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2025/09/24

■ まなぶ ■ 「香害」


 やはりあったのか、こういう言葉。

 以前にも書きました(→ 🔗2024/1/5)。通学時の児童生徒さんたちに感じる洗剤の香り。これを、通う学校教室内で過剰に意識した近所の知人のお子さんが、医療機関の診察を受けた話。

 私は嫌いではないし特別好きでもないです。清潔感を感じて好感が持てる、くらいの意識です。

 んで、先日また洗剤を購入したら、これが強烈な香り。ずっと同じものを使っていればよいのでしょうが、違う製品だとハッキリ強い香りかも。業界のリーディングブランド製品は、合成洗剤として効能に優れているかどうか知らないのですが(それを期待して買うのですが)、価格は高めで香りがきついです。それが日本の家庭ではウケるんでしょうか。「いや、アメリカの柔軟剤(メキシコ産ファーファなど)はもっとキツいから」とおしえてくれた方もいます。どんな世界だ。

 洗濯して屋外で乾燥させる分には何ら気になりませんが、これからの雨天・低温・降雪時の室内干しを考えると、次回からホームセンターの安いプライベートブランド品にした方がいいのかなと逡巡しています。

 こういう時に限って、NHKの記事が、タイミングよく目に入ります。やはり一種の社会問題になっていたんですね。


以下引用;

"中学生以下の子ども1万人のうちおよそ8%が、生活用品の人工的な香りで体調不良になるいわゆる「香害」を経験したことがあるとする調査報告を、国内の学会の研究チームがまとめました。

この調査は、柔軟剤や合成洗剤といった生活用品の人工的な香りが子どもに与える影響を調べようと、日本臨床環境医学会と室内環境学会の研究者たちのチームが実施し、9つの都道県に住む中学生以下の子どもおよそ1万人について、保護者に聞きました。

調査では、「香害」と言われる人工的な香りによる体調不良を経験したことがあるか質問したところ、「ある」という回答は全体の8.3%にあたる856人となりました。

症状としては、吐き気や頭痛などを経験したという子どもが多かったということです。


また、経験があると回答した割合は、
▽未就学児で2.1%
▽小学生で8.9%
▽中学生で12.9%と、
学年が上がるにつれて多くなる傾向がみられたということです。

さらに、どこで経験したか質問したところ、「園や学校」という答えが最も多く、香りが原因で登園や登校を嫌がるケースもあったということです。"
引用終わり。

競うようにして強烈な製品をつくり大いに潤っている化学薬品会社ですが、そういう形での需要という圧力があったのかもしれないですね。会社はもちろん、お客の側でも"豊かな暮らし"を実感しているものなのかな。

2024/06/01

■ まなぶ - 連休明けの3人 (3)

パイロット website「色彩雫見本帳」より
https://www.pilot.co.jp/promotion/library/010/index.php

書道のお手本って、どんな言葉が思い浮かびますか? 小学校で書道を始めるとしたら「希望」「元気」「努力」など二字熟語。書道は、学校外で教室に通うとすれば、級位段位を設けて研鑽を積む形が多いです。進むにつれて、そりゃ2字熟語や4字熟語じゃなくなりますよネ。

 毛筆書道の会派流派は非常に多いです。他に、硬筆書写の世界つまりペン字で美しい字の研鑽を積む芸術分野もあって、コレは会派流派が集約されている印象です。

 文房具メーカーのパイロットでは、万年筆の需要掘り起こしも兼ねてか「硬筆書写の廉価な通信講座」というユニークな事業を実施しています。ここの「今月の課題」は、ウェブサイトで公開されているので、その級位クラスの課題を見てみましょう。

パイロット ペン習字講座 「今月の課題 2024年5月」
https://www.pilot.co.jp/promotion/penmanship/info/202405.html

 わかりやすい日常のことばですネ。パイロット講座は、楷書でも行書でも提出可能だそうですが、順調に進級するには「希望をもって元気に努力」する必要があるようです。

■ 5月の連休明けにチョイと机に向かった人を、3人ほどご紹介中。おとといの続きです。

 Cさん。年齢30代、研究職。地方の旧帝大の修士卒の方です。

 明るく楽観的なCさんは、数学理科が好きだし得意。文学のようなあいまいさ、美術や音楽のような主観的バイアス、公民科目のような結論なき狭い価値観の衝突。これらに比べると、数学や物理のような「疑義のない客観的な一つの真理」、化学や生物のような「物質たちのクッキリとした個性と多様性」。迷いなく進み、思考と結論を積み重ね、楽しめます。大学進路もそうなりました。希望の大学に合格し、理系である自分に対する自信、誇り、プライドも高まります。

  Cさんの大学受験の頃と時期を同じくして「リケジョ」が流行語に。学部・修士と彼女があゆむと同時進行で、女性研究者への社会的注目度が爆発的にアップしました。すばらしい好条件で研究職に就き、迷いのない生き生きとした毎日です。

 若き研究職のまさに花であり花形としての毎日なのですが、世間では、輝くリケジョのアイコン的存在の方が発見提唱したナントカ細胞が、世界的注目度がピークになった...ら、なんだか妙な雲行きになってきました...。

 職に就いてからの趣味は海外旅行です。お盆・年末年始・5月大型連休は海外のリゾート地を満喫します。「研究職」の毎日からの大きな解放感が得られ、非日常の休日で大いに充電してまた仕事に臨みます。

 コロナの世の中になりました。気にせず海外旅行したいのですが、社内の同僚たちの目がちょっと...。また、仕事は、研究の現場があるのですが、基本的に自宅でリモートワークです。

 その状況下でお盆や年末年始のお休み...、とは言っても、家で仕事、家で休日...。世間のニュースでは製薬会社の若い研究職夫婦間で殺人事件など、気持ちがしぼむ世の中になってしまいました...。

 家で過ごす休日のある日、同居する母親に簡単な頼みごとをされました。母のお友達に書道何段だかの方がいて、いつもは展覧会を見てお食事やおしゃべりをして...だった習慣が、コロナ禍で「書道展覧会がオンラインにて実施」になっちゃったのだそうです。母は、展覧会のウェブサイトを見たいとのことで、Cさんの大画面パソコンを操作して展覧会を見せてもらいたいのだそうです。

 Cさんは書道には興味がないです。学校時代にすでに気づいた通り、芸術作品などは、見る人によって価値が異なる主観的バイアスが、知性では納得できず、理不尽です。が、母の頼みごとはたやすいことでしたから、いっしょにPC上で展覧会のウェブサイトを見ました。

 見ると、母の世代の書家の方々の毛筆は、楷書体はなく、草書体...。行書体もあるのですが、平安仮名で綴った詩歌のようです。隣で一緒に画面を見る母は、喜んだり感心してため息をついたりしていますが、Cさんは、どれを見ても意味不明です。

 が、ずっと見て進むうちに、硬筆書写の展覧会にもブラウザで遷移できました。そこで、ペンで書いたその展覧会の作品群を見ると、楷書も多く、行書も読みやすく、意味が分かる...どころか、なんだか美しさもわかります...

