2023/12/08

■ なおす - クラシックシェービング - 今日


昨夜は眠っていられないような暴風だったものの、ここのところ例年にない雪の少ない不思議に乾いた日々が続いています。ずっとこうならどれほど良いことでしょう...。

 珍しい冬の晴れた日、気分転換に最適な、クラシックシェービング。暗い悪天候の日には、気持ちを変えてくれ、晴れた良い天気の日にはますます気分を高揚させてくれます。

 ブラシは、前回11/24で登場の高品質バジャー(アナグマ)のブラシに並び、こちらも最高品質のバジャー。デンス(植毛の濃さ)、ダイアミタ(根もとの直径)、レングス(毛の長さ)とも、文句なく特級品です。が、価格は、前回の熊野筆の3分の1でした。販売会社は中国Yaqiですが、製造地は東南アジア製です。ハンドルはずっしり重いアルミ合金のインゴットです。少しのシェービングソープで、もりもりと密度の濃い泡立ちがあり、しかもじゅうぶんすぎるほど長く持続します。伝統的工芸品の熊野筆も、品質的には問題ないかもしれないですが、やはりクラシックシェービングの文化のある場所で生産されたものは、不動の信頼感に満ちています。

 ソープは、アメリカ製の高級定番品スターリングStirlingのDeep Blue Seaというフレーバーの品です。これは私のような日本の末端庶民にとっては、明らかに身分不相応な贅沢品です。といっても、1,2週間でなくなる石けんや市販のシェービングスプレー(?)と違い、大切に使って何年も持ちます。何年も贅沢できるだなんて...。

 贅沢品ついでに、肝心のホルダは、アメリカ製のAbove The Tieの品。高級ラインの『Windsor Pro』シリーズのうちの『Kronos / SB90』という型番です。ギャップは0.9mmでアグレッシブ(刃とベースプレートの間隔が広いがゆえに、かなり鋭い切れ味で、中級者以上向け)です。これまたずっしり重いステンレスのインゴット削り出し品をポリッシュ加工しています。購入した数年前から、円安のせいもあって、今ウェブサイトで見て2.5倍程度に値上がりしていて、卒倒してしまいそうです。ま、コレも生涯にわたり使えるので、シックやジレットの使い捨て品を思うと、満足感の高さは比較になりません。

 いずれも、買ったときには、そう贅沢をしているだなんて意識はなくて、必要にかられていたのですが、今となってはもう...。

 これら、代替品類似品が日本に存在しないジャンルの製品を使うのは、シャワーのときです。毎日使うものを、外国から購入できることに、ほんとうに感謝の気持ちがふつふつと湧きます。...毎度同じことを言ってしまうのですが...。

 『イギリスのラシャとポルトガルのぶどう酒』といえば、経済原論を学んだ全ての人におわかりの通り、国際分業をすることによって、全ての人類の幸福が最適解を得られる、リカードの自由貿易論です。

 シェービングをするたびに、ひしひしと感じます。

 この理論の当然の大前提は、自由貿易が可能な国家関係です。原材料のみならず、労働条件や捨象可能な低関税といった経済学的資源の条件が均衡する、自由貿易を受け入れる民主主義国家同士で可能で、このときこのゲーム理論は、人類という全構成メンバーにとって最適解です。

 破壊し合う生物よりも生産し合う生物に、どうか戻ってくれるように、と、"真珠湾の日"に、こころからいのっています。

2023/12/07

■ きく - バッハ「オルゲルビュヒライン」BVW599-644; アラン


大学時代にいなかから東京に出て来て、本でしか知らなかったものの実物に接触する機会は多かったです。東京国立博物館の収蔵品などがその例です。うち、パイプオルガンというものを初めて聴く機会に触れたのも、その一つです。

■ おとといの冒頭画像は、東京カテドラルですが、この大聖堂は、典礼用途で実働する日本最大のパイプオルガンを備えています。小教区教会としてのカトリック関口教会で、ふだんの主日ミサで毎週稼働しているわけではないようですが、教会暦上の大きな祝日には当然、聖歌の伴奏に用いられます。

