■ 日曜日。今日も快晴です。気温27℃、湿度50%。乾燥したそよ風が吹いています。すばらしい初夏のお天気。
2025/07/13
■ あるく ■ 森林の湖畔の道
■ 日曜日。今日も快晴です。気温27℃、湿度50%。乾燥したそよ風が吹いています。すばらしい初夏のお天気。
2025/07/12
■ あるく ■ ブドウ畑の脇道
■ 廻堰大溜池の堤防直下の、とある場所。数十年来、ただの散歩するヒトとして、その変遷を見るともなく眺めてきました。
■ 水田として開墾されたのでしょうが、すっかり放棄され原野化した葦野原。午後は高い堤防の影となり、泥濘地でした。
■ 十数年前から、家庭菜園的に手入れされ、農家の片手間みたいな雑多な野菜畑となったその一部に、ごく小さなブドウ棚(簡易な垣根式)。それが、この1,2年、少しずつ面積を増していました。
■ 今年に入って、見かけて驚いたことに、雑多な野菜畑は、全廃し、客土され、ブドウに統一されたようす。見るからに商用ブドウ畑として拡張し、徹底的にキレイに仕立てられていたのでした。
■ しかも、この、誘引作業の丁寧さと言ったら...。近づいて、見て、ドキリ(トップ画像)。
■ そうとうな強い意志を感じます。
■ 私は農家でも何でもないナニもわかっちゃいない素人の傍観者ですが、大いに惹かれ、意識して拝見するようになりました。
■ ずっと不思議に思い続けていることに、これ、長梢剪定(Guyot Double型)ですが、垣根仕立のようでチョイ変形型...。"ワイヤを利用した棚仕立"ではもちろんない。
■ 実は、ここ北津軽郡鶴田町では、生食用の"スチューベン種"が盛んで、GI(地理的表示保護制度)産品です。
■ 近隣のブドウ畑をあちこち眺めていると、一般にその仕立ては、垣根仕立をベースにしているのですが、標準的なヨーロッパ(や米・南米・豪)の垣根仕立みたいに低くないです。
■ 多く見かける高さとしては、ヒトの胸から首の高さに張ったワイヤに長梢を誘引しています。が、房は、固定された長梢を挟んでさらに斜め上にY字型に誘引されています。
■ 山梨のような、頭のずっと上に棚仕立、葉がフルーツゾーンの上あって夏の強い日射を防ぐような仕立じゃないんですね。
■ この鶴田町の独特な仕立てにより、雪による棚の崩壊がなく、棚より低コストで、冬は幹が雪に埋まり、その上の枝が積雪の上に出て折損を防いでいる状態で越冬するようです。
■ これらの工夫は、世界のどの地方にもない知恵のような気がします。
■ 今ここの農園のさらに独特な点は、その誘引の高さが、顔から頭の位置くらいと、やや高い点です。
■ おそらく、地形的特徴、つまり、堤防直下の"日陰", "湿地"という要因から、房を抜ける風の通りを優先したのかなと推理中。
■ 今度、ここの畑の人に質問してみたいです...ヘンなヤツ、怪しいヤツでしょうか、そんなことしたらやはり...。
■ 津軽地方は、ブドウ産地としては、...いつも心のなかでひとり思うのですが...、日本一の好条件なんじゃないでしょうか。
■ 本州の他の全ての地域は、開花期(Floraison)にかならず梅雨に遭い、色づき(Veraison)頃から最も肝心の収穫(Vendange)前の時期に高確率で台風に遭い、その間に30℃を連日軽く超える湿った夏。気温と降水量が、ブドウにまるで向いてないですよ。北海道は、年平均気温が低すぎ、春秋に霜が降ります。
■ それらを、熱意・創意工夫・技術でクリアして、みずみずしい生食用ブドウをアジア各国に輸出している点、日本のブドウ栽培は、涙ぐましいものがあります。
■ 津軽地方には、梅雨は無いと言ってよいし、台風に直撃される惨事は、無いとは言えないですが、中部地方や東北地方の南三県よりは、確率的に稀です。
■ 津軽地方の果樹栽培を、何の利害関係もない無力な私の、こころの中でだけのちっぽけな話ですが、大いに応援しています。
2025/07/11
■ あるく ■ 岩木山高原の道
