怖くなくなったに違いありません...。下宿近くにも古本屋が何件か、また、自転車で神田古本街まで行けましたので、3冊100円を手あたり次第という状態でした。大学図書館、区立図書館という最強の環境も自転車圏内でした。ただ、図書館の本は寝そべって気楽に読むにはちょっと...。

ドイルのホームズ譚は、延原謙訳と阿部知二訳が、中古文庫本で廉価で豊富。うち延原訳はじつに格調高く何度も愛読しました。

ホームズ譚の惹かれる点はいくつもあります。あなたも同好の人だとして、どんな点でしょうか。ここでは、私的なそのほんのごく一部のうちのひとつまみを。

幕末から明治維新頃のロンドンですので、まさに世界の中心地。170年2世紀近くも前の時点で、電気こそないものの、地下鉄も走り、郵便配達も新聞印刷も2時間おきに手に入り、化繊もプラスチックもない時代ゆえ絹のスーツに革の靴に懐中時計。はちみつやキャラメルでフレーバー付けしたキャベンディッシュパイプたばこ。ローストビーフのサンドイッチ。現代の私たちより豊かな文明生活ですが、世界中の全ての富がこのほんの数平方kmに集中するからです。他方で、多くの庶民は魔法や心霊の世界の存在も固く信じていた時代。世界の果てから出現したあらゆる未知の概念や謎の生物や異常な人類が、ここロンドンで異常事態となって破裂する状態です。もし私がこの頃ここで小学生なんかやっていたら、恐怖のあまり発狂していたことでしょう。

イギリスが植民地化していたたとえば北米やアジアの異常な運命と背景を、事件の当事者となって持ち込むイギリス人の話が、事件の壮大な背景となっている...、そのスケール感に、私は大いに惹かれます。

初期のホームズ譚をちょっと思い出すだけでも、長編では「緋色の習作」「4つのサイン」、短編から1つ「まがった男」...など、やはり枚挙にいとまがなくなりそうです。上の3作のうち3つ目がもっとも短いので、ちょっと取り上げます。

老いた軍人Aが、鍵をかけた部屋で妻Nと2人だけの状態で激しく口論し、直後に倒れる音と妻の悲鳴。御者と女中がムリに入ってみると、Aは後頭部の外傷から血を流して死んでおり、妻Nは同時に気を失って倒れて昏睡状態...。

  遡ってイギリス統治下インド。ここを管轄支配するイギリスの若い軍人AとBは、軍人Cの美しい娘Nを巡ってライバル。娘NはBと心通じる仲となったところにインドの大反乱が勃発し、千人のイギリス人ら白人が1万のインド人反乱軍に包囲されます。軍人Bは、イギリス援軍に助けを求めるために反乱軍の中を突破して伝える役を買って出、指導的立場にあったAに相談すると許可され、夜に出発。まもなく敵の手中に落ちます。これはAがインド人の使用人を使って恋敵Bを敵に売ったという経緯だったことを、捕縛されたBはインド人同士の会話から察知します。まもなく別ルートの援軍が、包囲されたイギリス人らを解放し、AとNは結婚してAは本国イギリスで軍人として出世します。他方、Bは後退する反乱軍に連れられ、拷問され、逃げようとしてはまた拷問。ネパール、ダージリンと連行され、その原住民がインド反乱兵を殺してBは原住民の奴隷となって、アフガニスタン、パンジャブとさまよいます。この間、美男子だったBは、背骨も肋骨も曲がり膝は引きずり...。

『惨めな体となった私にとって、イギリスに戻って旧友に生きていることを伝えて、何の意味があるでしょう。どれほど復讐を望んでも、帰る気にはなれませんでした。』

『しかし人間は年をとると故郷が懐かしくなるものです。私は何年も、イギリスの緑鮮やかな野原や生垣を夢に見てきました。とうとう死ぬ前にもう一度それを見ようと心に決めました。』(ウェブサイト;コンプリートシャーロックホームズ;221b.jp)

何度も思うのですが、全ての人生をかけた憎しみも悲しみも色褪せてなくなった後とうとう死ぬ前にもう一度見てみようと心に “決める” その “イギリスの緑鮮やかな野原や生垣” って、どんな風景なのでしょうか。

原典(マリ版)の表現を見てみると、

For years I’ve been dreaming of the bright green fields and the hedges of England.  At last I determined to see them before I died.

“決める”には、能動態でdetermineが用いられているんですね。

阿部訳(創元推理文庫1960-マリ版)では、「イングランドの輝かしい緑の野や生垣のことを夢にみつづけました。」

小林-東山訳 (河出書房新社1999-オックスフォード版)では、「イングランドの緑の草原や生け垣の夢を見てきました。」

シャーロキアン訳の小林-東山版は、 “緑”に連体修飾語句(形容詞bright)が無い訳です。オックスフォード原典版はそうなっているのでしょうか。

上の3作とも(いやどのホームズ譚でも)、ついに追い詰められた者は、ホームズのつくる穏やかな配慮に満ちた雰囲気のせいか、3者ともに、その異常な話 “narrative”を、率直にこころの底から語ります。

が、その話は、いま語っている文明の頂点に達したロンドンという場を一瞬にして視界の下にして遊離し、植民地での異常な体験が大きなスケールで展開します。アジアの熱帯雨林や北米の乾燥帯といった異様な空間や体験や価値観の乖離に、おもいきり我が身を没入させられて我と時空を遠く忘却します。

また、3者とも、語り終えたその直後に待つ自分の末路は、死か死刑か絶望かのいずれかですが、語り終えて、もはや何一つ悔いのないじゅうぶんな充足感を持ってそれを迎えようとする心の平安を、ずっしり感じます。読む都度に胸をうたれます。

こないだうち書いていた英単語集に、

“England is known for the quaint cottages in its lush green countryside.” 

という例文がありました。こういう光景なのでしょうか、彼が見たかった故郷の緑とは。


2023/08/21

■ なおす - 寝袋を洗う3


寝袋洗いの4枚目。8/15にmontbell#2(黄), 8/17に#0(赤), 8/19に#1(赤), 今日8/21は#3(緑)を洗いました。

 今日の#3はさすがに薄くて、明け方洗濯機で脱水し、午前中に外に干していたら、昼には触った感じではほぼ乾いています。いずれも、あとは室内に吊って完全に自然乾燥するでしょう。この話題はこのくらいにしておきます。

次の秋冬は、これで快適に乗り切れますように!次回洗うのは、来年5月。それまで元気で快適に過ごせますように!


2023/08/20

■ きく - フレスコバルディ「音楽の花束」; C. エルケン / カンディクム / L. ギイルミ (Org)

※ 左;グレゴリオ聖歌選集 Wiener Hofburgkappelle (philips 1983) / 右;フレスコバルディ 「音楽の花束」から「聖母のミサ」 Lorenzo Gielmi (harmonia mundi 50 Jahre 2008)

夕方に就寝して深夜に起きます。頭がぼうっとしているので、冷水を飲んでからシャワーを浴びます。温水と冷水を交互に浴びる「温冷浴」で、ここ40年近く毎日欠かしたことのない習慣です。で、目覚めがスッキリします。

机に向かいます。そう頭を使わずに済む作業を。その間、聞こえるか聞こえないかの音量で、音楽を。あまり知らない分野がいいので、無限に広がる未知の花畑である中世ルネサンス期のものを。世俗音楽だとやはり気が散ったりしますので、避けます。でもよく、単純にモノフォニックなグレゴリオ聖歌になったりします(「その歌ナニ?」という方が圧倒的多数ですよね。ごめんなさい)。

CDで手持ちのグレゴリオ聖歌は、ソレム修道院の1950年代の録音とヴィーンホフブルクカペレの1980年代の録音(画像左)です。前者は、さすがに今となっては、暑苦しく息苦しい録音です(す、すみません...)。後者は、巨大権威のソレム派へのアンチテーゼとしての意義があると思います。現在の奏法の基本ではないでしょうか。

とはいえ、十代の頃は謎の音楽グレゴリオ聖歌も、その後何十年か聴くとさすがに耳になじみます。で、石造りの教会聖堂とそこに響く雰囲気を湛えつつ少し変化を。

取り上げたフレスコバルディ(「それ誰?」という方が圧倒的多数派ですよね。ごめんなさい)。バロック最初期、17世紀前半(3代将軍家光の頃)に成立したこの“Fiori Musicali(音楽の花束)”(画像右)は、ミサに用いるオルガン曲の抜粋のようなものでしょうか。バチカンのオルガニストだったことも影響しているのでしょうか、このCDの曲の編成は、主日ミサと「夕の祈り(Vespro)」のグレゴリオ聖歌に、オルガン独奏(稀に声楽+オルガン伴奏も)を交互に織り込む構造になっています。

グレゴリオ聖歌は手を加えず唱和され、はさまるオルガン独奏(トッカータ、カンツォネ、リチェルカーレなど)が、伝統的な対位法的技法を用いながら色彩的で半音階的な和声を多用する、フレスコバルディの、斬新で強い理念を反映する曲想の進行があり、聴くともなく聴いていると、気持ちが静まったり、華やかなのに穏やかな色彩感に少し高揚したり、と思うとまた気持ちが凪を迎えたり...。