 い、いや、わかる、を越えて、その美しさに引き込まれます。

 見るほどに、蜘蛛の糸よりも細く、経験したことのない美しい行書体や仮名の連綿体が大画面いっぱいに広がり、まったく新しい価値の世界がどんどん奥に広がっていく気持ちになりました。

 このコロナのご時勢、私も硬筆書写を始めたい!とまで、こころを打たれました。

 調べてみると、教室に通わなくても、「パイロット」と「日ペンの美子ちゃん」が通信講座の双璧とわかりましたので、親しみがわく「美子ちゃん」の、ペン字の「競書誌」を毎月購読して課題(お手本)を書いて提出し、進級していく形で、自分も練習して、あの美しい文字を目指すことにしました。

 新しい価値観・新しい人生の目的ができました。コロナ禍の閉塞した毎日に張り合いが出ました。

 最初は10級からスタート。毎月、清書した課題を郵送で提出。2か月後の競書誌で自分の名前と進級したかどうかを見ることができます。もし順調に進めば、...2級,1級,準初段,初段,2段...5段...準師範,師範という最高位に登りつめるシステムです。

 級位クラスと段位クラスでは、課題(お手本)が違います。級位クラスの手本は、10文字以内のごくやさしい日常表現です。

 1カ月間、ほぼ毎日課題を練習して、清書して、送るのが、彼女の日課となりました。

 Cさんは、9級, 8級, 7級と、毎月どんどん進級します。

 夢中で練習して半年以上...。意識下で気づいていたかもしれないチョっとした違和感が...。

 彼女は学部時代以降ずっと、科学論文を読んで書いてきました。その際は、誰にでもわかりやすい日本語や英語に慣れ、こころがけてきました。必要な情報が、客観的に、短く、装飾なく、主述が完結した一文に、おさめられていなくてはなりません。

 他方で、ペン習字のお手本って...。感傷的だったり、途中で切れている感があったり、誤った表現に思えたりと、国語的な感覚が、自分の価値とは整合しない気が...。

 彼女が違和感を感じた課題が何なのか、その時点における課題がもう再現できないのですが、類似の課題の例は、どうやら、以下の↓ようなものらしいです;

日本ペン習字研究会「ペンの光」

 「LEDの多彩な光が」;え?...光が、...どうしたの? そこまで言って感極まったの? それきり言って息絶えたの? 

 「すっかり冬の装いで」;え?...装いで、それで、どうしたの? 続きは?

 「先んずれば人を制す」;繰り返し練習すればするほど、な、なんだかこれまでの課題から一転して急に攻撃的な雰囲気を感じるのですが...。

 「霞始めてたなびく」;これは新暦では2月にあたる七十二候の「霞始靆」に由来する漢語なのはわかるんですが、現代日本語では、「はじめて」という単語は、「経験・時期的に」の意味で「副詞として/名詞(体言)として」使う場合は、「初めて」という漢字をあてたほうがいいんじゃないかしら。「始めて」だと、動作を表すマ行下一段動詞「始める」の連用形に接続助詞の「て」を接合した一文節で、動作の並列状態を指すのじゃないかしら...。疑問に感じたCさんは、図書館で数冊の「類義語辞典」や岩波の「広辞苑」を調べます。すると、Cさんの理解と似たような説明がありますが、追加的に、"慣例的にいずれも用いられる"点を書き添えています。

 Cさんは、自分が大学受験までに学んだ「日本語の現代文法と古典文法」vs「今月の課題」の齟齬を感じたことが、もう数回。その都度、「今月の課題」の日本語を図書館で何冊かの辞書に相談した経験をしました。するとそのたびに「どちらも誤りではないが」「慣用的にそう用いられる」などといった結論に達して、自分は大学受験時代に理系だったけど、国語だって人並み以上には勉強したのに...と、自分の知識や自信やプライドが揺らぎ、腑に落ちない気持ちになりました...。

 極めつけが、日常的な、あまりにも日常的なお題、お料理名です↓。「美子ちゃん」でも「パイロット」でもたまにあるのですが、Cさんには初めての体験だったこの課題は、積もっていた疑問「習字はきれいな字を書けばそれでいいんだけど...」「でも、毎日練習する甲斐がある、ちょっと日常を離れて上を見上げるような『努力』『希望』的なお題がいいんだけどな」「私、小料理名を毎日繰り返し書いていて、楽しいのかな...」を明確な意識に浮上させてしまいました。

日本ペン習字研究会「ペンの光」

 さて、そんなふうに疑問を感じ始めた途端、これまでの情熱が色褪せてきました。

 すると、順調に昇っていた進級が、3級でぱたりと止まりました。先月も3級、今月も3級でした。だからいっそ1カ月お休みして、気を取り直して次の課題を清書して提出したものの、やはり3級...。

 この連休中こそ一生懸命に書道の練習を重ねようとして与えられた課題が「サンマの塩焼き」や「本マグロの中トロ丼」だとしたら...。「サンマの塩焼き」を繰り返し激しく真剣に清書しなくちゃ...し、しなくちゃ...。た、食べればおいしいんだ...、なごむんだ...、楽しいんだ...、と言い聞かせる自分。

 なんだか気が進まないような気がするペン字課題を自宅にこもって練習して、今年の5月の大型連休は終わりました...。え? 「充実感」? 今は、こころに寒い風が吹く言葉です。これを清書して提出して来月も3級なら、私の連休って...。

 知性では納得がいきません。こんなに頭を抱えた連休は経験がありませんでした...。

 これまで、爽やかな5月の連休は、青い海と白い砂浜の海外リゾートで、大いにのびのび解放感...だったのにナ...。

 私は、Cさんが自力でブレイクスルーを成し遂げてくれることを、心の中で祈っています。

2024/05/30

■ まなぶ - 連休明けの3人(2)


 5月の連休明けにチョイと机に向かった人を、3人ほどご紹介中。おとといの続きです。

 Bさん。年齢30代、宮仕えをヤメて自営業。私大御三家(?)の経済学部卒。実は旧帝大を受験して不合格。とはいえやはり学校時代の16年間はある程度は人並みに勉強した人でしょう。私などこの方の爪のアカでも...。

 こだわりのないストレートな性格。高校生のときは大学めざして一途に努力したけど、落ちてすぐ私大へ。私大受験科目は、英語・国語・数学。つまり社会科の科目ではありません。彼にとっては、大学のこだわりは、過ぎてしまえばもう不要。まして文系理系の区別など、18歳の一時的便宜的区別。7歳の運動会で赤組になったか白組になったかという区別と同じレベル。社会に出たら不要。「文系は事務屋・理系は技術屋」という昭和ステレオタイプとそれに伴う優越感劣等感はゴミ箱へ。経済学も哲学も数学も言語文法も法学も、論理構造のコアは、記号や言語という外延を定義済みの概念を用いた論理学の分野なんだから、この時点で文系理系の区別は破綻していないか?...という持論です。

 仕事は自分のオフィスの自作ハイスペックPC複数台を忙しく操作。早朝深夜土日も仕事。平日朝夕の交通頻繁な時間帯は外に出ず、平日昼に、用足しや健康のエクササイズや昼寝。1年中連続して仕事なので、「気分転換」「仕事を離れた休日気分」などはなく、それで別にかまいませんでした。

 数年来の仕事も慣れた頃、とある6月の日曜日の爽やかに晴れた静かな朝、平日なら通学の時間帯に、所用で近くのコンビニに歩いて行くと、意外にも社会人風の若い人たちで混雑しています。人の流れを見ると、近くの高校の校門へと吸い込まれていきます。コレは何かの試験とか? と推理し、門前を見ると「危険物取扱者試験会場」。

 「危険物」だなんてまるっきり縁がない世界。でも、勉強したみんなが年の差なく集まって努力の成果を試す場...。なんだか忘れかけていた充実感のような羨望の気持ちが湧いてきました。しかも、こんなすぐ近くで「国家試験」が受けられるとは。

