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2025/08/11

■ きく ■ パッシブアッテネータで

パッシブアッテネータ

イシノラボMASTERS_CA-999FBG/P


「その2階のステレオシステムってイマ何だったっけ? サンスイ907の次のアキュフェーズたちも無くなったんだよね」...って? (🔗2024/10/20)

 今は、小さなモノーラルパワーアンプ2台と、電源ナシのパッシブアッテネータです。(🔗2023/9/9)

 「その"パッシブ..."ってナンだ?」という話でしたネ。遅くなってごめん。

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 オーディオ機器の高額化と巨大化には、私のような末端の庶民など、もはや希望を失っています。

 いつの間にか、身の程に余る高級機Accuphaseは、どの筐体も、ついに自分では持ち上げられない箱となり、何十年間も人生の一部だったはずの音楽の楽しさがすっかり重々しいものになっていました。

 いや、しかし、Accuphaseの音の良さ、"天上の美しさ"は、文句を言う筋合いのものでは、断じてナイです。じゃなくて、あの"ラジカセでFM-エアチェック"を楽しんでいた1970年代のお手軽さが懐かしくなったという、後ろ向きな心理的状況だと思います。

 シンプルなパッシブアッテネータの合理性は、1980年代のCello製 "Etude Passive Preamplifier"で広く認知されました。このブランド、マークレビンソンの品質を受け継いでリリースされ、 "Encore1MΩ", "Audio Palette"という超弩級のばかりでした。このアッテネータも、オルゴールみたいな小さい箱、ただの精密多接点信号減衰機が、当時40万円。別な惑星に住む人の物でした...。

Cello Etude

 もう20年もとっくに気づいていたことですが、自分の今の環境って、LPはナシで、出力される信号の音圧レベルや増幅周波数が一定範囲の「CD」しか聞かなくなった。ならば、音圧レベルを減衰させるアッテネータでじゅうぶんじゃなかろうか。そんな製品ってあるのかな。

 そこで思いが至ってしまったのが、市販品にはありえない発想のイシノラボ...。頭をよぎるけど注文制作をお願いするのは、自分のような人間では気が引けるというか...。

 日本オーディオ界の生き証人、イシノラボの平野さんに、しかし、5年ほど前、恐れ多くもお願いして手作りしていただいたのが、いま手元にあるバランス型トランス式パッシブアッテネータ、さらにモノーラルパワーアンプ2台です。

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 昨年(2024年)亡くなった平野さん。ご存命の時から仙人のような高みにいらっしゃる方でしたが、本当に雲上の人となりました。1965年新卒でタムラ製作所へ、のち67年から山水電気へ。75年(昭和50年)に、のちに山水の主力アンプとなったAU-607の開発に着手。以来、70年代半ば以降、サンスイ607,707,907シリーズを開発し、最後に、1999年、消えていく日本のHi-Fi市場とサンスイの歴史に花を添えるかのような形で、1965年型AU-111を、現代技術でていねいに復刻させた方です。

 引退後は、たったお一人の手づくりで一台一台、注文に応えていました。信じがたい話です。

 私ごときにも、ていねいに制作していただいたコレら。いまその構造を解説する資格も知識もないのです。

フルバランス式

 何にもわかっちゃいない素人の私が聴いて感じるのは、パッシブアッテネータ特有のすがすがしいようなそっけないような空間の広がり、と同時に、微少音量での異様な解像度の高さ!

 そのせいでしょうか、OVPP編成(1人1パート)のヨハネ受難曲の演奏について、SACDで聴くと、定位感、空気感が、あまりにも良く伝わるために、気づいてしまった違和感...。無音でも、広がる空間の向こうに人がいます!このことはいつか書きました(🔗2024/3/29)

 いずれにせよ、"絶対に一人で、絶対に真っ暗な明け方に"じっくり聴くときのアンプについては、私は生涯もうこれでじゅうぶんです。

2025/08/10

■ まなぶ ■ 雷をこわがる



それは私です...。地震に次いで恐れるべきものであって、火事やおやじよりも怖いんだぞ、みんなもっとこわがろう。幸いにして身近で被害を見たり聞いたりした経験は無いのですが、知識としてだけであっても、恐れるに値します。

 屋外にいるときはもちろんのこと、屋内にいても、その効果の広く強いことを知れば、怯えずにはいられません。高校古典で、菅原道真がお怒りになった『日本紀略』『扶桑略記』をよく読もう(?)。

 先週、雷鳴が、極端に長く続きました。3日以上、絶え間なく雷鳴がします。2日間ほど、夜は閃光が頻繁でした。比較的遠く(いつも光ってから何秒かカウントするクセがあります)、被害は及ばないだろうとわかってはいても、うまれてこのかた、経験の無い長さに、不安なままです。

気象庁防災情報XMLデータベース
...継続時間があんまり長かった...

