2025/06/30

■ すてる ■ 牛乳パック


  牛乳パックをリサイクル回収に出す準備として、開きます。


 200本近く溜まってしまいました。画像の収穫コンテナ8個分。数年分かと。

 カラになった牛乳パックは、あれば便利に使えるのですが、倉庫にあり続けても、火災保安上も衛生上も...。冬の"バラスト(?)"72本分も、春に水を捨てて、数か月間かけてじゅうぶん乾燥したので、そろそろまとめて処分しましょう。(cf. 🔗1/2)

 開くのがたいへんな作業です、が、やるしかないでしょう。

 牛乳パックのリサイクルは、法制度側や業界で期待したほど進んでいないようです。

 グラフは、牛乳パックの回収率の推移です(🔗日本乳業協会(一社)"牛乳パックのリサイクル~現状と今後~")。日本乳業協会では、牛乳パック回収率50%以上の目標を掲げていますが、到達せず、むしろ最近は下がってきています。



 直近2019年では、32%ですので、牛乳1本を買った国民の3人に2人は、ふつうの可燃ゴミとして廃棄していることになります。

 "約1,700市町村の住民1人が、1年に紙パックを市町村回収に出した量を横軸に、集団回収に出した量を縦軸にプロットしています。「全体」というところを見ると、年々左下に落ちています。直近の2019年では、市町村回収の紙パックは85gということで、1リットル紙パックでは約3枚弱、集団回収は2枚弱となっています。"


 住民1人が1年にリサイクルに出す量が、たったの2,3枚...。意外にリサイクルされていないのですね。

 一般家庭の生活人にはハードルが高い要因として、私見ですが、以下ではないでしょうか。
・じゅうぶん洗って乾燥させる必要
・切り開く手間
・市町村自治体の回収では、加えて、「キレイに紐でしばって」という要求 (私の地元の自治体...コレは、一般家庭にとっては、非常にテクニカルでキツい作業です)

 以上より、一般家庭にとって、牛乳を注ぎ終えたら、内部が濡れたままさっさと燃えるゴミに捨てた方が手っ取り早いでしょう。

 リサイクル回収された後も、
・工場にて、多くが、汚損品として失格となり、焼却処分に回される。
・牛乳パックは、紙以外に、パラフィンや、他にポリエチレンなど石油系素材との複合素材なので、リサイクルする際には除去する工程が必要、再生紙品質の不安定、ゆえに改めての純パルプ繊維混入の必要、など、リサイクル工程のコストやエネルギー消費量が大きい。

 牛乳パックのリサイクルは、多難なようです。

では私は、「可燃ゴミに出すか」「リサイクルに出すか」と言われたら、現時点の私自身の知識と境遇では、少しでも良い結果となってもらいたいという願いを込めて、スーパーのリサイクルゴミポストに持参します。あなたは?

2025/06/29

■ なおす ■ ゴマすり器 - "スリッキー"と電動品


■ ごますりと言っても、別に政治とか国際関係論とか組織関係などの何かの暗喩ではないです。

 ごまの消費量が、個人的に、人一倍...どころか、2倍、どころか...。数カ月おきに、業務用のゴマ1kgを購入し消費しています。これはやはり学生時代の上野アメ横で購入する癖がついて以来変わらず...。

 小学生の時、偉人の「伝記」を、たまたま図書室にたくさんあったし、片っ端から読んだなかに、道元禅師の物語があって、禅宗(というか昔のすべての仏教の寺院)では肉や魚を食べないんである、活力源となるのはゴマや豆腐なんである、ゴマ豆腐は仏教の厳しい教えに由来するんである...などと書いていました。そんな生活いまどきできるわけないし、偉人崇拝のきれいごとを並べたものが「伝記」なのは、小学生にしてうすうす気づいたいたので、ストイックな記述は話半分に読んでいました。が、「"ゴマ豆腐"ってなんだろうな」と、坊さんたちが豆腐をゴマの粉末だらけにして食う図が謎として残りました。

 大学生の頃は、食費節約のため、まぁろくなものは食っていないですよ。"外食"は論外な贅沢。肉や魚はどっか遠い国の贅沢品。で、野菜や豆の自炊です...あれ、今もそっくりそのままでは...?