 自分も参加してみたくなりました。調べると、化学の分野の資格ですか...。思い出すと、物質量の手計算から始まって、熱化学方程式や酸塩基や酸化還元反応など理論編、物質各論の金属非金属、果ては大物難物の有機化合物まで思い出すと...、改めて勉強できる自信はゼロ。自分には全然関係ない...けど、資格試験の出題内容を調べてみると、「化学」はあれど暗記系が多い上、かなり実用的で楽しそうです。資格のグレードは何種類かありましたが、来年は自分も参加するとして、気候の良い6月の試験を受けるなら、連休中に集中して勉強すれば、その期間で間に合いそうなグレードは、身近な「危険物乙種第4類」だと特定しました。

 来年の予定表(MS Outlook)の出願時期頃の週予定に書き込んでおき、その後すぐ試験のことは忘却したのですが、翌年、予定表を見て思い出しました。勉強開始と終了は4月末の連休から2か月間と決め、参考書と問題集を買い込んで、開始。高校化学に比べればそう恐ろしく難しいものではない反面、関連諸法令をはじめとする暗記系も分量があったので、連休中、わざわざ色鉛筆を使って楽しんで勉強しました。忘れかけていた「紙にシャーペンで書いて勉強している」「休日感」「充実感」を得たかったんです。

 終わってみると、やはりあっけなく合格した感じです。その後またいつもの、休みも平日もない生活に戻りました。でも、毎年、5月の連休の時期になると、虚しく一人人混みの中にお出かけなど論外、むしろあのときの充実感を思い出して、自分の仕事には関係のない身近な資格試験のため、ひとり自分のオフィスで机に向かうようになっているそうです。

おとといのAさんみたいに、長い時間をかけてちょっと重い資格を取るのではなく、いつもと違う休日気分を味わいたいがために机に向かうという、一種の気分転換なのでしょうか。それでもAさんとBさんは、何か発想が同源のような印象をもちました。

2024/05/28

■ まなぶ - 連休明けの3人(1)


5月の連休明け。もう何年も前のことですが、「連休明け後の3人」のお話を。昨年2023の8/3にも、「夏休みの3人」をお話しました (🔗→ 2023/8/3)。今回は1人ずつ3日間に分けて。

 Aさん。年齢30代、事務職。旧帝大の法学部卒で、つまり学校時代の16年間はある程度は人並みに勉強した人でしょうか。私などこの方の爪のアカでも煎じて...、いや、それはどうでもいい話で。でも文系のAさんは、理数系のお勉強について、もっと勉強しておけばよかったな、ホントは楽しかったのになと、チョッと後悔とコンプレックスを感じています。

 仕事はデスクワークのみで、外回りもなく、業務中は会社からあてがわれたデスクトップPC端末を筆記具代わりに使っています。

 そのPCの端末は、自分で改変したりソフトウェアをインストールしてはならず、保守は別部門の人がやってくれますので、自分にとってはホントに「会社から貸与された文具」に過ぎません。が、操作がわからなかったり、他方で家で使う自分のPCもわからないことがよくあります。

 PCの知識を得るためには、自分の今の仕事には何の必要性もないけれど、この際、PCに関したいちばん基本的な検定や資格みたいなものを勉強したら、基本的な知識を網羅的に得られるかも、と思い、調べた結果、国家資格であるITパスポート試験(=IP試験)(旧初級システムアドミニストレータ試験)を知りました。本を買って独学です。知っていることとまるっきり未知のことがあって、勉強し、ためになり、資格を取得しました。

 社会人エンドユーザ向けのIP試験。その次の段階として、情報処理技術者向けの最も基本的な資格である基本情報技術者試験(=FE試験)を受けてみようかなと思いました。

 この勉強は、文系のAさんには、高校数学I(集合論と命題論), A(mod合同式, ユークリッド互除法, n進数), II(線形代数, 指数対数関数), B(数列)や、Aさんの世代では履修していない数III(行列)などを使う計算がたいへんでしたが、これで年来の理系コンプレックスもある程度克服できそうです。また、試験日は春期と秋期の2回あって(現在はCBT方式で随時受験可能)、独学の自分に向いているし、気合いが入りました。

 5月の連休は、家族サービスやら人づきあいやらのしがらみもなく、籠って勉強してみました。これまで約200時間をかけてきた仕上げに連休の50時間。結果、FE試験に受かりました。

 PCのハードウェアの構造は、個人のPCを自作するようになってから、理解していたのですが、初めてソフトウェア開発者の視線に立って、n進数演算やアルゴリズムの基本的な考えやプログラミングの発想の初歩から、セキュリティやITストラテジーに至るまで、まったく新しい眺望が開け、目を見張る思いでした。

 連休があけて、その収穫があったという実感。新しいステージに登って振り返る充実感。私などこの方の爪のア... 人生では大事なことだナと、振り返って自分の生活を戒めようと思いました。

2023/10/22

■ まなぶ - 漆器を使う


漆器は毎日使っています。津軽塗の器です。親の家で暮らしていた学齢期の昭和の時代は、どこの家庭でも食器や身の回り品として、ふつうに使っていたと思います。その後、東京で大学生活を始めて以来今日まで、やはり使い続けているようです。

 …なんてことは、考えたこともなかったのですが、人に「津軽塗の映画を観た」との話を聞き、自分で使ってきた経緯を振り返って見ましたら、使わなかった時期は無かったことに気づいた次第。ついでに興味を惹かれたので映画の予告編をちらりと見たら、弘前が舞台らしいのですが、話している言語が、俳優さんたちの努力はじゅうぶん伝わるのですが、だいぶ異なる言語なので、ちょっと...(そういうことにこだわるなよ)。

 小学校のとき(こりゃまた半世紀前の話かよ...)、友人と、砂利と土だらけの山道を自転車で上って、下りる際にスピードを出し過ぎた私も友人も、カーブを曲がり切れずに、二人とも谷底に...落ちる前に、樹木にひっかかりました。なんとか自転車も引きずり上げて、「あ~愉快」などと擦り傷だらけで帰宅。ワイルドな田舎キッズですが、友人が、その際に力いっぱい抱きついた木が、漆の木でした。翌日の発疹やかぶれ(漆性皮膚炎)が猛烈だったようで、数日間学校を休んだので、見舞いに行った記憶があります。

 中学時代の通学路として、津軽の伝統的工芸品「こぎん刺し (麻と綿の刺繍)」「ブナコ (山毛欅木工細工)」「津軽塗」の、いずれも工房の前を、偶然ですが、通っていました。街中でしたがずいぶんのどかな通学路です、今から思うと。うち、ある友人が、「津軽塗」の工房の前にさしかかると、止まって、慎重に、店の戸が開放されていないか確認した動作をします。聞くと「あの工場(こうば)の前を通るとかぶれるんだ」。ホントかっ!? と思いましたが、のちに知ったところでは、敏感な人には、未乾燥の漆液から発散する漆酸のせいでやはり皮膚炎は発症するのだそうです。

 昭和の東京の4畳半の下宿でも使っていました。貧相な男子大学生が、漆塗りの盆と茶托に白磁の器を毎日使っているだなんて、異様ですが、「茶などこぼしても大丈夫で便利」「なじんでいるから使いやすい」というだけの理由です。プラスチックのお盆でもたぶん抵抗なく使ったことでしょう。

