■ 秋晴れの続く良いお天気。先週ずっと雨がちでしたが、今週は穏やかな秋晴れのようです。
■ 空気もスッキリ澄んで、爽やかです。
■ 柏のいつもの田んぼの道。いつものポイントで撮影。ぴったり半年前の4/24と同じく、田んぼは眠りについたようです。また来年の4/24に撮影できるかな。
■ 空気もスッキリ澄んで、爽やかです。
■ 柏のいつもの田んぼの道。いつものポイントで撮影。ぴったり半年前の4/24と同じく、田んぼは眠りについたようです。また来年の4/24に撮影できるかな。
■ 選択肢から選ぶ試験方式です。別な選択肢をあてはめて想像してみます...(訳は拙訳です);
問. I was ( ) to see that so much food was thrown away after the wedding reception. Isn’t there any way to avoid this kind of waste?
「結婚披露宴の後で、ずいぶん多くの食べ物が捨てられていたのを見て、私は( )。この種の廃棄物を回避できる方法は何かないものだろうか。」
選択肢; 1. appalled 2. enthralled 3. exalted 4. contented
■ どの選択肢も、他動詞の過去分詞形で、主語の感情を表して、成立しているようです。
■ 1. を選びましょう;
「結婚披露宴の後で、ずいぶん多くの食べ物が捨てられていたのを見て、私はぞっとした。」
…回避したい・無くしたい事態だと望んでいるので、この選択肢でよいと思います。
■ 2., 3., 4., を選ぶと;
2.「披露宴の後で、ずいぶん多くの食べ物が捨てられていたのを見て、私は大いに魅了された。」
3.「披露宴の後で、ずいぶん多くの食べ物が捨てられていたのを見て、私は気分が高揚した。」
4.「披露宴の後で、ずいぶん多くの食べ物が捨てられていたのを見て、私は大いに満足した。」
■ 2,3,4の「私」は、捨てられた食べ物を見て、あとで厨房の裏口にもらいに行こう、今日はすごいごちそうだぞ、とワクワクしているホームレスの方ではないかと推理されます。
■ 正解肢以外を選んでしまった方は、後から自分が選んだ意味を知って憤慨しそうです。こんな選択肢を置いて、多くの人に解かせよう、わからなかった人を陥れよう、としている人が存在しているのを見て、私はぞっとした...(その割に愉快に愛読していないか?)
■ …なんてことは、考えたこともなかったのですが、人に「津軽塗の映画を観た」との話を聞き、自分で使ってきた経緯を振り返って見ましたら、使わなかった時期は無かったことに気づいた次第。ついでに興味を惹かれたので映画の予告編をちらりと見たら、弘前が舞台らしいのですが、話している言語が、俳優さんたちの努力はじゅうぶん伝わるのですが、だいぶ異なる言語なので、ちょっと...(そういうことにこだわるなよ)。
■ 小学校のとき(こりゃまた半世紀前の話かよ...)、友人と、砂利と土だらけの山道を自転車で上って、下りる際にスピードを出し過ぎた私も友人も、カーブを曲がり切れずに、二人とも谷底に...落ちる前に、樹木にひっかかりました。なんとか自転車も引きずり上げて、「あ~愉快」などと擦り傷だらけで帰宅。ワイルドな田舎キッズですが、友人が、その際に力いっぱい抱きついた木が、漆の木でした。翌日の発疹やかぶれ(漆性皮膚炎)が猛烈だったようで、数日間学校を休んだので、見舞いに行った記憶があります。
■ 中学時代の通学路として、津軽の伝統的工芸品「こぎん刺し (麻と綿の刺繍)」「ブナコ (山毛欅木工細工)」「津軽塗」の、いずれも工房の前を、偶然ですが、通っていました。街中でしたがずいぶんのどかな通学路です、今から思うと。うち、ある友人が、「津軽塗」の工房の前にさしかかると、止まって、慎重に、店の戸が開放されていないか確認した動作をします。聞くと「あの工場(こうば)の前を通るとかぶれるんだ」。ホントかっ!? と思いましたが、のちに知ったところでは、敏感な人には、未乾燥の漆液から発散する漆酸のせいでやはり皮膚炎は発症するのだそうです。
