2025/12/31

■ あるく ■ 湖畔からりんご畑の中へ


 数日来、みぞれがばらばらとかなり強く降った後、気温が急降下して暴風雪となりました。気象情報として、大雪・波浪・雷・雪崩・着雪注意報です。その割に雪は少ないようです。

 先日の河川敷のりんご畑を見ると(🔗12/28)、みぞれのせいか、積雪量はじゅうぶんではないので、足を伸ばして廻堰大溜池へ。

 ハクチョウの皆さんは、私を見てもこちらを一瞥して知らないフリか(:^^? 何度かここをあるいているうちに「アイツは人畜無害だから無視して大丈夫」と思っていることでしょう...か?


 ここまで来るとある程度積雪量があります。除雪車が通った痕が。それでもアスファルト道路はやめておきましょう。


 進路を変えて、りんご畑の森に入ることにします。


 吹雪いてきましたが、ここの森の広大な迷路は、先日の河川敷と違って、昭和の昔から勝手を知っています。

 今日は通り道の鼻先に柿がぶら下がっています(トップ画像)。鳥たちにもクマさんにも食べられずに、熟れ切って、ヘタを残して地面に落ちているようです。思わず一口...。うわっ、甘い!冷たく、ねっとりと、強烈な甘さ。

 しばらく進むと、四足獣の足跡が、集落の外れへと続いています。Uターンして、また森を通って帰ることにします。

2025/12/30

■ つくる ■ 玄米がまた戻ってきて感謝

発芽させた玄米
(胚芽部分にぴょこんと
角が出ています)

米飯は、数十年来毎日欠かさず、玄米です。

 自分で発芽させています。簡単です。

 かつてはヨーグルトメーカーを使っていましたが、そんな電気代をかける必要などもとより無く、しかもその手だと水の交換がつい面倒になります。むしろ、夏も冬も、一日水に浸漬しさえすれば常温放置でよいです。もっとも、夏場と言わず冬も水の交換は頻繁にしています。

 目に見えて発芽していなくても、24時間程度たったものならばとっくに期待する効能は極大値となっているでしょうから、洗って圧力鍋で炊けばよいだけです(🔗2024/12/5)。

 今年を振り返ると、数十年来の玄米食がおびやかされ、ついに中断しました。私のような街場の場末の末端消費者など、米価高騰や米不足の打撃をまともに喰らいますので、玄米が手に入らないのみならず、米そのものが入手しづらくなりました。東京で暮らしていた1993年に直撃を受けた"米不足"と類似の体験でした。あのとき都心部(山手線内)ではまるっきりコメなど手に入らず、本当に悲惨な思いをしました。

 今回は気分を変えてパスタ5kg2袋を2回購入。これも数十年来大好きなイタリア産"バリラ"の#5と#3でした(ref.🔗4/13)。米の代わりの主食と位置づけて、ヘンに凝らずに毎日淡々と食べられるように、塩とオリーブオイルとつぶしたにんにくのみで通しました。それ以外の味付けではけっきょく食べていないまますべて消費しきったのですが、主食としてそれなりに美味しくて、たのしみでした。これはこのまま続けて、なるべく"コメ依存"を脱却したほうが、とも思っています。

 それと前後して、2,000円未満の備蓄米5kgを一度購入。同時期に5kg程度をちょうだいした幸運もありました。いずれももちろん精米されています。久しぶりに白米を炊いて、だいぶ勝手が違い、何度も焦がしたり...。

 秋になって、やはり玄米が良くて、5kg4,000円弱で2袋、地元の玄米を買いました。と同時に、安かった精米された備蓄米がまったく手に入らなくなりました。

 でもやっとなんとか数十年来のペースに戻りました。あいかわらず高額で、不満はないわけではないのですが、まずはホッとしました。

 水に浸漬し、胚芽からぴょこんと角(つの)?が出た皆さんを久々に見たときには、ほんとうにうれしかった!この気持ちは忘れないようにしなくては。

 お米は今後安定供給がなされるかというと、誰もがもはや不安になっているのでは。今年の騒動で、政治に対する不信感はもとより、JAや流通業者に対してのみならず、「うちは米なんか買わなくてよい/米の苦労などない」とこの時期にわざわざ煽るように嘯く農家や"貸付農家"(自己所有の水田の稲作を自身では行わない農家)に対して、国民の圧倒的多数派が、反感を持ち、分断の感情が深まったような印象が形成された年となりました。

 今は、でも、「さあ玄米を炊こうか」という際には、手元にいつものように存在してくれるお米に対して、素朴に、自然と感謝の気持ちが湧くようになった気がします。

2025/12/29

■ つかう ■ ジムニーにタイヤチェーン"イェティ・スノーネット"装着訓練-2


0℃前後の冷たいびしょびしょのみぞれ模様です。ま、悪天候なほど、"チェーン装着訓練"は実用的な訓練となりますので、むしろ"絶好の日和"と前向きに考えましょう。

 慣れないジムニーに、タイヤチェーン"イェティ・スノーネット"を、今度は雪上で装着訓練します。cf. 🔗12/7

 手がかじかんでいるうえ、スノーネットのラバー部分もかなり硬くて、製品開発者のお気楽な想定とはけっこうズレがありそうなコンディションです。

 ひとまず、スプリングワイヤーをアンロックし、できる限りスプリングを伸ばします。


 上部を被せたら、ロックし、車両をエンジン始動し、ホイールを半回転させ、かぶさった上部のネット半分を、ホイールの下に。


 両輪同時にセットせず、ていねいに片側ずつ作業したほうが吉。

 最大の難関です、力、コツ、ともに。アンロックし、スプリングワイヤを伸ばせるだけ伸ばします。体力勝負。

 ここからネットを少しずつタイヤの上半分に被せていくのですが、いきなり12時の位置にネットを上げようとせずに、"3時、9時"→"2時、10時"→"1時、11時"と、下から少しずつネットを奥に押し込みます。前回に比べて今回は雪で濡れているので、ある程度は滑りが良いですが、指先がかなり冷たく、かつ、ラバー部分は低温のために非常に硬く、滑りの良さは期待せずに、相変わらず少しずつ押し込む力わざです。


 12時の位置で、ホイールのインナー側に来るスプリングワイヤをトレッド面より内側に押し込むことができたら、ロックします。

 ロックは、グラブ装着のままでは、感覚がわからないので、素手で確実にロック位置にします。グラブは何度も脱着することを大前提に。ゆえに、アウターガーメントの袖口は絞り、その上から脱着容易な防寒テムレスで。

