■ 今年は今日が"立春"。 今朝は未明前からついにみぞれとなり、今この昼まで小雨模様です。
■ 大学時代に読んだ表題のお話。以後ウン十年、"立春"と聞いた瞬間にはかならず思い出します。
■ 1945年(日本では太平洋戦争終戦の年)の年明けに、突如、世界中で、"立春の時に(限って)卵が立つ"という話が、爆発的な話題となったそうです。
■ 中谷のこの話(1947年初出)を読むまでもちろん知りませんでしたし、"卵を立てる"="コロンブスの卵"、つまり、"もとから立つはずのない卵を立てるには、発想を転換し、破壊したら容易に立つではないか"などという、コロンブスをある意味賞賛するような刷り込まれた発想しかありませんでした。大いに教訓を得た体験でした。
■ 中谷の著作の結論から言うと、中谷から学んだ態度は;
1) コロンブスのように暴力によって物や人に本来そなわる性質を枉げる、物理学的には"外力を加えることにより物体に本来備わらない性質を物体そのものの性質として認識する"のは、科学としては論外。
2) 科学者や権威者が、"客観的真実"と主張したり騒いだからと言って真実とは全く限らない。況や全世界の人類が一斉に主張したからといって於呼。
3) ゆえに、自身で、知識と理路一貫性を十分考え、複数の主張と、可能な限り自力による検証を用いて、真実を同定しよう。
■ 以後ウン十年、私にとって、"立春の日"は、"戒めの日"です。
■ 以下、🔗青空文庫 - 『立春の卵』中谷宇吉郎から引用。漢数字は一部算用数字にしてあります。また、語句を適宜省略したり( )で補完したりしています;
"(1947年)2月6日の各新聞は、写真入りで大々的にこの新発見を報道している。
昔から「コロンブスの卵」という諺があるくらいで、世界的の問題であったのが、この日に解決されたわけである。というよりも、立春の時刻に卵が立つというのがもし本統ならば、地球の廻転か何かに今まで知られなかった特異の現象が隠されているのか、あるいは何か卵のもつ生命に秘められた神秘的な力によるということになるであろう。それで人類文化史上の一懸案がこれで解決されたというよりも、現代科学に挑戦する一新奇現象が、突如として原子力時代の人類の眼の前に現出してきたことになる。
ところで、事実そういう現象が実在することが立証されたのである。『朝日新聞』は、中央気象台の予報室で、新鋭な科学者たちが大勢集って、この実験をしている写真をのせている。七つの卵が滑らかな木の机の上にちゃんと立っている写真である。『毎日新聞』では、日比谷の或るビルで、タイピスト嬢が、タイプライター台の上に、十個の卵を立てている写真をのせている。札幌の新聞にも、裏返しにしたお盆の上に、五つの卵が立っている写真が出ていた。これではこの現象自身は、どうしても否定することは出来ない。
もっともこの現象は、こういう写真を見せられなくても、簡単に嘘だろうとは片付けられない問題である。というのは、上海ではこの話が今年の立春の二、三日前から、大問題になり、今年の立春の機を逸せずこの実験をしてみようと、われもわれもと卵を買い集めたために、1個50元の卵が一躍600元にはね上ったそうである。それくらい世の中を騒がした問題であるから、まんざら根も葉もない話でないことは確かである。
『朝日新聞』の記事によると、この立春に卵が立つ話は、中国の現紐育(ニューヨーク)総領事張平群氏が、支那の古書から発見したものだそうである。そして、国民党宣伝部の魏氏が1945年即ち一昨年の立春に、重慶でUP特派員ランドル記者の面前で、2ダースの卵をわけなく立てて見せたのである。ちょうど硫黄島危しと国内騒然たる時のこととて、日本では卵が立つか立たないかどころの騒ぎでなかったことはもちろんである。さすがにアメリカでもベルリン攻撃を眼前にして、この話はそうセンセーションを起すまでには到いたらなかったらしい。
ところが今年の立春には、丁度その魏氏が宣伝部の上海駐在員として在住、ランドル記者も上海にいるので、再びこの実験をやることになった。