 半径2kmより外なら、落雷による直接の被害の最頻値階級は免れ、5kmより外なら、サージの被害も遠ざかるだろうと、ひとまず自分に言い聞かせます。音速は340m/s(15℃)程度ですが、8月上旬の今はずっと高温だし、もっと速いハズ。めやすとして、約3秒で1kmあまり進むことになりますから、光った瞬間から5,6秒経てから雷鳴が聞こえたとすれば、屋内にいる限り命の危険は無いでしょう...、たぶん。

 それで安心できないのが、オーディオ機器とパソコン(PC)です。サージの影響は5km程度みておいた方がよさそうです。

 オーディオはアースをしています。サージ経路は、アースだってじゅうぶん選択されうるので、雷には過敏です。ので、可能なら、すべてのコンセントを抜くのが完全な対策です。が、「雷だから、家中のコンセントを抜こう」とまでは、なかなか。

 でも今回は、強烈な閃光と雷鳴がずっと続いた1日目の夜に、すべての壁コンセントにホスピタルグレードのアース付きをグルリと設置してある2階の、オーディオ機器のプラグを全部抜きました(通常の壁コンセントよりかなりキツくて抜けづらいです)。

 自宅2階の壁コンセントは、2005年に、すべて、ホスピタルグレードにしてあります。音質を考えて、雷サージタップは挟んでいません。


 パソコンの使用も、必要最小限のみで。こちらは、対サージタップを介在させるべきですが、怠慢から...。ま、今の生活で自宅にいるのであれば、PCならば、雷鳴閃光を感知したらシャットダウンすればいいだけです。万が一でも損害は多額ではないです。他方で、PCの使用は、少なかったり制限されたりした方が、自分の頭を使って考える時間が多そうですので、それはそれで。

 昨日になって、やっと雷注意報が解除...。あぁ長かった。こんなに長かった雷は初めてでした。

 根が臆病者なんです...。

2025/03/15

■ あるく ■ ネックスピーカー


昨日の寒さはコタえました。今日はおとなしく室内でステッパーにします。

 ステッパーの良い点(🔗3/8)を、さらに1点追加すると、音楽は、イヤホンでなく、自宅のステレオを聴きながら、または、ネックスピーカー(トップ画像)を装着して、良い音を聴きながらあるける点でしょうか。

 この点、外をあるく際のような、往来の安全への気配りはいっさい不要です(🔗 3/7)。

 冬の間は、暖房効率の点で空間を狭く仕切っていますので(🔗2024/10/23)、今日は、自宅の大げさなステレオセットではなく、ネックスピーカーで。

 このJBLの"Soundgear"は、ステレオセットに迫るように音が良く、自然な音場空間が広がり、ほんとうに画期的な製品です。

 外をあるくときもこれを装着したいのですが、見られるとチョイと恥ずかしい上に、音はもちろん洩れます。

 かつて仕事で、音楽以外の用途で使い始め、休憩中は音楽も良い音で聴けますから、あまりの使い勝手の良さに、2台購入してあり(🔗2023/12/1)、バッテリー切れの心配なく連続して使い続けられます。

 業務に使用していたうちの、いち場面に、コロナ禍における数年間、ビデオ・ミーティングで毎日使用していたことがあります。その際に、モニターの向こうの相手方の一人から、「"肩のマッサージ器"を使いながらビデオ・ミーティングとは、お気楽だな。」と、勘違いされたことがあります...。ち、ちがうんです...。

2025/03/07

■ あるく ■ ステレオイヤホン


今日は真冬並みの風雪と寒さ。午前中は路面が圧雪路でしたが、昼から融け始めました。風は強く冷たい(6m/s, 0℃)のですが、昨日の土手下の道をまたあるきます。

 昨日のイヤホンは、オープン型でした。外をあるくなら、やはり外の音が聞こえるこのタイプが安心です。

 今日は、カナル型でワイヤレス(Bluetooth)。カナル型は、耳の奥深くに入り、耳を完全に密閉して外界の音を遮断しますので、音楽や勉強や、あと私は経験がないですが他に映画やゲームに没入できるようです。他方で、外あるきは怖いです。でも昨日の記述通り、奥まった細い農道ですので、そう心配しないで聴きながらあるきます。