 ところが、病院で入院生活をした20代になって気づいたんですが、病院のプラスチック製のお盆は、食器も指もよく滑って使いづらいです。今どきのプラスチック製のお盆は、防滑性耐久性その他の性能の点で、漆器を軽く上回る素材やコーティング技術だと思うのですが、あの当時、病院から自分の部屋に帰って初めて、それが塗り盆であるがゆえに使いやすいのだと気づきました。

 それ以来、意識して津軽塗製品を使っています。と言っても、まともに買うと、いまだに私の財力とは金額の桁が大きく異なるので、親の実家にあったもので古いものや使っていないものばかりを、今日にいたるまで使っています。

 画像の盆は、もう親子三代、少なくとも60年は使っていますが、たぶんもっとずっと古いでしょう。上塗りの蝋色磨きの釉はすっかり白くザラけてしまいました。塗りの再生作業の依頼も可能ですが、購入する金額とあまりかわらないようす。プラスチック以前の時代は、地元では必需品かつ消耗品で、需給関係と市場の大きさから、庶民も買えるものだったのかもしれないと思います。

 この春の実家整理の際に、使わずにしまい込まれた同種の盆を何枚か見つけたので、画像の盆のような古いものはもう処分しよう...とは思わず、まだ使おうと思いました(;^^...。十数年前に、所用で会津若松に行った際、偶然に入った繁盛している大きな古いお蕎麦屋さん。ここ30年ほどで外食した回数は片手で数えられますが、その一つです(どうでもいいか)。そこでは、驚いたことに大きな膳で給仕されました。いっそう驚いたことに、その什器類がすべて漆器でした。膳だけは、猛烈に使い込まれています。他の什器のような黒や朱の会津塗ではありません。近隣の秀衡塗や浄法寺塗でもなく、木目地は見えず春慶でもない。不思議に思って、お店のお姉さんに塗りの種類を尋ねたら、代わって女将さんがお出ましになって、「津軽塗です」と。こんな大掛かりな膳のセットで津軽塗...。「お客さんはあの青森ナンバーのお車の方?」とも。...この女将さんの力量の大きさに刮目してしまいました...。

 あの膳に比べると、小さなわが家族が50年100年使ったくらいじゃ、あの貫禄は出ないので、ボロくなっても生涯使おうかなと思います。でも、艶のある新しい塗りは、やっぱりいいです、画像の茶托みたいに(...軟弱者)。

2023/10/05

■ まなぶ - チャプリン「独裁者」の演説

左;チャプリン『担へ銃』  /  右;リンバーガ―チーズ (Wikipediaより)

史上名高い20世紀最高の演説の一つ、チャプリン『独裁者』の最後の6分間。初のフル・トーキー映画(映像と音声がシンクロした映画;現在では常識ですが...)で彼は何をアピールしたかは、誰にでもハッキリとしています。独裁者=暴力に対する強い怒り。民主主義に対する信念。絶対に揺れない意志を学びます。

プー ヒトラーは1933年に政権を掌握し権威主義・軍国主義・全体主義化を進めたのですが、この危険な体制の進行を、苦虫をかみつぶして見ていたイギリス等のヨーロッパ諸国は、ロシア共和国 ソ連を刺激したくないばかりに放置。これに乗じて、ロシア ナチスドイツは、2022年 1939年にウクライナ ポーランドに侵攻開始します。自称「枢軸国家」のお友だちのアジアの狂犬 北ちょ 大日本帝国は、その少し前のクリミアの (イタリアによる)エチオピアの侵略のときと同様、これに祝福メッセージを送り、自らも近隣諸国の侵略に乗り出します。...チョイとコロナワクチン副作用で、記憶が二重になって指が滑る現象があるようです。見苦しくてすみません...。

私が大学生の時に初めてこの映画を観た際には、てっきり戦後になってから作製されたお笑い映画だと思い込んでいましたが、観た直後に調べて、ピッタリ同時代だとわかって、恐怖感にとらわれました。

 チャプリンとヒトラーは同じ歳。チャプリンが撮影を開始したのは、ポーランド侵攻、ユダヤ人強制収容開始、パリ陥落と、ナチスドイツが破竹の勢いでヨーロッパを席捲しつつあった頃で、ピッタリ同時代のヒトラーの演説を、チャプリンは、あのデタラメなムチャクチャなドイツ語風の恐怖演説でマネしたわけです。ヒトラー本人も、もしかしたらこの映画を観たのではないか、少なくとも噂は耳にしたはず...などと言われます。

 まったくリアルタイムでの、独裁者=暴力に対する強い怒り。民主主義に対する信念。リアルタイムに主張したがゆえに「絶対に揺れない意志」を学び感じることができます。

このトーキーに先立つこと二十数年も前の、第1次大戦の終盤に、チャプリンが制作したのが、『担へ銃』で、塹壕戦の中の兵士の生活や敵との戦いぶりをコミカルに描いていますが、ほぼ同じ状況設定で、後にレマルクが『西部戦線異状なし』でより具体的に、どころかゾっとするような嘔吐するような記述で写実しています。それは、イマ私が入力しあなたが読んでいるこの瞬間のウクライナ・ロシアの若者の描写そのものです。

 さて、第1次大戦以降さまざま投入された殺人兵器(兵器はそもそももっぱら殺人のためにのみ用いる用途ですので、この4文字は同語反復なのですが)のなかに、毒ガスなど感覚神経にダメージを与える兵器があるそうです。

チャプリンの「担へ銃」には、その一つとして、チーズが出てきます...え(;--?

塹壕戦の描写で、主人公の兵士に故郷から届いた小包の中味が、リンバーガー・チーズだとわかった瞬間、彼は直ちにガスマスクを装面し、包みを開いてすぐ敵の塹壕へ投げ込み、敵軍の将校の頭を直撃してチーズを頭からかぶり、あまりの悪臭に塹壕の兵士たちがパニックに陥ります。

鼻を突くような猛烈な悪臭だった...のですか? リンバーガーとはどんなすごい兵器 チーズなんでしょうか。

2023/08/11

■ まなぶ - おうちで勉強?

『巨人の星』

また思い出話なんですが、大学3年のときに知り合った同じ大学学部の千葉のS君の話です。昨日お話したMc君は、人類の階級的頂点に生まれついた人でしたが、それとは極端に対照的な環境、と言っちゃあ悪いのですが、昭和の刻苦勉励ドラマ『巨人の星』の星飛馬並みにニッポンの下層庶民的な境遇の人です(「そう言うお前は人のことが言えるのか」と言われると、ま、それはその、いまはしっかり棚の上にあげておくことにしましょう...)。人見知りで遠慮がちで人と目を合わせずに静かに話します。星飛馬とまではいかなのですが、家族みんなで暮らす自宅は昭和の大都市周辺人口過密地帯に造成された公団住宅の一室。3部屋から成り、「居間兼食堂兼台所」「父母の部屋」「子ども部屋」。自分専用の部屋など、もちろんないです!3人兄弟の長子長男なのですが、3人で六畳一室の「子ども部屋」があるのみです。そこは弟妹がいつも耳元で騒ぎ、一人あたりの机は学校のより狭く、机の上も下も学校教材や衣類や運動具などの荷物置き場です。考えてもみよ、もしあなたがこの環境で生まれ育ったら、どうやって勉強するというのですか? いやふつうもう勉強なんてしないから…。