 ワイヤの円がちょっといびつな右リア。まぁこのくらいなら余裕です。


 ほぼ真円に近くジャストフィットな左リア。これくらいウマくいけば、これ以上懸念も確認もなしで走り続けられそうな装着となりました。


 念のため、100mほど、旋回とバックをし、降りて確認。ホイールの真円とほぼ同心円状にスプリングが締まりました。(トップ画像↑) 

 考えてみてください。吹雪のなかで、「やれやれ、無事に装着できた、もう安心」と、ぬくぬくした車内におさまって走り出して、100mか200mで、敢えてまた止まって吹雪の車外に出て確認する、などという行為は、非常に強い意志が必要です。でも、さらにその後の安全と快適のためには、必須です。"確認作業は必要"と、肝に銘じておくことにします。

 ハズします。スプリングワイヤを伸ばす際に、濡れた雪面に必ず膝を着くので、ニーパッドは必須。"お風呂マット"のようなウレタンフォームをカットしたものでも十分です。

 ホイールを前後いずれかに半回転させて完全分離。


 付属ケースに収納する際、やはりラバーは低温で固くなっているので、ケースに収めるには、温暖な地方にあるとぬくぬくした研究開発環境で製作した製品開発者は、想像力がまるっきり足りていないと考えて、そうとう覚悟して折り込んでから、ケースに載せ、力わざで収納します。

 少しずつ要領を得てきました。とりあえず、緊急時の"チェーン脱着場"(積雪が予想される青森県の山道の国道にはたまに設置してくれている道路脇の作業スペース)では、自分の技術的には、もう何とかなりそうです。ただし、ヘッドライトはクルマに標準装備したほうがよさそう。

 "亀甲型金属チェーン"より、正直言って装着には手間取ります。が、それを上回る大きな魅力が、かなりの高速域でも乗り心地よく安定している点です。積雪のアウトバーン(ドイツの高速道路)を行くドイツ車のシェアの大きさや、日本の救急車に採用されている所以です。

 雪道を四十数年運転していながら未だに臆病な私のような者のささやかな知恵としては、"凍結路面・吹雪・点灯時間帯"の状況下では、傲岸不遜な大型車やおキラクな乗用車(いずれの運転者も例外なく雪道での技術は未熟だと思います)が行き交う高速道路や主要国道を一緒に走るような蛮行は絶対に避け、山あいにさしかかったときこそ、敢えて高速を降り、主要国道を逸れ、チェーンを装着し、旧道で集落沿いの峠道に入り、ゆるゆると行く、という選択です。

 怖いのは、装備と経験があれば克服できる"雪道"ではなく、装備も経験もない前後の"運転者たち"です。私も含め、自戒します。

 さらに永く、使いこなしていきたいと思います。

2025/12/28

■ あるく ■ 河川敷のりんご畑


雪のりんご畑をあるきます。実は緊張。

 すぐそこ、クルマで5分もかからない、別に誰かに会うわけでもない、ふだんいつもあるいてはこのウェブログに書いてきた場所なのですが...。

 何年もずっと、"雪の中を、ひとり思索にふけりながら(?)、風をよけ、人をよけ(??)、現実世界から離れ、思う存分あるいてみたい"、と想い続けてきました。

 それにふさわしいうってつけの場所こそ、人の気配のなくなったりんご畑です。

 が、真冬の積雪期にりんご畑を徒歩であるくのは、雪が深く、絶対にムリです。

 クロカンスキーやスノーシューなら可能です。

 できれば自宅から最も近いところを、と考えたとき、思いつくのは、自宅からすぐの一級河川岩木川に架かる大橋を渡った対岸の河川敷の広大なりんご畑です。

 このエリアは、春秋には、河岸の葦野原に川霧が立ち込め、冬はさぞかし、現実から隔離された幻想的な雪原が広がるのでは...、と、何年も想像していました。

 が、そこは、広大すぎて、生まれてこのかた半世紀以上、地形が把握できずにいました。

 クルマで偵察するには、道幅は狭すぎるし泥濘で、天候の良い無雪期は、りんご農家が作業中で、偵察に細かい農道を入り込むと怪しまれそうで、足を踏み入れる機会はありませんでした。もちろん"砂利の農道の地図"なんて無いし、迷路そのものの網の目のような狭い軽トラの砂利の轍(わだち)は、徒歩で把握する以外に、把握する手段はありません。

 把握しないままで、天候がすぐ吹雪に変わりやすい真冬の曇天下の時期、太陽の方向がわかりづらい広大なりんごの樹海の雪原で迷ったり、うっかり川岸に近づいてあるくと、人知れず水没する危険もつきまといます。

 いや、そもそも、私の軽トラで、クルマの往来が途絶えた雪深いりんご畑の農道に踏み入るなど、そんな大それた雪道運転のテクニックが無いです。スタックしたら終わりです。近づくことすらできないでいました。

 時間にゆとりができた今年こそ、と思い、この春から、実は、いわば偵察を兼ねて、そろりそろりとあるき始めたのでした(🔗4/6以来)。

 今年は、このウェブログで何度も書いてきた通り、日数をかけ、毎回時間を取って、かなり奥深くまであるきまわりました。農作業中の人を驚かせたりしたときには、あえて大きな声で明るく挨拶し、「通らせてください」とていねいに頭を下げ、どこからあるいてきたのか、とか、運動不足だからさんぽの足を伸ばしてみた、など、ことばを交わし、理解を得るよう努めてきました。おかげで、幾人もの地元農家の方々に顔を覚えられ、気軽に挨拶してもらえるようになりました。

 りんご畑も白銀一色の世界となり、りんご畑からひとの気配がなくなった今日こそ、その成果を刈り取りましょう。

 銀世界となった今日初めて、ジムニーで、どきどきしながら、農道に踏み入ります。軽トラより200kg重い四駆で、トラクションはじゅうぶん。軽トラと同じ小さなサイズなので、テクニックのない私でも、ほそぼそとした軽トラの轍(わだち)を辿れそうです。その一筋の轍も、そのうち無くなります。"ここまではアスファルト、ここから砂利道なハズ"とわかるので、スタックの心配もなく万がいち他に軽トラが進入してきても邪魔にならない場に停め、クロカンスキーをそっと雪面に下ろしました。

 シューズを履きます。クルマがあると、思いのほか落ち着いて快適に装備品を展開し装着できます。クルマの快適さという文明の利器に少し驚きます。

 さて、ついにりんご畑の森に向かって、あるきはじめます。うれしい!広々と広がるりんごの樹海。ほそぼそと続いているはずの軽トラの砂利道も、もう線形は把握しています。


 今年の無雪期でじゅうぶん把握した地形をたどり、軽トラ1台もキツい細い道をかきわけて迷わず進みます。まだ雪は少ない方ですので、河岸に出て、水辺のすれすれをあるいてみます。

