2025/12/26

■ つくる ■ 豆の旨味- 黒豆

(a)
"腹割れ"しないよう
蒸しました
(本文ご参照)

ふだんたまに手に入ったり買ったりする"乾燥豆類"は、一晩水で戻したら、圧力鍋で蒸しただけ、味付けナシで味わっています。

 とくに、先日冬至の日に、ちょっと想像して、毎年のことですが、「今日はさぞかし多くのブログ的記事に、"今日は冬至 = かぼちゃを食べる日"というステロタイプがわんさか溢れ返ることだろうな」といつものように思ったのですが(🔗"津軽の一つ残し")、やっぱり...。

 そうした記事はどれも100%例外なく、

1) かぼちゃ(と小豆)を、どっさりの砂糖まみれにして甘く煮たものをアップしている、

2) ふだん食べているわけではないが、"冬至"のネタとしてアップしている、

という2点で、毎日とうてい続けられそうにない大量の砂糖摂取を勧めるぞっとするような不健康な調理食品を、この日に限っていかにも"我こそ日本の伝統を代表する"かのようにアップするすばらしい節操の持ちように、なんだか胃に悪寒がこみ上げてきました。それでも"煎茶とともに"は、なごみそうですネ。ツワモノになると"かぼちゃの砂糖煮には砂糖どっさりのインスタントコーヒー"の方も。中高生じゃなくておじいさんだったり...。摂取する糖分を想像しただけで、おなかがゆるくなってゴロゴロと鳴りそうです...。

 あの日(🔗11/10)にアップして以来、この冬至を機に、はっきり、圧力鍋で味付けせずに蒸したほくほくの豆の良さを痛感し、毎日じっくり味わうようになりました。

 豆の、栄養摂取という点、価格という点での、効率の良さは、貧弱な食生活の大学生の頃から意識していたものの、自分的には悲惨な歴史(;^^A...(ref. 🔗1/13)

 やっとここ20年ほどで、"圧力鍋"や"蒸し器(竹せいろ)"を使うような通常の人類並みの知恵がついて以来、まざまな豆を試してきました。

 先日友人に、「豆そのものだけ食うだなんて...」と呆れられたので、たしかに恥ずかしい原始的な食生活ではありますが、むしろ自分のメモとしてまとめてみようかなと。

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 まず今日は、大学生だったウン十年前以来もっともつらい思いを重ねた"黒豆"。

 黒豆は、"甘露煮"という難しい煮方で味わう以外の味わい方を知りませんでした。自分ではとうてい作れないし、だいたいは年末年始に"おせち"の一種として味わう程度ではないかなと思います。

 その"おせち"の黒豆の甘露煮の印象は、"甘い", "堅い", "冷たい", "温めても堅い"、安い出来合いの黒豆甘露煮など、下手すりゃ大量生産の安い菓子パンみたいな炭酸水素ナトリウム(重曹)の苦味さえまとわりついていて、要するに、まずくてふだん日常的に食べ続けたいものではありませんでした。

 "黒豆の甘露煮"に関しては、いわば"老舗のブランド物"などもあるのでしょうが、庶民感情からは、極端に高額で、やはり日常的に口に入るものではありません。

 ならば自分で煮たほうがよいのですが、料理本やネット等で見るような、黒黒と美しい艷やかな甘露煮は、...私は確信するのですが...、他に仕事や日常家事などをこなす一般庶民が夕食の一品として思い立った日に煮上げるのは、選別すべき高品質な黒豆・調理技術・調理時間という点で、絶対に無理です。

 しかも非常に甘く、"夕食の一品", "月に1回"など日常感覚で摂取した場合、声高に強調されるような"まめまめしく健康的"なイメージとは裏腹に、その実態は過剰な糖分により不健康そのものでは? 

 ...などと、異を唱えるようや輩は、"日本の伝統を理解しない", "非常識な", "調理技術的に劣っている", と、レッテルを貼られるのが怖いですが、私は、異を唱えたいと思います。

 日本の美しい伝統たる"黒黒と艷やかな黒豆の甘露煮"など、乾燥豆の状態の不安定さの見極め・過剰な量の砂糖・異常な調理時間・細やかな配慮と経験の蓄積と、多くを要求する点で、一般家庭で春も夏も秋も日常的に食べ続ける意味など、まったく存在しません。

 裸の王様を褒めちぎるマネは、もうヤメてはどうでしょうか?