■ 初めてその音を聞いたときは、想像を絶するレベルで、「楽器」というよりは、「建物の構造物」が圧倒的な力を及ぼしているのを感じました。コンクリートという一種の石造建築物の中で、内側に向かって湾曲するネガティブラインを持つ内壁を這う猛烈な音の波や圧力が、集う会衆や私の皮膚や筋肉を押し脳を揺さぶるのではないかとすら感じます。それが、外側に膨らむ穹窿をなすヴォールト天井(8/6ご参照)を持つヨーロッパの教会と同様なのか、また、それが会衆に心地よいか、というのはまた別な問題ですが...。

■ ロックコンサートやサウンド効果付きのシネマシアターなど、類似の熱い高揚感があるのではないかと思いました(どちらも行ったことがありませんが)。

■ 飛躍しますが、1517年にくすぶりが破裂した宗教改革で、ルター本人の強い意志は、そのエグいドギついドイツ語訳の聖書と、積極的なドイツ語の讃美歌の、両方を用いる典礼(礼拝)で、説得力を強めたのではないでしょうか。うち、歌は、カトリック修道院のような、器楽伴奏なしの単旋律のしかも会衆にとって意味不明なラテン語なんかのモノフォニーではなく、オルガン伴奏が当然の前提とされる(当時は場合によっては管弦楽団までつく)多彩なホモフォニーに支えられた、歌いやすいドイツ語の主旋律をもつ讃美歌が、次々と作られていきました。

 自分たちの生活や場合によっては命をも抑圧するカトリックという巨大な敵対圧力を押し戻す強い意志は、会衆が、自ら読み歌う形で、積極的に参加する際に、教会という石造りの砦とオルガンという心理的に圧倒的な構造物によってバックアップされたのではないでしょうか。オルガンは、人間の意気を昂め、意志を束ね、決意を促し、人間の歴史を変える構造物です。

 さて、話はガックリ変わって、大学時代の80年代半ば、内臓疾患で何か月間か何年間か病院の天井を見て暮らしていた折りに、それまで何度も耳にして知っていたはずのマリ=クレール・アランの演奏を、耳にしました、と言ってももちろんいつものFM放送で...私が生の演奏に接する境遇なワケがないじゃないですか。

 このときの私の置かれた状況から、いつも鈍い私の感覚も、チョっと人並みに鋭くなっていたのか、ブクステフーデのあの二短調のパッサカリア(BuxWV161)で重々しい曲のハズのところ、たしかに軽くはない、がっしり芯が通った音色でしたが、だのに、ずいぶん明るくすがすがしい透明感でいっぱいで...。知っているヴァルヒャとは全く異質の音色に聞こえて、改めてLPで(当時CDは高価だった)じっくり聴いてみたい気分がむずむずしてきました。

 クラシックのLPレコードにつき、圧倒的に怒涛のラインナップを揃えているのは、世界広しといえど、ロンドンでもニューヨークでもパリでもなく、明らかに秋葉原の石丸電気です。一時退院した機会に、物色に出かけていきました。

 アランのLPは、すぐたくさん見つかりました。あの明るい音色をいっそうじっくり味わいたかったので、恰好の1枚、バッハのシューブラーコラール集(Schübler Choral BWV 645-650)を選びました(上の画像のLP)。

 自室の貧弱なステレオで聴いて、びっくり。いきなり感じたのがペダルの風圧です!?...えぇ!?...大音響で鳴らしたわけでは全くないのに、がっしりと芯が通った底抜けに明るい音色、いやそれを越えて、ペダルの低音で、音の波の風圧が物理的に内臓を揺らします(病気ゆえの幻覚です...)。フランスのエラート(Σrato)盤の特有の音の良さは定評がありますが、自分のショボいステレオの、ダイナミックレンジを上から下まで使い切っているようなずっしりと深い音です。あの関口教会の体験と同じではないか、ただこちらのシューブラーコラールの曲は、あの威圧感がなく心地よいです。

 オルガンは、オーヴェルニュ地方ドロームDrômeにあるサン=ドナ教会 (Collegiale de Saint-donat)の、1970年代のシュヴェンケーデル Schwenkedel 製で、1982年頃の録音。アルザス地方にあるこのオルガン工房の名前こそゲルマン語系ですが、音の体験なのに、音色は、南フランスの、明るい、強い、迷いがない、などのイメージが広がり、何か視覚的なものを感じます。南の地中海から吹く穏やかで湿度の多い海風。北から吹く乾いたミストラル。青空の下でからみあうようです(病気ゆえの幻覚です...。内臓疾患が精神まで蝕んできたかもしれません...)。

