2024/06/30

■ まなぶ - 「オマージュ」- 腕時計の世界

※ 左:Grand Reef  /  右: Grand SEIKO (¥550,000+税)

世に「オマージュ」という制作分野が存在するそうです。オマージュ(hommage)とは、芸術分野で、尊敬する作家や作品に影響を受け、似た作品を創作すること、またその創作物を指す語です。類義語として、「リスペクト」「インスパイア」「トリビュート」。この3語までは二次制作者に表敬していますが、進んで「パロディ」「ジョーク」「パクリ」「コピー」に至ると、そう表現した人の主観では二次制作者を卑下し非難する蔑称となり、客観的に違法性も帯びるニュアンスになってきます。

 腕時計は、独自の宇宙を展開している分野です。値段だけでも、百均で買える物から億のものまで。ただ、価格というモノサシが虚しい独自の腕時計分野も限りなく広く深く展開しているようです。

 思うのですが、いかなる分野であっても、1つのソレを、その客観的価値や価格にかかわらず生涯愛用する人が、最も幸せな人で、最も天国に近い人です。

 腕時計もそうだと思います。私は、興味はあれ、売買の当事者にはなりたくないしなれないです。やはり「外野」「野次馬」のスタンスです。とは言いつつ、安い物を複数持っています。現在の愛用は、amazonで883円で買ったアナログ文字盤の「チープカシオ」です。何の不満もないです。

 他方で、幸せの天国的境地にいるあなたや現世の煩悩にとらわれる私の目から、腕時計の泥沼地獄を見ると、その壮絶さに思わず息をひそめてわくわくして見入ってしまいます。その結果、窓から落ちて、地獄の沼に落ちていく危険もありますので、注意します。

 さて、腕時計の世界の「オマージュ」「リスペクト」「インスパイア」「トリビュート」「パロディ」「パクリ」「コピー」は、百花繚乱なのは、詳しくない私たちにも周知の話です。最も有名な高級腕時計Rolexなど、姉妹ブランドTudorの美しい「リスペクト」から始まり、amazonで買える千数百円の安物パクリ商品から、果てはモロに違法そのものだが、専門家でもなかなか見抜けない「スーパーコピー」という一種の芸術分野も花開いているくらいです。Tudorといいスーパーコピーといい、一種リスペクトすら入り混じった驚きでいっぱいです。

 笑える話題はいくらでもあります。卑近な事例で、今回私が個人売買サイトに出しているブツでひと笑いしてみてください。

 日本製の高級時計は、SEIKOのフラッグシップモデル「Grand Seiko」です。機械式機構の高精度が1960年代にスイス公認歩度検定局のクロノメーター最優秀基準を総なめし、数年後には世界の時計精度コンクールであるスイスの「天文台コンクール」で1位以下4位まで独占。それをさらに上回る社内基準検査合格品を現在も制作販売しています。同時に、1980年代の自社開発のクオーツ式機構が、20世紀スイスの高級時計産業を完膚なきまでに潰滅させました。

 これらメカを搭載し、ケースやバンドに金銀プラチナを用い、日本の伝統工芸技術である漆や彫金で装飾した製品群が、Grand SeikoとSeiko Credorです。腕時計とは、時刻を知る目的に勝るとも劣らないのが、自身を飾る装飾品という目的です。まぁ日常を遊離し目の保養のために、Credorのウェブサイトでものぞいてみてはいかがでしょう?

 とはいえ、一般的な日本人の勤め人で時計趣味を持つ人が、上司・部下・取引先の目に触れることを意識して、日常的に会社に装着して行くことのできる時計価格帯は、数万円から100万円に達しない程度までがいちおうのめやすではないでしょうか。

 Grand Seikoの売れ筋はそこだと思います。私と同世代の複数の友人知人に、彼らが購入した品を手に取って見せてもらい、ため息が...。それだけの実体験ですが、少なくともその美しさや緻密さは理解できました。

 このGrand Seikoの普及価格(?)のラインナップの名品の一つに、2009年作のSBGH001という55万円(税別)の機種があるんだそうです。

 この「グランドセイコーのオマージュ」とは、目が点になりそうな企画ですが、amazonに同時期に出て、笑いとなりました、話題となりました。マニアの世界でも、Grand Seikoのパクリ オマージュは聞いたことがなかった頃です。

