■ 今日も良いお天気。またおとといみたいに田んぼの道をあるいて、音楽を聴きます。
■ 道端。鳥さんたちのために放置された果実のようです。栗もプルーンも、道にぼたぼたと落ちています。持ち主の許可さえあればあちこち拾ってあるきたい気持ちになります...。
■ 道端。鳥さんたちのために放置された果実のようです。栗もプルーンも、道にぼたぼたと落ちています。持ち主の許可さえあればあちこち拾ってあるきたい気持ちになります...。
■ 稲刈りも終盤。すっかり静かな雰囲気になりました。静かな農道をあるきながら聴くピアノの音が澄んでよく響きます。
■ 図書館2館をあるいてかけもちします。1万5千歩コースでしょうか。
■ あ、日曜の道はやはり混んでいました、クルマで。で、あるく人にはやはりまったくすれ違わなかったりします...。
■ 近くの小学校。植えられた弱弱しい銀杏なんですが、色づいてきました。
■ その1は、『教科書の挿絵って、どう思いますか。あった方がいい? なくていい?』 (って、"その2"以降もあるのか(;^^!?)
■ 「美しい絵・上手な絵なら、あっても良い」という中間論もありそうですが、美しくて上手という伝統的評判が定着したような著名な画家の挿絵ならいいってわけにもいかないのでは...。
■ 美しくないけど上手かもしれないし、美しいけど児童生徒の目からして"上手"か判別不可能かもしれません。童話『カチカチ山』の挿絵に、"即興"時代のカンディンスキーや"プロトキュビズム"後のピカソが挿絵として添えられていたら...。
■ 翻って、たとえば李白『月下独酌』の白文を、5回目50回目に、別な装丁や好き勝手な挿絵が施されたものを手に取り、それも見ながら自由に読み下すのは、それなりに気軽な楽しさがありそうです。そこにシュルレアリスム期のクレーの挿絵があろうと、青の時代のピカソの挿絵があろうと(著作権の話は置くとして)。
■ でも、13歳中1が、生まれて初めて芥川『羅生門』のすさまじい世界に触れるとしたら...。
■ ひとりで、静かに、文字を読み進み、考え、想像し、さらに読み進もうよ。
■ バカげた挿絵で、若い想像力は一気にごく偏狭な制約を受け、作品そのものなんてめちゃくちゃにされそうです。
■ 初めてその作品を読む13歳にとって、13歳の読解力で読み進む日本語の文よりもはるかに高速にいきなり目に飛び込み脳を刺激するイラストの方が、訴えかけ支配する力が強いのでは?
■ 芥川よりもイラストレーターの方がずっと大きな存在です。
■ 本を読むのは、本質的に孤独で抽象的な要素があります。だからこそ、自分の脳という、真っ白い広い紙の上で、想像力を大きく広げ、自由に描けるのでは。
■ 検定教科書も、どれも同じようなレイアウト...。
■ 現代の書籍というコモディティは売って儲けるためにある手段にすぎないのですから、それで良いのですが、せめて教科書では...、"禁止にせよ"とは思わないのですが、まったくイラストのない検定候補品もあってよさそうなんですが...。さすがにナシにできないか。調達権限のある教育委員会のメンツが採用してくれない、つまり"売れない"ですよね。
■ 岩波や新潮の文庫本を開くのは好きですが、イラストが無い点もその理由の一つかもしれないです。
■ 文部省が、1958年(昭和33年)に、「筆順指導の手引き」を発刊して、小学校で学ぶ漢字881字について定めました。が、"美しい漢字を効率よく書くための一般的な基準"にとどまるようです。以来今日まで、改訂版などは発刊されていないようです。
■ 中1教科書(『新しい国語 1』東京書籍 令和3年)のこの設問について、私は、7"興"、8"飛"を間違えました。小学校時代、習字とともにかなり正確に覚えたつもりだったのに...。
■ 結果、高2、高3と、全校生徒で2位、1位になったのですが、高3に1位になったときの賞品が、"明治の板チョコ5枚"という、まるで意味不明物だったので、あまりにも激しくガッカリした強烈な記憶が残っています。賞品は、漢文の先生の個人的好みで選んだのだそうです...。
■ 20代の頃にペン習字を始めた際、漢字"上"の筆順が違っていたことに、衝撃と憤慨(?)とともに気づき、何度も本を見、納得がいかなくて区立図書館で調べました。
■ その後、"同じ漢字でも、世代により、小学校教科書で教えられる筆順に違いがあるのが日本の教育"だとわかりました。
■ あまりこだわらなくてもよかったんですね。そう思うと、自分の覚えていたつもりの筆順との違いを見つけて「へぇ」と驚き笑うのが少し楽しいです。
■ 書家の田中鳴舟先生の美しい手による『硬筆新辞典 - 学文社(2020年第8版)』を見ましょう(トップ画像も)。
■ 左欄の筆順は、現代のものになっています。
■ 行書体の赤い①②は、私が付しました。①の筆順は、昭和世代の小学生が習った「ヨコ画が第1筆」、②の筆順が現在の「タテ画が第1筆」。
