2024/10/30

■ なおす ■ 古い雑誌をスキャンしてPDF保存


定期購読の古い雑誌。7,8年前のもの3年分72冊を発見してしまいました。大部分は読みもせず開封すらしていない...。

加えて悪いことに、パソコン(PC)雑誌なので、内容もとっくに古くてもう浦島太郎的存在...。たとえば、Intel CPUで言えば、現在は第14世代Raptor Lakeの時代ですが、この雑誌は第8世代Coffe Lakeの時代のもの...論外です。と、最先端を行きたい発言をしながら、イマ自分の快調に動作しているこのPCは、なんと第3世代Ivy Bridge!。i7ですので、私程度のレベルのブラウジングや表計算や画像処理など余裕でこなしています。

いちばん悪いのは、放置していた自分です。発見しなかったことにして、そのままそっと捨てる...より、いっきに読んで捨てたいです。「新製品記事」など、見た瞬間、紙ゴミの値打ちしかないですが、でも連載記事のなかに、楽しんでスキルアップに役立ちそうなものがありますので、それだけ拾って読みたいです。

そこで当初、裁断してその記事だけ拾い上げて、あとは捨てよう、と思って、まず1冊、裁断し、目的の記事の数枚を抽出したのですが、取りかかってみると、「裁断>時系列に整列>その記事だけ脇によけて」の作業が、なかなかたいへんです。


裁断機の他に、ADF(自動紙送り)付きスキャナがたまたまありますので、いっそまるごと3年分スキャンして、この際、裁断機もスキャナも、めいっぱい酷使しましょう。トップ画像は、すべての本の背を裁断したところです。

枚数を計算したら、1万1千ページくらいありそうです。

非常に薄い紙質が撚れやすく、スキャナの内部でローラーに巻き込まれてぐしゃぐしゃになることも頻出し、格闘した累計7時間...。この行為に価値はあるか疑問に囚われます。


スキャン後のPDF上での、補正の編集が、これまたたいへん。

何とか体を成しました。連載記事の抽出も一つ試してみました。

いったん全ページをスキャンすると、PC上での抽出作業は、やはり各段にラクのようです。ふぅ、たいへんだった...。

でも、PCを操作しながら学ぶ楽しみが増えました。

2024/10/23

■ なおす ■ 室内断熱に農業用マルチシート


今日は明け方から夕方までずっと雨で、暖かく、15時の気温22℃。とはいえ、もう朝晩の気温は例外なく1ケタ台です。

防寒のため、昨年同様(🔗2023/10/19)、間仕切りの無い倉庫然とした自宅居住空間を、農業用マルチシートを養生テープで貼りつけて、仕切ります。

毎年10月下旬に貼り、5月上旬に撤去、の繰り返しです。マルチシートは毎年使い切りで、新しいロールから切り出して貼ります。撤収した使用済みシートは、実は、野営でのグランドシートとして使いまわします。泥や草や露にまみれても、汚れがひどければ処分し、乾いていればまた野営で。私は農家じゃないのですが、断熱性と水密性がよく、重宝しています。

昨年も書いたのですが、狭く小さな空間に仕切り、暖房効率が良く、昼もほの暗く、デスクの照明をつける時間が長いです。ゆえに、冬に机に向かうには、暖かくて狭くて集中できて、居心地は良いです。

他方で、下図のように、ビニールハウスに住んでいるみたいな「見た目」が致命的欠陥です。照明を多くつけるほど、明るくするほど、テラテラと安っぽい空間に包まれているのがありありです...。


 これを隠すには、ロールスクリーンを部屋側に下ろして、ファブリック素材が目に入るよう工夫しています。解決(;^^

2024/10/22

■ なおす ■ ブラウン管TVの廃棄処分


倉庫の奥底に、ほこりまみれのブラウン管TVが...。1978年昭和53年下期製造。

■ ニコニコ動画のキャラみたいな外観ですね。視聴して楽しみましょう...って、ム、ムリです...。

 廃棄処分しましょう。正しい処理法は、家電リサイクル券を役所や郵便局で購入し、処分場や処分業者に自分で持ち込むことです。郵便局に出向いて数千円支払い、しかも自分で廃棄物処理場や処理業者まで運搬する義務があります。

私個人は、一人でTVを廃棄処分しようとするのが、これで3回目です。

1回目は、大学生だった昭和末期の時代。先輩からもらったというか押し付けられたTV。(コレ→🔗2023/12/04とは違います。それ以前にもらった別な個体)。TVは見ない習慣だし、電源を入れて見ても5分で飽きたので、できれば捨てたいと思いましたが、どう処分すればいいかわからなかったので、友人に聞いたら、彼の取った手法は、力任せに徹底的に破壊して粉々にして、ドサッと燃えないゴミに出せばいいんだよ、と豪快なアドバイス...。昭和の東京都では、そのまま収集ゴミとして持って行ってくれたようです...。

