2023/08/20

■ きく - フレスコバルディ「音楽の花束」; C. エルケン / カンディクム / L. ギイルミ (Org)

※ 左;グレゴリオ聖歌選集 Wiener Hofburgkappelle (philips 1983) / 右;フレスコバルディ 「音楽の花束」から「聖母のミサ」 Lorenzo Gielmi (harmonia mundi 50 Jahre 2008)

夕方に就寝して深夜に起きます。頭がぼうっとしているので、冷水を飲んでからシャワーを浴びます。温水と冷水を交互に浴びる「温冷浴」で、ここ40年近く毎日欠かしたことのない習慣です。で、目覚めがスッキリします。

机に向かいます。そう頭を使わずに済む作業を。その間、聞こえるか聞こえないかの音量で、音楽を。あまり知らない分野がいいので、無限に広がる未知の花畑である中世ルネサンス期のものを。世俗音楽だとやはり気が散ったりしますので、避けます。でもよく、単純にモノフォニックなグレゴリオ聖歌になったりします(「その歌ナニ?」という方が圧倒的多数ですよね。ごめんなさい)。

CDで手持ちのグレゴリオ聖歌は、ソレム修道院の1950年代の録音とヴィーンホフブルクカペレの1980年代の録音(画像左)です。前者は、さすがに今となっては、暑苦しく息苦しい録音です(す、すみません...)。後者は、巨大権威のソレム派へのアンチテーゼとしての意義があると思います。現在の奏法の基本ではないでしょうか。

とはいえ、十代の頃は謎の音楽グレゴリオ聖歌も、その後何十年か聴くとさすがに耳になじみます。で、石造りの教会聖堂とそこに響く雰囲気を湛えつつ少し変化を。

取り上げたフレスコバルディ(「それ誰?」という方が圧倒的多数派ですよね。ごめんなさい)。バロック最初期、17世紀前半(3代将軍家光の頃)に成立したこの“Fiori Musicali(音楽の花束)”(画像右)は、ミサに用いるオルガン曲の抜粋のようなものでしょうか。バチカンのオルガニストだったことも影響しているのでしょうか、このCDの曲の編成は、主日ミサと「夕の祈り(Vespro)」のグレゴリオ聖歌に、オルガン独奏(稀に声楽+オルガン伴奏も)を交互に織り込む構造になっています。

グレゴリオ聖歌は手を加えず唱和され、はさまるオルガン独奏(トッカータ、カンツォネ、リチェルカーレなど)が、伝統的な対位法的技法を用いながら色彩的で半音階的な和声を多用する、フレスコバルディの、斬新で強い理念を反映する曲想の進行があり、聴くともなく聴いていると、気持ちが静まったり、華やかなのに穏やかな色彩感に少し高揚したり、と思うとまた気持ちが凪を迎えたり...。

このオルガン技法が、法王のお膝元ローマ、メディチ家のフィレンツェと北イタリアを経て、アルプスを越えて、意外にもルター派のエリアで、ブクステフーデ、バッハへと直接流れ込んでいったのかと思うと、巨大で静かな歴史の潮流にじわりとした感動があります。真っ暗な朝の、ごく静かですが、私の小さな現実存在からかけ離れた充実感ある時間です。