このオルガン技法が、法王のお膝元ローマ、メディチ家のフィレンツェと北イタリアを経て、アルプスを越えて、意外にもルター派のエリアで、ブクステフーデ、バッハへと直接流れ込んでいったのかと思うと、巨大で静かな歴史の潮流にじわりとした感動があります。真っ暗な朝の、ごく静かですが、私の小さな現実存在からかけ離れた充実感ある時間です。

2023/08/19

■ なおす - 寝袋montbell#1を洗う


しばらく同じ話題ばかりです。今日は寝袋洗いの3枚目。8/15にmontbell#2, 8/17に#0, 今日8/19は#1を洗いました。

洗う前日に洗剤を入れて漬け置きします。洗うときは、タライの中で足踏み...。すすぎ2回も同じです。見た目には笑えますが、やってみるとかなり息が切れるキツい作業だったりします。どの寝袋も、この状態で持ち上げるのは、重くてムリです。またもや足踏みをしてある程度水けを切ります。それでもタライに入れるのがやっとの重さ。#0と#1は、7kg洗濯機の脱水機では重さの偏りがひどくて回らないです。何度も修正するのですが...。

で、画像のように、そのまま屋外でスノコ状のフレームに載せて干します。1日目は持ち上がる程度に水分が抜けて生乾きです。翌日は逆さに吊るして丸1日でほぼ9割方乾く感じです。

この作業は、重くて疲労困憊するんですよ。でも、秋冬のシーズンインに取り出してふわりさらりとした寝袋を使い始めるその瞬間、夏に苦労した自分に感謝感激。それが味わいたいようなものですか。


2023/08/18

■ なおす - PC本体内部のホコリ飛ばし


今日は、半年ごとの、PCの筐体を開けて清掃ホコリ飛ばしの手入れ作業です。手持ちの自作マシンは9台くらいあって、ふだんは4台稼働しているのですが、今日の個体は、組んだのがいちばん古い個体です。

開けてみると、やはりホコリで目詰まりしそうです。「掃除前」をご覧いただくのがいちばん説得力がありそうですが、やはり人にはお見せできない画像です。ここ数週間、CPUファンの音で、もうそろそろやらなきゃとはわかっていたのですが。

プラットフォームはMini-ITXで、WindowsXPの時代からずっと私の組むすべてのPCはソレです。今日掃除したのは、2012年頃に組んだ(!)、なんとi7-3770+H77のペアです...。私の場合、ゲームも動画編集もせず、Office系ソフトは365日毎日使っていますが、それと一時はAdobe Illustratorも使っていましたが、それが負荷のピークでしょうか。オーバークロックもなしで、穏当に使ってきました。今の稼働状態は、Windows10上で、MS-Word、MS-Paint、Chromeがメインなので、10年前のハイエンドCPUですと、まるで余裕です(...って、やっぱり古すぎるだろう!?)。

半数以上の個体がWindows 10で、11は1台のみ。あとはLinux Mintなのですが、Mintに統一できない理由は、1996年から使い慣れたMS-Wordの滑らかさにあります。Google DocsやOffice Libre(Writer)など、競合する無料ソフトがあるのですが、Wordのスムーズさの敵ではありません。メニューリボンの洗練さやメニュー階層の秩序だっている点や編集画面遷移の滑らかさなど、30年にわたるノウハウは圧倒的です。「GoogleでもLibreでも、そん色はない」と、真顔でおっしゃる方は、たいへんに冗談がお好きな方だと思います。機能面では言えるかもしれないのですが、表・数式・お好みのアドインからメニュー階層の隅々まで、使いやすいかという点ではチョイと譲れないものがあります...が、それも単なる個人のこだわりのレベルかもしれません。むしろ、WindowsもOffice365も、はやく終了して、Linuxに統一したいところです。

ケースパネルを3mmのアーレンキーで丹念に外します。SSDと電源をいったん撤去して、CPUファンを露出させます。掃除機は、家庭用の強力なものが必要です。CPUファンのフィンに接触するかしないかのところまで、すこーしずつスローモーションで近づけていきます。みるみるホコリが吸い取られていきます。ケースファンも同様にして、あとはハケで払い、すぐその周辺のホコリが舞う空気にも掃除機をかけます。ウェットティッシュで拭ける箇所は拭きます。

ケースは、高精度なものを(AbeeのAcubic)。国産品で高額でしたが、作業のたびに精度の高さに感謝し、気分は良いです。

で、再度電源を入れます。...起動直後のバックグラウンド処理を終えて3分程度たった頃、音が、なんて静かなのでしょう!って、これが標準状態だったのですが...。寝袋やキーボード同様、他の個体も次々とやらなくては...。

2023/08/17

■ なおす - キーボード清掃と組付け


今月下旬は、毎度おなじみ寝袋とキーボードの洗浄と乾燥、PCの筐体を開けて清掃ホコリ飛ばし、のお手入れ作業です。来月早々は除雪機を整備に出す下準備など。今年はだいぶゆとりがあるのですが、とりかかるまでが億劫です。

キーボード(東プレ・リアルフォース)は、バラシてキーを洗浄液に漬けて基盤をエアダストして...はいいのですが、7/4に書いた通り、最後にキーを組むパズルが泣かせてくれます。間違って配置してパチンと固定してしまうと、取り出すのがひと苦労ですので、同一製品別個体を参照しつつ、わかりやすい外周部のCommandキーやFunctionキーや記号キーから組んでいきます。

 でも、除雪機やら精密機械のタイプライターやらを毎年プロの有料の分解清掃に出すのと違って、PCのキーボードや寝袋の洗浄乾燥は、無料で自分で手入れして20年も使えるのだから、ありがたいと思うことにしましょう。

 他方で、その結果、長年使って今月ついに壊れて廃棄せざるを得なくなったものに、1) amazon kindle端末 Paperwhite(第7世代;2017年); 充電が1日で切れる傾向があったところ、ここ2,3日で起動しなくなった、2) 電子辞書 Casio Exword (2003年頃?の単4乾電池2本式); 電池交換しても起動しなくなった。いずれも代替品がありますので、買い直す必要はないです。納得のいくくらい活用し活躍してくれた満足感はあり、悔いなく処分します。


2023/08/16

■ あるく - 柏の田んぼの道をチャリで


今日は珍しく南東風の湿った風。このエリアではあまりありえない風向です。おとといは25.8℃だったのですが、今日は35.0℃あります。蒸し暑いです。台風の影響です。その中心が現在地から西方にあるからでしょう。

いつも歩いている田んぼの道を、バックパックを背負ってチャリで行きます。スーパーマーケットに寄る予定です。ということは、帰りは重くて向かい風ということです…。

街乗り自転車の高級ブランドの代表例は、ブリヂストン「アルベルト」でしょうか。軽量が謳い文句で車両重量はだいたい19kg前後のようです。で、画像のこのヘンなチャリは、6.4kgです。剛性や速度は、街乗りにはオーバースペックでしょう。つまりたいへん軽くてたいへん硬いです。私はここ50年ほど街乗り自転車(ママチャリ)に乗ったことがないのですが、このカタいのが私にとっては「チャリ」の基本概念です…。あなたのアルベルトと私のヘンなのとを交換して乗ってみましょう…って、きっとお互いびっくりすることでしょう。

2023/08/15

■ なおす - 寝袋mont・bell #2を洗う


寝袋は、中3のときに初めて買ったスポーツ店の普及価格帯のものを始め、ここ50年近くの間さまざま試しました。70年代後半の高校時代に、初めて「mont・bell」製の寝袋を買いました。当時からロゴに・(ナカグロ点)が入っていました。

それなりに長持ちしました。その後、アメリカ製のsierra design製やNorth Face製を買った時期もあります。高額だったし、羽毛は、濡れると完全に役立たずですし、その他の点でもかなり気を遣いますので、使っていて楽しくないです。他方、国産のmont・bell製品が、「たいへん高品質」かどうかは実感しないのですが、一定基準は確実に満たしていて、価格に応じた満足感があります。

今は、「気兼ねなく洗える」という点で、mont・bellの化繊、しかも、#0から#7まですべてのラインナップを持っています(番号が小さくなるほど厚く、低温(冬)向きです)。現在のラインナップは、奇数番号で、偶数番号は、#2(と#0(0を偶数と定義するならば))のみです。が、私の手元には、かつてのラインナップの#4も#6もあります。

#2が、肩口からのドラフトを防ぐ現行モデルで言う「ネックバッフル」のついた最低機種で、最も使い勝手が良いです。

実際に使うのは、頻度順に、#2, #1, #0, #3です。#2は新旧3本、#1は新旧2本あります。廃棄した#2や#1も幾多あります。

なぜ同じ番手(厚さ)の寝袋をもっているのかというと、3シーズン程度で家庭の布団と同じくロフトがヘタるからです。

新品を1シーズン使って洗った際は、比較的ロフト(ふんわり感)は回復するのですが、翌シーズンまたその翌シーズンと洗うと、確実にヘタり、ペラペラ感に変わっていきます。使えるのですが、「#2」だったはずの保温力は、「#2.3」「#2.6」「#2.9」くらいの保温力になります。併用して、そういう番手として、天候に応じて使い分けます。新品の#3の方が軽くてふんわりして保温力が勝る日がいずれ来ます。そうなると廃棄。...していましたが、最近は洗って乾かしてモンベルショップに持ち込むと回収してくれます。するとご褒美にmont・bellステッカーをくれます、が、何に使えばいいんでしょうか、これは...(すみません、せっかく褒めてくれているつもりのところ)。

