2023/08/24

■ なおす - 「つけペン」のペン先整理


鉛筆や万年筆は愛用していますが、実は、「つけペン」も使っています。

■ 今どき「つけペン」を使う人って、1) イラストやマンガを描く人、2) 硬筆筆記(日本語のペン書道)を嗜む人、の2種類です。

■ このうち、1)は、新たに始める人もこれまでやっている人も、多くがパソコン描画に流れつつあります。また、2)は、隆盛をきわめる日本のゲルインクボールペンにとって替わられつつあります。

■ ということは、日本では明治以来の歴史をもつ「つけペン」の「ペン先」を製造する会社は、かつての鉛筆同様、「下町の小さい工場」のメーカーが次々と淘汰されていったと同じく、現在は、「タチカワ」「ゼブラ」の2社のみです。「つけペン」自体、 「タイプライター」や「日本語専用ワープロ」みたいに、消滅していくのも時間の問題でしょうか。

 私は、上1)ではなく2)の末端にしがみついているところですが、欧米文でも使っています。

 日本語には「たまペン (さじペン、スプーンペンとも言う)」「日本字ペン」というペン先を、欧米語には「Gペン」というペン先を使います。

 インクをつけて書きますので、インク瓶かインク壺が必要です。ただ、インク瓶は頻繁に開け閉めすると、水分が蒸発し乾燥し凝縮し、同時に空気中のホコリや菌類細菌類が混入して成分が変質します。最悪の事態がカビの発生です。私の場合は、インク瓶からシリンジに吸入して、画像に見えるように、コンタクトレンズ容器に3cc程度を滴下して、いわば小分けして使っています。コンタクトレンズケースも1~3週間程度で水洗いしてリフレッシュします。

 日本語なら数文字、欧米文なら一文節程度書くごとに、インクをつけ直します。

 また、数分ごとに、ペン先からインクをきれいに拭き取るか、水洗いして水をふき取り、ペン先をリフレッシュして新たにインクにつけ直します。その日使い終える際は、水洗いして水分をふき取ります。でないと、翌日サビています。

 使っているうちに、ペン先は、すぐに摩耗し始め、いずれ使いづらくなります。消耗品のペン先は、今どきは、1本あたり80円から300円程度でしょうか。

 まるで、以前に取り上げた、クラシックシェービングの両刃替刃と同じで、頻繁に交換が必要です。

 さて、その、摩耗していくペン先ですが、1) 新品おろしたての時はもっともシャープですがガリついて、使いづらいです。この点が刃物と違います。2) しばらく使うと、シャープさを維持しつつ滑らかな書き味になります。これが使いどころです。3) 使っているうちに、滑らかさは増してくるのですが、次第に太く鈍くなってきて、表現力が劣ってきます。こうなったら、交換のしどころです。そう判断するタイミングは、個人の主観でしょう。

■ 古く鈍くなったものは、両刃カミソリのようにすぐ捨ててもよいです。が、つけペンを使うほとんどの人は、取っておいているのではないでしょうか。その理由は、古く太いものも、試し書き・下書きなどに、それなりに使えるし、シャープさは要らないが少し太目の筆跡が欲しい場面もあるからです。

 ■ 私の場合は、1週間から1か月で新ペン先に交換します。古いペン先に、細字のマジックで、新ペン先に交換してペン軸から除去した日付を書いておきます。古いものは捨てられずにとっておくので、どんどんたまります。

 ■ 実は、そのペン先の整理も必要です。めんどくさがっていると、どのメーカーのどのペン種の、どれが新しくてどれが古くて、どれがどの程度の太さで、など、カオスになり、気持ちが荒れます。すると楽しいペンライフではなくなるというわけで...。

 ■ そこで、今日は、たまったペン先を整理しました。整理のしかたは人それぞれでしょう。私は平面上に古い順に1本1本を徹底的に並べる作戦です。ハズキルーペが必要な作業です。人に見せると偏執狂と思われるに違いありませんが、これまで誰にも言ったり見せたりしたことはなく、恥ずかしいのですが今日が実は初めてです。今日は、思い切って整理しきって過去の古いペン先の本数を数本に絞りました。あとは金属リサイクルごみとします。

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 ■ 「なんという手間!」「だったら万年筆の方がよい」「なんのためにそんなものを使うのか」というのが、自然な発想ですね。つけペンは、ペンが消耗品ですし、インクを頻繁に拭きとる分だけインクは無駄になるし、インク瓶は開封した時点から刻一刻と乾燥や変質をたどるし、ヘタをすると瓶をひっくり返して無駄になったり周辺を汚損します。

 ■ 「つけペン」でなくてはならない理由は、「異次元の表現力」です。

 ■ 例えば、プロのイラストレーターさんや硬筆書家の師範の方の、つけペンによる自筆原稿の原本をご覧になってみてください。万年筆も含めたいかなる筆記具も遠く及ばない、目を見開くような神業です。

 ■ そのレベルまでいかなくても、いっぱんに、手で書く行為を楽しむことができる人は、誰かに見せるかどうかはいったん置くとして、「書き味や筆跡が、思いのほか多様で美しく現れ出る、その過程を味わう」という楽しさを知っているからではないでしょうか。

 ■ 私の場合は単純に自己満足ですが、自分の文字がこんなに美しく現れ出るとは(人にはお見せできたものではありませんが)!という驚きが大きいです。ですので、万年筆のうち、つけペンと競合する細字や極細字の万年筆は、もう完全に不要です。

 ■ 手間暇のかかる「つけペン」なんて、そんなヘンなモノを維持する意義は...、私には、あります。もっと使いこなせるようになりたいと思います。願わくばペン先を製造する会社がずっとありつづけてくれますように。