 もはや見慣れた河岸の風景。ここまで来ると、雪は膝くらいに深く、雪の下は濡れて柔らかく深い泥となっていて、徒歩でも軽トラでも、ついでに重量級のクマさんでも、ツボ足ではもうムリです。小型軽量の四足獣の足跡が無数に刻まれています。


 振り返ります。日常から離れていくのを実感します。


cf. 🔗真夏 8/15

 荒野が広がります...。


 祠の周辺は、鎮守の松林のおかげで、雪が浅いです。静まり返った良い風情です。


cf. 🔗8/15

 思った通り、りんご畑の狭い樹林を抜ける農道で、風をさけることができ、しかも、想像以上に静かな良いたたずまいでした。

 これから積雪量が増えるとどんなふうに雰囲気が醸し出されていくのでしょうか。ワクワクします。

2025/12/27

■ あるく ■ Jazz喫茶アイディア

これまた写真歴50年のM君の
i-Phoneで撮影

「帰途のついでだから」と、M君は、青森市から弘前市に帰る際に、また魅力的な提案をしてくれました。青森市のJazz喫茶discの帰途(🔗12/25)、帰りにもう一軒行こうというわけで、彼に乗せて来てもらっている私は何の異論もナシ。ゼヒお願いします!

 青森市のJazz喫茶diskから、彼の快適な4ドアセダンに乗せてもらって30km、黒石市のJazz喫茶アイディアへ。

 私にはまるっきり不案内な黒石市。初めて探して訪れたしても私など絶対にわからない城下町黒石市の一方通行だらけの狭い小路です。しかもお店の駐車場は"3台あり"の表示。うち2台は埋まっていました。3台って書いてあるのに2台で満杯なんですけど...。M君は小路をぐるりと回って建物裏の小路へと進入し、3台目のスペースに難なく停めます...。スゴすぎるテクニック...。毎日猛烈に神経を使う歯科医の彼の、休日の趣味は、ご夫婦でこのような穴場中の穴場を、全県規模で巡り歩くことのようです。それで休日の解放感が得られるならステキな話です。おこぼれに与っています、今日の私は。

 狭い間口からお店に入ると、昭和のアンティークなお部屋のようです。石油ストーブのにおい。

 ワッチキャップをかぶったおじいさんが愛想よく迎えてくれます。第二次大戦前後のアメリカン女声ヴォーカルが流れています。着席したら、「あったかいあっちの席に移ったらどう?」と言われ、移ります。とそのついでに、スピーカーを凝視します。外は激しくなってきた雪、ほんのり暗闇の店内にあって、ユニットはまるで見えませんが、エンクロージャは、ここでもまたしても手作りですね、こりゃ。

 マスターのおじいさんがカップを運んでくれた際に、「あのスピーカーの箱は手作りですか?」と聞いてみました。「おぅ、もうガタがきてるけど、治してくれる人も高齢化しちゃってもうムリかな。それを言うなら、ユニットもウーファのコーンがこ〜んな風にたるんじゃって、もうダメなんだけど、治せないんだ、カネもかかるし。まぁこのままうまくやるさ」と軽く明るく饒舌なおじいさん。「あんたが入って来たときには、こりゃこんな曲の方がいいかなと思ってさ」と、60年代のアメリカンJazzのピアノトリオに曲が代わっていました。ありがとう!たぶん私の顔に「ピアノトリオにしてくれ」と書いていたんですね。すみません。「でも中音域の女声ヴォーカルの方が、スピーカーの負担が少なくて済むからいいじゃないですか。」と私が冗談を言ったら、「なるほどそうだね、あっはっは」とおじいさんは笑っていました。

 M君に連れていってもらった弘前富田の"Groovin'81"(🔗10/31)といい、青森奥野の"disk"といい、ここ黒石の"アイディア"といい、皆なんて良いオーナーさんたちなんだろう!ふだん古い倉庫そのものの自宅に籠もってばかりで、'カフェでコーヒー'とは縁のない私には、なかなか泣ける体験でした。

 M君、生涯忘れがたい体験を、どうもありがとう!

2025/12/26

■ つくる ■ 豆の旨味- 黒豆

(a)
"腹割れ"しないよう
蒸しました
(本文ご参照)

ふだんたまに手に入ったり買ったりする"乾燥豆類"は、一晩水で戻したら、圧力鍋で蒸しただけ、味付けナシで味わっています。

 とくに、先日冬至の日に、ちょっと想像して、毎年のことですが、「今日はさぞかし多くのブログ的記事に、"今日は冬至 = かぼちゃを食べる日"というステロタイプがわんさか溢れ返ることだろうな」といつものように思ったのですが(🔗"津軽の一つ残し")、やっぱり...。

 そうした記事はどれも100%例外なく、

1) かぼちゃ(と小豆)を、どっさりの砂糖まみれにして甘く煮たものをアップしている、

2) ふだん食べているわけではないが、"冬至"のネタとしてアップしている、

という2点で、毎日とうてい続けられそうにない大量の砂糖摂取を勧めるぞっとするような不健康な調理食品を、この日に限っていかにも"我こそ日本の伝統を代表する"かのようにアップするすばらしい節操の持ちように、なんだか胃に悪寒がこみ上げてきました。それでも"煎茶とともに"は、なごみそうですネ。ツワモノになると"かぼちゃの砂糖煮には砂糖どっさりのインスタントコーヒー"の方も。中高生じゃなくておじいさんだったり...。摂取する糖分を想像しただけで、おなかがゆるくなってゴロゴロと鳴りそうです...。

 あの日(🔗11/10)にアップして以来、この冬至を機に、はっきり、圧力鍋で味付けせずに蒸したほくほくの豆の良さを痛感し、毎日じっくり味わうようになりました。

 豆の、栄養摂取という点、価格という点での、効率の良さは、貧弱な食生活の大学生の頃から意識していたものの、自分的には悲惨な歴史(;^^A...(ref. 🔗1/13)

 やっとここ20年ほどで、"圧力鍋"や"蒸し器(竹せいろ)"を使うような通常の人類並みの知恵がついて以来、まざまな豆を試してきました。

 先日友人に、「豆そのものだけ食うだなんて...」と呆れられたので、たしかに恥ずかしい原始的な食生活ではありますが、むしろ自分のメモとしてまとめてみようかなと。

---...---...---

 まず今日は、大学生だったウン十年前以来もっともつらい思いを重ねた"黒豆"。

 黒豆は、"甘露煮"という難しい煮方で味わう以外の味わい方を知りませんでした。自分ではとうてい作れないし、だいたいは年末年始に"おせち"の一種として味わう程度ではないかなと思います。