 音も良く、音楽に集中できます。でもやっぱりちょっと不安が拭いきれないかも。ワイヤレスは便利でもカナル型で外あるきは、まだまだなじめないかな。

2024/12/27

■ なおす ■ 充電ブース


USB給電のガジェット。意識しない間にその数は増えて、あちこちにいろいろな機器を置いて、つい探したり、電欠と充電のタイミングが合わず、ガッカリの経験も増えてきました。


 充電に際して、ほぼすべてのガジェットは、端末デバイス側コネクタ形状が、Micro-BとType-Cです。Type-C以前の(以外の)全てのUSBコネクタは、上下があり、視力や周りの明暗によっては、接続時のストレスがあります。

 明日のために充電すべきものを就寝前に考え、なるべく1箇所に集中させることにしました。

 100Vコンセントに直接挿せるUSBチャージャーも用意し、ひとまずは当面の需要を賄ってみます。


 まだ改善の余地がありますが、少しはストレスが解消されました。今後いっそう工夫しなくては。

2024/02/12

■ まなぶ - - オーディオ機器の話 3 - 大学入試センター試験2014年本試験 英語第6問


昨日の続きです。昨日は...

(1)...1段落目;オーディオ機器の黎明...蓄音機の発明と改良は、1) より気軽に、2) より良い音質で、の2つの目標を追求してきた。

(2)...2段落目;うち、1)の方向性に位置づけられるのは、1920年代の自動車搭載ラジオ、1980年代の歩きながら音楽をヘッドフォンで聞くという発想の実用化と普及がある。

(3)...3段落目;また、2)の方向性に位置づけられるのは、音質を追求することだ。可能な限りナマの演奏に近いHi-Fiなサウンドをめざす努力をしている。

…といった内容でした。

 今日は、第4段落~第6段落(最後)まで訳してみます;

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(4) 今日、電器店に足を踏み入れると、消費者は、驚くほど多様なオーディオ技術を目の当たりにする。 ポータブル・システムを探している人は、何百という種類の、色、形、サイズの、さまざまなイヤホン、ヘッドホン、デジタル・プレーヤーの中から選べる。 他方、オーディオファイル(audiophiles)、つまりハイファイであることを最優先する音楽ファン、のため、店内の別の売り場では、大型のスピーカー、CD プレーヤー、アンプなどの重量級コンポーネントを展示しており、往々にしてこれらは高額である。 音楽ファンたちは、これらすべてのテクノロジーとこれほど多くの選択肢に直面して、多くの場合、自分のリスニングのニーズに適した機器を調べたり決めたりするのに、多大な時間を費やしてしまうこともしばしばだ。

(5) 機器を購入した後ですらなお、オーディオ技術の進歩のせいで、消費者の注意は、音楽そのものからどんどん離れ続ける。 ポータブル・システムの利便性のおかげで、公園でのジョギングや通勤など、他のことをしながら音楽を聴くことができるのだが、このような状況では、音楽の一部が、周囲の騒音に埋もれてしまい、リスナーが音楽に集中することは困難になることもある。 また別の場合、オーディオファイルたちは、最高水準のハイファイを達成しようとして、自分のコンポーネントの組み合わせを試したり調整するのに、かなりの時間と労力を費やしてしまいがちだ。

(6) これほどまでに多くのテクノロジーが利用できるようになると、実際に音楽を聴くことが、二の次の問題にされてしまうように感じることもありうる。 お気に入りの録音を電車に持ち込んで通勤できるのは幸せなことだが、自分の注意がどこか他のところにあるときに音楽を聞いていると、音楽の力の多くは散逸してしまう。 同様に、高品質の機器を利用できるのは良いことだが、完璧なハイファイを達成しようと腐心しすぎるあまり、テクノロジー自体が、自分と音楽との間に割って入るような事態となる。 音楽は驚くべき力強い芸術形式である。 最も大切なことは、おそらく、座って、聞こえてくるモノを、味わう時間をつくることだ。 エジソンやその他の発明者の才能のおかげで、音楽の美しさがこれまで以上に身近になった。 手を休め、真剣に耳を傾けるかどうか...、それは私たち次第なのだ。

