2025/12/30

■ つくる ■ 玄米がまた戻ってきて感謝

発芽させた玄米
(胚芽部分にぴょこんと
角が出ています)

米飯は、数十年来毎日欠かさず、玄米です。

 自分で発芽させています。簡単です。

 かつてはヨーグルトメーカーを使っていましたが、そんな電気代をかける必要などもとより無く、しかもその手だと水の交換がつい面倒になります。むしろ、夏も冬も、一日水に浸漬しさえすれば常温放置でよいです。もっとも、夏場と言わず冬も水の交換は頻繁にしています。

 目に見えて発芽していなくても、24時間程度たったものならばとっくに期待する効能は極大値となっているでしょうから、洗って圧力鍋で炊けばよいだけです(🔗2024/12/5)。

 今年を振り返ると、数十年来の玄米食がおびやかされ、ついに中断しました。私のような街場の場末の末端消費者など、米価高騰や米不足の打撃をまともに喰らいますので、玄米が手に入らないのみならず、米そのものが入手しづらくなりました。東京で暮らしていた1993年に直撃を受けた"米不足"と類似の体験でした。あのとき都心部(山手線内)ではまるっきりコメなど手に入らず、本当に悲惨な思いをしました。

 今回は気分を変えてパスタ5kg2袋を2回購入。これも数十年来大好きなイタリア産"バリラ"の#5と#3でした(ref.🔗4/13)。米の代わりの主食と位置づけて、ヘンに凝らずに毎日淡々と食べられるように、塩とオリーブオイルとつぶしたにんにくのみで通しました。それ以外の味付けではけっきょく食べていないまますべて消費しきったのですが、主食としてそれなりに美味しくて、たのしみでした。これはこのまま続けて、なるべく"コメ依存"を脱却したほうが、とも思っています。

 それと前後して、2,000円未満の備蓄米5kgを一度購入。同時期に5kg程度をちょうだいした幸運もありました。いずれももちろん精米されています。久しぶりに白米を炊いて、だいぶ勝手が違い、何度も焦がしたり...。

 秋になって、やはり玄米が良くて、5kg4,000円弱で2袋、地元の玄米を買いました。と同時に、安かった精米された備蓄米がまったく手に入らなくなりました。

 でもやっとなんとか数十年来のペースに戻りました。あいかわらず高額で、不満はないわけではないのですが、まずはホッとしました。

 水に浸漬し、胚芽からぴょこんと角(つの)?が出た皆さんを久々に見たときには、ほんとうにうれしかった!この気持ちは忘れないようにしなくては。

 お米は今後安定供給がなされるかというと、誰もがもはや不安になっているのでは。今年の騒動で、政治に対する不信感はもとより、JAや流通業者に対してのみならず、「うちは米なんか買わなくてよい/米の苦労などない」とこの時期にわざわざ煽るように嘯く農家や"貸付農家"(自己所有の水田の稲作を自身では行わない農家)に対して、国民の圧倒的多数派が、反感を持ち、分断の感情が深まったような印象が形成された年となりました。