 中国製で「Grand Reef」という、なんだかなぁ...なネーミング...。価格は当初12,000円程度か。トップ画像左のとおり。SEIKOを騙って販売する意図はないので、違法でも何でもなく、オマージュ、インスパイア、と表現すべきでしょう。

 が、この時計を手に取ると、アリではないかなと思ってしまいます。画像だけでなく、手に取って一目見ただけは、質感もズッシリ感もキラメキも、時計に詳しい方ならともかく、ワタシのような素人では、違いが判りません...。

 つまり、ジョーク、いや、オマージュと思いつつ手に取ると、意外にも品質の良さにけっこう衝撃を受けます。パーツの切削や加工からアッセンブリまで中国だと思いますが、だから低コストだとは言えますが、だから低品質だとは言えないナァと実感します。中国の民間の金属切削加工の技術力、いや誠実さまで感じてしまいます。

 厚いサファイアクリスタルガラスの向こうに、精密な立体インデックスやヘアライン仕上げのドーフィン型時分針、クラシック高級時計の青焼き風な秒針が、眺められます。

 ベルトのコマや、金属ベルトと本体の付け根(弓環(ユミカン))は、通常は、ステン板打ち抜き曲げ加工で作ります。SEIKOなら普及価格の10万円クラスまではそうです。下の参考画像は、私がバブル時代1991年11月に東京御徒町のディスカウントショップ多慶屋にて3万円あまりで購入したSEIKO_Speedmaster_7T42-6A10_Chronographです(いまだにごく普通に稼働中。レシートも取説も保管しています)。バンドはステンレスの板巻きです。

※ SEIKO_Speedmaster_Chronograph(1991年購入)

  Grand Seikoでは、ステンレスのインゴット(無垢材)から削り出して作りますので、品質の良さや精度や耐久性は圧倒的ですが、高コストです。ところが、このGrand Reefは、ベルトのみならず、凝った両開き留め具や、なんと弓環までもが、アっと驚くステンレス無垢材の削り出しです。


 時計+ベルトの合計質量は、ズシリと重い140g。Grand Seikoと同じです。

 ムーブメント(中味の機構)は、驚くことに、SEIKO製4R35の外販仕様(SEIKO社が他社に、自社製造のメカニズムを供給販売している)。この4Rは、クオーツ全盛の今となっては腕時計としては高額なSEIKO 「PRESAGE;カクテルシリーズ」などのベーシックライン(10万円未満クラス)に採用されていて、日本製機械式腕時計機構としては安定の定番です。

 外観はGrandSeiko、手抜きのない高精度な素材・切削・加工・組付けに、中身はちゃんと信頼のSEIKO製機械式ムーブメントという安心感。人に見せて自慢できるようなものではないのですが、なんだか一人こころ楽しい気分になりま...せん...よね、あなたは...、やっぱり?

※ 参考画像;Grand Reef (amazon販売時のサイトより)

 ひとり見て楽しむために、1万円程度を出して買った記憶があります。十年程度前です。その後、価格が2万、5万と高騰し、amazonから消えました。ら、Ali-Expressとe-bayにコロナの時期には10万あまりで新品販売されていて仰天!

 これに限った話ではないのですが、時計の価格の魑魅魍魎ぶりに、ここでもまた開いた口がふさがりませんでした。1,980円から始めた出品中のコレ、いったい何千円になってくれることでしょう!?


2024/06/29

■ あるく - 廻堰大溜池


いつもの廻堰(まわりぜき)大溜池の周回道路です。

 道が樹木のトンネルのように、万緑の雰囲気に包まれています。

 上の画像は両岸が湖面、下の画像は左が湖面ですが、画像ではわからないですね。でも、湖畔の道だと思うだけで、森閑とした木のトンネルの道も、水面を通る風が抜けていくような気がして、気持ちが爽やかになります。


2024/06/28

■ あるく - 岩木山高原の道

※ 6/28 金 12:00

今日は、昼12:00の気温28℃、湿度36%!乾いたすばらしいそよ風が吹いています。

 高原をあるきましょう。

 あのとき(🔗→ 5/6)の、植えたばかりだった高原野菜の畑は、いまではいろいろな種類のジャガイモが青々と茂っています。

※ 参考;同じ地点;2024/5/6 
岩木山の雪も印象的です。

  良いお天気は、週末も続きそうです。日曜午後からかなりの雨の予報。明日土曜日も、どこかをゆっくり長くあるきたいです。

※ 6/28...高糖度品種の花が咲き始めています(このエリアは今時分が開花期)。
摘花するのかな...広すぎてムリですよね。

2024/06/27

■ なおす - パソコン・ディスプレイを整理...しなくては...(意志薄弱)