マネしました。下宿の、放置されたような裏庭で、金づちでブラウン管をたたいたら、ドカーン!と盛大に爆縮し、破片が飛び散り、ガラス片が顔やら髪の毛やらTシャツの中やらに...。

下宿の主であるおばさんやら他の下宿人やらがビックリして飛び出してきて、叱られてボコボコに非難されました...。そのままにはできないので、結局みんなで私の尻ぬぐいのために、破片を拾い、さらに細かく破壊し、袋詰めし、あとは私一人で暗くなるまで後始末して庭をキレイに掃いて、皆に謝り、ほうほうのていでよたよたあるいて銭湯にたどり着いて人心地ついた記憶が。

2回目は、20年ほど前、実家のこの倉庫に、間借り人がいて、その人が退去したあと、古いTVをはじめ、ストーブやらじゅうたんやら漬物樽やらを置いていきました。おばあさんだったので、退去後の新居にまで押しかけて責めるわけにもいかず、私がすべてキレイにしました。

そのTVは、学生時代の苦い経験から、その頃すでに制度化されていた現在のリサイクル制度にもとづき、私の負担で電気店で処分してもらいました。露骨に拒否されイヤな顔をされたのですが、制度制定当初の当時は「最寄りの電気店が引取窓口」だったので、そのことを言って、他人のTVをただ棄ててもらうためだけに私が4,000円という高額の処分料を負担して、電気店に頭を下げて、やっと引き取ってもらいました。

このときは、今度は私が他人の尻ぬぐいをしてお金を払って頭を下げて...学生時代のツケだろうかと思い、こらえました。

さて今回。いくら電気工事士の資格と免状があろうと、個人使用のTVであろうと、個人でブラウン管TVの解体廃棄しようとすることは、法制度の建前上は良くないことですが、過去2回のツラい思い出からして、断固として徹底的に分別解体します。

作業の方針は2点。

1) 徹底的に細かく分別解体し、キッチリ分別して収集ゴミの日に出せるようにする。

2) 巨大な真空管であるブラウン管の爆縮を事故の無いよう回避する。大気圧の与圧作業後に、破砕し、その後ガラスと金属端子を、ミリ単位まで分別する。

大学生レベルの知性があるなら、昭和のあの頃の時点で、そう留意すべきだったんですよね。ゴミ分別という意識がデキていなかったんですね。

まず、作業スペース確保と清掃。工具準備。電動ドリルのビットは絶縁ビッドに(通電も蓄電もしていないんだから、コンデンサもトランスも考慮する必要はないし、不要なんですが、気持ちの問題です)。シリコンゴム手で解体し、革手で破砕。


次に服装。ワークマン製ナイロンヤッケの上下、そのフードをかぶり、ヘルメットとセーフティゴーグルと防塵マスク。ヘッドランプも。安全靴...はナイので、登山靴!

人さまにはとうていお会いできない不気味な服装となりました。倉庫内で作業します。

ネジ部に潤滑剤を浸透させている間に、筐体をウェットウェスで清拭。私自身は使ったことが無いTVですが、父が、コレで、一人の時間を楽しんでいたようです、もう40年ほども昔...。思わずチョっとていねいに拭き掃除してしまいます...。


あとはひたすら、ネジというネジを外します。昭和の全盛時代の東芝の精密設計とていねいな組付けを感じます。三次元空間に複雑に実装しているので、電動ドリルより手回しのクロス2番のボールドライバの方が小回りが利いて速いです。ニッパとラジオペンチで、基盤のハンダ箇所を見つけて配線を次々と切断していきます。46年前の東芝の組付け工場の手作業のはんだ付けの手際よさに、ついマジマジと凝視したい気になります。が、組付けた人にこころの中で、感謝し、謝って、どんどん切断しましょう。

どこもまったく力を加えることなくハラハラと解体でき、プラ筐体、基盤、配線、ブラウン管本体と、分かれてくれました。ネジや端子類は、外すごとに、牛乳パックを切断した小皿に次々と放り込んでまとめます。

ブラウン管の大気圧平衡作業。ゴーグルとヘルメットと革手をし、袋で二重に包み、段ボールに入れて、電子銃先端付近をガムテープで保護し、手持ちの片口玄能で軽く押すように叩くと、缶飲料を開けるようなプシュっという小さな音で与圧できました。