 毎日大豆は煮方がわからず硬いままゴリゴリ食っていた他(🔗2023/11/17)、ゴマを大豆やごはんにふりかけてボリボリ食っていました...あれ、今も...いや、この点は、圧力鍋を使いこなすなどという人並みな技を使うようになって、おかげで生きながらえているようです。

 話は逸れますが、上の2023/11/17を見ると、大学生は、いや、若い時は誰でも全般に、やはり慢性的に金欠なクセに、趣味にはたっぷりカネを使う生き物だとつくづく思います。カネが無いといいながら、クラシックCDのグラモフォン(DG; Deutche Grammophon)の新盤の国内盤を買ったり、都響の演奏会に行くなんて...。とは言え、あの手この手で安く入手しますよね。CDは大学生協で予約すれば2割引きとか、友人のCDやLPやテープを借りる、文京区図書館のLPを借りる...。

 「カネが無かったから、中世ルネサンス期の希少な音楽やDGの最新アーチストの新盤を聴く機会が無かった」という命題は、若者にはあり得ない...。知識情報の触手を縦横に伸ばし、同好の士と必ずめぐり逢い、どんな手を使っても必ず入手します。食費なんか真っ先に削るでしょう。

 もし、上の論者の主張する命題が、いま仮に"真"だとすれば、その形式論理学上の対偶命題;「中世ルネサンス期の希少な音楽を聴く機会があったとすれば、その人はカネがあった人だ」も"真"となる...。ってことは、金持ちの若者はみな中世ルネサンス期の音楽と出会ったのか? 

 「若い頃、カネが無かったから"じゅうぶん勉強ができなかった", "欧州近代絵画に触れる機会がなかった", "万年筆を使えなかった", "オートバイに乗れなかった"」 は、あり得ない。 そうではなくて、ただ単に、若い頃、あなたは、それに知的好奇心が向かなかったけれど、最近になって知り、触れてみて、感動したというだけの話です。

 んで、あ、ゴマすり...。激しい脱線でごめんなさい。

 ゴマは、安くて、小学校のあの道元禅師の伝記以来、栄養価があると信じていました。

 ちなみに、日本で消費されるゴマの99.9%は輸入品です。今も昔も、アフリカ、中南米、東南アジア産で、収穫後の出荷に至るまで徹底的に人力集約型の農産品である上、政情不安地域で、価格が乱高下することで有名です。ここ数年で、現時点の価格は(白米ともども)、驚いたことに、重量単価ですと、ピーナツ・落花生(焙煎済み)をとっくに追い越して高騰しています。ピーナツを食っていた方が安い?

 学生時代から、トップ画像の「角大ゴマすり器;"スリッキー®"」を使っていました。コレ、製品化されてもう60年ほどの歴史があるそうで、私の大学生時代にはすでに、東京における入手性は良好でした。多くのホームセンターなどで、数百円です。今でもです。何個か次々と使い潰していました。ほかに選択肢はないです。


 ケース本体(透明プラ)が特有の、謎の形状です。こんな変な形、なんでなの?

 が、ごく単純な構造で、高性能です。

 大匙一杯からあふれる量をザっと入れて、一気にものの数秒で粉末となります。

■ この作業レベルに至るには、特有の緊張感と正しい構えが必要です...(なんだそりゃ? 自慢なのか?)

 7,8年ほど前でしょうか、何個目かのスリッキーがまた不調となりました。「不調→廃棄」となるポイントは、やはり臼刃の摩滅です。あの安物の胡椒挽きと同じです(🔗2024/6/12)。

 不調になるまでには、100回も200回も、ハブラシ・刷毛・食器用洗剤で、マメな清掃を繰り返しています。ま、構造は単純ですし、大きな手間ではないです。

 で、思いついて、panasonic製の電動のものを購入。5,000円程度です。


「単4電池4本とは大食いだなぁ」と思いつつ、使ったら、その馬力の強力さ?にビックリ。

「これは良い」と、使ってまもなく、本当に4,5日で、パワーダウン。もう電池交換か!?

 これじゃ1カ月に単4電池20本も使いそうです。

 充電池(ニッケル水素二次電池)にします。が、快調なのはほんの2,3回のみ。圧倒的に電圧が足りません。仕様がアルカリ一次電池4本直列だしなぁ...。可能なら毎日、充電池を交換したほうがよいです。

 また、電池交換直後でも、挽かれたゴマが出てこないことはしょっちゅう。高速で挽くせいで、摩擦により臼刃が高温となりがちで、油分の滲出が多いからです。挽かれたゴマが、内部でねばりついたり団子状に固まったりして落ちてこないです。

