2025/06/22

■ まなぶ ■ 万年筆のネーミング-3:プラチナ-2


タイトルの枝番号が膨らんですみません。ま、気になさらずに。

 先日書いたプラチナ万年筆 センチュリー#3776 シャルトルブルーですが...(🔗6/16)。

 フランス、シャルトルにあるノートルダム大聖堂(カトリック教会)のステンドグラスの色を想起させるイメージで売り出しているのでした。

 おひざ元フランスのamazonで購入するフリをしてみましょう。どういう表示で売り出しているのかな。関係ないけど送り先はイスラエルにしてみました...。


 商品名は英語で"#3776 Century Gold Trim Chartres Blue"(画像右側の水色の下線)。

 色は..."ダークブルー;Bleu foncé"なんですね...。(画像右下の青い下線; いずれも下線は私が引いたものです。以下同じ)。

 ...なにか釈然としないです。

 キリスト教とは袂を分かつユダヤ教...。ヘブライ語話者すなわちイスラエル人がamazonで購入を検討しているフリをして調べてみましょう。


 色名は "ブルーチャート"...紺碧に似た海の青でしょうか。もちろんカトリック教会を連想させることなど絶対におくびにも出しませんよね。

 イスラム教が国教となっているアラブ首長国連邦の一都市、世界の富豪が集まるドバイでamazonからプラチナ万年筆#3776シャルトルブルーのお買い物をしましょう。


 商品名には、ごく一般的な普通名詞のみ列挙して、色は"ダークブルー"の表示。もちろんカトリック教会を連想させることなど絶対におくびにも...。

 日本で「シャルトルブルー」として売り出したんですが、フランス語、ヘブライ語、アラビア語とも、色の表示に変更があった、ということでしょうか。変更を加えたのはメーカー自ら? だとしたら、なぜネーミングと商品イメージを貫こうとしない?  それとも世界各地の現地のリテーラーたちがあえて変更? "こんなネーミングで売れるわけないだろう"との配慮? いずれにしても、日本でしか使えないようなイメージ商法なんでしょうか。

 所有していて、ネーミングのイメージの美しさや満足感よりも、気恥ずかしさ哀しさがチョっとだけ勝るような気が、そこはかとなく、漂うんです。

2025/06/21

■ まなぶ ■ 縄文土器 - 三内丸山遺跡の展示


緑とそよ風にあふれるいにしえのさんぽ道を存分にあるきました(🔗6/19)。日も傾きかけ、閉館まで1時間に迫りました。

 改めて展示館に入り、今度はこころの照準を、"土器"に合わせて見て回りましょう。

館内は、写真撮影可。"SNSで紹介してね"との表示があります。


 ジオラマは、地理的鳥瞰とともに、自分の理解の俯瞰が一気に進む展示物なので、詳細に見ることにしています。作った人たちの苦労やテクニックや工夫も看取されて、楽しい小世界です。cf. 奥入瀬渓流🔗2024/4/26


 館内は、「見学者」という現代人の人影は完全に絶え、ひとり貸し切って、縄文人の方々に見られながら拝見、という状況です。縄文人の皆さんそれぞれさまざまな作業中...のところ、おじゃまします。そ、それにしても、土器の圧倒的な(発掘&復元)量と、それらの巨大なこと...。


 その形状が"熱効率"という思考を得ています。狩猟した大型中型動物を解体して「焼いて」食う...だけの食生活から、動植物を「煮炊する」ことによって、消化性・保存性が劇的に改善され、ヒトという生物の寿命は飛躍的に伸び、個体数は爆発的に増えた...、との趣旨を、中学1年生の"歴史"で習います。

 前回書いた"黒曜石交易文化圏"(🔗6/18)の感動もそうですが、中学高校の歴史の授業は、それを老人の皆さんが批判するような「支配者の入れ替わりを羅列するだけの歴史授業なんて、どうかと思います/けしからん」ではなく、きちんとヒトの営みの賢明さとその感動を伝えています。"博物館"の存在で、そのことは、批判する老人の皆さん(往々にして大学受験等の中等教育の歴史を履修していなかったりする)が生命体として発生する以前から、明らかですよ。大河ドラマばかりご覧にならず、脚を使って外に出て、博物館を巡るのも楽しいですよ。