 今は、でも、「さあ玄米を炊こうか」という際には、手元にいつものように存在してくれるお米に対して、素朴に、自然と感謝の気持ちが湧くようになった気がします。

2025/12/29

■ つかう ■ ジムニーにタイヤチェーン"イェティ・スノーネット"装着訓練-2


0℃前後の冷たいびしょびしょのみぞれ模様です。ま、悪天候なほど、"チェーン装着訓練"は実用的な訓練となりますので、むしろ"絶好の日和"と前向きに考えましょう。

 慣れないジムニーに、タイヤチェーン"イェティ・スノーネット"を、今度は雪上で装着訓練します。cf. 🔗12/7

 手がかじかんでいるうえ、スノーネットのラバー部分もかなり硬くて、製品開発者のお気楽な想定とはけっこうズレがありそうなコンディションです。

 ひとまず、スプリングワイヤーをアンロックし、できる限りスプリングを伸ばします。


 上部を被せたら、ロックし、車両をエンジン始動し、ホイールを半回転させ、かぶさった上部のネット半分を、ホイールの下に。


 両輪同時にセットせず、ていねいに片側ずつ作業したほうが吉。

 最大の難関です、力、コツ、ともに。アンロックし、スプリングワイヤを伸ばせるだけ伸ばします。体力勝負。

 ここからネットを少しずつタイヤの上半分に被せていくのですが、いきなり12時の位置にネットを上げようとせずに、"3時、9時"→"2時、10時"→"1時、11時"と、下から少しずつネットを奥に押し込みます。前回に比べて今回は雪で濡れているので、ある程度は滑りが良いですが、指先がかなり冷たく、かつ、ラバー部分は低温のために非常に硬く、滑りの良さは期待せずに、相変わらず少しずつ押し込む力わざです。


 12時の位置で、ホイールのインナー側に来るスプリングワイヤをトレッド面より内側に押し込むことができたら、ロックします。

 ロックは、グラブ装着のままでは、感覚がわからないので、素手で確実にロック位置にします。グラブは何度も脱着することを大前提に。ゆえに、アウターガーメントの袖口は絞り、その上から脱着容易な防寒テムレスで。

 ワイヤの円がちょっといびつな右リア。まぁこのくらいなら余裕です。


 ほぼ真円に近くジャストフィットな左リア。これくらいウマくいけば、これ以上懸念も確認もなしで走り続けられそうな装着となりました。


 念のため、100mほど、旋回とバックをし、降りて確認。ホイールの真円とほぼ同心円状にスプリングが締まりました。(トップ画像↑) 

 考えてみてください。吹雪のなかで、「やれやれ、無事に装着できた、もう安心」と、ぬくぬくした車内におさまって走り出して、100mか200mで、敢えてまた止まって吹雪の車外に出て確認する、などという行為は、非常に強い意志が必要です。でも、さらにその後の安全と快適のためには、必須です。"確認作業は必要"と、肝に銘じておくことにします。

 ハズします。スプリングワイヤを伸ばす際に、濡れた雪面に必ず膝を着くので、ニーパッドは必須。"お風呂マット"のようなウレタンフォームをカットしたものでも十分です。

 ホイールを前後いずれかに半回転させて完全分離。


 付属ケースに収納する際、やはりラバーは低温で固くなっているので、ケースに収めるには、温暖な地方にあるとぬくぬくした研究開発環境で製作した製品開発者は、想像力がまるっきり足りていないと考えて、そうとう覚悟して折り込んでから、ケースに載せ、力わざで収納します。

 少しずつ要領を得てきました。とりあえず、緊急時の"チェーン脱着場"(積雪が予想される青森県の山道の国道にはたまに設置してくれている道路脇の作業スペース)では、自分の技術的には、もう何とかなりそうです。ただし、ヘッドライトはクルマに標準装備したほうがよさそう。

 "亀甲型金属チェーン"より、正直言って装着には手間取ります。が、それを上回る大きな魅力が、かなりの高速域でも乗り心地よく安定している点です。積雪のアウトバーン(ドイツの高速道路)を行くドイツ車のシェアの大きさや、日本の救急車に採用されている所以です。

 雪道を四十数年運転していながら未だに臆病な私のような者のささやかな知恵としては、"凍結路面・吹雪・点灯時間帯"の状況下では、傲岸不遜な大型車やおキラクな乗用車(いずれの運転者も例外なく雪道での技術は未熟だと思います)が行き交う高速道路や主要国道を一緒に走るような蛮行は絶対に避け、山あいにさしかかったときこそ、敢えて高速を降り、主要国道を逸れ、チェーンを装着し、旧道で集落沿いの峠道に入り、ゆるゆると行く、という選択です。