■ カラリと晴れた昨日今日。日差しは強いのですが、乾いた涼しい東風が吹きます。旧南部藩地方(八戸など、青森県の右半分)は低温で天候不順、八甲田山脈を挟んで旧津軽藩地方(青森県の左半分)は高温晴天。つまり、典型的なヤマセ型気圧配置のようです。(🔗4/25)
2025/07/10
■ 叔父逝去と思い出すこと
■ 叔父が逝去しました。M叔父さん...。
■ 銀行支店長を歴任してきた経歴...。とは、うらはらに、いつも朗らかで柔らかく、居る者すべての関係とその場の空気をすぐ読んで、事前にも、その場でも、入念に、即時に、軽やかに話を運び、結局は皆がこころから笑顔になる...。でも「あのときの楽しさは、彼の配慮だったのだ」と、たいてい、私たちの誰もが、ずっと後になって気づいたものでした。
■ 私の、覇気のない大学受験の頃、もらった気軽なあの一言。また、20代のほとんどを病床で伏せて過ごした後みじめに生きていた20代の終わり頃、もらった気軽なあの一言。あのときのあの一言のおかげで、私は、軟弱な意志の大学受験も、気持ちも病んで拗けていた病み上がり後の仕事も、安心して楽しめる余裕を得ることができました。
■ いずれの一言も、彼の仕事柄、広い世間で、調子の良い人・悪い人・天国・地獄の現場を目の当たりにし、考え、おそらくその豊富な経験から、私を励ましてくれたのでしょう、友人みたいな目線と口調で私に声をかけてくれました...
■ ...ということすら、ずっと後になってから、"あぁっ、そうだったのか!"と、気づきました。
■ 以上書いた、たった"2回の一言"のお礼を、彼みたいにさりげなく一言、彼に告げる...ことができないまま、機会は永遠に奪われました。
■ 今日の葬儀の、和尚の法要も、会葬経験の少ない私にとっては、出会ったことのない印象深いものでした。cf.2023/6/1
■ 和尚は、法要が終わり、立ち上がり、参列者に向き直り、「故人は私の母の弟にあたる方です。生前に数々お世話になったことを想い、せいいっぱい勤めさせていただきました...」と、個人的なこころからの想いを切々と話していただいて、皆、つよく胸をうたれました。
■ それほど叔父は、皆から慕われていたのだと、感慨をあらたにしました。
■ この和尚は、昨年11月にK叔父が亡くなった際も(🔗2024/11/19)、私にとっては"聞いていて意味などわからないお念仏のみからなる仏教法要"という"形だけの儀式"といった固定観念を軽く乗り越え、逝去した人を、参列者ら自らが、能動的に、しかしごく簡単に、お送りすることに参加できるような、実にじょうずな工夫をして、大いに参列者の共感を得、会衆に深い印象を刻みました。
■ 和尚の、配慮や経験や技量の懐の大きさがあってこそ...。これもあらためて実感しました。
2025/07/09
■ まなぶ ■ 角川書店ビギナーズクラシックス「万葉集 ~『二上山』」坂口由美子
■ 読んだうちの、ごく一部を、抜粋します。(以下最終行まで抜粋です):
天武天皇が崩御して一か月もたたないうちに、「天皇暗殺陰謀」の罪で大津皇子が捕らえられた。時に大津二十四歳。草壁皇子の安泰を図ろうとする皇后(後の持統天皇)の思惑が絡んでいたと考えられる。
事件の直前に、大津は、ひそかに、伊勢にいる姉の大伯皇女をたずねた。巫女である姉に神意を聞く気持ちがあったのかもしれない。
大伯皇女は十四歳から伊勢神宮の斎宮となり、すでに十年余り。斎宮とは未婚の皇女が神に奉仕する仕事で、天皇の即位ごとに選ばれる。母大田皇女はすでになく、神に仕える大伯皇女にとって大津は唯一の頼もしく愛しい存在でもあっただろう。
" 我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし "
一〇五 大伯皇女
愛しい弟を大和に旅立たせるとて、私はひっそりと見送ったのだった。夜更けにいつまでもじっと立ち尽くしていた、とうとう夜明けの露にすっかり濡れて。