洗うのは、シーズンオフの夏に、まとめて何日もかけて、いや1か月もかけて、次々と洗います。今日、画像のように、浴室にてタライに洗剤と寝袋を入れて漬け置きし、明日、足踏みして洗い(人さまにお見せできないチョッと笑える光景ではないかと…)、脱水して(水を含んだ#0と#1は、家庭用のやや大型洗濯機7kgサイズでも、重すぎてちょっと厳しいです)、乾かすのに最低3日間程度。洗濯機で脱水しても初日は水滴がまだポタポタと落ちますので、屋外で、スノコのようなものに平置きします。私の場合は、すべての寝袋を逆さに吊り下げて保管しますので、ある程度乾いたら、そのまま何か月も吊るします。したがって完全乾燥できる状態です。

ただ、この一連の作業は、やっぱり考えるだけでめんどうです。本当は初夏の晴れて乾燥した時期がよいのですが、つい今にズレ込んでしまいました。

2023/08/14

■ あるく - 柏村の田んぼの道


田んぼを歩くのは、真夏は、日陰も何もない炎天下にさらされて厳しいので、ごぶさたしています。

 週明けの今日8/14は、先週の暑さがうそのような涼しさです。いま15:00の気温25.8℃、湿度は79%です。先週末の例えば8/10が38.2℃湿度33%だったのに比べると、同じ時間で12℃以上も違うのですか。

 湿度は高いのですが(先週は異様に高温低湿でした)、やまぜみたいに強い東寄りの風が吹いています。

 8/5に書いたのですが、あのときは、それまで見渡す限りラッシュグリーンだった津軽平野の田んぼが、なんとなく、稲穂に色がつき始めたような…というごくほのかな兆しでしたが、10日もたった今日はもう明らかに色合いが秋めいて稲穂を垂れています。

 一年の折り返し地点は、いろいろな基準がありますが、主観的なもの言いですが、私にとっては、昼の長さが短くなる折り返し地点の「夏至」と、朝晩の気温が下がり始める「お盆」です。もう1年も後半、坂を下りるように冬に向かうのか、という気分になります。

 画像は、5/11, 4/24の記事と同じ地点から撮影しました。来月の今頃にはもう収穫目前となって秋の黄金色になっているでしょうか。


2023/08/13

■ あるく – 図書館


今日は気分を変えて足をのばして別な図書館へ。RC(鉄筋コンクリート造)+ガラス張りのすばらしいモダン建築ですが、他方、画像は、同じ敷地内にある『旧図書館』で、観光用に無料公開している建物です。

今日8/13午後の図書館は、さすがに夏休みの平常に比べてかなり利用者は少なかったです。他方で、こちらの洋館には、ひっきりなしに観光のグループの人たちが出入りしていました(皆さんあきらかに津軽弁ではなくまた荷物を持ったり背負ったりしてらっしゃるので)。

ここの図書館に来るのは、以前ほど頻繁ではなくなり、半年に1回くらいでしょうか。その際ついこの古い洋館にも足が向いてしまいます。

 歩くごとに軋み、かなりの老朽化を実感するのですが、カーテンの束ね方が、来る都度、異なっており、細やかな心遣いを感じます。

 立ち寄るのはほんの2,3分間ですが、気持ちが大きく変わります。何か現実から離れた別な空間・時間・空気が流れているような気がして...。他の見学の方々がいないときに、一瞬ここで目を瞑って静かにゆっくり深呼吸して、帰途につきます。

2023/08/12

■ なおす - 街乗り自転車を整備と洗車

※ 洗車中。粒々は水滴です。

世の中はお盆の帰省シーズンですね。東北地方では疑いようもなく8月13日の旧盆(盂蘭盆)を「お盆」と言っています。今年はお盆が土日にあたるわけですね。で、私の住むエリアは、8/12, 13は、大晦日, 元旦とまったく同じ雰囲気で、8/12午後から8/13朝にかけては、墓参やお買い物や家族サービスや行楽のクルマで、通りはごった返してまるっきり動かない大渋滞。そのおクルマの中で、お父さんはイライラ、子どもは喧嘩する騒ぐ泣く、お母さんは止める叱る叫ぶ、と、おクルマ一台ごとに繰り広げられる阿鼻叫喚の世界です。8/13昼過ぎからは、外は、水を打ったように静まり返り、通るクルマもなく人影もまばらで、8/13の白昼は深夜と同様の交通量です。が、おうちの中、とくに農村部のおうちでは、懐かしい顔も勢ぞろいし積もる話に花も咲き、まさに1年で最大の大宴会でしょう。それはそれで、多くの人にとって最大の楽しみでしょうし、たいへん良いことだと思います。

道の大混雑を回避するには…。外に出なければ良いだけの話ですが、そうもいかないこともあります。私は、雪の無い時期は、自転車で行けるものなら自転車を使います。十代の頃からロードバイクを数限りなく、組んではバラし…を繰り返してきましたので、まぁ自慢のこだわりバイクが…といっても誰もわかってくれない自己満足なチャリが何台かあります。

暑い時期は、7月来ここに書いている通り、森の中を歩くようにしてはいるのですが、どうしても外に出るのが億劫です。他の所用であろとクルマを出さなきゃと考えただけで、暑さが増す気がしてきます。でも生活するためにはしかたがないのですが。というわけで、チャリを出せるときはちょっと気持ちが軽いです。

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私にとって、チャリというのは、自転車屋さんで買うモノというより、パソコン同様、部品をバラで買って組み立てるモノです。フレームの素材とディメンジョンを決めて注文し、駆動系のコンポパーツを決めて注文し、周辺の操作系やホイールを決めます。で、あとは、自宅の倉庫で黙々と組み立てるわけです。新しいフレームやコンポを買うと、他の部分をはずしたり移し替えたり…。使わなくなったパーツ類がだんだん蓄積されていきます。そんな状態で何十年たちますので、それらパーツ類に何か足せば、新たに1台2台が簡単に組める、という状態になります。

で、ロードバイクのパーツ類を使いまわして、街乗り用チャリの1台を組んであります。画像はその一部で、チタンフレームにシマノデュラ・エースDura-Ace (7700系)で組んであります。ハンドルは、街乗り用のフラットバーです。

■ ここに7/27に書いた通り、カンパニョッロのチャリ部品の美しさは、シマノの比ではないのですが、と言ってシマノの性能が劣っているというつもりもなく、シマノはガンダム世代の人たちが設計しているから醜い、などというわけでもありません。むしろその機能美は、(最近ますますそうですが)出た当初にはピンとこないにしても、しばらくするとうならされるような美しさを備えています。製作者やプロならば直ちに理解できても、私のようなエンドユーザのさらに最底辺のような人間には、理解が追い付くまでにタイムラグがあります。

シマノのフラッグシップ機であるデュラ・エースDura-Aceは、個人的には1993年に7400系から使い始めたことは7/27に書きました。その後、1996年頃に7700系が発表されたのですが、「クランクアームが貧弱」「撓む(たわむ)、歪む(ゆがむ)、その結果勝手に変速する」などと、勝負がかかったプロの機材として最悪の評価がヨーロッパのプロのレース現場から続出し、これを受けて直ちにマイナーチェンジを施し、画像の7700系第2世代となりました。そもそもDura-Aceは1970年代前半の最初期モデルのものからずっと、最初のロットはヨーロッパのレースで惨憺たる出来というジンクスが…。ただし、競技現場の声をすぐに追及し、認め、対応し、最初から設計製作し直して改良を積み重ねるのが、シマノの美点です。この後、コンピュータの応力解析を縦横に駆使した剛性のカタマリみたいなDura7800系の登場は、2004年まで待ちますが、それまでの間ずっと、7700系第2世代が持ちこたえたという点で、シマノの、欠点を認めて改良を重ねるという努力を賛美したいです。

画像は、7700系第2世代のフルコンポです。ただ、フロントディレーラ(変速機)(FD)は2回壊れ、STIレバーも2回壊れて買い直しました。FDは消耗品と割り切って、1グレード落としたアルテグラUltegraにしています。この頃は自分なりに激しく使った時期です。とはいえ、プロは、私が使う30年分を上回る負荷を1シーズンで一気に課すのではないでしょうか。私のような人間にはオーバースペックであることから、まだまだ、いや一生使えそうです。

 ペダルは、ビンディングペダル(スキーみたいに、靴とペダルをカチンと固定する構造)です。このチャリに装着してあるのはPD7400で、これはMTB用のクリートが使えますので、ミッドカットのMTBシューズを履いてふつうに歩き回れます。

---…---…---

私が住むこのエリアで、道路が、街なかも郊外のバイパスも、混んでどうしようもない事態になるのが、お盆の8/12, 13午前と、暮れの12/31です。このうち、夏はチャリ、冬は歩くしかないだろう、というわけです。

ヘルメットもビンディングペダルも、それなりに快適です。所用を消化すべくバックパックを背負って移動します…。外見はちょっと浮いているかも…、いや激しく浮いているかも。「快適ですよ。あなたもぜひこれにしてください」と誰にでも勧めたいです...が、考えてみると、誰にでもこんな蘊蓄(ウンチク)がウルサいヘンなオタク仕様を勧めるわけにはいかない…気が...してきました。

2023/08/11

■ まなぶ - おうちで勉強?