 その録音を遡る2年ほど前にアランがすでに完成させていたバッハのオルガン全集を、聴かずにはいられなくなりました...。LPでヴァルヒャの全集は持っていたので、その扱いのたいへんさから、もはや今度は、ダイナミックレンジの広い、しかも扱いやすいCDで欲しくなったのですが、CD17枚組はとても購入できず、何年も欲求を封印しました。全巻一括で購入したのはその後何年もたってからです。

 日本語盤の全集には、200ページにわたる分厚いブックレットが附属しています。アランが1曲1曲を全て丹念に解説しています。和訳が、ぎっしり濃密でやや衒学的、その文体が、淡々とした学術的で客観的な記述からは遠い文学的修辞に満ちていますが、元のアランの仏文がそうなのでしょう。それでもこの内容的な自信と信念・学究的誠実さがみなぎる人格には、圧倒されます。

 ヴァルヒャのオルゲルビュヒラインが、ほの暗く、模索して辿り着き、内面からにじみ出る喜びをじわりと感じるところ...でもそれを、今、この晴れ渡る南フランスの対岸から眺めると、場合によっては ceux qui cherchent en gémissant 呻(うめ)きつつ求める者ら? …。とすれば、アランのそれは、フランス的な clare et distincte 明晰判明, sens intime 屈託のない親しさ?... 

 No.4 “Lob sei dem allmächtigen Gott (BWV602)”...昨日のArchiv盤の和訳と違い、こちらΣrato盤の和訳は「全能の神を讃えよ」。ここでの彼女のペダルの音は、何の抵抗も障りもなくスっとからだに入ってきて気がつけば次の瞬間に心臓も腹も抜け落ちるている、といったような柔らかくもずっしり深い音。それが見通しの良い左手の装飾的な中音域と違和感なく戯れるようにからみます。右手旋律を歌う高音のストップは、ビブラートを知らない子どもがあっけらかんと発声するようなカラリと明るい色合いです。

 彼女のオルゲルビュヒラインは、しかし、曲ごとに、表情が多岐多彩で、巨大なダイナミックレンジにわたります。この、20世紀に新規に建造された現代の巨大オルガンを、手足のように動かし、あるときは浅く小刻みにあるときは深々と呼吸しているかのように、ほんとうに自在に振り回しています。もはや『オルガン小品集』の枠を超えて、あらゆるオルガン技巧の見本サンプルカタログででもあるかのようです。したがって、バッハ全集の他の曲、プレリュード、フーガ、トッカータなどのスケールの大きさに、この人の偉大さが、これでもかと痛いほど感じます。それら全てを包む背景にあるのは、全く揺るがない強い信念と楽観性、そのさらに根底に、...彼女の宗教は私にはもちろんわからないのですが、何か、こんこんとあふれるような信仰の喜び、というものがあるのではないのかな、という気が、ちょっとします。

2023/12/06

■ きく - バッハ「オルゲルビュヒライン」BVW599-644; ヴァルヒャ


オルガン曲といえば、私ならば、この人のこれです。

 もうちょいウルさく書けば;

バッハ『オルゲルビュヒライン - 45のオルガンコラール集』のうちから 

 Nr 4. Lob sei dem allmächtigen Gott (BWV602) 

レーベルは、アルヒーフ Archiv Produktion (West Germany)

1969年9月のステレオ録音

オルガニストは、ヘルムート・ヴァルヒャ Helmut Walcha 

 今は、静かなこころ楽しさがある待降節の時期なので、45曲のうちの、第4曲目を。たった40秒たらずの曲です。

 1970年代後半に購入した画像のLP、アルヒーフの国内盤の訳では、この第4曲目は、「万能なる神に賛美あれ」と文語調でいかめしい表現ですが、曲はふわりと柔らかいです。

 どの曲も、ルター派の讃美歌の旋律です。ただしそのさらに元はラテン語の(つまりカトリックの) “Conditor alme siderum”(輝く星の創造主)に由来します。でも、言葉で補おうとすればするほど、難しげになりそうで、ごめんなさい。が、そんな前提知識は不要です。