 通常の大豆は、より色白で美しく、より薄く破れない皮をもつよう品種改良が進んだのですが、黒豆は、要するに、"黒い大豆"であって、厚く堅い黒い皮のある垢抜けない"大豆の亜種"だと考えることにします。

 進んで、「切腹」を想起させるが故に日本の伝統からは忌み嫌われている、「腹割れ」、すなわち、"調理中に堅い黒い皮が破れて中身が露出することは醜いのだ"などという価値観。そのようなことなど、意に介さない、のみならず、有害な思想として、今は棄てることにします。

 それより、むしろ、"日本の美しい伝統を守る"アナタさ、"砂糖まみれ"という不健康なその"美しい黒豆の甘露煮"に、固執する値打ちがどのくらいあるのですか?

 "見た目の美しさ"が、"食べて美味しい", "健康的"という価値を抑えて付けて優先されるニッポンの美意識的な慣行から、自分は離別して、豆本来の旨味を味わったほうが良い、と、意識の転換を図ることにしました。

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 さて、乾燥豆を水で戻します;

1-a) 黒豆は、水に長時間浸漬すると、黒い堅い種皮の水分含有より速い速度で、内部の胚乳部が吸水しますので、必ず"腹割れ"が発生します。日本の伝統"美しい黒豆の甘露煮"のためには、浸漬時間は12時間以内ではないでしょうか。(トップ画像(a)は12時間の浸漬)...こうすることで、日本伝統の"美しく"かつ"堅くて美味しくない"黒豆の甘露煮が可能となるわけです。

1-b) 私は、黒豆の浸漬時間を、"最低18時間、できればすべての豆が腹割れを起こす24時間"とします。(画像(b)↓)

(b) 
じゅうぶん浸漬し加圧して
腹割れしています

 水で戻したら、圧力鍋の中に、水と、豆を入れた蒸し籠を入れ、強圧で加圧します。もちろん調味料や味付けはいっさいナシです。また、水っぽくなるのを避けるために、"煮る"のは避けて"蒸す"ことにします;

2-a) トップ画像(a)は、加圧時間を10分に。腹割れを起こさず、かつ、なんとか胚乳部に堅さを感じないでふっくらした食感で食べられる妥協点で蒸しました。

2-b) 画像(b)は、圧力が強いFissler製で15分、最大圧で加圧したものです。豆のすべてで、皮は破裂し切り、白い胚乳部が黒い皮から出てこようかという勢いです。じ、実は、加圧時間を20分にすると、黒い皮が吹っ飛んで離別してしまっています。画像としてはあまりにも映えないので、ヤメておきます。が、旨みは、と言うと...。

 で、味の違いは? 

 明らかです。

 トップ画像(a)の、腹割れがないものは、やはり皮はまだ少し堅くて食感がイマイチ。お正月用のおせちの"黒豆の甘露煮"同様、皮をギュウギュウと噛み締め、中の胚乳部では、閉じ込められた水分のせいで、味わいが水っぽくて薄いです。

 他方、腹割れし切った(b)は、皮は水分を含み切って柔らかく薄く感じられ、白い胚乳部は、熱々状態では、破れた皮の間から次々と蒸発していく蒸気のせいか、その食感が、"ほろほろ"と"クリーミー"の中間くらい。なによりも黒豆に独特な香りと風味が、ハッキリ感じられます。大豆とはキッパリ違う濃い味わい、金時豆や小豆のようなデンプン質系ともまるで違うフレーバー、蒸し上がった栗と十分加熱した銀杏の実を合わせたような深い味わいがあります。「へぇ〜、こういう旨みなんだ!?」と思いますよ!

 これをじ〜っくりと感じ取れたからこそ、今日この記事を敢えて書きました。

 どういう食べ方をするかなんて個人の自由ですが、自由とは、"何をしてもいいこと"でもあるでしょうが、"束縛から逃れていること"でもあります。伝統的な"外観上の美しさ","砂糖漬けの甘さ"という固定観念をいったん置いて、豆に、吸いたいだけ存分に水分を含ませ、その含んだ水分子すべてを存分に蒸して膨張させるイメージで、熱々のところをほくほくと味わうと、その豆本来のおいしさが存分に味わえる、と、実感できることもあると思います。私の稚拙な表現の仕方にムっとなさっても、こころにゆとりがあるようでしたら、どうぞこらえて、よろしければ試してみてください。