■ 「クマに襲われる飼い主」!?
■ クマを飼うヒトがいるんですか。クマなんか飼わないほうがいいと思いますよ。
■ 襲われているところに、通りすがりの第三者であるビーグル犬がこれを見咎めて、さっそうと割って入ったのですか。良い話です。
...国語力にあんまり自信がないヤツより...
■ クマを飼うヒトがいるんですか。クマなんか飼わないほうがいいと思いますよ。
■ 襲われているところに、通りすがりの第三者であるビーグル犬がこれを見咎めて、さっそうと割って入ったのですか。良い話です。
...国語力にあんまり自信がないヤツより...
■ 中谷『雪の十勝 - 雪の研究の生活 - 』(1935)は、十勝岳のヒュッテで研究する模様が書かれています。90年前の随筆、ということになりますね。
■ 主題は、冬季間にそこで、雪の結晶につき研究や写真撮影するようすが綴られている、という点です。が、その研究手法や成果を解説したり感想を述べたりするなどというのは私の能力に余る行為です。いまここで抄読したいのは、この文に登場する、ヒュッテの管理人Oさんというヒトの驚くべき存在感です。
■ 中谷宇吉郎『雪の十勝』(青空文庫)より抜粋 。なお( )は私が付しました。また、数値は私が漢数字をアラビア数字に表記し直しています;
"初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、算えて見ればもう十勝岳へは5回も出かけて行ったことになる。落付く場所は道庁のヒュッテ白銀荘という小屋で、泥流コースの近く、吹上温泉からは5丁(約550m)と距たっていない所である。此処は丁度十勝岳の中腹、森林地帯をそろそろ抜けようとするあたりであって、標高にして1,060米(m)位はある所である。(森林限界は、本州が2,500m前後、北海道は約1,000m前後)
"雪の研究といっても、今までは主として顕微鏡写真を撮ることが仕事であって、そのためには、顕微鏡は勿論のこと、その写真装置から、現像用具一式、簡単な気象観測装置、それに携帯用の暗室などかなりの荷物を運ぶ必要があった。その外に一行の食料品からお八つの準備まで大体一回の滞在期間約10日分を持って行かねばならぬので、その方の準備もまた相当な騒ぎである。全部で100貫(約350kg)位のこれらの荷物を3,4台の馬橇(ばそり)にのせて5時間の雪道を揺られながら、白銀荘へ着くのはいつも日がとっぷり暮れてしまってからである。この雪の行程が一番の難関で、小屋へ着いてさえしまえば、もうすっかり馴染(なじみ)になっている番人のO老人夫妻がすっかり心得ていて何かと世話を焼いてくれるので、急に田舎の親類の家へでも着いたような気になるのである。
"この白銀荘は山小屋といっても、実は山林監視人であるO老人の家であって、普通には開放していないので、内部は仲々立派に出来ている。階下が食堂兼居室で、普通の山小屋の体裁に真中に大きい薪ストーヴがあって、二階が寝室になっている。この小屋の附近は不思議と風当りが少いので、下のストーヴの暖みに気を許して、寝室の毛布にくるまっていると、自分たちにはこの小屋の二階が何処よりも安らかな眠りの場所である。..."
■ 以下は雪の結晶の顕微鏡観察や顕微鏡写真の話が綴られていますが、肝心のココの箇所は省略して、O老人のことについての記載を見ましょう;
"朝目を覚まして青空が見えるような日には、一同大変な元気で早くから起き出してしまう。そして急にパンを切ったり、スキーに蝋を塗ったりして山登りの準備にかかる。何時の間まにか、天気がよくて雪の降らぬ日はふりこ沢のあたりまでスキーに乗って、積雪上の波型を見に出かけるということに決まってしまったのである。そして特に晴れた日にはそのまま十勝の頂上まで行程を伸ばしてしまうのである。それを楽しみにして特に助手を志願して出る学生も出て来て、大抵いつも十勝行きに人手が足らなくて困るということはない。
"O老人もよく一緒に行くことが多い。かんじきを穿かしたら誰もこの老人に敵うものはないが、スキーはまだ始めて2年にしかならぬというので、丁度良い同行者なのである。この老人は全く一生を雪の山の中で暮して来たという実に不思議な経歴の人である。この人の話などを聞いていると、雪の山で遭難をするというようなことはあり得ないという気がするのである。一昨年の冬にも犬の皮1枚と猟銃と塩1升だけを身につけて、12月から翌年の2月一杯にかけて、この十勝の連峯から日高山脈にかけた雪嶺の中を一人で歩き廻って来たというのである。この老人の話をきくと零下20度の雪の中で2カ月も寝ることが何でもないことのようなのである。もっともその詳しい話を聞き出して見て驚いたのであるが、この老人はわれわれのちょっと及ばぬような練達の科学者なのである。
"雪の中で寝るのに一番大切なことは焚火をすることであるそうである。それは極めてもっともな話であるが、厳冬の雪の山で焚火をするのは決して容易な業ではない。ところがこの老人は3段のスロープの蔭に自分たちを連れて行って、何の雑作もなく雪の上で大きい焚火をしてわれわれを暖めて見せてくれたのであった。風の当らぬ所を選んでこれだけの焚火があったら、なるほど雪の中で寝ることも事実普通の生理学と少しも矛盾しないのである。鋸ぎりと手斧とマッチが食料品と同様に雪の山では必需品であることを実例で教えてくれたのはこの老人であった。