パソコンのディスプレイが、自転車部品やキーボード(🔗→5/31)同様、たまたまたくさんあって...。


■ 処分しなくては...捨てるのは惜しいのですが、すべてを同時に使うことはありえません...フリマ(個人売買)サイトかなぁ...売る準備がたいへんかなぁ...、って、5/20の自転車部品に続いて(🔗→5/20)、私の倉庫整理作業が、すっかり「意志薄弱シリーズ」にすり替わりそうな気配です。

 いまどきは、液晶ディスプレイも価格が下がって普及しきっています。が、さらに進んで、個人で、1台のPC本体に、ディスプレイを2台3台と接続して、便利に使う器用な人たちも増えていると予想できますが、果たしてフリマサイトでどんな需給関係が存在しているのかな。


 ひとまず、フリマサイトに出品してみます...売り方のノウハウもなく不器用ですが。

2024/06/26

■ あるく - 外ヶ浜の海岸

※ こじんまりとした平舘漁港

先日の灯台のある海岸の続きです(🔗→ 6/23)。

 平舘(たいらだて)灯台のすぐ南隣の平舘漁港。休日の、午後の日も傾きかけた頃に思い立ってゆるゆると逍遥していますので、太陽光の加減で、海の色が紺碧がかった良い色です。陸奥湾を挟んで遠く対岸に見える陸地は、先週訪れた下北半島。仏ケ浦の岩肌も遠めに視認できます。

 海を右手(東)に見ながらゆっくり北へ行く松林は、ほどなく途切れ、人も交通も閑散とした最果て感ただよう細い国道になります。

※ 松並木の旧国道280号線

 このまま今別(いまべつ)の町に入り、海岸線は西に湾曲して、海岸は北向きとなり、断崖の上を通ります。

 今別の高野崎に出ました。狭い岬が北に突き出ているので、三方断崖の景観を楽しみます。

※ 今別町 高野崎 袰月(ほろづき)海岸

 眼下の岩場に、橋が...。波に洗われています。

※ 今別町 高野崎海岸

 降りてみたいです、が、ちょっと怖いです。今日は日も傾いてきたので、次回のお楽しみにしましょう、と怖がりの自分に言い訳して、今別の町から南に山岳路の近道をして帰途につきました。

 休日の海の景色を静かに満喫できました。

高野崎灯台から岩場を結ぶ「潮騒橋」と「渚橋」

2024/06/25

■ なおす - 万年筆修理


ペリカン M1000という万年筆を、洗浄しようとしてペン先ユニットを回して外し、洗浄後、元に戻したところ、ペン芯と金ペン先が離れてしまいました。M800ではふつうにデキていたのですが、M1000はペン先ユニットが回りづらく(硬くて)、今回初めて強引に回したら、この惨事に。

 自分では治さない方がいいと思い、弘前の平山万年堂に駆け込みました。

M1000ペン先ユニット参考画像

 ここでは、何度か手持ちのさまざまな万年筆を手直ししてもらっています。

 間口一間半の、初めて訪ねてくる人なら見逃してしまいそうなお店ですが、創業は大正2年、111年続いているとのことです。


 いつも父子2代でお店に。「子」といっても私と同年代ですので、「父」はかなりのおじいさんです、が、はつらつとした楽しいおしゃべりをしてくれます。彼は、50年前に私が下宿して世話になったお寺(🔗→ 2023/06/01)の先代住職と同年配で、その先代住職は、良い顧客だったようです。

 先代住職が、しょっちゅう立ち寄ってはしゃべっていく、その時にタバコを吸う、そのタバコの灰をいつまでも落とさないので、タバコに火がついたまま灰が長~く伸びて気が気ではない話を、私が行く都度、思い出しては話してくれます。

