■ 昨日の続きです。喧噪の「昭和の花見」から離れて、湖畔の奥深くに足を踏み入れ、静かにあるいてみましょう。
■ その前に、昨日は朝から晴天だったのですが、風が初夏の"やませ"、かなり強い東風でした。
■ 観光客の方々の中にも、非常に寒そうにしていた方々が散見されました。暖かい地方や国からお越しの方々でしょう。
■ 改めて画像を見て気づきました。"やませ"の雲の群れが、東の山脈を乗り越えようとするかのように、帯状に延々と連なっているのが、ご覧いただけるでしょうか。逆に言うと、山脈が楯となって、やませがこちらに降りて来るのを防いでいます。
■ この連なる雲は、いかにも、青森県の東半分(岩手にかけた旧南部藩エリア)を覆うような、勢力の強いやませです。
■ 帰宅してこの画像を見て、すぐ天気図で確かめると、ご覧の通り↓(天気予報図に、山と風を簡単ですが書き込みました)。
■ 青森県の右半分(東半分; 南部藩エリア)は、曇りか雨で、かつ、中でも太平洋岸はかなりの低温です。対して、青森県の左半分(津軽藩エリア)と、天気と気温の違いは歴然です(八戸・三沢と弘前・青森では、10℃近く違います)。
■ ヨーロッパ大陸西岸の、北大西洋海流の影響を受ける夏に冷涼な"西岸海洋性気候(ケッペン気候区分の'Cfb'前後)”に非常に近く、ニッポン封建社会の根幹をなす重大な価値観である熱帯由来の"稲作"にとっては、壊滅的な気候である点は、以前に述べました(🔗2024/10/18)。
■ 岩手の宮沢賢治が、
" 雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
...
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
(日照り(旱魃)の時は涙を流し)
サムサノナツハオロオロアルキ
( 寒さの夏はおろおろ歩き) ..."
と謳った「寒さの夏」は、まさにこの初夏のやませです。
■ やませの強い夏は、連日の雨と寒さにより夏じゅう暖房が必要で、秋以降の凶作と悲惨な社会史や風俗史は、歴史の示す通りです。
■ ところが、このやませは、その雨が、上の図の通り、青森県中央部を縦に貫く八甲田連峰や西の津軽半島を縦に貫く中山山脈の東斜面で遮られ、低温な強風は、山肌を這う間に、弱められ、地熱で暖められ、津軽地方に到達する頃には、乾いたさわやかな風をもたらします。これが津軽地方の6月7月の、梅雨の存在しない爽やかな気候の理由です。
■ とは言え、その歴史を想うと、やはり鳥肌が立つ思いです。まだ4月の今日ならばいっそうその冷たい強風のひややかさが身に沁みます。
■ さてと...、地図赤文字の「"花見"の公園エリア」を抜けて、黄文字の「散策路(ちょっと荒れ気味)」のエリアに進み入ることにします。
■ 今日はこの地図のうち、右半分の"すこしワイルド"な数kmをあるきます。左半分のくねくね路は、"そうとうワイルド"なので、パスして舗装路に出、クルマを置いたキャンプ場(左下の白い半島部分)に戻ることにします。
■ 見るからに↓、観光客の方は、これ以上先に"進まない方がいいかも"という気にさせる雰囲気を湛えています。
■ 雪融け水がたっぷりと湛えられ、まさに湖面が足元に迫っています。
■ 高台となっているポイントから開ける静かな眺望↓。西方の公園方面を眺めます。ここのポイントは実は、いつもは、つまり1年のうちの大半は、向かい風となる西からの強い季節風で、いたたまれずに足早に通過する箇所なのですが(積雪期は完全に閉鎖)、今日は好天で東風(追い風)なので、遠景の桜の雰囲気も手伝って、思わぬすがすがしさありました。
■ 対岸の喧噪とは別世界。花の楽しみかたも、にぎやかだったりしずかだったりと、極端にちがいがあるものですね。どちらが好きですか。