あとは、ブラウン管の正面蛍光体付近に、片口玄能の尖端を軽くあてると、小さな音でパリンと割れます。袋の上から静かにまんべんなく叩いて破砕。かなり小さい破片になりました。金属端子を取り出し、キャベツ1コ程度のサイズに破砕できたガラス片はそのままさらにポリ袋に包み、「割れガラス」として市の「燃やせないゴミ」収集の日に出します。


爆縮で大騒ぎしたあの頃って...。野蛮人だった時代...。

プラスチック筐体は、破断のために、電動レシプロソーを用意したのですが、TVの寸法が小さいので、履いている登山靴で踏んだ方が早いと思い、これもビニール袋で包み段ボールに入れ、その上から踏むと、破砕できました。素材にはある程度紫外線劣化があったでしょうが、現在のものよりプラスチックが肉厚で、まだまだ素材の弾性粘り強度も残っていました。結局「プラスチック・リサイクルゴミ」収集の袋1つにコンパクトに収まりました。

配線類や端子類は、伸ばしてニッパでキレイに両端を切って、鉄・銅・コード線・ケーブル線など、素材別に分別し、数カ月来続いている自転車部品の処分と合わせまとめて廃棄物業者に持ち込めば、少額ですが買い取ってくれます。だいぶたまってきました。

今回は静かに(物理的に、のみならず、気持ちの点でも)、また短時間で、何事もなかったように解体できました。

感じたのは、昭和製は、やはり頑丈と、再認識したこと。基盤実装の設計技術は隔世の感はあれど、設計思想や現実の組付けには、「数年で捨てて買い換える」という発想は無く、「修理さえ重ねれば長く使えるように」という思想を感じます。また、さらに感じたのは、こういった思想や製品を糧に、自分は育ててもらったんだと、感謝して廃棄する気持ちにチョっとなったこと、でしょうか。


2024/10/21

■ なおす ■ 炭火


炭火が、ほっこりとなごむ季節になりました。

過日訪れた盛岡薮川の岩洞湖(🔗2024/10/18)は、今朝はついに0℃だったようです。

青森県の私の自宅も今朝は3℃。

りんごの剪定枝を使う薪ストーブは、この界隈のりんご農家ではごく一般的に普及していますが(🔗2023/03/28)、炭火は、さすがに青森県のいなかだからといって、暖房としては一般的ではありません。

何年か前から、意識して、火鉢と七厘に親しんでいるのですが、暖を取るためというよりも、冬の雰囲気を楽しむため、一種のこころの贅沢です。

贅沢とはいえ、使う炭は、ご覧になっておわかりの通り、分相応にお安いオガ備長炭です。岩手切炭のような黒炭すら私には手が出ない過剰な贅沢です。ホームセンターのオガ備長炭は、それより少しお安く少し長持ちします。

七厘は、どうせ使うなら炭火焼き調理の熱源にすればよいものを、定番の「さんま」や「焼肉」は、私の生活水準では手が出ないので、調理にも使わずじまいです。

■ 60年ほど前の鉄瓶で湯を沸かして、まる~い味わいの白湯を、白磁で飲むのが、ささやかな贅沢です。

2024/10/20

■ あるく ■ クリニックの待合室


いっぱんに、個人の開業医さんのクリニックの待合室って、どんなイメージですか。

診療科を問わず、たいていは、平和な自宅にいるようなこじんまりと居心地の良さげなお部屋。翻って、地域中核病院などといった大病院の待合室は...。最近は、茫漠たる巨大空間でありながらも、居心地よく配慮されています。

いずれも、存在し、自分を受け入れてくれる/医療を受けられる、というだけで、ありがたいです。唯一、私がつらいのは、どこにでももれなく備え付けてあるTVの大音量と大画面。大病院はこれにエアコンの轟音と機器類の高周波を浴びせかけられます。

TVを見なくなって数十年、その存在する空間に入るだけで、閉塞感がキツいです…、って、この時点でこころのケアが必要でしょうか!?