 その"おせち"の黒豆の甘露煮の印象は、"甘い", "堅い", "冷たい", "温めても堅い"、安い出来合いの黒豆甘露煮など、下手すりゃ大量生産の安い菓子パンみたいな炭酸水素ナトリウム(重曹)の苦味さえまとわりついていて、要するに、まずくてふだん日常的に食べ続けたいものではありませんでした。

 "黒豆の甘露煮"に関しては、いわば"老舗のブランド物"などもあるのでしょうが、庶民感情からは、極端に高額で、やはり日常的に口に入るものではありません。

 ならば自分で煮たほうがよいのですが、料理本やネット等で見るような、黒黒と美しい艷やかな甘露煮は、...私は確信するのですが...、他に仕事や日常家事などをこなす一般庶民が夕食の一品として思い立った日に煮上げるのは、選別すべき高品質な黒豆・調理技術・調理時間という点で、絶対に無理です。

 しかも非常に甘く、"夕食の一品", "月に1回"など日常感覚で摂取した場合、声高に強調されるような"まめまめしく健康的"なイメージとは裏腹に、その実態は過剰な糖分により不健康そのものでは? 

 ...などと、異を唱えるようや輩は、"日本の伝統を理解しない", "非常識な", "調理技術的に劣っている", と、レッテルを貼られるのが怖いですが、私は、異を唱えたいと思います。

 日本の美しい伝統たる"黒黒と艷やかな黒豆の甘露煮"など、乾燥豆の状態の不安定さの見極め・過剰な量の砂糖・異常な調理時間・細やかな配慮と経験の蓄積と、多くを要求する点で、一般家庭で春も夏も秋も日常的に食べ続ける意味など、まったく存在しません。

 裸の王様を褒めちぎるマネは、もうヤメてはどうでしょうか?

 通常の大豆は、より色白で美しく、より薄く破れない皮をもつよう品種改良が進んだのですが、黒豆は、要するに、"黒い大豆"であって、厚く堅い黒い皮のある垢抜けない"大豆の亜種"だと考えることにします。

 進んで、「切腹」を想起させるが故に日本の伝統からは忌み嫌われている、「腹割れ」、すなわち、"調理中に堅い黒い皮が破れて中身が露出することは醜いのだ"などという価値観。そのようなことなど、意に介さない、のみならず、有害な思想として、今は棄てることにします。

 それより、むしろ、"日本の美しい伝統を守る"アナタさ、"砂糖まみれ"という不健康なその"美しい黒豆の甘露煮"に、固執する値打ちがどのくらいあるのですか?

 "見た目の美しさ"が、"食べて美味しい", "健康的"という価値を抑えて付けて優先されるニッポンの美意識的な慣行から、自分は離別して、豆本来の旨味を味わったほうが良い、と、意識の転換を図ることにしました。

---...---...---

 さて、乾燥豆を水で戻します;

1-a) 黒豆は、水に長時間浸漬すると、黒い堅い種皮の水分含有より速い速度で、内部の胚乳部が吸水しますので、必ず"腹割れ"が発生します。日本の伝統"美しい黒豆の甘露煮"のためには、浸漬時間は12時間以内ではないでしょうか。(トップ画像(a)は12時間の浸漬)...こうすることで、日本伝統の"美しく"かつ"堅くて美味しくない"黒豆の甘露煮が可能となるわけです。

1-b) 私は、黒豆の浸漬時間を、"最低18時間、できればすべての豆が腹割れを起こす24時間"とします。(画像(b)↓)

(b) 
じゅうぶん浸漬し加圧して
腹割れしています

 水で戻したら、圧力鍋の中に、水と、豆を入れた蒸し籠を入れ、強圧で加圧します。もちろん調味料や味付けはいっさいナシです。また、水っぽくなるのを避けるために、"煮る"のは避けて"蒸す"ことにします;

2-a) トップ画像(a)は、加圧時間を10分に。腹割れを起こさず、かつ、なんとか胚乳部に堅さを感じないでふっくらした食感で食べられる妥協点で蒸しました。

2-b) 画像(b)は、圧力が強いFissler製で15分、最大圧で加圧したものです。豆のすべてで、皮は破裂し切り、白い胚乳部が黒い皮から出てこようかという勢いです。じ、実は、加圧時間を20分にすると、黒い皮が吹っ飛んで離別してしまっています。画像としてはあまりにも映えないので、ヤメておきます。が、旨みは、と言うと...。

 で、味の違いは? 

 明らかです。

 トップ画像(a)の、腹割れがないものは、やはり皮はまだ少し堅くて食感がイマイチ。お正月用のおせちの"黒豆の甘露煮"同様、皮をギュウギュウと噛み締め、中の胚乳部では、閉じ込められた水分のせいで、味わいが水っぽくて薄いです。

 他方、腹割れし切った(b)は、皮は水分を含み切って柔らかく薄く感じられ、白い胚乳部は、熱々状態では、破れた皮の間から次々と蒸発していく蒸気のせいか、その食感が、"ほろほろ"と"クリーミー"の中間くらい。なによりも黒豆に独特な香りと風味が、ハッキリ感じられます。大豆とはキッパリ違う濃い味わい、金時豆や小豆のようなデンプン質系ともまるで違うフレーバー、蒸し上がった栗と十分加熱した銀杏の実を合わせたような深い味わいがあります。「へぇ〜、こういう旨みなんだ!?」と思いますよ!

 これをじ〜っくりと感じ取れたからこそ、今日この記事を敢えて書きました。

 どういう食べ方をするかなんて個人の自由ですが、自由とは、"何をしてもいいこと"でもあるでしょうが、"束縛から逃れていること"でもあります。伝統的な"外観上の美しさ","砂糖漬けの甘さ"という固定観念をいったん置いて、豆に、吸いたいだけ存分に水分を含ませ、その含んだ水分子すべてを存分に蒸して膨張させるイメージで、熱々のところをほくほくと味わうと、その豆本来のおいしさが存分に味わえる、と、実感できることもあると思います。私の稚拙な表現の仕方にムっとなさっても、こころにゆとりがあるようでしたら、どうぞこらえて、よろしければ試してみてください。

2025/12/25

■ あるく ■ Jazz喫茶disk

写真歴50年の友人M君のiPhoneで撮影

またMくん(🔗10/31)にお声がけいただいて、作業のお手伝いを。何度もやり取りし、時間がかかりそうでしたので、前日から、場面や関門となる箇所をよく考えて整理し、ひとまず出向きました。

 ら、必要に迫られていたMくんの、理解も決断も速く、ものの数十分であっさりと本日の目的が遂げられました。やはり"段取り8割作業2割(🔗8/9)"は金言だったか。

 「時間があるから、前回よろこんでもらった系のお店にまた行ってみよう」と勧められ、大胆に遠乗りして、青森市のJazz喫茶"disk"に、連れて行ってもらいました。もちろん私は初めてです。

 非常にきれいな店内に入ってビックリ!なんだあのスピーカーは!?