というふうに、家で勉強などするはずのない小学校時代を経て、中学生となった彼は学校の授業もわからずテストもふるわず…。それは「平均的」「ふつう」「平凡」ということで、責められるべきこととは言えないですが、自分で何だか不完全燃焼感がありました。運命の分かれ目は、この感覚をどの程度まで持つか、ということでしょうか。わかると楽しい、もっとわかりたい、という衝動にかられました。中学生が一人でじっくり勉強するには、中学校の図書室や放課後遅くの自分の教室も、選択肢としてはありうるのですが、放課後遅くの教室は委員会や新聞作成やらで、一人で勉強する雰囲気ではないですし、図書室には怖い生徒さんたちがいて、勉強空間というより、イマ風に言えば、深夜の都市部のコンビニ前の若者が集う風な空間です。人口爆発中の昭和の都市部の公立中学校にはよくある話でした。

で、勉強できるスペースとして彼が目を付けたのは、狭い自宅の居間兼食堂兼台所の、家族全員で使う食卓テーブルです。さすがに星飛馬のおうちのような、父星一徹がよくプッツンとキレたら貧乏なくせに食べ物を粗末にするかのように、ごはんごとひっくり返して怒り狂うという、例のあのちゃぶ台ではなく、椅子つきの洋式テーブルでした。ただ、家族全員で食事や茶菓や団欒その他のために使うし、TVもあって、そこで一人で静かにのびのび勉強はムリです。サイズは広くていいんだけどな。

そこで、考えて試して、1. 家族が起きていない早朝の時間帯、2. 夕方弟妹が学校や外遊びから帰ってくる夕食前のごくわずかな静かな時間、3. 朝に開錠したばかりの学校教室、をフル活用することにしました。父母や弟妹にもわかってもらいました。弟が帰ってきて遠慮して漫画みたいにヌキ足で歩いているのを見て、ヘンなかっこうに大笑いしましたが、感謝しました。

ただ、テーブル使用時間に非常に大きな制約があります。授業中や下校時間に、頭の中で、とにかく優先順位を決め、所要時間の見積もりを立て、だらだらせず、ただちにとりかかる必要があります。

「45分以内にやれなければ必ずあきらめる」「今日はコレをやってアレは必ず捨てるしかない」と、猛烈にタイトでシビアな取捨選択を、瞬時に決定し、強烈な集中力で試験勉強をするのが、まさに日常茶飯事となりました。時間は絶対厳守のため、体調を整えて規則正しい朝型生活となりました。おそらく勉強時間は非常に短かったのではないでしょうか。

成績がふるわない小太りな小学生だった彼が(風貌は関係ないのですが)、コレを始めた中学後半から、あれよあれよという間に学年1位に昇りつめました。結果、県内トップの県立の進学高に進みました。高校では、学校の図書室を存分に使うことができて、読んで書いて現実を忘れてしまうような夢のような環境でした。

この話を大学時代に何人かで聞いた際には、ただの雑談の場だったのですが、皆が大いに感銘を受けました。自分の部屋や図書館を使える境遇って、ほんとうに恵まれていて幸せです。

昨日お話したイギリス人のMc君の場合は、場所的な割り切りが気持ちの入れ替えに通じていたとも表現できるでしょうか。北ヨーロッパ的な住居の構造に対する発想もまた、西洋的合理主義を生んだ一因ではないでしょうか。19世紀に世界を制覇したイギリスに対する国家的イメージは、ケインズの流動性選好説に象徴される怜悧で現実的なジョンブル精神だし、他に同様な家屋構造や空間の捉え方を持つヨーロッパの民族性を顧みると、フランスの明晰判明なエスプリ、ドイツの思想や科学における冷徹な合理主義、アメリカのプラグマティズムなど、どれも緻密な構造計算を次々と積み重ねて壮大な思想的建築物を構築していくような気がします。教会建築に代表されるような、意志を持った堅牢な石造りの空間構造が、ヒトの考え方をもリジッドに規定しているような気がします。

場所がアプリオリに措定されている前提に基づいて、業務・私生活・食事・睡眠など日程や計画を画定する、すなわち「空間が時間を画定していく」わけですが、このようにヒトを外部から規定して日常を消化し積み上げていくヨーロッパ的発想は、目的を達成するための段取りとして、究極的の合理性があると思います。

では、ヨーロッパのステキな石造りのおうちに住んでもいないしそんな合理主義的伝統もない東洋に住む私たちが、何か目的をもち、これを合理的に達成するにはどうしたらよいでしょうか。場所を変えて気分を入れ換え、定めた作業に集中すればよいとしても、「いつ」「どこで」を割り振って、実際に行動に移すには、綿密な計画と強い意志が要りますネ。星一徹みたいな厳しいお父さんが監視してくれればいいのにな…(という考えも意志薄弱な私のただの甘えです)。

2023/08/10

■ まなぶ - 空間が時間を画定する


外気温37℃。体温なみの外気温がここ数年は当然となってしまいましたね。

涼しさを求めて…思いつくのは、私の場合、図書館です。で、やはり今日も図書館は混雑していました。涼しくて静かな雰囲気をシェアし合うというのは、良いことですね。

図書館で勉強やデスク作業をしたい気持ちを、昨日に続いて、もうちょっと敷衍して考えてみます…って、リクツっぽくてもうたくさんでしょうか。これも折に触れてずっと何十年か感じてきたことです;

「図書館が勉強しやすい理由」は、「合目的的な空間」だから。

空間を限定することで、自分の時間の使い方を、ひいては「自分の使い方」を、最も狭く集中させる効果があるということです。

ということは、昨日の話ですが、ヨーロッパ人の発想、つまり『食事や睡眠や勉強やくつろぎといったそれぞれの行動に応じて部屋がある』という発想は、『空間が、目的を明確に意識させ、作業を規定し、時間を画定する』という発想です。

空間を変えるという行為によって、複数の作業と有限の時間を計画的に細分化し、次々に消化して、その結果、目的を達する、という知恵は、考えてみれば、偉大ではないでしょうか。

翻って、東洋の発想はどうでしょうか。

日本の伝統的家屋の発想は、畳の座敷の1部屋で、食べたり、書いたり、眠ったり、茶を飲んだり。また、その座敷の襖を取り払って、2つの部屋3つの部屋を次々とつなげて、巨大空間が広がり、日常寝起きしているその畳の上で、厳粛に冠婚葬祭を執り行なうのでした。

つまり、ハレ(霽れ)とケ(褻)の場が、物理的空間という意味では同一です。家族や集落といった、『運命を共にする集団の共同生活が、ヒトの行動を規律し、時間を画定し、空間を遷移させる』ような気がしてなりません。この融通無碍の発想も、改めて考えると、底知れぬ偉大さを感じます。

以上の両極に乖離した発想のこの空間の文化論(?)を、私は大学生の頃に気づき、ずっと考えては、その極端な乖離が、実に不思議、しかしいずれの発想も実に偉大だと、うならされてきました。この問題が人間の形をして具体的に私に接近してきたのが、昨日お話したMc君でした。その点で、両手で強く握手したい気分になったものです。 ただ、あの時の私は、上の「東洋の発想」を自分の英語力で表現する能力がありませんでしたし、そういう議論を展開する雰囲気でもありませんでした…。

ところで、あなたは、図書館で、または自室で、勉強しつつ、あるいは勉強しに入ったカフェで、香ばしくて甘いキャラメルマヒアートのヴェンティサイズとボリュームたっぷりのかにアボカド石窯カンパーニュサンドイッチと冷たくてフルーティーで甘くてゴージャスなトクシンベリーフラペチーノをお供に、15インチのサーフィスラップトップをサラリと使いこなして、大学のレポートをオシャレに考えますか(なんかしつこい?)。

...緊張感をほぐすなごめるまろやかなステキな雰囲気で美しい絵になります……か…? 思うんですが、『空間の合目的性』が、なんだかブレて酔い始めてきました…。(ただのひがみです。)

2023/08/09

■ まなぶ - なぜ図書館は自室より勉強しやすい?


