2025/11/18

■ まなぶ ■ 自然描写と科学者の筆

寺田寅彦『鳶と油揚』 岩波少年文庫

 文学的情緒のある文に、科学者の筆致を混入させたら...意図するとしないとにかかわらず、諧謔的な雰囲気が出ます。

 "自分は理系"を標榜する多くの方の文が、期せずしてその方向に走り、一般の人から見て違和感があるのみならず、書く本人がマジメなほど読む側には愚かしく見えて笑いがもうこらえ切れなくなるという困った事態も往々にして経験します。

 私もそれがおかしくて、マネして書いてみたい気になったりもします。

 寅彦に示唆されて夏目漱石『猫』に描写された「首つりの力学(🔗10/27)」など、その祖ではないかなと思います。

 寺田の300あまりある随筆から類例を3例、つまんで見てみましょう (なお、引用文中のカッコは私が付しました。数値は私が漢数字をアラビア数字に書き直しました);

 1) まずは師の漱石に敬意を表して;

    落ちざまに虻を伏せたる椿かな        漱石

 アブが椿の花に止まった瞬間、椿の花が落花し、アブを伏せたまま着地...。

  人が追い払ってもいまいましくまとわりつくアブが、優雅な赤い椿の花に、あっさり伏せられた一瞬に、かろやかな心地よさがあります。

 寺田の評を見てみましょう;
 この二三年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察しまた実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。
 それで木が高いほどうつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。しかし低い木だとうつ向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままにうつ向きに落ちつくのが通例である。
 この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることはもちろんである。
 それでもし虻が花の蕊の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。
 こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末な物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。

寺田寅彦『思ひ出草 二 』昭和9年

 この、空中における重心移動の物理学的機序を理解することによって、"その詩の美しさが高まるような気が..."...あなたは、しますか?


 2) いかにも...、な典型的文章だと私が思うのは(;

 昭和7年12月13日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。宅のものの話によると、きょうの午後1時過ぎから4時過ぎごろまでの間に頻繁にはじけ、それが庭の藤も台所の前のも両方申し合わせたように盛んにはじけたということであった。台所のほうのは、1間(1.8m)ぐらいを隔てた障子のガラスに衝突する音がなかなかはげしくて、今にもガラスが割れるかと思ったそうである。自分の帰宅早々経験したものは、その日の爆発の最後のものであったらしい。
 この日に限って、こうまで目立ってたくさんにいっせいにはじけたというのは、数日来の晴天でいいかげん乾燥していたのが、この日さらに特別な好晴で湿度の低下したために、多数の実がほぼ一様な極限の乾燥度に達したためであろうと思われた。
 それにしても、これほど猛烈な勢いで豆を飛ばせるというのは驚くべきことである。書斎の軒の藤棚から居室の障子までは最短距離にしても5間(9m)はある。それで、地上3メートルの高さから水平に発射されたとして10メートルの距離において地上1メートルの点で障子に衝突したとすれば、空気の抵抗を除外しても、少なくも毎秒10メートル以上の初速をもって発射されたとしなければ勘定が合わない。あの一見枯死しているような豆のさやの中に、それほどの大きな原動力が潜んでいようとはちょっと予想しないことであった。...
寺田寅彦『藤の実』 昭和8年

 あなたも私も、高校時代、"神社のコンクリート製 の鳥居の上(h=10mとする)に質量1Nの石片を投げ上げてピタリと乗せるには、投げ上げる際の初速を何m/sにすればいいか"について上に凸な放物線を描いて計算した経験、"火災が起きているアパートの3階 h=10mに取り残された人に、地上から消防隊員が、質量10Nの救助ロープ先端をつないだペットボトルロケットを射出する際の初速とそれに必要なこの爆発カロリーを有する何グラムの火薬が..."など悩んだ経験があるのと似ていますね 。(え? そんなオタクなヤツと一緒にするなって?)

 3) トップ画像の考察は、ユーモラスさを超えて、さすがに優れた考察で、これはう〜んとうなるようなすばらしい科学者の眼です(寺田には、上1), 2)よりもむしろこのような随筆の方が多いのですがネ);

鳶(とんび)に油揚げをさらわれるということが実際にあるかどうか確証を知らないが、しかしこの鳥が高空から地上の鼠(ねずみ)の死骸などを発見してまっしぐらに飛びおりるというのは事実らしい。
 鳶の滑翔する高さは通例どのくらいであるか知らないが、目測した視角と、鳥のおおよその身長から判断して100メートル200メートルの程度ではないかと思われる。そんな高さからでもこの鳥の目は地上の鼠を鼠として判別するのだという在来の説はどうもはなはだ疑わしく思われる。
 かりに鼠の身長を15センチメートルとし、それを150メートルの距離から見る鳶の目の焦点距離を、少し大きく見積もって5ミリメートルとすると、網膜に映じたねずみの映像の長さは5ミクロンとなる。それが死んだ鼠であるか石塊であるかを弁別する事には少なくもその長さの10分1すなわち0.5ミクロン程度の尺度で測られるような形態の異同を判断することが必要であると思われる。しかるに0.5ミクロンはもはや黄色光波の波長と同程度で、網膜の細胞構造の微細度いかんを問わずともはなはだ困難であることが推定される。
 視覚によらないとすると嗅覚が問題になるのであるが、従来の研究では鳥の嗅覚ははなはだ鈍いものとされている。...
寺田寅彦『鳶と油揚』昭和9年

 ここから彼の知識と推理力を駆使して、すばらしく整合する突破口を見出すのですが、ま、どうぞぜひご自身でご覧になってみてください。