■ 昭和の東京の4畳半の下宿でも使っていました。貧相な男子大学生が、漆塗りの盆と茶托に白磁の器を毎日使っているだなんて、異様ですが、「茶などこぼしても大丈夫で便利」「なじんでいるから使いやすい」というだけの理由です。プラスチックのお盆でもたぶん抵抗なく使ったことでしょう。
■ ところが、病院で入院生活をした20代になって気づいたんですが、病院のプラスチック製のお盆は、食器も指もよく滑って使いづらいです。今どきのプラスチック製のお盆は、防滑性耐久性その他の性能の点で、漆器を軽く上回る素材やコーティング技術だと思うのですが、あの当時、病院から自分の部屋に帰って初めて、それが塗り盆であるがゆえに使いやすいのだと気づきました。
■ それ以来、意識して津軽塗製品を使っています。と言っても、まともに買うと、いまだに私の財力とは金額の桁が大きく異なるので、親の実家にあったもので古いものや使っていないものばかりを、今日にいたるまで使っています。
■ 画像の盆は、もう親子三代、少なくとも60年は使っていますが、たぶんもっとずっと古いでしょう。上塗りの蝋色磨きの釉はすっかり白くザラけてしまいました。塗りの再生作業の依頼も可能ですが、購入する金額とあまりかわらないようす。プラスチック以前の時代は、地元では必需品かつ消耗品で、需給関係と市場の大きさから、庶民も買えるものだったのかもしれないと思います。
■ この春の実家整理の際に、使わずにしまい込まれた同種の盆を何枚か見つけたので、画像の盆のような古いものはもう処分しよう...とは思わず、まだ使おうと思いました(;^^...。十数年前に、所用で会津若松に行った際、偶然に入った繁盛している大きな古いお蕎麦屋さん。ここ30年ほどで外食した回数は片手で数えられますが、その一つです(どうでもいいか)。そこでは、驚いたことに大きな膳で給仕されました。いっそう驚いたことに、その什器類がすべて漆器でした。膳だけは、猛烈に使い込まれています。他の什器のような黒や朱の会津塗ではありません。近隣の秀衡塗や浄法寺塗でもなく、木目地は見えず春慶でもない。不思議に思って、お店のお姉さんに塗りの種類を尋ねたら、代わって女将さんがお出ましになって、「津軽塗です」と。こんな大掛かりな膳のセットで津軽塗...。「お客さんはあの青森ナンバーのお車の方?」とも。...この女将さんの力量の大きさに刮目してしまいました...。
■ あの膳に比べると、小さなわが家族が50年100年使ったくらいじゃ、あの貫禄は出ないので、ボロくなっても生涯使おうかなと思います。でも、艶のある新しい塗りは、やっぱりいいです、画像の茶托みたいに(...軟弱者)。
「私(わたくしと読んでもらいたい)は、退職を機に、使ったことのない筆記具『万年筆』を購入しようかと、ふと遊び心で、思った。
「今の状況としては、職場を終えた後で、時間的に経済的にもだいぶゆとりがある。住宅ローンも終わってだいぶたつし、クラウンの乗り替えやゴルフクラブセットの買い替えなど費用のかかるものはこの1,2年で済んだ。離れて家庭を持つ子や孫も手がかからない。今の趣味のほかに、さらに心の余裕も出てきたと言ってよいので、日常生活に多少の遊びがあっても良かろうと思っている。
「万年筆というものは、私の学校時代など、周りに自慢げに使っていた同級生もいるようだったし、また、万年筆ブームとやらも長く続いているようだが、しかし、あのむき出しの金ピカの金属の先端が、いかにも大げさで嫌味な印象だった。また、職場の部下たちが話題にしていたこともあるが、職場の文書には使ってはならない非実用品であり、職務遂行には不必要なぜいたく品で、軽薄な気がした。私はそのようなものにかかわったことはないし、彼らをうらやましいと思ったことなど、一度もない。
「だが、今後の私の生活を豊かに彩るのに、角度によって輝くペン先など悪くはないなと感じるようになった。ゆとりはあるので、少し良いものを買いたい。情報過多の現代、わざわざ年下の部下たちに頭を下げてまで意見を聞く必要は感じない。ネットで『万年筆 初心者』など、ちょっと調べればすぐ知識は得られる。
「初心者とはいえ、今の私にふさわしいものがよい。有名なモンブランやペリカンから始めるのがよいだろう。私のロレックスと万年筆は合いそうだ。カフェでメモしたり図書館で調べものなどする自分を想像すると、実に年齢や立場にふさわしい気品が漂う。
