■ ベートーヴェン交響曲3番1楽章のコーダの最後の部分の話です。「英雄」交響曲は、まるで戦いを突き進むように終末に向けてグイグイ盛り上がっていくところです。主題は、楽章を通じて用いられる4小節の動機(Motiv)を、音程2度上行させた繰り返しで、計8小節から成ります。■ 1楽章は、非常に速い水の流れのような快速なアレグロ(con brio)で、どの楽器群にもスフォルツァンド(sf)やクレシェンドなどを細かく指定して歯切れよくデュナーミクの揺れも大きく、木管楽器群は活発に呼応し合い、弦楽器群はリズムを刻んだり、うねりや転がりのように軽やかだったり、力強かったりする進行です。
■ 低音楽器群(Fag; ファゴット、Vle; ヴィオラ、Vc;チェロ、B;コントラバス)が三拍子の力強い足取りを歩んできたところ、655小節目で、高音楽器群のような3連符風の上行とスタッカートstaccatoの下降に入って、楽章最後がいっきに爆発的な盛り上がりに突入し、ここでトランペット(Clno)が8小節に渡る第1主題のテーマをファンファーレ風に高らかに吹く...はずなのですが、ベートーヴェンは、主題の前半4小節のみそうして(楽譜上の黄色枠)、後半4小節は、トランペットを華々しい主役からいきなり下ろし、伴奏にまわしています(楽譜下の黄色枠)。盛り上がった頂点に達する一瞬前に、いきなり水を差すような処置で、異様に不自然です。これが、「3番1楽章の、コーダ問題/トランペット離脱問題」。
※↓652小節目から
■ その後、19世紀末最大の指揮者ビューロー(Hans von Bülow)が、この箇所でトランペットの旋律を8小節全て演奏させる独自の解釈というか校訂というか演奏スタイルを採用し、これが現代の大オーケストラの演奏でも採用されてきました。一気に爆発的に盛り上がる場面にトランペットは当然主役だろうという、自然な発想です。
■ 今回この機会に、手持ちの5種類の演奏を1楽章のみ聴き比べてみました。
■ 20世紀LP時代の伝統的オーケストラは、ビューローのスタイルで何の疑問もない、という感じでしょうか。
■ 手持ちの盤で確認したら、Böhm/Wiener Phil(Grammophone1971), Karajan/Berliner Phil (Grammophone1984)など。ギリシャ彫刻のような静謐さを全編に湛えたベーム盤。帝王カラヤンは何の躊躇もなくマッシブに突き進む感じです。
■ 古楽器演奏者になると、やはり原典忠実です。
■ 手持ちの盤で確認したところでは、Hogwood/Academy of Ancient Music (L’oiseau-lyre1981), Norrington/The London Classical Players(VirginClassics1989), Savall/Le Concert des Nations(ALiaVox2019)など。
■ 曲の構造に、古楽器演奏はいずれも、演奏家独特の透明感があって、にぎやかなはずのこの1楽章終盤も、重なる楽器同士の響き合う美しさに大いに惹かれます。
■ 現代オーケストラの派手な盛り上がり感や我先を争って他者を消し合うような大音量は、独りで聴くにはちょっと気が重くなります。この感想には、録音技術も大きく影響を及ぼしていると思いました。古楽器演奏の盤は、響きの美しさは突出していますが、後出しジャンケン的な強さがあります(笑...加えて、録音技術者の個性もかなりあり、私が思うに、LPやCDでは、録音技術者は指揮者なみに着目する箇所です。80年代クラシックLP黄金期を形成した Karajan - Berliner Philharmoniker - Grammophon - Günter Hermanns の組み合わせは、今聴き直すと、混然一体となったカタマリ感が押し寄せます。実はその頃からニガテ感がありました...。カラヤンファンの方ごめんなさい。
■ 私は演奏会に行ける身分ではないのですが、もし演奏会に行くとしたら、または、新たな演奏家の盤を手に取る機会があるとしたら、曲全体や曲の一部や楽章ごとに、何か聴きどころのテーマを決めて聴くのが、ワクワクした楽しみだと思います。で、ベートーヴェン3番の1楽章なら、何と言ってもココでしょうか。