 ホーンにスリットはないけれどアルテックか、イースタン(EAW)か、まったく未知の機器と音。別世界に足を踏み入れました。大広間の遠くで生のセッションをしているような、広域から低域までの彫りが深いのに、軽く自然な音響、ですが、苦心して試行錯誤してじゅうぶんに調整した結果のすばらしい音場感が広がっています。

 エンクロージャは、見たこともない形状のバックロードホーン構造を横置きにしています。こうなるともはや自作でしょう。しかも横置きしたその真空管アンプ時代のバックロードエンクロージャの開口部にホーン&ドライバが吊り下げられています!

 たまらなくなって、カップを持ってきてくれたお店の方に「ユニットはアルテックですか?」と口からでまかせで聞くと、「私は何もわからないので」と言って下がってすぐ、はつらつとしたオーナーがお出ましになり、「スピーカーは、ヴァイタヴォックスのユニットで、エンクロージャは私の先代が山水(サンスイ)の技術者の方のアドバイスを容れて製作したものです。実はカウンタの向こうに、その技術者の方の手作りの球のパワーが置いてあるんですよ(真空管アンプのこと)。見ますか?」と、飛び上がるような僥倖の一言!

 もちろん拝見するのは外観ケースのフロントパネルのみですが、肉厚な金属パネルに最小限のトグルスイッチとシンプルなパイロットランプ、側面および天面パネルはパンチングメタル状で、きっちり几帳面な手作り感で満ち溢れています。固唾をのんで首を伸ばして見入ります。「球の寿命が短いし手に入りづらいしでもう...」と幸せいっぱいな笑い...。

 サンスイの技術者の方って、まさか平野さん(🔗8/11)?...そこまでは踏み込んで聞けませんでしたが。

青森 disk (Facebook画像より)

 う〜〜ん。名にし負ふ初めてその音を耳にしたVitavox。立派な家具調のエンクロージャしか知りませんでしたが、いま聴くこの音は、前回連れて行ってもらった弘前市内のGroovin'81のように、超高級品をガツンとダイレクトに聴かせてくれる猛烈なインパクトとはまったく別な発想ベクトルで、夢を見るような心地の良さがあります。もともとそういうキャラクターなのでしょうか。あるいていどマグネットの磁力が減衰して(ウーファとドライバの各ユニットは、50年は経っているハズ)、柔らかな音となっているのでしょうか。本当に自然な音場感や奥行き感です。

 汲めども尽きぬ透明な水がこんこんと湧き出てくるような自然な音場感...。これはまた今晩も眠れないです。明日も明後日も毎日ふらりと徒歩で立ち寄りたいです (;^^

2025/12/24

■ なおす ■ シャッターの開閉調整


50年以上も経つような我が陋屋倉庫。そのサビだらけの電動シャッター。氷点下の風雪で動きはぎこちなく、年来、冬になると異常が発生。自分では解体してグリースアップなどできない点が歯がゆいところです。

 昨年冬も簡単に直してもらったのですが、シャッター屋さんの技量にもよるのか、今年またアウト。出入りの大工さんに頼んで、別な専門家にお願いし、根治してもらいました。

 電子部品を交換し、潤滑してもらいました。

 こういう専門家が作業する場面は何でも、つい見たがる野次馬根性を発揮して、お願いして見せてもらいました。手際の良さは、驚くほどです。やはりどんなことでも、"先達はあらまほしき事なり"です。

 何でも自分でできそうなものは自分でやろうとする自分のクセは、たまにこんな場面を見て新鮮な驚きや尊敬を喚起する機会が必要だなと感心しました。

2025/12/23

■ あるく ■ 津軽平野 - 北端の葦野原


今日もまた、冬の津軽地方には異例の"晴れ間"。気温は4℃と低いですが、この時期、太陽が出ているだけでも不思議な光景です。しかも路面は、この時期異例の"乾燥"路面です。

 むずむずして、ちょいとまた、冬眠中の(🔗2024/12/3)ロードスターのバッテリをつないで、冬眠したばかりのところ申し訳ないが、眠りを起こしてセルを起動します。

 いつもの大好きな"藻川"地区の田んぼの大平原(実はこの場で紹介したことはありません)。冬のお日様のもとで、暖かい黄金色の稲藁色の平原が広がる道を快速に進みます。葉の緑が消え失せた冬の、見晴らしが良い黄金色の道を、ぽかぽかと暖かくこじんまりとした室内のロードスターで走るのは、何だか異世界の幸せ感があります。

 一級河川岩木川に沿って土手沿いの道を、どんどん下ります(地理的には北上です)。

 広大な葦野原の河川敷(🔗11/6)。地平線が見えそうなくらいです("地平線が見える"地理的な条件は、前方直線距離27kmの平原ですので、惜しいところで及ばないのですが)。

 あるいてみます。さすがに4℃のもとでふきすさぶ風は寒い。

 白い太陽が冷淡です。正午の南中時刻付近ですが、太陽高度は計算上で仰角26度程度。だとしても、広大に広がる葦野原は、さすがに綿毛は朽ち果てたものの、今月一度雪野原となったはずの葦の平原が、驚いたことに、ごく少しの暖気でそのロフト(嵩高復活性能)を回復し、また立ち上がっています。


 湿潤期や積雪期に、大量の空気を含む断熱素材という点で冬暖かく夏は乾燥して涼しい屋根素材として、いかなる建材にも優る最高の素材である所以でしょう。

 長い積雪期を経た春には、例年、潰れ果てているのですが、今日この小春日和には、強靭で健気な立ち姿に、心打たれるものがあります。


 ふぅ、なにかことばに表せない充足感を覚えて、また楽しくロードスターのシフトノブを操って、昔ながらの集落をたどる旧道を縫うようにして帰途に着きました。

2025/12/22

■ あるく ■ "津軽の一つ残し”


冬至。太陽黄経270°0'00''と一致するのが12/22月0:03台でしたので、はや冬至点は通過し、陰は極まって陽に転じ始めたんですね。そう思うと、気分がまるで違います。