※『巨人の星』

また思い出話なんですが、大学3年のときに知り合った同じ大学学部の千葉のS君の話です。昨日お話したMc君は、人類の階級的頂点に生まれついた人でしたが、それとは極端に対照的な環境、と言っちゃあ悪いのですが、昭和の刻苦勉励ドラマ『巨人の星』の星飛馬並みにニッポンの下層庶民的な境遇の人です(「そう言うお前は人のことが言えるのか」と言われると、ま、それはその、いまはしっかり棚の上にあげておくことにしましょう...)。人見知りで遠慮がちで人と目を合わせずに静かに話します。星飛馬とまではいかなのですが、家族みんなで暮らす自宅は昭和の大都市周辺人口過密地帯に造成された公団住宅の一室。3部屋から成り、「居間兼食堂兼台所」「父母の部屋」「子ども部屋」。自分専用の部屋など、もちろんないです!3人兄弟の長子長男なのですが、3人で六畳一室の「子ども部屋」があるのみです。そこは弟妹がいつも耳元で騒ぎ、一人あたりの机は学校のより狭く、机の上も下も学校教材や衣類や運動具などの荷物置き場です。考えてもみよ、もしあなたがこの環境で生まれ育ったら、どうやって勉強するというのですか? いやふつうもう勉強なんてしないから…。

というふうに、家で勉強などするはずのない小学校時代を経て、中学生となった彼は学校の授業もわからずテストもふるわず…。それは「平均的」「ふつう」「平凡」ということで、責められるべきこととは言えないですが、自分で何だか不完全燃焼感がありました。運命の分かれ目は、この感覚をどの程度まで持つか、ということでしょうか。わかると楽しい、もっとわかりたい、という衝動にかられました。中学生が一人でじっくり勉強するには、中学校の図書室や放課後遅くの自分の教室も、選択肢としてはありうるのですが、放課後遅くの教室は委員会や新聞作成やらで、一人で勉強する雰囲気ではないですし、図書室には怖い生徒さんたちがいて、勉強空間というより、イマ風に言えば、深夜の都市部のコンビニ前の若者が集う風な空間です。人口爆発中の昭和の都市部の公立中学校にはよくある話でした。

で、勉強できるスペースとして彼が目を付けたのは、狭い自宅の居間兼食堂兼台所の、家族全員で使う食卓テーブルです。さすがに星飛馬のおうちのような、父星一徹がよくプッツンとキレたら貧乏なくせに食べ物を粗末にするかのように、ごはんごとひっくり返して怒り狂うという、例のあのちゃぶ台ではなく、椅子つきの洋式テーブルでした。ただ、家族全員で食事や茶菓や団欒その他のために使うし、TVもあって、そこで一人で静かにのびのび勉強はムリです。サイズは広くていいんだけどな。

そこで、考えて試して、1. 家族が起きていない早朝の時間帯、2. 夕方弟妹が学校や外遊びから帰ってくる夕食前のごくわずかな静かな時間、3. 朝に開錠したばかりの学校教室、をフル活用することにしました。父母や弟妹にもわかってもらいました。弟が帰ってきて遠慮して漫画みたいにヌキ足で歩いているのを見て、ヘンなかっこうに大笑いしましたが、感謝しました。

ただ、テーブル使用時間に非常に大きな制約があります。授業中や下校時間に、頭の中で、とにかく優先順位を決め、所要時間の見積もりを立て、だらだらせず、ただちにとりかかる必要があります。

「45分以内にやれなければ必ずあきらめる」「今日はコレをやってアレは必ず捨てるしかない」と、猛烈にタイトでシビアな取捨選択を、瞬時に決定し、強烈な集中力で試験勉強をするのが、まさに日常茶飯事となりました。時間は絶対厳守のため、体調を整えて規則正しい朝型生活となりました。おそらく勉強時間は非常に短かったのではないでしょうか。

成績がふるわない小太りな小学生だった彼が(風貌は関係ないのですが)、コレを始めた中学後半から、あれよあれよという間に学年1位に昇りつめました。結果、県内トップの県立の進学高に進みました。高校では、学校の図書室を存分に使うことができて、読んで書いて現実を忘れてしまうような夢のような環境でした。

この話を大学時代に何人かで聞いた際には、ただの雑談の場だったのですが、皆が大いに感銘を受けました。自分の部屋や図書館を使える境遇って、ほんとうに恵まれていて幸せです。

昨日お話したイギリス人のMc君の場合は、場所的な割り切りが気持ちの入れ替えに通じていたとも表現できるでしょうか。北ヨーロッパ的な住居の構造に対する発想もまた、西洋的合理主義を生んだ一因ではないでしょうか。19世紀に世界を制覇したイギリスに対する国家的イメージは、ケインズの流動性選好説に象徴される怜悧で現実的なジョンブル精神だし、他に同様な家屋構造や空間の捉え方を持つヨーロッパの民族性を顧みると、フランスの明晰判明なエスプリ、ドイツの思想や科学における冷徹な合理主義、アメリカのプラグマティズムなど、どれも緻密な構造計算を次々と積み重ねて壮大な思想的建築物を構築していくような気がします。教会建築に代表されるような、意志を持った堅牢な石造りの空間構造が、ヒトの考え方をもリジッドに規定しているような気がします。

場所がアプリオリに措定されている前提に基づいて、業務・私生活・食事・睡眠など日程や計画を画定する、すなわち「空間が時間を画定していく」わけですが、このようにヒトを外部から規定して日常を消化し積み上げていくヨーロッパ的発想は、目的を達成するための段取りとして、究極的の合理性があると思います。

では、ヨーロッパのステキな石造りのおうちに住んでもいないしそんな合理主義的伝統もない東洋に住む私たちが、何か目的をもち、これを合理的に達成するにはどうしたらよいでしょうか。場所を変えて気分を入れ換え、定めた作業に集中すればよいとしても、「いつ」「どこで」を割り振って、実際に行動に移すには、綿密な計画と強い意志が要りますネ。星一徹みたいな厳しいお父さんが監視してくれればいいのにな…(という考えも意志薄弱な私のただの甘えです)。

2023/08/10

■ まなぶ - 空間が時間を画定する


外気温37℃。体温なみの外気温がここ数年は当然となってしまいましたね。

涼しさを求めて…思いつくのは、私の場合、図書館です。で、やはり今日も図書館は混雑していました。涼しくて静かな雰囲気をシェアし合うというのは、良いことですね。

図書館で勉強やデスク作業をしたい気持ちを、昨日に続いて、もうちょっと敷衍して考えてみます…って、リクツっぽくてもうたくさんでしょうか。これも折に触れてずっと何十年か感じてきたことです;

「図書館が勉強しやすい理由」は、「合目的的な空間」だから。

空間を限定することで、自分の時間の使い方を、ひいては「自分の使い方」を、最も狭く集中させる効果があるということです。

ということは、昨日の話ですが、ヨーロッパ人の発想、つまり『食事や睡眠や勉強やくつろぎといったそれぞれの行動に応じて部屋がある』という発想は、『空間が、目的を明確に意識させ、作業を規定し、時間を画定する』という発想です。

空間を変えるという行為によって、複数の作業と有限の時間を計画的に細分化し、次々に消化して、その結果、目的を達する、という知恵は、考えてみれば、偉大ではないでしょうか。

翻って、東洋の発想はどうでしょうか。

日本の伝統的家屋の発想は、畳の座敷の1部屋で、食べたり、書いたり、眠ったり、茶を飲んだり。また、その座敷の襖を取り払って、2つの部屋3つの部屋を次々とつなげて、巨大空間が広がり、日常寝起きしているその畳の上で、厳粛に冠婚葬祭を執り行なうのでした。

つまり、ハレ(霽れ)とケ(褻)の場が、物理的空間という意味では同一です。家族や集落といった、『運命を共にする集団の共同生活が、ヒトの行動を規律し、時間を画定し、空間を遷移させる』ような気がしてなりません。この融通無碍の発想も、改めて考えると、底知れぬ偉大さを感じます。

以上の両極に乖離した発想のこの空間の文化論(?)を、私は大学生の頃に気づき、ずっと考えては、その極端な乖離が、実に不思議、しかしいずれの発想も実に偉大だと、うならされてきました。この問題が人間の形をして具体的に私に接近してきたのが、昨日お話したMc君でした。その点で、両手で強く握手したい気分になったものです。 ただ、あの時の私は、上の「東洋の発想」を自分の英語力で表現する能力がありませんでしたし、そういう議論を展開する雰囲気でもありませんでした…。

ところで、あなたは、図書館で、または自室で、勉強しつつ、あるいは勉強しに入ったカフェで、香ばしくて甘いキャラメルマヒアートのヴェンティサイズとボリュームたっぷりのかにアボカド石窯カンパーニュサンドイッチと冷たくてフルーティーで甘くてゴージャスなトクシンベリーフラペチーノをお供に、15インチのサーフィスラップトップをサラリと使いこなして、大学のレポートをオシャレに考えますか(なんかしつこい?)。

...緊張感をほぐすなごめるまろやかなステキな雰囲気で美しい絵になります……か…? 思うんですが、『空間の合目的性』が、なんだかブレて酔い始めてきました…。(ただのひがみです。)

2023/08/09

■ まなぶ - なぜ図書館は自室より勉強しやすい?


