2025/07/28
■ あるく ■ 川倉地蔵尊 "賽の河原"-2
■ あの湖畔の遊歩道。今年に入ってから特にいっそう、足が向くようになったのですが、道すがらいつも通るけれど、話題に取り上げるのを避けてきた地蔵尊のお話...。いつか書かなくちゃ、でも、書くなら大祭の真夏ころ、と思ってはいたのですが、どうしても重く暑く湿っぽいお話になりそう、と覚悟していました。昨日はごめんなさい。
■ 今日は、春の光景を。重く湿ったままでは、自分の筆の拙さゆえ、お地蔵様に申しわけないので、夏に書くだろう話(昨日)の雰囲気を予想して、この春に用意しておいた、明るい季節の画像を、どうぞよろしければお口直しに!撮影したのは3カ月前の4月です。→🔗4/25
■ あの子ども地蔵の立ち並ぶ鬱蒼とした暑い急坂も...;
■ 春の短いひとときだけは、なんだか皆で楽し気におしゃべりしていそうな気にすらなります。
■ "賽の河原"を模した地峡風にしつらえた地形ですが、やはり春は見通しが良く風が通り抜け、おどろおどろしいネーミングも不似合いです。
■ かろやかで美しい春の季節にあっては、どのような場所も、淡く明るい光に満ちています。きのうのイメージが軽くなったことを願って...。
2025/07/27
■ あるく ■ 川倉地蔵尊 "賽の河原"
■ どんより曇った蒸し暑い日曜日の昼下がり。
■ あの湖畔の道(🔗7/13)に。周辺はどこもきれいに除草作業が重ねられた跡が見られ、岸辺の柳の光景もすがすがしいです。
■ 実は、その岸辺の一部に、「賽の河原」という霊場があり、そこが遊歩道の一部でもあるのでした。
■ 正面山門は、神仏習合を許容する山王鳥居です。神社鳥居に阿吽像が鎮座している異世界の雰囲気を漂わせています。
■ まさに冥界の深淵に向かって開かれる年大祭は、先日終了しました。今日は参拝時間も終了した静かな昼過ぎ。実は正面山門からではなく、遊歩道のある岸辺の急坂を上って社殿の裏手に出ます(トップ画像も)。
■ 踏み込めば深い闇を垣間見る津軽の地蔵信仰。
■ 津軽の地蔵講の習俗が非常に色濃いこの霊場は、その地蔵信仰のうち、亡児供養、水子供養、若くして亡くなった人の供養に、独特の生々しいアプローチがある場です。トップ画像もそうですが、外にある小ぶりな有像舟形光背式構造の地蔵は、皆、あどけない子どもの表情です。なぜ、子の地蔵信仰があるのか...。近世以来の深淵を覗く真似はやめておきましょう。
■ 興味があれば「川倉地蔵尊、賽の河原」などでお調べいただくことにして、さぁ帰ろう...と言いたいところです。が、境内まで登ってきたので、そのまま通りすがりを装って無礼に通過すると、何かが背中に乗っかってきたらちょっと困るので、1点、目につきやすい象徴に想いを致し、祈ることにします。
■ 地蔵尊堂。
■ その正面欄間彫刻が...。
■ 上の彫刻の左半分では、子が早世した親不孝を親に詫びるために賽の河原で回向の塔を組んでいます、が、それを鬼が崩しに来、積んでは崩され、涙のやまぬ無間地獄です。
■ 右半分では、水子が賽の河原で鬼の責め苦に遭い、水子は地蔵尊に救いを求めています。
■ この賽の河原でさまよう子の虚しさを癒し救済するのが地蔵菩薩だとするアレゴリーを表現しているのだと思います。同時に、今これを拝観する親は、死んだ子が成仏できるよう、この現世で、地蔵菩薩を信じ、追善供養と善行を促されます。
■ そ、そろそろ、どんより曇った蒸し暑さに呼吸が苦しくなってきました。光に向かって森を抜けましょう。
■ 太宰も、『思ひ出』に、乳母の"たけ"から教わったあの世の描写をしています。たけの描写のくだりを思い出すと、芥川の『蜘蛛の糸』『地獄変』、その素材となった宇治拾遺の『絵仏師良秀』まで思いが及び、...暑さは消し飛んで、寒さと動悸に襲われます。
■ 光があふれる現代の日常にいそいで戻りましょう。現代に生まれ、今日まで生きてきた幸せをかみしめます。これも川倉地蔵尊の功徳でしょうか。
2025/07/13
■ あるく ■ 森林の湖畔の道
■ 日曜日。今日も快晴です。気温27℃、湿度50%。乾燥したそよ風が吹いています。すばらしい初夏のお天気。
■ 今日は、一部、旧国道沿いの歩道をあるいて、湖をぐるりと一周します。日曜の昼、クルマの往来は閑散としています。湖畔の歩道から望む水と青空。
■ キャンプ場から茂みを通って木道に出ます。
■ 風光明媚な公園エリアに戻ってきました。
2025/06/08
■ あるく ■ 森林の湖畔の道
■ 今日も抜けるような青空に、さわやかな風。遠出もしたいのですが、ごく近場にあって森林浴が楽しめるあの公園へ(🔗4/25)。
■ この公園のどっしりと肝の据わったたたずまいは、たまにくると圧倒されます。弘前城址公園に勝るとも劣らぬ桜と松の巨大な古木。地理的にはホントに津軽の奥深くのいなかの公園なのですが、積み重ねてきた歴史を感じます。晴天の日曜日お昼だというのに、貸し切りで散策できています...。6月1週の土日、田や畑は忙しく、学校は運動会・中体連・高校総体...ですもんね。