 "冬至だからかぼちゃ"なステロタイプに安心感やブログネタを求める人もわらわらといらっしゃることでしょう、今年も。うふふ。私はお腹が弱いのでパス。

 正午の気温0℃。吹き荒れる5m/sの西風。一昨日の幻想は吹き飛ばすかのように、まさに津軽の冬となりました。

 どっしり鉛色の寒空へとあるきに出ます、冬至点を越えて気分も明るく(そんな人あんまりいないか)...。


 枯れ果て、生き物の気配すらなさそうなりんご畑。雪のない暗黒な風景かもしれないのですが、独特な魅力を感じます。

 沈んだ色彩の中、目につくのが、枯れ木に1コだけ残された真っ赤なりんご。

 "津軽の一つ残し"です。

 いっぱんに、"一つ残し"と言ったら、宴会などで、大皿料理を皆一つずつ取った後、大皿にたった一つ残された状態で誰も手を付けない場面を指しますね。"関東一つ残し" "肥後のいっちょ残し"なども、大学時代に地元出身の人から聞いたことがあります。

 Google先生に聞いてみたら;


" 津軽の「一つ残し」(津軽衆)とは、宴席などで大皿料理の最後の1つだけが残ってしまう現象を指し、津軽地方の人が「遠慮深くてなかなか手をつけない」様子を表す言葉です。これは「遠慮のかたまり」とも呼ばれ、他の地域でも「肥後のいっちょ残し」(熊本)など、地域ごとに独特の呼び名がありますが、津軽の「津軽衆」は自らをユーモラスに表現する点が特徴で、その1つを食べた人を「英雄」と呼ぶこともあるそうです。 
「津軽衆」の特徴
謙遜と配慮: 食料を分け合う文化が根付いた津軽では、他人に遠慮し、最後の1つを取ることをためらう気持ちが強いとされています。
地域性の表現: この「一つ残し」の状況を、津軽の「衆」(人々)になぞらえ、「津軽衆」と呼ぶことで、津軽人の気質を表しています。
ポジティブな解釈: 誰もが遠慮して食べない最後の1つを、あえて「食べる」人を「津軽の英雄」と称えるユーモアも持ち合わせています。 
「一つ残し」の背景
「遠慮のかたまり」: 日本人特有の「厚かましいと思われたくない」「寂しくなるから」といった繊細な感情が、この現象を生み出すと考えられています。"

 いつも好意的な説明をしてくれます。ちょい掘り下げると、地元では、最後の一つに手を付けたら、憎まれる存在、傲慢な存在、無神経な存在です。そこにつけこんでその人に向かって「英雄」と諧謔的に称賛し、その人以外の周辺の皆は心の中で冷ややかに嘲笑しているわけで...。

 さて、転じて、りんご畑のりんごの木の1本1本ごとに、収穫しない果実を1つだけ残す習慣。


 この習慣も、ごく一般的に津軽地方一円に存在するのですが、この根拠はと言えば、今年も無事収穫できたことについて、"自然"への、場合によっては"神様"への、感謝をあらわすのだ、今年残したこの1コが、来年またたくさんの果実となるのだ、と、何度も聞いたり読んだりして知った経験があります。

 "科学的にそれはありえない"などという反論はバカげています。一種の土着の信仰、いやそこまで言わずとも、素朴な"祈り"、こころの奥底からふつふつと湧き出す祈りなのだと思います。

 むしろりんご畑のこの習慣から、現代的な宴会での現象におもしろおかしく転用したんじゃないのかなと、私個人は思っています。

 冬至の日に、"一つ残し"を眺めるのは、私にとっては、小さな希望の種がこれから膨らんでいく1年の始まりのような気がして、気持ちがすがすがしくなります。

2025/12/21

■ まなぶ ■ PCメモリーの高騰


 こんにちは。冬休みも近づいてきて、学校に置いてあるものを少しずつ持って帰るように先生に言われています。寒いなか嵩張って風に飛ばされやすいんです、これが。でももう冬休みかぁ。


 私がPCをつくったのは夏休みでした(🔗7/29)。2学期に入ると小4は忙しくて、その後、学んでいる"C言語"のスキルは、あんまり上達していません。でも"ポインタ"概念の難しさと同時にその偉大さは少しわかるようになりました。擬似言語を学ぶには、TombowMONO鉛筆とPentel EnerGel Infree色ペンを使って、紙に書いて楽しく覚えたほうが、ゆっくり回転する私のアタマには入りやすいです。

 お父さんが「万年筆が3倍に値上がりして、もう新しいものを買うのはムリだなぁ」と言ったら、お母さんが「あんなにたくさんあるのに、まだ買う気なのかしらね。それよりお米が3倍に値上がりして、もうパクパク食べられなくなりそうだって心配してほしいわ」と言いました。こりゃあ、お父さん一本取られちゃったぢやないかぁ、あはは...え? 笑い事じゃない?...すみません。

 お父さんによると、3年前までは、パイロット万年筆"カスタム74"が1万円、"742"が2万円、"743"が3万円でした。今は、1万円だった"カスタム74"が3万円だそうです。

 お母さんによると、3年前までは、それ以前の20年にわたってずっと毎年、青森市の農家から直接買っていたお米5kgあたりの値段が、1,700円。昨年秋は3,400円、今年の新米は5,200円だそうです。

 大人はたいへんなんだなぁ...などとお気楽にかまえていたら、昨日、PCを近々ご自身で作るつもりだった歯科医のM先生(🔗10/31)に、「メモリが値上がりしてすごいことになっているんだよ」と教えてもらいました。

 なんと、私がPCを自作するため8月に購入したメモリが、6倍に跳ね上がっているではありませんか!

RAM; DDR-5, 64GB(32GB×2) 
Crucial CP2K32G56C46U5
(kakaku.com Website)

 私が22,000円で買ったMicronウェハ搭載のCrucial製64GB(32GB☓2枚)のメモリが、130,000円に届こうかという値段って!? しかも、Crucialはコンシューマリテールを今後もうヤメちゃって、利ざやが大きいAI企業のみへの専売となるそうです...呆然。

 今後SSDやグラボや、GPUを強化した高性能CPUにまで飛び火するんでしょうか。

 AIに人類が食べられてしまう最終運命へのはじめの一歩...。自分の手でつくる楽しい自作PCって、もう小学生なんかがこれまでの一生をかけてこつこつ貯めたお年玉ではつくれない世界になってしまって、悲しいです。

私は危ういところで難を逃れたので、夏につくったPCを10年以上は使って、私はこつこつと楽しもうと思います。ゲームもお絵描きもしないし、大丈夫そうだよね。お父さんも今ある万年筆をずっと大事に使うそうです。でも、私が使う大好きなMONO鉛筆やUNI鉛筆とお母さんが買うお米は、誰でも買いやすい値段のままでいてほしいなぁと思います。

2025/12/20

■ あるく ■ 河川敷のりんご畑


暖かいおだやかな南風。南風が吹くことは、津軽地方にはほとんどありません、特に冬は毎日強く冷たい西風に決まっているのですが。いま気温14℃。12月下旬とは思えない生暖かさです。あるこうとして外に出て、気温に驚いて、薄着に着替えました。


 ひと気のないりんご畑の道をゆきます。冬枯れのはずの静まり返ったりんご畑が、おだやかな表情に映ります。


 かろやかです。なんだか狐につままれたような。


 雪が一度積もったのがすっかり融けて、一年草などは押しつぶされ、視界が開け、妙にすがすがしいです。いま季節がいつなのか、わからなくなりそうです。


 予報では残り10日ほどの年内は積雪の気配はなさそうです。軽装であるくことができると思うと、気持ちも軽いです。

2025/12/19

■ まなぶ ■ 理解できなかった『忠臣蔵』-4 -理解できそうに...