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過日、高校時代からの友人Sクンを訪問。朝、八甲田連峰をロードスターでゆっくり横断して4時間ほど。昼過ぎにたどり着きました。

あらかじめお願いして、彼のクリニックがお休みの日に、その待合室で、2人で2時間ほど、とりとめのないおしゃべりを。

クリニックは、こころのケアを望む人に開かれています。その空間が、実にステキです。

Sクンのクリニックが開いてもう十数年。ゆっくり話を聞いてくれる彼の人がらと職業が合っているのでしょう、訪れる人は増える一方のようです。と同時に、クリニックを設計した建築家さんも、明るく天井が高くすがすがしい空間を考えてくれたようです。

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話は突如転じるのですが、私が大学の頃がバブル時代の東京。「3か月間入院しては2か月間6畳一間の下宿で細々と...また体調を壊して検査結果が悪化して3か月間入院しては...」、という生活を繰り返してはいたものの(🔗2023/9/23)、企業用途で欧州語の入力(貸与された電動タイプライターで)や大手予備校の採点講師といった、いずれも在宅アルバイトで、独りでごはんと納豆を食べていく分には(?)十分にもらったので、身分不相応なステレオアンプSansuiのAU-D907系を、御茶ノ水のオーディオユニオンにて中古で購入(そんな物買うより栄養のある物を食えよって?)。

中古だけど高額で支払いきれず月賦払。コレを20年近く使ったある日、ついに、また身分不相応なことにAccuphase製品に買い換えました。やはり中古だけど支払いきれず月賦払。

Sansuiの旧品はリヤパネルが純銅製でしたが、故郷の青森県の実家の倉庫暮らしの自室の湿気で、一面青錆だらけに。放置していたところ、Sクンの目にとまったので、贈与。彼は喜んで持ち帰りました。

この錆だらけのSansuiのアンプが、年来、医師(で、たぶん高収入)の、彼の愛用品だったようです。が、クリニックにほど近い彼の自宅を建てた際に、ついに彼もDenon製の新品に買い換えたようす。

さて、十数年前に、初めて、遠いかの地にある彼のクリニックへと、日頃こころとからだの不摂生をしている私も、ちょっと診療科は違うかもしれないのですが血液一式検査をしてもらおうと、遠路はるばる検診に訪れました。

吹き抜けの待合室に一歩踏み入ると...。ごく小音量ですが解像度の高いすがすがしい音がするヘンデルのリコーダーソナタにびっくり。広く明るくほの暖かい、この空間...。静かに待つ患者さんたち...。かすかにゆらぐ空気のように流れるごく小さな縦笛の音...。夢見心地の快適さです。

いったいどんな高級な業務用音響機器を使っているのか!?と、診察時間終了後に拝見させてもらったら...、

あっ!あのSansuiを、クリニックの待合室の音響装置として使用していたのでした!

以来、だいたい年に1回、あの待合室に身を置きたくて、訪問しています。でもその都度診察してもらう必要性も、まだ(?)なさそうですので、わがままを言って、「クリニックがお休みのときに、あの空間で1,2時間のおしゃべりを」とお願いしています。

今年は2回もおじゃましました。まず、3月末に訪れました。

春進む3月の休日の昼さがり。小音量で佐藤豊彦のリュートの音が、花びらのようにハラリハラリとこぼれていました。

 夕刻に秋風の吹き始めた先日には、小音量でホルディ・サヴァルのヴィオールのため息が...。膨らんではしぼむボウイング(運弓)で、この世ならぬ旋律が近づいては遠ざかるかのようです。やはりこの空間にゆらぐ空気のように流れていました。


空間の設計思想が、なんとなく、カトリックの新しい教区教会の設計思想に似ているような気がします。博物館のようでもあり、保育園のようでもあります。いずれも、権威で接するのではなく、同じお部屋でいっしょに座った目線。でありながらも、日常生活の猥雑さから遥か遠くに隔絶された静かな空間。

彼が建築家さんにすべてまかせて最初の設計図そのものの通りに進めたことも驚きです。が、設計構想の段階からすでに、この空間に流れる中世ルネサンス期の静かな音楽を、居る者のこころのやすらぎと調和させることのできる空間となるよう、予想して設計できた彼女はどんな方なのだろうかと、訪れるたびに、また、あの空間を思い出すたびに、驚きを新たにします。

2024/10/19

■ なおす ■ PCキーボード - トープレ リアルフォース Topre Real Force 106


またキーボードの分解清掃。

初めて買ったトープレのキーボードがこれです。

2003年頃に購入。右手側にテンキーを装備したクラシックなタイプ。

当時は標準だったPS/2コネクタで、今となってはレガシーインターフェースです。でも、PS/2だって、高機能なマザーボードのIOポートにはいまだに存在するし、であれば、USBポートの空きに余裕が出ます。


幾度も分解清掃を重ねてきた個体ですし、PCの前では絶対に飲食しないので、開けてみてもあまり汚れやホコリは無いようです。動作は快調そのものです。

とはいえ、トープレのリアルフォースシリーズは、先日自宅や倉庫のあちこちからすべて集めてみたら、計9台...。個人で使う台数じゃないので、先日来、少しずつ売却している次第。

