2024/03/31

■ きく - バッハ「ヨハネ受難曲」(BWV245)


たとえば、あなたとまわりのみんなが大切にしていたものが、こわされていた...。誰のしわざだ? 

 自分がやったのでないのは明らかなのですが、直接手を下さないにしても、間接的な原因が自分だと感じたとき、実行犯が誰かはともかく、あなたは、「私がその原因をつくりました」と告白したいとこころから感じている...とします。みんなの前で、どう言い出しましょうか。

 「ハイッ!ですッ!」と、この際、潔く元気よくいきますか? それとも、静まり返った皆のなかで、静かに「...わたし...です...」と言い出しますか?

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  復活の主日となりました。昨日の聖土曜までの重い四旬節、この期間の反省を今日から活かして、気分もあらたに、つぎの1年をすごしたいです。今年は煌々と明るく美しい満月が直前の聖週間にかかり、ご復活がぴったり3/31の年度末となり、区切り良く気持ちの切り替えがついた思いです。

 おとといの続きなのですが、「ヨハネ受難曲」の、ある1箇所の、演奏者による解釈の違いを...。たった1音のみの小さな箇所ですが、私には大きな違いです...。

 おとといの、福音書記者ヨハネが記述する史実の場面をふりかえります[ヨハネによる福音18章15節-27節] (再掲);


(イエスは、弟子ユダの裏切りで、捕縛され、審問を受けるために勾引される。四散し逃走した弟子たちのうち、不安に駆られたペトロが戻り、イエスの後をひそかに追う。これをユダヤ教大祭司邸宅の下女に見咎められる)

下女(soprano) (BWV245-12)

    汝もかのイエスの弟子のひとりならずや?

ペトロ(bass)

    私は違う。

福音史家(tenor)

    下僕らと下役の者ども炭火をおこし(時寒ければなり)

    その傍らに立ち暖まりおりしところ、

    ペトロもまぎれて入りて暖まりいたり。

    ここに大祭司、イエスにその弟子たちとその教えにつきて

    問い訊したれば、イエス答えたもう

イエス(bass)

    我は公に世に語れり。全てのユダヤ人の相集う会堂と宮とにて

    常に教え、密かには何をも語りしことなし。

    何ゆえ我に問うか。我が語れることは聞きたる人々に問え!

    見よ、彼らは我が言いしことを知るなり。

福音史家(tenor)

    かく言いたもうとき、傍らに立つ下役どもの一人、

    イエスに平手打ちをくらわせて言う

下役(tenor)

    大祭司に向かいて、かかる答えざまのあるべきや?

福音史家(tenor)

    イエス答えたもう

イエス(bass)

    もし我当を得ざる語り方をなせしなら、その悪しきを訴えて証言せよ。

    当を得たりとせば、なにとて我を打つか。


ここまでの歴史的場面を振り返って、イマここに集う会衆であるあなたやわたしたちが、自分を振り返り、省み、屠られた彼を、わたしの代わりとなって打たれたのだと告白します;

コラール (P・ゲールハルト作;受難節コラール;合唱4声部) (BWV245-15)

Vers1;(日本語の唱歌でよく使われる「歌詞の1番」)

    たれぞ汝をばかく打ちたるか

    はた汝にもろもろの責め苦を

    かくもいたく負わせたるか、我が救い主よ?

    まことに汝は罪びとにはあらず、

    我らと我らが子らのとごくならず、

    悪事を知らざるおおけなき身にていますに

Vers2;(唱歌でいう「2番」)

    われなりこのわれ、またわが罪の

    浜の砂子のごとく

    おびただしく積もりいて、

    尊きおん身をばかかる窮地においやり、

    見るだに悲しき責め苦のかずかずを負わせ

    しかして汝をかくは打つたるなり

            和訳;杉山好 (CD: Archiv F66A 20012/3)


上の文語体の和訳だと厳めしいですね。他方で、所有のどのCD/LPの英訳も、聖書文語体ですので、同様な口調です。わかりやすさの点で、YouTubeのBBC Proms 2008の英語字幕が、押韻は無いですが平易な現代口語なので、ひろってみましょう;

V1;

    Who would strike You like that,

    my Saviour, and so ill-treat You?

    You are not a sinner 

    like us and our children.

    You know nothing of wrongdoing.

V2;

    It is I, with my sins 

    as countless as the grains

    of sand by the seashore.

    I have brought down on You 

    this host of sorrows and torments.


 「それはわたし...わたしの罪が、浜の砂粒のように、おびただしく積もったことで、あなたをこのような目に...」と告白するとして、どういい出しましょうか?

 おとといの演奏盤のうち、クイケン盤もヘレヴェヒェ盤も、第2連(Vers 2)の

"Ich, ich und meine Sünden / It is I, with my sins " の「わたし」を、

きっぱりと ff (フォルテッシモ)の大きな斉唱で、堂々と名乗り出ます。

  OVPP(1人1パート)だと、斉唱時に声質は明らかに不ぞろいなので、全員で大きな声で名乗り出る点に、聴く側は腰が引けてしまいます...。

 ガーディナー盤(1986)は...

 驚いたことに、Ich を、pp (ピアニッシモ)で、そっとしずかにうちあけます。

 しかも、2008年のPromsの演奏では、同時に、ソプラノに寄り添う2本のフラウトトラヴェルソ以外のすべての器楽伴奏を休止し、ささやくような小さな合唱のみが、切々と告白します...。

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どちらでしょう、あなたなら...?