2025/11/01

■ まなぶ ■ 中谷宇吉郎『雪の十勝』の老人O


最近になって改めて読み耽っている、寺田寅彦と中谷宇吉郎の随筆。初めて立て続けに読んだのが40年ほど前。今日の時点で執筆出版から100年前後経っていますが、実に味わい深いです。

 中谷『雪の十勝 - 雪の研究の生活 - 』(1935)は、十勝岳のヒュッテで研究する模様が書かれています。90年前の随筆、ということになりますね。

 主題は、冬季間にそこで、雪の結晶につき研究や写真撮影するようすが綴られている、という点です。が、その研究手法や成果を解説したり感想を述べたりするなどというのは私の能力に余る行為です。いまここで抄読したいのは、この文に登場する、ヒュッテの管理人Oさんというヒトの驚くべき存在感です。


 中谷宇吉郎『雪の十勝』(青空文庫)より抜粋 。なお(  )は私が付しました。また、数値は私が漢数字をアラビア数字に表記し直しています;

"初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、算えて見ればもう十勝岳へは5回も出かけて行ったことになる。落付く場所は道庁のヒュッテ白銀荘という小屋で、泥流コースの近く、吹上温泉からは5丁(約550m)と距たっていない所である。此処は丁度十勝岳の中腹、森林地帯をそろそろ抜けようとするあたりであって、標高にして1,060米(m)位はある所である。(森林限界は、本州が2,500m前後、北海道は約1,000m前後)

 "雪の研究といっても、今までは主として顕微鏡写真を撮ることが仕事であって、そのためには、顕微鏡は勿論のこと、その写真装置から、現像用具一式、簡単な気象観測装置、それに携帯用の暗室などかなりの荷物を運ぶ必要があった。その外に一行の食料品からお八つの準備まで大体一回の滞在期間約10日分を持って行かねばならぬので、その方の準備もまた相当な騒ぎである。全部で100貫(約350kg)位のこれらの荷物を3,4台の馬橇(ばそり)にのせて5時間の雪道を揺られながら、白銀荘へ着くのはいつも日がとっぷり暮れてしまってからである。この雪の行程が一番の難関で、小屋へ着いてさえしまえば、もうすっかり馴染(なじみ)になっている番人のO老人夫妻がすっかり心得ていて何かと世話を焼いてくれるので、急に田舎の親類の家へでも着いたような気になるのである。

 "この白銀荘は山小屋といっても、実は山林監視人であるO老人の家であって、普通には開放していないので、内部は仲々立派に出来ている。階下が食堂兼居室で、普通の山小屋の体裁に真中に大きい薪ストーヴがあって、二階が寝室になっている。この小屋の附近は不思議と風当りが少いので、下のストーヴの暖みに気を許して、寝室の毛布にくるまっていると、自分たちにはこの小屋の二階が何処よりも安らかな眠りの場所である。..."


 以下は雪の結晶の顕微鏡観察や顕微鏡写真の話が綴られていますが、肝心のココの箇所は省略して、O老人のことについての記載を見ましょう;

"朝目を覚まして青空が見えるような日には、一同大変な元気で早くから起き出してしまう。そして急にパンを切ったり、スキーに蝋を塗ったりして山登りの準備にかかる。何時の間まにか、天気がよくて雪の降らぬ日はふりこ沢のあたりまでスキーに乗って、積雪上の波型を見に出かけるということに決まってしまったのである。そして特に晴れた日にはそのまま十勝の頂上まで行程を伸ばしてしまうのである。それを楽しみにして特に助手を志願して出る学生も出て来て、大抵いつも十勝行きに人手が足らなくて困るということはない。

 "O老人もよく一緒に行くことが多い。かんじきを穿かしたら誰もこの老人に敵うものはないが、スキーはまだ始めて2年にしかならぬというので、丁度良い同行者なのである。この老人は全く一生を雪の山の中で暮して来たという実に不思議な経歴の人である。この人の話などを聞いていると、雪の山で遭難をするというようなことはあり得ないという気がするのである。一昨年の冬にも犬の皮1枚と猟銃と塩1升だけを身につけて、12月から翌年の2月一杯にかけて、この十勝の連峯から日高山脈にかけた雪嶺の中を一人で歩き廻って来たというのである。この老人の話をきくと零下20度の雪の中で2カ月も寝ることが何でもないことのようなのである。もっともその詳しい話を聞き出して見て驚いたのであるが、この老人はわれわれのちょっと及ばぬような練達の科学者なのである。

 "雪の中で寝るのに一番大切なことは焚火をすることであるそうである。それは極めてもっともな話であるが、厳冬の雪の山で焚火をするのは決して容易な業ではない。ところがこの老人は3段のスロープの蔭に自分たちを連れて行って、何の雑作もなく雪の上で大きい焚火をしてわれわれを暖めて見せてくれたのであった。風の当らぬ所を選んでこれだけの焚火があったら、なるほど雪の中で寝ることも事実普通の生理学と少しも矛盾しないのである。鋸ぎりと手斧とマッチが食料品と同様に雪の山では必需品であることを実例で教えてくれたのはこの老人であった。

 "感心したことは、この老人は出来るだけ文明の利器を利用しようとつとめることであった。魔法瓶だの気圧計だのというものには特別の興味を持ち、かつそれを利用したがるのである。とうとうその思いが一部叶って魔法瓶を買うことの出来た時の無邪気な喜びようには誰もが心を惹かれた。気象の見方、保温の方法、器具の取扱い法、食料としての兎の猟り方から山草の料理法など、すべての事柄について、隅の隅まで行き届いた細かい注意が払われていることが、聞き出すごとに分って来た。このように自分一人の体験で作り上げた科学の体系を持っていて初めて山の生活が安全に遂行されるのであろう。"

...引用は以上


 最後の一文"自分一人の体験で作り上げた科学の体系を持っていて初めて山の生活が安全に遂行される"というのは、ずっと記憶に残るような、含蓄が深いことばです。整合していなければただちに命にかかわる状況だと思うと...。筆者の意図とは違うだろうけど、私も折りに触れてこの言葉を思い出しては、「ちゃんと全体を捉えろよ」「全体の中でどこに位置するんだ?」と、諌められたり励まされたりした気がします。