今日も、次に使ってもらえる人が現れてくれるであろうという希望的観測をもって、ていねいに清掃します。

ケースを開けて:


キーを一つ一つゆっくり外し:


薄めに希釈した台所用中性洗剤に浸漬:


スポンジで一つ一つそっと洗って、水道水ですすぎ、三日三晩自然乾燥させます。キレイに並べるのは手間ですが、整列させた方が、結局は乾きがムラなく早いです。


同等品を参照して、慎重にキーを組付けます。


キレイに組み上がりました。

2024/10/18

■ あるく ■ 野営 - 岩手岩洞湖


野営。岩手盛岡北東部の「岩洞湖」にて。

ここ盛岡市薮川は、岩洞湖が氷上ワカサギ釣りで有名な通り、実は本州イチ寒いスポットです。

岩洞湖のここ無料キャンプエリアは、今月末で今期終了なので、終了前に、またあの白樺の森に座って、その空気感を味わい、底なしの深々とした静寂にひたり、考えごとをして、眠って、帰ることにしましょう。

片道5時間な上、4,5kmほどの未舗装林道の奥にあるので、行くには決意が必要です。

いつもの海の断崖絶壁の高野崎キャンプ場と異なり、「森のキャンプ場」などというロケーションは、初夏から盛夏の時期は多様な虫が...。そう考えると、野営に適するのは、雪解け後にキャンプ場が開く月の5月か、冬前にキャンプ場が閉じる月の10月の、実はたった2か月のみです。

気象予報を毎朝眺めて、「晴れ」「風力ゼロ」「月齢3~22」、つまり、朔や晦(つごもり)などの新月以外の「静かな月夜」を、ずっとずっと探してきましたが、10月中旬のある日、予報では、午後から快晴、風力0。月齢13。条件がそろいました。

午前中は東北地方は雨、昼から晴れて風も止んでくるようです。雨の中、ロードスターで出発。

弘前から県境坂梨峠、鹿角、安代、八幡平、安比高原レインボーライン、岩手山パノラマラインと通過。雨は上がり薄い日差し。のどかで暖かく、岩手のスケールの大きい伸びやかな道をオープンカーで抜ける楽しさをじっくりかみしめます。

西根から姫神山を越えて、未舗装林道をのろのろと進んで到着。14:30。晴れ。気温20℃。

管理棟は無人。管理人さんは作業で不在との表示。利用申請用紙に記入してカウンタに置きました。

ほんとうにハッとするようなすばらしい白樺の森。いつも行き届いた手入れに感謝します。

テントを設営して、コットを組んで、簡単な昼食兼夕食を調理。もう日が傾いています。

時期的に、この時期に快晴で昼の気温20℃なら、夜はよほど冷えるでしょう。かなり露も降りそうです。

日がある間は、座って白樺林を、飽きもせずに眺めます。1時間、2時間...。

「キャンプで焚き火」の趣味は無いです。新しいキャンプツールやアイテムを試したり披露する趣味も無いです。焼肉だバーベQだ宴会だ、は、論外。

無人の広大な白樺林に一人静かに座っていられる状況に、こころから感謝。

「フィンラガン」(スコッチ)を持参したので、ほんの半ショット(15ml)ほど。チェイサーには、いつものように、出発前に自宅で鉄瓶で沸かしたお湯。熱くておいしいです。


18:00。日没後の薄明(はくめい)もついに途絶えましたが、東の白樺の梢に、月齢13の小望の薄明りが上がっています。霧がたちこめてきましたか、もう。

暗闇と霧と寒さの中、なお座って、あれこれ考えます。霧にかすむ月明かりが、たいへん明るく、ヒトが持ち込んだ明かりは不要です。

深い静寂と闇。霞がかった月明かり。たまに聞こえるのが、大きな音では、鹿の鳴き声。夏は涼し気ですが寒い夜は不気味なトラツグミ(鵺)。それらに比べれば親し気な静かなフクロウの声。いずれも、ふだん聴くことはまったくない音です。

月明かりのなかで、鹿や鵺の、静寂を破る音に、古代のヒトは恐怖を感じたのではないでしょうか。

岩手に来ると、宮沢賢治、柳田國男、石川啄木などを読んだ記憶がつきまといます。

冷涼で乾燥した高地が広大に展開している北上高地。初夏に吹き付ける親潮オホーツク海由来の寒冷湿潤なヤマセ。

この地で、平安最初期以来の朝廷から江戸幕府にいたるまで、熱帯由来のコメの栽培と供出をヤマト民族に強制されてきたイワテの人々...。

江戸時代の重なる大飢饉で、本当に悲惨な歴史が形成してきた陰惨な習俗…。この抑圧をそのまま被った純粋さといびつさの石川啄木、口にしてはならないはずの岩手を語ってしまった柳田國男。