 他方、そのお寺の、現在の住職(私の従兄ですが)は、父にあたる、亡き先代住職が、平山万年堂にしょっちゅう立ち寄っては、筆や墨を、ツケ(後払い)で持ってくる、アトからお寺に請求や取り立てが来て、えっ、と思うこともしょっちゅうだった...とのこと。先代住職は、たしかに、ユーモアに満ちた人がらだったのですが、黒々とした高級そうな墨による達者な手は、まさに達人でした。

 ...などと思い出しながら、今日は、このお寺に一言挨拶をして、クルマを40分ほど駐車させてもらい、徒歩にて、弘前市内の繁華街にある平山万年堂に出向き、ペリカンM1000を持ち込みました。

 おじいさんは見てすぐ「今日はペリカンか、ちょっと待って」と選手交代。私と同世代の現社長?がペンを手に取って、少し奥に引っ込んで、すぐ直して持ってきました。

 お互い試筆してみて、今回は簡単にうまく治ったようです。


 M1000の書き味は、同社のM800以下の他の万年筆や、他社の万年筆では、まったく得られないかけがえのない書き味です。何本も欲しいくらいですが、今の価格は私が手を出せる次元ではなくなってしまいました...。平山万年堂に持ち込んで、事なきを得ました。

 治してもらう時間3分。おしゃべりが15分でした...。

 今後は、M1000は、インク吸引時も水洗い時も、おとなしく回転吸引機構のみを使うことにします...。

2024/06/24

■ こわすつくる - 元・実家の解体


■ 売却した実家の解体にとりかかり始めてもらっている話。

■ 今朝見ると、昨日のうちに、飛散防止の養生シートがキレイに貼られていました。

■ 50坪の家、これから何日で解体完了するでしょうか。

2024/06/23

■ あるく - 灯台の霧信号所


薄曇りで暑いのですが、乾いた風が吹いています。三陸沖の太平洋上に低気圧が遠ざかっていて、今日は、この内陸の田園地帯にも、ヤマセと混じったようないかにも海風という、強い東寄りの爽やかな風を感じます。

 先週このサイトに海の光景を載せました (🔗 → 6/17 )。実は1年間ウェブログを続けて、初めての「海の画像」。海は、内陸平野部の農耕民族のエリアに生まれ育った(?)私には、その光景、音、香りが、一体となって、漠然とした大きな開放感と大きな恐怖感があります。

 初夏から夏にかけては、少し親し気な表情があるので、積極的に浜辺の風に吹かれてみたい気がします。

 先週も感銘を受けましたので、今日も海の景色のある休日の雰囲気を味わってみたいです。

 昼過ぎに山岳部を越えて1時間半、陸奥湾沿岸の町蟹田に出ました。25年ほど前に1度来たことがあるだけのなじみのないエリアです。

 海岸線に沿う細い国道を北上すれば、津軽半島北端の竜飛岬です。今日はそこまでいかなくても、沿岸部の漁港のある小さな町をいくつかゆっくり通り抜けて帰りたいと思います。

 平舘(たいらだて)漁港の北側に、江戸風情のある浜辺の松並木の旧道があります。その一角に、灯台があります。


 灯台は、私には、なじみのないエキゾチックな非現実の構造物です。いきなり別世界感に包まれます。

 この灯台は、120年前の創建です。北海道全域や青森といった、津軽海峡から日本海にかけては、明治後期に、対ロシア全面戦争を視野に、国家的事業として大掛かりに近代的な灯台が次々と設置されていきました。

 灯台の敷地に、霧笛、正確には、「霧信号所」がありました。私は、人間の理性や知恵を信頼できるようなこういう装置には、心躍るものを感じます(cf. 🔗→ 1/1 )。当地のものは、明治36年(1903年;日露戦争前年)の、日本初のダイヤフラム(電磁力)式ホーンです。

 陸地に備え付けられる霧信号所は、18世紀以来の300年近くにわたり、霧砲、鐘、蒸気汽笛、圧縮空気汽笛など多様な発明がなされましたが、この20年間で電波航法システム、レーダー、GPSなど航海計器がいきなり新たなパラダイムに昇華したので、これら300年の歴史を誇る航路標識システムが一瞬にして退役し、霧笛を聴くことは生涯不可能になりました。