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 (4), (5), (6)とも、1) 利便性 = ポータブル・オーディオ、2) 高音質 = 重量級オーディオ機器、の2つの方向が、技術進歩により進化しているのは歓迎するものの、この2方向に、私たち消費者が振り回され、「音楽を聴く」という本来の目的が失われていく恐れがある点、本来の目的に立ち返るよう促してくれます。

 一方の、1) ポータブル・オーディオを身につけて、聞き流しながら何か別なことをするのは、散漫だし、場合によっては危険だったりします。この事例は、今となっては誰でも納得できる場面を思い浮かべられそうですね。

 他方の、2) 重量級の高級オーディオ機器は、あまりなじみのない世界という人が多数派でしょう。

  CD1枚を自宅備え付けのステレオ・システムで聴く場合を想定しましょう。① プレーヤーのトレーでCD盤を受け、回す機構 → ② CD盤からデジタル信号を読み取る機構 → ③ 信号をアナログ信号に変換する機構 → ④ アナログ電気信号を物理的運動エネルギーに増幅する機構 → ⑤ 振動させ音波に変換して再生する機構 → ヒトの耳の鼓膜に到達

  通常の普及価格帯製品は、①と②と③が1つの箱に入って「CDプレーヤー」。④が「アンプ」。⑤が「スピーカー」。

  他方、高級品の泥沼は...、トップ画像は、私が十数年前にちょっとよろめいて(?)所有した機器ですが、ま、マニアの方々から見れば、ヒヨッコのようなかわいい方でしょう。でも、私にとっては泥沼に「はまる」レベルですらなく、それ以前に、沼を発見して怖気づいてさっさと逃げ帰ったレベルでしょうか。

  高級品は、①&②と、③が別の筐体(箱)で、かつ③が左右チャンネルに別れたハコの場合もあります。④の「アンプ」は、CDプレーヤー以外の入力機器などをセレクトし、信号の大きさ(音量など)を制御する「コントロールアンプ(④-1)」と、その制御後の信号を増幅する「パワーアンプ(④-2)」に、筐体が分かれます。多くのパワーアンプは、左右別の筐体です(④-2Rと④-2L)。⑤のスピーカーは、ステレオなので左右別の筐体ですが、大画面テレビ附属のシアターシステムなど、スピーカーのハコだけでが5個以上だったりします。ステレオの場合は、正面に丸い「ユニット」が、高音・低音の2ツついてますよね(2way)。場合によっては加えて中音ユニット(3way)、さらに周波数を細かく分断した4way, 5wayなどもありえます。高音ユニットと低音ユニットを、別々のパワーアンプから電源供給して駆動する強者もいます。この時点で、CD1枚聴くのに、ハコが最低9個以上のものものしさに囲まれることになります...。①から⑤までの筐体は、どのハコの1ツをとっても、大人一人で持ち上げるのは困難なものがほとんどで、どの1ツも、お車1台分の価格で...買え...ないかもしれません...。また、これを繋ぐケーブルやコード(つまり電線)も、やはりお車数台分で...どうかな...。またこのレベルではもはや、おうち建築やおクルマ修理や医療や企業会計と同様、自分一人で何とかするのはムリで、専門家の介入が必要です。参考までに、下↓の画像は、上で挙げた「パワーアンプ(④-2Rと④-2L)」のみの画像と価格...。趣味の世界の話ですので、埒外の私たちがコメントする意味はないのですが...。

Phiwave Audio 2008年10月 - https://www.phileweb.com/news/audio/200810/03/8393.html

  本文で “audiophile”という単語を使っている時点で、執筆者自身がオーディオマニアだと思います。でも、必要なのは、何かしながら音楽を聴いたり、どんな機械がイイとかつべこべ考えるよりも、まずはきちんと音楽を聴こうじゃないか、という、あたりまえの結論となりました。この文のタイトルがそもそも『- - 聴く際の利便性と音質 - 他に優先事項はあるだろうか? - -』ですが、利便性よりも音質よりも、最優先事項は「音楽を聴くこと」だと言いたいんですね。第1段落の最終文『音楽そのものを、これらすべてのテクノロジーの中に埋もれさせてしまわないようにすることが重要である。』 また、第6段落の最終文『最も大切なことは、座って、聞こえてくるモノを、味わう時間をつくることだ。 たちどまって、真剣に耳を傾けるかどうか、私たち次第だ』というのが結論だったんですネ。あたりまえの結論ではあれど、私には耳が痛い話で、執筆者の見識に諫められて、大いに反省し納得しました。音楽にいちばん感動した原体験って、もしかして、中学1年生の時の「カセットラジカセ」だったりします。

2024/02/11

■ まなぶ - オーディオ機器の話 2 - 大学入試センター試験2014年本試験 英語第6問


昨日の続きです。昨日の話は...