「さっそく『モンブラン』を検索すると、製品の番号によって値段がだいぶ違うが、画像はどれを見ても全く同じにしか見えない。この形のコピーはどこにでもありそうだ。だのに、どれも想像していたより極端に高額だ。どうやら宝飾品としての位置づけらしい。使うか使わないかわからないような、たかが真っ黒けなプラスチックの筆記具に、この金額はない。私は理性的な方だから、やめておこうと思う。
「『ペリカン』も聞き覚えがある。滑(すべ)らなそうな機能を表すわかりやすいが変な名前がついていて、赤青緑の縞模様から松竹梅を選ぶようだ。ところが、自慢気な若者たちのウェブサイトで、不穏な記述がある。洗って水にふやけて使えなくなったとか。冗談はやめてもらいたい。
「イタリア製品はさすがに気品がある。代表的なのはオーロラみたいな名前のだ。買うつもりで何度かサイトで探していたが、あるとき、グーグルに『オーロラ』と入れても出ない。どうも「アウロラ」と変な読み方をするようだ。そこで『アウロラ』と入れてスペースを押した途端『アウロラ_折れる』と妙なセットがヒットする。『ラミー_折れる』というのもある。不審に思い、導かれて読み進むと、購入者によるほんとうに折れた画像が次々と、また、そんな噂の火元を消そうと躍起になっているいくつかの販売店の記事があり、いっそう不信感がつのる。あぶなかった。やはり検索して下調べをする私の判断は、賢明だったというべきであろう。
「そもそもどんなものでも、国産品がいいに決まっている。質実剛健で賢い消費者としては当然だ。
「国産といっても、メーカー名だけ見ては、日本の会社か外国の会社かわからなかったが、『日本3大メーカー』があるようだ。しかし、どれを見てもモンブランと同じデザインだ。
「迷った場合は、業界最大手の物に限る。クルマだって、トヨタに限るのと同じである。どうもパイロットというメーカーらしい。
「初めて使うおすすめは、各種サイトに共通して『カクノ』だという。何といっても小学生を視野に入れた安い価格なので、まずは謙虚に従い、慣れたらすぐグレードアップすることにする。この謙虚さが私の取り柄である。休日に妻につき合わされて出かけた地元の大きなモールの文具ショップで、シックな黒をすぐに購入できた。
「初めての万年筆を、さっそくパッケージから出す。ボールペンのようなノックはいらないようだが、代わりにキャップを取って、一枚板のような銀色の金属の板を露出させて、書いてみる...が...
「なぜか書けない。私は筆圧がかなり強い方なのだが。ジェットストリームを使うのと同じく強く押してみる。先端の、紙と接触する金属の板の中心が、最初から割れているのだが、不安定にしなるだけで、紙に傷だけがつく。値段も安いし、やはり不良品か。いっそう強く押したら、しなっていた銀色の先端が、ぐにゃりと曲がった。元に戻らない...。どういうことなのか...。国産メーカーの安物は実は中国製などではないのか。当たり外れがありそうだ。やはりきちんとした本家本元のモンブランとかでないとだめなのではないだろうか。
■ 今日は、この噺のあらすじや成り立ちをご紹介し、米朝の演じ方を評論してみましょう...などと神をも知らぬバカなマネは、さすがにいくら独りよがりな私でも怖気づきます。
■ 上方落語を代表するこのお話を、今日は、思い出し、聴き直し、いつも感じてきたことのうちから、2点だけ採り上げてみます。
■ 1) モノ自慢より、ヒトの機微
■ モノ自体は、話のネタにもならないような「どこにでもある湯呑」、今風に言えば「百均の湯呑」です。いや、それだって、今どきは「百均で買いましたぁ」「全然イイですじゅうぶんですね」などというブログネタにはなっていそうですが。
■ この話は本来はモノの評価や価値観の話のような気もするのですが、取るに足らないそのモノ、使う人のしぐさ、目をつける人たち、人に関する情報・思惑・それに基づく行動がどんどん重なり、あれよあれよという間に爆発的にストーリーが広がります(このスピード感は、噺家の洗練によるものです)。
■ 人類社会で、i) 驚くべきことは、動物との決定的相違点である「モノを作り使う」過程のテクノロジーの発達だ、というのは、たしかに今さら言うまでもないですが、