 もしも現場で現実に聞いたら、さぞ...恐怖のどん底に陥るでしょう、私などは。ちょっと残念。

 遠い憧憬のまなざしで、想像しつつ眺め、後にしました。 

2024/06/22

■ こわすつくる - 売却した実家の解体開始


■ 昨年春に、空き家となった実家の整理作業をし、昨年6月に土地家屋とも売却しました。売却時の条件は、買主が家屋を取り壊すということでした(🔗→ 2023/12/25)。

■ 空き家は、冬の落雪や自然崩壊による近所や通行者への損害を、この冬中ずっと恐れていました。

■ その後、冬を経て、1年たち、ついに取り壊し開始のようです。

■ 今日午前中に足場がかかり、昼頃に飛散防止シートをかぶせていました。

■ 開始してしまえば、取り壊すのはそう時間がかからないでしょう。

■ 少し気が楽になりました。無事作業終了を願っています。


2024/06/21

■ なおす - ベッドリネン


ベッドリネンのうちの、シーツ。長年の疑問。みんなどうしているんでしょうか?

 就寝時に、ベッドでもふとんでも、シーツを敷くと思います。

  W.S.モーム(William Somerset Maugham)など英米の作家の小説を読んで、快適に眠る表現として「シーツの間に、ぬくぬくと/サラリと、入り込む」などというフレーズを中学、高校、大学と読み続けて、見かけたことがあります。「シーツの"間"だって!?」と、私の生活習慣では意味不明でした。敷くフラットシーツと毛布を挟み込んで掛けるフラットシーツとを毛布とともに足側のマットレスの下に織り込む、ホテルのベッドメイキング方式ですネ。あれ、ご自宅で実行なさっている方もいらっしゃるのでしょうか...。

 シーツの形状には2種類あります、少なくとも日本では。

 フラットシーツ(Flat Sheet)は、まるっきり平たい1枚の布。マットレス全体にかぶせ、四辺をマットレスに折り込んで固定して使用します。この「固定」が、ふつうのヒトには難しいというか、やりかたがわからないというか、イライラの原因というか...。

 他方で、ボックスシーツ(Fitted Sheet)という、マットレスの形状に沿った箱状の立体的な構造に仕上げ、縁辺にゴムテープを縫い込んだシーツも一般的です。ゴムテープのおかげで、マットレスの上からすっぽりとかぶせるだけで一発でピタリと固定できます。家庭で使うには格段に便利です。

 ホテルや病院などの宿泊施設で採用されているタイプは、フラットシーツ一択ではないでしょうか。理由は、商業用ランドリーマシンやアイロンプレス機との相性、及び折りたたんでシンプルに美しく保管できる、などの実用性ゆえです。加えて、ゴムや余分な縫い目などがない単純構造なので、耐久性は段違いに大きいです。

 病院の場合は、加えて、ホテルのように最初からベッドをつくる場合以外に、患者が仰臥している状態でベッドをつくる「シーツ交換」の必要性もあり、この重要なスキルは看護学の一分野ともなっています。この処置の作業性から考慮すれば、フラットシーツに限ります。

 以上の理由に勝って、最も肝心なのが、熟練した作業者の手にかかれば、ベッドメイキングが「素早くかつ美しく」仕上がる点、決定的でしょう。以上より、ボックスシーツを採用する余地はありません。

 20代の頃に、6年~8年ほど内臓疾患で病院にて入院生活をしていました(🔗→2023/08/02)。その間、毎朝のように、病院の大人数のスタッフの方々での大掛かりなベッドメイキング作業を見てきました。と同時に、上述の諸事情にも知見を得て、彼らの作業を、尊敬の思いで眺めました。

 そのうちに目で覚え、実際に作業させてもらい、困ったことに看護実習生の方々の上手下手のスキルの上達段階が作業開始時点でワカるようになりました...なんてやかましい患者だ、おとなしく寝ててもらいたい...と、彼らは心の中で叫んだことでしょう...。

 で、自分でも自宅で実践しています。

※ ヒトのうまいへたはワカっても、自分でヤルと...永遠に修行中...むずかしい...