 内部の清掃を、非常に頻繁に、できれば1回使うごとにする必要があります。

 また、その分解洗浄には、慣れても20分は必要。スプリングやプラ部品の嵌合部分もあり、力とコツも必要です。


 使用後にかならず毎回、指を油まみれにしながら刷毛と歯ブラシと洗剤とぬるま湯で、この電気製品を分解洗浄しますか、あなたなら、いや、一般の消費者の全員が...。

 使い続け、メンテナンスし続けるのは、そうとうムリがあります。開発者は、やはり、掃除機や洗濯機の開発者同様、自分ではそんなものは使わない巨大企業の優雅な研究職の人たちなのでしょう。

 考えてみたら、家電製品って、何でも、多かれ少なかれそうです。ロボット掃除機や洗濯機から、シェーバーに至るまで。一般には、掃除機もシェーバーも、目立つ汚れを払うだけの、いい加減適当なお手入れですぐ次回使おうとするのではないでしょうか。

 生活家電製品は、マメな清掃・洗浄・メンテと電源管理を、徹底的にし続ける覚悟がなければ、手を出すべきではないです。

 で、このPanasonic BH-925P、がんばって7,8年使いました...。

 今日も、分解洗浄し、キレイになって充電池を入れて絶好調な動作を確認し、で、同時に今日、処分することに...。二束三文で個人売買サイトに出して購入希望者がいるかなぁ。

 今日から、新しい"スリッキー"にします。

 あ、そうそう、ダイソーで、スリッキーのパクリ品があります。


 数年前に購入し、分解し、"スリッキー"と比べ、非常に似た構造でしたので、色めき立って、大きな期待を込めて、使いました。


 で、その日、1回使って、キレイに分解洗浄して、捨てる予定でしたが捨てられずにいます。よければ差し上げますよ。

2025/06/28

■ あるく ■ 湖畔の木陰の道 - 森田六沢溜池


スッキリ晴れました。暑くなりそう...と、身構えていたら、お昼の気温24℃、湿度は40%で、風は強いのですが(風力5m/s)、初夏のさわやかさ。すばらしい。

 たまに、忘れかけていた道を...。田んぼとりんご畑を縫ってクルマで20分ほどの、旧森田村のりんご畑の森の迷路に。

 かつては、サイクリングがてら、もっぱらフラットバー化したロードバイク(→🔗2024/6/3)で行き、延々と広がるりんご畑の迷路をランニングしたものです。農道が舗装・未舗装併せて網の目のような迷路状に広がり、ランニングしたあとに自分のチャリをどこにデポしたかわからなくなって顔面蒼白となったことがありました。2014年から1年の労働日数が365日となり、以来まったく足が向かなくなってしまいました。じゃ10年以上ぶりですネ。

 迷路の詳細を忘れたので、記憶をたどりつつgoogle mapで下調べしてから向かいます。

google map

 今後の暑い季節にまた来れるよう、溜池の湖畔の、なるべく木陰のある道を選びます。

 軽トラがやっと通れる道ばかりですが、その分、農家のお昼休みの時間帯に出向くと、静まり返った緑の散策路を遠慮なく堪能できます。

 道の両端が溜池です(①地点)。とおる風が実にさわやかです。

①地点

北岸

南岸

 さらに細い道に入ります。やはり左のガードレールが湖岸となっている道です。樹林が密で手入れもほぼなされていないのですが、湖畔というのは風がよく通る地形ですので、虫も煩わしくなく、涼しい木陰の小径となっています。

②地点

 気持ちの良い道を思い出しました。これから少しずつ迷路を解きほぐしていこうと思います。

③地点

2025/06/27

■ あるく ■ 河川敷のりんご畑の道


強い雨は1,2日で上がりました。曇りがちですが晴れ間も見え、いずれにしても強い風と蒸し暑さが残っています。年来もう"降れば土砂降り、晴れれば酷暑"。これから2,3カ月続くと思うとめげそうです。

 強い風雨でないならば、私など、こもりがちな生活をしている以上、やはり少しでもあるいて、体力を維持しましょう。お昼休みに、図書館往復の経路としてまた1時間30分。

 6月の入りに除草した河川敷も、もう豊かな緑の平原に...。(トップ画像)

cf. 🔗6/9

 水辺の道も、葦の密林となり、背丈をとっくに越えて迷路状態ですので、あるいていて閉塞感。虫も愉快に飛び回るので、自転車用のゴーグル(透明サングラス)を着用しています。


 スッキリと見通しの良いりんご畑の砂利道は、気持ち良いです。


 土手を登って集落側に降りて、遊歩道を歩きます。

 何かいます。


 大事な道具は、木陰に寄せて休ませて、持ち主はお昼休みに帰宅したんですね。

2025/06/26

■ まなぶ ■ 万年筆のネーミング 3:プラチナ-3


まだ続ける気? の、このシリーズ。どれも「ステキだ」という個人的感想よりも、「なんだか斜に構えた見方」で、自らわざわざ気が重い話を続けて...ごめんなさい!このくらいにしておきます。