 怖いのは、装備と経験があれば克服できる"雪道"ではなく、装備も経験もない前後の"運転者たち"です。私も含め、自戒します。

 さらに永く、使いこなしていきたいと思います。

2025/12/28

■ あるく ■ 河川敷のりんご畑


雪のりんご畑をあるきます。実は緊張。

 すぐそこ、クルマで5分もかからない、別に誰かに会うわけでもない、ふだんいつもあるいてはこのウェブログに書いてきた場所なのですが...。

 何年もずっと、"雪の中を、ひとり思索にふけりながら(?)、風をよけ、人をよけ(??)、現実世界から離れ、思う存分あるいてみたい"、と想い続けてきました。

 それにふさわしいうってつけの場所こそ、人の気配のなくなったりんご畑です。

 が、真冬の積雪期にりんご畑を徒歩であるくのは、雪が深く、絶対にムリです。

 クロカンスキーやスノーシューなら可能です。

 できれば自宅から最も近いところを、と考えたとき、思いつくのは、自宅からすぐの一級河川岩木川に架かる大橋を渡った対岸の河川敷の広大なりんご畑です。

 このエリアは、春秋には、河岸の葦野原に川霧が立ち込め、冬はさぞかし、現実から隔離された幻想的な雪原が広がるのでは...、と、何年も想像していました。

 が、そこは、広大すぎて、生まれてこのかた半世紀以上、地形が把握できずにいました。

 クルマで偵察するには、道幅は狭すぎるし泥濘で、天候の良い無雪期は、りんご農家が作業中で、偵察に細かい農道を入り込むと怪しまれそうで、足を踏み入れる機会はありませんでした。もちろん"砂利の農道の地図"なんて無いし、迷路そのものの網の目のような狭い軽トラの砂利の轍(わだち)は、徒歩で把握する以外に、把握する手段はありません。

 把握しないままで、天候がすぐ吹雪に変わりやすい真冬の曇天下の時期、太陽の方向がわかりづらい広大なりんごの樹海の雪原で迷ったり、うっかり川岸に近づいてあるくと、人知れず水没する危険もつきまといます。

 いや、そもそも、私の軽トラで、クルマの往来が途絶えた雪深いりんご畑の農道に踏み入るなど、そんな大それた雪道運転のテクニックが無いです。スタックしたら終わりです。近づくことすらできないでいました。

 時間にゆとりができた今年こそ、と思い、この春から、実は、いわば偵察を兼ねて、そろりそろりとあるき始めたのでした(🔗4/6以来)。

 今年は、このウェブログで何度も書いてきた通り、日数をかけ、毎回時間を取って、かなり奥深くまであるきまわりました。農作業中の人を驚かせたりしたときには、あえて大きな声で明るく挨拶し、「通らせてください」とていねいに頭を下げ、どこからあるいてきたのか、とか、運動不足だからさんぽの足を伸ばしてみた、など、ことばを交わし、理解を得るよう努めてきました。おかげで、幾人もの地元農家の方々に顔を覚えられ、気軽に挨拶してもらえるようになりました。

 りんご畑も白銀一色の世界となり、りんご畑からひとの気配がなくなった今日こそ、その成果を刈り取りましょう。

 銀世界となった今日初めて、ジムニーで、どきどきしながら、農道に踏み入ります。軽トラより200kg重い四駆で、トラクションはじゅうぶん。軽トラと同じ小さなサイズなので、テクニックのない私でも、ほそぼそとした軽トラの轍(わだち)を辿れそうです。その一筋の轍も、そのうち無くなります。"ここまではアスファルト、ここから砂利道なハズ"とわかるので、スタックの心配もなく万がいち他に軽トラが進入してきても邪魔にならない場に停め、クロカンスキーをそっと雪面に下ろしました。

 シューズを履きます。クルマがあると、思いのほか落ち着いて快適に装備品を展開し装着できます。クルマの快適さという文明の利器に少し驚きます。

 さて、ついにりんご畑の森に向かって、あるきはじめます。うれしい!広々と広がるりんごの樹海。ほそぼそと続いているはずの軽トラの砂利道も、もう線形は把握しています。


 今年の無雪期でじゅうぶん把握した地形をたどり、軽トラ1台もキツい細い道をかきわけて迷わず進みます。まだ雪は少ない方ですので、河岸に出て、水辺のすれすれをあるいてみます。

 もはや見慣れた河岸の風景。ここまで来ると、雪は膝くらいに深く、雪の下は濡れて柔らかく深い泥となっていて、徒歩でも軽トラでも、ついでに重量級のクマさんでも、ツボ足ではもうムリです。小型軽量の四足獣の足跡が無数に刻まれています。


