2025/06/19

■ あるく ■ 三内丸山遺跡の構造物


 昨日に続いて、あらためて、三内丸山遺跡の屋外保存遺構や復元された建造物を見ます。


 展示館を含むこの40haもある遺跡敷地は、かつて6年ほど前までは、驚いたことに無料でした。朝早くさんぽできたらさぞ、と思うのですが、今は入場及び常設展示が500円で、広い敷地内には時間外の立ち入りはできません。以前に数回訪れたのですが、いずれの時にも、広すぎてあるき回りきれず、復元された構造物だけを見て回りました。

 今日は、「入場料を払ってあるきにきた」つもりで、閉館時間が迫るまで存分にあるくことにします。


■ 日の傾き始める時間帯になったのは、実は、おとといの記事に書いた「運転免許センター」の隣の敷地にあり、「免許証の書き換え→遺跡構内を散策」をセットにして出かけてきたからです。

google map

 三内丸山遺跡は、青森県警の運転免許センターの敷地にピタリと隣接しています...

遺跡構内案内図
黄色い円が、運転免許センター

 ここで、下層階級庶民の義務"見ざる言わざる聞かざる"をあえて犯すような話を。ま、場末の末端個人のブログですので、お上もいまさら目くじらを立てることはないだろうと思い...。

 遺跡の発掘に必ず付いて回る「 隣接した敷地の開発時には、見つからなかったの?」という疑惑...など持ってはいけません。

 三内丸山遺跡が発見されて歴史の教科書が書き換えられる事態になったのは1990年代初頭です。もともとこのあたり一帯は、八甲田山系のふもとの荒蕪地で、国有地だったり青森県所有の広大な公地がほとんど。自衛隊駐屯地や県立運動公園などがすでに整備されていました。

 運転免許センターは、その直前の1980年代に、従来あった青森市内の手狭なエリア(その移転直前頃に私もココで運転免許試験を受けました)から、ここに新たに広々と建設されました。その直後、隣接する地所に「青森県営野球場」の建築に着手したところ、古代の巨大構築物の遺跡やおびただしい遺物、日本史では知られていない大きな規模の集落跡が発見されたのでした。

 江戸時代初期から、この界隈は、遺跡の存在や遺物の出現は盛んにあったようです(Wiki『三内丸山遺跡』(🔗Wikipedia)。

 私の知人の中に、この付近の小学校出身の人がいますが、彼によると、小学校時代には、少し山あいの道やせせらぎなどでは、文様の入った土器片らしきものは、ごくふつうに見つかった、が、"なんの価値もない"ものとして、投げ合ったりチョーク代わりにコンクリにお絵描きしていた...、子どもたちがよく持ち込んだので校庭にもふつうに落ちていたと。そ、そうなのか。

 三内丸山遺跡発見直前に、隣地が大規模開発された"県警運転免許センター"や"県営運動公園"の建設の際には、何ひとつ発掘されなかったのでしょう、きっと...。

 か、勘ぐってはいけません、庶民のあなたも私も...。"お上のなさる事に間違いはございますまいから(森鷗外『最後の一句』)"

 さて、そんなもやもやした気持ちを置いて、建物を出、遺跡保存区にあるいて向かいます。傾いたお日さま、まばらになった午後の人影。すがすがしいです。

 見渡すと、5,000年前の集落の雰囲気...。数回訪れて敷地内をやや把握しているせいか、また、発掘調査のフェンスがいたるところにあるせいか、いまとなってはこじんまりとまとまった集落跡に見えます。


 至る所で発掘中。夕刻迫る終い支度中のようで、持ち場監督のお姉さんが...おそらく考古学エキスパートの方でしょうか、大きな声でハッキリとテキパキと指示を繰り出しています。


 巨大な構築物である祭祀場は、屋根の葺き替え工事中...。中はごく一部のみ公開されています。


 全面が心地よいウッドチップの道です。貯蔵エリアでしょうか、高床式の建物です。


 居住エリアのさまざまな構築物を遠景にして、いにしえの空気感を想像...。森の中に囲まれたこの集落が、この状態で存在したとは思えないのですが、せっかくですから雰囲気にひたります。


 が、40haといえども、実は、高速道路、国道7号線バイパス、新幹線高架に取り囲まれていますので、クルマの音は四方八方から。音楽でも聴きながら散策、の方が、浸れそうです。

 構造物もなく人がこないエリアを散策します。古代の構造物と親和性のある意匠の、巨大丸太のパーゴラがいくつも組まれていて、そこに、5,000年前の植生を再現した植物が幾種類か植えられ、木陰をなしています。棚仕立ての葡萄棚の向こうに、大きな栗の木の構造物が見えます。5,000年前にここをあるいた人もいる、と、思うことにしましょう。