 十数年も前の話ですが、あの"#3776 シャルトルブルー"(🔗6/22)に引き続いて、1,2年経た頃に、"#3776 ブルゴーニュ"が新発売されました。きれいに透き通る赤い軸です。

 赤いペンは、透き通った青い軸のシャルトルブルーのようには、自分では惹かれないです。そもそも軸の色で万年筆を買いたくなることは無いです。むしろ黒以外は、書く際に気が散るので敬遠するたちです。

 ここでも、プラチナ社は、その色を、「赤」と表現せず、「ブルゴーニュ」と表現。

「赤」より、たしかに少し暗みがかった「紅」「赤紫」...、いやそれじゃぁ商品として売れそうにもないので、シャレたワインの表現でしょうか。んじゃ、「ワインレッド」じゃだめなのかな。やはり月並みですか。

 Wikipediaのチャートを見ると、たしかに、色の名前として「ワインレッド」「バーガンディ("ブルゴーニュ"の英語読み)」「ボルドー」は、違う色としてJIS規格が定められています。

Wikipedia

 でも、「この万年筆の軸の色はむしろJIS慣用色名"ワインレッド"に近いんじゃ?」なんて、そんなこたぁどうでもいい話で、 要はイメージが大事だということでしょうか。

 また、おひざ元のフランスのアマゾンで見てみましょう。関係ないですが、送り先は隣国ドイツにしました。(コレ設定しないと"国内の住所コードを入れろ"と言われて次に進めないので)

Amazon Fr

 やはり"#3776 シャルトルブルー"と同じく、商品名は英語で"3776 Century Gold Trim Bourgogne"で、その色名は、"rouge(赤)"と表記されています(青い下線は私が引きました.
トップ画像も)。

 う~ん、やはりもやもやしてきました...。(← もう付き合いきれないでしょうから、個人的なこころの病だと思ってください)

 さてところで話は変わりますが、ワイングラスをチョっと見てみましょう。いまどきは、どこの百均ショップでも、じゅうぶん高品質でステキなワイングラスが220円もあれば購入できます。が、あえてココで見栄を張って(?)、リーデル社製を見てみましょう。

Riedel Website

 ↑の左がブルゴーニュ型ワイングラス、右がボルドー型ワイングラスです。これはリーデル社の製品に限った話ではなく、ワインの特質からくる形状の違いで、世界中で共有する型式の分類です。...左のブルゴーニュタイプを見るとつい甘い香りが漂ってきたり、右のボルドータイプを見ただけで渋みでつい両頬がキュっと痛くなってくるような人は、いいかげん、酔いを醒まして、本心に立ち返り、人生の正しい道を歩んだらどうですか!? (...これを"ブーメラン発言"と言うとか...。)

 ここで、プラチナ万年筆センチュリー#3776ブルゴーニュの、販促画像を見てみましょう;


 ステキなイメージですね。おや...


 グラスが、こうで...


 うっ......

 思わず目をそむけてしまった...、のが、発売当初の十数年前...。

 プラチナ万年筆センチュリー#3776"ブルゴーニュ"の背景画像は、"ボルドー"グラス...。

 ム、ムリです、もう...。まるで、漆塗りの汁椀に、抹茶と砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜて飲む人がニッポン文化を語るような違和感があります(どういう譬えだ!?)。

 "シャルトルブルー"や"ブルゴーニュ"などと言ったネーミング...。いずれ破綻をきたしそう 波乱が立ちそうなのは、自分的には明らかでしたが...。

 プラチナ社は、インクのラインナップは実直で良心的だと思うのですが、やはり50年近くも前の高校時代から、その万年筆に付着させたイメージに、あの、その...。うぅ、ここでも、またしても...(🔗6/16)。

 万年筆のネーミングの悲惨さ壮大さと言ったらもう、プラチナだけの問題、国産3社の勘違いなセンス、というわけじゃなく、たとえばリーディングカンパニーであるモンブラン社製でも、そのトップブランドの#149や#146のさらに上に、富裕層やコレクター向けの特別限定版として、「パトロンシリーズ」「女優シリーズ」「作家シリーズ」などという、ごてごてと  目玉の飛び出るような 驚くほど壮麗な貴金属宝飾を施したシリーズがあり、なかなか魑魅魍魎な世界のようすです。

