2023/03/24

■きく - バッハ:無伴奏チェロ組曲 4番 変ホ長調BWV1010; 5曲目(ブレII(Bourée II))

 



< ヨー・ヨー・マ(Ma;1998) & ピーター・ウィスペルウェイ(Wispelwey;2012) >

■ 10年ごとの巨大な衝撃の出会いが、あったかも。 Peter Wispelweyのバッハ無伴奏チェロ組曲。 ウワァっと仰天するようなこんな新しい解釈がまだあったとは...。 グールドの2度のゴルトベルクや内田のモーツァルトと同じ、圧倒的な衝撃でした。

■ 「無伴奏チェロ組曲」を、人生初めて知ったのは、 カザルス38年盤。昔1970年代にFMエアチェックした(死語か?…)機会でした。 哲学的思索のような難解さがあって、腕組みをして顔をしかめて、 一人うなってきく音楽でした。 録音品質の低さもあるのでしょう、 弦にフラジョレット倍音が乗った音が頻繁にきこえる気がして 息詰るような印象が、今でもあります。

■ 大学生の頃になって、Maの83年盤に触れ、 なんて明るい・快速・スムーズ・楽天的・天衣無縫…という、 出会った時の印象が今でも一気に混然となって彷彿とします。

■ さて、今くらべてみたいのが、4番のブレです。 4番自体、全6曲のうちでも、華々しさに乏しく印象が薄い曲かもしれないのですが、あえて。

■ 4拍リズム(2分の2拍子)中に4連符で高低差のあるda Capo付の 50小節余りあるやや長めのブレIのあと、 すぐ4拍の穏やかな楽譜進行をもつ10小節余りの短いブレIIに入るのですが、 Ma;1998は、ブレIIを、「安らぎ」と解してゆったりと運びます。 ブレIで、やや激しい4連符で酔いそうになるくらい翻弄された後の、 ゆりかごのゆらぎ、とでも言いあらわしたいような、 肩のちからが、ふっとぬけた、明るく暖かくゆるやかな気持ちに替わります。

■ マイスキー盤は、新旧両録音とも、この解釈を主観的に(恣意的に?)敷衍したものではないかなと思います。


■ Ma;83の、組曲1番の冒頭の前奏曲は、その天国的な美しさで、 テレビCFで爆発的に有名となったそうです (私はTV番組というものを12歳の頃からここ50年ほどみたことがありません…すみません)。 バッハ無伴奏チェロ組曲を初めてきこうかなというのであれば、 Ma盤を薦めたいですよね。83でも98でも。 この点(だけ)は、これをご覧のあなたも賛成してくれると思います。

■ 他方、Wispelwey;2012は、6つの組曲全体にわたってたいへん速いペースで、 人によっては「荒い」「前のめりだ」という印象も受けそうです。 Maの演奏と比べると、Wispelwey盤について、 1番プレリュードを聞いていきなりそれ以上聞くのをやめる人もいるかもしれません…。

■ 4番ブレIも、Maよりもちろん速い。

■ が、ブレIIに入って仰天したのですが、ここのシンコペーションリズムを、 Maのような「ゆりかごの安らぎ」とは対極の、 「前に進む強い意志」を感じさせるように弾き進めているのです。

■ WispelweyのブレIもブレIIも速い。 「だったら、息をつくひまもないではないか」「せわしない一本調子か」ということにはならなくて、 両曲とも、たしかにシンコペーション様のリズムを生き生きと突き進むのですが、 その歩み方の「質」が、彼の場合、違います。 ブレIは、まるで呼吸と腕振りを大きくして歩くみたいだけど、 ブレIIは、気を取り直して、先を急ぐにしても、息を静かに整え、 強い意志で、確実に、踏みしめて前進するような思いです。

■ 初めてこのCDをきいていたときは、行儀悪く、机に向かってものを書きながらだったのですが、 4番ブレIIが耳に入った瞬間に、目を見開いて息を止め、紙の上で手が凍りつきました…。 な、なんだ、この歩み方は、という思いでした。

■ ジャケット写真から同世代と思われるこの方は、多感な十代を、70年代ヨーロッパで古楽器演奏の第一波に洗われ、これと葛藤しつつ音楽教育を受け、ピリオド奏法・ノンヴィヴラート・ボウイングの音圧が穹窿をなすようなメッサ・ディ・ヴォーチェを、生きるのに必要な空気として呼吸して成長したのかもしれない、と、想像をふくらませてしまいます(ぜんぶ想像です)。

■ バッハの6曲を貫く構造を把握し、技巧を磨き、このようなまったく独自の音の構築物を現実のものとしてさし示してくれるのに、いったい何年かかったのでしょう。30年? 50年? ...この方の人生に、畏敬の気持ちがふつふつと溢れてきます。