学校の夏休みも後半でしょうか。青森県の場合、7/22~8/23頃だそうです。私の近隣のいくつかの市立図書館は、さすがに勤勉な中高生でいっぱいです。昼過ぎにうっかり行こうものなら、座席はないです。ところで図書館にお越しの皆さんは、図書館の本が必要なわけではなくて、「空間」が必要なのでしょう。ご自宅に「私個人だけで使える自室」はないんですか? あるなら、自宅で勉強してくれよ、…とは言えないですよね。私だって、学校に通っていた頃は「空間」が目的で、利用しました。

いまどきは小中高生なら「自室」はありそうですね。大学生や独身者など、一人暮らしなら当然アリ。では、なぜわざわざ図書館にやってくるかというと、そりゃ、図書館の方が集中できるからでしょう。なぜ集中できるのでしょうか。自室の方が快適なのに...。大昔に知人に考えさせられ学んだ気がしたことを書いてみます。

小中高生なら、自分のお部屋はどう使っているでしょうか。親に「勉強部屋」と称されて明け渡されているかもしれませんが、ドアを閉めて「自分の城」の主となった以上、ナンでもデキる専制君主に君臨しているでしょう。勉強も睡眠も当然ココ。音楽も聴ける。スマホでネットもLINEもTVも無制限OK。ゲーム機はやっぱり標準装備でしょうか。そこでは、軽く飲んだり食べたりもしますか? 他に、ヒトにより、趣味やスポーツのグッズが満載された快適空間でしょうか。

さて、私が大学時代に知り合ったイギリス人留学生のMc君の発想をどう思いますか。(彼の父は「上院議員だ」と彼はひと言説明したのみですが、イギリスの上院議員は、非公選で終身任用制の貴族院なはず…。しかもこの頃は世襲貴族議席の制限前の頃の話なのですが…。ま、家族関係は私はそれ以上詮索しなかったのですが、ちょっとしたいきさつで、音楽と茶の話で打ち解けて、気さくに話しかけてくれました。)

彼のイギリスの自宅(お屋敷というべきか)は、話から推理すると、チューダー王朝期(室町時代)頃の石造りの大邸宅のようです。この邸宅には、執事・運転手以下多くの係の方々を抱えているようでした。

当時私は都心の大学のすぐ近くの、戦前に建築された古い木造のおうちの1室を借りて下宿していました。10畳間で、部屋の2面が障子戸で、開ければすぐ廊下となる角部屋です。東京と言うより江戸の雰囲気です。ここで彼に紅茶ウバの夏摘み茶を白磁の茶器で出したところ、非常に驚かれました。貴重な知己ができたのもつかの間、その2週間後に帰国してしまったのですが。

彼は私の畳敷きの下宿部屋に興味津津のようで、それを見に来訪したようなものです。彼によると、日本に来て、まず嫌悪感を覚えたことは、ダイニングルーム以外で飲食することです。彼の国の自邸では、石造りのホールに靴音が響き渡る広大なお屋敷なわけですが、ここで育った彼にとって、睡眠はベッドルームで、食事はダイニングルームで、勉強はライブラリで、紅茶やスウィーツはティールームですべきことです(もちろん全部自邸に備わります)。音楽を聴くリスニングルームも別にあるそうです(石の家なので残響が大きく、RogersのLS-3/5Aという小さなスピーカでじゅうぶん楽しめる、と言っていたのをはっきり(羨ましく)覚えています...)。

彼が退出した後、私はチョイと考えてみました;

畳の座敷の1部屋が、書斎にもなるし食堂にも茶室にも寝室にもなることは、日本では何の違和感もなく、ごく普通のアパートから高級旅館までみなその発想です。が、この点に彼は大きな感情的違和感を覚えているようです。アジア的な発想、価値観の違い、と考え、自分の感情はひとまず理性で抑えることにしたようです。

ヨーロッパでは「目的別に部屋がある」。目的の定められた空間において、目的外の行為をすることには、倫理的嫌悪感があるということでしょうか。

私生活の場に限らず、日本では、学校でも職場でも、同じ教室同じ机で作業もすれば昼食もとります。ヨーロッパでもアメリカでも、すべての学校では、科学(理科)の授業は科学(理科)室で、地理の授業は地理室で。ランチをとるのはカフェテリアで。したがって、「自分のホームルームの自分の机で」という発想はありえないようです。

さて、『図書館が勉強しやすい理由』は、「自分のイマの狭い目的以外は、周囲にナニも無い」「その行為の達成だけに集中した専用の空間」「合目的的な空間」だからではないでしょうか。

イマ自分はここに、次の3時間で使うアイテム以外何一つ持っていないです。自分はイマこの瞬間その目的のためだけにこの世にある主観的存在で、ここはそれ以外の行為は絶対にできない物理的社会的空間つまり客観的存在です。これ以上簡素で合目的的な状況はないです。とりかかりさえすれば、容易に目的を遂げられます。

他方で、学校や職場の縛りを解き放たれて自宅の自室に帰れば、「自分は無限の可能性がある若者」(主観的存在)が、「何もかも揃っている自宅の自室」(客観的存在)の中にいます。逆に言うと「何一つモノにならない自分」が出来上がったりして...(すみません、私自身の反省です)。自室というのは、目的から最も遠い最悪の空間…にならないよう、自分を強く律していかないといけない空間ですね。

2023/08/08

■ まなぶ - 大学の古い校舎の廊下

大学発行の大学案内パンフ

画像は、都心にあるイエズス会経営の大学。創設初期の建物1号館1階です。きれいですね。

廊下壁から天井への補強リブが等間隔に置かれ、ロマネスク・アーチ形に処理されて、穏やかな雰囲気を作っています。

おととい見た教会基本構造の、束ね柱Pierが天井で収束する天井Vaultの荘厳な規模や美しさには遠く及びませんが、天井照明の形が何となくVaultを連想させる気がします。

壁面の上半分が白い漆喰風の壁、下半分が褐色の腰板という、気持ちが和み落ち着く配色で、ヨーロッパの修道院や個人の大邸宅風な趣を醸し出しています。腰を据えてじっくり思索するには良さそうですね。

この1号館の1階では、毎朝、文学部系の各学部学科の外国語の授業があるようです。かつて伝統的に教授する人はネイティブの外国人教授=イエズス会修道士で、始業と同時にドアに施錠して、遅刻者は入れない、入った者は出られない、という軟禁状態で、猛烈な外国語の特訓をしたという伝説が…。腰を据えてじっくりお勉強できる完璧な環境と言ってよいでしょう…か!? さぞかし外国語が堪能になって卒業するに違いありません…。今となってはもう昔の話でしょうか。

2023/08/07

■ まなぶ - 大学構内のアーチ

google map/street

画像は、都心にある古い大学の、創設初期の建物です。学ぶための雰囲気が漂います。昨日触れた教会建築の技巧が連想されるような気がします。

尖頭半円アーチが、昨日一緒に見た教会建築の技法を彷彿とさせます。身廊naveと側廊aisleを隔てる柱列colonnadeが成すアーケードarcadeのような雰囲気を醸し出しています。骨格の建材は、大政奉還(1867)から数年後の明治最初期の建築物ですので、鉄筋コンクリート造ではなくて、石造です。この建物(法文2号館)アーチ最奥(南側にあたる)に明るく垣間見える別な建造物躯体は、昭和の建物で、アーチ形状が連続するように合わせて設計されているようです。