学校の夏休みも後半でしょうか。青森県の場合、7/22~8/23頃だそうです。私の近隣のいくつかの市立図書館は、さすがに勤勉な中高生でいっぱいです。昼過ぎにうっかり行こうものなら、座席はないです。ところで図書館にお越しの皆さんは、図書館の本が必要なわけではなくて、「空間」が必要なのでしょう。ご自宅に「私個人だけで使える自室」はないんですか? あるなら、自宅で勉強してくれよ、…とは言えないですよね。私だって、学校に通っていた頃は「空間」が目的で、利用しました。

いまどきは小中高生なら「自室」はありそうですね。大学生や独身者など、一人暮らしなら当然アリ。では、なぜわざわざ図書館にやってくるかというと、そりゃ、図書館の方が集中できるからでしょう。なぜ集中できるのでしょうか。自室の方が快適なのに...。大昔に知人に考えさせられ学んだ気がしたことを書いてみます。

小中高生なら、自分のお部屋はどう使っているでしょうか。親に「勉強部屋」と称されて明け渡されているかもしれませんが、ドアを閉めて「自分の城」の主となった以上、ナンでもデキる専制君主に君臨しているでしょう。勉強も睡眠も当然ココ。音楽も聴ける。スマホでネットもLINEもTVも無制限OK。ゲーム機はやっぱり標準装備でしょうか。そこでは、軽く飲んだり食べたりもしますか? 他に、ヒトにより、趣味やスポーツのグッズが満載された快適空間でしょうか。

さて、私が大学時代に知り合ったイギリス人留学生のMc君の発想をどう思いますか。(彼の父は「上院議員だ」と彼はひと言説明したのみですが、イギリスの上院議員は、非公選で終身任用制の貴族院なはず…。しかもこの頃は世襲貴族議席の制限前の頃の話なのですが…。ま、家族関係は私はそれ以上詮索しなかったのですが、ちょっとしたいきさつで、音楽と茶の話で打ち解けて、気さくに話しかけてくれました。)

彼のイギリスの自宅(お屋敷というべきか)は、話から推理すると、チューダー王朝期(室町時代)頃の石造りの大邸宅のようです。この邸宅には、執事・運転手以下多くの係の方々を抱えているようでした。

当時私は都心の大学のすぐ近くの、戦前に建築された古い木造のおうちの1室を借りて下宿していました。10畳間で、部屋の2面が障子戸で、開ければすぐ廊下となる角部屋です。東京と言うより江戸の雰囲気です。ここで彼に紅茶ウバの夏摘み茶を白磁の茶器で出したところ、非常に驚かれました。貴重な知己ができたのもつかの間、その2週間後に帰国してしまったのですが。

彼は私の畳敷きの下宿部屋に興味津津のようで、それを見に来訪したようなものです。彼によると、日本に来て、まず嫌悪感を覚えたことは、ダイニングルーム以外で飲食することです。彼の国の自邸では、石造りのホールに靴音が響き渡る広大なお屋敷なわけですが、ここで育った彼にとって、睡眠はベッドルームで、食事はダイニングルームで、勉強はライブラリで、紅茶やスウィーツはティールームですべきことです(もちろん全部自邸に備わります)。音楽を聴くリスニングルームも別にあるそうです(石の家なので残響が大きく、RogersのLS-3/5Aという小さなスピーカでじゅうぶん楽しめる、と言っていたのをはっきり(羨ましく)覚えています...)。

彼が退出した後、私はチョイと考えてみました;

畳の座敷の1部屋が、書斎にもなるし食堂にも茶室にも寝室にもなることは、日本では何の違和感もなく、ごく普通のアパートから高級旅館までみなその発想です。が、この点に彼は大きな感情的違和感を覚えているようです。アジア的な発想、価値観の違い、と考え、自分の感情はひとまず理性で抑えることにしたようです。

ヨーロッパでは「目的別に部屋がある」。目的の定められた空間において、目的外の行為をすることには、倫理的嫌悪感があるということでしょうか。

私生活の場に限らず、日本では、学校でも職場でも、同じ教室同じ机で作業もすれば昼食もとります。ヨーロッパでもアメリカでも、すべての学校では、科学(理科)の授業は科学(理科)室で、地理の授業は地理室で。ランチをとるのはカフェテリアで。したがって、「自分のホームルームの自分の机で」という発想はありえないようです。

さて、『図書館が勉強しやすい理由』は、「自分のイマの狭い目的以外は、周囲にナニも無い」「その行為の達成だけに集中した専用の空間」「合目的的な空間」だからではないでしょうか。

イマ自分はここに、次の3時間で使うアイテム以外何一つ持っていないです。自分はイマこの瞬間その目的のためだけにこの世にある主観的存在で、ここはそれ以外の行為は絶対にできない物理的社会的空間つまり客観的存在です。これ以上簡素で合目的的な状況はないです。とりかかりさえすれば、容易に目的を遂げられます。

他方で、学校や職場の縛りを解き放たれて自宅の自室に帰れば、「自分は無限の可能性がある若者」(主観的存在)が、「何もかも揃っている自宅の自室」(客観的存在)の中にいます。逆に言うと「何一つモノにならない自分」が出来上がったりして...(すみません、私自身の反省です)。自室というのは、目的から最も遠い最悪の空間…にならないよう、自分を強く律していかないといけない空間ですね。

2023/08/08

■ まなぶ - 大学の古い校舎の廊下

※ 大学発行の大学案内パンフ

画像は、都心にあるイエズス会経営の大学。創設初期の建物1号館1階です。きれいですね。

廊下壁から天井への補強リブが等間隔に置かれ、ロマネスク・アーチ形に処理されて、穏やかな雰囲気を作っています。

おととい見た教会基本構造の、束ね柱Pierが天井で収束する天井Vaultの荘厳な規模や美しさには遠く及びませんが、天井照明の形が何となくVaultを連想させる気がします。

壁面の上半分が白い漆喰風の壁、下半分が褐色の腰板という、気持ちが和み落ち着く配色で、ヨーロッパの修道院や個人の大邸宅風な趣を醸し出しています。腰を据えてじっくり思索するには良さそうですね。

この1号館の1階では、毎朝、文学部系の各学部学科の外国語の授業があるようです。かつて伝統的に教授する人はネイティブの外国人教授=イエズス会修道士で、始業と同時にドアに施錠して、遅刻者は入れない、入った者は出られない、という軟禁状態で、猛烈な外国語の特訓をしたという伝説が…。腰を据えてじっくりお勉強できる完璧な環境と言ってよいでしょう…か!? さぞかし外国語が堪能になって卒業するに違いありません…。今となってはもう昔の話でしょうか。

2023/08/07

■ まなぶ - 大学構内のアーチ

※google map/street

画像は、都心にある古い大学の、創設初期の建物です。学ぶための雰囲気が漂います。昨日触れた教会建築の技巧が連想されるような気がします。

尖頭半円アーチが、昨日一緒に見た教会建築の技法を彷彿とさせます。身廊naveと側廊aisleを隔てる柱列colonnadeが成すアーケードarcadeのような雰囲気を醸し出しています。骨格の建材は、大政奉還(1867)から数年後の明治最初期の建築物ですので、鉄筋コンクリート造ではなくて、石造です。この建物(法文2号館)アーチ最奥(南側にあたる)に明るく垣間見える別な建造物躯体は、昭和の建物で、アーチ形状が連続するように合わせて設計されているようです。


昨日は、上の平面図のように、教会建築は基本的に東西に延びる形で、集う会衆は建物の西側に設置された入口(façade)を入り、建物内で東方の祭壇に向かう、と言いました。

※ google map

 上の航空写真の平面図のように、この明治時代最初期の大学の建物は、建物が東西に延び、西(左側)の正門からこの建物に入ります。上3つのどの建物もその東端は尖ってドーム状をなしています。が、教会ではないので、ドーム部分は祭壇ではなく、この大学の画像左側緑色の2つの建物の東端は、数百名収容の大きな階段教室になっていて、最東端は教壇です(よくTVニュース報道で「今日、大学入試共通テスト/センター試験が行われました」などと報道される映像はこのうち左上の建物(法文1号館)内部の右端にある25番教室です。右の茶色い建物は講堂です)。明治維新時にこの建物を設計した偉大な方を私は知らないのですが、日本人なはずがなく、また、その建築技法は、バシリカ型教会建築そのものです。

ヨーロッパの古い教会には及ばないでしょうが、この大学も、歩くと、その建物の迫力に圧倒されそうですね。ただ、秋に歩くと、銀杏の実の香りが...(拾っている人もいます)。

2023/08/06

■ まなぶ - ヨーロッパ教会建築のごく基本知識

※ Wikipedia "Kölner Dom Innennraum" (De)
 幼い頃から今日にいたるまで、行ったこともなく見たこともなく、本の写真でしか知らないヨーロッパのカトリック教会の建築。ちらりと内部の構造のごく基本的なつくりを見ましょう。教会建築も様々ですが、一般にイマに残る巨大なロマネスク/ゴシック様式の石造建築でバジリカ型3廊式を念頭に。