(1)...1段落目;オーディオ機器の黎明...蓄音機の発明と改良は、1) より気軽に、2) より良い音質で、の2つの目標を追求してきた。

(2)...2段落目;うち、1)の方向性に位置づけられるのは、1920年代の自動車搭載ラジオ、1980年代の歩きながら音楽をヘッドフォンで聞くという発想の実用化と普及がある。

…といった内容でした。

 思うのですが、上のうち、前者は、真空管の普及により、素人でもラジオが製作できるようになり、1920年代にMotorola-#5T71ラジオキットが、自動車所有者個人が取り付けるカーラジオとして初めて発売されたことを指すでしょう。また、後者は、1979年のソニー-ウォークマンのことだと思います。

 どうでもいい話ですが、私も、1983年に初めてウォークマンを買いました。もちろん再生できるのはカセットテープのみです。ヘッドフォンからの音漏れも盛大でしたが、この頃流行ったのは、山手線や中央線に大音量でドンシャリ再生した状態でさっそうと乗り込んでくる...。そんな、まるで自分のテーマ音楽とともに現れる若者がカッコいい時代でした...。今となっては「音漏れ公害」扱いですネ(笑。私はそんな派手なコトは怖くてできませんでしたが、初めてウォークマンを装着して、人通りのない夜の通りに足を踏み出し、しかもその時聴いたのはバッハの『マニフィカト』(BWV 243)だったりしたので、そのE♭管のノンヴァルヴのナチュラル・トランペットの超高音にビックリ仰天、地に足がつかない状態で歩いていた、あの日を覚えています。

 今日は、第3段落を。

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(3) 音楽の楽しみに影響を与えるもう 1 つの要素は、そのサウンド・クオリティ(音質)である。 1950 年代、「原音忠実 (Hi Fidelity)」、または短縮した「ハイファイ(Hi-Fi)」という用語は、企業によって一般的に使用されていた。その目的は、可能な限り高い品質のサウンドの再生を提供するレコーディングやオーディオ機器を宣伝するためだった。 フィデリティとは、忠実性を意味し、ナマの演奏にできるだけ近い音楽を、録音し再生することを指す。 理想的には、録音された交響曲を、目を閉じて聴くと、あたかもコンサートホールにいるかのように感じられるということだ。 1950 年代以降の技術の進歩により、リスナーがハイファイの目標に、きわめて近づいていけることができるような、最新の録音技術と再生機器が誕生した。

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 “50年代の技術進歩”とは、ステレオ録音技術の普及のことだと思います。

 ステレオ再生は、19世紀後半(1881年)のパリ万博以降、業界では認識されていたようですが、一般に普及した技術となったのはその70年後の1950年代というわけですね。その間は試行錯誤の状態だったようです。だのに、その1950年代からさらに70年後の現代、じゅうぶんに成熟したハイファイ技術に私でも手軽に近づくことができるのは、なんと良い時代に生まれたことでしょうか。そのおかげで、人生変わったり、生きる希望を得たり、などということがあり得たのではないかと思うと、このオーディオの歴史をチョっと顧みただけで、今に生きている生かされているという感謝と感激が、ひとしおです。

2024/02/10

■ まなぶ - 「オーディオ機器」を話題にした入試問題 1 - 大学入試センター試験2014年本試験 英語第6問


コンシューマ(民生)用オーディオ機器の歴史と位置づけ、みたいな話が、大学入試センター試験の英語に出題されたことがあります。

 おそらく日本人の英語。出題者は、...以下は、まるっきり外野の憶測にすぎないのですが...、おそらく、センター試験英語科の統括責任的立場の方、2008年頃から2020年(最後のセンター試験)まですべての本試験の最終問第6問と追試験の第6問の多くを担当(すべて論説文)、試験問題の、本文(英文700語弱)も設問も、自ら執筆、趣味はオーディオと音楽と読書(小説)...、ではないかしら...と思っています。

 この方の個人的趣味の話題(音楽と小説)に、センター試験受験生50万人がお付き合い申し上げたことが、少なくとも、本試験で3回程度(音楽)、追試験で2回程度(小説)の複数年度にわたります。

