赤穂城
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■ この芝居で、ストーリーを知った高校時代から理解不能だった点が2つ;
■ 最も不可解な疑問;殿中(江戸城内)で刀を抜いて刃傷沙汰を起こすと、"本人は切腹、その配下のお家は御取り潰し"という鉄の掟を知らない者は絶対にないはず。凶行に及んだ赤穂藩主浅野長矩だって百も承知だったではないの?
■ 言葉による度重なる罵倒や遺恨にガマンしきれなくなって刀を抜き、その場で鬱憤を晴らすことができたとして、翌日以降、自分と赤穂藩はどうなるのか、藩主浅野に見境がつかなかったのはなぜか、という点です。
■ 第2の疑問は、"仇討ち"という表現です。一般に、仇討とは、親や主君が殺された場合、子や臣下に当たる者が、殺した者に、決闘を挑むことです。
■ この芝居では、"主君たる浅野長矩が、吉良義央に殺され、この'仇討ち'を旧藩士四十七士が遂げた"ワケじゃなくて、どちらかと言えば発端たる事件の被害者加害者が逆転し、"主君たる浅野が、吉良を殺しそこね、四十七士は重ねて吉良を襲った結果殺した"というのが事件の経緯です。これは'仇討ち'のカテゴリーに入るのか、逸脱していないか、という点です。
■ 以上の2点、どう説明をつければ納得がいくかなぁと、以来ずっと、大学時代もその後も、12月14日になって"今日は討ち入りの日"などとお気楽モードな報道を耳にする度にもやもやとしてきました。