"國内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ"。たしかに、わが津軽にだって、戦慄すべき伝承は幾多存在します。が、他方、山深い岩手の地に、テントという布一枚の無防備な野営に独り、身を置き、岩手の深い森を延々と細く貫く道を、幌を開けた無防備なロードスターでそろりそろりと走るたびに、畏怖すべき柳田の伝承の数々が脳裏を巡ります。

他方で、同様な気候風土をもつフランス大陸北西岸、イングランド南西岸、ウェールズ、スコットランド、南北ニュージーランド島のように、もしも、ここ岩手も、牛・羊の酪農・肉・羊毛、また三圃式や四圃式農業による養鶏養豚と小麦・大麦・ライ麦・葡萄などの果樹栽培といった伝統を形成していたならば、さぞ世界的に大成功した農業地帯となっていたであろうに、平安初期以来の千数百年の歴史にわたり、異質な温暖湿潤気候のヤマト民族に隷属服従させられ、無駄に稲作に固執したせいで...。

おそらくそう気づきかけていたであろう宮沢賢治の、身もだえするような歯がゆさと未来への幻想。

彼の作品の登場人物名や地名がことごとく、ゲルマン語系やスラブ語系の音であることからも、中部ヨーロッパ以北の気候風土のシノニムとしてイワテの気候風土を見、イワテに歩んでほしい希望的将来を儚くも夢想しているような気がします。

などと、とりとめのない空想が、イワテに対する独自の歴史観に支配されるようになってしまったので、もう今日は18:00過ぎに就寝...。

落ちていく意識...。ときおり耳底に響く、鹿の鳴き声、渡りの白鳥の大集団の声。寒いです。夢でうなされます。自分の眠るテントを囲んで、妖怪や怪奇現象が繰り広げられている幻覚。ムソルグスキーの「禿山の一夜」状態でしょうか...。

0:00に目が覚めたのですが、寒いです。空腹です。ダウンを重ねて羽織って湿ったシュラフにまた横になり、1,2時間ほど、Jörg Demusのシューマンピアノ曲全集を聴いていたのですが、またいつの間にか眠りに落ちます。

また寒くて覚醒。5時前。気温は3℃ですが、真冬装備でもやっぱり薮川は寒かった...。雨がざぁ~ッと降っている音です、が、テントには雨だれを感じません? 夜明け前の薄明を感じますので、もう起床しましょう。

濃霧。テントを一歩出ただけでびしょ濡れです。雨は降っていないのですが、白樺の木々からいっせいにしたたる露のせいでそう聞こえます。霧のなかにたたずんで、周りは雨ざぁざぁの音。不思議です。天気予報では、眠っていた湿っぽい夜中もこの朝もずっと快晴。ただ、盛岡周辺に濃霧注意報。


背筋や腕脚を伸ばし、玄米を研ぎ、顔を洗い、お湯を沸かします。水は、そりゃ冷たいのですが、夏じゃないので、ほんのり温かく感じます。これから冬にかけてそんなふうに感じます。

東屋(あずまや)風のひと隅に露は降りていないので、そこにコットやシュラフを持ち込んで広げておきます。

日の出とともに、みるみる明るくなり、ぐんぐん霧が晴れ、妖怪たちは退散し(?)、木々はクッキリ緑や黄や紅色に、白樺の幹はさわやかな白に。温度計がどんどん上がります。お日さまが、あらゆる不安を何もかも払いました。


朝食をたっぷり摂り、テントは時間をかけて拭き、自然乾燥にまかせます。気持ちが晴れ晴れと高揚します。

起きた朝5:00には、薄明のなか濡れたまま撤収して明け方の空いた道路でさっさと帰途に就こうかと悲惨なことを考えました。考え直して、いま、しばらくチェアに座り、すっかり暖かくなりカラリと乾燥した空気と落ち葉の中で、またゆっくり白樺の林を眺めます。シューズはびしょ濡れですが、日が差して気温が上がると、何か大きな希望がわくものですね。

さわやかな空気の中、ぼちぼちと撤収作業をし、白樺の林の中に座り、思いついたことを書き出したり、地図を見たり、ナッツをほおばり、ゆっくり白湯を飲み...。

■ と、もう昼が近いです。今日はこれから、おおいにまわり道をして、かねてより望んでいた、龍泉洞から深い森を延々と細く貫く岩手県道7号線を北上して太平洋岸の久慈に抜け、牧場地帯の二戸、田子を巡って、十和田湖に降り、八甲田山系に上がって酸ヶ湯温泉経由で帰ろう、などと、大胆なドライブの一日にすることにしました。