 文体は、...私ごときが申し上げる立場にないところ...、十数年のすべての出題にわたって、高3段階での履修レベルを考慮に入れた上で、表現・使用単語・言い回し・一貫した論理構成など、推敲に推敲を重ねた練られた模範的な英文です。

 この担当者の方の出題になった2008年のセンター試験以来、当第6問には、段落番号がふられるようになりました。今日は、2014年本試験第6問のうちの最初の2段落だけ、幼い和訳を試みてみようかな...(というのも、MS-Wordの契約を終了して以来(1/20ご参照)、Libre WriterもGoogle Documentも、ベタ打ちしてすぐの細かい編集(個人のクセです)の、使い勝手に慣れず、泣いている、という、個人的事情...)。

 オーディオ機器を取り上げた英文で、まるっきりこの方の個人的趣味 執筆者の知見あふれる話題です。スマホとヘッドフォンでおキラクに音楽をエンジョイなさる18歳の受験生が読んでも、オーディオにはウルサい 偏屈な 一家言あるオーディオ・マニアのオジサン 諸兄がお読みになっても、それなりに楽しめる話ではないかと...(Libre Writerの操作に指が慣れず、ミスタッチが多くお見苦しい点お詫び申し上げます)。

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 - - 聴く際の利便性と音質 - 他に優先事項はあるのだろうか? - -

(1) 1877 年、トーマス・エジソンは、音を録音し、再生できる新たな装置である『蓄音機』を発明した。人々は、初めて、フルオーケストラの演奏を、自宅にいながらにして楽しめるようになった。 数年後、ベル研究所は、新たな蓄音機を開発した。それは、より良い音質を提供する、つまり、声と楽器が、よりクリアに、より現実に近く響くものだった。 これらの初期の製品は、オーディオ技術の開発における2 つの主たる焦点を象徴している;すなわち、「カンタンに聴けること」、「聞こえてくる音楽のサウンド・クォリティを向上させること」である。 両方の分野において、長年にわたるその進歩は目覚ましいものがある。しかし、音楽そのものを、これらすべてのテクノロジーの中に埋もれさせてしまわないようにすることが重要である。

(2) 蓄音機のおかげで、音楽を聴くことは、はるかに便利になった。だが、それはほんの始まりにすぎなかった。 1920 年代に、カーラジオの出現によって、路上でも音楽を楽しめるようになった。 1980 年代、ポータブル・オーディオへの関心が、現実のものになり始めた。というのも、通りを歩きながらヘッドフォンで音楽を楽しめるパーソナル・ミュージック・プレーヤーが開発されたのだった。 近ごろでは、小さなデジタルプレーヤーに何百ものアルバムを入れて持ち歩き、ごく小さなイヤフォンでアルバムを聴くことができる。

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 「オーディオ機器」のそもそもの黎明期の話からスタートですネ。『蓄音機』は、かつてのイギリスEMI = HMV (His Master’s Voice)のトレードマーク、亡き主人の生前の声に驚いてじっと耳を傾けるニッパー犬が印象的です(トップ画像は私の1986年頃のHMV盤LP)。

 この2段落では、オーディオ機器とは、

1) 演奏会場に行かなくても音楽が「良い音で」聴ける...「ナマの音を追求する」

2) 音楽を、自分の好きな時に好きな所に「持ち運べる」...「聴く利便性を追求する」

の、2つの軸を求めて、進化しつつある話が始まります。

2023/12/01

■ なおす - TV、ステレオ、ポータブルCDプレーヤ


 TVをなおす話じゃなくて、考え直す話、「キーを打ちながら自分の考えを整理する」話です;

 1. TVが羨ましい?; 「先日TVを買い替えたんだけど、今どきはTVでYou-Tubeも視聴できるんだよ」と友人に聞いて、「え~、すごい。いいなぁ。でもデカいTVってウン十万円の世界なのかぁ」などと羨む自分...。この会話はしかし20年くらい遅れてますよね。ま、先日したやりとりなんですがね...。