 聴けば、柔らかく喜びにはずむ低音ペダルのリズム(下の画像の最上声部の四分音符 - 緑枠)と、軽やかな左手の対位法的装飾音(楽譜画像の十六分連符 - 黄枠)を伴って、高音域の右手旋律(画像の最上声部の四分音符 - 橙枠)が、四分音符のみの、単純で素朴でおおらかな下降旋律で弧を描きながら、少しずつ降りてきます。最後の和音は、上行する左手の装飾と交叉して、御座への昇天を予告します。

※ Bach 自筆譜 "Lob sei dem allmächtigen Gott (BWV602)"

 このペダル-緑枠と左手-が、最初の小節で、直感的にほっと息を吐きたくなるような、何もかも、後悔も悲しみも罪の意識も、ふわりと包み受け入れてくれるようなやすらぎがあります。

 待降節は、"神の子が人となって地上に降りる"神学的モチーフが必ず背景にあります。ゆえに、待降節用のコラールには、基本的には下降音型をもつ旋律的動機が用いられる点で共通しています(たとえば、ご存じのクリスマス讃美歌『きよし、この夜』ですが、この2文節のいずれも、旋律語尾は下降していませんか?)

 あ、そもそも「オルゲルビュヒラインOrgelbüchlein」とは、「オルガン小品集」「オルガンの小さな本」という意味です。バッハのこの曲集の定訳が表題のカタカナのみの音訳となっているので、無理に訳し直すならそういう感じでしょうか。

 この45曲は、教会暦にしたがって、1年を「降誕(12月)、新年、受難、復活、聖霊降臨、祈り、死(11月)」に分割し、それぞれに数曲ずつ、ルター派のコラールをもとにさまざまなオルガンの技法を記したものです。

 うち、待降節用に第1~14曲目、復活までで第32曲目までと、やはり降誕と復活には大きく割り当てられています。

 全盲のオルガン奏者ヴァルヒャは、バッハのオルガン曲全集を、モノラル時代とステレオ時代の2度録音しています。私は70年代前半の中学1年生かそこいらの頃に、バッハって、ヴァルヒャって、誰だかよくわからないまま、この曲集のFM放送をカセットテープに録音しました。曲集の途中から録音、途中で尻切れです。きびしいようなやさしいような、ひとりでよく考えてみよう、と語りかけるようなこの曲集...。何百回か聴いて、カセットテープはもつれて捨てる状態に。高校生になった16歳、70年代後半頃に、意を決してあのカセットテープに録音した音源である、冒頭の画像の2枚組LPレコードを、当時の価格5,000円で買いました。画像のLP音盤はもう傷だらけです。日本語盤ですので、磯山雅の解説和訳があり、買ってすぐ読みました。そのとき、演奏者年譜に、ヴァルヒャという人は「16才...全盲となる」と書かれてありました。

 心臓がつぶれる思いでした。幸せにもLPを買った私と同じ歳で...。どんな思いだったのでしょうか。それが自分だったら...。

 目を瞑って聴いてみたらどうだい? と、声をかけられている気がしました。

 目を瞑って音楽をきくようになったのは、その瞬間以来、今日まで、半世紀近く続いています。

 この第4曲の音、いや、この曲集全体の色調が、やわらかいのは、当時のクリアならざる録音技術のせいもあるでしょう。ラジカセでは、よく言えば神秘的な、ハッキリ言えばモヤっと曇った響きでした。

 LPをヘッドフォンで聴いて、やはり、やわらかく包み込む響きがしました。今でもです。また、この第4曲の1969年録音時の一次音源には、曲の最初しばらく録音技術上のバグ的な雑音「ザリ」音ノイズがあります。

 同時に、このやわらかい響きは、使用したオルガンの音の特徴も大きいと思います。

 オルガンは、歴史的に独仏の領有争いが絶えなかった「アルザス=ロレーヌ地方のストラスブール 」=「エルザス=ロートリンゲン地方のシュトラスブルク」にある、サン=ピエール=ル=ジュヌ教会(Saint-Pierre-le-Jeune, Strasbourg)のジルバーマンオルガンです(画像CD右のジャケット)。

