2024/04/26

■ あるく - 八甲田から奥入瀬渓流へ

※ 谷地温泉付近

2,3日前、昼前に16℃晴天となったので、昼から八甲田連峰へと舵を向けます。

 青空が広がり、平野部から八甲田連峰はクッキリと見えますが、海側の北斜面は上昇気流が強いのでしょう。連峰北端の前岳など山頂が見えています。が、北連峰と南連峰の間1000m付近に雲がかかっています。高い標高では残雪で地表付近でも露点が低く、平野から眺めると雲に見えますが、現地では霧でしょう。いつもあるくブナ樹林帯は標高700m付近の北側斜面だし、あとはクルマですので、山歩きをするワケじゃないので、かまわず行ってみましょう。


 陸奥湾・青森市から登る北斜面の萱野高原は、青空のもとスッキリ爽快です。見事なブナの巨木群のなかを、あるいてみます。樹林帯の天冠付近は、ブナの若い葉がそろそろ見えてきましたが、あと数日で、きっと萌えるような黄緑色の樹林帯になるに違いありません。一年でいちばん不思議な美しさが広がることを期待して、この週末の早朝にまた来てみましょう!

 と、気分よくクルマで駆け上がり、酸ヶ湯温泉を越えます。温泉のパーキングは満車で観光バスのお客は西洋人の集団やバスのフロントガラスにハングル語で案内があったりと、ずいぶん盛況です。

 そのまま冬期閉鎖ゲートを越えて笠松峠へ...来たところ、なんと突然の濃霧となりました。峠を南側に越えたとたん、視界は1mから0mに...。濃霧が滞留しています。すぐに戻りたい!...けれど、この雪の回廊では、クルマを転回させる余裕はゼロ、どころか、大型バスが迫っているのはわかっていますので、濃霧の中でうっかり停車すると数分以内に必ず追突されます。突然、手の届く場所に、すれ違うバスが出現します。フォグランプのほかに、ハザードを点滅させながら行くバスも。いずれも、歩くような速度です。地形的にカーブはかならず急坂です。気温は2℃。路面の凍結があったらもう終わり...、ですが、無風の濃霧で、路面にはザアザアと常に雪解け水の強い水流がありますので、路面は凍結しないようです。

※ 笠松峠 1020m (4/19ご参照)

 大型バスに追突されるか前から突然衝突されるかは時間の問題、と、生きた心地もしないまま、笠松峠から南に3kmの猿倉温泉まで行って、駐車場で転回しよう、と思い付き、のろのろと下ります。猿倉温泉入口に着いてガックリ、大型バスが何台もびっしり待機中で、進入する隙間がありません...。やはり運行を見合わせていたか...。そのまま今度は、さらに3km下った谷地温泉なら、標高もだいぶ下がるので、少しは霧が晴れるだろうと期待して、身の細る思いでのろのろと手探り?で進みます...。

 谷地温泉も濃霧はあいかわらずです。除雪車待機スペースはかなり広いので、ひとまずソコに退避します。退避しても追突などの危険がありそうなので、降りて、雪の壁状になった場所に上がり、交通量を見ます。やはりココで退避する車両も何台か。交通量は希薄になっています。

※ 谷地温泉付近

 この場所にはたしか、ミズバショウ群生地があるはず。濃霧ですが方向はわかるので、そちらめざしてあるき、雪の壁を越えて樹林に侵入してみます...。と、ミズバショウが、みごとに、とはいえ、霧の中で皆ひっそりとこちらを見ているようです。周りのブナも、ただでさえ奇怪な樹形がイマはいっそう不気味に見え、あれ、いまキミ動かなかった? と、つい感じてしまう怖さや心細さがあります...。


 標高は、笠松峠からは200mは降りたはず。もう少し下りれば霧はおさまるに違いありません。濃霧の中におそるおそるクルマを出して南進します。

 数分で、視界は効くようになりました。樹林帯の中を見ると、土の地面は昼の地熱を蓄えているのに上に乗っかる雪面は低温なので、蒸発霧となっているようです。

 このまま、八甲田連峰の南側に降り切って、奥入瀬(おいらせ)渓流に行ってみます...ってますます遠い方向なんじゃぁ...、おい、いつ帰宅できるんだい...。


 奥入瀬渓流は、十和田湖をいわば天然のダムとした放流河川のようなもので、水量がほぼぴたりと安定して氾濫せず、地形や植生が安定し、独自の生態系があるエリアです。いやそれより、その渓流の風景の美しさで知られています。私が東京で大学生活をしていた頃に、私が青森県出身ときいた人に何度か「修学旅行で行った奥入瀬渓流の美しさは忘れられない」と言われました。今日のようすはどうでしょうか。せっかくならあるいてみます。

※ 奥入瀬渓流 石ケ戸ビジターセンター
中央のケースは、渓流14kmのリアルなジオラマです

 平野部は晴天だったのですが、ここは薄曇りで風は冷たいです。が、14kmほどある渓流景勝地の中間地点で唯一のパーキングエリアがある「石ケ戸の瀬」には、やはり大型バスが10台前後も、また、県外ナンバーの乗用車も十数台程度。ちょっと驚きました。ビジターセンターや軽食エリアなどがあるのですが、さらに驚いたのは、聞えてくる言語が、あちらもこちらも、中国語かハングル語です。

