2023/10/20

■ まなぶ - 桂米朝『はてなの茶碗』


落語の話です。三代目桂米朝の、私が言う必要もないのですが、文句のない名演です。

 今日は、この噺のあらすじや成り立ちをご紹介し、米朝の演じ方を評論してみましょう...などと神をも知らぬバカなマネは、さすがにいくら独りよがりな私でも怖気づきます。

 上方落語を代表するこのお話を、今日は、思い出し、聴き直し、いつも感じてきたことのうちから、2点だけ採り上げてみます。

 1) モノ自慢より、ヒトの機微

 モノ自体は、話のネタにもならないような「どこにでもある湯呑」、今風に言えば「百均の湯呑」です。いや、それだって、今どきは「百均で買いましたぁ」「全然イイですじゅうぶんですね」などというブログネタにはなっていそうですが。

 この話は本来はモノの評価や価値観の話のような気もするのですが、取るに足らないそのモノ、使う人のしぐさ、目をつける人たち、人に関する情報・思惑・それに基づく行動がどんどん重なり、あれよあれよという間に爆発的にストーリーが広がります(このスピード感は、噺家の洗練によるものです)。

 人類社会で、i) 驚くべきことは、動物との決定的相違点である「モノを作り使う」過程のテクノロジーの発達だ、というのは、たしかに今さら言うまでもないですが、

他方、ii) 驚くべきことではないが、そのモノをどう使うかは、人類発生以来、あまり変わり映えがしないだろう。入手と取引方法、本来の使い方とそこからの乖離、本来の値打とそこからの乖離...。

■ ii)はありふれたストーリーですが、人間社会でおもしろいのは、i)よりii)である点にハッキリ目を付けたお話なんだなと、意識します。

 モノそのものより、それがどう使われる・どういう運命をたどる...が、尽きることのないおもしろさの源泉です。

 振り返ってみれば、江戸時代背景のこのお話も、現代のインターネット上のお話も、あいかわらずそうではないでしょうか。(ネット上で、i)「買っちゃいましたぁ。すごいですね~。試しましたぁ。やっぱいいですね~。」...だから何なのよ? と、つい、「ブツを買って紹介」のサイトに楯をつきたくなるのは、性格の曲がった私だけでしょうか。 それより、ii)「こんなふうに使ってきました」という長年の工夫と愛着を見て、眼を剥いて驚き感嘆することがあり、充足感や信頼感は高いです。)

 2) 上方落語の背景の豊かさ

 江戸落語では、登場人物は徳川幕府時代の社会の各層に渡り、それぞれ立場や年齢にふさわしい江戸弁です。この微妙な弁じ分けは、噺家特有の妙味があり、楽しめる点です。

 他方、上方落語だって全くそうなのですが、その登場人物の社会階層のバリエーションは、江戸落語の比ではないような気がします。

a) 落語に登場する社会階層としては、

江戸落語は、徳川300年の武家社会を反映し、武家・町人・職人・農民が主たる登場人物ですが、

上方落語は、それにさらに加えて、朝廷(帝(みかど=天皇)と公家)と豪商という強烈なスター役者が存在します。町人の種類だけでも、農林水産業、豪商・富裕町人。他にも、比叡と高野に代表される僧や出家や山伏やついでに天狗様と、役者ぞろいです。

b) 舞台となる地理的エリアとしては、

江戸落語は江戸(江戸城-武家屋敷街-下屋敷街-下町)とその近郊の農村という関東平野の同心円的な背景です。東西の外延は、千葉の海岸から箱根の関所までです。

他方で上方落語は、中心点が複数に渡り、朝廷の京都、豪商の大阪、抹香の香る奈良に加え、京都と山城は違うし大阪と和泉・摂津は違うし、また、各種産業の中心がさらにその周辺の三河・尾張に始まり遠州・近州をまたいで、大都市圏を西に越え、播州・淡路・讃岐にまで及ぼうかという近畿中部中国四国に渡ります。ゆえに、関西圏の言語はすべて地域ごとに異なります。

 以上を使い分ける上方落語の噺が、おもしろくないはずがありません。

 『はてなの茶碗』では、舞台が、清水寺のお安い水茶屋、京の高級茶道具の店先、関白家、鴻池家、内裏と、他の噺にはない異常に大きなスケールです。人物は、油売り行商の大阪町人、茶屋のおやじ、公家出入りの茶道具商、その丁稚や番頭、豪商、関白家、果てはあろうことか帝(みかど)まで登場します。大坂弁と京ことば、町人と商人と公家のことばは、それぞれみな違います。やり取りの楽しさ可笑しさは言うまでもなく、思うのですが、それぞれが相手への配慮をごくさらりと、しかし必ずや、示してくれる心理や場面が存在することに気づくとき、その感動は、...ヒトとしての思いやりや機能する身分社会への信頼感やそれをすべてさらりと話してのける噺家の力量の大きさなど思い起こすと...、ひとしおです。

 米朝のCD全集盤(EMI, 2006年盤;S49-6-25広島)には、さすがに帝の口ぶりをマネてセリフを言う場面はありません。速記録にもないです。が、私の記憶では、彼の異別の録音で、帝の口調を、扇子か張扇かを口に当て少し高めの声部でゆっくりごくふた言ほど言いかけて、「いや、どんなふうに話さはったんかは、私にはわかりまへんけどな...」と茶化して途中で口調をヤメた録音があったと思います。帝のクチマネをするとは不敬な話で戦前生まれの人には許せないコトかどうか私にはわからないのですが、おそらく彼はその点に配慮したからかもしれませんが、その際の米朝の茶化し方もまたウマく、いかにも我われには垣間見ることもできない雲の上の敬愛すべき存在感を出していて、関西落語の世界の深さ厚さを一層実感した記憶があります。

 米朝のこの噺には、アハハと腹の底からこころから涙が出るほど笑うのですが、涙が出るのはおかしいからばかりではありません。