"感心したことは、この老人は出来るだけ文明の利器を利用しようとつとめることであった。魔法瓶だの気圧計だのというものには特別の興味を持ち、かつそれを利用したがるのである。とうとうその思いが一部叶って魔法瓶を買うことの出来た時の無邪気な喜びようには誰もが心を惹かれた。気象の見方、保温の方法、器具の取扱い法、食料としての兎の猟り方から山草の料理法など、すべての事柄について、隅の隅まで行き届いた細かい注意が払われていることが、聞き出すごとに分って来た。このように自分一人の体験で作り上げた科学の体系を持っていて初めて山の生活が安全に遂行されるのであろう。"
...引用は以上
■ 最後の一文"自分一人の体験で作り上げた科学の体系を持っていて初めて山の生活が安全に遂行される"というのは、ずっと記憶に残るような、含蓄が深いことばです。整合していなければただちに命にかかわる状況だと思うと...。筆者の意図とは違うだろうけど、私も折りに触れてこの言葉を思い出しては、「ちゃんと全体を捉えろよ」「全体の中でどこに位置するんだ?」と、諌められたり励まされたりした気がします。
■ 中学生の頃は、クラシック音楽が生活のすべてみたいな傾向がありました。でも高校時代にJazzに、うち、ビッグバンドとピアノトリオに惹かれます。ここ数十年は後者のみ、CDのみでした。自分のCDライブラリは100枚もない程度ですので、やはりこの分野でも自分は永遠の初心者です。
■ 帰宅して見たお店のウェブサイトには、CDプレーヤとDAコンバータがAccuphaseのDP-100とDC-101。LINNのLP12やYAMAHAのディスクプレーヤーもさり気なく写っています。いずれの機器も四半世紀以上〜30年選手ですが現役バリバリで稼働しているようです...。
■ 空間サイズや石壁風の内装により低音は飽和していましたが、高音域は、高能率のJBL製コンプレッションドライバの、あの晴れ渡った青空のような清々しさを、直接浴びるほど堪能しました。これは他社製の家庭用機器では逆立ちしても表現できない次元です。
■ Jazz喫茶のこだわりって、独自の世界観があって、たまには浸りたいです。クラシック音楽の'演奏会'という場に我が身を置く気にはまったくならないのですが、こういう空間は本当にくつろいで没入できます。
■ その'たまに'っていうが、'24時間おきに'という常連さんたちが、やはり居られました...いいなぁ。お邪魔してすみませんでした。
■ ここに連れて来てくれたM君、いつもほんとうにありがとう!
■ 多少困ったのは、昨日帰宅してから、興奮してまったく眠れなかったということか...。今日は早く寝ます(^^w
■ 最近のクマさんって、犬を飼っているんですね。
■ 逃げたヤツは誰なんですか? クマさんが飼っている柴犬を、"おさかなくわえたドラ猫"みたいな悪いドラ猫がくわえて逃げたんですか? 被害にあったクマさんたちが相次いで110番通報したんでしょうか。
■ キティちゃんが猫を飼っている世の中だしなぁ。シュールレアリティックな世の中になったものだなぁ...(詠嘆終止法)
...国語力にあんまり自信がないヤツより...
■ 夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』青空文庫
この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話しである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄すごいような艶っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話をしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。
「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大いに活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽く叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大いに吾輩を賞める。「近頃大分だいぶ大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三挺とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私がその中へまじりましたが、自分でも善く弾けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨しそうに問いかける。...「なに二人とも去る所の令嬢ですよ、御存じの方じゃありません」...
