2025/10/13

■ あるく ■ 平舘灯台


青森市内の親類を訪れた後、薄曇りの秋空のもと、暖かく乾いてさわやかな風に吹かれるように、自宅に向かわず、陸奥湾岸をゆっくり北上。

 青い空と青い海を背景にした白い灯台は、"灯台"の絵としていちばん映えるのですが、今日はどうかな。

 いつもの旧街道の松林。波音を聞きながらしずかにゆっくり抜けます。


 すぐ平舘(たいらだて)灯台・平舘台場。

 空は高層に巻層雲。高気圧下にのびやかに広がる秋の雲。気温は穏やかで、海風が気持ち良いです。


 "台場"という単語は、幕末に設置された砲台を言います。ここにもその謂れが掲げられています。


 が、それよりこの旧幕時代以来の松林の見事さ。さすが殿様時代のお役所が手を入れただけあって、幕末情緒が漂い、しばし見とれます。

 あ、肝心の平舘灯台は、足場が組まれ、お化粧直し、つまり塗装工事中だそうです。


 30分程度散策し、1時間半ほどかけ、山を越え、藁焼き煙る靄の津軽平野を縦断してゆるゆると帰宅。

2025/10/12

■ まなぶ ■ 津軽平野の藁焼き


津軽の風物詩。

 ...と表現すれば風情がありますか。通称"藁(わら)焼き"、"藁焼き公害"。

 津軽平野の田んぼという田んぼが、いっせいに火祭り状態です。

 つまり、稲刈り後の稲わらの焼却のことです。Google先生の解説は過去形になっていますが、トップ画像でおわかりの通り、毎年変わらず現在進行形ですよ。


 稲刈りは、今どきはどこでも、コンバインで刈り取り、コンバインからは作業時に同時に、鋤き込みに便利なように裁断した稲わらを排出します。稲刈り直後に、稲わらを改めて土壌に鋤きこんで土中にて冬中にゆっくり腐敗させ、菌類細菌類などの生態系分解者に委ねれば、翌年の土壌改良につながります。

 が、津軽の人間はそれをせずに、さっさと燃やしまくって、すぐに首都圏などに冬の4,5か月間"出稼ぎ"に出発します...。

 このスキームが、昭和やそれ以前から続く"寒冷地の貧農=津軽地方"の決定的印象です。

 藁焼きの匂いとせき込むような煙が、せつない冬の到来を告げるようです。

 と同時に、このスモッグは、人工的な濃霧に近い存在で、重大な交通事故や交通障害、健康被害をもたらしてきました。

 街中にあるあなたの家の中にまで煙は入り込み、布団や衣類や洗濯ものにびっしりと煙くささがこびりつきます。逃れられる場所は無いです。

 "農家に限って、野焼きは許される。植物は二酸化炭素を吸収して生長したのだから、これを燃焼しても、二酸化炭素をもとの空気中に返したダケだ。カーボンニュートラルは保たれているんである"と主張する論者は、もちろん自分の利欲が絡んでいるからです。数十年数百年かかって吸収した二酸化炭素を、いきなり一瞬のうちに放出する、それもあなた個人の金銭的利益のためだけに...。あなたの利益のためなんだから、他の人類は交通事故や健康被害くらいガマンしなくては...。

 最近ではさらに加えて、"クマの通り道となる河川敷の植物という植物は、徹底的に伐採して燃やしてしまえ!"という論も果樹農家から主張されています。(🔗8/20のクマの珍情報源(個人のウェブサイト))

 都道府県自治体では、その意見を支持していないようすですが、どうなのでしょうか。

 青森県庁のウェブサイトでは、「法律上も条例上も野焼きは禁止。稲作農家の藁焼きは弊害がある」として抑制する傾向です。

 "交通事故多発"は今は置くとして、誰にでも起こり得る"健康被害"を、「🔗稲わら焼却による大気汚染状況調査結果(R6)」(PDF文書)にてまとめています;

〈調査項目について〉
○浮遊粒子状物質(SPM
大気中に浮遊する粒径10μm以下の微細な粒子。自動車や工場の排ガス中の化学物質のほか、火山灰や黄砂等の自然由来のものにも含まれ、大気中の光化学反応により二次的に生成される場合もある。 
○二酸化窒素(NO2
主として、重油、ガソリン、石油などの燃焼により発生する一酸化窒素が、大気中で酸化されて生成する。二酸化窒素を含む窒素酸化物(NOx)は光化学スモッグの原因となるほか、人体の中枢神経系に影響を及ぼし、呼吸気道、肺等に障害を与える。
○微小粒子状物質(PM2.5
SPMの中でも直径2.5μm以下のもの。通常のSPMよりも肺の奥に入り込みやすく、吸い込むと肺がんや循環器疾患の原因となると言われている。