冒頭の画像は、有名なケルン大聖堂の内部です。現在の形になるまでの建築期間が600年あまり。ヨーロッパの教会は工期が100年以上かかる大型建築も多いところ、とりわけこれは最長、最大の建築物でしょうか。

※Wikipedia "nave"(En)

教会建築のごく基本的な平面図がすぐ上の図ですが、図各左の▶が会衆の入口で、西から入り、東方(祭壇)に向かうという、象徴的な基本レイアウトです。しかも、全体に十字架の形でかつ船の形を模しています。「聖ペトロの船(新約聖書)」または遡って「ノアの方舟(旧約聖書)」のメタファーです。教会から発し、ヨーロッパの大型建築物全般の基本的理念となっているようです。

■ 冒頭ケルン大聖堂の画像で、手前の会衆席のある空間を身廊;狭義のネイブnave(すべて英語表記でいきます)といい、左右の柱列をコロネードcolonnade、この柱列全体(アーケード;arcade)で仕切られたさらに左右翼の空間を側廊 side aisle (上の画像には側廊の空間は写っていないです(ケルン大聖堂は側廊の外に側廊がある5廊式))。以上すべての空間を含めて広義のネイブといいます。(平面図)

大聖堂画像中央奥が聖職者の司式空間である内陣(chancel)とさらに建物最奥が祭壇を置く後陣(apse)です。平面図では、右側(=東側)のドーム形状の部分にあたります。

天井を見ます。左右側面のarcade上部が明り取り用のステンドグラス窓の入ったクリアストリー(clerestory)部を経て、その脇から伸びる束ね柱(ピア;Pier)が天井で収束します。この身廊(nave)の天井をヴォールト(Vault)といいます。単語がたくさんありますね。すみません。これでもだいぶ省略しています。

ロマネスク期(12世紀頃まで)に狭義のnaveの高さを競うようになり、教会建築が巨大化していきました。これが全部、石を削り出してつくられたものだとは…。構造計算がたいへんだっただろうなぁ…などと、小さい人間のどうでもいい感想です。いずれにしても、私のような者は、写真を見ただけで畏怖し圧倒されます。

2023/08/05

■ あるく - 県道2号屏風山内真部線


連日良いお天気。「湿度60%、体感105℉で湿度により暑くなるでしょう」とスマホのThe Weather Channelが意味不明な日本語をのたまっています。このスマホの中に棲んでいる小人さんはアメリカ人に違いありません。

連日、内真部森林公園から山の舗装道路を歩いています。

道は麓側に行くにつれて谷筋を選んでつくるのが一般的で、この道もそう。同時に風の通り道にもなっています。ここの今の気温は105℉で日本の最高気温記録を更新しているのかどうか私には体感できないのですが、少なくともここは、すばらしく爽やかな谷風が吹いていて、森の木の葉がさざめいています。

学校の夏休みに入って、まとわりつく蚊も増えてきましたが、トンボも増えてきており、特にここ数日は、ごろりと太く悠々と空中に静止する大きなオニヤンマがめっきり増えました。心なしか往復の農道の景色をなす田んぼの色も、先月までのスッキリなラッシュグリーンでなくほんのり黄色がかってきました。

 今日も、出会ったクルマは1台だけ。レンタカーナンバーのミニバンでご家族連れのようでした。通行止簡易ゲートを見て引き返していきました。途中「通行止」の予告看板表示は何度も見ているでしょうに、「行ってみよう」という家族会議の結果なのですね。ヒバ山を往復で堪能できて、よかったです。

画像は森林公園前の県道2号線の通行止め簡易ゲート。左側の「完全通行止」の英訳のパウチ(ラミネート)フィルム表示は、昨日までは無かったです。なぜ今日から英語表示を追加したのでしょうか? きっとアメリカ人の団体が大挙して訪れたに違いありません。


2023/08/04

■ きく - ベートーヴェン交響曲3番1楽章の「トランペット離脱問題」


ベートーヴェン交響曲3番1楽章のコーダの最後の部分の話です。「英雄」交響曲は、まるで戦いを突き進むように終末に向けてグイグイ盛り上がっていくところです。主題は、楽章を通じて用いられる4小節の動機(Motiv)を、音程2度上行させた繰り返しで、計8小節から成ります。

 1楽章は、非常に速い水の流れのような快速なアレグロ(con brio)で、どの楽器群にもスフォルツァンド(sf)やクレシェンドなどを細かく指定して歯切れよくデュナーミクの揺れも大きく、木管楽器群は活発に呼応し合い、弦楽器群はリズムを刻んだり、うねりや転がりのように軽やかだったり、力強かったりする進行です。

 低音楽器群(Fag; ファゴット、Vle; ヴィオラ、Vc;チェロ、B;コントラバス)が三拍子の力強い足取りを歩んできたところ、655小節目で、高音楽器群のような3連符風の上行とスタッカートstaccatoの下降に入って、楽章最後がいっきに爆発的な盛り上がりに突入し、ここでトランペット(Clno)が8小節に渡る第1主題のテーマをファンファーレ風に高らかに吹く...はずなのですが、ベートーヴェンは、主題の前半4小節のみそうして(楽譜上の黄色枠)、後半4小節は、トランペットを華々しい主役からいきなり下ろし、伴奏にまわしています(楽譜下の黄色枠)。盛り上がった頂点に達する一瞬前に、いきなり水を差すような処置で、異様に不自然です。これが、「3番1楽章の、コーダ問題/トランペット離脱問題」。

※↓652小節目から


ベートーヴェンがそう処理した理由は、当時のトランペットやホルンの構造にあったようだというのが、現在の通説のようです。ホルンやトランペットが、現代のようなバルブ式やロータリー式ではなく、バルブなしのナチュラルトランペット、ナチュラルホルンで、唇の形や呼気の排出量で音程も決めていた点で、音を外しやすく、演奏が難しいようで、奏者の技巧に極度に左右されます。さらに、前半4小節から2度上行した後半4小節は、自然倍音ではなく、特に彼個人の周囲の奏者らの技術レベルを考慮に入れると、技術的に不安定または困難と彼が考えたからではないかとされます。

その後、19世紀末最大の指揮者ビューロー(Hans von Bülow)が、この箇所でトランペットの旋律を8小節全て演奏させる独自の解釈というか校訂というか演奏スタイルを採用し、これが現代の大オーケストラの演奏でも採用されてきました。一気に爆発的に盛り上がる場面にトランペットは当然主役だろうという、自然な発想です。

今回この機会に、手持ちの5種類の演奏を1楽章のみ聴き比べてみました。

20世紀LP時代の伝統的オーケストラは、ビューローのスタイルで何の疑問もない、という感じでしょうか。

手持ちの盤で確認したら、Böhm/Wiener Phil(Grammophone1971), Karajan/Berliner Phil (Grammophone1984)など。ギリシャ彫刻のような静謐さを全編に湛えたベーム盤。帝王カラヤンは何の躊躇もなくマッシブに突き進む感じです。

古楽器演奏者になると、やはり原典忠実です。

手持ちの盤で確認したところでは、Hogwood/Academy of Ancient Music (L’oiseau-lyre1981), Norrington/The London Classical Players(VirginClassics1989), Savall/Le Concert des Nations(ALiaVox2019)など。

曲の構造に、古楽器演奏はいずれも、演奏家独特の透明感があって、にぎやかなはずのこの1楽章終盤も、重なる楽器同士の響き合う美しさに大いに惹かれます。

■ 現代オーケストラの派手な盛り上がり感や我先を争って他者を消し合うような大音量は、独りで聴くにはちょっと気が重くなります。この感想には、録音技術も大きく影響を及ぼしていると思いました。古楽器演奏の盤は、響きの美しさは突出していますが、後出しジャンケン的な強さがあります(笑...加えて、録音技術者の個性もかなりあり、私が思うに、LPやCDでは、録音技術者は指揮者なみに着目する箇所です。80年代クラシックLP黄金期を形成した Karajan - Berliner Philharmoniker - Grammophon - Günter Hermanns の組み合わせは、今聴き直すと、混然一体となったカタマリ感が押し寄せます。実はその頃からニガテ感がありました...。カラヤンファンの方ごめんなさい。

私は演奏会に行ける身分ではないのですが、もし演奏会に行くとしたら、または、新たな演奏家の盤を手に取る機会があるとしたら、曲全体や曲の一部や楽章ごとに、何か聴きどころのテーマを決めて聴くのが、ワクワクした楽しみだと思います。で、ベートーヴェン3番の1楽章なら、何と言ってもココでしょうか。

2023/08/03

■ あるく - 風通しの良い夏の光景

※ 秋田鹿角大湯の環状列石群(ストーンサークル)遺跡 (10年ほど前の頃の画像です。古くてごめんなさい) 

