2025/07/10

■ 叔父逝去と思い出すこと


叔父が逝去しました。M叔父さん...。

 銀行支店長を歴任してきた経歴...。とは、うらはらに、いつも朗らかで柔らかく、居る者すべての関係とその場の空気をすぐ読んで、事前にも、その場でも、入念に、即時に、軽やかに話を運び、結局は皆がこころから笑顔になる...。でも「あのときの楽しさは、彼の配慮だったのだ」と、たいてい、私たちの誰もが、ずっと後になって気づいたものでした。

 私の、覇気のない大学受験の頃、もらった気軽なあの一言。また、20代のほとんどを病床で伏せて過ごした後みじめに生きていた20代の終わり頃、もらった気軽なあの一言。あのときのあの一言のおかげで、私は、軟弱な意志の大学受験も、気持ちも病んで拗けていた病み上がり後の仕事も、安心して楽しめる余裕を得ることができました。

 いずれの一言も、彼の仕事柄、広い世間で、調子の良い人・悪い人・天国・地獄の現場を目の当たりにし、考え、おそらくその豊富な経験から、私を励ましてくれたのでしょう、友人みたいな目線と口調で私に声をかけてくれました...

 ...ということすら、ずっと後になってから、"あぁっ、そうだったのか!"と、気づきました。

 以上書いた、たった"2回の一言"のお礼を、彼みたいにさりげなく一言、彼に告げる...ことができないまま、機会は永遠に奪われました。


今日の葬儀の、和尚の法要も、会葬経験の少ない私にとっては、出会ったことのない印象深いものでした。cf.2023/6/1

 和尚は、法要が終わり、立ち上がり、参列者に向き直り、「故人は私の母の弟にあたる方です。生前に数々お世話になったことを想い、せいいっぱい勤めさせていただきました...」と、個人的なこころからの想いを切々と話していただいて、皆、つよく胸をうたれました。

 それほど叔父は、皆から慕われていたのだと、感慨をあらたにしました。

 この和尚は、昨年11月にK叔父が亡くなった際も(🔗2024/11/19)、私にとっては"聞いていて意味などわからないお念仏のみからなる仏教法要"という"形だけの儀式"といった固定観念を軽く乗り越え、逝去した人を、参列者ら自らが、能動的に、しかしごく簡単に、お送りすることに参加できるような、実にじょうずな工夫をして、大いに参列者の共感を得、会衆に深い印象を刻みました。

 和尚の、配慮や経験や技量の懐の大きさがあってこそ...。これもあらためて実感しました。