■ カラリと晴れた昨日今日。日差しは強いのですが、乾いた涼しい東風が吹きます。旧南部藩地方(八戸など、青森県の右半分)は低温で天候不順、八甲田山脈を挟んで旧津軽藩地方(青森県の左半分)は高温晴天。つまり、典型的なヤマセ型気圧配置のようです。(🔗4/25)
2025/07/11
■ あるく ■ 岩木山高原の道
■ カラリと晴れた昨日今日。日差しは強いのですが、乾いた涼しい東風が吹きます。旧南部藩地方(八戸など、青森県の右半分)は低温で天候不順、八甲田山脈を挟んで旧津軽藩地方(青森県の左半分)は高温晴天。つまり、典型的なヤマセ型気圧配置のようです。(🔗4/25)
2025/07/10
■ 叔父逝去と思い出すこと
■ 叔父が逝去しました。M叔父さん...。
■ 銀行支店長を歴任してきた経歴...。とは、うらはらに、いつも朗らかで柔らかく、居る者すべての関係とその場の空気をすぐ読んで、事前にも、その場でも、入念に、即時に、軽やかに話を運び、結局は皆がこころから笑顔になる...。でも「あのときの楽しさは、彼の配慮だったのだ」と、たいてい、私たちの誰もが、ずっと後になって気づいたものでした。
■ 私の、覇気のない大学受験の頃、もらった気軽なあの一言。また、20代のほとんどを病床で伏せて過ごした後みじめに生きていた20代の終わり頃、もらった気軽なあの一言。あのときのあの一言のおかげで、私は、軟弱な意志の大学受験も、気持ちも病んで拗けていた病み上がり後の仕事も、安心して楽しめる余裕を得ることができました。
■ いずれの一言も、彼の仕事柄、広い世間で、調子の良い人・悪い人・天国・地獄の現場を目の当たりにし、考え、おそらくその豊富な経験から、私を励ましてくれたのでしょう、友人みたいな目線と口調で私に声をかけてくれました...
■ ...ということすら、ずっと後になってから、"あぁっ、そうだったのか!"と、気づきました。
■ 以上書いた、たった"2回の一言"のお礼を、彼みたいにさりげなく一言、彼に告げる...ことができないまま、機会は永遠に奪われました。
■ 今日の葬儀の、和尚の法要も、会葬経験の少ない私にとっては、出会ったことのない印象深いものでした。cf.2023/6/1
■ 和尚は、法要が終わり、立ち上がり、参列者に向き直り、「故人は私の母の弟にあたる方です。生前に数々お世話になったことを想い、せいいっぱい勤めさせていただきました...」と、個人的なこころからの想いを切々と話していただいて、皆、つよく胸をうたれました。
■ それほど叔父は、皆から慕われていたのだと、感慨をあらたにしました。
■ この和尚は、昨年11月にK叔父が亡くなった際も(🔗2024/11/19)、私にとっては"聞いていて意味などわからないお念仏のみからなる仏教法要"という"形だけの儀式"といった固定観念を軽く乗り越え、逝去した人を、参列者ら自らが、能動的に、しかしごく簡単に、お送りすることに参加できるような、実にじょうずな工夫をして、大いに参列者の共感を得、会衆に深い印象を刻みました。
■ 和尚の、配慮や経験や技量の懐の大きさがあってこそ...。これもあらためて実感しました。
2025/07/09
■ まなぶ ■ 角川書店ビギナーズクラシックス「万葉集 ~『二上山』」坂口由美子
■ 読んだうちの、ごく一部を、抜粋します。(以下最終行まで抜粋です):
天武天皇が崩御して一か月もたたないうちに、「天皇暗殺陰謀」の罪で大津皇子が捕らえられた。時に大津二十四歳。草壁皇子の安泰を図ろうとする皇后(後の持統天皇)の思惑が絡んでいたと考えられる。
事件の直前に、大津は、ひそかに、伊勢にいる姉の大伯皇女をたずねた。巫女である姉に神意を聞く気持ちがあったのかもしれない。
大伯皇女は十四歳から伊勢神宮の斎宮となり、すでに十年余り。斎宮とは未婚の皇女が神に奉仕する仕事で、天皇の即位ごとに選ばれる。母大田皇女はすでになく、神に仕える大伯皇女にとって大津は唯一の頼もしく愛しい存在でもあっただろう。
" 我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし "
一〇五 大伯皇女
愛しい弟を大和に旅立たせるとて、私はひっそりと見送ったのだった。夜更けにいつまでもじっと立ち尽くしていた、とうとう夜明けの露にすっかり濡れて。
" ふたり行けど 行き過ぎかたき秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ "
一〇六 大伯皇女
ふたりで行っても越えにくいあの寂しい晩秋の山を、いまごろあなたは、どのようにしてたったひとりで越えてゆくのだろう