 TVは12歳の頃からもうかれこれ半世紀ほど、自発的には視聴せず所有もしていません。中学時代は、下宿の食堂にあった白黒TVを、年に2,3回、イヤホン(片側)をつけて劣悪な音の「N響アワー」か何か観させてもらいました。高校時代は見事に全く見ませんでした。自分で所有したのは、大学生の頃、古いものをもらったのち、新品を激安で個人的に譲ってもらった経験がありますが、どちらも特に欲しかったワケではなくて、会話の行きがかり上...で、ほぼ全く見ずに、結局2,3か月で、人に譲りました。その後は絶無...。唯一、自らTVを見たい、と初めて自発的に思って、役立ったのが、2011年3月11日の大地震で東北エリアが全面的に停電した際に、たまたま私の軽自動車のナビにTV機能がついていたのを思い出して、クルマをその日何度も始動して状況をニュースで確認できたこと。携帯電話にもTV機能があったけど緊急時の電池消耗を恐れて使いませんでした。

 でも、先日、You-Tubeのクラシック音楽のサイトが猛烈に充実していることに、初めて気づきました。特に古楽器での演奏で、CDの音と解説の活字でしか知らなかったリュートやテオルボ、ヴオール族の擦弦楽器群、キーが小指程度にしかない木管楽器群、バルヴなしの金管楽器群など、現代楽器同様に当たり前のように使って演奏しています...。また、モンテヴェルディのヴェスプロ・バッハの2つの受難曲・ヘンデルのメサイアなど、大掛かりな合唱曲にて、曲ごとの、楽器群・合唱団やソリストの配置換えなど、大いに衝撃的でした...。

 その視覚的感激を先日友人に打ち明けたら、冒頭のようなことを教えてもらいました。...そこで私もTV欲しくなってきま...せんでした(;^^A…。TVが羨ましいわけじゃなくて、音楽を気軽にYou-Tubeのような無限の音源から、良い音と映像付きで視聴できるのが羨ましいってだけですので、やはりTVは何十年たっても私にとってはデカいタカいムダな物体のようです。イマからTVを買うよりもCDを100枚買った方がいいナと、考えました。

 2. 音源に制約がない(CDに限られない)環境が羨ましい?;でも、音源がCDに限られないYou-Tubeのような無制約の環境が羨ましいです。かつてはFM放送がそうでしたが、番組放送時間にこちらが合わせるという時間的な制約があります。そこで、You-Tube視聴用に、ひとまず、PCにヘッドフォンを挿して、ブラウザで映像と音響を視聴してみます。もしよければ、活用していない27インチのEizoディスプレイも小型パワーアンプもあるし音響用に1台PCを組もうかな、と思い始めます。

 ただ、PCを置いているデスク周りのスペースは、私の場合、本来、音楽を楽しむための環境じゃないです。いろいろと窮屈だし、何より、Windows95の頃からここ30年ほど何度も考えては挫折したことですが、PCのCPUクーラやケースファンや部屋の壁の常時吸排気換気扇の音が気になり、音楽がつまらないです。

 実は、音楽再生用に、ケースファンが大きく低回転なPCを組む試みをしたことがありますが、CPUの冷却には、どうしても、空冷でも水冷でも、モーター駆動のファンが必要で、かならず騒音源です。

 また、視聴していると、そのうち、やはり視覚情報は猥雑で気が散るし、拘束される窮屈感、耳穴を塞ぐヘッドフォンの閉塞感に気づきます。他方で、数万円も出せば買えるPC用のパワードな(電源付きの)小型スピーカーの音は、やはりつらいです。

 3. 気軽に良い音という環境が羨ましい?;他方で、自分の本来のステレオ装置が大げさになってくるほど、着座位置やその空間が、より良い音響に奉仕するために規定され、場所的に拘束されます。また、私の場合、その大げさなステレオ装置で聴ける音源はCD(+SACD)のみです。PCは、前述の通り、稼働音という騒音源のため、つなぎません。ノートPCもファンの音は小さいけれど大同小異です。騒音の無い唯一の可能性は、タブレットで音源を得て、その信号を、CDプレーヤ附属のD/Aコンバータにブルートゥースで受ける作戦です。検討中ですが、それよりも問題なのが、冬になるとその「デカいオモいステレオを置いてある視聴空間が、寒くて、聴かなくなりがち」という点です。

 4. ...も~わがままなヤツだなぁ。じゃ、どうだったらいいのよ、オマエは?; 気持ちを整理します。

視覚情報 → 欲しい必要を感じたときに、目的意識を持ってPCでYou-Tubeを見れば十分かも。オペラファンじゃないんだし、結局あきらめよう。

You-Tubeのような無限の音源を、少し良い音で、もっと気軽に、座ったり立ち上がったときでも聞きたい & 手持ちの全てのCD(1200枚くらい)を、大きな装置でなく、お気楽に聴きたい。