ラジオ会社の実況放送、各新聞社の記者、カメラマンのいならぶ前で、(2月)3日の深夜に実験が行われた。実験は大成功、ランドル記者が昨夜UP支局の床に立てた卵は、4日の朝になっても倒れずに立っているし、またタイプライターの上にも立った。
4日の英字紙は第一面四段抜きで、この記事をのせ、「ランドル歴史的な実験に成功」と大見出しをかかげている。立春に卵が立つ科学的根拠はわからないが、ランドル記者は「これは魔術でもなく、また卵を強く振ってカラザを切り、黄味を沈下させて立てる方法でもない。ましてやコロンブス流でもない」といっている。みなさん、今年はもう駄目だが、来年の立春にお試しになってはいかが。
こうはっきりと報道されていると、如何に不思議でも信用せざるを得ない。おまけに、この話はあらかじめ米国でも評判になり、ニューヨークでも実験がなされた。ジャン夫人というのが、信頼のおける証人を前にして、3日の午前この実験に成功したのである。
「最初の2つの卵は倒れたが、3つ目はなめらかなマホガニーの卓の上に見事に立った。時刻はちょうど立春のはじまる3日午前10時45分であった」そうである。
上海と、ニューヨークと、それに東京と、世界中到いたる処で成功している。立春の時刻はもちろん場所によって異なるので、グリニッチ標準時では2月3日午後3時45分である。それがニューヨークでは3日午前10時45分、東京では5日午前0時51分にあたるそうである。ところがジャン夫人の実験がそのニューヨーク時刻に成功し、中央気象台では、4日の真夜中から始めて、「用意の卵で午前0時いよいよ実験開始……30分に7つ、そして9つ、すねていた最後の1つも時間の0時51分になるとピタリ静止した」そうである。こうなると、新聞の記事と写真とを信用する以上、立春の時刻に卵が立つということは、どうしても疑う余地がない。数千年の間、中国の古書に秘められていた偉大なる真理が、今日突如脚光を浴びて、科学の世界に躍り出て来たことになる。
しかし、どう考えてみても、立春の時に卵が立つという現象の科学的説明は出来そうもない。立春というのは、支那伝来の二十四季節の一つである。一太陽年を太陽の黄経に従って24等分し、その各等分点を、立春、雨水、啓蟄春分、清明……という風に名づけたのである。もっと簡単にいえば、太陽の視黄経が365度になった時が、立春であって、年によって少しずつ異るが、だいたい2月4日頃にあたる。地球が軌道上の或るその1点に来た時に卵が立つのだったら、卵が365度という数値を知っていることになる。
如何にも不思議であって、そういうことは到底あり得ないのである。ところがそれが実際に世界的に立証されたのであるから、話が厄介である。支那伝来風にいえば、立春は二十四季節の第一であり、一年の季節の最初の出発点であるから、何か特別の点であって、春さえ立つのだから卵ぐらい立ってもよかろうということになるかもしれない。しかしアメリカの卵はそんなことを知っているわけはなかろう。とにかくこれは大変な事件である。
もちろん日本の科学者たちが、そんなことを承認するはずはない。東大のT博士は「理論的には何の根拠もない茶話だ。よく平面上に卵が立つことをきくが、それは全くの偶然だ」と一笑に附している。実際に実験をした気象台の技師たちも「重心さえうまくとれば、いつでも立つわけですよ」とあっさり片づけている。しかしその記事の最後に、「立春立卵説を軽くうち消したが、さて真相は……」と記者が書いているところをみると、記者の人にも何か承服しかねる気持が残ったのであろう。何といっても、5日の夜中の実験に立会って、0時51分に10個の卵がちゃんと立ったのを目のあたり見ているのだから、それだけの説明では物足りなかったのも無理はない。
もう少し親切な説明は、『毎日新聞』に出ていた気象台側の話である。「寒いと中味の密度が濃くなって重心が下るから立つので、何も立春のその時間だけ立つのではない」というのである。それもどうも少しおかしいので、ニューヨークのジャン夫人の居間なんか、きっと夜会服一枚でいいくらいに暖くなっていただろうと考える方が妥当である。もう一つはどこかの大学の学部長か誰かの説明で、卵の内部が流動体であることが一つの理由であろうという意味のことが書いてあった。そして立春の時でなくてもいいはずだということがつけ加えられていた。ラジオの説明は、私はきかなかったが、何でも寒さのために内部がどうとかして安定になったためだというのであったそうである。