 振り返ります。日常から離れていくのを実感します。


cf. 🔗真夏 8/15

 荒野が広がります...。


 祠の周辺は、鎮守の松林のおかげで、雪が浅いです。静まり返った良い風情です。


cf. 🔗8/15

 思った通り、りんご畑の狭い樹林を抜ける農道で、風をさけることができ、しかも、想像以上に静かな良いたたずまいでした。

 これから積雪量が増えるとどんなふうに雰囲気が醸し出されていくのでしょうか。ワクワクします。

2025/12/27

■ あるく ■ Jazz喫茶アイディア

これまた写真歴50年のM君の
i-Phoneで撮影

「帰途のついでだから」と、M君は、青森市から弘前市に帰る際に、また魅力的な提案をしてくれました。青森市のJazz喫茶discの帰途(🔗12/25)、帰りにもう一軒行こうというわけで、彼に乗せて来てもらっている私は何の異論もナシ。ゼヒお願いします!

 青森市のJazz喫茶diskから、彼の快適な4ドアセダンに乗せてもらって30km、黒石市のJazz喫茶アイディアへ。

 私にはまるっきり不案内な黒石市。初めて探して訪れたしても私など絶対にわからない城下町黒石市の一方通行だらけの狭い小路です。しかもお店の駐車場は"3台あり"の表示。うち2台は埋まっていました。3台って書いてあるのに2台で満杯なんですけど...。M君は小路をぐるりと回って建物裏の小路へと進入し、3台目のスペースに難なく停めます...。スゴすぎるテクニック...。毎日猛烈に神経を使う歯科医の彼の、休日の趣味は、ご夫婦でこのような穴場中の穴場を、全県規模で巡り歩くことのようです。それで休日の解放感が得られるならステキな話です。おこぼれに与っています、今日の私は。

 狭い間口からお店に入ると、昭和のアンティークなお部屋のようです。石油ストーブのにおい。

 ワッチキャップをかぶったおじいさんが愛想よく迎えてくれます。第二次大戦前後のアメリカン女声ヴォーカルが流れています。着席したら、「あったかいあっちの席に移ったらどう?」と言われ、移ります。とそのついでに、スピーカーを凝視します。外は激しくなってきた雪、ほんのり暗闇の店内にあって、ユニットはまるで見えませんが、エンクロージャは、ここでもまたしても手作りですね、こりゃ。

 マスターのおじいさんがカップを運んでくれた際に、「あのスピーカーの箱は手作りですか?」と聞いてみました。「おぅ、もうガタがきてるけど、治してくれる人も高齢化しちゃってもうムリかな。それを言うなら、ユニットもウーファのコーンがこ〜んな風にたるんじゃって、もうダメなんだけど、治せないんだ、カネもかかるし。まぁこのままうまくやるさ」と軽く明るく饒舌なおじいさん。「あんたが入って来たときには、こりゃこんな曲の方がいいかなと思ってさ」と、60年代のアメリカンJazzのピアノトリオに曲が代わっていました。ありがとう!たぶん私の顔に「ピアノトリオにしてくれ」と書いていたんですね。すみません。「でも中音域の女声ヴォーカルの方が、スピーカーの負担が少なくて済むからいいじゃないですか。」と私が冗談を言ったら、「なるほどそうだね、あっはっは」とおじいさんは笑っていました。

 M君に連れていってもらった弘前富田の"Groovin'81"(🔗10/31)といい、青森奥野の"disk"といい、ここ黒石の"アイディア"といい、皆なんて良いオーナーさんたちなんだろう!ふだん古い倉庫そのものの自宅に籠もってばかりで、'カフェでコーヒー'とは縁のない私には、なかなか泣ける体験でした。

 M君、生涯忘れがたい体験を、どうもありがとう!