 SPM、NO2、PM2.5の各濃度とも、稲刈りとそのスモッグ発生時期には、跳ね上がっているグラフが、このPDF文書からは、容易に視て取れます。

例; PM2.5濃度

 市町村自治体の採る対策はといえば、『藁焼きはやめましょう』というノボリを主要国道県道バイパス沿いに立てるという無能ぶりです。

 "津軽地方だなんて、貧しい稲作農家地帯なんだから、鋤きこむという手間ヒマ費用を惜しんで稲刈り後はすぐ出稼ぎに"、というスキームは、今でもこの津軽地方にやはりあるのかなぁ、農家の皆さんが豊かに暮らすためにガマンしなくちゃだめかな、やっぱり...。お米はあんなに高いのに...。街場の路地裏にすむ私は妙に目がしょぼしょぼして涙が出てきました...ごほごほ。

2025/10/11

■ お酒をいただきました - 人気酒造純米大吟醸


清酒をいただきました。二本松のお酒です。

 南東北在住の方からおみやげで。いつもお気づかいありがとうございます。

 およそ大吟醸酒は、重量感よりも、ただよう軽やかな空気感が命です。これは、純米でありながら、その軽い空気感に加えて、磨いて醸したお米の大吟醸酒それぞれに特有なフラワリーな香りを、ぞんぶんに楽しめる出来です。青森のような田舎には造れない、進取の気風ある東北南部や信越の洒脱さを満喫できました。


 少しずついただき、しばらく楽しむことにします。

2025/10/10

■ あるく ■ 砂沢溜池


津軽地方の奥地の、観光地でも何でもない山あいの集落地域を縫って、長くゆっくりクルマを走らせました。

 曇ってひんやりした空気。これまた津軽地方の鬱々と内向的な雰囲気に合っているのかもしれません。

2025/10/09

■ まなぶ ■ 吉田秀和 - シューマン『交響的練習曲』の終曲はうるさい?


"まなぶ"というタイトルよりむしろ、"読む"話、しかも「吉田秀和って誰?」というあなたに意味不明な話なんですが。

 吉田秀和『LP300選』は、愛読書です。タイトルも時代遅れなら、推薦盤もLP初期から中期のもの。画像はすっかり変色し切った新潮文庫昭和59年版ですが、これ、大学生の時に"買い直した"2冊目です。いまだによく手に取ります。知り尽くしたフレーズですが、ときおり眺め、感銘をあらたにしたり反発したり...。

 さて、そんな箇所はいちいちたくさんあるのですが、今日は、シューマンの記述の前半。

 "300選"を作曲家ごとに選ぶこの"選集"のうち、1割近い29点はモーツァルト、ついで22点がバッハ。これはごもっとも。

 笑ってはいけないが笑ってしまうのが、"ショパンは(たったの)2点"。

 うち1点は『マズルカ』。これは何百回か読みなおし聴きなおし、歳月を経てからやっと、実感できるようになりました。

 "私の三〇〇選には、以上の二種目で我慢してほしい。偏見と承知しての話である。そうして、私は、とかく「ショパンは、天才的素人作曲家である」というルネ・レイボヴィッツの言葉に共感したくなるのである。"

 ...吉田のスタンスに共感と納得を得ます。

 "この私が、シューマン(Robert Schumann 1810-56)には、少しあまい。これも偏見だろう。"


 と言って、ショパンの時と同様、次々とピアノ曲を俯瞰し、さて、けっきょくどれを選ぼうかという段になって、"『交響的練習曲』は天才的な作品だと思うが、フィナーレがなんとしても長すぎる。あの反復はたまらない。"と、選から捨てます。

 大学生の時以来、コレはムっとした箇所でした。

 「評論家大先生はいいよなぁ、シューマンの大作をも"反復がたまらん、長い、うるさい(?)"といって、ポイだもんなぁ」と、大学時代同好の士だった友人らと軽口をたたき合ったものです。

 血気盛んな若者(?)なら、あの頃にリリースされた若き日のポリーニ(DG)盤を聴くと、拳を握りつつ感動したのですが、それは多少引き潮気味だとしても、今でも思いは同じです。

 自分の好みに合う文章かそうでない意見かを、吉田にぶつけつつ気にしつつ読んでいたあの頃。

 いま、考えてみると、吉田秀和の、白水社の全集も新潮の文庫本も、手に入る限りかき集めて読んできたわけなんですが、読み方はちがうと気づきます。

 ショパンとちがって、シューマンには、歌集も室内楽も管弦楽も多いので、ピアノ独奏曲は、グッとこらえて『クライスレリアーナ』『幻想曲』だけに絞りに絞ったようですが、そこに至るまでに、存分に吉田の、シューマン・ピアノ曲の位置づけを読んで楽しむスタンスを取るようになりました。しぼるのにずいぶん苦しんでいるはずのところ、選に漏れたものをも、記述の中で上手にそれぞれ位置づけ、きれいにしまいこんでいて、数年後数十年後の今になってすぐに、整理整頓されてしまわれてしまった棚から、自分で取り出して聴けばいいだけ、にしておいてくれていたんですねぇ...。