 この際、外国の渓流に来たものと思うことにして、歩いてみましょう。数十年来何度もあるいてみて、この石ケ戸エリアから渓流を北上する数kmが、イチオシの散策路です。

 奥入瀬渓流の新緑は、今日は天気のせいもあって、今日の時点ではまだまだ先な気がします。ブナもカエデも、吹き出した葉は、赤ちゃんや猫の手のようにかわいらしい状態です。が、週末に気温が上がるようですので、きっとやはりココでもその頃には、いっきに、眼にもまぶしい新緑となるでしょう。外国から今日お越しの皆さん、あと数日おそければ、生涯記憶に残るすばらしい新緑だったと思いますよ、と、こころのなかでつい...。

 往復1時間ほどあるいたのですが、帰る算段をしなくては。大回りして秋田県に入って国道7号線を北上するのが、天候的には安全...だけど、帰宅時刻は真っ暗...。も、戻りましょう、今の道を。霧の八甲田連峰をまた越えます。夕方近いので、観光バスも観光マイカーもまばらでしょう。

 また来た道をもどって霧の中へ駆け上がります。


 この道は、中学3年の時以来50年間あまり、自転車・クルマ・オートバイと、幾度とおったことでしょう。初めてとおったのは、中学3年の秋。北東北の山の秋も深まる10月に、ひとりで、自転車で...。200kmの距離を2日で(この近くにあった十和田湖焼山ユースホステルに単独で宿泊。「15歳で今年の最年少で単独自転車旅行」と宿の主によって皆に紹介されてしまいました)。しかも八甲田連峰という山岳地帯を...。ありえない無謀さです。

 1日目は弘前-黒石-十和田湖北西から南を回るルートで、その光景や、錦秋の奥入瀬渓流の紅葉は今でも覚えています。と、同時に、やはり、2日目に、八甲田連峰を越えた日、今日と同じように濃霧が発生しました。

 濃霧という気象現象の中に身を置いて、知らない道を独り長距離ゆくのは、15歳にして初めての体験でした。しかも山道のキツい登りを自転車で。行けども行けども「景色」というものが存在せず、苦しい呼吸にあえいで意識朦朧。考えが堂々巡り、自分はドコに向かっているのか、ココはドコなのか、迷ったとしてドコに着く道なのか、...から始まり、イマは朝なの午後なの? 今日は何月? 自分はナニをしている? イマ寒いの暑いの? 何のためにイマ苦しんでる? 自分は何者? 何のために生きている? ...に至るまで、孤独の闇(乳白色だけど)の恐怖を味わいました...。このときも、奇怪な形のブナの樹林帯に、いっそう恐怖をかきたてられました (一番下↓のWikipediaの画像もそうですよね)。

 その時に思い出して、頭の中を巡っていたのは、その頃読んだこの詩です;

 その後の自分をイマ振り返って、やはりこの詩のとおりなのかナと、イマ思いました。

 中学時代に、ドイツの文学者ヘッセ(Hermann Hesse)の小説が読みやすくて、水色のカバーの新潮文庫の高橋健二訳を、それこそ手に入る限りすべて読んでいました。その中に、漂泊の人生を送る旅人の話があって、小説中にこんな詩があります。大学に行ってドイツ語で読んで、脚韻があるせいでチョットそらんじて覚えていた記憶をたどって、イマ検索し、ドイツ語のページがヒットしました。70年代の高橋訳はもう手もとにないし、比べるのは不遜ですが、ヘタクソながら和訳してみます;


    不思議だ、霧の中をあるくのは!

    どのしげみもどの石も、孤独だ

    どの木にも、ほかの木は見えない

    だれもが独りだ


    友人たちで、世界はあふれていたものだった

    まだ私の人生が明るかったころは

    いま、霧がたちこめて

    もはや誰もみえなくなった


    皆からひきはなしてしまう

    避けようのない静けさ

    その闇をしらない者は

    誰一人として賢くなどないのだ


    不思議だ、霧の中をあるくのは!

    人生とは孤独だ

    だれにも、ほかの人のことなどわからない

    だれもが独りだ


   Seltsam, im Nebel zu wandern!

    Einsam ist jeder Busch und Stein,

    Kein Baum sieht den andern,

    Jeder ist allein.


    Voll von Freunden war mir die Welt,

    Als noch mein Leben licht war;

    Nun, da der Nebel fällt,

    Ist keiner mehr sichtbar.


    Wahrlich, keiner ist weise,

    Der nicht das Dunkel kennt,

    Das unentrinnbar und leise

    Von allen ihn trennt.


    Seltsam, Im Nebel zu wandern!

    Leben ist Einsamsein.

    Kein Mensch kennt den andern,

    Jeder ist allein.


         - 霧のなかで -  "Im Nebel";Hermann Hesse 1905


※ Wikipedia (De) でもやはり「霧」の画像は、ブナの木ではないかしら?