2023/07/06

■ まなぶ - 手塚治虫『火の鳥 4 - 鳳凰編』の背景画


今日の「英単語集を書く」は、0501-0600まで。

この単語集は、ロシアによるウクライナ侵攻前の出版です。国連安全保障理事会常任理事国ロシアが、連日のように独立した主権国家ウクライナにミサイル攻撃をし、民間人(兵士でない者)に死者が出ているだなんて...。

今日の例文525: The bombing campaigns have been inflicting terrible suffering on innocent civilian population.

一連の空爆は、罪のない一般市民に悲惨な苦しみを与えている。

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漫画のストーリーの紹介や感想ではありません。もっと些細な話、あまり他の人の賛同は得られない話なのですが、高校生の頃から40年以上もずっと気になっていた手塚の漫画の背景画。図中の、格子模様です。正方形の連続です。

 ついでに、画像の右端は、1970年代後半~1980年代初頭に出ていた、京都の「ご当地タバコ – 雅(みやび)」のパッケージの一部です。灰色地に黒格子の正方形の連続です...。

『火の鳥 4』の舞台は、奈良時代の都。仏師「茜丸」は若い頃旅の途中で、山賊「我王」に襲われ右腕を斬られ不随に。仏師の道を絶望しましたが、長年の苦難の末、左腕のみで、いっそう優れた仏師になり、今や都の寵児。他方、我王は、暴力・屈辱・差別にまみれた育ちから、他者を殺し奪い生きていくのですが、飢饉と為政者に抑圧された農民たちの惨状に自分の怨恨感情が重なり、人間社会の理不尽を怒り、デタラメな化け物の彫像を、苦しむ農民たちに、拝む対象として彫ってやったところ、激しく感謝されたことから、怒りを彫塑にぶつけ、その激しい彫像が都にも聞えるほどになりました。東大寺造営に際して、スターである建築監督の茜丸に、時の権力者橘諸兄が、挑発的に「日本一の芸術家=我王」の噂を持ち出し、茜丸が「造営中の東大寺の鬼瓦の制作を両者で競う」提案をします。

「鬼瓦」は、津軽の人には全くなじみのない存在ですが、特に寺院建築における瓦屋根の、最後の要(かなめ)となります。外から近づく邪気を寄せ付けないよう、四方を睨むその形相は、見る者に「恐怖」を抱かせなくてはならない芸術的使命を帯びます。

茜丸は唐招提寺法華堂に、我王は東大寺二月堂に蟄居して制作を命ぜられます。

図は、蟄居して独り悩む両者。茜丸は、今や名声や地位に溺れる自分に気づき、その制作作品のレベルに自信が持てないどん底の焦燥感。他方、我王は、ひとり座して、屈辱と血にまみれた怒りの人生を一つひとつ思い起こし、巨大な怒りを、作ろうとしている鬼瓦に込めていきます。

手塚のこの話は、史実に基づくものではなく、彼の自由な創作ですが、私は高校時代に人から借りて一度読んだだけで、強烈な印象を持ち、ノンフィクションだと思い込み、おかげで高校日本史が俄然いきいきとしたものになると同時に、勉強にも混乱をきたしました(ホントですか!?)。橘諸兄と吉備真備が同一天皇のもとで権力闘争、と誤解してしまった...などはどうでもよいのですが、いま、東北人にはない手塚の漫画に登場する背景画の感覚を、チョっと言ってみたいなという気がしました。

冒頭の、「黒い正方形の格子」は、奈良-京都の寺院のモチーフを代表する物だと感じています。70年代に日本専売公社で売り出した京都のご当地タバコのパッケージは、全面が黒い格子で、「雅(みやび)」という商品名の毛筆風書体が、京都の紅葉を想起させるような黄~朱色のグラデーションです。古典的な日本文化の静けさ漂う美しさを代表するモチーフではないでしょうか。

図の手塚マンガの格子模様は、いまこれを別な模様(例えば白い壁や木目板)に変えたとしても、読者にとって、ストーリーや漫画の価値に何の影響も及ぼさない気も、大いにします。

ですが、「真夏 - 寺院 - 孤独 - 思索 – 心理的重圧...a」と、日本の古都の巨大建築のさりげないインテリア・モチーフである黒い格子の、「そのようすを冷ややかにとりまく静かな日本的な美しさ...b」という概念とが、同時に存在しています。

端的に言うと「次々とうつろいゆく権力や悩みの象徴である人間の存在...a」と「静謐で普遍...b」が、対照的に表現されている気が、ここ数十年、しているというわけなんです。ここにも、死んでいくものをつきはなして諦観する火の鳥のモチーフが、手塚の意識下にあって、それがたまたま現れたような気がして...。ここまでコジつけると、精神が病みかけていますか?

「どうやったらこんな背景を描こうだなんて発想できるのだろうか」と、手塚マンガには、ストーリーをひと通り追って把握しきった何年も後になって、再読味読した際に、つねに新たに発見させられ、うならされてきました。今日はそのごく1つでした。他にもたくさんあるのですが、読み手の立場にしてみると、さぞ苦痛であろうと思いますので、あとはもう胸にしまっておきます。

手塚は、関西で育って、周りのものを観察するその慧眼と繊細さゆえに、寺院のごく細やかなデザイン・モチーフが、意識の底流に刷り込まれているのだと思います。