2025/12/26

■ つくる ■ 豆の旨味- 黒豆

(a)
"腹割れ"しないよう
蒸しました
(本文ご参照)

ふだんたまに手に入ったり買ったりする"乾燥豆類"は、一晩水で戻したら、圧力鍋で蒸しただけ、味付けナシで味わっています。

 とくに、先日冬至の日に、ちょっと想像して、毎年のことですが、「今日はさぞかし多くのブログ的記事に、"今日は冬至 = かぼちゃを食べる日"というステロタイプがわんさか溢れ返ることだろうな」といつものように思ったのですが(🔗"津軽の一つ残し")、やっぱり...。

 そうした記事はどれも100%例外なく、

1) かぼちゃ(と小豆)を、どっさりの砂糖まみれにして甘く煮たものをアップしている、

2) ふだん食べているわけではないが、"冬至"のネタとしてアップしている、

という2点で、毎日とうてい続けられそうにない大量の砂糖摂取を勧めるぞっとするような不健康な調理食品を、この日に限っていかにも"我こそ日本の伝統を代表する"かのようにアップするすばらしい節操の持ちように、なんだか胃に悪寒がこみ上げてきました。それでも"煎茶とともに"は、なごみそうですネ。ツワモノになると"かぼちゃの砂糖煮には砂糖どっさりのインスタントコーヒー"の方も。中高生じゃなくておじいさんだったり...。摂取する糖分を想像しただけで、おなかがゆるくなってゴロゴロと鳴りそうです...。

 あの日(🔗11/10)にアップして以来、この冬至を機に、はっきり、圧力鍋で味付けせずに蒸したほくほくの豆の良さを痛感し、毎日じっくり味わうようになりました。

 豆の、栄養摂取という点、価格という点での、効率の良さは、貧弱な食生活の大学生の頃から意識していたものの、自分的には悲惨な歴史(;^^A...(ref. 🔗1/13)

 やっとここ20年ほどで、"圧力鍋"や"蒸し器(竹せいろ)"を使うような通常の人類並みの知恵がついて以来、まざまな豆を試してきました。

 先日友人に、「豆そのものだけ食うだなんて...」と呆れられたので、たしかに恥ずかしい原始的な食生活ではありますが、むしろ自分のメモとしてまとめてみようかなと。

---...---...---

 まず今日は、大学生だったウン十年前以来もっともつらい思いを重ねた"黒豆"。

 黒豆は、"甘露煮"という難しい煮方で味わう以外の味わい方を知りませんでした。自分ではとうてい作れないし、だいたいは年末年始に"おせち"の一種として味わう程度ではないかなと思います。

 その"おせち"の黒豆の甘露煮の印象は、"甘い", "堅い", "冷たい", "温めても堅い"、安い出来合いの黒豆甘露煮など、下手すりゃ大量生産の安い菓子パンみたいな炭酸水素ナトリウム(重曹)の苦味さえまとわりついていて、要するに、まずくてふだん日常的に食べ続けたいものではありませんでした。

 "黒豆の甘露煮"に関しては、いわば"老舗のブランド物"などもあるのでしょうが、庶民感情からは、極端に高額で、やはり日常的に口に入るものではありません。

 ならば自分で煮たほうがよいのですが、料理本やネット等で見るような、黒黒と美しい艷やかな甘露煮は、...私は確信するのですが...、他に仕事や日常家事などをこなす一般庶民が夕食の一品として思い立った日に煮上げるのは、選別すべき高品質な黒豆・調理技術・調理時間という点で、絶対に無理です。

 しかも非常に甘く、"夕食の一品", "月に1回"など日常感覚で摂取した場合、声高に強調されるような"まめまめしく健康的"なイメージとは裏腹に、その実態は過剰な糖分により不健康そのものでは? 

 ...などと、異を唱えるようや輩は、"日本の伝統を理解しない", "非常識な", "調理技術的に劣っている", と、レッテルを貼られるのが怖いですが、私は、異を唱えたいと思います。

 日本の美しい伝統たる"黒黒と艷やかな黒豆の甘露煮"など、乾燥豆の状態の不安定さの見極め・過剰な量の砂糖・異常な調理時間・細やかな配慮と経験の蓄積と、多くを要求する点で、一般家庭で春も夏も秋も日常的に食べ続ける意味など、まったく存在しません。

 裸の王様を褒めちぎるマネは、もうヤメてはどうでしょうか?