今晩、私の自宅から徒歩5分の河川敷で、県内随一の花火大会の日です。70年以上も続いているそうです。

私は幼少時以来大学生の帰省時まで見て、その後、見たことがありません。轟音だけはいやがおうでも聞くのですが。

今日も、いつもの県道2号内真部線を歩きました。工事で全面通行止め区間が青森市側にあるのですが、その工事は、実施する日と実施しない日があり、今日のように実施しない日は、工事の人たちが、緊急車両などが通れるように片付けてあるようですが、区間の両端の路上は、「全面通行止め」の看板と簡易なバリケードで封鎖しています。中には、このバリケードを手で移動させて通行する強者がいます。今日は、別箇所の橋がメンテナンス中で、その工事車両も通行しており、バリケードは片側車線を開けっ放しにしていました。

で、いつもはこの深閑とした山の舗装道路を歩いていても、見るクルマは0台か1台(工事車両か森林管理車両)か。ところが、昨日今日は、7,8台、一般の車両や県外ナンバーやレンタカーナンバーのご家族やツーリングオートバイも通りかかりました。クルマを止めて私に、「この道、通り抜けられますか」「青森市街に行けますか」と県外の言葉で聞いてきた方々もいます。上の段落の通りに答えましたが。通行止めの予告看板は途中何か所にも設置しているのですが、地図を見て近道そうで行けそうかもというチャレンジャーの方々ですね。もしここまで来て通行不能となれば、青森市街まで60km程度の遠回りですが、ま、それでも、Uターンしてこのヒバ美林のすがすがしい森の道のドライブをじっくり堪能してください…という気には、ふつう、ならないでしょうか、やはり。

要するに、夏休みなんですね、世の中は。で、青森県内は祭期間。ほぼ全ての市町村でお盆までのこの10日間はどこでも毎日お祭りです。観光シーズン真っ盛りだったのか。

夏休み家族恒例大イベントとして、ご旅行のヒトも世間にはもちろん多いわけで。特にコロナ規制のなくなった今年は。

「夏休み」の雰囲気は、特別感や郷愁があって、こころなごみますね。

あなたが小中学生の親だとして、ご家族で旅行するとします。どんな旅行にしましょうか。身近で、ある夏に同時に、三者三様を見聞したことがありました。

【1】 K君ご家族。

中3の男子K君。毎年夏休みに楽しみにしている家族旅行(父母とK君と中1の妹さん)の行き先を、当時世界遺産指定地となった飛騨高山を見て、帰りがけに平泉中尊寺に立ち寄ることにしました(中尊寺は当時はまだ世界遺産ではなかった)。

青森から飛騨はクルマで行くのが大変だったのですが、鉄道保守作業の仕事の父もK君もクルマ好きで、先月納車されたばかりの新車(デミオだかフィットだか)でした。一家4人でじゅうぶん広いし、新車だし、妹さんは高速道路のサービスエリアごとに必ず何かおいしい物を買ってもらえるので楽しみでした。飛騨を見て、成立の経緯を知って、生活を模擬体験し、14歳の心に大きな感銘を刻みました。帰路、中尊寺にチョットのつもりで立ち寄りました。深い杉並木の巨木の森の中に豪華で大規模な伽藍配置、とりわけ金色堂と、隣接の博物館讃衡蔵の資料を見て、息をのみました。館内展示説明の中に、平安時代の殿さまたちの遺体(ミイラ)を昭和の時代に解剖して病名や死因を特定した記録がありました。暑さを忘れて寒くなりました。妹は怖くて震えてクルマの冷房を止めてもらいたがりました。

帰宅して、皆で夕食に飛騨で体験した雑穀そば打ちをして味わいました。たっぷりの栄養はないけど、やせた土地で栄養バランス良く味わいの深い食事に、江戸時代・豪雪地帯・人間の知恵を実感しました。妹は言われる通り100回数えて噛んでから飲み込みました。その時はおいしくなかったけど、後日また食べたいとつぶやいたことがあります。

数年後、彼は、医学部医学科に進学しました。妹さんは管理栄養士になりました。今はお二人とも病院にお勤めです。中学のときの夏休みのインパクトが強烈だったそうです。

【2】 D君ご家族。

夏休みでも、自営業の親は忙しくて、世間様のような夏休みはないです。かろうじて父に取ってもらえたお休みの日、D君は父にお願いして、2人で、父の仕事用のプロボックスとかいうクルマで高速道路2時間ほどの、北上高地北部の隣県の町の牧場にある、観光天文台に連れて行ってもらいました。ここは対物500mmレンズを装備した天文台で平日の来客数は無限小、休日は1桁のようすで、お金がある自治体によるすばらしい宝の持ち腐れ が大切に保管されているようすです。

出かけた日は、ときおり日が差す薄曇りの日中。お出かけには絶好の日和なのですが天体観察にはイマイチな時間帯と天候です。多忙な父の予定だからしかたがないです。着くと、広々とした牧場の景色の中にぽつんと天文台が。日常生活からかけ離れたすがすがしい光景が印象的でした。豪華な天体望遠鏡をさっそく見たいので、係のおじさんに操作してもらいます。ヒマそうにしていたので たまたま周りにお客さんがいなかったので、見たいもののリクエストができました。「月」「土星」「投影板を装着して太陽とその黒点」を、曇り空でかなり苦労して天体位置座標と焦点を合わせ、見せてくれました。

土星は小さかったけど、驚いたことに輪の縞模様が見えました。太陽はメラメラと燃える火の球で、まるで何かの生き物みたいでした。それよりも、月にはビックリ仰天!!巨大すぎて月の円周も弧(輪郭の一部)も見えません。しかも、まぶしく輝く月面は、銀色に磨いた金属のようでした。クレーターのしわまでクッキリ鮮やか。目を丸くしてゴクリと息をのみました。

その天文台内にこじんまりしたコーナーがあって、火成岩や造岩鉱物の標本がありました。「花コウ岩」「閃リョク岩」「斑レイ岩」「流モン岩」「安ザン岩」「玄ブ岩」など、学校でリクツだけ習って暗記したのですが、教科書の写真では全然イメージがわかなかった暗記系の実物が、今、いきなりハッキリとリアルなビジュアルで目の前にあり、心に突き刺さりました。

帰ってきて夕食を食べていても自分の部屋で机に向かっても寝そべっても、月のクールなシルバーの輝きが忘れられなかった…。薄曇りの真昼の空なのに見える天体望遠鏡…。

D君は大学を卒業してしばらくお勤めしたけれど、さらに数年後に、独学して、気象予報士試験に合格してその道のお仕事に進みました。

【3】 Eさんご家族。

夏&冬&春の休みは、幼少時代から親子5人で恒例のディズニーランド&シー+ 豪華ホテルの旅。TDLの定期券みたいな何だか(私はシステムをよく理解できていないので不正確ですみません...)をお持ちでVIP扱いのご一家だそうです。

中3のEさんは3歳ころからもう十数年も、年に何回も通っていて、どの乗り物もアトラクションも自分のおもちゃで勝手知ったるわが庭です。両親ともに小学校教諭ですが、2人とも口をあけて乗り物をエンジョイ中。

今回も、たっぷり楽しんでの帰りの高速道路が、初めて出会う、まさかの豪雨渋滞・事故規制・通行止め・いったん下道でノロノロ運転でまた高速道路に。ずっと雨。買ったばかりの新車豪華オプションフル装備ミニバン・トヨタアルファードの中で、小学生の弟2人が、お菓子とアイスの食べすぎでゲロゲロ(…お見苦しい記述で申しわけありません…)。深夜過ぎに帰宅してあたしは空腹。両親とも眠くてすごく不機嫌。24時間のモスバーガーとコンビニで好きなものを買えってことで1万円もらい、あれもこれも買って食べたけれど、たくさん余り、買ったものはほとんど捨ててしまいました。翌朝気持ち悪いです。今日は私の塾の夏期講習があるから昨日帰宅の日程だったのですが、何でこんな気分で塾で勉強なんかしなきゃだめなんだ。今日は休むぅ~。

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行く前のワクワクが、どんな結果に終わるのか、なかなか難しいです。

私は、夏祭とも夏休みの旅行とも縁がないのですが、空想をふくらませるとして、東北のエネルギッシュなディオニソス祭も非日常的でよいかもしれませんが、涼しいところだとすれば、水族館や美術館...は、う~んしかし、それなりににぎわって暑さと喧噪があるでしょうか。非日常を味わえそうですが、さらに、博物館・遺跡史跡も、「日常生活からの遊離」という点では、よりいっそうの高みまで上がれそうです。

東北エリアで目にできる美術品でトップランクは、世界遺産「中尊寺」の金色堂と讃衡蔵でしょうか。ステキな杉の森の参道を上がると、人類至高の芸術品である純金箔製と螺鈿細工の見事な金色堂とその収蔵品。平安期の国宝級の美術品が暗闇の中に金色に浮かび上がります。千年前のありえない物体がイマ指先5cmに存在しています。また、その背後にある栄華と衰亡の壮絶な歴史や文学作品を思い出すと、現実世界などとっくに忘れ、意識はしばし虚空に漂う...。精神が病んでますか?