 聖人信仰の教会名からしてカトリック教会ですが、このエリアの複雑な歴史的経緯から、バッハの時代にはもう現在のルター派教会となっているようです。

 オルガン制作者のジルバーマンは、バッハと同時代人です。このアルザスエリアは、当時はオルガンの名工らで名高く、彼はその代表格でしょう。建造後数年して当地に来たモーツァルトがこれを演奏した当初は、構造的に、マニュアル(手鍵盤)1段、ペダル(足鍵盤)数本程度だったに違いないのですが、200年の間に修復を重ねたようで、20世紀になって、その初頭に、あの「密林の聖者」シュヴァイツァー、彼もストラスブールの人ですが、その彼が、エルフェル社と共同で手直しをしたのを始め、1979年頃までに、マニュアルはレシ込みで3段鍵盤かつワイドレンジで大掛かりなペダルに拡張され、そうとう大型のオルガンになっているようです。

 ジルバーマン建造当時のストップ(同種発音を有する一群のパイプ配列群)も敢えて残して使っているようです。

■ LPの解説にはオルガンの説明もあり、改修歴とディスポジション(ストップ仕様)が、それぞれの風圧データに至るまで詳細に表示されています。

 発音の特色(音色)は、おそらくの推理...ですが;LPと、その後80年代にこれをCD廉価盤にて再販した同一録音を購入したのですが、その2種の音源を、目を瞑ってジッときいての推理でしかないのですが、そうとう大型のオルガンでありながら、おそらく、たいへんに柔らかい発音の特色、場合によっては、同じ大規模なサイズで20世紀に新建造されたオルガンと比べてかなり反応が鈍い特色、などを備えているのではないでしょうか。これをヴァルヒャは、小さな独楽(コマ)でも転がすように、自由自在に操っているような印象をもちます。

 その、ストラスブールのジルバーマンオルガン固有の発音の特色と、他の人ならぬヴァルヒャという歴史的存在が、他の曲ならぬオルゲルビュヒラインを選んで弾いている、という組合せが、私にはかけがえのない、生涯の出会いです。

2023/12/05

■ きく - オルガンって?

※カトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂); 関口教会ウェブサイトより

12月。クリスマスの月? それってキリスト教の話では。いや、でもニッポンの行事ですよね。もうニッポン固有ニッポン古来の伝統行事との固定観念もあろうかという勢いです。クリスマス=忘年会=飲み会という概念の正しさに疑問の余地もないニッポンのオッサンが、酔って帰宅途中、偶然通りかかったキリスト教会前を見て「へぇ、キリスト教でも、クリスマスをヤルのかぁ」と感心した話もあるくらいで。

 私は学校に通っていた時代に、親戚である浄土真宗のお寺に下宿していましたが、そのお寺には、他にも下宿生が、時期にもよりますが、中学生・高校生・大学生などが混在していたりして、この下宿生のために、冬休みの入りに、「クリスマスパーティー」もあったくらいです。え? 仏教寺院でクリスマスパーティをしていいのか!?...って?...(;^^A…イデオロギー上の論理的矛盾に気づいたとしても、ま、おカタいこと言わずに...。親元を離れて勉強する下宿生への、ささやかながらこころのこもった気づかいですよ。みんなのご飯を365日のあいだ毎日3食、当然お弁当もつくって、さまざま世話をしてくれた伯母さん(住職の妻)は、よほどたいへんだっただろうなと思います。

 で、今年は、教会の暦で、クリスマス前の待降節第1主日が遅くて、おととい12/3(日)だったそうです。それは何? だから何? で別にいいんですが、個人的な暦感覚では「真冬の入り」で、昼なお鉛いろにどんよりと暗い日がこれから3か月続くというこの地方で生きていると、待降節→四旬節と、気持ち的にもずっしりと重いです。よくわからない感覚でごめんなさい。

 そんな天候気候できく音楽は、i). 明るく軽く華やかな曲を聴く、ii) どんよりと暗い曲を聴く、の、実はどちらもそれなりに良いものです。i).の選択肢に飛びつきたくなりますが、私がここ半世紀ほどii).を選んでしまうのは、人格的問題か、いやそもそもそんな人格をこの気候風土が創ったのでしょうか...。いずれにしても、中世ルネサンス期の器楽なしの声楽かオルガン曲に限られてしまう現象があります...。