2024/10/13

■ なおす ■ PCキーボードの分解洗浄と売却


キーボードを清掃って、何度もしたこの話。これからは売却処分が前提で、最後のお別れにできるだけキレイに洗浄します。

今年の5月までは、自分で使い続けるためのメンテナンスが前提でしたので、分解清掃といっても、キートップ背面底部のホコリを払い、キートップを、消毒用アルコールやウェットウェスで1コ1コ拭き取る感じでした (🔗2024/05/31)。

手元のキーボード、東プレ-リアルフォースは、00年代初頭に発売され、ほぼ同時に購入し、その後購入を繰り返してきました。10年間ほどして、フルモデルチェンジされました。その際、それ以前のモデルはR1型、ニューモデルはR2型と区別され、より多機能になりました。

大いに触手が動いたのですが、その時点で自分では9台ほど購入していた(!)うえに、R2型は、多機能ゆえに附属CDからアプリケーションソフトウェアをインストールして使用する構造となり、PC自作派で好悪が分かれました。

自作時に、製作の各段階で、動作確認のために、最小限稼働構成が必要ですが、ソフトウェアに依存するキーボードは、OSのインストール前や起動前の動作に一抹の不安。キーボードという存在本来の単純性に陰りが感じられたので、私は、R2世代になって以降(現在はR3世代)、購入しないことにしました。

結果、手元にある9台のR1型をメンテナンスしてぎりぎりまで使おうと決めたのですが、どの個体も快調そのものです。

今回売却の個体は、R1世代晩期のサイレントタイプ91UBK-S (Model; NG01BS)です。

前回5/31とまったく同型ですが、別個体です。

もともとオペレータ用に開発されたリアルフォースシリーズ。タッチの良さは抜群です。加えて、サイレントタイプになり、ガチャガチャ感?がなく、底付きした際に、ゴムの反発力を感じます(実際にゴムが敷かれているワケじゃないです)。

しゃべるのと同じくらいの速さで文字入力するヘヴィユーザーに向いています。

清掃しましょう。

今回からは、人さまにお譲りするので、石油系ケミカルやエタノールは使わず、自然に、しかし徹底的に清掃します。


トップカバーとキーを外し、基盤の表裏はエアと刷毛で。

サイレントタイプはプランジャが鮮やかな紫色です。分解しなければふだんは全く見えないところにヴィヴィッドな色遣いをするとは...。自作派や自分でマメにメンテナンスするユーザーだけに向けたサービス精神に、メーカーのゆとりを感じます。


キーは、1コ1コを台所用中性洗剤に浸漬し、スポンジでそっと洗い、水道水で数回すすぎます。


のち、1コ1コを新しいタオルで拭きとり、数日間自然乾燥。


手持ちの同製品と見比べて気を遣ってていねいに組付けます。


組み上がり後は、PCに接続して動作を確認します。 ら、...MとNのキーが逆でした...。


中古品のヘタリやテカリを判断するポイントは、「Enter」「Space」キーです。この個体は、自分が持っているもののうちではもっとも遅い時期の購入ですので、使用痕はほとんどかんじられないと思います。


誰かの手元で、引き続き元気に活躍してくれることを祈って...。

2024/10/12

■ あるく ■ 野営 - 高野崎


10月中旬の野営。今別町の高野崎の断崖絶壁の無料キャンプエリアへ。

早朝から太陽フレアが爆発状態で、X線強度がX1.8クラス、太陽風(磁気波による粒子移動と地磁気擾乱)のnT値(ナノティーち)が10ランク中8と、年0~2回程度の高強度だそうです。

こんな地磁気擾乱はオーロラの原因現象で、10/11早朝は北海道で低緯度オーロラが観測されていました。

とはいえ、プロ・アマ問わず、専門家でなければ、私のような鈍い素人の肉眼では、水平線付近の赤みがかったハレーションにしか見えないタイプのオーロラです。

予想するに、自分の能力では水平線上の函館の街明かりとたぶん区別できないかなと...。特にオーロラは期待していませんでした。

でも、それよりも、高野崎の気象予報は、朝の段階で、日の入り17:30、18:00~翌3:00の天気は快晴、かつ、なんと風力0。満潮21時、波高潮位変化0.2m弱、月齢8.3(ということは上弦の月)...と、何年に一度もない好条件...。

いやまぁ、何の「好条件」かというと、「夜に、月あかりのみで、波のザザ~~ぁンという音を聴きつつ、アイラモルトやアイリッシュモルト(いずれもウィスキーのことです)をチビリとやる」ことが可能である状態を、「好条件」と言います...って、な、なんだそりゃ!