 通常の大豆は、より色白で美しく、より薄く破れない皮をもつよう品種改良が進んだのですが、黒豆は、要するに、"黒い大豆"であって、厚く堅い黒い皮のある垢抜けない"大豆の亜種"だと考えることにします。

 進んで、「切腹」を想起させるが故に日本の伝統からは忌み嫌われている、「腹割れ」、すなわち、"調理中に堅い黒い皮が破れて中身が露出することは醜いのだ"などという価値観。そのようなことなど、意に介さない、のみならず、有害な思想として、今は棄てることにします。

 それより、むしろ、"日本の美しい伝統を守る"アナタさ、"砂糖まみれ"という不健康なその"美しい黒豆の甘露煮"に、固執する値打ちがどのくらいあるのですか?

 "見た目の美しさ"が、"食べて美味しい", "健康的"という価値を抑えて付けて優先されるニッポンの美意識的な慣行から、自分は離別して、豆本来の旨味を味わったほうが良い、と、意識の転換を図ることにしました。

---...---...---

 さて、乾燥豆を水で戻します;

1-a) 黒豆は、水に長時間浸漬すると、黒い堅い種皮の水分含有より速い速度で、内部の胚乳部が吸水しますので、必ず"腹割れ"が発生します。日本の伝統"美しい黒豆の甘露煮"のためには、浸漬時間は12時間以内ではないでしょうか。(トップ画像(a)は12時間の浸漬)...こうすることで、日本伝統の"美しく"かつ"堅くて美味しくない"黒豆の甘露煮が可能となるわけです。

1-b) 私は、黒豆の浸漬時間を、"最低18時間、できればすべての豆が腹割れを起こす24時間"とします。(画像(b)↓)

(b) 
じゅうぶん浸漬し加圧して
腹割れしています

 水で戻したら、圧力鍋の中に、水と、豆を入れた蒸し籠を入れ、強圧で加圧します。もちろん調味料や味付けはいっさいナシです。また、水っぽくなるのを避けるために、"煮る"のは避けて"蒸す"ことにします;

2-a) トップ画像(a)は、加圧時間を10分に。腹割れを起こさず、かつ、なんとか胚乳部に堅さを感じないでふっくらした食感で食べられる妥協点で蒸しました。

2-b) 画像(b)は、圧力が強いFissler製で15分、最大圧で加圧したものです。豆のすべてで、皮は破裂し切り、白い胚乳部が黒い皮から出てこようかという勢いです。じ、実は、加圧時間を20分にすると、黒い皮が吹っ飛んで離別してしまっています。画像としてはあまりにも映えないので、ヤメておきます。が、旨みは、と言うと...。

 で、味の違いは? 

 明らかです。

 トップ画像(a)の、腹割れがないものは、やはり皮はまだ少し堅くて食感がイマイチ。お正月用のおせちの"黒豆の甘露煮"同様、皮をギュウギュウと噛み締め、中の胚乳部では、閉じ込められた水分のせいで、味わいが水っぽくて薄いです。

 他方、腹割れし切った(b)は、皮は水分を含み切って柔らかく薄く感じられ、白い胚乳部は、熱々状態では、破れた皮の間から次々と蒸発していく蒸気のせいか、その食感が、"ほろほろ"と"クリーミー"の中間くらい。なによりも黒豆に独特な香りと風味が、ハッキリ感じられます。大豆とはキッパリ違う濃い味わい、金時豆や小豆のようなデンプン質系ともまるで違うフレーバー、蒸し上がった栗と十分加熱した銀杏の実を合わせたような深い味わいがあります。「へぇ〜、こういう旨みなんだ!?」と思いますよ!

 これをじ〜っくりと感じ取れたからこそ、今日この記事を敢えて書きました。

 どういう食べ方をするかなんて個人の自由ですが、自由とは、"何をしてもいいこと"でもあるでしょうが、"束縛から逃れていること"でもあります。伝統的な"外観上の美しさ","砂糖漬けの甘さ"という固定観念をいったん置いて、豆に、吸いたいだけ存分に水分を含ませ、その含んだ水分子すべてを存分に蒸して膨張させるイメージで、熱々のところをほくほくと味わうと、その豆本来のおいしさが存分に味わえる、と、実感できることもあると思います。私の稚拙な表現の仕方にムっとなさっても、こころにゆとりがあるようでしたら、どうぞこらえて、よろしければ試してみてください。