※ 左;ヤマハ創始期のリードオルガン組立工程 (YAMAHAウェブサイト) 
/ 右;日本最大のパイプオルガン (サントリーウェブサイト)

「オルガン」と言ったとき、ニッポンの庶民の私たち(あなたも引きずり込んですみません)にとっては、昭和の昔まではどこの小学校にもあった「足踏み式オルガン」を思い浮かべませんか? これを今「リードオルガン」と呼ぶことにします。他方で、CDで聴くオルガンは、日本では「パイプオルガン」と呼びならわしています。

 昭和の(特に津軽地方の)小学校の教室に1年中必ずあったのは、黒板・机・椅子のほかに、足踏み式のリードオルガンと石炭ストーブです。私の小学校時代の担任のうちの、男性の教員は、思い出してみれば、リードオルガンの操作が、実にぎこちなく、本人もつらそうで、つまりはっきりヘタクソでした(す、すみません!!...)。小学校教員は、今でもですが、鍵盤も水泳も必須なので、教員採用試験のハードルは高いのではないかと、無能な私は尊敬するとともによけいな勘ぐりをしてしまいます。

 リードオルガンは、明治期に宣教師たちが大量に持ち込み、国産され、文部省の唱歌教育で教育の場に隅々まで普及し、戦後に個人宅でも備える家庭が増えたそうです。ピアノメーカーの山葉(ヤマハ)も河合(カワイ)も、出自はオルガン製造者です。が、その後、作曲者や演奏者が、個人的に、操作しやすく、かつ、より感情的芸術的ニュアンスを伝えやすいピアノに取って代わられたようです。

 パイプオルガンは、教会の構造の一部であって、建造にも維持にも莫大なコストがかかり、巨大で専門的です。現在は、私たち庶民レベルから見ると、典礼と芸術鑑賞用途のみで、日常生活には縁がない遠い存在です。

 ただ、LPやCDのおかげで、私のような末端の庶民でも、自宅で気軽に聴くことが可能です。

 でも、聴くと、ピアノを聴くのとも管弦楽や室内楽を聴くのとも違う気分です。もちろん、ミサや礼拝のような典礼に与っている気分ではない。けど、芸術作品を鑑賞している気分とも違うような気がします。何か、うまく言えないのですが、たとえば、自分用にきっちりPCで制作したリフィルを革手帳に整え、本来あるべき自分について、構想し、具体的に計画し、予定に落とし込み、達成度を確認し、これにより方向を修正し、...などといった、かるい緊張感のもとで、ちょっとちゃんと省察してみようか、という気になるんですよ。いや別に、オルガン曲を「机に向かって」「正座して」聴くハズがなくて、横になって聴いていたとしても、そういう気になります。

 ここまでまとめてみて考えると、なんだかこんな天候気候・風土のなかで一人で目を瞑って聴くという自分のスタイルができてきたのもしょうがないか、せっかくここまで意識したことだし、これからは少し目的意識を持ってオルガン曲を聴こうかなと思います。

2023/12/04

■ なおす - TVを見た記憶 - 3

Chaplin; "The Gold Rush" 1925

さらにまた昨日の続きです;これまでの一生の間TVを見た経験が五指に収まる生きる化石のヒトの思い出話;

 5). 東京で大学生だった頃の1980年代に、知人からもらった古くて小さいブラウン管TV。今では考えられない「12型画面」でした。今どきは「タブレット」の画面サイズです。が、異様に長い奥行きで、片手では重すぎるくらい。年配の人である前の持ち主によると、SONYだったか松下(Panasonic)だったか著名ブランドの、小さいけど高性能品高額だ、使わないようだったら他に有効活用してくれそうな人に譲ってよい、と、言われました。私には価値がよくわからなかったです。「なんとかに真珠、かんとかに小判」です。もらった当時の私の東京の下宿は、山手線のど真ん中だったものの戦前のはるか昔に建てられた古い木造家屋で、私の部屋は、二階の角部屋でしたので、二面が障子&廊下。その畳の部屋にTVをじかに置いただけです。

 TVをもらったその日、下宿のおばさんから聞いたところでは、私の部屋の隣の6畳の部屋にいる台湾からの留学生Kさんのところに、彼の後輩Tさんという人が台湾から初来日し、住まいが決まるまでの1,2か月間、6畳に2人で寝泊りする状態になるとのこと。