昨日は、上の平面図のように、教会建築は基本的に東西に延びる形で、集う会衆は建物の西側に設置された入口(façade)を入り、建物内で東方の祭壇に向かう、と言いました。

※ google map

 上の航空写真の平面図のように、この明治時代最初期の大学の建物は、建物が東西に延び、西(左側)の正門からこの建物に入ります。上3つのどの建物もその東端は尖ってドーム状をなしています。が、教会ではないので、ドーム部分は祭壇ではなく、この大学の画像左側緑色の2つの建物の東端は、数百名収容の大きな階段教室になっていて、最東端は教壇です(よくTVニュース報道で「今日、大学入試共通テスト/センター試験が行われました」などと報道される映像はこのうち左上の建物(法文1号館)内部の右端にある25番教室です。右の茶色い建物は講堂です)。明治維新時にこの建物を設計した偉大な方を私は知らないのですが、日本人なはずがなく、また、その建築技法は、バシリカ型教会建築そのものです。

ヨーロッパの古い教会には及ばないでしょうが、この大学も、歩くと、その建物の迫力に圧倒されそうですね。ただ、秋に歩くと、銀杏の実の香りが...(拾っている人もいます)。

2023/08/06

■ まなぶ - ヨーロッパ教会建築のごく基本知識

Wikipedia "Kölner Dom Innennraum" (De)

 今日にいたるまで、行ったこともなく見たこともなく、本の写真でしか知らないヨーロッパのカトリック教会の建築。ちらりと内部の構造のごく基本的なつくりを見ましょう。教会建築も様々ですが、一般にイマに残る巨大なロマネスク/ゴシック様式の石造建築でバジリカ型3廊式を念頭に。

冒頭の画像は、有名なケルン大聖堂の内部です。現在の形になるまでの建築期間が600年あまり。ヨーロッパの教会は工期が100年以上かかる大型建築も多いところ、とりわけこれは最長、最大の建築物でしょうか。

Wikipedia "nave"(En)

教会建築のごく基本的な平面図がすぐ上の図ですが、図各左の▶が会衆の入口で、西から入り、東方(祭壇)に向かうという、象徴的な基本レイアウトです。しかも、全体に十字架の形でかつ船の形を模しています。「聖ペトロの船(新約聖書)」または遡って「ノアの方舟(旧約聖書)」のメタファーです。教会から発し、ヨーロッパの大型建築物全般の基本的理念となっているようです。

■ 冒頭ケルン大聖堂の画像で、手前の会衆席のある空間を身廊;狭義のネイブnave(すべて英語表記でいきます)といい、左右の柱列をコロネードcolonnade、この柱列全体(アーケード;arcade)で仕切られたさらに左右翼の空間を側廊 side aisle (上の画像には側廊の空間は写っていないです(ケルン大聖堂は側廊の外に側廊がある5廊式))。以上すべての空間を含めて広義のネイブといいます。(平面図)

大聖堂画像中央奥が聖職者の司式空間である内陣(chancel)とさらに建物最奥が祭壇を置く後陣(apse)です。平面図では、右側(=東側)のドーム形状の部分にあたります。

天井を見ます。左右側面のarcade上部が明り取り用のステンドグラス窓の入ったクリアストリー(clerestory)部を経て、その脇から伸びる束ね柱(ピア;Pier)が天井で収束します。この身廊(nave)の天井をヴォールト(Vault)といいます。単語がたくさんありますね。すみません。これでもだいぶ省略しています。

ロマネスク期(12世紀頃まで)に狭義のnaveの高さを競うようになり、教会建築が巨大化していきました。これが全部、石を削り出してつくられたものだとは…。構造計算がたいへんだっただろうなぁ…などと、小さい人間のどうでもいい感想です。いずれにしても、私のような者は、写真を見ただけで畏怖し圧倒されます。

2023/07/27

■ まなぶ - 自転車部品のデザイン

※ Cathédrale Notre-Dame de Reims    /    Campagnolo Record Carbon 11 Ultra Torque Crankset

これまた数十年来このかた思い続けてきたことです:

自転車の部品で、ロードレース競技用の2大メーカーは、長年、日本のシマノとイタリアのカンパニョッロです。近年はアメリカのサードパーティが擡頭しつつあります。

戦前にカンパが発明した競技用部品の変則機のメカニズムを、戦後にシマノが模倣してチャチな製品を作り、長年かけて品質を磨き、現在では、性能的には互角か、シマノがリードか。

設計・意匠段階における力学的解析技術や製造段階における金属加工精度がモノを言う製品です。この点で、高度経済成長期のエンジニア国家日本の雰囲気のもと、数百年来の刀鍛冶に起源をもつ大阪堺の金属精錬鍛造業者シマノのお家芸だったことでしょう。地道な努力の膨大な積み重ねと昇りつめた高みには感動をおぼえます。

ピンとこない話でしょうが、まぁぜひ一度、シマノのロードバイク用コンポのフラッグシップであるデュラ・エースをフル装備したチャリを体験してみてください(いまでは100万円クラスか…チャリなのに)。私が初めてデュラ・エースに乗ったのは1991年頃のことですが、金属パーツが組み合わされてカチャカチャ動くはずの自転車という物体が、乗ったその瞬間、水棲生物にでもまたがって深海を行くような、ヌメリとした異様な次元のスムーズさを感じて、飛び上がるような衝撃でした。

ただ、人類の歴史と共にある金属加工は、日本だけが特に優れているはずがなく、中国やアメリカや欧州など、もちろん軍事産業に秀でたエリアでは当然もっている技術です。平和な世界になって軍縮が進んだここ数十年に、軍事産業技術は、高付加価値のつく宇宙開発の分野とスポーツ器具の分野に進出して来た経緯もあり、競技用自転車部品のジャンルでは、カンパとシマノの二大巨頭の図式も揺るぎつつあるところです。

コンピュータで解析・設計をしている現在では、黎明期とは比べ物にならない量のデータを駆使して、素材や意匠の可能性を追求していますので、そのプロダクトデザインは、発表になるたびに、あっと言わせるような進化を遂げつつあります。他方で、2世代も前(十数年前)のデザインは、完全に過去の遺物でしょう、競技選手にとっては。

ですが、私たちアマチュアのエンドユーザという観衆にとっては、限界性能やその蘊蓄もおもしろいのですし、手に取って使う選択肢が新旧に広がって、それがまた楽しみでもあります。

自転車のクランクギヤセット部分の話ですが、現在のデザインは今は置くとして、1世紀近く、その基本形だったが、もはや過去の遺物となった「5アーム」デザイン。5本のアームに、競技者が自分に合った歯数のギア板を取り付けて使うのですが、数十年来、世界中が、カンパの5アームデザインを模倣してきました。私も中学3年生の時以来、そのギア板をつけては外しの作業をしてきました。そのつど、その意匠が、うつくしい曲線で構成されているのを意識し、記憶にも、また手の感触としても、ずっと残っています。

で、思うのですが、カンパのこの5アームデザインは、教会建築のモチーフが現れているのではないでしょうか。

画像右のカンパ・カーボンレコードのクランクセットですが、画像左の、おととい以来挙げている、ロマネスク風の尖頭円に付随するプレートトレーサリー円を彷彿とさせます。新旧カンパニョッロ製品の至る所に、優雅なデザイン的あそびを感じます。イタリア製の金属製品にはかなりの確率で見られる現象ではないかなと思うのですが、どうでしょうか。