→ PCに無線LANトランスミッタを挿し、受信できるパワーアンプと少しマシなパッシブスピーカがあればいいではないか。→ でもアンプとスピーカの配線がまた煩わしいか...。

→ 仕事用に使っていたポータブルCDプレーヤにブルートゥース機能があったはず。

 考えてみれば、音楽の視聴目的ではないけど仕事の必要性から、BlueToothの音響機器は、CDプレーヤもタブレットも、けっこういくつかあったはず。探し回りました...(画像)。しかも、ヘッドフォンのようにステレオ左右の位相は保ったまま、ヘッドフォンほど閉塞感のない「JBLのウェアラブルスピーカー(ネックスピーカ)Soundgear BTA」があったじゃないか!これらは、どれも本来は音楽の視聴目的に造られたはず...ということに、今になってやっと、本来の使い方が便利だと気づきました...。今まで気づかなかったのかよ。これってスマホでYou-Tubeがふつうにあっさりつながったりして...。

 ってことで、ひとまずは、Logitecのお安いポータブルCDプレーヤ(blue tooth)+JBL Soundgear BTAで解決しました。やっぱりウン十万円のTVなんか、いらないじゃない。もう進化しない生物だな、オマエは...。ここまで読んでいただいた方...人類の常識に今さら追いついたというだけのくだらなすぎる話でごめんなさい。

2023/09/09

■ きく - 中世・ルネサンス期の音楽

※機器はパッシヴアッテネータ(ステレオの音量調節の箱)

夜半過ぎに起きて、明け方まで、机に向かって簡単な作業をすると、8/20に書きました。

■ このとき、音楽を聞きながらするのが、こころ楽しいひとときです。そのときの音楽は、中世・ルネサンス期の声楽曲(カトリックの典礼音楽)が自分にはこころなごみます。別に典礼や儀式をして拝んでいるわけではなくて、耳に心地よい音楽として聴くともなく聴いています。

■ グレゴリオ聖歌(グレゴリアン)よりすぐ下ると、中世期では、ペロティヌス、ダンスタブル、デュファイ、オケゲムと思い当たります。もう少し下ってルネサンス期は...

「え、何それ? お菓子の名前?」 という方が多数派ですよね(作曲家の名前です)。この時期の音楽を知らないあなたがいま歩く地平の向うには、未知のお花畑が広大に広がっていて、これからそれに出会うという莫大な楽しみが人生にまだ残されているとは、ほんとうにうらやましいです。

■ これら13世紀以降の中世の作品(ほとんど声楽です)が、20世紀半ば過ぎのマンロウのロンドン古楽コンソートやプロ・カンティオーネ・アンティカ以来、イギリスで、あるいは、器楽ですがアルノンクールやレオンハルトが啓蒙したドイツで、また今やイタリアやスペインやフランスのようなロマンス語圏やフラマン語圏で、今も次々と新しい解釈が出ているヨーロッパの音楽的土壌には、底知れぬ畏怖と畏敬を感じます。たとえば同時代13世紀の日本は鎌倉初期ですが、その鎌倉期から室町・戦国期の音楽を、現在、若者がさかんに演奏して次々とCDが出ている...などと想像できますか!?

■ しかもその響きは、「古い」とはまったく感じられず、香を焚く教会の石造りの聖堂の壁に静かに響き渡るような、ひんやりと冴え、いきいきとしてみずみずしい、新鮮な音がする、と、誰でも聴けばすぐ感じることができると思います。

■ さて、今の私の聴く明け方前の時間帯や微小な音量では、私の音響機器では、多少困ったことが...(どうでもいい個人的事情)。私は、CDプレーヤ→パッシヴアッテネータ→パワーアンプ→スピーカと接続しているのですが、アッテネータの減衰量切替ノブがステップ接点式です(「なんのこっちゃ」という方が多数派ですよね)。で、その最小音量にしても、私にとっては、まだもうチョイ音が小さくなってもらいたいんですが...。

■ あらためてその中から、いずれCD1枚をどれか選んでみます。いや実は、今、CD2枚について書いてみようかなと思って書き始めたところ、やっぱりというか、ここまでのさらに3倍程度のテキストを書いていて、それで話はまだ半分だと気づいて...キリがないので、ひとまず区切ることにします。いつも長くてごめんなさい。