でもそのために、ここ何年か、冬も夏も、一年中、見るともなくつい毎朝早朝に、月齢や潮位や風速を眺めています。 

この日は、グッとこらえてやり過ごすつもりが、いてもたってもいられず、昼過ぎに、ロードスターにテントとイーリャハを積んで(後者は、スコッチウィスキーの銘柄の名前です)。

 もともと一年中風の強い高野崎や龍飛岬。だのに、この日は、予想を超えた、経験の無いほどの凪(なぎ)でした...。

静かに座って、三方海の断崖絶壁にて、静かな海の風情をしみじみとかみしめます。


黄昏れ少し前、観光客ふうのご夫婦が、波打ち際に近づこうと、崖の道を降りていこうとします。ジッと座っていた不審者風に見えるであろう私は、取り繕ったようにいちおう挨拶をします。快く返してくれました。

20分程度して、日の入り直前の夕焼け。もう足元が見づらくなった頃、崖下の波打ち際から上がってきました。「(崖下の)橋は渡れましたか? 満潮近いけど。」と声掛けをします。「ええ、ステキでした。」との返事。聞けば、広島から来て、東北を周遊する旅行中とのこと。明日以降は下北半島を回ると...。「すごい。いろいろと見られる大旅行ですね。」とうらやんだら、ご主人は「ココは本当にすばらしいところですね。来年またココに来て、あなたのように、椅子に座ってじっくりとひとときを過ごしたいです。」と、洒脱なお返事。ココをステキと思うあなた方がステキかもしれませんネ。

■ 強風の前日と打って変わって、凪の海岸(崖下)に、ゆるやかな波の音が、あちらでもこちらでも、ざ~ん、ざざ~んと、多重にそよいでいます...。

日没後の夕べ。ほどなく上弦の月は、はや南中を過ぎて西の空にさしかかります。

崖の上から見下ろす黒い海面に、月あかりが、ゆらゆらとそよいでいます...。

その調子で、真っ暗闇の断崖絶壁の上、月明かりのみで、磯の香りを楽しみつつ、イーリャハとチェイサーの白湯をチビリとやっていたところ、暗闇の中、若者が手ぶらで近づき、崖を降りようとあるいていきました。

気になって、「釣りですか?」と声掛けしたら、「いや、オーロラを見に。ココでダメなら、今から龍飛まで行きます」と...。してもらったお話が、たいへん詳しい天文・気象・地学的な解説で、その知識と情熱に舌を巻きました。

言われてみればたしかに、真北の方角に、乳白のハレーションが見えていました。水平線の向こうの函館の街明かりは、それとは別に北北東にあります。彼はその後磯から上がってこなかった(私は眠ってしまった)ので、おそらく研究者には興味深い事態となっていたのでしょう。

生涯でも印象に残る晩となる経験でした。

数日来、今季初の、鳥の渡り(白鳥飛来)の開始に気づいていましたが、この日は、眠りつつも、意識の底に、真っ暗な高野崎の海上の広大な空の穹窿に、白鳥の大集団が通過する声が、何度も何度も響いていました。

そうそう、ここ高野崎は、荒涼とした風の吹きつける突端の海岸地形ではありますが、9月末頃から、弘前大学の鳥類研究エリアとなったようで、研究者の皆さんが入れ替わり常駐しています。それ以前の半年程度は、「風力発電研究班」みたいな若者チームが、キャンプエリアの中心に「弘前大学」と表記したコーンを立てて立ち入り禁止にして、手作り風の「風車」を設置し、莫大な地響きの低周波と脳を破壊する高周波をまき散らしていました。素人の私にも「潮の風雨に晒すんだからベアリングを高頻度でグリスアップしろよ」と感じられるクリーキングノイズが進化した轟音。キャンプエリアでの夜の宴会ミーティングは高頻度でしていたようすですが...。15km離れたキャンプ禁止の龍飛岬の龍泊ライン鳥瞰台にも同じく風車とテントが。あれらには参った...。調査が終了したのか、風車は撤収され、静かな「鳥類調査チーム」に入れ替わったようで、安堵と感謝。

いずれにせよ、この日は、ほんとうに久々に、波の音と月明かりで、こころ静かに過ごせた夜となりました。

季節柄、気象条件的に、年内はもう、月夜の凪は、ないかもしれないです。気象条件がそろいそうな来年の初夏頃にまた良い体調で訪れることができますようにと、祈る思いです。