 ボックスシーツなら、マットレスにすぐピタっとおさまり、就寝中もそれなりに張りがあり、起床時にはまあ少しシワにはなっていますが、そう神経質にならずとも、適当にたたいてのばしてOK...。

 フラットシーツなら、半端に固定しただけじゃぁ、就寝直後からクシャクシャに...。寝相が悪いとクシャクシャ、眠れない夜はまたクシャクシャ、翌朝はシーツの上に寝てなかった、シーツを着て寝ていた(?)、なんてことがありそうです。

 私の場合、病院にて研究・実践の鍛錬を積んだ(?)後は、一人でピタリと張るようになりました。起床時までピンと張っています。ただ、やはり、シーツ交換時や就寝前に一人で張る作業は、今の時期、けっこう汗だくだったり面倒だったりします。しかもなんと贅沢にもシーツは自宅で洗濯機に入れずクリーニングに出しています。常時7,8枚のちょっと値の張るシーツを次々と交替でクリーニングに出してもう二十数年。過酷な業務用途に耐えるこういうリネン類は、個人で使うならば、年季が入っても、戻ってきたときにはパリパリ、ツルツル、ピカピカとして、新品の風合いが保てます。

※ クリーニングから戻ってきた袋を開けます。

 これらの良い気分を味わいたくて、手間と費用をかけているわけで、ささやかな贅沢です。ボックスシーツを自宅で洗濯して乾燥させた後の、あのガサっとしたナチュラルな風合いも、なかなか幸せ感があるものです。が、いったんフラットシーツの良さがわかってしまった今となっては、あえてボックスシーツを使う気持ちになれないです。今後も永くこの幸せを味わえるよう、腰を痛めないよう体調を保っていかなくちゃ、と、交換のたびに思います。きっとあのイギリス人の表現、こんな良い気持ちを知っているからこそ、に違いありません。

※ ピンッと張れました

2024/06/20

■ あるく - 八幡宮


田んぼを貫く炎天下の国道バイパス。熱気の中、申し訳程度についている歩道を延々と1万歩ほどあるき抜けた帰り道に、近所の八幡さまをとおります。

 木陰にホッとします。気温28℃、湿度60%の爽やかな夏の雰囲気が、別世界です。帰って冷たい水を飲みたいな。

2024/06/19

■ まなぶ - 胡椒挽き

※ Cole & Mason / Pepper Mill Precision Derwent H59401G

あの胡椒挽き(🔗 → 6/12 )は、批判してしまいましたが、だったらお前は何を使っているのかと問い詰められれば、コレなんです。


 プジョー(Peugeot)のミルじゃないのかい? と言われたら、20年余り使ったのち数年前まではそうでした。

 Peugeotを20年余り使って、組付け直しても心棒にガタが出始め、挽き始めると次第に荒くなっていくという自動無段階粗さ調整装置が備わるようになってきましたが、使えることは使えました。

 加えて、鋼鉄製の臼歯を分解清掃する際に、クロス(+)(現在はヘックスローブのトルクス?)のドライバを使って、吐出口の金属タップを2本脱着すれば、簡単に解体と組付けが可能でした。タップねじがウッドの本体に食い込む構造です。

プジョーのWebsiteより

 が、木ねじは、何度も何度も脱着を繰り返すことを想定した構造ではないハズ...。だんだん本体側の木材のタッピングらせんが崩壊してきます。

 分解清掃組付けというお手入れを、あまり頻繁にしてはならない、という構造でした...。

 組みつけてガタ、操作してガタ...。20年以上も使ったなら、買い替えろ、という意味かもしれません。

 数年前に、またPeugeot製を買い直そうと思ってネット通販をいろいろ見ていたところ、臼歯ですりつぶす方式ではなく、回転刃で切り刻む方式に出会いました。それが、コール & メイスン (Cole & Mason) 製品でした。

 デザインは、互いに異次元の発想です。使い勝手は、C & Mが、格段に良いです。香りの立ち上がりも、それはもう、すばらしいです。

 20数年余りに渡って使ったPeugeotと、新品のC & Mですので、そりゃ違うでしょう。公平な比較ではないですね。

 Peugeot製と異なり、胡椒の粗さを6段階に調整可能で、段階ごとにクッキリとした違いがあります。


「"刃"なら研ぎつつ使用を継続しなくちゃダメかな」と思いましたが、メーカーは「刃のみ永久保証」を謳っています。現時点まで数年間使って、研ぐ必要性をまったく感じていないので、どういう保証内容なのか、いまだに不明です。その真偽と真相を確認するのは、さらにあと20年ほど使ってから...って、私がその時点で存在しているか一抹の不安...。その時のお楽しみにします。