 私はさっそく二階に上がって、Kさんの部屋の襖に声をかけると、Kさんはおらず、初対面のTさんが、ヘタったジャージ姿で、臆病なふうにちらりと襖をあけて、日本語で挨拶します。聞くとすぐ外国人の日本語とわかるのですが、上手で語彙も豊富です。立ち話をすると、彼の人生初の日本に到着して初日のまだ数時間。長旅の疲れを、彼の人生初の「銭湯」で癒して帰って来たばかりで、日本の「銭湯」に面食らった事、いや、それはどうでもいいのですが、私と同じ年で、台北にある臺灣大學で台湾現代史を研究中です。日本語は幼少時からそうとう勉強したが、日本で日本人と会話するのは今日が初めて。このたび経済学部に国費留学とのこと...。ヘボいジャージ姿なのは、状況的に当然の話として、見かけとは違って、よほど優秀なヒトじゃないだろうか。こちらもかしこまってしまって、大げさにおカタい挨拶をします。

 襖を閉めて、自分の部屋でチョっと本を読みかけましたが、TVもつないだところだし、新しい住人の彼の存在もあって、かなり気が散ります。この際、もう少し話をして、打ち解けた方が、安心して暮らせるかな、と思いますが、キッカケがありません。

 また、TVの使い方なんかわからないので、ひとまず電源を入れいろいろ操作していると、チャップリンの『黄金狂時代』が始まったばかりのようです。私はその頃は、チャップリンの映画は全く見たことがありませんでした。でも、「チャップリン=喜劇王」という一般的な知識はあったので、コレだ、と思い、すぐTさんに、よければいっしょにTVでチャップリンを見ないか、と声を掛けました。

 彼も喜んで私の部屋に...。が、TVの小ささにたじろいだ表情です。とはいえ、お互い、TVや映画が目的ではなく、少し話をした方がいいかなと、互いに思っていたんだと思います。畳にぺたんと座って、小さい画面を見るともなく話をします。

 『黄金狂時代』は、トーキー以前の映画で、セリフがありません。時々、紙芝居のように、セリフや状況らしきものが英文で書かれたパネルが写されるだけ。視聴するに際しての言葉の障壁は無いようです。彼も私もチャップリン映画を見るのは初めてです。

 当初は、見るともなく、台湾から今日初めて日本の土を踏んだ彼のことについて、日本語で、チョっと不自由なときはお互いカタコトの英語で補足しながら、いろいろと聞きます。彼もフランクに話してくれて、話は弾みます。

 と同時に、映画がおもしろくなってきました。映画の中で、吹雪で一夜にして、眠っていた二人が山小屋ごと飛ばされて、知らずに目覚めた二人が今いるのは断崖絶壁の隅でシーソー状態で揺らめいている小屋、という箇所ですが(上の画像)、あまりにおかしくて、お互い、笑って笑って、涙は出る、洟は出る、息はできない、で、二人とも七顚八倒の苦しみに見舞われました。

 それ以来、彼とは仲良しになりました。このときばかりは、言葉の壁など無いチャップリンの映画とTVの存在に感謝します...。このTVは、実は、すぐ翌日、彼にあげました。日本語に慣れるかなとお互い期待して。彼もそのSONYだか松下だかのブランドを見て喜び恐縮していましたが、もらう際の彼の日本語は「このような、超小型で超高性能な家電製品は、日本のお家芸ですよね。」と。日本初来日の初日とは思えない語彙を使いこなしていたんですよ。

 一週間ほどして、彼は、大学の紹介で、某研究所の社員寮の一室を借りられることになり、私の下宿からはいなくなりましたが、その後もよくここに遊びに立ち寄りました。その折に彼からもらった烏龍茶『凍頂』の特級品と簡単な茶道具一式で淹れた茶のおいしかったことといったら!

 あげたTVですが、その半年後くらいに「今度日本に来た後輩に譲ってよいか」と、たいへんていねいな文面のハガキで私に問い合わせてきました。律儀な人です。

 彼はもう今では見上げるような高みで後進の指導をする立場ですが、あのときの小さいTVで笑った思い出が、ニッポン留学で真っ先に思い出す楽しい思い出、とのことです。