それらの科学者たちの説明は、どれも一般の人たちを承服させていないように思われる。一番肝心なことは、立春の時にも立つが、その外の時にも卵は立つものだよと、はっきり言い切ってない点である。それに重心がどうとかするとか、流動性がどうとか、安定云々とかいうのが、どれもはっきりしていないことである。例えば流動性があれば何故倒れないかをはっきり説明してない点が困るのである。
一番厄介な点は、「みなさん、今年はもう駄目だが、来年の立春にお試しになってはいかが」という点である。しかしそういう言葉に怖けてはいけないので、立春と関係があるか否かを決めるのが先決問題なのである。それで今日にでもすぐ試してみることが大切な点である。
実はこの問題の解決は極めて簡単である。結論をいえば、卵というものは立つものなのである。"
...(ここからは、中谷自身が、数個の卵とゆで卵を使って、自ら実験し、実際に卵を立てて確認したいきさつが詳細に述べられていますが、省略)...
"要するに、もっともらしい説明は何も要らないので、卵の形は、あれは昔から立つような形なのである。この場合と限らず、実験をしないでもっともらしいことを言う学者の説明は、大抵は間違っているものと思っていいようである。
物理学の方では、釣合の安定、不安定ということをいう。釣合の位置から少し動かした場合に、旧の位置に戻るような偶力が出て来る場合が、安定なのである。卵が立っているような場合は、よく不安定の釣合といわれる。しかし物理学の定義では、この場合も安定なのであって、ただ安定の範囲が非常に狭いのである。"
...(ここからは、「卵は理論的にはふつうに立つ。」その根拠として、
1) 重心を通る垂線が底面積を通過すれば、物体は立つ。球と平面の接触面積という点で、卵はその接する底面積が極端に狭い、その数学的具体例。
2) 卵の殻の表面に顕微鏡レベルでは凹凸があり、弾性的歪により隣り合い安定する3点か4点の間を垂線が通過すればよい)...
"しかしそれにしても、余りにことがらが妙である。どうして世界中の人間がそういう誤解に陥っていたか、その点は大いに吟味してみる必要がある。問題は巧く中心をとればというが、角度にして1°以内というのは恐ろしく小さい角度であって、そういう範囲内で卵を垂直に立てることが非常に困難なのである。その程度の精度で卵の傾きを調整するには、10の1粍(mm)くらいの微細調整が必要である。それを人間の手でやるには、よほど繊細な神経が要いることになる。実は学校へ卵をもって行って、皆の前で立てて、一つ試験をしてみようと思った時は、なかなか巧く行かなかった。夜落著いて机に向っていて、少し退屈した時などにやれば、わりに簡単に立つのである。
卵を立てるには、静かなところで、振動などのない台を選び、ゆっくり落ち著いて、5分や10分くらいはもちろんかけるつもりで、静かに何遍も調整をくり返す必要がある。そういうことは、卵は立たないものという想定の下もとではほとんど不可能であり、事実やってみた人もなかったのであろう。そういう意味では、立春に卵が立つという中国の古書の記事には、案外深い意味があることになる。私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることは出来なかったであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。
人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。
立春の卵の話は、人類の盲点の存在を示す一例と考えると、なかなか味のある話である。これくらい巧い例というものは、そうざらにあるものではない。
(昭和二十二年四月一日)