 "土器"というテーマひとつとっても、感動が伝わります。

 こちら↓は、土器ですが、漆で仕上げた"漆器"です。内容物の貯蔵性や土器そのものの耐腐食性を改善した効果があったと思います。


 それにしても、5,000年以上前の"漆器"とは...。


 こちら↓は特別展。縄文草創期の"無紋土器"の次の世代に遷移しつつあった"細隆起線文土器"です(レプリカ。左端に発掘片)。三内丸山遺跡は縄文中期の大規模集落ですが、この特別展は、当遺跡の縄文中期からさらに1万年さかのぼる14,000年ほど前のものです。想像を絶する古さのはずですが、このデザインは、製作時に、作業性や使用時の効率を念頭に置いたほかに、装飾性・芸術性まで意識し始めた様式を感じます。


 こちら↓は通常展示。↑から1万年!へだたっています...。規模が巨大化し、意匠にも堂に入った製作者の意志を感じます。


 そう思うと、5,000年前の土器ですが、美しさという感覚をじわりと呼び起こされる思いです。

 特別展を出て館内を移動していると、地下への階段と「収蔵室」のガイドプレートが。ふつうは、見学者ならそのまま通過しそうですが、ちょっと下をのぞき込みます。見学者が降りてかまわないようです。


 壁は、発掘された土器片です。レプリカではないです。あの地元小学生だった彼の話を思い出します...。🔗6/19


 おぉ、復元中、もしくは石膏かエポキシ樹脂かで補修復元済みのおびただしい数の土器群がきれいに陳列されています。(トップ画像も)


 その壮観さに、しばらく見上げたまま...。はぁ~とため息が出ます。


 さて、最大の不思議、土偶。当遺跡のそれは、平板土偶です...が、よほど大量生産されたのでしょうか...。どう見ても、いわば「縄文アーティスト展」ともいうべき、現代アートのアトリエ主催の美術展の一角にしか思えない、不思議で心おどるような芸術性に満ち溢れています。

 蛇足ですが、私のこの感覚を煽るかのように、ここの展示枠の色は、ポップなマゼンタピンクの塗装ですよ!(笑...展示担当学芸員の方の「世代を問わず、親子で/友人と/カップルで、"現代アート"を楽しんで!」という意図を感じてしまいます。ステキな演出です!

 う~ん、キミたちはなぜ存在しているのだろうか。種々の説明がありますが、私の知能と理性では理解不能で納得がいきません。合目的的な存在価値を見出そうとするのは、しかしながら、「歴史の授業はこうあらねばならぬ」と何にでも"自分で理解できる(ハズの)科学的説明"を得たがるアタマのカタそうな科学者的態度になりそうですので、戒めることにします。

 この分野の専門研究の今後のさらなる成果に期待するとして、今は、自分の無知を知り、そのまま受け入れ、これらの存在の不思議さと芸術性を心に刻みたいと思います。

2025/06/20

■ あるく ■ 湖畔の木陰の道 - 廻堰大溜池


お暑うございます。高原の風が吹き抜ける山麓の道をあるこうと思って出てきたのですが、木陰がない道です。

 途中通りかかった廻堰大溜池の木陰...。ひんやりとさわやかな風が抜けていきます。

 「ボクやっぱりここで涼んでいるから、キミ、好きにあるいてきて。」と言わんばかりの表情となったロードスターの停め方...。広い場所に置いて、今日はここであるき始めることにします。

 大溜池は、湖そのもの。青く広くたたずんでいます。


 岩木山は、暖められた山肌の空気が、大きな流速で上昇中のようです。上空の空気がひんやりしていて、露点に達する標高が山頂付近となっているようですね。



🔗 3/9

 涼しげな雰囲気に満ちた木陰のトンネルをいつくしんであるきます。



 季節は巡るものですね。

 この冬に折れたあの松。画像左は湖岸です。冬の風雪をもたらす季節風は左の湖岸から吹き付けます。松林は、道の右側に広がるりんご畑を、強い風雪から護る役割を果たしています。


 樹林帯が途切れて湖畔が迫ります。



 目も開けていられなかったあの冬の猛烈な寒波の日々から半年。季節の対岸にいます。遠い昔のようです。