2025/12/17

■ まなぶ ■ 理解できなかった『忠臣蔵』-2

忠雄義臣録第三 
歌川豊国三世画 1847

芝居『忠臣蔵』のストーリーのうち第1の事件『刃傷事件』の場面;

 加害者被害者両当事者は、赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)と吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)。

 後者は高家旗本(高家肝煎)職なので、中央省庁たる幕府江戸城にて朝廷関連儀式を司る職で、定期的にある勅使饗応行事の実務を監督する。そのもとで、饗応役事務方は、各藩の持ち回り当番制。

 1701年の勅使饗応役は、播磨赤穂藩が選任され、藩主浅野長矩が江戸城に登城し、吉良の指示で立ち回っていた。言うなれば、中央省庁本庁の局長級の偉いお役人が、当番制でやってきた県知事に指示を出して、共同プロジェクトの遂行にあたっていたとでも捉えることができそうです。事件の4月21日は、勅使到着の当日。

 浅野は吉良から、日頃、ことあるごとに、田舎者扱いされ、恥をかかされ、パワハラ、嫌がらせ、イジメ、挑発を受けていた。

 その原因は、諸説によると、吉良の指導に対する浅野からの"指導料"たる献上進物(賄賂)が少ない、という短期的なものから、塩田における製法と販路と販売量を両者が競っていたが、赤穂藩が圧倒していた、という長年に渡る因縁まで、種々積層していたというもの。

 事件は、江戸城本丸御殿の中で、最も広く、かつ長いもので、障壁画として松が描かれていたことから、「松之廊下」と呼ばれていた場。 ここは、御三家、加賀前田家、越前松平家等の登城時の控えの間があり、幕府の権威を示す特に重要な儀式が行われる場。儀式によってはこの廊下で行われることもあり、当日はこの場に朝廷勅使が到着する直前であった。

 この時点で、芝居『忠臣蔵』と史実である『赤穂事件』とで、"傷害事件"である事件の時系列に食い違いはないようです。

 芝居『忠臣蔵』の描写によると;

言葉による挑発に耐えかねた浅野が、「吉良、待て」と声をかける。振り返った吉良の顔面に正面から一太刀浴びせ、額に流血。驚いて逃げようとするその肩口にさらに一太刀。膝から崩れ落ちる吉良。この時点で、現場にいた梶川与惣兵衛頼照によって、浅野は背後から羽交い締めにされて制止され、逮捕・拘引され、お裁きとなる。

 この、襲撃行為の描写に、芝居と史実とで大きな喰い違いがあるようです。