" ふたり行けど 行き過ぎかたき秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ "
一〇六 大伯皇女
ふたりで行っても越えにくいあの寂しい晩秋の山を、いまごろあなたは、どのようにしてたったひとりで越えてゆくのだろう
訪ねてきた大津を都へ帰す時の大伯の歌。「大和へ遣る」には、帰したくないのに行かせる気持ちが現れており、大津を待ち受ける暗い運命を予感するような響きがある。晩秋の夜明けの闇の中に送り出し、茫然とそのまま立ち尽くしていると時が過ぎ、やがて未明の露がおりて着物もすっかり濡れてしまう。
あの人は今ごろ寂しい山のどのあたりを一人越えているのだろうと、闇の中、目を凝らし耳を澄まして愛しい人の姿を求めるのである。「秋山」には、死者の赴く所という意味もあり、不吉なイメージにつながっていく。
この直後に大津皇子は逮捕され、その翌日処刑される。
大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にて涙を流して作らす歌一首
" ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ "
四一六 大津皇子
磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死ぬのだろうか。
「雲隠る」は、死を意味する。大津の魂は鳥の姿になって、独りあてどなく遠い雲のかなたへ飛んでゆくだろう。そして、明日も変わらず、鴨は磐余の池に鳴くだろう。
天武天皇の崩御に伴い、大伯皇女は十二年間務めた斎宮を解任され、都に戻った。
" 神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ 君もあらなくに "
一六三 大伯皇女
伊勢の国にいた方がよかったのに。いったい私は何のために都に帰って来たのだろう、あなたももうこの世にいないというのに。
大津の死後一か月して詠んだ歌。都から離れ、斎宮としての厳しい日常の中で、弟の処刑の知らせは、現実味を伴わないものだっただろう。都に戻れば、もしかしたら弟に会えるかもしれないというかすかな希望。しかし、都に戻って残酷な現実を突きつけられた彼女は「何しか来けむ...」とつぶやくばかりである。茫然として打ちのめされる。
大津皇子の屍は、二上山に埋葬される。二上山は葛城連峰の山で雌雄二峰に分かれ、大津の墓所は雄岳の頂上にある。
" うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我れ見む "
一六五 大伯皇女
この世の人間である私は明日からは、この二上山を弟だと思って眺めていよう。
" 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに "
一六六 大伯皇女
岩のほとりに咲く馬酔木の花を手折ろうと思ったけれど、せっかく手折ったところで、それを見せるはずの弟がこの世にいるとは、誰も言ってくれないのに。
「うつそみ」とは現世のこと。半年近くたってようやく、大伯皇女は弟の死を現実のこととして受け止めようとする。生きている自分とは違う世界に行ってしまったことを自分に納得させようとする。しかし、頭では理解できても気持ちの切り替えは簡単ではない。馬酔木の白い小さな花を思わず手折ろうとして、無意識に弟に見せようとしていたことに気づき、はっとする。当時は、「死者に会った」と言って遺族を慰める習慣があった。しかし、大津は処刑されたのだから、誰もが口をつぐんで、言ってはくれない。
これら大伯皇女の歌には、何の技巧もなく、それだけ愛する者を突然、それも普通でない形で喪った人間の悲しみの深さが、切々と伝わる。























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