■ その後、冬を経て、1年たち、ついに取り壊し開始のようです。
■ 今日午前中に足場がかかり、昼頃に飛散防止シートをかぶせていました。
■ 開始してしまえば、取り壊すのはそう時間がかからないでしょう。
■ 少し気が楽になりました。無事作業終了を願っています。
■ その後、冬を経て、1年たち、ついに取り壊し開始のようです。
■ 今日午前中に足場がかかり、昼頃に飛散防止シートをかぶせていました。
■ 開始してしまえば、取り壊すのはそう時間がかからないでしょう。
■ 少し気が楽になりました。無事作業終了を願っています。
■ 就寝時に、ベッドでもふとんでも、シーツを敷くと思います。
■ W.S.モーム(William Somerset Maugham)など英米の作家の小説を読んで、快適に眠る表現として「シーツの間に、ぬくぬくと/サラリと、入り込む」などというフレーズを中学、高校、大学と読み続けて、見かけたことがあります。「シーツの"間"だって!?」と、私の生活習慣では意味不明でした。敷くフラットシーツと毛布を挟み込んで掛けるフラットシーツとを毛布とともに足側のマットレスの下に織り込む、ホテルのベッドメイキング方式ですネ。あれ、ご自宅で実行なさっている方もいらっしゃるのでしょうか...。
■ シーツの形状には2種類あります、少なくとも日本では。
■ フラットシーツ(Flat Sheet)は、まるっきり平たい1枚の布。マットレス全体にかぶせ、四辺をマットレスに折り込んで固定して使用します。この「固定」が、ふつうのヒトには難しいというか、やりかたがわからないというか、イライラの原因というか...。
■ 他方で、ボックスシーツ(Fitted Sheet)という、マットレスの形状に沿った箱状の立体的な構造に仕上げ、縁辺にゴムテープを縫い込んだシーツも一般的です。ゴムテープのおかげで、マットレスの上からすっぽりとかぶせるだけで一発でピタリと固定できます。家庭で使うには格段に便利です。
■ ホテルや病院などの宿泊施設で採用されているタイプは、フラットシーツ一択ではないでしょうか。理由は、商業用ランドリーマシンやアイロンプレス機との相性、及び折りたたんでシンプルに美しく保管できる、などの実用性ゆえです。加えて、ゴムや余分な縫い目などがない単純構造なので、耐久性は段違いに大きいです。
■ 病院の場合は、加えて、ホテルのように最初からベッドをつくる場合以外に、患者が仰臥している状態でベッドをつくる「シーツ交換」の必要性もあり、この重要なスキルは看護学の一分野ともなっています。この処置の作業性から考慮すれば、フラットシーツに限ります。
■ 以上の理由に勝って、最も肝心なのが、熟練した作業者の手にかかれば、ベッドメイキングが「素早くかつ美しく」仕上がる点、決定的でしょう。以上より、ボックスシーツを採用する余地はありません。
■ 20代の頃に、6年~8年ほど内臓疾患で病院にて入院生活をしていました(🔗→2023/08/02)。その間、毎朝のように、病院の大人数のスタッフの方々での大掛かりなベッドメイキング作業を見てきました。と同時に、上述の諸事情にも知見を得て、彼らの作業を、尊敬の思いで眺めました。
■ そのうちに目で覚え、実際に作業させてもらい、困ったことに看護実習生の方々の上手下手のスキルの上達段階が作業開始時点でワカるようになりました...なんてやかましい患者だ、おとなしく寝ててもらいたい...と、彼らは心の中で叫んだことでしょう...。
■ で、自分でも自宅で実践しています。
■ ボックスシーツなら、マットレスにすぐピタっとおさまり、就寝中もそれなりに張りがあり、起床時にはまあ少しシワにはなっていますが、そう神経質にならずとも、適当にたたいてのばしてOK...。
■ フラットシーツなら、半端に固定しただけじゃぁ、就寝直後からクシャクシャに...。寝相が悪いとクシャクシャ、眠れない夜はまたクシャクシャ、翌朝はシーツの上に寝てなかった、シーツを着て寝ていた(?)、なんてことがありそうです。
■ 私の場合、病院にて研究・実践の鍛錬を積んだ(?)後は、一人でピタリと張るようになりました。起床時までピンと張っています。ただ、やはり、シーツ交換時や就寝前に一人で張る作業は、今の時期、けっこう汗だくだったり面倒だったりします。しかもなんと贅沢にもシーツは自宅で洗濯機に入れずクリーニングに出しています。常時7,8枚のちょっと値の張るシーツを次々と交替でクリーニングに出してもう二十数年。過酷な業務用途に耐えるこういうリネン類は、個人で使うならば、年季が入っても、戻ってきたときにはパリパリ、ツルツル、ピカピカとして、新品の風合いが保てます。
■ これらの良い気分を味わいたくて、手間と費用をかけているわけで、ささやかな贅沢です。ボックスシーツを自宅で洗濯して乾燥させた後の、あのガサっとしたナチュラルな風合いも、なかなか幸せ感があるものです。が、いったんフラットシーツの良さがわかってしまった今となっては、あえてボックスシーツを使う気持ちになれないです。今後も永くこの幸せを味わえるよう、腰を痛めないよう体調を保っていかなくちゃ、と、交換のたびに思います。きっとあのイギリス人の表現、こんな良い気持ちを知っているからこそ、に違いありません。