■ ついでに草書体は、②と親和性を感じますが、どうなのでしょうか。
■ 行書も草書も、楷書の筆順や文部省の意向などもともと何ら頓着しない世界ですので、国の方針に合うかどうかなんてどうでもいい話です。そう考えると、中1の皆さんは、この教科書の問題を何個か間違えたくらいであまり思い詰めないことにしましょう...。
"中学生以下の子ども1万人のうちおよそ8%が、生活用品の人工的な香りで体調不良になるいわゆる「香害」を経験したことがあるとする調査報告を、国内の学会の研究チームがまとめました。
この調査は、柔軟剤や合成洗剤といった生活用品の人工的な香りが子どもに与える影響を調べようと、日本臨床環境医学会と室内環境学会の研究者たちのチームが実施し、9つの都道県に住む中学生以下の子どもおよそ1万人について、保護者に聞きました。調査では、「香害」と言われる人工的な香りによる体調不良を経験したことがあるか質問したところ、「ある」という回答は全体の8.3%にあたる856人となりました。症状としては、吐き気や頭痛などを経験したという子どもが多かったということです。▽未就学児で2.1%▽小学生で8.9%▽中学生で12.9%と、学年が上がるにつれて多くなる傾向がみられたということです。さらに、どこで経験したか質問したところ、「園や学校」という答えが最も多く、香りが原因で登園や登校を嫌がるケースもあったということです。"
■ 文庫本で何百回か読んだとしても、芥川初期の短編は、何度でも何度でも手に取ります。
■ 簡潔で論理だち、ていねいな語り口に近づいてみると、ゾッとするような研がれた刃に触れてしまっている自分...。
■ 平安古典の作品に材を得たものがその典型です(🔗2023/7/16)が、コレは人から聞いた小さな日常の出来事から想を得たごく短い話。青空文庫なら、1,2回スクロールしたら終わるような短い話です。
■ 最初のうちは刺激も興奮もなく、ゆるゆるとのどかにけだるく話を運んでおきながら、かすかに一瞬よぎる緊張感;
"茶店の前には花の咲いた梅に、西日の光が..."
■ ...春の日にほんのりあたたまって乾きかけたような「意識」という土を、いきなり深く掘り返して冷たく湿った黒々とした生々しい土が露わになるような気が、このささいなセリフで、します(私の無意味な連想です);
"...われのうちでも心配するずら"
■ ゆるゆると最初から読み進むのは、その最後の2段落の心理的壮絶さをかみしめたいからじゃないかなと、自分では思っています;
"うちの門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼のまわりへ、一時に父や母を集まらせた。ことに母は何とか云いながら、良平の体を抱かかえるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣く訣を尋ねた。しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、... ...
良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。"
■ 「ラストの段落はいらないのでは?」という疑問、の余地は、私には存在しないです。これがあるから読み始めるのかも。
■ 眠っていて、えんえんとあるく夢を実によく見てきました。実際にそうだった -- 駅を3つ分4つ分もあるいた、山で道迷いをして夕暮れまであるいた、など -- も何度も何度もありました。
■ あの日の良平のように"手足をもがきながら", "余りにも激し", "いくら大声に鳴き続けても足りない"ような思いで泣く(ことのできる)瞬間って、もう人生には、死ぬまで来ない。でも、あの細々としたひとすじは、死ぬまで続いている、ということ...。二十六の年の、校正の仕事をしている塵労に疲れた"良平"。人生のみこみや華やかなゴールなどこの生活のはるか先にあるのかどうかおぼつかない、という意識がふとよぎるとき、よみがえる記憶かもしれません。私にも意識できる気が、ちょっとだけ、します。
■ やはり短命県日本一という不動の覇者の地位を、他には譲り渡そうとしないのか...。
■ ら、動画がありました。チラシの4つのテーマに基づく4本のアニメ。どれも1分程度。
■ 軽トラのおじさんたちは、立ち話?してるだけのようです。
■ 動画は、他に、醤油・漬物などの塩分過剰、飲酒、について、ちゃんと(?)津軽弁のイントネーションで、笑えるけど、誰でも明日は我が身...。
■ 青森県が公表しているこのバーグラフを見ると、青森県民の40歳~69歳の50%程度がBMI≧25...つまり2人に1人が肥満なのですか!?
■ 昨日も、先週🔗9/11も、1万歩ほどあるいてここに日記を書いたのですが、車道は渋滞気味だったけど、歩道では誰一人ともまったくすれ違わなかったです。相関関係がありそうですか。