■ 読んだうちの、ごく一部を、抜粋します。(以下最終行まで抜粋です):
天武天皇が崩御して一か月もたたないうちに、「天皇暗殺陰謀」の罪で大津皇子が捕らえられた。時に大津二十四歳。草壁皇子の安泰を図ろうとする皇后(後の持統天皇)の思惑が絡んでいたと考えられる。
事件の直前に、大津は、ひそかに、伊勢にいる姉の大伯皇女をたずねた。巫女である姉に神意を聞く気持ちがあったのかもしれない。
大伯皇女は十四歳から伊勢神宮の斎宮となり、すでに十年余り。斎宮とは未婚の皇女が神に奉仕する仕事で、天皇の即位ごとに選ばれる。母大田皇女はすでになく、神に仕える大伯皇女にとって大津は唯一の頼もしく愛しい存在でもあっただろう。
" 我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし "
一〇五 大伯皇女
愛しい弟を大和に旅立たせるとて、私はひっそりと見送ったのだった。夜更けにいつまでもじっと立ち尽くしていた、とうとう夜明けの露にすっかり濡れて。
" ふたり行けど 行き過ぎかたき秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ "
一〇六 大伯皇女
ふたりで行っても越えにくいあの寂しい晩秋の山を、いまごろあなたは、どのようにしてたったひとりで越えてゆくのだろう
訪ねてきた大津を都へ帰す時の大伯の歌。「大和へ遣る」には、帰したくないのに行かせる気持ちが現れており、大津を待ち受ける暗い運命を予感するような響きがある。晩秋の夜明けの闇の中に送り出し、茫然とそのまま立ち尽くしていると時が過ぎ、やがて未明の露がおりて着物もすっかり濡れてしまう。
あの人は今ごろ寂しい山のどのあたりを一人越えているのだろうと、闇の中、目を凝らし耳を澄まして愛しい人の姿を求めるのである。「秋山」には、死者の赴く所という意味もあり、不吉なイメージにつながっていく。
この直後に大津皇子は逮捕され、その翌日処刑される。
大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にて涙を流して作らす歌一首
" ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ "
四一六 大津皇子
磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死ぬのだろうか。
「雲隠る」は、死を意味する。大津の魂は鳥の姿になって、独りあてどなく遠い雲のかなたへ飛んでゆくだろう。そして、明日も変わらず、鴨は磐余の池に鳴くだろう。
天武天皇の崩御に伴い、大伯皇女は十二年間務めた斎宮を解任され、都に戻った。
" 神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ 君もあらなくに "
一六三 大伯皇女
伊勢の国にいた方がよかったのに。いったい私は何のために都に帰って来たのだろう、あなたももうこの世にいないというのに。
大津の死後一か月して詠んだ歌。都から離れ、斎宮としての厳しい日常の中で、弟の処刑の知らせは、現実味を伴わないものだっただろう。都に戻れば、もしかしたら弟に会えるかもしれないというかすかな希望。しかし、都に戻って残酷な現実を突きつけられた彼女は「何しか来けむ...」とつぶやくばかりである。茫然として打ちのめされる。
大津皇子の屍は、二上山に埋葬される。二上山は葛城連峰の山で雌雄二峰に分かれ、大津の墓所は雄岳の頂上にある。
" うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我れ見む "
一六五 大伯皇女
この世の人間である私は明日からは、この二上山を弟だと思って眺めていよう。
" 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに "
一六六 大伯皇女
岩のほとりに咲く馬酔木の花を手折ろうと思ったけれど、せっかく手折ったところで、それを見せるはずの弟がこの世にいるとは、誰も言ってくれないのに。
「うつそみ」とは現世のこと。半年近くたってようやく、大伯皇女は弟の死を現実のこととして受け止めようとする。生きている自分とは違う世界に行ってしまったことを自分に納得させようとする。しかし、頭では理解できても気持ちの切り替えは簡単ではない。馬酔木の白い小さな花を思わず手折ろうとして、無意識に弟に見せようとしていたことに気づき、はっとする。当時は、「死者に会った」と言って遺族を慰める習慣があった。しかし、大津は処刑されたのだから、誰もが口をつぐんで、言ってはくれない。
これら大伯皇女の歌には、何の技巧もなく、それだけ愛する者を突然、それも普通でない形で喪った人間の悲しみの深さが、切々と伝わる。