東北エリアの「遺跡」は、三内丸山の規模は桁外れではないでしょうか。ただ、観光客でごった返しているのですが…。対照的に、よりいっそう静謐で神秘的なのは、秋田鹿角大湯の環状列石群(ストーンサークル)遺跡ではないかなと思い出します。

--- 真夏の東北の夜空を焦がす、熱狂と喧噪の真っただ中に身を置くお祭とは対極にある光景は、...;真夏の目もくらむ暑い白昼、静かで広々とすがすがしい草原の中に、いにしえのあの時代となんら変わらない涼風が吹き抜けます。一瞬、時間が止まったかのようなひととき。心豊かに楽しむのも、惹かれるものがありませんか(画像)。


2023/08/02

■ きく - Mozart Requiem K626

※ Mozart Requiem K626;C. Hogwood/Academy of Ancient Music, Westminster Chathedral Boys Choir

「中学生の音楽2・3下」教育芸術社p30より『引用』

『「レクイエム」とは、「死者のためのミサ曲」の通称です。モーツァルトは死の半年ほど前、名を明かさない人物からレクイエムの作曲を依頼されたことに、不吉なものを感じたと言われています。そのころすでに健康を害していた彼は、”涙の日”を8小節まで作曲したところで力尽きてしまいました。その後、弟子のジュースマイヤーが続きの部分を書いて完成させました。この作品は、モーツァルトの最高傑作の一つとして、世界中で親しまれています。』

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もしあなたが、大学3年生だとして、現時点で治療方法がない内科疾患で寝たきりになり、8年間ほど病床に伏したとしたら、悪化する検査結果を見て主治医が渋い顔をして看護師さんたちが目を伏せて、ほんとうに覚悟してひとり枕をぬらしたことがあるとしたら、「将来」はなく、まもなく断ち切られるかもしれなかったとしたら、だったら、自分や将来や世の中のことを、どう考えるでしょうか。思いは暗く沈んでいくことでしょう。あらゆる悪災の悪逆な状況のみが毎日次々と心をいっぱいに満たしたとして、それでも、太宰治が例えるように、考え得るすべての悪災があなたの心という箱の中から次々と飛び出した最後に、あなたの箱の底に、小さくなっておろおろもじもじしている「希望」という小人さんを見つけられるでしょうか。

古い本を読んだり、数学だ化学だという高校生向けクイズを解いたり、音楽を聴いたりして、こころが現実から遊離して、おもしろい、ええっすごいなどという気持ちを経ると、くつろぐ感じがするかもしれません。本も音楽も、何百年か前のものの方が、幽体離脱を経験できてよいかもしれません。その音楽の中で、この時期とくに、不思議な響きのヨーロッパ中世ルネサンス期の声楽曲など、この世のものでない経験ができるかもしれません。

 さて、カトリックのお葬式で営まれる法要(典礼)が、死者のためのミサ。

グレゴリオ聖歌以来、ヨーロッパ千数百年間にわたり、他の典礼文同様、無数の作曲家のテキストとなっています。

 いくら音楽の教科書にあるからって、そんなものはキリスト教徒がお葬式のときに聴けば十分、人生が楽しいときに自らすすんで手に取って聴こうとは思わない、人生がつらかったり不治の病になった際にはもっと聴きたくない、に決まっているかもしれませんね。

ラテン語のことわざに"Memento mori.(死を想え)"があるそうです。これは、わざわざ暗いコトを言って人の気持ちに水を差すつもりのことわざではなく、死を想うことで今の生を実感し、より充実したものにしようという積極的な生き方をすすめるものと広く解釈されているそうです。「いま、もっと一生懸命にやろう」というのと同じでしょうか。

もし同じ意味だとして、例えばあなたがイマ例えば中高生や大学生だとして、「将来のため一生懸命勉強しよう」と言われるのと、「いつかくる死の日を想って、その日からイマをふりかえってみるつもりになろう。今どう過ごそうか。」と言われるのとでは、どちらが心に深くささるでしょうか。前者は校長先生の朝礼の言葉みたいな地に足がついていない無意味な表現ですが(え!?)、後者は自分がいつか死ぬべき地点という彼岸から、今いる此岸をあえて振り返るような響きがあって、「自分はどう歩もうか、イマのままでいいんだろうか。」と思わせる響きがないでしょうか。それで良い気分になれるかどうかは別として。

死ぬことを想うことは今生きることを想うこと…。いや、自分の人生はまだまだこれから長くたっぷりゴージャスに花開くと信じているのだから、そんなツマんない暗いコト考えたこともない、でしょう...か。

死者ミサは、参列者に、これを想うひと時を与えるテキストとなっている気がします。対照的に、日本の仏教の葬式の典礼文である「お経」はどうでしょうか。

上の教科書解説文って、最後の一文は、不要ですよね。「最高傑作のひとつ」「世界中で親しまれて」って、だから何だと? 教科書特有の「権威づけ」「どうだ」感満載。そう言われるとパスしたいスルーしたいです。で、でも、教科書の表現は胡散臭いとしても、今、個人的には、やはり近代音楽におけるレクイエム(死者ミサ)作曲史の金字塔は、やはりモーツァルトのK626…と思います…。結論において教科書の権威主義と同じ所に帰着しちゃった…。けど、自分で気づきたいです。違う表現で勧めてくれればいいんですがネ。

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■ カトリックの死者ミサ典礼文は、

I_入祭唱 1.永遠のやすらぎ 2.主よ憐れみたまえ

II_続唱 1.怒りの日 2.不思議なラッパ 3.畏るべき王 4.慈悲深きイエズス 5.呪われた者 6.涙の日

III_奉献唱 1.主イエズス・キリスト 2.讃美の供え物

IV_栄光唱 1.聖なるかな 2.祝福を 3.神の子羊

V_聖体拝領唱 1.永遠の光

から成り、どの作曲家の曲も1時間程度の大曲となっています。

死者ミサの典礼文は、基本的には通常の主日ミサのうち、入祭唱と続唱が葬儀用のものに差し替えられているだけなのですが、セクエンティア(sequentia;続唱)のテキストがあまりにも特徴的です。この部分までをかろうじてモーツァルト本人が完成してくれたのは、人類の幸運です。

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モーツァルトK626レクイエムの演奏は、古来から、教科書の説明にあるジュスマイヤーが補完した「ジュスマイヤー・ノヴァーク版」が用いられてきました(演奏家が使った楽譜のこと)。


※ Mozqrt Requiem K626;K.Böhm / Wiener Phil, Staatsopernchor

中学のときに借りたLPも高校時代に音楽室で聴いたLPも、当時のスタンダードである、カール・ベーム指揮(ヴィーンフィル+国立歌劇場合唱団(‘71年)か、ヴィーン交響楽団+国立歌劇場合唱団(56年)のいずれか)。規模の大きさ・厳粛さ・古典的静謐さ(ベームの演奏の決定的な特徴だと思います)、に圧倒されました。一つの「基準」「模範」「権威」で、他の演奏はこの下に序列づけられる存在でしょうか。

 私の大学時代の1980年前後は、ヨーロッパのいわゆるクラシック音楽界は、ヴィーン古典派以前の音楽演奏様式に、「古楽器旋風」が革命的な勢いで吹き荒れ、伝統的な巨大編成オーケストラやヴィブラートのたっぷり乗った声楽法などが破壊的転覆を迫られていました。モーツアルト・レクイエムの演奏もその洗礼を受け、目をむいて驚く解釈に次々と触れた頃でした。

が、大学を休学して病室の天井蛍光灯を丸一日直視していた86年頃に、ホグウッド指揮アカデミーオブエンシェントミュージックの83年録音盤を聴きました。(冒頭画像) 

モーンダー校訂版に基づいており、小編成で、シャープでこの世ならぬ古楽器の響きに、驚愕しました。ノンビブラートでクリアな弦。切々とあどけなく歌う少人数の合唱パート(イギリス合唱隊(少年・女声)・イギリスのソプラノやカウンターテナーの特徴です)。ノンバルブの金管楽器群のこの世ならぬ響き。なんというすがすがしさとやすらぎ!自分は他の人より不幸だ、生きることは苦悩だ、などといったルサンチマン感情のカタマリ的存在から、とっくに遊離し、目を開いたらあるあの蛍光灯って、ここはどこだろうと一瞬思いました。この演奏に出会えて、こんな状況にいる自分が幸せに感じられ、あたり散らしていた周りの人々に対して反省と感謝とを覚えた記憶…。別な新しい場所にいるようでした、が、蛍光灯が今でも目にまぶしく映ります(笑

衝撃が大きかったので、すぐ続けて、アルノンクール指揮ヴィーンコンツェントゥスムジクスの81年録音のジュスマイヤー・バイヤー校訂盤を聴きました。


※ Mozart Requiem K626;N.Harnoncourt / concentus musicus Wien, Konzertvereinigung

こ、これは、死者も驚いて墓から生々しく飛び出してくるような演奏ではないでしょうか。これはバイヤー版の特徴というより、アルノンクールの強烈な個性の吐露というべきでしょう。激しい好き嫌いの対象となる演奏だと思います。けれど、死んだ人は生きている人に生きることを想えと知らせる存在だという意味で、聴く者に何かを決意させるような演奏です。

ただの個人的体験というだけの話で、ホグウッド盤やアルノンクール盤が幾多の演奏の中でも優れているかどうかはわからないのですが、ホグウッド盤に続いてアルノンクール盤を聴いて、人生は、少なくとも、生きて何かに出会うに値するものかも、と、泥の中にごく小さな湧き水のような希望が湧いているのを見つけました。