井沢元彦『逆説の日本史』
14 近世爛熟編

この30年間で飛躍的に進歩した日本史研究。50歳台より上の方が学校で習った'かつての日本', '知っていたハズの日本'とは、まるで異なる背景をもった'日本'に、実は生きてきたのですよ。70代80代90代の人は、あのときの知識が更新されないままであれば、過去に幻想を抱いたまま消えゆく世代かもしれませんが、この情報化時代を活用してまだまだ新しいいきいきとした世界がこれから開けると思います。

 20年以上前なら単行本で高額だった井沢元彦の『逆説の日本史』。"日本の歴史を創るのは「言霊、和、怨霊、穢れ」への無意識の信仰"という基調に惹かれ、読むともなく手に取ってきましたが、 2010年代に文庫本化され、けっきょく今日まで全26巻を手元に置いて読んでいます。未だ完結していないのですが、もはや中公文庫-堀米庸三他『世界の歴史』16巻、井上光貞他『日本の歴史』全26巻など、大学生の頃に古本屋で揃えて読んだ大著に匹敵する巻数となっています。

 芝居『忠臣蔵』に対する個人的な違和感をスッパリと解消したのが、井上の14巻-『近世爛熟編』でした。

 吉良による浅野への嫌がらせの複数の論拠が浅薄なことを始め、襲撃現場の詳細など、芝居やドラマで日本人が常識だと思っている『忠臣蔵』のデタラメな(つまり史実と異なる)ディテールを、一つ一つていねいに論証で覆しています。

 「だからどうぞお読みください。終わり」でいいんですが、要点を書き出すと;

 そもそも芝居『忠臣蔵』を、史実たる『赤穂事件』の再現だとする点が、多くの日本人の根本的な誤り。芝居は、事件から着想を得て庶民にウケるよう複数作家の手で改訂に改訂を重ねたまったくの創作。だから、"『忠臣蔵』は史実と異なるデタラメ"などと言っても無意味です。...この時点で、私は、自分の長年の勘違いを、膝を打って納得しました。別なんですよ。そういう発想をまずしなくては。

 芝居の襲撃場面と、歴史的資料に基づく襲撃場面は異なる。いかなる一次史料にあたっても、朝廷からの勅使到着、それも"ご予定より早いご来城"の情報を得て、江戸城内における準備の慌ただしさはピークのはずで、芝居のような、吉良による浅野への直前のあのねっとりした挑発という目撃証言は存在しない。

 しかも実は、この度の朝廷勅使接待は、恒例のもの以上の重大さがあった。綱吉が、朝廷に対し、母桂昌院に、女性では史上前例のない、"従一位 (摂政関白クラス)"を拝命しようとかねてより重ねて大運動展開中のところ、その正式な会見となるはずのものだった。この'プロジェクト'に際して、総責任者たる吉良が、部下に嫌がらせをしたり恥をかかせたりして、勅使接待を失敗に終わらせる意図など介在の余地はないはず。

 襲撃の模様も異なる。浅野(33歳)は吉良(60歳)を、突然背後から肩口に切りつけ、驚いて振り返ったところ顔面正中から切り、逃げようとした背後からさらに2度切った。その時点で梶川に羽交い締めにされて制止された。

 浅野は大名=藩主であり、幼少時より武芸の訓練を得た壮年。一方、吉良は旗本として大小を挿すことも慣れないような本丸出仕の中央官庁の官吏であり、老人である。浅野は背後から、殺意を持って老人を襲うという、殺人方法としては圧倒的に優位だったにもかかわらず、また、武士の戦い方としてはありえないほど卑劣だったのだが、4度も斬りつけたのに、絶命させることができなかった。

 殿中では小刀のみ帯刀を許されていたが、小刃の用い方は、『斬る』のではなく『突く』というのは武芸の基本である。また、城内の接待役たちは皆、勅使接待の場における正式装束の"大紋"着用、と同時にとうぜん風折烏帽子を着用していたが、これは型崩れ防止のために頭まわりの全周に鉄輪が用いられ、額を斬りつけても小刀で斬ることは当初より不可能である。

 この点は、事件当時の江戸市中の川柳でも揶揄され("初手を斬り 二手を突かぬ不覚さよ...")、明治期の乃木希典ですら、「斬るのではなく刺すのだ」と、襲撃手法の不可解さを露わにしている。

 その勅使到着の本当に数時間前の殿中での抜刀と刃傷事件で、赤穂藩の末路は明らかであるにも関わらず、藩主でありながら見境もなく行為に及んだ。

 判断力が欠落し、武道に劣り、人格的に卑劣...。

 綱吉が激怒して、みずから「浅野は即日切腹」を言い渡したのも当然すぎる結論だ。

 ついでながら、私にも、その判決"切腹"は、綱吉ならではの政治的温情、いや、武家政権のコペルニクス的転回にも近い発想だと思えてきます。

 井沢によると、平安貴族に代わって、暴力を政治力とする鎌倉武士団台頭以降の武断政治であれば、このような場面では、"切腹"でなく"打首"です。綱吉こそ、一連の社会保障政策である"生類憐れみ関連諸法"(🔗9/18)と"服忌令(ぶっきりょう)"で、暴力でも宗教でもなく、政治力によって統治体制を変えた、明治維新にも匹敵する支配体制の転換を遂げた将軍、という捉え方がなされています。

 さて、そもそも最大の疑問、「なぜ浅野は、見境もなく殿中にて襲ったのか」については、奇想天外な結論です。

 井沢は、歴史学者大石慎三郎、精神医学者中野静雄、大石神社社務所宮司飯尾精などのプライオリティを断りつつこれを引用して、"浅野は統合失調症(かつての'精神分裂病')もしくはその周辺の精神障害を持病としていた"、当時の表現で"癪を持病とし", "毎日薬持参で登城"という記録や結論です。