■ 寺田寅彦の随筆のいくつかの飄々たる文体や、油彩画や俳句を善くしたことと重ねて、寒月君そのものと信じてしまいます。
■ 寺田の門弟の中谷宇吉郎(物理学)のエッセイ集に、『長岡と寺田』という一文があります。
■ '長岡'とは、原子モデルで著名な物理学者の長岡半太郎です。中学校検定教科書では、理科(物質と化学変化)ではドルトン、メンデレーエフ、アボガドロ、ラボアジエ、田中耕一は登場するものの、長岡の名はなし。他方で、歴史(明治の文化)で名前を暗記させられるようです。
■ 寺田は長岡に師事しました。
■ 中谷の文を抄読してみましょう。人名やふりがなの"( )"は私が振りました;
■ 中谷宇吉郎『長岡と寺田』青空文庫
"寺田(寅彦)先生は、あのとおり、どんなつまらない人間でも、その長所は十分に認めるという性質であった。いわんや長岡(半太郎)先生のような卓越した大先生の学問には、十分の敬意を払われた。そして長岡先生のあの性格の強さを、武士道の名残りとして大いに尊重しておられた。"
"長岡先生は、原子物理学の方で有名であったが、地球物理学にも興味をもたれ、地震研究所にも席があった。そして地球物理の論文をたくさん書かれた。私(中谷宇吉郎)がまだ理研にいた頃の話であるが、ある日何かの用事で寺田先生の部屋へ行った時、先生が長岡先生の論文原稿を見ておられたことがあった。「どうも長岡先生の論文を拝見するのは少し閉口なんだが」といって、例のように独特の苦笑をされた。少なくもあの頃は、長岡先生も、地球物理関係の論文は、一応原稿を寺田先生に見て貰われたようであった。
「長岡先生も、地球物理の方は、あまり自信がおありにならないようだ。この頃はよく「君、ちょっと見ておいてくれ給え」といって、原稿を頂戴するんだが。どうも先生には、地球物理なんかという御気持があるらしく、大分調子を落されるんでね。少し閉口なんだ。この間も緯度変化と地震という大論文の中で、山から次ぎの山まで、即ち波長の二分の一と書いてあったんでね。おそるおそる「先生これは波長じゃ御座いませんか」と伺ったら、「そうだね」とあっさりλ(ラムダ)と直されたんだ。あれには少々驚いたよ。僕だったら、あんなことを書いたら、とても気になって二晩くらい眠れないんだが。「そうだね」には、実際びっくりしたよ。えらいものだね」といって、ちょっと首をすくめて見せられたこともあった。
どうも、長岡先生にとっては、地球物理学は、いわばホビィであったように思われる。寺田先生も、その点は十分よく了解しておられたようである。しかしそのホビィが、だんだん嵩じてきて、地震研究所の談話会で喋り放しにされる論文の中には、少しのんきすぎるものが、まじってくるようになった。中には、ほとんど出鱈目(デタラメ)に近いような論文もあったそうである。..."
"それがとうとう爆発したのは、ある日の地震研究所の談話会の席上である。私は直接その席にいたわけではないが、会のあとで坪井、宮部の諸兄が...「たいへんなことになっちゃった」とくわしく様子を知らせてくれた。..."
"長岡先生が、例によって大気焔をあげられ、御機嫌よく講演がすんだあと、議長が型の如く「御質問御討論がありましたらどうぞ」という。皆は、いわばさわらぬ神にたたりなしという顔付で、少々煙に捲かれながら、黙り込んでいる。
「そうしたらね。寺田先生がすっくりと立ち上って、こういう風に机に両手をついて、少しぶるぶる震えながら、
「先生の今日の御講演は、全く出鱈目(デタラメ)であります」
といわれるんだ。いや驚いたね。みんながシーンとしてしまったんだ。先生は真蒼な顔をしておられるしね」
「まさか。話だろう」
「いや、本当なんだよ。長岡先生、全くびっくりされたようだった。
「いや、君、そりあいろいろ仮定ははいっているが」
「いいえ、それは仮定の問題ではありません」
「しかし地球物理学には、どうしても仮定が」
「いいえ、地球物理学というものは、そういうものでは御座いません」
「まあ、そうやかましくいわなくても」
「いいえ、これはそういう問題では御座いません。今日の御話は、徹頭徹尾出鱈目であります」
「まあ、君、そうひどいことを」
「いいえ、今日の御話と限らず、この頃先生が、この談話会で御話をなさいますものは、全部出鱈目であります」
といわれるんだ。どうも驚いたね。皆すっかり固くなっちゃってね。口の出しようがないんだ。田中館(愛橘)先生が、「まあ、まあ、君」というわけで、やっとほっとしたよ。いや凄かったなあ」。
それから当分の間は、実験室の中は、この話でもち切りであった。当時の長岡先生の権威というものは、今日の人たちには、想像も出来ないくらいであった。「先生、決死の勇をふるったんだね」などと、悪童どもは、気楽なことをいって喜んでいたものである。
寺田先生が小宮(豊隆)さんに、ああいう先生は「一度鼻を攫んでぐいとねじり上げて置かないと癖になる」といわれたのは、この時の話である。
...引用は以上
■ 寺田も、巨大な権威の長岡も、十代の頃に学校で知った人物像とはずいぶん違いますね。大学生になって初めてこの中谷の随筆を読んだときには、なんだか自分が中高生時代に信じ切っていた科学という権威の世界がひっくり返った気分になりました。
■ 寺田の、"世の中が面白そうな、つまらなそうな"寒月君では全くない、強い意志と正しい学究心を貫く姿にこころをうたれます。