2024/06/18

■ きく - シベリウス - 交響曲第4番 イ短調 作品63


交響曲のシリーズは、どの作曲家も、独自の人格的な世界を形成しています。

 そのうちでもまた私にとって独特な存在がシベリウスです。

 私のとらえ方では、他の作曲家を思い、さて彼の交響曲に目を遣ったときの特異性は、1) 全7曲が1曲の交響曲のような連続性。2) ヒト、人間社会、社交性や社会性やヒトのつながり、などといった概念を、拒否とは言わないが無視しているかのような曲想...。ヒトが歩み入れない巨大な北極圏の自然というか、ヒトの存在を意に介さない巨大な自然のうごめきを感じるというか...、特有の心象的な世界...。この2点です。もちろん、他の人の理解をえられない、自分だけの感情の、裏付けのない語彙足らずな表現です。ごめんなさい。

 コレだという1曲を選ぶのはムリですが、うち、まったく理解してもらえそうもない部分を書いてみようかな...、って、だったら書くだけ無駄なのですが...。ま、ひとりごとです。

 4番が最も晦渋と言われます。が、今となっては私にとっては、親密で心地よい響きの1つです。

 世間様一般の「演奏会」などという華やかな場では全くウケない曲でしょう。わかりやすく稼げるウケ狙いのDG(グラモフォン)のバーンスタイン盤に、4番6番の録音が無いことでもすぐおわかりの通りです...って、す、すみません!! バーンスタインの、"ウルトラロマンティシズム(私の勝手な命名)"の全集も、やはりなくてはならないシリーズです。が、こと4番については、今は記憶の視野から外しておきます。

 いきなり1楽章冒頭が、Vc(チェロ)とコントラバスのみの強奏で(赤枠)、旋律を為すかなさないかのような混沌とした謎の動機。すぐ6小節目からソロのチェロで(黄色枠)、違和感ある陰鬱な主題...。目が点になって軽い恐怖に襲われるかもしれませんが、こころの深みに沈潜していくようで、ひとりしずかに向かい合う気持ちにひきずりこまれます。


 2&3楽章も言いたいことはあれど、今日は4楽章の一部を。

 4楽章の冒頭。突如えぐるような弦のみの深いユニゾンの (fp) の1音で打ち上げられた、1st Vnの上行音階。上に凸な放物線の頂点でデクレッシェンドして落下、2nd Vnが受けて下に凸な放物線の下端の頂点でまた上行、Vaがこれを受けてまた上に凸な穹窿...と、思わず呼吸を深く合わせてしまうように、聴く者は翻弄されて、これまた不思議な楽章にいきなり吸い込まれていきます。

 クラリネット奏者の良し悪しをあっさり判別し、世の多くの奏者を振るい落として捨て去るような音階。CDとして録音を世界にリリースしているようなレベルのオーケストラなら別に不安ではないのですが、4番4楽章を「演奏会」では絶対に聴きたくない恐怖感があります。


 低音楽器群のみの静かなさざ波に、ヴィオラのソロが冥界の旋律を奏でます...。

 同様に、静かで規則的なのに不安なこころのさざ波が続き、管楽器群が震えだし、弦楽器群の揺れがトレモロからグリッサンドへと大きく動き出します...。しばしばあの世の鐘が響くように、グロッケンシュピールが叩かれます。



 そのまま、古典的な調性音楽でなじんでいるような調和的な旋律やドラマ性など無しに、巨大な流れが破裂したり収束したりして、金管が消え、木管が息絶え、弦のみのテヌートで静かに絶えます...。

 おそらく、「演奏会」のプログラムにうっかり載せたりなんかしたら、聴衆は茫然としてそのまま終了となるでしょう。シベリウス存命中から今に至るまで、きっとそう...。ゆえにプログラムに載ることは無いでしょう。でも、作曲者には、自分以外に誰のことなども振り返り顧みる必要など無いような、強い内面のヴィジョンと意志が、あるような気がします。

 70年代コリン・デイヴィスの最初の全集、ボストン交響楽団盤が、少年時代のあの頃には手に汗を握って耳を傾けたLPでした。今CDで聴くと、LP時代より音像がクッキリしていますが、テンポはかなり速く、今となっては、もうちょっとじっくり聴き入りたい気がします。