他方、ii) 驚くべきことではないが、そのモノをどう使うかは、人類発生以来、あまり変わり映えがしないだろう。入手と取引方法、本来の使い方とそこからの乖離、本来の値打とそこからの乖離...。
■ ii)はありふれたストーリーですが、人間社会でおもしろいのは、i)よりii)である点にハッキリ目を付けたお話なんだなと、意識します。
■ モノそのものより、それがどう使われる・どういう運命をたどる...が、尽きることのないおもしろさの源泉です。
■ 振り返ってみれば、江戸時代背景のこのお話も、現代のインターネット上のお話も、あいかわらずそうではないでしょうか。(ネット上で、i)「買っちゃいましたぁ。すごいですね~。試しましたぁ。やっぱいいですね~。」...だから何なのよ? と、つい、「ブツを買って紹介」のサイトに楯をつきたくなるのは、性格の曲がった私だけでしょうか。 それより、ii)「こんなふうに使ってきました」という長年の工夫と愛着を見て、眼を剥いて驚き感嘆することがあり、充足感や信頼感は高いです。)
■ 2) 上方落語の背景の豊かさ
■ 江戸落語では、登場人物は徳川幕府時代の社会の各層に渡り、それぞれ立場や年齢にふさわしい江戸弁です。この微妙な弁じ分けは、噺家特有の妙味があり、楽しめる点です。
■ 他方、上方落語だって全くそうなのですが、その登場人物の社会階層のバリエーションは、江戸落語の比ではないような気がします。
a) 落語に登場する社会階層としては、
江戸落語は、徳川300年の武家社会を反映し、武家・町人・職人・農民が主たる登場人物ですが、
上方落語は、それにさらに加えて、朝廷(帝(みかど=天皇)と公家)と豪商という強烈なスター役者が存在します。町人の種類だけでも、農林水産業、豪商・富裕町人。他にも、比叡と高野に代表される僧や出家や山伏やついでに天狗様と、役者ぞろいです。
b) 舞台となる地理的エリアとしては、
江戸落語は江戸(江戸城-武家屋敷街-下屋敷街-下町)とその近郊の農村という関東平野の同心円的な背景です。東西の外延は、千葉の海岸から箱根の関所までです。
他方で上方落語は、中心点が複数に渡り、朝廷の京都、豪商の大阪、抹香の香る奈良に加え、京都と山城は違うし大阪と和泉・摂津は違うし、また、各種産業の中心がさらにその周辺の三河・尾張に始まり遠州・近州をまたいで、大都市圏を西に越え、播州・淡路・讃岐にまで及ぼうかという近畿中部中国四国に渡ります。ゆえに、関西圏の言語はすべて地域ごとに異なります。
■ 以上を使い分ける上方落語の噺が、おもしろくないはずがありません。
■ 『はてなの茶碗』では、舞台が、清水寺のお安い水茶屋、京の高級茶道具の店先、関白家、鴻池家、内裏と、他の噺にはない異常に大きなスケールです。人物は、油売り行商の大阪町人、茶屋のおやじ、公家出入りの茶道具商、その丁稚や番頭、豪商、関白家、果てはあろうことか帝(みかど)まで登場します。大坂弁と京ことば、町人と商人と公家のことばは、それぞれみな違います。やり取りの楽しさ可笑しさは言うまでもなく、思うのですが、それぞれが相手への配慮をごくさらりと、しかし必ずや、示してくれる心理や場面が存在することに気づくとき、その感動は、...ヒトとしての思いやりや機能する身分社会への信頼感やそれをすべてさらりと話してのける噺家の力量の大きさなど思い起こすと...、ひとしおです。
■ 米朝のCD全集盤(EMI, 2006年盤;S49-6-25広島)には、さすがに帝の口ぶりをマネてセリフを言う場面はありません。速記録にもないです。が、私の記憶では、彼の異別の録音で、帝の口調を、扇子か張扇かを口に当て少し高めの声部でゆっくりごくふた言ほど言いかけて、「いや、どんなふうに話さはったんかは、私にはわかりまへんけどな...」と茶化して途中で口調をヤメた録音があったと思います。帝のクチマネをするとは不敬な話で戦前生まれの人には許せないコトかどうか私にはわからないのですが、おそらく彼はその点に配慮したからかもしれませんが、その際の米朝の茶化し方もまたウマく、いかにも我われには垣間見ることもできない雲の上の敬愛すべき存在感を出していて、関西落語の世界の深さ厚さを一層実感した記憶があります。
■ 米朝のこの噺には、アハハと腹の底からこころから涙が出るほど笑うのですが、涙が出るのはおかしいからばかりではありません。