2023/10/22

■ まなぶ - 漆器を使う


漆器は毎日使っています。津軽塗の器です。親の家で暮らしていた学齢期の昭和の時代は、どこの家庭でも食器や身の回り品として、ふつうに使っていたと思います。その後、東京で大学生活を始めて以来今日まで、やはり使い続けているようです。

 …なんてことは、考えたこともなかったのですが、人に「津軽塗の映画を観た」との話を聞き、自分で使ってきた経緯を振り返って見ましたら、使わなかった時期は無かったことに気づいた次第。ついでに興味を惹かれたので映画の予告編をちらりと見たら、弘前が舞台らしいのですが、話している言語が、俳優さんたちの努力はじゅうぶん伝わるのですが、だいぶ異なる言語なので、ちょっと...(そういうことにこだわるなよ)。

 小学校のとき(こりゃまた半世紀前の話かよ...)、友人と、砂利と土だらけの山道を自転車で上って、下りる際にスピードを出し過ぎた私も友人も、カーブを曲がり切れずに、二人とも谷底に...落ちる前に、樹木にひっかかりました。なんとか自転車も引きずり上げて、「あ~愉快」などと擦り傷だらけで帰宅。ワイルドな田舎キッズですが、友人が、その際に力いっぱい抱きついた木が、漆の木でした。翌日の発疹やかぶれ(漆性皮膚炎)が猛烈だったようで、数日間学校を休んだので、見舞いに行った記憶があります。

 中学時代の通学路として、津軽の伝統的工芸品「こぎん刺し (麻と綿の刺繍)」「ブナコ (山毛欅木工細工)」「津軽塗」の、いずれも工房の前を、偶然ですが、通っていました。街中でしたがずいぶんのどかな通学路です、今から思うと。うち、ある友人が、「津軽塗」の工房の前にさしかかると、止まって、慎重に、店の戸が開放されていないか確認した動作をします。聞くと「あの工場(こうば)の前を通るとかぶれるんだ」。ホントかっ!? と思いましたが、のちに知ったところでは、敏感な人には、未乾燥の漆液から発散する漆酸のせいでやはり皮膚炎は発症するのだそうです。

 昭和の東京の4畳半の下宿でも使っていました。貧相な男子大学生が、漆塗りの盆と茶托に白磁の器を毎日使っているだなんて、異様ですが、「茶などこぼしても大丈夫で便利」「なじんでいるから使いやすい」というだけの理由です。プラスチックのお盆でもたぶん抵抗なく使ったことでしょう。

 ところが、病院で入院生活をした20代になって気づいたんですが、病院のプラスチック製のお盆は、食器も指もよく滑って使いづらいです。今どきのプラスチック製のお盆は、防滑性耐久性その他の性能の点で、漆器を軽く上回る素材やコーティング技術だと思うのですが、あの当時、病院から自分の部屋に帰って初めて、それが塗り盆であるがゆえに使いやすいのだと気づきました。

 それ以来、意識して津軽塗製品を使っています。と言っても、まともに買うと、いまだに私の財力とは金額の桁が大きく異なるので、親の実家にあったもので古いものや使っていないものばかりを、今日にいたるまで使っています。

 画像の盆は、もう親子三代、少なくとも60年は使っていますが、たぶんもっとずっと古いでしょう。上塗りの蝋色磨きの釉はすっかり白くザラけてしまいました。塗りの再生作業の依頼も可能ですが、購入する金額とあまりかわらないようす。プラスチック以前の時代は、地元では必需品かつ消耗品で、需給関係と市場の大きさから、庶民も買えるものだったのかもしれないと思います。

 この春の実家整理の際に、使わずにしまい込まれた同種の盆を何枚か見つけたので、画像の盆のような古いものはもう処分しよう...とは思わず、まだ使おうと思いました(;^^...。十数年前に、所用で会津若松に行った際、偶然に入った繁盛している大きな古いお蕎麦屋さん。ここ30年ほどで外食した回数は片手で数えられますが、その一つです(どうでもいいか)。そこでは、驚いたことに大きな膳で給仕されました。いっそう驚いたことに、その什器類がすべて漆器でした。膳だけは、猛烈に使い込まれています。他の什器のような黒や朱の会津塗ではありません。近隣の秀衡塗や浄法寺塗でもなく、木目地は見えず春慶でもない。不思議に思って、お店のお姉さんに塗りの種類を尋ねたら、代わって女将さんがお出ましになって、「津軽塗です」と。こんな大掛かりな膳のセットで津軽塗...。「お客さんはあの青森ナンバーのお車の方?」とも。...この女将さんの力量の大きさに刮目してしまいました...。

 あの膳に比べると、小さなわが家族が50年100年使ったくらいじゃ、あの貫禄は出ないので、ボロくなっても生涯使おうかなと思います。でも、艶のある新しい塗りは、やっぱりいいです、画像の茶托みたいに(...軟弱者)。