 でも、メーカー側で付けてよこした名前なんかにいちいち拘泥せずに、自分の労働の対価として得たお金のいくばくかをさき、手に入れ、日々実用に供し、手入れをし、長年愛用している、という人こそ、やはり、色だ形だ値段だのにかかわらず、人類としては、もっとも天国に近い人だと思います。私などは、今月だけで5回もつべこべボヤいていますので、地獄の沼から蜘蛛の糸にすがって、極楽の蓮の池の底の水の輝きを永遠に眺めている立場だな、とボヤけばボヤくほど、自分の情けなさを実感するありさまです。

2025/06/25

■ あるく ■ 土手の道


どんより曇って蒸し暑いです。気温はついに30℃を超えました。まだ6月ですのに。東北地方の南部より以南では豪雨だそうで、被害が広がらないように祈ります。

 土手の上の道。右が河川敷です。そのさらに右手に位置する対岸が、いつもの"河川敷に広がるりんご畑"です。いつもはあるかない道ですが、土手を除草してスッキリしたようすで、つい足を向けてみます。この区間は車止めがあって、徒歩か自転車しかとおれない舗装路です。いまは見渡す限り人影が無いようです。


 すぐ水位計が目につきます(トップ画像)。遠目には小さなポールに見えるでしょうが、巨大です。ベース部分は、海抜9mほど。柱の上端は13mの表示ですので、柱は4mの高さ。2階建ての家より少し低いか。


 2022年8月の豪雨では、この水位計の先端が水没しました。今あるいている土手の上の舗装路とほぼ水平状態、画像の緑色の大橋に濁流がぶつかっている状態になったようで、ほんとうに怖い思いをしました。

 暑い時期になると、雨と川の増水におびえるハザードマップをもつエリアだというわけです。

 見晴らしの良い土手をあるき、いったん降りてJRの鉄橋の下をくぐり、線路と並行する別な橋を渡ると、この川の中州に出られます。車止めがあって、河川管理用の舗装路が1本貫いています。

いつもの大橋の上から見下ろした
中洲の道(河川管理用)
🔗 6/7

 が、いずれ舗装は切れ、藪の未舗装路となり、行き止まり。で、地形はそのまま川に落ち込みます。人もクルマもまったく往来のない、うっそうとした緑に囲まれた中洲の道。ここも草が刈られたばかりでスッキリしています。


 そのままいま来た道をもどります。いつもとちがう道、見晴らし良く視野の広い道をあるきたかったというだけでした。まもなくまた草ボウボウの密林になりそうです。あるけるのは除草直後の今だけでしょう。

いつもの大橋を見上げます

 往復1時間。どこをあるくにも、そろそろ水を携行しないといけない季節ですね。

2025/06/24

■ あるく ■ 遊歩道のぶどう


涼し気なぶどう棚...に見えます。新梢はAccolage(Fixation)がなされています、が...。


 あの遊歩道の"路上ぶどう園"だったのでした(🔗5/24)。実は遊歩道沿いの何か所にも連なっています。りんご農家の軽いジョークでしょうか。


 好天続きと適度な雨で、すくすくと生長していますね!お気楽な構図ですが、健気な姿に笑いがこぼれてしまいます。

 りんごは、Éclaircissage (des pommiers), 津軽弁では「実すぐり」が始まった頃です。


 が、気の早い個体は、うかうかしている間にVeraisonの段階に...。春先のTaille(春期剪定)に次いで、農家の技量が試される「実すぐり」。りんご農家は、なかなか気が休まらないことでしょう。

2025/06/23

■ あるく ■ 菊が丘公園


 昨日までのまとまった雨も今朝は上がりました。どんより曇って湿っています。ひんやりとした風はあり、気温24℃。お昼休みに近所の公園をあるきます。


 それにしても、冬の光景と比べると、まるで別な土地のようです。

🔗 1/17

■ いつ見てもポプラは季節を問わずすがすがしい立ち姿です。遠い目...。籠って本とPCの近視な生活に、少しは快活さを吹き込める気がします。


🔗 2/6

 花菖蒲は、もう盛りを過ぎてしまいました。ずっと見てきてはいたのですが、今年もここに画像を残せなくてちょっと後悔。



 この、ただの藪の画像は、何を言いたいの、と言うと... :


 冬はステキなスキーの散策ルートに。想像もつきませんが。

🔗 2/6

 せせらぎ、とはいえ、散策路のための人工的な水路なのですが、水の流れは、目にも耳にも気持ちが良いです。右の茶色い壁は図書館。

 だいぶ気分転換になりました。近くにこんな公園があることに感謝。