2023/08/25

■ きく - ハイドン 弦楽四重奏曲 in D Op.64-5 (Hob.III-63) “ひばり” 1楽章

 


<<ザロモン弦楽四重奏団 (Salomon SQ) / エマーソン弦楽四重奏団 (Emerson SQ)>>

第1楽章の冒頭を比べます。

 低音楽器3声部がスタッカートと8分休符でテンポをつくりながら(譜面1)、まもなく滑らかに空高く舞い上がるような第1バイオリン(1st Vn)での第1主題(譜面2)。

譜面1

譜面2

 ザロモンSQは、古楽器です。これまで現代楽器でなじんできたこの曲でしたが、このLPでは、スタッカートが水の上を飛び石がつぎつぎと跳ねるような快速テンポと、目も覚めるような爽やかな1stVnでの主題! 深く息を吸って爽やかな青空を見上げる思いです。残響も豊かで、LPとは思えないみずみずしさがあります。

 これを聴いたのは、CDが普及しだした1987年頃でした。その前年の1986年に、ザロモンSQの演奏で、弦の4人にフラウトトラベルソ(フルートの前身となる木管横笛)と通奏低音としてフォルテピアノを加えた6人の構成で、ハイドンの104番(ロンドン)のCDを聴いて、ヘヴィ級のロンドン交響曲が、早春のような爽やかさの響きに代わっていて、大いに感銘を受けていました。で、秋葉原の石丸で、同じザロモンSQの演奏のこの「ひばり」のLPを買いました。その当時は「CDは輸入盤でもまだ高額だが、LPは輸入盤ならかなり値ごなれしている」時代。CDがあるかどうかは調べずに財布の事情でLPを買ったのですが、ほんとうにすがすがしい演奏を聴きました。

 それ以来、ハイドンの「ひばり」の演奏は、数多く聴きましたが、このザロモンSQの右に出るモノとてなく...! で、このL’oiseau-LyreレーベルのCDを数年ごとに探しているのですが、全くリリースされていないようすです。ハイドン後期の弦楽四重奏曲「トスト」「アポーニー」などは、ザロモンSQの演奏がHyperionレーベルからCD化されており、全て愛聴しているのですが...。

 さてと、ザロモンSQを離れて...。今日取り上げるもう一方の、エマソンSQは、バルトークの弦楽四重奏曲全集に接して、彫りが深く刃物のように研ぎ澄まされた静謐さで印象的でした。彼らは、いかにも現代的な新鋭のアメリカ人弦楽四重奏団という印象です。

 で、思わずハイドンのコレを手に取ったのが、新譜リリースされた2002年頃。古楽器のザロモンSQとはアプローチのしかたは当然違うだろうし、従来の現代楽器によるヨーロッパ人の弦楽四重奏とも違うだろう、どう違うかな、と少し緊張して聴きました。

 聴いた瞬間は、実は、打ち明けると、ガッカリ...。

 エマソンSQは、冒頭のスタッカートで、ザロモンSQの爽快さに比べると、どちらかというと、ゆっくり静かに、だのに、つんのめるように歩み始めます。

 1st Vnの主題も、ゆっくりと舞い上がります。

 どの声部も、楽譜はていねいに拾い、たっぷりとヴィヴラートが乗っています。ほんの少し粘りを残すようなタッチで進みます...。が、冷静で軽いタッチで、急がず、ゆっくりとかみしめるように進みます。聴き終えて、思い出すと、軽やかで薄味だったかな。で、次の機会にまた聴くと、聴いているその瞬間は、実にていねいで確実で透明なテクスチャが見透せます。

 ただ、ハイドンの「ひばり」の演奏に期待していた軽やかさ・コミカルさ・爽快さが、...ない...気が...しました。ジュリアードSQや東京クワルテットの流れをくむ新進気鋭のアメリカの弦楽四重奏団に期待するアグレッシブさも、ナシ...。

 ただ、この曲の前に置かれたト長調のOp54-#1 (Hob.III-58)は、すばらしく軽やかなタッチで、他の演奏では接したことのない斬新な爽快さを感じて少し驚きました...。だったらそんなふうに「ひばり」も演奏してくれよ、と、つい不満を持ちました。

 しかし、これまでは「買っちゃったからもとを取るためにしょうがなく」状態で、何度も聴いていたところですが、何度か聴いて、あるときふと感じました...;譜面3のようなスタッカートのユニゾン三連符の雷雨に入ると、多くの演奏が「混濁」を演出し、その後にまた1st Vnが滑らかに歌い出すところ、エマソンSQのこの箇所は、崩壊するような三連符が黒雲の雨ではなくて、どの楽器のどの音もスッキリと聴き取れるような明るいソノリティを感じます。これは彼らの技術レベルの高さが猛烈なレベルにあるからではないでしょうか。

譜面 3

 そう感じると、このジュリアード音楽院の怜悧な弦楽器スペシャリスツの彼らが、屋上屋を重ねるマネをするわけもなく、この演奏の背後には、これまでの既成概念、つまり、従来の演奏による解釈や聴衆の期待に対するシニカルな意図が、彼らの脳にあるのではないのかなと思い込み始めました。

 従来の「ひばり」への期待は、前曲のト長調Op54-1で満たされています。そして、これまでに経験のない、自分たち独自の「ひばり」を聴いてくれよ、と、彼らはにこやかに提案しているような気がしています。