cf. 🔗4/25
■ 陽の光の差し込むふんわりとあたたかい杉林を抜けます。アカマツとスギの混成林です。いかにも広大な公園に感じられますが、広いとは言え、周囲には田園や集落が点在していますので、山の中にあるってわけではないのです。それでも、山歩きをしているような気持ちに満たされます。これも、明治の古くから、地元の人たちが「公園」として営々と手入れをしてきたからでしょう。
「公園」エリアから右上の散策路をあるき、
対岸の"ワイルド"な左側散策路にも進入
■ 道が細く険しく、アップダウンが激しく、日陰の谷地形は、散策路を水流が横切って泥濘地となっている箇所もあります。最後に来た数年前には、遊歩道を覆うヤブの繁茂がひどくて、あるき通せなかったのですが、今日は、その点は快適です。
2025/04/25
■ あるく ■ にぎやかな「花見」から離れて
■ 昨日の続きです。喧噪の「昭和の花見」から離れて、湖畔の奥深くに足を踏み入れ、静かにあるいてみましょう。
■ その前に、昨日は朝から晴天だったのですが、風が初夏の"やませ"、かなり強い東風でした。
■ 観光客の方々の中にも、非常に寒そうにしていた方々が散見されました。暖かい地方や国からお越しの方々でしょう。
■ 改めて画像を見て気づきました。"やませ"の雲の群れが、東の山脈を乗り越えようとするかのように、帯状に延々と連なっているのが、ご覧いただけるでしょうか。逆に言うと、山脈が楯となって、やませがこちらに降りて来るのを防いでいます。
■ この連なる雲は、いかにも、青森県の東半分(岩手にかけた旧南部藩エリア)を覆うような、勢力の強いやませです。
■ 帰宅してこの画像を見て、すぐ天気図で確かめると、ご覧の通り↓(天気予報図に、山と風を簡単ですが書き込みました)。
■ 青森県の右半分(東半分; 南部藩エリア)は、曇りか雨で、かつ、中でも太平洋岸はかなりの低温です。対して、青森県の左半分(津軽藩エリア)と、天気と気温の違いは歴然です(八戸・三沢と弘前・青森では、10℃近く違います)。
■ ヨーロッパ大陸西岸の、北大西洋海流の影響を受ける夏に冷涼な"西岸海洋性気候(ケッペン気候区分の'Cfb'前後)”に非常に近く、ニッポン封建社会の根幹をなす重大な価値観である熱帯由来の"稲作"にとっては、壊滅的な気候である点は、以前に述べました(🔗2024/10/18)。
■ 岩手の宮沢賢治が、
" 雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
...
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
(日照り(旱魃)の時は涙を流し)
サムサノナツハオロオロアルキ
( 寒さの夏はおろおろ歩き) ..."
と謳った「寒さの夏」は、まさにこの初夏のやませです。
■ やませの強い夏は、連日の雨と寒さにより夏じゅう暖房が必要で、秋以降の凶作と悲惨な社会史や風俗史は、歴史の示す通りです。
■ ところが、このやませは、その雨が、上の図の通り、青森県中央部を縦に貫く八甲田連峰や西の津軽半島を縦に貫く中山山脈の東斜面で遮られ、低温な強風は、山肌を這う間に、弱められ、地熱で暖められ、津軽地方に到達する頃には、乾いたさわやかな風をもたらします。これが津軽地方の6月7月の、梅雨の存在しない爽やかな気候の理由です。
■ とは言え、その歴史を想うと、やはり鳥肌が立つ思いです。まだ4月の今日ならばいっそうその冷たい強風のひややかさが身に沁みます。
■ さてと...、地図赤文字の「"花見"の公園エリア」を抜けて、黄文字の「散策路(ちょっと荒れ気味)」のエリアに進み入ることにします。
■ 今日はこの地図のうち、右半分の"すこしワイルド"な数kmをあるきます。左半分のくねくね路は、"そうとうワイルド"なので、パスして舗装路に出、クルマを置いたキャンプ場(左下の白い半島部分)に戻ることにします。
■ 見るからに↓、観光客の方は、これ以上先に"進まない方がいいかも"という気にさせる雰囲気を湛えています。
■ 雪融け水がたっぷりと湛えられ、まさに湖面が足元に迫っています。
■ 高台となっているポイントから開ける静かな眺望↓。西方の公園方面を眺めます。ここのポイントは実は、いつもは、つまり1年のうちの大半は、向かい風となる西からの強い季節風で、いたたまれずに足早に通過する箇所なのですが(積雪期は完全に閉鎖)、今日は好天で東風(追い風)なので、遠景の桜の雰囲気も手伝って、思わぬすがすがしさありました。
■ 対岸の喧噪とは別世界。花の楽しみかたも、にぎやかだったりしずかだったりと、極端にちがいがあるものですね。どちらが好きですか。
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