ヨーロッパ人なら生まれたときから空気のようにそこに存在している教会とそのデザインは、ヨーロッパ人の工業デザイナーの意識の深層に沈潜しているんじゃないだろうかと思います。

シマノ製品にはそのようなセンスは絶無です。装飾など不要、機能がデザインを自ずと形成するのだ、というわけでしょうか、それともガンダム世代の方々が設計しているからでしょうか。

2023/07/26

■ まなぶ - カトリック系大学のトレーサリーデザイン

左 2009-11月  /  右 2022年10月 (Google map)

昨日ちらりと見た画像。窓枠上部の幾何学的な円形デザインをいま仮に、プレートトレーサリー意匠と呼びましょう。

都心にあるイエズス会経営の大学の、校舎の壁に、画像左のように、コンクリート製のトレーサリー意匠が見られました。

画像は同じ箇所を、グーグル・ストリートで見たものですが、撮影時期が、左側は2009年11月、右側は2022年10月です。つまり、この間に、意匠は撤去されたということですね。

この画像左側のかつての意匠。カトリック系大学の校舎を教会のモチーフでおおうという日本の建築から離れた発想は、実にステキでした。その外観がいかにもカテドラルの雰囲気を漂わせ、道路(といっても、片側1車線で大型車は通りづらい)にも、街並み(と言っても大学校舎と向かいは土手ですが)にも、特別な通りを歩いているようなエキゾチックな気配が感じられました。

校舎の中で勉強する人にとっても、目に映る景色といい入り込む陽の光といい吹き寄せる風といい、ただのコンクリート製の建物とは違う空気感に包まれていたのではないでしょうか。

ヨーロッパの教会のトレーサリーは石板をくりぬいた芸術品で、風雨にさらされて1000年佇んでいますが、他方、この大学の意匠は、私が知る限り50年ほど存在し続けたようですが、コンクリートで成形したもので、経年劣化があり、通りに少しずつ崩落の気配があったのでしょうか。大学側にも事情があるのでしょう。部外者が安易になにか言っても無意味でしょうが、撤去されてしまった写真は、東京によくある雑然とした路地になってしまい、以前を思うとさびしさが残されました。

2023/07/25

■ まなぶ - カトリック教会の窓の細部のデザイン

 


Soissons Cathedral, France / Lincoln Cathedral, Lincolnshire, England
(both pics; wikipedia (En))

外国に行ったことが一度もないのですが、本を眺めているだけの知識で。

ヨーロッパのカトリック教会建築は、スケールの大きさからディテールの細やかさまで、息をのむような壮絶さがあります…など、私ごときが説明するようなことでもないのですが。でも素直に感動しています。行って見るとまた今の想像力を絶するものなのでしょう。

解説する意志も能力もないので、些細なディテールだけチラっと。

教会の窓ですが、ガラス窓が安定的に実用化された12世紀ころからこの縦長の枠(トレーサリー)が技巧化し芸術化していくようです。この頃はロマネスク様式からゴシック様式への過渡期ですが、画像左はゴシック期の最も基本的な形、画像右はロマネスク期の現存する教会窓です。

アーチの上部(画像の黄色枠部分)には、幾何学的な円形のプレートトレーサリーが規則的に連続してくり抜かれています。このモチーフが、窓のみならず、外壁全体に装飾的に繰り返されていて、通常の家屋建築とは全く異なる雰囲気を醸成する要素のうちの一つだと思います。

いや、きれいだなぁって…ただそれだけ言いたかったんですけどね…。どうか内容の薄さを許してください。明日もちょっと想像力を広げてみようかな。

私にとっては非現実な遠い世界ですが、ヨーロッパ人は、この、石でできた1000年近く前の巨大な建築物が、まるで日本人にとってのお寺や神社のように、日常的に目にする存在だ、と考えると、うなってしまいます。

2023/07/12

■ まなぶ - 「決意」

Le Lour de France ; étape de montagne

今日の「英単語を書く」は、1101-1200までの例文でした。

今日の例文 1144: The tennis player herself said that her success owed more to determination than to natural talent.

自分の成功は、持って生まれた才能よりも、決意によるものだ、と、そのテニス選手は自ら語った。

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この例文の言葉って、人生で運命の強い一撃に打たれ自ら大きく進路を変えた人間でなければ、まるっきりピンとこないひとことではないでしょうか。よくこのような例文を置こうと思ったものだな、と、この単語集で、最もこころ打たれた例文でした。

スポーツにかぎらず一般に言えることだと思います。が、スポーツの場面がやはり理解しやすいです。今の状況を認識して、これを敢えて打ち破るには、「決意」が必要だと思います。

私はスポーツ観戦の醍醐味を知らないつまんないヤツなのですが、自転車競技のうち、競輪などのトラック競技ではない、一般道を閉鎖して行うロードレースに、ここ40年間ほど、チョっと興味があります。日本ではなじみのない競技ですが、欧州には「三大グランツール」という、自転車ロードレースの頂点に立つ競技があります。とはいえ、私などは、TVも映像も見ず、少年時代から自転車専門雑誌で、興奮の瞬間から1カ月も遅れて活字となる競技結果と雑誌記事だけを垣間見ている程度。

このグランツールのうちの例えば毎年今月7月開催のツール・ド・フランス。これを5連覇する偉業を成し遂げたのは、110年の歴史で2名。うちの1人のアシスト役だった若い選手に雑誌がインタビューして、「彼(キャプテン)の強さは何に由来すると思う?」と聞いたところ、いつも身近についているそのアシストは、「『決意』だよ。いや僕が言える立場にはないけど、感じるんだ。彼の『決意』だよ。」

 また別の話ですが、1936年のベルリンオリンピック。ナチス政権の権威を世界に見せつけるためのナチス祭典と化した分厚い応援軍団の中で、水泳平泳ぎ女子200mで、前畑がデッドヒートの末ドイツのゲネンゲルを下して優勝しました。「前畑がんばれ」と絶叫のみ放送し実況中継の責務を放棄して立ち上がって応援したNHKの放送も有名です。後に、彼女は、「優勝できなかったらと考えた瞬間がありましたか」という問いに「死ぬつもりでした」と迷いなく即座に平然と答えたと...。命と引き換える『決意』だったのですか...。

このような話は、スポーツ界には、枚挙にいとまがないでしょう。スポーツが私たち一般の人間に、希望と強さを与えてくれる良い存在であってもらいたいです。

とある都心の旧帝国大学の合格発表の日。いまどきはオンラインで合格発表を見る人が多数派ですが、それ以前は、大学に来なければ結果はわかりません。生徒やその家族のみならずマスコミや学生の「胴上げ実行委員会」まで出現してごった返す中、とある学生ボランティアの集団が出て、その熱狂的な群衆をかきわけて思いつめた蒼い顔をして去ろうとする若者を見つけ、その手にチラシをサっと滑り込ませます。そのチラシには「死なないで!」と書いています。内容にはさらに、この大学を落ちたけど有名人著名人になった幾多の名前が書かれていたりします...。臺灣大學やソウル大学校でも同様の話があると、両大学の複数の留学生から聞いたことがあります...。受験生の中に、本当に命をかけた決意をした人たちがいるんですね。その決意のしかたの良し悪しを評価するのは置いて、決意して実行したその瞬間とそれに続く期間って、その人の生涯に、シュガリーな人生を歩む他の同年代の人には経験のない決定的な軸を刻みこむ人生の一瞬ではないかと思います。