 90年代に、スウェーデンBIS盤で、ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の4番のCDを購入。LPもCDも、マイクが近く、音の彫りが深く、ダイナミックレンジが広大で、しかもじっくりと聴き入ることのできるテンポです。今でも一番手が伸びる演奏です。

■ より新しい録音のBIS盤の、オスモ・ヴァレンスカ/ラハティ交響楽団盤は、90年代終わりの録音とはいえ、編成が小さく現代的なシャープな演奏で、北欧の氷のような冷たさを彷彿とさせる録音となっていて、これまた独自の存在感があります。

 4番に関しては、上の3者のうちの後2者が私にとって現時点で決定的です。

 でも、7曲の全集となったら、素晴らしい演奏がどっさりあって、しかもまだ聴いたことのない演奏もいくつもあり、既知の花畑と未知の沃野に、「シベリウスの交響曲」は、ずっと心が躍る存在であり続けていますし、毎日を生き生きと生きる希望でもあります。

2024/06/17

■ あるく - 仏ケ浦


 霊場恐山の「奥の院」である、奇岩ひしめく海岸の「仏ケ浦」に。かねてより訪れたいと思いつつも半世紀(!?)...。意を決して...って、大げさですか。

※ 仏ケ浦海上観光 Website

 クルマでアプローチするとして、降りて陸路を徒歩で海岸まで侵入するのは、相当な気合いが要ります。

※ このあたりから目のくらむような断崖の階段を歩いて降ります。帰りは...。

 国土地理院 GSI 地形図↓でご覧のように、高低差100m以上です。駐車場(P)マークは私が付しました。Pから降りて20分、帰りは急坂の登りを30分...。炎天下を30分もひたすら階段を登り続けるのは、恐山地獄巡り1万歩の後では無理かも...と怖気づきました。陸路はほかに絶無。

※ 国土地理院GSI Mapsより

 ガイド(案内人)として、遊覧船に頼ることにします。北側にある佐井村から沿岸を約20kmの航海。往復で90分です。知らない土地は、絶対にガイドが必要です。そのおかげで訪問の密度はケタ違いに上がります。え? 「大間マグロ丼」や「ウニ丼」? 何ですかソレ? 食べ物ですか? お金をかける値打ちは案内人であって、ごちそうではないです。ごはんはこの日の18時間を通じて、持参したライ麦パン1斤をつまみ水道水を飲むのみです。

 「恐山」の裏道の樹林帯を北西に抜けて薬研温泉渓谷を遡上し、歩道みたいに細い国道を西の佐井村の海岸まで降ります。クマ・サル・その他の四つ足獣を多数目撃します...クマって、見たら当局に通報すればいいんしょうか...? いずれにせよ、あなたには絶対に勧められない鬱蒼とした狭隘路です。自分としては快適な陽だまりの森林浴の道でした。

■ 佐井村を貫いて南北に海岸沿いに縫う山岳路を、国道338号線「海峡ライン」というのだそうですが、今回はその道を、本州北端の大間から、佐井、仏ケ浦、南端の脇野沢まで延々と60km続く険しくも絶景の山岳路を走るのが第一の目的でした。でも、佐井村から仏ケ浦を通り、さらに南下しようとしたら、最も険しい南半分が土砂崩落個所多発による年内通行止めでした。

※ Google Map (地名と交通情報は私が記入)

 予定を変えて、仏ケ浦の奇岩とこの世ならぬ海岸を、遊覧船と散策で堪能することにしました。

※ 船窓より

 往路と復路に各30分、仏ケ浦海岸散策時間が30分です。

※ 仏ケ浦海上観光 website

 神秘的な奇岩に、もうほんとうに圧倒されました。

 遊覧船の乗客は40名程度。比較的狭いエリアで30分。撮影している岩場は、スニーカーやゴム長では歩けないです。登山用のトレッキングシューズが必要です。多くの人は、船着き場のある画像奥側の砂浜エリアにとどまっていました。


 混んでいたかもしれないけれど、人影があればこそ、眺めていて奇岩の巨大さが現実感を持ちました。でも、次回来るならば、体調を整えて、断崖の上から歩いてアプローチしてみたいと思います。まるでひとりぼっちの海岸となる可能性が大いにありそうです。


名残惜しく振り返ります...待避帯で