2023/08/10

■ まなぶ - 空間が時間を画定する


外気温37℃。体温なみの外気温がここ数年は当然となってしまいましたね。

涼しさを求めて…思いつくのは、私の場合、図書館です。で、やはり今日も図書館は混雑していました。涼しくて静かな雰囲気をシェアし合うというのは、良いことですね。

図書館で勉強やデスク作業をしたい気持ちを、昨日に続いて、もうちょっと敷衍して考えてみます…って、リクツっぽくてもうたくさんでしょうか。これも折に触れてずっと何十年か感じてきたことです;

「図書館が勉強しやすい理由」は、「合目的的な空間」だから。

空間を限定することで、自分の時間の使い方を、ひいては「自分の使い方」を、最も狭く集中させる効果があるということです。

ということは、昨日の話ですが、ヨーロッパ人の発想、つまり『食事や睡眠や勉強やくつろぎといったそれぞれの行動に応じて部屋がある』という発想は、『空間が、目的を明確に意識させ、作業を規定し、時間を画定する』という発想です。

空間を変えるという行為によって、複数の作業と有限の時間を計画的に細分化し、次々に消化して、その結果、目的を達する、という知恵は、考えてみれば、偉大ではないでしょうか。

翻って、東洋の発想はどうでしょうか。

日本の伝統的家屋の発想は、畳の座敷の1部屋で、食べたり、書いたり、眠ったり、茶を飲んだり。また、その座敷の襖を取り払って、2つの部屋3つの部屋を次々とつなげて、巨大空間が広がり、日常寝起きしているその畳の上で、厳粛に冠婚葬祭を執り行なうのでした。

つまり、ハレ(霽れ)とケ(褻)の場が、物理的空間という意味では同一です。家族や集落といった、『運命を共にする集団の共同生活が、ヒトの行動を規律し、時間を画定し、空間を遷移させる』ような気がしてなりません。この融通無碍の発想も、改めて考えると、底知れぬ偉大さを感じます。

以上の両極に乖離した発想のこの空間の文化論(?)を、私は大学生の頃に気づき、ずっと考えては、その極端な乖離が、実に不思議、しかしいずれの発想も実に偉大だと、うならされてきました。この問題が人間の形をして具体的に私に接近してきたのが、昨日お話したMc君でした。その点で、両手で強く握手したい気分になったものです。 ただ、あの時の私は、上の「東洋の発想」を自分の英語力で表現する能力がありませんでしたし、そういう議論を展開する雰囲気でもありませんでした…。

ところで、あなたは、図書館で、または自室で、勉強しつつ、あるいは勉強しに入ったカフェで、香ばしくて甘いキャラメルマヒアートのヴェンティサイズとボリュームたっぷりのかにアボカド石窯カンパーニュサンドイッチと冷たくてフルーティーで甘くてゴージャスなトクシンベリーフラペチーノをお供に、15インチのサーフィスラップトップをサラリと使いこなして、大学のレポートをオシャレに考えますか(なんかしつこい?)。

...緊張感をほぐすなごめるまろやかなステキな雰囲気で美しい絵になります……か…? 思うんですが、『空間の合目的性』が、なんだかブレて酔い始めてきました…。(ただのひがみです。)