■ そのうちでもまた私にとって独特な存在がシベリウスです。
■ 私のとらえ方では、他の作曲家を思い、さて彼の交響曲に目を遣ったときの特異性は、1) 全7曲が1曲の交響曲のような連続性。2) ヒト、人間社会、社交性や社会性やヒトのつながり、などといった概念を、拒否とは言わないが無視しているかのような曲想...。ヒトが歩み入れない巨大な北極圏の自然というか、ヒトの存在を意に介さない巨大な自然のうごめきを感じるというか...、特有の心象的な世界...。この2点です。もちろん、他の人の理解をえられない、自分だけの感情の、裏付けのない語彙足らずな表現です。ごめんなさい。
■ コレだという1曲を選ぶのはムリですが、うち、まったく理解してもらえそうもない部分を書いてみようかな...、って、だったら書くだけ無駄なのですが...。ま、ひとりごとです。
■ 4番が最も晦渋と言われます。が、今となっては私にとっては、親密で心地よい響きの1つです。
■ 世間様一般の「演奏会」などという華やかな場では全くウケない曲でしょう。わかりやすく稼げるウケ狙いのDG(グラモフォン)のバーンスタイン盤に、4番6番の録音が無いことでもすぐおわかりの通りです...って、す、すみません!! バーンスタインの、"ウルトラロマンティシズム(私の勝手な命名)"の全集も、やはりなくてはならないシリーズです。が、こと4番については、今は記憶の視野から外しておきます。
■ いきなり1楽章冒頭が、Vc(チェロ)とコントラバスのみの強奏で(赤枠)、旋律を為すかなさないかのような混沌とした謎の動機。すぐ6小節目からソロのチェロで(黄色枠)、違和感ある陰鬱な主題...。目が点になって軽い恐怖に襲われるかもしれませんが、こころの深みに沈潜していくようで、ひとりしずかに向かい合う気持ちにひきずりこまれます。
■ 2&3楽章も言いたいことはあれど、今日は4楽章の一部を。
■ 4楽章の冒頭。突如えぐるような弦のみの深いユニゾンの f (fp) の1音で打ち上げられた、1st Vnの上行音階。上に凸な放物線の頂点でデクレッシェンドして落下、2nd Vnが受けて下に凸な放物線の下端の頂点でまた上行、Vaがこれを受けてまた上に凸な穹窿...と、思わず呼吸を深く合わせてしまうように、聴く者は翻弄されて、これまた不思議な楽章にいきなり吸い込まれていきます。
■ クラリネット奏者の良し悪しをあっさり判別し、世の多くの奏者を振るい落として捨て去るような音階。CDとして録音を世界にリリースしているようなレベルのオーケストラなら別に不安ではないのですが、4番4楽章を「演奏会」では絶対に聴きたくない恐怖感があります。
■ 低音楽器群のみの静かなさざ波に、ヴィオラのソロが冥界の旋律を奏でます...。
■ 同様に、静かで規則的なのに不安なこころのさざ波が続き、管楽器群が震えだし、弦楽器群の揺れがトレモロからグリッサンドへと大きく動き出します...。しばしばあの世の鐘が響くように、グロッケンシュピールが叩かれます。
■ そのまま、古典的な調性音楽でなじんでいるような調和的な旋律やドラマ性など無しに、巨大な流れが破裂したり収束したりして、金管が消え、木管が息絶え、弦のみのテヌートで静かに絶えます...。
■ おそらく、「演奏会」のプログラムにうっかり載せたりなんかしたら、聴衆は茫然としてそのまま終了となるでしょう。シベリウス存命中から今に至るまで、きっとそう...。ゆえにプログラムに載ることは無いでしょう。でも、作曲者には、自分以外に誰のことなども振り返り顧みる必要など無いような、強い内面のヴィジョンと意志が、あるような気がします。
■ 70年代コリン・デイヴィスの最初の全集、ボストン交響楽団盤が、少年時代のあの頃には手に汗を握って耳を傾けたLPでした。今CDで聴くと、LP時代より音像がクッキリしていますが、テンポはかなり速く、今となっては、もうちょっとじっくり聴き入りたい気がします。
■ 90年代に、スウェーデンBIS盤で、ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の4番のCDを購入。LPもCDも、マイクが近く、音の彫りが深く、ダイナミックレンジが広大で、しかもじっくりと聴き入ることのできるテンポです。今でも一番手が伸びる演奏です。
■ より新しい録音のBIS盤の、オスモ・ヴァレンスカ/ラハティ交響楽団盤は、90年代終わりの録音とはいえ、編成が小さく現代的なシャープな演奏で、北欧の氷のような冷たさを彷彿とさせる録音となっていて、これまた独自の存在感があります。
■ 4番に関しては、上の3者のうちの後2者が私にとって現時点で決定的です。
■ でも、7曲の全集となったら、素晴らしい演奏がどっさりあって、しかもまだ聴いたことのない演奏もいくつもあり、既知の花畑と未知の沃野に、「シベリウスの交響曲」は、ずっと心が躍る存在であり続けていますし、毎日を生き生きと生きる希望でもあります。