訪ねてきた大津を都へ帰す時の大伯の歌。「大和へ遣る」には、帰したくないのに行かせる気持ちが現れており、大津を待ち受ける暗い運命を予感するような響きがある。晩秋の夜明けの闇の中に送り出し、茫然とそのまま立ち尽くしていると時が過ぎ、やがて未明の露がおりて着物もすっかり濡れてしまう。
あの人は今ごろ寂しい山のどのあたりを一人越えているのだろうと、闇の中、目を凝らし耳を澄まして愛しい人の姿を求めるのである。「秋山」には、死者の赴く所という意味もあり、不吉なイメージにつながっていく。
この直後に大津皇子は逮捕され、その翌日処刑される。
大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にて涙を流して作らす歌一首
" ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ "
四一六 大津皇子
磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死ぬのだろうか。
「雲隠る」は、死を意味する。大津の魂は鳥の姿になって、独りあてどなく遠い雲のかなたへ飛んでゆくだろう。そして、明日も変わらず、鴨は磐余の池に鳴くだろう。
天武天皇の崩御に伴い、大伯皇女は十二年間務めた斎宮を解任され、都に戻った。
" 神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ 君もあらなくに "
一六三 大伯皇女
伊勢の国にいた方がよかったのに。いったい私は何のために都に帰って来たのだろう、あなたももうこの世にいないというのに。
大津の死後一か月して詠んだ歌。都から離れ、斎宮としての厳しい日常の中で、弟の処刑の知らせは、現実味を伴わないものだっただろう。都に戻れば、もしかしたら弟に会えるかもしれないというかすかな希望。しかし、都に戻って残酷な現実を突きつけられた彼女は「何しか来けむ...」とつぶやくばかりである。茫然として打ちのめされる。
大津皇子の屍は、二上山に埋葬される。二上山は葛城連峰の山で雌雄二峰に分かれ、大津の墓所は雄岳の頂上にある。
" うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我れ見む "
一六五 大伯皇女
この世の人間である私は明日からは、この二上山を弟だと思って眺めていよう。
" 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに "
一六六 大伯皇女
岩のほとりに咲く馬酔木の花を手折ろうと思ったけれど、せっかく手折ったところで、それを見せるはずの弟がこの世にいるとは、誰も言ってくれないのに。
「うつそみ」とは現世のこと。半年近くたってようやく、大伯皇女は弟の死を現実のこととして受け止めようとする。生きている自分とは違う世界に行ってしまったことを自分に納得させようとする。しかし、頭では理解できても気持ちの切り替えは簡単ではない。馬酔木の白い小さな花を思わず手折ろうとして、無意識に弟に見せようとしていたことに気づき、はっとする。当時は、「死者に会った」と言って遺族を慰める習慣があった。しかし、大津は処刑されたのだから、誰もが口をつぐんで、言ってはくれない。
これら大伯皇女の歌には、何の技巧もなく、それだけ愛する者を突然、それも普通でない形で喪った人間の悲しみの深さが、切々と伝わる。
2025/07/08
■ まなぶ ■ 訂正しているんだけど...プラチナ万年筆ウェブサイト
■ 別に、プラチナ万年筆"アンチ"じゃないです、本当に。
■ でも、今回も、"¥"表記をつけてはいかが? 上のプレジデントは"¥38,500(税込)"で、下の#3776センチュリーは"30,800(税込)"。ウェブサイトのコード入力中にエスケープ・シークェンス処理されてしまったんですか。金額訂正後の今回もぶっきらぼうに"¥"ナシですね...。
2025/07/07
■ あるく ■ 柏-鶴田の土手
■ また蒸し暑い曇天の一日のようです。朝にあるきます。
■ いつもはクルマで通り過ぎる土手の上の道。途中で止まって、土手下の道をあるいてみます。初めてです。
■ 祠(ほこら)があります(トップ画像)。土手を挟んですぐ反対側が集落なので、地元の人には身近なのでしょう。ここで、地元の消防団の出初式や、河川維持点検車両群が駐車しているのを、何度か見たことがあります。
■ いつも気づく、ここの農家の方の几帳面さ。下草は常にキレイで、実すぐりの時期が早く、ハネた実はきちんとすべて拾っています。
■ ぶどう棚がありますね。農家が片手間にする家庭農園レベルですが、土地が広くて伸び放題。いいなぁ。







.jpg)











