2023/07/17

■ きく - Mozart Sinfornie in D, K504 Nr.38 "Prager" ; C.Hogwood/Academy of Ancient Music (1984頃)


今日の「英単語を書く」は、1601-1700の例文まで書き終えました。

今日の例文1682: I seldom find British cuisine very palatable.

    イギリスの料理がそうおいしいとは、めったに思わない。

…ま、またこんなことを書いちゃって、いいんですか?

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カール・ベームが1975年頃に来日してNHKの長時間にわたるインタビューに答え、そのとき中学生だった私は、下宿の食堂にある超小さな壊れかけているテレビをジ~ッと見て聞いていました。その中で、「人生で1曲だけ持つことを許されるとしたら、モーツァルトの41番だ」と言ったのは、いまでも彼の表情ごと思い出せます。

それ以来41番の存在感が巨大化してしまって...。いや、ヴィーン・フィルの演奏するモーツァルト交響曲すべてもです。今でもです。で、私には、堂々としたスケールの大きさと弦の美しさでは、ワルターと並んで、「完璧な規範」「畏れ多い存在」になりました。

同じ頃、70年代後半は、古楽器での演奏はもはやゲテモノではなくなり、気運は盛り上がり、その後、1980年前後に、ホグウッドがモーツァルトの交響曲全曲録音に乗り出しました。私はその数年後から少しずつ全曲を聴く機会を得ました。

 巨体の恐竜の跋扈が終焉して、哺乳類がちょこまかと広がり始めた...というのはヘンなたとえですが、100人規模のフルオーケストラという巨体が、固定観念化した過去の遺物のようで、20人規模の軽やかな古楽器合奏団に次々とくつがえされていく爽快な印象がありました。

で、いま、モーツァルトの41番を、どのLP/CDで聴きましょうか? フルオーケストラのヴィーン・フィルの演奏でも、現代楽器の合奏によるイ・ムジチやアカデミー室内管弦楽団でも、古楽器のエンシェント室内管弦楽団でも...。今では、優劣を論じる意味はなくなったのではないでしょうか。どの演奏を聴いても、必ずあるのは、喜び・驚き・頷き。至福の時間が楽しめると思います。

そのうえで、モーツァルト後期交響曲群にあって、3楽章形式でよりいっそう軽やかな気がする38番。「クラシック」「名曲」「難しい」「偉い」「権威」「固定観念」「しかめツラ」などの音楽教育にまとわりつくくびきを振り切って、この38番は、私の中では異色の存在です。今日はホグウッドの演奏を。50曲あまりの交響曲全てにわたり、彼自身で弾くチェンバロの通奏低音が加わっています。

上の図は2楽章の冒頭です。弱音(p)指定の1stVnがみつばちの弱い羽音のように半音階的上行で気ままに舞うなか、低音部、図の最下段ヘ音譜のG音のロングトーンに、ホグウッドのこの演奏では、チェンバロのアルペジオが、花びらのように、はらり、はらり、と散ります...。

花の香りにむせかえる春の庭園のようです。

...こころにつきささりました...。ぐうの音も出ません...。人生で1曲だけ持つことを許されるなら、ホグウッドのこの38番2楽章だけで、もう何もいらない気持ちになりました。


19小節ほど進むと、木管楽器群の経過音を経て、強音(f)で短調に転調します。2ndVnとVaはフォルテのトレモロで、花園にチョっとひんやりした突風が吹いて花びらをぱっと散らすかのようです。

いずれも、ホグウッドの、極度に繊細なオーケストレーションの妙味のなせるわざです。

音楽解釈においてもまた、イギリスが、イギリス人が、世界の固定観念を転覆させ潮流を革命的に変えた歴史的事実は、じつに多いです。