 あの刃傷の場で、いきなり猛り狂った'乱心'は、当時の一次資料にもあるようです。井沢はさらに歴史学者松嶋栄一による、刃傷事件の決裁の場を引用しています。綱吉が集めた5人の老中のうち3人は、浅野の'乱心'、つまり発作によるもので、今日の刑法・刑事訴訟法上の"責任無能力(心神喪失)状態"と見受けられるとして、綱吉に、最終的な処分の猶予を願ったとのことです。日頃の異常行動が周囲に知られていたのかもしれないですね。が、怒りの綱吉は座を立ち、奥にて、月番老中の土屋を呼んで、浅野の切腹を命じたとのいきさつがあります。

 この本で、いわば初めて、浅野という人物像の概要を少し詳しく知った気がして、また、長年のもやもやが意外にも収束した自分の気持ちを知って、放心した記憶があります。

 このくらいにしましょう。反発する方もいらっしゃるかもしれません。が、明らかになりつつある史実に接することの重要さに並行し、その一方で、芝居は芝居として、日本人の心に触れる作品へと長年に渡り洗練された芸術作品として尊重します。引き続き、さまざまな視点や立場と新たな史料から歴史書を楽しむ傍らで、芸術作品の訴える大きな情動や感動も、楽しみ続けたいと思います。

2025/12/18

■ まなぶ ■ 理解できなかった『忠臣蔵』-3

赤穂城
赤穂観光協会Website

この芝居で、ストーリーを知った高校時代から理解不能だった点が2つ;

 最も不可解な疑問;殿中(江戸城内)で刀を抜いて刃傷沙汰を起こすと、"本人は切腹、その配下のお家は御取り潰し"という鉄の掟を知らない者は絶対にないはず。凶行に及んだ赤穂藩主浅野長矩だって百も承知だったではないの? 

 言葉による度重なる罵倒や遺恨にガマンしきれなくなって刀を抜き、その場で鬱憤を晴らすことができたとして、翌日以降、自分と赤穂藩はどうなるのか、藩主浅野に見境がつかなかったのはなぜか、という点です。

 第2の疑問は、"仇討ち"という表現です。一般に、仇討とは、親や主君が殺された場合、子や臣下に当たる者が、殺した者に、決闘を挑むことです。

 この芝居では、"主君たる浅野長矩が、吉良義央に殺され、この'仇討ち'を旧藩士四十七士が遂げた"ワケじゃなくて、どちらかと言えば発端たる事件の被害者加害者が逆転し、"主君たる浅野が、吉良を殺しそこね、四十七士は重ねて吉良を襲った結果殺した"というのが事件の経緯です。これは'仇討ち'のカテゴリーに入るのか、逸脱していないか、という点です。

 以上の2点、どう説明をつければ納得がいくかなぁと、以来ずっと、大学時代もその後も、12月14日になって"今日は討ち入りの日"などとお気楽モードな報道を耳にする度にもやもやとしてきました。

2025/12/17

■ まなぶ ■ 理解できなかった『忠臣蔵』-2

忠雄義臣録第三 
歌川豊国三世画 1847

芝居『忠臣蔵』のストーリーのうち第1の事件『刃傷事件』の場面;

 加害者被害者両当事者は、赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)と吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)。

 後者は高家旗本(高家肝煎)職なので、中央省庁たる幕府江戸城にて朝廷関連儀式を司る職で、定期的にある勅使饗応行事の実務を監督する。そのもとで、饗応役事務方は、各藩の持ち回り当番制。

 1701年の勅使饗応役は、播磨赤穂藩が選任され、藩主浅野長矩が江戸城に登城し、吉良の指示で立ち回っていた。言うなれば、中央省庁本庁の局長級の偉いお役人が、当番制でやってきた県知事に指示を出して、共同プロジェクトの遂行にあたっていたとでも捉えることができそうです。事件の4月21日は、勅使到着の当日。

 浅野は吉良から、日頃、ことあるごとに、田舎者扱いされ、恥をかかされ、パワハラ、嫌がらせ、イジメ、挑発を受けていた。

 その原因は、諸説によると、吉良の指導に対する浅野からの"指導料"たる献上進物(賄賂)が少ない、という短期的なものから、塩田における製法と販路と販売量を両者が競っていたが、赤穂藩が圧倒していた、という長年に渡る因縁まで、種々積層していたというもの。

 事件は、江戸城本丸御殿の中で、最も広く、かつ長いもので、障壁画として松が描かれていたことから、「松之廊下」と呼ばれていた場。 ここは、御三家、加賀前田家、越前松平家等の登城時の控えの間があり、幕府の権威を示す特に重要な儀式が行われる場。儀式によってはこの廊下で行われることもあり、当日はこの場に朝廷勅使が到着する直前であった。

 この時点で、芝居『忠臣蔵』と史実である『赤穂事件』とで、"傷害事件"である事件の時系列に食い違いはないようです。

 芝居『忠臣蔵』の描写によると;

言葉による挑発に耐えかねた浅野が、「吉良、待て」と声をかける。振り返った吉良の顔面に正面から一太刀浴びせ、額に流血。驚いて逃げようとするその肩口にさらに一太刀。膝から崩れ落ちる吉良。この時点で、現場にいた梶川与惣兵衛頼照によって、浅野は背後から羽交い締めにされて制止され、逮捕・拘引され、お裁きとなる。

 この、襲撃行為の描写に、芝居と史実とで大きな喰い違いがあるようです。

2025/12/16

■ なおす ■ 窓断熱にロールキャップ


窓辺から猛烈な冷気が侵入しているのはわかっていました。灯油代もやはり、高かった去年よりなお高いので、この際、見た目など無視して、対策します。

貼る前

 窓枠にロールキャップ(ぷちぷちシート)を養生テープでベッタリと貼ります。

貼った後

 ただでさえ農業用マルチシートで屋内空間を仕切っていて、"ビニールハウス住まい" なのですが(🔗10/18)、ますます...。

 窓を密閉するように貼ってびっくり。きっちり閉じてロックした、ペアガラスのアルミサッシ窓なんですが、それでも冷気が、貼ったロールキャップを強い圧力で押しています。外縁部のテープもメリメリと剥がれそうな音です。手で触って押し戻そうとしても、ロールキャップシートは容易には押し戻せないほど強圧です。まるではち切れるほど空気が入ったビニール製のボールみたい。

外から侵入する冷気で
ロールキャップシートが膨らんで
左のペットボトルを倒しそうです

■ 養生テープを補強して二重に幅広に貼ります。テープの種類も変えたほうがいいかも。こんな強い氷点下の冷気が続々と室内に入ってきていたんですねぇ。そう考えると、逆に、室内暖房の威力もまたスゴい熱量で暖めていたんだなぁと実感します。

 まともな生活ができているのも、これらの素材、機材、現代文明のおかげだナと、つくづく思いました。