2023/07/18

■ まなぶ - 鷗外「カズイスチカ」 - 目の前にあることにすべてのちからをそそぐこと


今日の「英単語を書く」は、1701-1800の例文でした。

テヘランで、頭髪を適切に覆っていなかったとしてイラン政府道徳警察に逮捕拘束された22歳の女性が数日後に死亡した(2022-9月)。パリで、クルマを運転していた17歳の少年が検問中の警官に射殺された(2023-6)。

今日の例文1767: A crowd of people held a vigil to protest the death of a young at the hands of the police.

    大勢の人たちが、警察の手による若者の死に抗議して、夜を徹した集会をもった。

単語集の例文は、一般に、手にする読者の多くが理解できることだという前提で、著作者が作成すると思います。ということは、この例文の内容が、いかにありがちな話題であるかを如実に示しているようで、ごくふつうにあてはまるのが納得できたり、また同様のことが起きたり、と繰り返されることに、悲しさがつのります。

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今日は、鷗外の「カズイスチカ」という短編(文庫本で十数ページ)を見てみましょう。明治の若い医学士花房の心理描写です。彼には開業医の父(翁)がいます。父の医学は蘭学を通じた時代遅れのもの、若い花房の医学は明治の最新のドイツ医学です。

 話の前半は、若い花房の目を通じた父の観察。後半は、私たち一般の人が読んでも興味深いいくつかの症例。最後は心温まるお話があります。

 今日は、前半のごく一部のみを;

   翁は病人を見ている間は、全幅の精神を以て病人を見ている。そしてその病人が軽かろうが重かろうが、鼻風邪だろうが必死の病だろうが、同じ態度でこれに対している。盆栽を翫んでいる時もその通りである。茶を啜っている時もその通りである。

    花房学士は何かしたい事若くはする筈の事があって、それをせずに姑(しばら)く病人を見ているという心持である。それだから、同じ病人を見ても、平凡な病だとつまらなく思う。Intéressantの病症でなくては厭き足らなく思う。...始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。しかしそのしたい事、する筈の事はなんだか分からない。或時は何物かが幻影の如くに浮んでも、捕捉することの出来ないうちに消えてしまう。女の形をしている時もある。種々の栄華の夢になっている時もある。それかと思うと、その頃碧巌を見たり無門関を見たりしていたので、禅定めいた contemplatifな観念になっている時もある。とにかく取留めのないものであった。それが病人を見る時ばかりではない。何をしていても同じ事で、これをしてしまって、片付けて置いて、それからというような考をしている。それからどうするのだか分からない。

    そして花房はその分からない或物が何物だということを、強いて分からせようともしなかった。唯或時はその或物を幸福というものだと考えて見たり、或時はそれを希望ということに結び付けて見たりする。その癖又それを得れば成功で、失えば失敗だというような処までは追求しなかったのである。

    しかしこの或物が父に無いということだけは、花房も疾(とっ)くに気が付いて、初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人のつまらないのは当然だと思った。

    そのうち、熊沢蕃山の書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳(くしけず)ったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。花房はそれを見て、父の平生(へいぜい)を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好いい加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場の医者たるに安んじている父の résignationの態度が、有道者の面目に近いということが、朧気ながら見えて来た。そしてその時から遽(にわか)に父を尊敬する念を生じた。...

「自分には夢があって、そのために自分は生きている。対して、今、目の前にあるこの些細なコトは、自分の夢とはあまり関係がない。こんなことで煩わされるなんて」という気持ち。全ての人には、大きな前途と志があるので、多くの人が、特に若い頃に、ついそういう気持ちになるのではないでしょうか。私などは、もちろんそれが尊大に膨れたクチかもしれないと思います。今からでも、翁侯の心がけに近づく努力をしようと思います。